雪が降りそうな位に寒い日の夕方。
商店街は多彩なイルミネーションによって彩られ、その昔、イエス・キリストが生誕したという日を祝おうと皆微笑んでいる。
最も、殆どの人間がそんなことを考えず、“ただのイベント”として、その日を楽しむのだろうけど。
ただ、俺はこの目つきのせいで友人達とのクリスマスパーティにも行かずに町をぶらついていた。
誘ってくれた友人もいたが、何人かが怯えた目つきをしていたのを俺は見逃さなかったので止めておいた。
泰子も今日はクリスマスイベントにちなんだことを仕事場でやるそうで、中三のクリスマスに俺は一人。
寂しいというほど子供じゃないつもりだが、それでも何で自分だけこんな思いをしなくちゃならないのだろうと内心嫌になる。
俺はそんな荒んだ気持ちから賑わいのある場所を避けて歩いていた。
ふと、気付けば町外れのカトリック系幼稚園がある一角にまで足が向いていた。
ここも、少ないが人通りがある。恐らくそれは、幼稚園の前でやっている『アレ』のせいだろう。

「どうぞー、良ければ持って行って下さい」

何人かの少女達が幼稚園児に混じって歩行者に何か……小さな小箱……だろうか、それを渡している。
『全ての人に祝福を』というような看板とともに、キリスト生誕日を祝して無料ケーキ配布中と書かれているので、恐らく中身はケーキだろう。
と、一人の少女が俺に気付き、ケーキを持って少し近寄って来て……逃げた。今に始まったことじゃないが、やっぱりへこむ。
と、その少女がケーキを渡さずに戻ってきた事に気付いた別の少女が、その娘からケーキをひったくって俺の方に駆け寄って来た。

「今ケーキを配ってるので、良ければどうぞ」

俺は驚きながら震える手でケーキを受け取った。
と、ここで初めて気付いた。俺はどうやら手袋もせず、ポケットに手も入れないで歩いていたらしい。手がガチガチに冷えていた。

「随分冷えてるのね」

少女は不思議そうに俺の手を掴んだ。少女の指は細く、暖かかった。俺が慌てて手を引っ込めると、

「俺の目つき、怖くないのか?」

こちらこそ不思議だとばかりの目で見つめ返した。

「何?もしかして“そんなこと”でしょげて手袋も忘れてたっての?馬鹿なのアンタ?」

しかし少女は臆することなく、むしろ俺を馬鹿にするように……実際馬鹿にして言ってのける。
少女は呆れた顔をしながら無理矢理に俺の手を奪って、はぁと息を吹きかけた。痺れて、感覚が無かった指にビリビリと感覚が戻ってくる。

「ほら、これで大丈夫っと。アンタ、そんなでっかい図体して小さい事にこだわるのね」

俺は特別背が高いわけでも太っているわけでも無いが、ナルホド、確かに目の前の長いブラウンの髪をウェーブしている少女からしたら俺は大きいだろう。

「……アンタ、今失礼なこと考えたわね?私こう見えても中三よ?」
「え?ぐほっ!?」

驚いた瞬間、みぞおちに良いパンチをもらった。

「本当に失礼な奴ね、全く」

失礼なのはお前だ、と思ったが、腹が痛くて言い返せない。
だいたい、俺にそんなこと言ってこんなことして来る奴なんて初めてだ。

「アンタ、自惚れてるんじゃない?もしかして自分はこの目つきのせいで特別な目で見られてるんだ、とか」

目の前の少女はそう蔑むように言って俺の驚愕の表情を見てから微笑み、

「ばっかねぇ、そんなわけないじゃない。いいこと?神の前に、人は平等なのよ」

そう、微笑んだ。



***



「夢……か」

久しぶりに見た、“あの冬”の夢。
俺が、大河に逢ったのはあれが最初だった。
まさか同じ高校だとは思ってもみなかった。
そう思って起きあがる。
季節は夏、それも夏休み半ば。
悪い夢じゃないが、季節外れもいいところだ。
それに明日からは川嶋がお詫びとお礼という名目で提案した夏ならではの旅行、海に行くことになっている。
お詫びは大河へのプールのことらしいが、お礼って何のことだろう?
ああ、スーパーでのことか?律儀だなぁ。
何でも川嶋の両親が持つ別荘にみんな……と言っても俺と大河、川嶋、櫛枝と北村の五人でいく二泊三日の小旅行だ。

