「・・・大河」
「ん・・・何?」
体育座りをした大河はトロンとした眠そうな声で答える。
「俺、そろそろ、帰るな」
「まだいいよ、居て」
「もう、11時過ぎたぞ」
ベランダから戻った後に団子などを食べたりしていたふたり。
その後は高須家の居間と変わらないグダグダ状態のまま、テレビのロードショーを見ていたのだが、その途中から大河が何度もあくびをしているのに竜児は気がついた。
時おり、眠そうに上体を揺らし、それでも眠るまいと懸命な努力を続けていた大河。
だから竜児はちょうど見ていた映画が終わったのを潮に帰ると言い出したのだ。
「まだ、11時でしょ」
「でもなあ相当、眠そうだぞ・・・おまえ」
「眠くない・・・まだ寝ない・・・もう少し・・・居て」
立ち上がろうとする竜児の着ている服の裾を掴んで大河は離さない。
仕方無しに竜児は再び、腰を下ろす。
「じゃ、あと五分な」
「五分じゃ足らない」
「じゃ、十分」
「・・・もっと」
おねだりする大河。
「もっとって・・・泊まっていくわけにはいかねえだろ」
「いいよ。泊まってって。私、気にしない」
「な・・・馬鹿なこと言うなよ。俺は気にする」
恐いことを平然と言う大河に少し焦る竜児。
「いいじゃない・・・竜児、呼んだら来てくれたんだし」
「呼んだらって・・・確かに今日は大河の家に来たけどよ」
「ううん、今日じゃない・・・ずっと前」
「ずっと前?」
竜児は聞き返した。
「うん、初めて竜児の家に押し掛けた日」
「ああ、あの日か・・・それがどうした?」
「私、朝早く呼んだでしょ・・・竜児のこと」
「ああ、そう言えばな」
・・・殴り込みの後だよな。
「・・・来ないって・・・思ってた」
・・・え?
大河の続く台詞に竜児は耳を疑った。
「だって、そうでしょ・・・あんなに朝早く、来いとか言われて・・・普通だったら怒って当たり前・・・九十九%来ないって思ってた」
眠そうな感じを残した大河の口調は切れ切れに続く。
「だから、また寝ちゃったんだ。あの時の私・・・・・・でも、ベッドの中で寝てたら、良い匂いがして・・・ものすごく懐かしい感じの匂いだった」
・・・大河の家で朝飯作ってたんだよな・・・あの時の俺。
「ああ、そうだって思い出した・・・・・・起きるとママが居て『おはよう、大河、朝ごはんよ』って・・・・・・私、いい夢見てるなって思ってたんだ」
・・・だいたい、用意が出来たところで・・・タイミング良く大河が寝室から出て来たんだ。
「夢が続いてると思った。テーブルに並ぶ朝ごはん・・・でも、おいしそうな匂いがして、夢じゃないってわかった」
そして、目が覚めたらそこに竜児が居たの・・・そう最後に大河は付け加えた。




