【大人の階段】

「大河ちゃん。ちょっとお話がありんす」
「ど、どうしたのやっちゃん?随分とかしこまっちゃって…るかと言われると微妙なんだけど」
「まあいいからそこにお座んなさい」
「う、うん…」

 息子の中学時代のジャージ(上下)という普段の部屋着姿の泰子は、普段見慣れぬ神妙な顔をして、ちゃぶ台についている。本人的は“厳粛”とか“生真面目”という方向を目指していると思われたが――せいぜい、バイトの面接を受けている女子高生程度のお行儀よさであった。
 それでも大河もそれなりにかしこまって、泰子の対面に正座する。

「んー。大河ちゃんはぁ、竜ちゃんの恋人さんでガンスよね?」
「う、うん…いえハイ。おっ、うぉつきあいさせてもらっていただいております!」

 ウンウン、と大きく頷いてから泰子は続けてくる。

「…竜ちゃんは、大河ちゃんにプロポーズしたんだよね?」
「よ、嫁にこいって言われましたけん!クーリングオフ不可じゃけ、今はその、フォ、フェ、フィ、フィアンセですけん!」

 そのことについては、一応は双方の保護者も承認済みであり、今更とやかく言われるものではない。それでも改めて問われると――にやけてしまいそうになる大河だった。
 そんな大河に少し頬をゆるませながらも、口調はまだマジメっぽさを保って、泰子は次の問いを投げかける。

「それじゃあ、大河ちゃんと竜ちゃんはぁ、どんなおつきあいをしてるの?」
「ど、…どんなって」
「うーんっと、あーっと、えーっと、んーっと、……ああもう、やっちゃん頭わるくてうまくいえないから、短刀ブス――ッって聞くね?」
「ブスーってそれ死んじゃうから。単刀直入だから。…ああでも感じはわかるような」
「そうそう挿入ソーニューずこぱこぱんぱん〜〜」
「更に変な方向に間違ってる!?ああでも具体的にうまく説明できない…!?」
「細かいことは気にしない気にしな〜〜い。
 ――つまりだね。やっちゃんはこういいたいのであーる。
 二人は、ちゅーした?」
「ぐはぁ!!?」

 身体は、わずかによろめいただけ。
 でも精神的には銀河系を背景にぎゃらくてぃかまぐなむぅ〜〜、という感じに衝撃を受けた大河だった。

「どうなの?大河ちゃんと竜ちゃん、ちゅーはしたの?ちゅーはすませたの?やっちゃんは見たことないけど二人きりの時はちゃんとしてるの?ちゅー。それとももしかして、まだしてないの?ちゅー」
「ち、ちゅーくらい…キスは、してるわよっ!その…高校生なんだし、ふぃ、ふぉ、フィアンセなんだし…」
「そおかあ〜〜、良かった良かった。まあ二人はラブラブだもん、ちゅーは済ませてるとは思ってたけどぉ…でも大河ちゃんは純情だし、竜ちゃんはマジメで奥手で恥ずかしがりやさんだから、もしかして…って、やっちゃんちょっと心配だったんだぁ。
 もしまだだったら…竜ちゃんに、ちょっとオトコのカイショーってものをスパルタしなきゃいけないかもーって」

 やっちゃんにお説教(?)される竜児。
 そんな珍しいモノ、見れるものなら見てみたいとこっそり思う大河だった。

「それじゃあ、二人はいま…どこまでいってるのぉ?」
「え。…あの、どこまでって」
「やぁだ大河ちゃん。高校生なんでしょ?それにやっちゃん相手に隠しごとや遠慮しないの。やっちゃんは二人の仲を力いっぱい応援してるんだから」
「つ、つまりその…た、たたた例えば、おしべとめしべがくっついちゃったみたいな…」
「やぁねぇ大河ちゃんってば〜〜〜〜」

 頬をポッ、と軽く染め、泰子は三十路にはとても見えない可愛さで身体をクネクネさせた。

「つまりぃ、――竜ちゃんの陰茎を大河ちゃんの膣に挿入して、ちゃんと着底するように子宮内にしっかり射精してもらってるかってことだよぉ」
「JET!!!?」

 精神的には天空の彼方まで吹き飛ばされていくアッパーカットを喰らったようなダメージを受けて、大河は色々な意味で沈黙した。
 そんな大河の様子に、泰子は二人の関係レベルの大体のところを読み取ったらしい。
 笑みを消し、どこかギリギリに張りつめた――あのバレンタインの夜の時のような、危うい光を沈めた暗い瞳で大河を見やる。

