「ねえ、竜児」
「おう」
買い物に出掛けようと借家の階段を先に降りきった大河が振り向いて言う。
「少しだけ時間、ある?」
「あんまりねえけど・・・」
スーパーの夕市が始まる時間を気にする竜児がそう言うと大河は少し残念そうな顔をした。
「・・・今度にする」
「何だよ?何かあるのか?」
遠慮するなよと竜児は大河に発言を促す。
「ん・・・あのね。・・・久しぶりに学校が見たくなったの」
「学校って?・・・大橋高校のことか」
大河はこくんとうなずいた。
「何でまた?」
「何でかな、自分でもわかんない」
どうしてそんな気分になったのか大河自身も分からないのか、不思議そうな表情を見せる。
「・・・ちょっとだけ、寄ってくか」
「いいの?」
「いいさ・・・その代り、タイムサービス品が売り切れたら夕食メニューは変更だぞ」
「ありがとう、竜児」
顔をほころばせる大河に竜児は優しい気分になる。

かつて通い慣れた通学路を大河と並んで歩きながら、竜児が言い出す。
「あれから、ちょっとしか経ってねえんだよな・・・つい昨日のことみたいに思えるけど」
「あれから?」
「おう、毎朝、こうやって大河と並んで学校へ行ってた頃からさ」
「そうだね・・・竜児と一緒に通えたのって一年足らずだったけど・・・とても充実した一年だった」
大河は少しだけ遠い目をして、空の一点を見つめた。
「私、思うんだよね」
「ん?」
「もしも、あのまま・・・私がママの下に帰らなかったら・・・ずっとあのマンションに住んでいたら・・・どうなったのかなって」
「何も変わらねえだろ」
大河は少し考える素振りを見せ、小さく首を振った。
「違うのかよ?」
「今と同じじゃないと思う」
きっぱりと大河は言い切った。
大河の聞き捨てならない台詞に竜児は勢い込んで聞き返す。
「ど、どう違うんだよ。まさか、俺とおまえの関係が変になってるとか言うんじゃないだろうな?」
「言わないよ。私は竜児から離れるつもり無いから・・・竜児も、そうでしょ?」
「ああ・・・そうさ」
安心したと言うように竜児は声のトーンを落とす。