「その時からよ・・・あんたのこと、竜児のことが意識から離れなくなったの」
そのままふぁ〜と大口を開けてあくびをする大河。
「入れ間違えたラブレター、取り戻しに行っただけなのに」
納得がいかないと言う口調で大河は続ける。
「あんたの家からここへ戻って来たら急に落ち着かなくなったの・・・なんでか分かんなかった・・・その時は」
「今は分かるのかよ?」
竜児の問いに大河は『うん』と答る。
「結局、うとうとしただけで朝早くに目が覚めちゃったんだ・・・目が覚めて・・・急に竜児の声が聞きたくなって、電話しちゃった」
朝早くから迷惑だったでしょうというニュアンスを含ませ、大河は言葉を紡ぎ出す。
「何回か迷った・・・まだメモリーにも入れてなかったから、控えておいた電話番号・・・最後の1個がなかなか押せなかった」
その時の迷いを表すように大河の表情は揺れ動く。
「呼んでも竜児が来てくれなかったら・・・もしかしたら電話にさえ出てくれないかもって、いろいろ考えちゃった」
うつむき加減に、大河は小さく息を吐く。
「電話が繋がって・・・」
そこで大河はくすっと小さく笑った。
「何がおかしいんだよ?」
「ん・・・本当は『お願い、来て欲しい』みたいに頼むつもりだったの・・・でも、竜児も知っての通り、いつもの調子でやっちゃった」
その時の大河の見幕を思い出して苦笑する竜児。
「普通の奴なら、二度と電話に出ねえと思うぞ、あれ」
「本当よね・・・終わったかなって思った」
「終わったって?」
「竜児とのことよ。何でもするって変な約束させたけど口約束だったし、竜児がそれを守らなければいけない義務なんてなかったから」
「俺はそんな薄情じゃねえ」
「うん。だけど、あの時は竜児のこと良く知らなかったから・・・電話が切れた後、すごく後悔した。もう二度と口も聞いてくれなくなるんじゃないかって」
不安な記憶を思い出したのか、大河はやや感情を高ぶらせ語尾がかすかに震えた。
「何となくわかったの・・・私、竜児と居ると気持ちが和らぐんだって・・・あんな気持ちになったの初めてだから」
軽い深呼吸をして大河は竜児を見つめる。
「俺は、何もしてねえ」
「ううん、いろいろしてくれた。勝手に押し掛けて暴れて倒れたのに、竜児ってばチャーハンまで作って食べさせてくれるんだもん。おまけに暴露話まで始めるし」
クスクスと小さく笑い始めた大河はとうとう大笑い。
笑い過ぎてこぼれた涙を指先で拭いながら、竜児へ優しい視線を向ける大河。
そんな大河からまぶしそうに視線を逸らし気味にして竜児は言い訳がましい。
「あれは・・・まあ、成り行きと言うやつだ。なんか大河、泣きそうだったし」
泣いてないわよとそこだけ否定する大河。
「変よね。わずかな時間、一緒に居ただけなのに・・・竜児が側に居ないと落ち着かなくなってた」
ホント、不思議と大河は言う。
「だから、来ないって思ってた竜児が来てくれて、嬉しかったんだ、ものすごく・・・思わず駄犬だなんて言っちゃったけど」
・・・あんたが、竜児が居てくれて良かった・・・大河は心の底からそう思っていると心情を竜児に告げた。




「だから、今夜は竜児と一緒に居たい」
ひどく真面目な顔で大河は竜児に切望する。
「いつも、わがままばっかり言って、竜児を困らせてるって分かってるけど・・・今夜は独りで居たくない」
上目遣いに竜児を見る大河。
「・・・竜児が帰ったら、私、この広い家で独りぼっちになる・・・哀しい月のうさぎだよ、それじゃ」
さっきまでしていたお月見で、出て来た話題のうさぎに大河は自分をなぞらえる。
「うさぎを落ちこぼれって言ったけど、私もおちこぼれだね」
「大河が・・・か?」
「うん」
自嘲気味に大河は笑う。
「だって・・・私、竜児に何もしてあげられない・・・うさぎとおんなじ」
散々、竜児に迷惑ばかり掛けて、今日だって私のために怪我までして・・・せめて、ご馳走しようと思ったのに上手く行かないし、と大河は独り言みたいに理由を説明する。
「それなのに、また私、竜児を困らせてる」
うさぎ以下だねと大河はポツリと付け加えた。
「・・・帰っていいよ、竜児」
顔を伏せたまま、大河は竜児に背を向ける。
「ちょっとだけ、寂しいのを我慢すればいいんだから・・・ベッドのお布団・・・竜児がこの間、干してくれたから暖かいと思うんだ・・・だから、月みたいに寒くないよ、きっと」