「大河ちゃん…キス以上のことはしてもらってないの?」
「う…」
「純潔は、まだ汚されてはいないんだ?」
「…あ、あの、ふつーはそれって守られるべきものなんじゃ」
「ふつーのことなんか知らない!でもウチではそうなの!
 大河ちゃんは竜ちゃんのお嫁さんなんだから、らぶらぶなんだから、そんな我慢しなくていいの!
 竜ちゃんはなにやってんの!こんなかわいい女の子が傍にいるんだから、さっさと押し倒しちゃえ――!!それがオトコのタシナミだよ〜〜〜!!!」
「どこの惑星のタシナミよそれ――!!?っていうかいくらやっちゃんでも竜児のことを悪く言わないで!
 竜児は竜児なりに考えてのことだし、私を大事にしてくれてるからこそなんだし…」

 当分の間、入籍はしないし大河にも手を出さない。少なくとも高校を卒業するまでは。
 この場所に帰ってきた大河に、竜児はそう言い切った。
 竜児が18歳になったらすぐにでも役所に婚姻届を出す気満々だった大河は、当初は猛反発したものである。
 無論、竜児が「嫁にこい」といったあの駆け落ち前夜と今とでは、状況は一変している。
 あの時下した「結婚」という回答は、二人の愛の一つの帰結としてではなく、二人を引き離そうとする状況、大人たちへ対抗手段という意味合いの強いものだった。
 今はそんな無茶をしなくても一緒にいられるのだから、結婚を急ぐ必要は無い。なにより自分達はまだまだ未熟な子供であり、親に頼らねばならぬ高校生である。本気で結婚を考えるのならば、大学を出て就職をしてからというのが妥当であろう。
 それはわかる。
 だが――口には出さないが、何より竜児は、自分に泰子と同じ轍を踏ませてしまうことを恐れているのではないかと思うのだ。
 自分から口にすることはないし、こちらも聞く気はない。
 けれど、いつも明るく暖かく、ちょっと心配になるほどおっとりノンキなやっちゃんが、その実ハードすぎる人生を送ってきたのであろうことは、薄々感じてはいる。
 そして竜児はそんな母親の姿を、ずっと傍で見てきたのだ。
 結果、この顔に似合わず優しすぎるくらい優しい少年は、息子という存在が母親の人生を不幸にしていると、自分という生命は産まれてくるべきではなかったと、悲しく思いつめてしまった。
 竜児が初めて長年心の闇に沈めていた想いを吐露した時、大河は激昂した。
 そんな愚かなことを、そんな間違ったことを、――自分が一番手に入れたいと願う、世界でただ一つのモノを否定するようなことを、
 よりによって竜児に口にされて、それが腹立たしくて、情けなくて、悔しくて、悲しかった。
 でも、と思う。
 自分で決めた選択とはいえ、やっちゃんが捨てた…あきらめざるをえなかったものや、未来の大きさをを考えると、それを今の自分の身におきかえてみると、慄然とする。
 私にとってそれは、みのりんとばかちーと北村くんを失うこと。
 あのかけがえのない2−Cの仲間と、三十路独神と決別すること。
 ママと、新しいパパと、弟のいる新しい家族のところに帰れなくなること。
 そして何より、みんないっしょに。みんながしあわせな未来。
 私と竜児が望んだ未来が失われる。
 それは私たちだけのことではなく、生まれてくる子供にとっても、決して良いことではないはずだ。
 ――竜児はそれを恐れていると思う。だからこそ、あんなバカな想いに囚われてしまっていたのだと思う。
 それは、もちろん竜児の嫁になれるのならすぐにでもなりたい。
 いずれは竜児の子供を授かりたいとも思っている。
 でも、いま、私が身篭ったとしても…私たちが望む未来を手に入れることにはならない。
 その程度のことは、私だって重々承知している。
 入籍だけでもしようよ、とは実は今でも思うけど。
 でも、やっちゃんだってこのくらいのことはわかってるだろうに。

