果てしなく広がる闇の中、氷の様に冷たい床の上を、逢坂大河は裸足で走る。
身に纏うのは黒いドレス。背負うのは小さな白い翼。頭上に戴くは銀のティアラ。首元には赤いマフラー。
夢なのだと、わかってはいる。だが、走るのを止めることが出来ない。
なぜなら背後から声が――走っている理由が近づいてくるから。
「――――が!」
声は少しずつ、確実に近づいてくる。
このままではすぐに追いつかれてしまう。
大河が白い翼を投げ捨てると、それはたちまち吹き荒れる暴風の壁へと変わる。
声の主は恐れることなくその中に飛び込むが、風に阻まれてなかなか前に進むことが出来ない。
大河はその間に距離をとるべく、再び走り出す。
「はあ、はあ、はあ……」
一時も休むことなく走り続け、流石に息が苦しい。
だが少しでも速度を緩めれば、すぐにあの影が近づいてくる。
「―――いが!」
また声が近くなった。
「うるさいうるさいうるさい!あっちいけ!」
叫びながら銀のティアラを投げ捨てると、それは聳え立つ氷の山へと変わる。
躊躇うことなくよじ登り始めたあの影を尻目に、大河は走り続ける。
「――たいが!」
あいつにはっきりと名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。
このまま止まってしまえばどんなに楽だろうか。だが、そうするわけにはいかない。
大河は首元に手をやり、一瞬その動きが止まる。
だが意を決して赤いマフラーを投げ捨てると、それは燃え盛る炎の河へと変わる。
流石に脚を止めるあいつに背を向け、大河はまた走り出す。
どれだけ走っただろうか。既に辺りには茫漠たる闇が広がるばかり。
と、脚がもつれて転ぶ。
「夢の中でまでドジか、私は……」
倒れ伏す大河の体を、不意に暖かく柔らかい腕が抱き上げる。
「え?」
見上げればそこには、サンタの格好をしたクマの着ぐるみが。
「……っ!やだっ!」
逃れようと身を捩るが、大河をがっちりと抱え込んだ左腕がそれを許さない。
そして右腕はクマの頭部にかかって。ゆっくりとそれを持ち上げて。
「ダメっ……!」
今、あいつの顔を見てしまったら、自分は――
だが、着ぐるみの頭部が取り去られた後にあったのは……
「嘘……」
『逢坂大河』の顔だった。
気づけば着ぐるみは消えて、向かい合って対峙する大河と『大河』。
黒いドレスだけの大河。白いコートに赤いマフラーをした『大河』。
「……あんた、誰よ?」
『わかってるくせに』
「……」
『今度は私から聞くわね……なんで逃げるの?』
「……逃げて、なんて……」
『逃げてるじゃない、ずっと。竜児には逃げるなって言ったくせに』
「っ!」
その名前が突き刺さり、大河は思わず胸を押さえる。
『ほら、そんなにつらいんだから、言っちゃえばいいのに』
「……駄目よ」
『何で?竜児なら受け入れてくれるわよ、きっと』
「絶対に駄目。竜児が好きなのは……みのりんだもの」
『でも、みのりんは竜児をふったじゃない』
「それは……きっと、みのりんは勘違いしてて……」
『だから、勘違いじゃないでしょ?私は竜児が好きなんだから』
「……言うな」
『告白しちゃえばいいのよ。きっとみのりんも祝福してくれるわ』
「言うなぁっ!」
何時の間にか手の中にあった木刀を『大河』に向けて振う。
『強情ねえ。竜児に告白して、幸せになって、何が悪いっていうのよ』
「幸せに、なんて、なれないっ!竜児を、苦しめて!みのりんを、傷つけて!
そんなの、絶対、絶対っ!」
ぶん、ぶん、と振われる木刀を、『大河』はひらりひらりとかわす。
「竜児は、みのりんと、一緒になって! 二人は、本当に、幸せに、なるんだからっ!」
『それで、私はどうなるの?』
すぐ後から耳元に囁かれる声。大河は振り向きざまに木刀で横一閃。だがそこに『大河』の姿は無く。
ただどこからともなく声だけが響く。
『竜児もみのりんも居なくなって、私はまた一人ぼっち。それでいいの?』
「うるさあぁぁぁいっっっ!」
自分の絶叫で目が覚める。
ベッドから身を起こし、肩をぎゅっと抱き、うつむいて唇を噛み締める。
だがそれは、ほんの束の間。
大河は決然と顔を上げる。
「いいのよ……私は、強くなるから。なってみせるから」
そして、ただ一人で立ち上がる。
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