普段見せたこともない大河の自然すぎる気持ちの発露が竜児を捉えて離さない。
このまま、大河を置いていけるか?
この問いに竜児はスーパーコンピューターよりも素早く回答を弾き出す。
「大河」
「ん」
竜児の呼びかけに振り向く大河。
「それはつまり・・・単に一緒に居たいのか・・・それとも・・・」
大河の真意を測りかね、竜児は語尾を濁す。
「どっちでも・・・竜児の思っている方でいいよ、私」
謎めいた表情で大河は思わせぶりな態度。
見慣れた大河の顔がいつもの大河に見えなくて、思わず竜児は大河を凝視する。
竜児の強い視線にたじろぐ事もなく、大河は受け止める。
・・・本気なのか?大河。
・・・本気よ。竜児。
・・・いいのか?
・・・いいよ。
声にならない、視線だけの会話が何度となく行き交う。
先に視線を外したのは竜児だった。
一瞬、不安そうな表情を見せ、大河は竜児の目線を追い、竜児の方へ体を向け、手をついて前屈みになる。
竜児は脇を向いたまま、そっと腕を伸ばし床についていた大河の甲へ自分の手を重ねた。
「竜児」
二度三度と竜児は掴んだ大河の手を優しく握る。
「・・・りゅう・・・じぃ」
針が振り切れたような大河の声が竜児の耳にこだまする。
その都度、大河の手を握り締める力を込め続ける竜児。
やがて、竜児の手をするりと抜けた大河の手が竜児の手を握り返す。
「大河」
「ん、竜児」
安心し切って何もかもさらけ出すような大河の声。
そんな大河の手を握って竜児は手前へ引き寄せる。
「あっ」
竜児は大河が反射的に引っ込めようとした手を離すと、その華奢な肩に手を伸ばし、抱き寄せた。
「あ、わわ・・・竜児」
バランスを崩し、仰向けのまま竜児の方へ倒れこむ大河。
大河の長い髪がフローリングの床に流れとなって落下する。
大河は竜児の膝の上に寝転ぶような姿勢になり、上半身を竜児の腕の中に委ねた。
床に座る竜児の腕に寝転んだ状態で抱えられた大河。
はたから見れば、まるで母親が幼子をあやしているかの様。
大河は真下から竜児を見上げる格好。
「竜児」
そして真上から大河を見下ろす格好の竜児。
「大河」
ふたりを隔てるのは30センチの物差しさえ長すぎる空間。
「ずっと、こうなるのを待ってた様な気がするの・・・ねえ、竜児」
大河は竜児を呼ぶとそのまま口を閉ざす。
少し潤んだような大河の目が竜児を見つめて離さない。
竜児は大河の瞳に映る自分を見つけ、大河は竜児の瞳の中心に自分を映す。
言葉も会話もなく・・・点けっ放しになったテレビの画面だけがふたりの前にあった。
騒がしいCMが終わると画面が暗くなり、大河の表情に陰を作る。
テレビからは静かなBGMだけが流れ始めた。
もう後は自然な流れがあるだけだった。
大河がまばたきを一回する。
まるでそれが合図だったかのように、竜児と大河は引き合うようにゆっくり近付く。
お互いの瞳に映る自画像がだんだん大きくなり、残す距離がミリ単位に切り替わる間際、大河はそっと目を閉じた。





「くすぐったい・・・竜児」
目を細め、大河は心地良さ気にしている。
「やめるか?」
「ううん・・・続けて」
竜児は手を止めることなく、優しく大河の髪を撫で続ける。
その竜児の手が時おり、大河の首筋や頬に触れ、そのたびに大河はピクリと体を動かす。
寄りそって座り、竜児の肩へ頭を乗せ、大河は全てを竜児に任せ切っていた。
「まさか、大河がひとりで暮らしてるとは思わなかった」
手を動かしながら竜児は独り言のように言う。
「すごかったでしょ」
竜児が来る前の状態を思い出し、大河はくつくつと喉だけで笑う。
「ああ、強烈だったぜ・・・よくあんな場所で生活できてたよな、大河」
「お化け屋敷みたいに言わないでよ、少しは汚かったけど」
ごにょごにょと大河は言う。
「少しなんてもんじゃねえ、あれは」
反省しろと訓戒を大河に授ける竜児。
「過ぎたことでしょ・・・後ろばかり振り返ってるとモテないよ、竜児」
「いいんだよ、そんなの・・・大河さえ居てくれれば」
「は、恥ずかしくなるようなこと急に言わないで」
心の準備が出来てないでしょと大河は顔を赤らめ竜児に抗議する。
「だけどさ・・・大河」
「何?」
「ひとり暮らしの家に俺を呼んで、何にかされるとか思わなかったのかよ?」
「全然」
あっけらかんと大河は答える。
「・・・やっぱ、犬か、俺は」
ポーズだけ落ち込む姿勢を見せ、竜児はうな垂れる。
「わ、私だって誰でも家に入れようなんて思わない」
竜児の様子に慌てたように大河は弁明を始める。
「竜児だったら・・・大丈夫だって、そう思えたから」
「答えになってないな。俺だって豹変するかも知れねえぜ」
悪巧みの匂いを携えて竜児は大河ににやりとした。
「・・・それでも、大丈夫だって、信じてたから、私」
「そうかな」
言い終えるや、竜児は大河を抱え上げ、立ち上がる。
「え?ちょ、ちょっと、竜児」
お姫様抱っこをされて大河はうろたえる。
足をじたばたさせ、竜児の腕の中で暴れる大河。
「暴れると落ちるぞ」
崩れた姿勢を修正すべく、竜児は大河を抱え直した。
「軽いな、大河」
大河はあきらめたのか、楽な体勢を取ろうと竜児の首へ手を回す。
「まったく、あれだけ食べてこの体重・・・どうなってるんだろうな、大河のお腹は?」
「首絞めてもいい?竜児」
にっこり笑って首へ回した両手に力を込め、絞殺の準備段階に入る大河。
「・・・そんな表情もいいな」
大河が見せる肉食獣にも似た怜悧な表情。
氷の微笑みと言ってもいい・・・大河をよく知らない奴がこの表情を前にしたら慄くだろうなと竜児は思わざるを得ない。
「・・・へ?」
思いもかけない竜児の反応に大河は一瞬にして顔の表情を間の抜けたものと入れ替える。
「あ、あんた、な、なに言ってるの」
驚愕の余り、どもる大河。
「言ったまんまだ。何なら言い直そうか?」
「いい・・・調子狂った」
少し赤らんだ名残が浮かぶ大河の顔に隠せない笑み。
竜児の腕の中に抱きかかえられて大河はゆりかご中にでもいるかのようだった。