「竜児と気持ちが通じ合えて・・・すぐだったよね・・・私が黙って居なくなっちゃったの」
「・・・そうだったな」
あの時の気持ちを思い出し、心の古傷が痛むような錯覚を竜児は覚えた。
書置きひとつ残して大河が母親の下へ旅立った、高2の冬。
そして長い、長い冬が終わり、春が来るまで一年と言う時間が必要だった。
大河が居ない一年・・・竜児は自分がどうやって過ごして来たのかと思う。
「あのまま、一緒に居られたら・・・楽しかっただろうなって思うの・・・夏休みはずっと竜児の家に居て・・・一緒に受験勉強するの。思い出もいっぱい作れて・・・何か想像するだけでも楽しい」
本当にそう思うのか大河は目を細める。
「そして、大学生になって・・・学校がもし違っても、お隣同士だから、きっと前みたく毎日、会えて・・・こんな今みたいに、会いたいのに会えないなんて、こと無かった」
「・・・大河」
「竜児・・・誤解しないでよ。今が嫌だって言ってるんじゃ無いんだから」
竜児の目を見ながら大河ははっきり言う。
「おう」
「だから、もしそうなっていたら・・・・・・多分、駄目になってた・・・私」
意外なことを伝える冷気を伴った大河の声。
「だ、駄目って?」
狼狽を感じながら竜児は大河に先を続けるように促した。
「竜児を嫌いになるとかそんなんじゃないよ・・・私が、今の私じゃないってこと」
大河の言い回しは難解で、竜児はその真意を掴みかねた。
「今の私じゃない?」
オウム返しのように竜児は聞き返す。
「うん・・・ずっと前に竜児、言ったよね・・・私は虎で竜児は竜だって」
「ああ、確かにな」
大河と知り合って間もない頃だったよなと竜児はその頃の記憶をたどる。
「そして、こうも言ったよね・・・竜と虎は並び立つって」
竜児は無言で頷いた。
「今ね・・・はっきり自覚出来るんだ。私はちゃんと自分の足で立ってるって・・・ちゃんと竜児の側に立っているって思えるの」
「そんなの・・・昔からそうだっただろ?」
「うん・・・だから、あのまま私がママのことも無くて、竜児と一年間離ればなれになんなっかたら・・・私、きっと竜児の側に立っていない」
「それって?」
「ううん、私が居なくなるとかじゃなくて、私はずっと竜児の側にいる・・・でも、それは並び立つんじゃない・・・多分・・・竜の背中に乗ってた・・・何もかも任せ切りにして」
少し顔を伏せる大河。
竜児は大河の言わんとするところが大体、理解できた。
すなわち、あのままだったらすっかり主体性を無くして完全に竜児に寄り掛かるだけの自分になっていたと大河は言いたいのだと。
「・・・そんなこと、ねえよ・・・大河は、何があっても大河だ」
自信なさげにうつむき加減に歩く、大河の頭を竜児は軽くポンと叩いた。
「・・・竜児」
顔を上げ、竜児を見る大河。
「それに今ははっきりしてんだろ・・・ちゃんと俺と並んで歩いてる・・・少なくとも俺は大河を背負ってる感じはしねえ・・・そうだろ?」
「うん・・・じゃあ、あの一年は・・・」
「無駄じゃなかった・・・いや、それ以上だ」
竜児のこのひと声に大河は安堵の表情を浮かべる。
「ずっと気にしてた・・・竜児の気持ちも考えないで、黙って行っちゃって・・・戻って来てからも竜児は変わらないで私を見てくれる・・・どれだけひどいことしたのかなって・・・」
「おいおい・・・寒い川の中で誓っただろ・・・あん時の気持ち、今も変わっちゃいねえ・・・むしろ強まってるくらいだ」
「・・・竜児」
「大河と離れて見て・・・見えて来たものとかいっぱいある・・・どんだけ、お前が大切か、だってことだ」
もうお前しか考えられないとひたむきな視線で竜児に見つめられ、大河は体が震えるような思いを感じた。
そのまま泣きたくなる様な予感を覚えた大河は照れ隠しのように竜児の左腕にしがみ付き、顔を埋めた。



「全然、変わんないね」
「当たり前だ」
大橋高校の校舎は竜児と大河が通っていたその頃のまま、ふたりを出迎えた。
日曜日でも部活動があるのか、開いたままになっている正門。
「ねえ、竜児」
「おう」
「ちょっとだけ、入ってみない?」
「まずいだろ・・・もう生徒でもないのに」
「だって竜児は卒業生だし、私も元、在校生」
何の遠慮がいるのと大河に主張され、竜児はしぶしぶ同意した。
まあ、見咎められたら身分を明かせば問題ないだろうと竜児は考える。
俺たちのことを覚えている先生も残っているだろうし・・・と大河に引っ張られながら竜児は楽観することにした。