「よっと」

俺は起きあがって着替えを済まし、居間に向かう。
いつまでも感傷に浸ったり回想してるわけにもいかない。
今朝も多分、彼女が来るだろうから。
そう思ってまずは掃除。
隅から隅まで拭いて『敵』を殲滅。
この間カビ取りしたばっかりだからか、今日はカビは見られない。
次は洗濯、と。
ベランダにあるゴゥンゴゥンうるさい洗濯機を鳴らす。
と、ガララという音がした。

「ん?おぅ、おはよう」
「おはよう」

目を擦りながら顔を出した大河が挨拶を返す。
この時間に大河が起きるとは珍しい。
最近は休みだからってだらけまくってたのに。

「今日は随分速いな?」
「……ちょっと懐かしい夢を見たから」
「懐かしい夢?」
そりゃまたタイムリーな話だ。

「うん、懐かしい夢」

そう本当に懐かしむような声で言う大河は、あの日と同じ笑顔をしていた。



***



「いただきます」

大河は、いつも通りに朝食を食べに来た。
プールでの事故があった日の夜は食欲不振だとか言ってご飯を二杯しか食べなかったから不安だったのだが、今ではこれこの通り。

「おかわり!!」

全く持って元気に戻られて何よりだ。

「はぁ、ごちそうさま」

大河はご飯を食べ終えると、ごろんと背中を倒して横になった。

「おい、行儀悪いぞ」
「んー……うん、決めた」
「?どうした?」
「竜児、私この旅行で北村君に告白しようと思うの」

……危なく洗っていた皿を取り落としそうになった。
今更ながら、大河は北村が好きなのだと再確認する。

「私がばかちーからアンタのこと護ってあげるから、代わりに協力してよ」

川嶋から護る?

「……どういう意味だ?」
「……アンタ鈍いから気付いて無いだろうけど、あの女アンタに気があるわよ絶対」
「…………………………は?」

随分と間を空けてから口がようやく開いた。
どれくらいの間かと言うと三点リーダ十個くらい分の間だ。

「アンタほんとにニブチンねこの鈍犬」
「あ……いや……え……?」

意味がわからない。
俺に気がある?そんな馬鹿な。

「私からの忠告。あの女だけは止めといた方がいいんじゃない?アンタにも好きな人がいるんでしょ?」
「え……!?」

もしかして大河は俺が大河を好きな事を知ってるのか?
その上で俺に協力しろと?
それはあんまりなんじゃないのか?
今朝見た夢の暖かさが、途端に失われてあの時の冷えた手のように心が凍てついていく。

「……断る、と言ったら?」
「……なん、ですって?」

大河が驚き、次いで睨み付けるような視線で俺を射抜いた。

「別にいいよ、そんなことしなくても。ああ、でも何か手伝って欲しい事があるんだったら言ってくれれば出来る範囲ではやってやるよ」
「何よそれ……どういう意味?」

大河は俺を信じられないものでも見るかのような目で睨む。
普段の俺ならその目に怯んで大河の言いなりになるのだろうが、俺は久々にタガが外れていた。
恐らく人生で初めての経験、喧嘩をふっかけた。