ベッドに横たわる大河を上から見下ろす竜児。
大河は身じろぎもしないでただ、竜児を見ている。
これから、何をされても驚かないよ、まるでそんな風に言っているみたいだった。
髪の先から足の爪先まで、大河の全てが愛しく感じられて、竜児は頭がくらくらする思いを味わっていた。
別段、大河は膝を立ててるとか、スカートのすそが少し捲れてるとか、胸元が乱れてるとか、そんな状態でいるわけじゃない。
いつもと変わらない装飾過剰のワンピ姿でいるだけで、そんなのは高須家の居間でさんざん見慣れた姿。
それなのに・・・と竜児は思う。
145センチに少し足らない小柄な体が光で満ち溢れているんじゃないかと言う位、竜児はまぶしくて仕方がない。
ついさっき、そんなつもりじゃないにしろ、安全パイ的な発言を大河からされて、思わず竜児は大河を抱きかかえて寝室へ連れ込んでしまった。
勢いだと言えばそれまでだが、竜児とてこれ以上、大河に何かをするつもりはない。
大河とのあれだって・・・口元にわずかに残る感触が、あったことの事実を告げている。
なんか、自然にそうなってたんだと竜児は振り返る。
全然、後悔はしてないしむしろ大河と気持ちが通じ合えて嬉しいと言う気持ちの方が大きい。
下を見た竜児は真新しいシーツの上に身を置いた大河と目線が合う。
目元を和らげ、竜児を優しい視線で見つめ直す大河。
竜児は鼓動が少しだけ早くなっていくのを止められない。
もし、竜児がさっきのことより踏み込んだものを大河に求めたならば、大河はどう答えるだろう。
それを判断できるほど竜児は多くの経験をしていない・・・と言うより皆無と言った方が正しい。
・・・拒ない、そう断言できるわけじゃないけど、そんな気がすると竜児は大河の気持ちを忖度した。
「た、大河」
少し上滑りする竜児の声。
「何?竜児・・・って、あんた顔が恐い」
「うるせえ、もともとだ、ほっとけ」
「で、何?」
そっぽを向く竜児に向かって笑いながら大河は続きを促す。
「そ、その、なんだ・・・大河は・・・いいのか?」
目的語を省いて問い掛ける竜児。
「さっきも言ったでしょ・・・竜児の思ってる通りでいいって」
「俺がどんなにすごいことを考えていてもか?」
「竜児とならね」
万事承知の上と言い切るように大河は覚悟を見せた。




