「大河、ほら頭やってあげるから早く着替えないと」

親友のみのりんにそう言われ、私は手に持つ紺色の水着を見つめる。
場所は女子更衣室。
今まで欝で欝でしかたが無かったこの授業だが、この水着のおかげで幾分やる気が生まれる。

(それも……竜児のおかげ、かな)

そう内心で目の下に隈を作ってより一層目つきの悪くなった竜児にお礼を言い、着替えを始めた。



***



眠い。
超眠い。
徹夜なんてそうそうしないから相当に堪える。
俺はうつらうつらする頭を振りながら意識を保つ。

「あ、高須くぅん♪」

そこに、着替えを終えたらしい川嶋が寄ってきた。

「ねぇどお?私の水着姿?」

そう言う川嶋の水着姿は……完璧だった。
流石は現役モデルとでも言うべきか。
出るとこはボンッ!!
くびれはキュッ!!
体にピッタリフィットしているその姿は一つの芸術と呼ぶにも相応しい。

「おぅ、いいんじゃねぇか」
「そう?ドキドキする?ねぇドキドキする?」

川嶋はいくつかポーズを取って自身のスタイルの良さを際だたせるが、何分こちらは超が付くほど眠い身。

「おぅ、いいんじゃねぇか」

少々投げやりな言葉、というかまったく同じ返答で返してしまった。
無論ドキドキしてるし、普段なら鼻血ブーものなのかもしれないが、脳細胞が半分寝ている状態では残念ながら俺の心は正常には働かなかった。

「なぁんか亜美ちゃんなんて興味ないって感じなんですけどぉ?」

それに不服だったのか、川嶋は頬を膨らませる。
と、

「……チッ、もう来た」

川嶋が舌打ちし、次いで、

「あ、高須君と川嶋さん!!」
「待ってみのりん、走ると頭崩れちゃう!!」

小走りで大河と櫛枝がこちらに寄ってきた。
眠い目を擦って見てみると、櫛枝は髪をポニーテールにし、大河は水着の上に上着を着て初めて見るタイプの髪型でこちらに向かって来る。
大河の見たことの無いそれは、髪を二つに丸く纏めて、まるでミッキーマ●スのようだ。いや、この場合ミニーマ●スか。
そう言えばなんで女の子はミニーマ●スなんだろう?ミニーって言うと小さいって意識する気がする、あ、だから大河はミニーマ●スなのか。
………………何か段々思考が変になってきた。

「「「「おおお!!」」」」

気付けば周りから歓声が上がる。
大河が水着の上から着ていた上着を取り去り、その胸にある膨らみを公の場にさらしたからのようだ。

「何だ、普通じゃん、相変わらず縮尺はおかしいけど。ねぇ高須君?高須君ってば」

川嶋が何か言ってるが、あまりの眠さに聞こえない。

「おぅ、いいんじゃねぇか」
「はぁ?何?もしかして亜美ちゃんより逢坂さんの水着姿の方が良いって意味?」
「おぅ、いいんじゃねぇか」

もう何回同じ言葉だけを繰り返してるだろう。
こりゃマジでやばい。
先生に言って保健室にでも寝に行こうか。

「〜〜〜っ!!逢坂さん!!泳ぎで勝負しましょう!!」

川嶋が大河と何か話してる。
あれは揉めてるのか?何か眠くてぼやけてよく見えん。

「はぁ?何で私があんたなんかと!!」
「負けるのが怖いの?弱虫ねぇ」
「誰が弱虫ですって!?このバカチワワ!!」
「バ、バカチワワ!?ちょっと亜美ちゃんにマジありえないんですけど!!」
「バカチワワだからバカチワワと言ったのよ、略してばかちーねばかちー」
「こぉんのチビ虎!!」
「黙れ、そして腐ればかちー!!」

ああ、川嶋と大河がなんかとっくみあいになってる。

バシャン!!

あ、プールに落ちた。

「ぷはっ!!こうなったらどっちが向こうに先に着けるかで勝負よチビ虎!!アンタが負けたらその変な渾名を撤回、そして私に高須君を……あれ?チビ虎何処行った?」

ああ、大河がなんかプールの底の方でもがいてるなぁ。
……。
…………。
………………。
……………………は!?