「大河ちゃん。やっちゃんにはね、野望(ゆめ)があるんだ」
「ゆめ…?」

 頷いて、泰子はすっげぇイイ笑顔で、こうのたまった。

「やっちゃんは三十代のうちに初孫を抱きたいのです!」
「…………はい?」

 なんだかこう。
 自分がさっきまで考えていた色々なことや、大事なことや、未来とかは、まあそれはそれとしてー、という感じがした。
 すごくした。

「そんでもってー、保育園にやっちゃんお迎えにいっちゃってー、保育園のセンセイに「おかあさんですかー?」「んーん、わたしはおばあちゃんなのです〜」って言ったらドッゲェ―――――ッ!!ってパニック起こしちゃったりして♪」
「や…やっちゃん…?」

 もしかして…もしかして…やっちゃんてばもしかして…

「だからね、避妊はちゃんと考えなきゃダメなんだよ。
 というわけで、大河ちゃんにもこれをあげます」

 そういって、実に自然にちゃぶ台に置かれたのは――明るい家族計画なゴム製品だった。

「え?え?え?ええええええええ!?」
「やっぱりお年頃な二人なんだから、つい劣情をもよおしてアッ――みたいなことがあったら困るでしょ?
 こういうのはもはやエチケットとかマナーだと思うし」

 え?え?え?でもさっきやっちゃん早く初孫が欲しいって…ああでも避妊はちゃんとって…。
 言ってることが矛盾していて混乱するけど、ああでもやっぱり親だもん保護者だもん、ちゃんと色々考えて……

「でも実はこれやっちゃんが針でちっちゃくプスプスってしてるから、竜ちゃんが安全オッケー!って油断してると…うふふふふう」
「うわああああああん!やっちゃん全く考えてないわけじゃないけど、限りなく何も考えてない―――――!!
 というか、何気にばかちー並みにお腹が黒いもしかして!?」
「え?お腹?(ゴソゴソ)別に黒くないよ?」

 ジャージ捲り上げて本当に真っ白なお腹を出して確認している高須泰子さん(外見年齢23歳・戸籍年齢33歳)の姿に、頭が漂白されるような感覚をおぼえながら、大河はしみじみと独白した。

「…竜児が…あんなに細かくて慎重な性格になった理由がわかった気がする…というか…ならざるをえなかったのね、竜児……」
「あー。よくわかんないけど竜ちゃんはいい子に育ったよ〜〜☆」
「――あのねやっちゃん。ちょっと聞いて」
「そんなかしこまらなくても聞いてるよ?」
「いいからちゃんと聞いて。――あのさ。やっちゃんわかってる?
 もし仮に私がいま、その…に、にんしんしちゃったら!それってさ、最悪…私も竜児も退学になりかねないことだよ?ちゃんとわかってる?」
「…………えーと」
 泰子はしばらく考え込んだ後、おそるおそる、口を開いた。
「…竜ちゃんのご飯がおいしくて太っちゃったー…ってことで誤魔化せないかな?」
「世間なめんな――――!!なによりそんな理由は断固拒否!!」
 義母(仮)のあまりのお気楽っぷりに、ついに遠慮とか敬意とかをキャストオフしてしまう大河であった。半ばは去年秋の“軽肥満”の悪夢が蘇ったからかもしれないが。
「だよねぇ。やっちゃんの時もそれで納得してくれたのはお母さんだけだったし」
「騙されないで高須のおばあちゃま―――!!!」
 たぶん高須家(実家)はこっち、と思われる方向へ向かって切ない叫び声を上げる大河であった。
 実際、いろいろな意味で心配になってきた。オレオレ詐欺とか。

「――それはともかくとして。とりあえず、子作りはしばらく待ったにしておく。残念だけど」
「そうして。というか、とりあえずなんだ…」
「まあ初孫の件は置いといてもね。やっちゃんは二人のことが心配なんだよ。――身体の相性とか」
「………」
 連発されるハイブロウな問い掛け(ベクトルは下向だが)に、冷や汗たらして黙り込むしかない大河である。
「竜ちゃんは繊細だからねー。いざというときにこう、おっきしないとかありそう?」
「そそそそそ、それは…」
「そりゃあ竜ちゃんはいつまでも小さな子供じゃない。背はとっくにやっちゃんを越えちゃったし…本当、大きく育ってくれたし、しっかり者だし、最近はますます男らしくなってきてやっちゃん思わずハァハァしちゃいそうになるくらい立派だよ。
 具体的には〜、そーだね〜〜…」

