張り詰めていた冷たい空気が、ふっと揺れて頬をなでる。日が落ちてしまった空はわずかに色を濃くして、街を飾るイルミネーションに主役の座を譲る気配を見せている。

「さぶっ」

待ち合わせ15分前。商店街のツリーの前で逢坂大河は小さく呟き、2,3歩足踏みをする。ツリーの前に来たのが10分前。喫茶店にでも入って時間をつぶせばいいものを、馬鹿な事に寒空の下で待つことにした。

馬鹿なことをしているという自覚はあるのだ。黙っていても相手は来るのだから、暖かいミルクでも飲んでいればいい。そもそも、待ち合わせの場所に女が先に来るのはみっともないと何かの本で読んだことがある。
2,3分遅れてきて「ごめん待った?」というのが、形式美だとか。男より先に来て顔をつぶすのはどうとか。

でも、それはちょっともったいないと思うのだ。(だって、1分でも早く顔をみたいじゃない?)。12月の夕暮れにツリーの前で立ったまま。あまりにも無謀なミッションにダッフルコートはとっくに音を上げ、大河の体はどんどん冷えていく。
それでも、マフラーに半分うずめた顔の表情は、繰り返し繰り返し甘く蕩ける。

「竜児、早く来ないかな」

時間が経つのは早い。

あの、激しく辛かったクリスマス・イブから、もう1年になる。サンタを待ちわびては、誰も現れないクリスマスを何度も繰り返した。その末に、去年本当にサンタが現れたのだ。それが偽物であっても、クマであっても、待ち焦がれたサンタの登場に大河の心ははじけた。
照れも意地も吹き飛んで、ぬいぐるみに抱きついて大声で笑った。

そして喪失。

その晩、自分が竜児を好きだと初めて知った。それからはじまった苦しい日々は忘れられない。竜児が現れて得た安寧は、竜児から離れると決めたことで両手の指の間からこぼれるように消えてしまった。竜児以前の苦しい日々への逆戻り。

それもこれも、全部激流に流されるように目の前を過ぎていって、今、大河は竜児をクリスマス・ツリーの前で待っている。

「えへへ」

小さく笑い声を漏らすのは何度目だろう。自分でもわかっている。さっきから少しうつむいて、目を細めながら笑顔をマフラーに埋めている怪しい女。それが逢坂大河だ。

(手乗りタイガーがこの体たらく)

おかしくて仕方が無い。でも、おかしくてもいいじゃない、と大河は思う。だって今年は、自分も町中に溢れる幸せなクリスマスの一部なのだ。幸せなのだ。これから竜児と、施設の子に送るプレゼントのお買い物。気分がうきうきするのなんて当然。
ちょっと寒いけど、こうやってつま先を眺めていたら、もうすぐ竜児がやってくる。そしたら……

「ねぇ、彼女、ひとり?」

え?と顔を上げたときは、まだ笑顔のままだった。だからだろうか、声を掛けてきた男の顔に驚きの表情が走るのがわかった。『らっきー、すんげぇ可愛い子ちゃん!』とでも思ったのだろう。うきうき気分がぺしゃんこになる。

「彼女かわいいね。さっきから誰か待ってるみたいだけど、すっぽかされたのかな?」

ち、なれなれしい。

話しかけるなハゲ、と思わず口をつきそうになって慌てる。いけないいけない。クリスマスまではいい子でいなきゃ。何しろサンタは実在しのだ。やってきたのは代理のクマだったが、それでも奇跡は起こった。誰にも見てもらえなかった自分に溢れんばかりの愛が与えられたのだ。
受け取ったプレゼントは100年分。だから、この先100年くらいはクリスマスの時期はいい子にしていなきゃいけない。『悪い子だから竜児君没収』などと言われたら、生きていけない。

「私、人を待ってますから」
「冷たいなぁ。かわいいんだから冷たい顔するともったいないよ。俺もひとりなんだ、ね、お茶でもしない?」

一人で青汁でもすすってろボケ。

アッパーを繰り出しそうになる右腕に落ち着け、落ち着けと呟いて、つん、と右を向く。知らん顔だ、知らん顔。竜児早く来ないかな。

「ね、名前なんて言うの?」

ぷぃっと左に体の向きを変える。前に回り込んできた男が

「あ、おれ怪しい奴じゃないよ。大学生。ほら、学生証もあるよ」

と、見せなくてもいい学生証を見せる。

なんてことかしら、と大河は独りごちる。これから竜児も私も大学に進学するって言うのに。大学ってひょっとしてこんな奴ばっかり?折角のクリスマスなのに、アホ面さげてるんじゃない。消えろ。この場で天に召されろ。それ以外にお前の人生が報われる事はないだろう。