「だから俺のことはほっとけって言ったんだ。お前の手伝いは言えばしてやるさ」
「……っ!!」

大河は俺から視線を逸らし、

「……ったじゃない」
「え……?」
「対等、って言ったじゃない、馬鹿ッ!!」

そう叫んで高須家から出て行った。
その日の昼・夜共に、大河はウチに顔を出さなかった。

そうして、俺達は険悪なムードのまま、川嶋立案の旅行日を迎えることとなった。



***




「おっはよー高須君、たい、が……?」

場所は待ち合わせの駅のホーム。
櫛枝が元気に挨拶してくる……が、俺と大河が不必要に距離を開けてるのに首を傾げ、不思議そうにする。

「お二人さん、何かあった……?」
「「別に」」

同時に同じ言葉を言って、お互い睨みあい、同時に反対側にぷいっと視線をずらす。

「息はいつも以上にピッタリなんだけど……なんかおかしいなぁ」

櫛枝はそんな俺達を見て「うぅ〜む、明智君、わからんぜよ」と唸っていた。

「おはよう!!早いな三人とも」

そこに北村も合流する。

「おは「おぅ、おはよう北村」よ……」

しまった。
わざとではないがまたも大河と挨拶がかぶり、大河の声を打ち消してしまった。
案の定大河は俺をギロリと睨んでくる。

「うん?高須と逢坂は随分と険悪なムードだな、何かあったのか?」
「「別に」」

北村の質問に、これまた同時に応え、睨み合い、同時に反対側にぷいっと視線をずらす。


「ふむ、いつも以上に息はあっているな、あっはっはっは」

「合ってないぞ」
「合ってないわ」

誤解を解こうとこれまた同時に北村に言って、

「凄いな二人とも。今のはピッタリだったぞ。うむ、とても真似できん」

あっはっはと感心される始末。
これ以上は泥沼化になると思い、俺は黙ったが、向こうも同じ事を考えたらしく黙り込む。

「今度はだんまりまで一緒か?仲が良いなぁお前等」

「だから違うぞ!!」
「だから違うの!!」

口を開けばまたかぶる。
かと言って黙っても何故かかぶる。
こんなんでこの旅行、大丈夫だろうか。



***



川嶋が合流して、みんなで電車に乗って一路海へ。
席は適当に男子と女子で分けたが、どういうわけか川嶋は俺の隣に座りたがった。

「ねぇ高須君、逢坂さんと何かあった?」

その理由が何かと思っていると、川嶋はそう尋ねてくる。

「別に何でもない」
「本当に?」
「おぅ、そんなことよりみんなに朝飯作って来たんだ。食べてくれ」

俺は適当に話を切って、リュックからおにぎりを取り出した。
タッパに卵焼きとウインナーも用意し、水筒に熱いお茶も入れてきている。
軽いピクニック気分のお弁当だ。

「おおぉ!!凄いね高須君!!大河のお弁当見てて時々高須君の料理食べて見たかったんだよ!!」

櫛枝が嬉しそうに箸を動かしてくれる。

「流石だな、高須」

北村もおにぎりを頬張りながら喜んでくれた。

「ウチにお嫁に来る?」

川嶋は……いやお嫁って……お前な。
そう思って、大河に言われたことを思い出した。

『……アンタ鈍いから気付いて無いだろうけど、あの女アンタに気があるわよ絶対』

「高須君?」
「あ、いや、俺は男だから嫁じゃねぇだろ」

不思議そうにしている川嶋にそう苦し紛れに返す。
大河は、おにぎりの感想をくれなかった。



***



「うわぁ、凄い!!」

櫛枝が感嘆の息を漏らし、次いで嬉しそうに叫んだ。
目の前には綺麗な浜が広がるプライベートビーチ。
別荘という割に広そうな家。
普段は住まないのがMOTTAINAIくらいの家だ。

「ここに泊まれるの?」
「ええそうよ実乃梨ちゃん。でもまずは掃除が先かな」

瞬間、俺の背筋がゾクっとした。
先程の話では半年から一年は人が来ていないそうだ。
これは……大変な戦いになりそうだぜ。

「えぇ〜掃除〜?まずは海に行こうよ!!」

櫛枝は言うが早いか海へと駆け出す。

「ようし、俺も」

北村も櫛枝に続くようにベランダに荷物を置いて櫛枝を追いかけた。
大河はフラフラと北村に付いていく。

「私も行くけど、高須君どうする?」
「え?俺は……」



***



「そーれ!!」

北村君がビーチバレーボールをレシーブし、それを私がトスでみのりんへ。
みのりんはそれをレシーブしてばかちーへ。
ばかちーはそれをトスして北村君へ。
そうやって、私たちは四人でビーチバレーをしていた。
あの馬鹿は、案の定来ない。
きっと死ぬほど好きな掃除に夢中なんだ。
だいたい何よ今朝のアレ、嫌がらせ?