 そう言って、泰子は定規を取り出した。んー、と親指と人差指で目盛りを押さえ。

「小学生のころはこれくらいだったんだけどー、……今はほら、こんなに大きくなっちゃって〜〜〜〜♪」
「なにそのイヤにリアルな数字っ!?っていうかやっちゃん!そそそれって…」
「竜ちゃんが寝てる時に、コッソリ☆ちなみにこれはフツーの時で、朝方、ジャンボなことになってる時は…こういうのって、なんていうんだったっけ?」
「わ、わたしに振らないでよっ!?っていうかそんなのどうでもいいし!」
『ア……アサ…アサ』

 唐突に、三番目の声が高須家の居間の空気を震わせた。
 思わず二人が視線を向けた先には、窓のカーテンレールからぶら下げられた鳥篭。
 その中で、高須家の愛すべきマスコット・インコのインコちゃんが鳥類とは思えないブサイク顔で、ブツブツと呟いていた。
 ヌラヌラとした緑色の体液を滴らせた赤黒い舌をデロリ、と嘴からはみ出して、インコちゃんはガクリと頭を傾げる。
『アサ…アサ…雨?…立つ……スタンド?』
 インコちゃんの左右の瞳がキロリ!とそれぞれ真逆の方向を向いて。
『Morning rain?』
「なんてステキな発音なの!?全然関係ないけど!!」「さすがインコちゃん!!」
『無敵のスタープラチナで何とかしてくださいよぉぉぉぉぉ!!』
「更に迫力溢れるドルビーサウンド!意味がない上にどこで覚えたその台詞!?」「すごいよインコちゃん!」
 ゲッゲッゲッ、と頭を上下にシェイクさせて、今日のオレは絶好調!なインコちゃんは高らかに叫んだ。

『タバコの箱で比較スルノハお約束!いやん竜チャン朝ボッキンすっご〜〜イ!シャメ!写メ!激写・ゲキシャ!』

 ……………。
 …………………。
「やっちゃん!携帯!」
「いや〜〜ん、だめぇぇぇぇぇ、モザイク無しではお見せできない画像なのぉぉ」
「誰が見たいと!…見たいと…いやその…きょ、興味はあるけど…そんなエッチなのは…きっとグロ…でも竜児の…」
 理性は力づくでも携帯を奪い取り、その画像を消去すべきだと全力で訴えていた。
 だが大河も健康で年頃で――未熟な女の子である。異性への興味はもちろんあるし、まして相思相愛の恋人がいるのだ。
 つまり、…………つまり、普通に性欲だってあるし、無知であるが故に無恥だと自覚しながらも、性交や性器というものへの並々ならぬ好奇心もあるのだ。
 理性と感情がせめぎ合い、真赤な顔で頭を抱え込んでしまった大河の耳元に。
 そっと、泰子は囁いた。
「竜ちゃんは……太さは平均的かな?」
「へっ…!?」
「でも……かなりなローングサイズ」
「ローング!?」
「心もち、右曲がりかな〜?と思わないでもないけど、その微妙な歪みが…実際にはすごい凶悪ゴリゴリなことになることも」
「ゴリゴリっ!!?」
「やっちゃん正直にいいます。大河ちゃんは…幸せ者です。しかもかなりの」
「………………」
 もはや話についてゆけず、これ以上ないほど赤い顔であうあうと口を空しく開閉するだけの大河に、泰子は憂いをこめて告げた。
「やっちゃんも…恋愛はプラトニックなものだと思ってた時期がありました。今でも『小さな恋のメロディー』は大好きな映画だよ。
 でも主役のかわいい子役が今では油ギッシュな中年になっちゃったみたいに、理想と現実の差は、ちゃんとわかってた方がいいと思うの。
 ちゅーしちゃったら、更にその先に進みたくたるものなの。
 心が繋がったら、身体だって繋がりたくなるの。
 人間は、パパとママのベッドのシーツの染みなのよ?」
「………そ、そんな新兵をいびる海兵隊の教官みたいなことを言われても!というか色々台無しだよ!」
 もう色々グチャグチャになって頭を抱える大河を前に、泰子は閉じかけていた携帯をおもむろに開いた。
 ボタンを操作し、「ある画像」を開きながら、そっと囁く。

「大河ちゃん…みんなそうやって大人の階段を昇っていくんだよ…小学校の裏山に捨てられてたガビガビのエッチな雑誌をみんなで読んだり、橋の下で段ボール箱に入った露出の多い雑誌を見つけたり、親に黙って子供は見ちゃだめないんたーねっとを見たりするでやんす。
 みんなやってる青春の一ページなんだよ…」
「……そうなんだろうけど、あらためて言われるとすごくくだらなくてしょーもない青春だよね…」

 でも、そんなくだらなくてしょーもないことなんだから。
 そんなに難しく考えることでもないんじゃない?