と、思いつつもいい子タイガーは右に体を向ける。あくまでサンタにいい子をアピール。自分がどれほど命拾いしているか理解していない男が、また前に回り込む。

「俺、松井って言うんだ。マツイトミカツ。おもしろい名前でしょ?じいちゃんが付けたんだ。彼女なんて名前?」

まずいトンカツなんかに用は無いのよ。あんたなんか竜児の包丁で8ビートで刻まれてブサ…個性的な顔のインコちゃんのエサになるがいい。

折角のクリスマス・ツリーの前なのに、 寒空の下、こんなアホにつきまとわれている自分が悲しくなってくる。何てことだろう、これが12月でなければ腿に見えないキックを叩き込んで一発解決なのに。冷え切った体を震わせて、もう何度思ったかわからないことを、また思う。
竜児早く来ないかな。

「ね、彼氏と待ち合わせ?ひょっとして本当にすっぽかされたんじゃない?」

このヌケサク。

思わず怒りに毛穴が開く。いけないいけないと思いつつも、マフラーの下、唇の端が醜くめくれ上がる。かろうじて顔を伏せているが、眇めた片目は野獣のそれ。いけないのに。クリスマスなのに。

「ねぇ、彼女、話くらいしようよ」

しつこいんだよ、三下!と、向こうずねに全力のキックをお見舞いしそうになったその時だった。

「悪い大河!待ったか?寒かったろう?………て、知り合いか?」

待ちに待ったその声に、冷え切った体が一瞬で熱くなる。頬には桜色が散り、視界に舞うのはダイヤモンド・ダスト。

「竜児!」

思うよりも早く、タタッと駆け寄って、恋人にしがみつく。

「おう、どうした」
「竜児、怖かったの!」
「おう?」

と、竜児が顔をあげたのだろう。瞬間、大河の後ろでそれまでしつこく迫っていた大学生が、ひっと声を上げるのがわかる。ああ、だめだめ。私いま意地悪な顔で笑っている。と、思うもののどうにもならない。笑いをこらえて腹筋が揺れる。ざまあみろアホ大学生。
お前なんか大魔神によって炎の池に放り込まれろ。
もちろん、こんな場面で竜児が『俺の女に手を出してんのか。いい度胸だな』などと言うはずもない。ていうか、おそらく『すみません、大河が何か失礼をしましたか?』くらい、いきなり下手で出るつもりだったはずだ。が、その前に大学生のほうが

「すすすす、すみません!知らなかったんです!」

と、存在しない事実を知らないことについて、心よりお詫びを申し上げながら走って逃げてしまった。

「おい、大河。なんだんだよ、これ」

しがみついていた体を引きがされて、喜びの笑顔を満面に浮かべる大河と、切り裂きそうな目つきの竜児がようやく顔を合わせ。別に大河を殺してやろうと思っているわけではない。傷付いているのだ。

「竜児はいつも私を助けに来てくれるね」
「なんだよ、あいつに何かされたのか」

今更ながら大学生が逃げた方向を睨み付ける竜児。遅い。

「何もされてないわよ。しつこくナンパされただけ」
「ナンパって………お前簡単に追い払えるだろう。てか、何でそんなに嬉しそうなんだ?」

わかっちゃいない。わかっちゃいないのよ竜児は、と大河は独りごちながら微笑む。たちの悪い男に絡まれているところを、さっそうと現れた恋人が救ってくれたのだ。こんな嬉しいシチュエーションが他にあるのかしら、と目を線にする。
竜児はいつでも自分を助けに来てくれる。クリスマスにはちゃんといいことが起きる。

「あぁ。ほんとに、ほんとに、私クリスマスだーーい好き!」

両手を広げ、紺に染まった空を見上げて、そう大きく声に出す。町中のイルミネーションを浴びるようにその場でクルクルと回る。

「おい、大河。そんな事してるとこけるぞ」
「竜児は心配性なんだから!」

クリスマスだというのに本当に心配性な奴だ!でも、恋人を想うその心意気に免じてはしゃぐのを止め、歩き出した竜児の横に並ぶ。大河の頬はずっと緩みっぱなし。

「何はしゃいでるんだよ」
「だってクリスマスじゃない」

そういって、笑顔で竜児を見上げ、腕を絡める。

ま、少々はしゃいでこけたってかまわない、と大河は思う。

だって、今年は竜児が横に居る。

(おしまい)




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