「逢坂ー?行ったぞー!!」
「へ?わっわわわわ、とぅ!!」

つい強めのスパイクを打ってしまう。

「おおっと?こいつは良い弾だ」

みのりんは目を輝かせてレシーブ……してボールを直上に持ち上げ、

「アタ●クbP!!」

私と同じようにスパイク。
スパイクと言っても所詮ビーチバレー用のボール。
そんなに固くは無いし、ビニール素材のものだからスピードもたいした事はない。
ばかちーはそんなスパイクを普通にレシーブで北村君へ返した。
北村君は、

「とうっ!!」

何かジャンプして……ってうそぉ!?
高い……めっちゃくちゃ高い!!
太陽の光を背中で浴びながら、渾身のスパイク!!……は強すぎてボールは浜でやっていた私たちの場所を大きく通り過ぎ、海へ。

「あ、すまんすまん」

北村君はつい力が入りすぎたと謝り、波にさらわれそうになっているボールを取りに海へと入ろうとし、

「私もいくよ北村君、どっちが先に取れるか競争だッ!!」
「何ッ!?いいだろう、受けて立つぞ櫛枝!!」

みのりんとの競泳になった。

「あーあ、行っちゃったぁ、まぁいいけど。ねぇアンタ」
「……何よ?」
「高須君と何かあった?」
「……別に」

今はあの馬鹿の名前も聞きたくない。
そんな態度を取っていると、

「ふぅ〜ん、まぁ亜美ちゃん的にはいいんだけど?でもアンタはこのままで本当に良いわけ?」
「どういう意味よ?」
「……アンタ気付いて無いの?」
「……何が?」

いちいち核心を隠すような口ぶりが気に入らない。
言いたいことがあるならハッキリと言えば良いのに。

「……やーめた。考えてみたら私がアンタにそれを教えても何の得にもならないし。“お互いに”ね」
「……はぁ?言いかけて止めんの?」
「それよかあの二人泳ぐの速くね?ほらもうあんなとこまで行ってるよ」
「話を逸らすなばかちー。言いたいことがあるならさっさと言え」
「だから言わないって。あーあ、高須君何やってんだろう?」
「あの馬鹿は掃除してるんでしょ。女よりも掃除に興奮するような奴よアイツは」
「ふぅん、“高須君の話”には食いつくんだ」
「………………」

何だってのよ、一体。
イライラする。
このイライラは初対面のファミレスの時以来かもしれない。

「まぁ亜美ちゃんにはカンケーねーけど。さぁて、高須君の手伝いでもしてこようかな」

んっと一伸びして、ばかちーは坂を登り別荘に向かい出した。
私はその背中を見つめ、次いで既にかなり沖にまで泳ぎに行ってしまった二人を見てから、ばかちーを追いかけた。