 ――自分を堕落させるそんな言い訳が、心の深淵から這い上がってくるのを…どうしても止めることができない。

 ぴろりん♪と、メール着信を知らせるどこまでも軽くて薄っぺらな電子音が、大河の携帯から鳴った。
 顔を上げると――真剣なのか笑っているのか、どうにも判別をつけづらい顔をした泰子の視線と目があう。
 多分、自分も同じ目をしているのだろうと大河は思う。
 そう。これは……『共犯者』の目。
 長いのか短いのか、もう自分ではわからない静寂が過ぎていく。
 更なる一歩を踏み出すための、迷いを払うための時間が。

 やっちゃん。わたし、いくよ。
 うん。大河ちゃん。

 言葉には出さず、しかし娘と母は無言のまま頷き。
(ああ。わたし――汚れちゃうんだ)
 心の奥にチクリとした痛みを覚えながら、大河は奮える手で携帯を開き――
「やすこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!?」
 どばあん!と爆発したような音と勢いで高須家の玄関が開いた。

「り、りゅうじっ!?」「りゅうちゃん!?」
『薙ぎ払え!』と命令されれば一閃で地平線を火の海に変えてしまう破壊光線のような眼光を全開で放ちながら、高須家の長男は全身を震わせて立っていた。その手には砕けよとばかりに握り締められた…自分の携帯。
 さああ、と血の気がひく音を、大河は聞いたように思う。
 まさかそんな。やっちゃん、それはベタだ。そんなこと…
「あ、やだ。いつものクセで、竜ちゃんと大河ちゃん、ペアで送信しちゃった」
「やっちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!そんなドジ、私だって…そんなにはしないよ?」

 こんな時だけ素直な正直者です、大河さん。

「!大河、それ…!?」
「ああっ!?」
 くわ、と竜児の凶眼がこれ以上ないほど見開かれる。
 一目で竜児は状況を察した。察しざるを得なかった。
「り、りゅうじ!?こここここ、これは、そそそそののの…」
どす黒い顔色で固まった竜児に、何も考えられぬままあたふたと大河は混乱して。
 ちらり、と携帯の画面を見た。
 …………。
 ……………………。
 ……………………………………………………。

「ぶふふぅ――――――――――――――――――――――!!!」
「大河――――!!?」
真赤な鼻血できれいなアーチを描き、あっさりオーバーロードして大河、撃沈。
「大河――――!!しっかりしろ――――!!死ぬな――――!!?」
「り…りゅうじ…」

 顔の下半分を鮮血に染め、しかし童女のような無邪気な笑みを向けて、大河は。
「…びみょうなみぎまがり…」
「言いたいことはそれだけかああああぁぁぁぁぁぁぁ!!?ってか逃げんな泰子!!」
「いや〜〜ん竜ちゃん抜け目なあ〜〜い!」

 ――後日のことだが、泰子の携帯から息子の成長記録は全消去された。
 ダビングの仕方がよくわからなかったのよね、と母親は嘆き。
 ダビングじゃねぇよ、と息子はとりあえずつっこんだという。


  ***


「大河。あの画像、消せ」
「や」
 高須家の居間で、正座で向かい合った竜虎の間で火花が散った。
 が――ふぅ、と軽く息ををついて、大河はその視線を和らげる。
「心配しなくても流出なんて絶対しないから。私はばかちーのモノマネ150連発だってきちんと秘密保持してるわよ?あんたにすら見せてないでしょ」
「いや別に見たいとは思わないが。というか可哀想だからいい加減、返してやれよそれ。俺の画像も一緒に」
「絶対、ヤ!特にアンタのグロ画像は一生モノだし!」
「グロとかいうなら消せよ!というかもうソレ俺にとっては脅迫ネタ以外の何物でもないよ!くそう、とんでもないもの握られちまった…」
「脅迫なんて、しない。絶対」
「あーあー。どうせそんなネタなくても言いなりだから、とか?」
「そうじゃない。というか、脅迫ネタなんて、そんな下衆な勘ぐりはやめて」