そのまま竜児が内から突き上げるような衝動に後押しされ、大河に手を伸ばし掛けた瞬間、リビングから聞こえた何かが落ちた物音。
竜児と大河は顔を見合わせ動きを止める。
「何?」
「あ、俺、見てくる」
ドキドキする鼓動を抱えたまま竜児はリビングへ足を踏み入れる。
リビングを見渡した竜児は音の発生源をすぐに特定した。
・・・あ〜あ、乱暴に置くから。
ひな壇の下に転がるひな人形が一体。
大河が無造作に並べた中のひとつが不安定さに耐え切れず落下していた。
竜児は人形を拾い上げ、異常がないかどうかを調べる。
・・・大丈夫そうだな。
問題がないことを確認して、人形を元の場所へ戻そうとして竜児は気がついた。
・・・川嶋人形じゃねえか。
三人官女を竜児が2−Cの美少女三人組みに例えたことから大河の逆鱗に触れ、哀れにも最下段へ格下げになった女官の姿をした人形たち。
ちょううど真ん中の人形が落下していたのだ。
急に竜児の脳裏に川嶋亜美の声が再生された。
・・・ふうん、いいんだ、高須君は。
・・・何がだよ?
・・・みのりちゃんは?
竜児が手にするひな人形の顔が意地の悪い笑みを浮かべた川嶋亜美と重複する。

「ふう」
竜児は息を吐くとひな人形を元の場所へ置いた。
「今度は落ちんなよ、川嶋」
人形の額に軽くデコピンを浴びせながら、竜児はささやく。

寝室へ戻る竜児の心拍数は普段のそれと変わらなくなっていた。





「何だったの?」
出て行った時と同じ姿勢で待っていた大河に竜児は状況を説明する。
「ああ、ひな人形が一体、落ちてた」
「首は大丈夫だった?」
「どこも傷ついちゃいねえ、安心していいぞ」
「そ、なら良かった」
安心したように微笑む大河に向かって竜児は言い放つ。
「さ、寝るぞ、大河」
その台詞に大河が目を丸くする。
「あ、あんたねえ・・・もう少しムードと言うか・・・その考えてよ」
「ん、ムードってなんだ?」
「これだから竜児は・・・ストレートに言わないでぼかすとかいろいろあるでしょ」
「他に言い様がねえだろ・・・睡眠をとるのに」
「・・・へ?」
どう言う事と大河は疑問符を点滅させる。
「文字通り、そのまんまだよ・・・大河はここで寝る。俺はおまえが寝るまで側に居てやる」
出来うる限り竜児は明るく乾いた調子で大河に告げた。
「早すぎるんだよな・・・やっぱ」
「・・・そんなの・・・関係ないでしょ・・・だって竜児は」
やるせない口調で大河は竜児を見据える。
「それじゃ・・・私・・・竜児に何もしてあげられない・・・そんなの・・・・・・」
嫌だと繰り返す大河の口へ竜児は人差し指を当て、大河の台詞を封じる。
「俺だって、大河のこと嫌いじゃない・・・さっきまでは本気で大河と・・・って思ってた」
「だったら」
今からでも遅くないと大河は続行することを求めた。
竜児は首を小さく振りながら、決意が変わらないことを大河へ伝える。
「・・・まだ、自信が持てねえんだ・・・大河とそんな風になるのに・・・だから、もう少し待ってくれ」
自分が嫌われてるとか、魅力が足らないからだとかそんな理由で竜児が何もして来ないわけじゃないと知って大河の気持ちは幾らか和らいだ。
「・・・竜児が、そう言うなら・・・やぶさかじゃないわ」
仕方ないわねと言う感じで大河は竜児の言い分を飲んだ。
「じゃ、着替えろよ・・・俺は向こうで待ってる」
「あ、待って、竜児」
くるりと踵を返して立ち去ろうとする竜児を大河は呼び止める。
「どうした?」
「んふう」
楽しい悪戯を思いついた子供みたいな顔をして大河は竜児にある事を要求した。





「竜児」
「何だよ」
「手、震えてる」
「し、仕方ねえだろ・・・初めてなんだから・・・そういう大河こそ大丈夫かよ」
「私は平気」
そう言う割りに大河の指先がピクピクしているのを竜児は見逃さなかった。
「じゃ、外すぞ」
「うん」
竜児は大河の真正面に立ち、向かいに立つ大河のワンピースのボタンへ手を掛ける。
さっき、大河が要求したこと。それは・・・「着替えさせて、パジャマに」だった。
最初断った竜児だったが、それくらい言うことを聞いてくれてもいいでしょとしつこく言われてとうとう竜児も折れた。




