「大河。明後日のデート、うちに集合な」

金曜日にそう言われて、何の疑問もなく頷いたのには別に理由はない。付き合いだして早9ヶ月。というか、知り合って1年半以上。たいていのことはカリスマ主夫高校生である彼氏殿の言うとおりにしておけば間違いない、というのが骨の髄までしみこんでいる。

なにしろ、掃除洗濯料理なんでもござれのうえに、気配り上手、心配性ときている。つねに、あらゆる事に気を配っているのだ。そそっかしい自分なんかよりずっと判断は確実だ。だから、言われたら何でもはいはいとその通りにするのが一番いい。

付き合いだした最初の頃は、去年に染みついた癖もあっていろいろ口答えをしてみたりした物だが、それでも数をこなせば大河だって学習する。いつのまにか、うんうんと素直に言うことを聞くようになってしまった。だってその方が楽だから。
操り人形並に物わかりのいい彼女になりはてている自分に、時々呆然とする事があるくらいだ。

だから、言われたとおり彼氏……婚約者である高須竜児の家に朝9時に来たのだが。

「ねぇ竜児。あんたいつの間にカメラなんか買ったの?」

居間の隅に立てかけてある三脚と黒いカメラには驚いた。結びつかないのだ。竜児のイメージと、そのいかにも高価そうな光学器械が。

竜児は長い間、母親の泰子の代わりに家事の一切を取り仕切っていた。その中には家計の管理もある。大黒柱の泰子が決して高給取りとは言えないこともあって、竜児の金銭感覚の厳しさには舌を巻く者がある。そのあまりの厳しさに
「あんたの金銭感覚で自動販売機のジュースを買うって、どうなってるの?」と聞いたことがあるが、「金銭感覚が厳しいからこそ余裕があるんじゃねぇか」と、仁王のような顔で言い返された。ちなみに睨まれたのではない。
単に竜児は「なに当たり前のこと聞いてるんだ」と思っていただけだ。

しかしまぁ、いくら厳しいからこそ余裕があるとは言え、高級なカメラを買うほど竜児が小遣いを貯めていたとも思えないし、そもそも竜児がカメラというのがわからない。そんなことを考えながら3秒ほど停止していたのが、竜児にも読み取れたのだろう。

「おう、いくら何でもカメラの衝動買いなんかしねぇぞ。そりゃ北村に借りたんだよ」

と、種明かし。明かされてみればなんと言うこともない。

「へぇ、そうなんだ。なんだか北村君なら持ってそうようね。納得しちゃった」
「いや、それは北村の兄貴のだよ。てか、おれが持ってちゃおかしいかよ」
「だって。竜児って機械いじりが好きって柄じゃないじゃない」
「ま、そうだけどよ。撮りたいものは俺にもあるんだよ。よし、表出るぞ、表」

そう言って、カメラと三脚をかつぐと来たばかりの大河を玄関まで追い立てる。牛のようにおとなしく追われながら、大河の頭の中では疑問符が点滅している。竜児がお茶も出さないなんて雨でも降るんじゃないかしら。


◇ ◇ ◇ ◇ 


ところがどっこい、雨など降らない。この時期、この地方では青い空が毎日のように広がっている。今日も空が高い。

大河と竜児が来たのは、大河が住んでいたマンションの隣の公園。去年の夏休みにバドミントン勝負をやったところだ。この辺で、犬と勝負したのよね、などと冷たい空気に頬をさらしながら大河が考えているうちに、竜児は三脚とカメラを固定してしまった。
何に使うのか大家から脚立まで借りてきて、大げさなことこの上ない。

「よし、大河。その辺に立ってみろ」

と、少し離れたあたりを指さす竜児に、大河は目を丸くする。

「って何よ!あんた私を撮るの?」
「お前以外の何を撮るんだよ」
「紅葉でも撮るのかと思っちゃった」
「この公園でか。勘弁してくれ。通りの欅のほうがマシだな。電線が邪魔だけど。いいから其処に立てって」

つっけんどんに言われて、ぷっとミルク色の頬をふくらませながらも、文句も言わずに言われたところに歩いて行く。停学を食らっていた昨年同時期なら回し蹴りが既に2回炸裂しているところだ。

「まったくよう。そうやって拗ねた顔も絵になるってんだから、やってられないぜ」

そう言いながら、パシャリと一枚。あっ、と声を上げる間もなかった。

「ちょっとちょっと竜児、撮るならチーズ、とか言ってよ!」

抗議をしてももう遅い。あの大きなレンズのついた高そうな黒いカメラには、すでに大河のふくれっ面が高解像度で収まっているところだろう。そう言えばこの公園でばかちーがストーカーのカメラを壊したとか何とか。
いやいや、いくら何でもカメラを壊しちゃ北村君のお兄さんに申し訳ないし、其処まで怒っているわけじゃないのだが。