 目を伏せ、そっと胸元で合わせた両の手に収まった携帯を、大河は大事そうにかき抱く



「…確かにしょうもない経緯でもたらされた、どうにも下品なシロモノだけど。
 やっぱり、私にとっては竜児の初めて…みたいなものだから。
 自分でも変だって、おかしいって思うけど、それでも、それでもね?
 消そうとすると…指が震えちゃうんだ、はは。べ、別にじっくり見たいなんてわけじゃ、絶対にないんだけど、でもこれ消しちゃったらもう見れないんだって思うと…どうしても消せないんだ」
「………大河」
「思い出ってさ。美しいものばかりじゃないよね。辛いこととか、悲しいこととか、思い出したくも無いことも、あるよね。
 ぶっちゃけ、自分の記憶から消したい!って思うこともある。忘れて欲しい記憶なんて、それ以上にいっぱいある」
「――まあな。ラブレターのこと忘れさせようと、人の住居に不法侵入して闇討ちかけてきた奴もいるしな」
「…っ。わ、わるかった、わよそれは」
「……俺は忘れない。あの夜の恐怖は忘れようったって簡単には忘れられねえな。
 それに…そうだな。でもあの夜は…いや違うな。大河との間であった色んなこと…ケンカしたり、むかっ腹立てたり、意地になって仲違いしたことも…嫌なことも、それでも忘れたくないって、今は思えるな」

 ああ。
 なんでこいつは、自分もよく把握していないこの気持ちを感じてくれるのかな。

 普段忘れてるつまんないこと、小さなこと、どうでもいいこと――楽しくて、笑いあうことだけじゃなくて、竜児とは衝突したり小言を言ったり言われたり、煩わしかったり鬱陶しいこと、くだらないこと、しょうもないバカ騒ぎなんかもしてきた。
 でも、そんなことも含めた全部、私と竜児が過ごしてきた時間の中で、そんなことを経てきたからこそ、得られたものもある。
 今、この場所に到るまでの道として。
 そんな無駄なことが、かけがえの無いものだったと感じることが確かにある。

「うまく説明できなんだけどね。決して、大事な宝物だなんて言えないけどね。それでも、失いたくないって思っちゃうんだ。
 自分でもなんでそんな風に感じちゃうんだろうって思うんだけど…
 も、もちろん他の誰にも見せられない、見せちゃいけないって重々承知しているよ!」 
「うん……まあ花の乙女が持ってるようなものじゃないのは確かなんだが」

 情けなさそうに、困ったように、それでも竜児は少しだけ微笑んで…まあ半分は諦めて。
 自分の要求を取り下げることにした。

「でもなあ。やっぱり弱味握られてるのは確かだし…どうしても落ち着かないな」
「……うん。確かに、一方的だもんね。対等じゃない。フェアじゃないよね」

 ぴろりん♪と、メール着信を知らせるどこまでも軽くて薄っぺらな電子音が、竜児のポケットで鳴った。

「…だ、だ、だ、だから!こここここここ、こっここれで!
 わたしとアンタはた、たたたいとう、よ!!!」

 顔を真赤にして――ヤカンを乗せたら本当に湯を沸かせられるんじゃないかと思えるほど上気している大河を目にして。
 竜児は取り出した携帯を開けないまま、じっと見つめた。

 まさか?――ひょっとして?

「だだだだいじょうぶ!やっちゃんと同じ失敗はしない!っていうかそんなことしたら私生きていけないから!!
 間違えないように、アンタのアドレス以外は携帯から削除してやったわ!は、はははは!」
「た――たいが、さん?」
「さささささ、さあ!ありありありあり、ありがたく受け取るがよい!え、えろい妄想繰り広げるのも、ゆ、ゆるしてあげるわ!
 お返しよ!あんただけに恥ずかしい思いはさせないから!
 わ、わ、わ、わたしの●●●―――」
「言うな――――――――――――――――――――――――――!!!!!?」



 ――竜児がその「画像」をどうしたのかは……不明である。
 不明にしておけ。


   <終わってください心から>




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