「懐かしい」
さすがに建物の中に入るのは憚られるので、外から昇降口を覗き込む。
「右から3番目だったよね?・・・2年の時の靴箱の場所」
「4番目じゃねえか、確か」
「3番目よ、絶対!」
「その自信は何処から来るんだよ?」
確信あふれる大河の物言いを竜児は不思議がる。
「だって・・・転んだから」
言い難そうに大河は自信の根拠を明かす。
「靴を履き替えようとして・・・バランス崩したのよ。で、そのまま強引に靴を履こうとして・・・こう、まっすぐ、あの柱に・・・」
激突したと大河は言う。
だから、柱の位置から考えて3番目しか有り得ないと大河は根拠を説明した。
「・・・ドジめ」
如何にも大河らしいと、その時の光景を想像して竜児は可笑しくなる。
「言うんじゃなかった」
やや憮然としながら大河はつぶやく。
「次、行くわよ」
まだ、笑い顔を収めない竜児をその場から引き剥がすべく、大河はすたすたと歩き出した。
そのままずんずんと竜児を後ろに置いて歩く大河は見覚えのある場所で足を止める。
「・・・ここ」
そこは校庭へ続く校舎脇の通り道。
教室棟と管理棟のふたつの校舎をつなぐ空中回廊のすぐそば。
大河は一瞬で時間がさかのぼった様な気がした。
目を閉じた大河の向こうで笑う北村の姿。
告白されて振った北村に告白し返したあの日。
気持ちは届かなかったけど、その代りに大河がここで得た物がある。
それは・・・。
「・・・大河、勝手に先に・・・」
目を開け、振り向いた大河の視界いっぱいに飛び込む追い掛けて来た竜児の姿。
あの日もこうやって立ちすくむ大河に声を掛てくれた。
「・・・泣くかと思った・・・でしょ」
やんわりと大河は台詞の修正を求める。
「・・・何で、大河が泣く・・・?」
そう言い掛けて竜児もはっと気が付く。
「ああ、ここだったよな・・・俺はそこから降りて来て」
竜児が指し示す校舎の外に付けられた非常階段。
「泣くかと思った」
竜児は何年前かの台詞を再現した。



「そうよ、あんたはそう言ったのよ」
「竜虎の誓いか・・・俺とお前の原点みたいな場所だな」
「初めて、竜児が私の名前を呼んでくれた場所でもあるわ・・・大河って」
「そうだったかもしれねえな。でも、俺はお前に蹴飛ばされた痛い思い出しかないぞ」
「失礼ね、蹴っ飛ばしてないわよ」
「こらこら、歴史を改ざんするな。真実は認めろ」
「はいはい。ごめんなさい、悪うございました」
一ミリ足りとも心のこもらない謝罪の言葉を大河は口にする。
「おまえなあ」
「ふんだ、とっくに時効でしょ、そんなこと」
苦笑する竜児に大河は開き直る。
そのまま大河は竜児に背を向け、後ろで手を組む姿勢で告白する。
「今だから言うけど・・・あんたに、竜児に初めて名前を呼ばれた時、電気ショックみたいにピリッとしたの。馴れ馴れしいとか全然思わなかったし・・・」
「それにしちゃ、散々な言われようだった気がするぞ」
「素直じゃなかったからね」
はっきりと言い、大河は竜児へ向かって振り向く。
「だから・・・自分の気持ちに気が付いてるのを誤魔化してた・・・もっと素直になれば良かったって今は少しだけ後悔してる」
「・・・大河」
「もしかしたら、この学校で竜児とクラスメートでもなく、お隣さんでもなく、友達でもない・・・今と同じ関係で歩けたかもって・・・恋人らしいこと何ひとつ出来ないまま、高校生活終わっちゃったからね」
もったいないことをしたと大河は叶わなかった夢を繰り言の様に言う。
「でもな、大河」
「うん?」
「あの一年があったからこそ、俺は安心してお前を見ていられる・・・これでこそ、俺のパートーナーだってな」
「・・・竜児」
竜児の柔らかな目線の前に大河は冬の陽だまりのような温もりを感じ取っていた。
「ホント、大人になったと思う、大河・・・」
「それじゃまるであの頃の私が子供みたいじゃない」
竜児の言葉尻を捕らえて大河はチクリと抗議する。
「違うのか?」
おどけた調子で竜児は大河をからかう。
「竜児!」
「わりい、ちょい、言い過ぎたか」
わずかに怒気を見せた大河に竜児は平謝り。
「いいのよ、それくらい・・・あの頃と違って大河様の心は広いから」
これまた、おどけた調子で竜児に言い返す大河。
「あ、でも罰ゲームね」
急に思い付いたのか大河が言い出す。
「何のゲームだ?」
竜児に構うことなく大河は話を続ける。
「竜児、手、繋いで」
そんなことお安い御用だと大河が差し出す右手を竜児は左手で握り返した。
「しかし、珍しいよな、お前がそんなこと言い出すなんて」
「目を閉じて、竜児」
「まだ、あんのか?・・・これでいいか?」
大河に言われるまま目を閉じる竜児。
「そうね、それでいいわ」
目を閉じた竜児を前に大河は続ける。
「・・・今から、魔法を掛けるから、時間がさかのぼる魔法・・・竜児、笑わない」
竜児の口元が緩むのをめざとく見つけた大河が注意する。
「お、おう、わりい」
「いい、私がこれから10、数えるから・・・数え終えたら・・・目を開けて・・・いい?」
竜児は無言で頷いた。
「ひとつ・・・ふたつ・・・みっつ・・・1年くらい戻ったかな・・・四つ・・・五つ・・・六つ・・・2年くらい戻った・・・七つ、八つ、九つ・・・十・・・今は高3の冬・・・」
目を開ける竜児。
大河の言う罰ゲームの意味が分かり、竜児は胸が少し熱くなった。
ならば、徹頭徹尾、乗ってやろうと瞬時に決め、行動に移す。