「いいじゃねぇか、あんまりしゃちほこばった写真じゃつまんねぇだろ」

竜児のほうは、大河の抗議などなんのその。楽しそうにファインダーを覗き込みながら、「お前、可愛いしモデルとしては申し分ないよな」などと言って大河を赤面させては、パシャリとシャッターを切る。最初は拗ねて見せていた大河だが、
恋人からきれいだと連発されて嬉しく無いわけがない。

「もう、竜児ったら」

と、くすりと笑ったのが年貢の納め時で、あとは珍しく良く回る竜児の口車に乗せられて、モジモジしたり、ニコニコしたりとなかなかの被写体っぷりである。年頃の娘だ。可愛く撮ってやると言われれば嬉しく無いはずがない。

おすまし顔や、ちょっと元気よく手を振って歩く姿なんかも撮った後、竜児が場所を変えようと言い出した。公園の植え込みの横にあるベンチだ。

「ちょっとカメラみててくれよ」

そう言って駆けだした竜児は、戻ってきたときには缶のミルクティーを持っていた。

「ほれ」
「ありがとう。休憩?」
「いや、開ける前に撮らせてくれ」

そう言うと、竜児はカメラを三脚からはずし、片手に持って脚立の上に立つと、やれ足を前に投げ出し気味にとか、缶の持ち方がどうのとか、ちょっと首をかしげてみろとか、あれこれやかましくポーズを要求した。

「ねぇ、脚立に乗る意味ってあるの?」

と、聞いてみるのだが、広角がどうのとか足は中央とか七面倒な答えが返ってくるばかり。マフラーに顔を埋めたまま、『そろそろめんどくさいな』と思いはじめたところで竜児から「お疲れ」の声がかかった。

「付き合わせて悪かったな。飲んでいいぞ」

そう言うと、ミルクティーを飲む大河の前で竜児は手早く脚立をたたみ、三脚の足を縮めてカメラを取り付けてしまう。後片付け終了。

「え?これで終わり?」
「おう。あれこれ注文付けたからな。疲れたろう」
「別に疲れてないけど。ねぇ、竜児。折角だし一緒に撮ってよ」
「おう、そうか?」

婚約者のくせに、『おう、そうか』でもないだろう。 もうすぐ二人の高校三年も終わりだというのに、こんなにいいカメラを借りてきたのだから、二人で写らないでどうするのかしら、と大河は思う。まぁ、その辺の実用一辺倒な所は竜児らしいのだが。
もう少しロマンスを解してもいいのではないだろうか。

「よし、じゃぁ大河。ベンチの後ろに立てよ」

背もたれの無いベンチの後ろに大河を立たせ、竜児は三脚の足を伸ばす。ファインダーを後ろから覗き込み、なにやらレンズのあたりをクルクル回していたが、納得がいったのだろう。これから拷問を行う凶悪犯のような顔で笑うと、立ち上がってベンチの所にきた。
大河の前に足を開いてどっかりと座る。

「大河、俺の肩に両手をかけて後ろから覗き込むような感じにしてみろ。オッケー。笑って。よし」
「竜児、これどうやって」

パシャリ。

シャッターを切るの?と聞く間もなかった。

「すげぇだろ、リモコンもあるんだぜ」

と、竜児は右手に持った黒いガムのようなものを見せる。

「何よ、意地悪。ちゃんと撮ってよ」

不意を突かれて拗ねてみせるが、悪い悪いと笑う竜児にうまく丸め込まれる。で、仕切り直し。二人でにっこり笑って。

パシャリ。

竜児が指でリモコンを押してシャッターを切る。

こう言うのも悪くないと思う。手乗りタイガーとヤンキー高須とはいえ、二人は恋人同士なんだから。こうやって仲良く写った写真は、きっといつ見てもうきうきした気分になる。そんなことを考えながら、

「ねぇ、竜児。どうして写真撮るなんて急に思いついたの」
「だって、お前。年賀状の準備はそれなりに時間が必要だろう」

何気なく聞いた問いの答はびっくり仰天もの。思わず大河の声も卓袱台のようにひっくり返る。

「ちょちょちょ、竜児。私の写真使うつもりなの!?」
「おう」
「『おう』じゃないわよ!」

首から上が燃えるように熱くなる。着ぶくれ気味でも寒かったのに、体中の汗腺が一気に開くのがわかる。よりによって、この男は婚約者の写真を友達にばらまくつもりらしい。ということは、クラスメイトの手にも渡るわけだ。
今日撮った、脳天気に幸せ一杯の手乗りタイガー写真が。

それが嫌だというわけでもないが、なんというか、早すぎないだろうか。いやいや、それだけ竜児が自分の事を想ってくれているのだろうけど。

「どうしよう、ねぇ、竜児、私ちょっと恥ずかしいな。来年とかじゃだめなの?」
「馬鹿言え、今年を逃したらトラ年は12年後じゃねぇかててててててててて!!!!」

ほんわか気分も台無しの一言に、思わず右手の親指は無意識の動き。婚約者の冷たい頬をつねりあげる。竜児のほうもさすが大河の婚約者。右手の親指はシンクロしたみたいに動いて、リモコンを押す。

パシャリ。


(お・し・ま・い)






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