「大河。おい、大河ってば」
返事は無い。当然と言えば当然だが。
なぜなら呼びかけた相手は座布団枕から頭が落ちたのにも気づかず、畳の上で値こけているのだから。
大河に起きる気配がないのを確認した竜児は静かに立ち上がり、音をたてないように自室から携帯を持ってくる。
『なんで自分の家でこんなにコソコソしてるんだ……』
頭の片隅に浮かんだ疑問も今は無視。
そろそろと大河に近づき、携帯を構えて――ぴろりん♪
間近での電子音にも大河は目を覚まさず、無事に寝顔の撮影に成功。
「……よし」
竜児は呟いて小さくガッツポーズ。
最初は、普段の傍若無人っぷりへのちょっとした仕返しのつもりで。
涎をたらしたみっともない寝顔を見せて、笑ってやるつもりで。
だが、携帯の画面に映し出された大河の寝顔は――おそろしく可愛かったのだ。
思えば最初に大河の寝顔を見たのは、忘れるはずもないラブレター事件の翌朝。
その時の竜児の感想は『人形のよう』だった。
しかし、その時竜児の手の中に小さく切り取られた姿は人形などではなく、紛れも無く生きた『逢坂大河』という女の子で。
大河に見せたら消されてしまうのは確実で、それがもったいない気がして。
大河が夕食後に寝てしまう度、こっそり撮影をするのがなんとなく楽しくなって。
手早く携帯を操作して、撮った画像を『日光東照宮』フォルダへ。
眠る大河→眠り猫→日光東照宮という迂遠な連想を辿ったこの名前なら、大河に気づかれる心配も無いはずだ。
と、目の前で大河がごろんと寝返りを。
「うみゅぅ〜……」
子猫のような寝言をあげる頬には、しっかりと畳の跡が。
竜児は小さく噴き出すと再び携帯を構える。
竜児が風呂場に入ってからおおよそ五分。
大河は立ち上がると竜児の部屋に入り、携帯を手に取る。
竜児は風呂に入ると最低三十分は出てこないからコソコソする必要はないが、手早く済ませるにこしたことはない。
慣れた手つきで携帯を操作して『日光東照宮』フォルダの中身を表示。
「……また増えてるわね。まったくあのエロ犬は……」
文句を言いながらしかし、その頬は楽しげに緩む。
ちょっとした悪戯心というか、好奇心というか、飼い犬の動向を確認するのは主人としての義務だし。
そんな考えで竜児の携帯をこっそりチェックして、いくつかある画像フォルダの中で一つだけ浮いた名前なのが気になって。
最初は携帯ごと破壊してやろうかとも思ったのだけれど。
そこに保存された『逢坂大河』はどれも、自分が見たことの無い顔で。
物心ついてから十数年、鏡に映るのはいつでも無表情か不機嫌顔のどちらかだった。
プリクラの、ガッツポーズのみのりんの横で笑顔の自分も、一人になってから見るとなぜだか嘘臭く見えた。
だけど、その時手の中に映し出された寝顔は、本当に、ほんとうに、安らかで。
自分にもこんな表情をすることができるのか、と。
勿論、盗み撮りの罰はいずれきっちり竜児に与えてやるつもりだけど。
別に慌てる必要も無いし、それよりも今はもうちょっと見ていたいから。
自分の携帯にデータをコピーして、竜児の携帯は元の場所に。
卓袱台の横にごろんと寝転がり、手の中を見つめながらにまにまと。
やがて這い登ってきた眠気に、大河はゆっくり目を閉じる。
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