一瞬にして、眠かった脳がが覚醒する。

『……私泳げないの、だから嫌いなの』

昨夜の彼女の台詞。あれ嘘じゃなかったのか!!
俺は飛び出していた。


***


もがががが……。
体中の酸素という酸素が失われていく。
うがががが……。
口から鼻からゴポゴポと気泡となって水中を上っていく。
苦しい。
苦しい苦しい。
苦しいクルシイくるしい!!
暴れれば暴れるほど消耗し、息が苦しくなる。
手をばたつかせても足を伸ばそうとも触れるものは何も無く、ただ水が広がるのみ。
たすけて。
タスケテ。
たすけてタスケテ助けて!!
心の底からの叫び。
……けど、私の手を掴む人はいない。
そういえば、“あの時”もそうで、だから私は今出来もしない“独り暮らし”なんてしていて。
このまま死ぬのかもしれない。
不思議と、本心からそう思った時、

クンッ!!

強く腕を引かれた。
誰……?私を助けてくれる人なんていないはず。
もしかして、北村君……?
それともあなたは………………。



***



「ぷはっ!!」

俺はプールから顔を出すと、

「どいてくれ!!」

大声を上げてプールを行軍する。
腕の中には冷たい大河。
息は……多分している。
多分?なんだそれ。
ふざんけんなふざけんなふざけんな。

ザパァ!!

ようやくプールから上がって大河の顔を見つめ、

ブビューーーーッ!!

途端、大河が水を吐き出して俺の顔面に水鉄砲を喰らわせる。

「けほっ!!ごほっごほっ!!」

咳き込んでいるが目は虚ろで、意識はまだちゃんとは無いだろう。
それを見て、咳き込みながら水を吐き出し息をしている大河を見て、マヌケにも大河に水をぶっかけられた俺は濡れたばかりの顔から水が大河に滴り落ちるのを感じた。
ポツポツと、しかしそれは尽きることなく滴り落ちていく。
と、黒光りする筋肉を持つマッソーな教師が、俺が大河を助けたのを見つけたらしく、慌てた様子で大河に近づいてくる。
先生はそのまま大河を保健室へと連れて行ってくれたが、俺の顔から流れるプールの水は今だ尽きない。
おいおい、一体どんだけ俺の顔は濡れてるんだ。
そう思いつつ、どうやら眠気が戻って来たようで俺はゆっくりと瞼を閉じた。
思いの外、目が濡れていて、しょぼしょぼした。



***



最初は、ただの対抗意識だった。
私はあの日、スーパーで高須君に救われた。
スーパーで絡まれてると言えば簡単だけど、相手は私がずっと悩んでいたストーカー男だった。
でも高須君の顔を見て怯え、それから一切近づいてこなくなった。
嬉しかった。
何の体裁も無く、モデルとしてでも、川嶋安奈の娘としてでもなくただ一人の女の子として助けられたのが。
確かに顔は怖いが、そのことで慌てふためき落ち込む高須君の様が可愛かった。
彼が女と一緒にいるのを見た時、その女が本当に彼の魅力を理解出来ているのか不安になった。
多分、あの女が『ご飯を作ってやらなきゃならない奴』だと直感したから。

『別に、彼氏じゃない』

だからそう言われた時は、少し安堵した。
けど、今日のこれを見たらどうも私が入り込む余地がない。
高須君は泣いていた。凶眼を歪ませて心配そうに泣いていた。
周りのみんなも、あまりの凶眼とその涙に言葉を無くしている。
それはまるで騎士のようだった。
多分そのことをあのチビは知ることは無いだろう。
それでも私を諦めさせるには十分で。だから、

「高須君」

これで最後にしよう……って、あれ?

「あれ?高須君?」

嘘?マジ!?高須君倒れてる!?

「ちょっ!?高須君!?って……まさか……」

私は慌てて肩を揺すって、気付いた。

「すぅ……すぅ……」
「寝てるーーーー!?」

寝てる。そりゃもうぐっすり寝てる。
何かもう、イライラしてきた。
さっきの亜美ちゃんのセンチメンタリーな気持ちを返して欲しい。
スーパーでのドキドキごと返して欲しい。
何か馬鹿らしくなってきた。っていうか普通寝る?
ここまで私をドキドキさせ、さらにはこけにした人初めてだ。
チビ虎の言うことが本当なら、やっぱりもうちょっとこなかけてみようかな。
私はそう思いつつ、しかし怒りから、

ドン!!

「おわっ!?何だ何だ!?」

腹を蹴り、それで驚き起きた高須君に、

「授業、終わってるよ」

不敵な笑みを送るのだった。



***


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