***



「ククククク……」

雑巾を絞る。
バケツの水がより一層汚れ、その分床の汚れが消える。
雑巾を絞る。
バケツの水がさらに汚れ、その分テーブル等に付着していた埃が消える。

「ククククク……」

口端から笑みが零れ、

「……キモ」

イキナリ貶される。

「ククククク……え!?うわっ!?」
「何で高須君一人で掃除してんの?少しくらいみんなで先に遊んで、それからみんなでやった方が早いのに」
「あ、いや……」

俺が半年以上掃除をされていない別荘という名の魔屈と戦っているウチに、いつの間にか川嶋が戻って来ていたらしい。

「こいつはそういう奴よ」

と、大河もいたようだ。

「まぁいっか。私も手伝うね」

川嶋が雑巾を手に取る。

「あ、おぅ」

川嶋は何処か別の場所の掃除に向かったらしく、すぐにいなくなる。
場に取り残される俺と大河。
なんだか気まずい。

「あ、たい……」

意を決して話しかけようとしたが、大河は手近にある雑巾を持つとふいっと何処かに行ってしまった。
何だか、急に罪悪感を感じた。



***



すぐに北村達も戻ってきてみんなで掃除を始める。
もっとも、櫛枝は窓は綺麗に拭くが桟は拭かないので俺が拭き、北村は掃除機をかけたが隅っこの方には手をつけていなかったので俺が箒で掃いた。
大河は俺が一度拭いたところを拭き直して……いや、何も言うまい。
川嶋は各部屋を掃除しているようだ。
と、

「おい高須、亜美の話だと倉庫に原付があるんだそうだ。ちょっと町まで買い出しに行かないか」

北村が今後のことも考えての買い出しを提案した。
恐らく思い荷物を持つことにもなるだろうから男二人で、それも俺がいれば食材は大丈夫、と踏んだのだろう。

「おぅ、わかっ……いや、それなら大河を連れていってくれ」
「逢坂を……?」

俺は、今朝とさっきの件を思いだし、次いで昨日大河が言っていたことを思い出す。

『竜児、私この旅行で北村君に告白しようと思うの』

俺は言えば手伝ってやると言った。
気持ちの整理はついてないが、大河はきっと本気で北村が好きなのだろう。
だから、さっきの罪悪感も手伝ってこれくらいのお膳立てはしてやることにした。



***



「それなら大河を連れていってくれ」

竜児がそう言った時、私は言いようの無い寂しさと、自分でもよくわからない怒りを感じた。
昨日あんなこと言っておいて、結局手助けはするってワケ?

「私、バイク怖いからいかない」

私が断ったのが意外だったのか、竜児は目を見開く。

「そうか、なら仕方ないな」

北村君はすんなり受け入れてみのりんかばかちーを誘ってくると言い、いなくなった。

「……お前、いいのかよ?」

焦点の合わない目で竜児は私を見つめる。
私は、自分でもよくわからない怒りを鎮める為に、そんな竜児を無視してその場を後にした。
いつもなら、もう少し食らいついてくる竜児が、今日は何も言ってこないのが……寂しかった。
程なくして北村君はみのりんを連れて買い物に行き、大量にいろんなものを買い込んできた。

「今日はカレーだね、高須君、辛いのをお願い」
「おぅ」

ばかちーが懲りずに竜児にまとわりついている。
竜児は、あまり私が言った事を気にしてない、というより信じていないようでばかちーにも変わらぬ態度を取っているように見える。
……って、しまった!!私、辛いカレー食べられない!!甘口じゃないと……。
そう思って竜児に手を伸ばそうと思ったが、

『……断る、と言ったら?』

昨日の竜児の言葉が脳裏をよぎる。
なんだかんだで竜児は今まで私の無理難題を聞いてくれていた。
だから、初めて竜児に断られるという経験が、私を珍しく臆病にさせていた。
頼んでも、また断られるんじゃ無いだろうか。
そもそも、今日はまともに話すらしていない。
竜児が何について怒り、断ったのかがわからない以上こちらからは動けないし動きたくない。

「大河ー?どうかしたー?」

みのりんが私の手が止まっている事に気付いて声をかけてくれる。

「ううん、何でもない」

私は、心配かけまいとして仮面を被った。



***



そうして、夕食時はやってくる。
みんなの席の前に出される竜児のカレー。

「俺の普段使ってるスパイスが無かったから、あり合わせでの作り方だけど、櫛枝のリクエスト通りそれなりに辛いカレーにしたぞ」

その言葉が私に再び絶望を与える。
私は辛いカレーは食べられない。
竜児はそれを知っているはずだけど、今辛いカレーと言った以上、今回はみんなに合わせて辛いカレーにしたはずだ。
どうしよう、今からでも竜児に言って何か別な物を………………嫌だ。
自分から折れるなんて、絶対嫌だ。
それじゃ悪いのは私じゃないのに私が悪いみたいじゃない。