ボタンがひとつ外れ、ふたつ外れ・・・嫌でも大河が着ていたワンピースの下にあるインナーが見えて来る。
大河はといえば、顔を真っ赤にして竜児を見ている。
ボタンを外す、竜児も同様に顔を紅潮させていた。
やがてストンという感じでワンピースは万有引力の法則に従って床に落下する。
さすがにかなり恥ずかしいのか大河は竜児を見れず、顔を横へ向ける。
「・・・貧弱でしょ」
ぽつんと大河は言う。
体のラインを隠していた服が消え失せ、肌の上をわずかに覆う薄い布だけをまとった姿で大河は竜児の前に立っていた。
「・・・んなこと・・・ねえぜ・・・って言うか、俺まともに見れねえ」
まぶしい光を避けるように竜児は視線を大河から逸らす。
「しっかり、見てよ!」
羞恥と怒りとがない交ぜになった真っ赤な顔で大河は竜児に見ることを求める。
「お、おう」
恐る恐ると言った感じで竜児は改めて大河をまともに視界に収めた。
白を基調としたワンピ並みに装飾が目立つそれは大河を別の大河に変身させる。
洗濯物として見ることはあっても、それを身にまとった姿で見るのは初めてと言っていい竜児。
チラリと見えてしまったものを見たことはあったとしても、ここまであからさまな物は見たことがない。
いつか見た水着姿の時以上の破壊力を持った大波が竜児を襲う。
竜児はすとんと床に座り込んでしまった。
「・・・どう?」
手足の先まで顔の紅潮が伝わったのか淡いピンク色の花が咲いているかのような大河。
体育の着替えでクラスメートの同じ様な姿を見ることがあるけど、全然、自分は大人っぽくないと大河は言う。
「それで、つい隠れるみたいにして着替えちゃうんだ・・・だから、いざって時に・・・こんなの見られて・・・竜児・・・がっかりしないかなって」
事前の予行演習のつもりでこんな真似をしたと大河は実行動機を打ち明ける。
大河の胸が平均と比べて薄いって言うのは竜児とてとっくに承知している事実。
だから今さら驚きもしないし、がっかりもしない。
ただ、そんなことをストレートに言えば、超大型の台風を呼び寄せることになるのは自明の理。
「・・・正直、俺にもよくはわかんねえ。だけど、これだけは言える・・・・・・とっても、きれいだぜって」
「・・・本当?」
疑わしそうな表情で大河は念を押す。
「ああ、俺の保証じゃ不足だろうけどな」
竜児にここまで言い切られて大河も納得したのか、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「良かった・・・竜児」
そのまま床に座り込む竜児の向かって飛びつこうとする大河。
「わあ、待て大河!」
大河にそんな姿で抱きつかれたら、竜児とてこれ以上、平静さを保ち続ける自信はない。
さっき、あんなことを言ったばかりなのに今さら撤回と言うのもみっともなく、大河の接近を拒んだ。
「え?何?」
途中で停止した大河に竜児は言い放つ。
「パジャマ、着ろ」
ようやく大河も己の格好を認識し、慌てたように言う。
「は、早く着せなさいよ」
「お、おう」
反射的に竜児は大河のために出して来たパジャマを手にする。
上下に分かれたセパレートタイプのパジャマ。
ズボンの側を手に竜児は大河の足元にしゃがみ込み、大河に片足を上げるように要求した。
「・・・ん」
言われるままに大河は片足を床から離し、軽く宙に浮かせる。
竜児は素早くパシャマを大河の足へ通すと、腰へ向かって引き上げた。
否応もなく目の前に来る大河のそれ。
・・・今日は3回目か、見るの。
意外と自分は冷静だなと思いかけていた竜児だったが、鼻腔をくすぐる大河のアイデンティティとも言うべき香りにめまいを感じた。
・・・やべ。
麻薬のような香りにともすれば流されそうになる自分を抑えて、竜児は最大戦速で大河のパジャマの着付けを終えた。




ようやく寝かしつけた大河を見ながら、竜児は自分が三ヶ月くらい老け込んだような錯覚に捕らわれていた。
すっかり振り回された気はするが、それでも竜児の気分は高揚している。
変な互恵関係で始まった大河との関係がこんな形で進んでいくなんて思っていなかっただけに、枕に頭を乗せ竜児を見つめる大河が竜児には限りなく大切な物に思えた。
そのまま掛け布団を掛けた大河の側のベッドサイドに腰を下ろし、竜児は約束どおり大河を見守る。