「うん、美味しい!!けど、辛い!!でも美味い!!凄いよ高須君!!あんた天才だ!!」

みのりんがさっそく一口食べ、存分に美味さと辛さをアピールしてくれる。
うう、辛さはいらないよみのりん。
目の前の美味しそうなカレーが悪魔に見えて来る。
けど、それとは無関係に匂いが私の胃腸を鳴らし空腹を訴える。
うう、とりあえず一口だけでも食べてみよう。

「あむ……あれ?」

辛くない、いつもの……甘口だ。
私は驚き、そっと竜児を見る。
竜児は私など見ずにもくもくとカレーを食べていた。
竜児の後ろに見えるキッチン、何故か、鍋が二つ出ていた。





***



ばかちーに決められた部屋に入ってベッドに腰掛け、溜息を吐く。
竜児はどうやらカレーを二つ作ったらしかった。
辛いのと甘いの。
あれは普段の竜児らしい気遣いで、意地を張ってる自分が少し馬鹿らしく思える。
思える、のに……。

「……はぁ」

今だ竜児と会話が出来ない。
向こうは、拒絶とは言わないが、一向に話しかけてこない。
昼間、一度話しかけられたけど、あの時は無視した。
それから、まともなアクションらしいアクションは北村君とのバイクだけだ。

「私、なにやってるんだろう」

本当は、この旅行で北村君に告白するつもりだったのだ。
上手くいくにしてもいかないにしても、一区切りつけるつもりだった。
それが、まさかそのスタートラインにすらつけずにいるなんて。

「それも、竜児が断ったりするから……」

全く、何が気に入らないのかわからない。
私が折角提案してやったのに。
私があいつの好きな奴以外の女が近づくのを阻止してやろうと思ったのに。
それともまさか、あいつの好きな人ってばかちー?
……ありえないわね。
私だって馬鹿じゃない。
最初にアイツの家に夜襲をかけた時に見せてくれなかったノート。
あれにはアイツの好きな人が書いてあったに違い無い。
私にはわかる。
あの時のアイツの表情はそんな顔だった。
目つきの悪さを最大限歪ませて慌てふためく……はて?
ずっと前、それと割と最近、その表情を見た気がする。
う〜ん……思い出せない。
まぁいい、今は昔のことより今とこれからを考えねば。
とにかく、ばかちーと初めて会った時ばかちーのことをあまり知らなかった以上、ばかちーはあり得ない。
こうなったら直接聞き出そうか、そう思っていると部屋の外から声が聞こえた。

「高須君、ちょっといいかな?」

ばかちー……ではなくみのりんが竜児を誘って何処かに行ったようだった。



***



「どうだい高須君、美味しいかい?」
「おぅ、小豆のモナカは美味いぞ」
「そっか、抹茶はハズレだよ、トホホ」
「あ、俺の半分食うか?」

俺は櫛枝に呼ばれて星空一杯の空の下、バルコニーに来ていた。

「いやいや、甘味処は控えねば。ダイエット戦士としては」

ニカッと笑って櫛枝は抹茶のアイスモナカを食べきる。
一体、どうしたと言うのだろう。
まさか内緒で買ってきたアイスモナカを二人だけで食べるために呼んだ、わけでは無いだろう。