「・・・竜児?」
「なんだよ・・・眠れないのか?」
「うん・・・ドキドキが止まらない」
「深呼吸しろ」
「そんなんじゃダメかも・・・ね、触ってみて」
掛け布団の中から伸びた大河の手が竜児の手を導く。
「・・・おい」
止めるまもなく、竜児の手は大河の胸の上に置かれる。
「・・・ね、トクン、トクンって言ってる」
パジャマ越しとはいえ、竜児の手のひらに伝わる柔らかな感触。
指先を通して竜児に伝わる大河の生の証。
「ああ・・・伝わるぜ・・・・・・お腹すいたって」
「馬鹿、竜児」
すねたみたいに大河は竜児の手を離した。
竜児は思わず茶化してしまったが、小さな感動を覚えていた。
逢坂大河という存在と本質的に触れ合えた様な気がしたからだ。
大河がここにいる・・・そんな確たる証拠に出会えた、そんな気分になる竜児。

少しだけぶすっとしていた大河だったが、すぐにくすっと笑いだす。
「思い出し笑いか?」
「うん」
「何がおかしかったんだよ?」
「ん・・・あのね・・・さっき、竜児と・・・したでしょ」
恥ずかしいのかカタカナ2文字、英語で4文字の名詞を省いて大河は言う。
「おう、それがどうした?」
「竜児と私って・・・結構、背の高さが違うじゃない」
「そうだな・・・何センチあるんだろ」
「私の目線ってちょうど竜児の胸の辺りなの」
「で?」
「もし、竜児とさっきみたいなことになったら・・・どれだけ背伸びすればいいのかなって考えたことあるんだ、私」
その時は竜児がしゃがんでくれるだろけど大変そうだなって思ってた・・・届かなかったらどうしようって・・・そう言って大河は笑った。

しばらく話し込んでいた大河だが、やがて眠気が訪れたのかまぶたがトロンとし始める。
「・・・竜児・・・」
「おう」
「・・・今日くらい・・・生まれて来て良かったって思えた日・・・ないよ・・・竜児」
「ああ」
「・・・ありがとう・・・・・・」





大河の目は完全に閉じ、規則正しい寝息が竜児の耳に届く。
大河の寝顔はとても穏やかで、いい夢が見られそうだった。
部屋の照明を完全に落とし、その後で竜児はしばらく大河の寝顔を眺めていた。
やがて、寝返りを打ち肩が出てしまった大河の掛け布団を竜児は直してやり、立ち上がった。
「・・・おやすみ、大河」
足音を忍ばせて竜児は寝室を後にする。
「・・・竜児」
ドアを閉めかけた時、名前を呼ばれた気がして竜児は振り返る。
しかし、そこには静かなベッドがあるだけだった。
・・・寝言か。
「・・・朝ごはん・・・まだ」
夢の中でも食い気かよと竜児は心の中で突っ込みを入れる。
でも、俺が出てるんだよな、大河の夢。
・・・いい役割を振ってくれよ、たまにはな。
声に出さないでそれだけ告げると、竜児はゆっくりドアを閉めた。

リビングに飾られたひな人形の前で竜児は足を止める。
ふと思いついて、竜児は最上段のお内裏様とお雛様を台座がくっ付くほど近づけた。
さらにそのままお雛様の台座の下に物を挟み、少しだけお内裏様の方へ向けて傾かせる。
・・・寄り添うみたいだろ。
これくらいいいよな・・・と竜児は最下段を見る。
川嶋人形は沈黙したまま、何も語らない。
竜児は笑みをひとつ漏らし、リビングの明かりを消した。


月は天空高く、真上に昇っている。
・・・孤独な月ウサギ・・・か。
いや、大河をそんなうさぎになんかさせない。
月を見つめ、竜児はそう思う。
あのマンションが寒い月だなんていうなら、俺が暖めてやる。

だから、今夜はいい夢を見てくれよな、大河。

大河の気持ちに全て応えてやれなかった想いを胸に竜児は階段を昇る。


何も言わず、秋の月は静かに竜児と大河を照らしていた。






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