「ねぇ、大河と何かあった?」

そう思っていると、櫛枝はここにきてようやく本題に入った。

「またそれか?別に何でもねぇって」
「嘘。だって高須君ずっと辛そうにしてるもん」

櫛枝は空を見上げて、クスリと笑う。

「人工衛星が動いているよね」
「……ああ」

空に瞬く星に混じって動く光点。
恐らく人工衛星だろう。

「不思議だよね。人工衛星からは私たちが見えるのに、私たちからは人工衛星が光にしか見えない」
「ずっと遠い所にいるからな」
「そうだね」

櫛枝はただ夜空の一点を見つめながら、言葉を紡ぐ。

「ずっとずっと遠いところ、手を伸ばしても届かない程に遠いところにいるから、私たちには見えないんだ。人工衛星にとっては、それほどの距離でも無いのに」
「いや、人工衛星から見ても遠いだろ、地球は」
「そうかな?人工衛星は私たちを点じゃなくきちんと見れるし、難しい計算は一杯あるだろうけど実際に地球に落ちてこようとした時の時間は、案外たいしたもんじゃないよ?」
「それはそうだが……」
「人工衛星からは近く、人間からは遠い。物理的には同じ距離なのに、感じ方はこんなにも違うんだ」

櫛枝の言いたいことが、イマイチわからなかった。
その一言を聞くまでは。

「高須君は、一体誰の人工衛星なのかな?」

衝撃が奔る。
一瞬にして、言わんとしていることを理解してしまった。
人工衛星からは見えているのに、地球人は人工衛星が見えない。
人工衛星からは近いと思える距離なのに、地球の人からは遠い。
まるで……片思いのようだ。

「知ってたのか?櫛枝……」
「いんや、私は“何も知らない”よ。そしてこれからもきっと“わからない”。でも、私は長く大河と……高須君を見てきたから」
「……そうか」

いいや、櫛枝は理解している。
だけど、それをここで言う気は無く、知らないということにしておくらしい。

「もう一回聞くけど、大河と何かあった?」
「まぁ、あったと言えばあった、かな」

俺は観念したように肯定した。

「そっか……」

それきり、櫛枝は少し口を噤む。
夏の夜に、涼しい風が吹く。

「大河はさ、ずっと独りだったんだ」

ようやく口を開いた時、櫛枝はもう空を見るのをやめていた。

「聞いてるかもしれないけど、家族のことでいろいろあって、今は……ううん、“この前までは”独りだった」
「……この前?」
「君だよ、高須君。大河は高須君と一緒にいるようになってから随分と元気になった」

「……俺は何もしてないよ」
「何もしないでも、“傍らに居続けてあげられる”事が、大切なんだ」
「………………」
「ねぇ高須君、大河の傍らに居てあげて。大河を独りにしないであげて」
「でも、それは俺じゃ……!!」

俺が、何か反論しようとした時、櫛枝はぐっと右の拳を俺の正面に向け、軽く俺の顔、口の辺りを小突いた。

「“一人”になっちゃうのは良いの。でも“独り”は辛いから。大河を“独り”にさせないでいられるのは、きっと高須君だけだよ」

櫛枝はそう言って、大河を宜しく、とウインクをした。



***



「ごめんね、あーみん」

高須君が、少し困った顔をしながらも一応頷き、バルコニーを出ていってからすぐ、

「べっつにぃ?私もこのまま高須君と上手くいっても後味悪いだけだし」

あーみんが出てきた。

「ってか、アンタもまたチビ虎と一緒で妙チクリンな渾名つけるわね」
「そうかな?」
「そうよ、センス悪いし、趣味も悪い」

そう言うあーみんに、私は笑う。
そんな私にあーみんは、

「アンタはそれで良いの?」

背を向けて聞いてきた。

「うん、もういいんだ」
「物わかりの良いことで。それとも諦めが早い、かな」
「両方違うよ。だって私は……」

そう言って、夜空を見上げる。
決してこちらからは確認出来ず、向こうからは出来る人工衛星。



───────クラスが一緒になって真っ先に話しかけた。
───────大河の為にわざと悪ぶった時のフォローも率先してやった。
───────あーみんと大河の板挟みになっている時に助け船も出した。
───────今もこうして、大河と喧嘩して“落ち込んでいる”時に勇気づけた。



「私は、人工衛星、だから」

私はそう言って、右の拳を自分の唇に押し当てた。



***


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