「わりい・・・ホームルームが長引いちまって」
急いで駆けて来たと言う演技を交え、膝に手を沿え前屈みになり、息を切らせて竜児は言う。
一瞬、え?と言う顔をした大河だがすぐに表情を改め、いつもの調子で言い返す。
「遅い、竜児。待ちくたびれた」
「しょうがねえだろ、センター試験まで後、わずかなんだ。担任が気合、入りまくりで・・・」
「そっか・・・国立・・・理系、選抜クラスだもんね」
少しつっかえながら大河は言う。
「ふ、そういう大河のとこは大丈夫なのかよ?私大文系クラスは?」
「へ、平気・・・まだ試験まで時間あるし・・・」
そう言いながら大河は『ああ』と内心、思った。
竜児とは違うクラスなんだ・・・大橋高校3年生の私は・・・。
「竜児なら、きっと大丈夫・・・志望校、受かるよ」
現に受かってるし・・・と大河は続く台詞を飲み込む。
「大河も・・・だな・・・この間の模擬試験、A判定だったろ」
「う、うん・・・そうだけど」
「ホント、頑張ったよな、大河」
アドリブでやっているお芝居なのにと、大河は胸の内が熱くなるのを抑えられなかった。
本当にあの受験を前にした不安定な時に竜児から励まされているような気分になってしまったのだ。
決して、史実では味わうことの出来なかった思いを追体験する大河は気持ちだけが高3になっていた。

「この間の文化祭・・・楽しかったね」
「おう・・・2年連続、ミス大橋だもんな、大河」
「そ、そうね・・・当然よ・・・何しろ、あんたの彼女なんだから」
竜児は夢想する。
もし、大河が3年生になって出場していたら・・・きっとまたあのティアラを抱くことが出来たはずだと。
その時は堂々とダンスを申し込んで、みんなの前で大河と踊ってやったさ。
「後夜祭・・・争奪戦・・・すごかったね」
2年の文化祭であったすさまじいバトルを思い浮かべながら大河は言う。
「おう・・・あれは前代未聞だったな・・・ミス大橋にダンスを申し込む権利を獲得するレース」
「竜児、頑張ったんでしょ?」
「頑張るも何も、出場者が俺しかいなかった・・・不戦勝だ」
「え?どうして?」
「当たり前だろ・・・大河はもうフリーじゃねえ・・・俺の・・・高須竜児の彼女なんだから・・・ダンスを申し込もう何て奴はいない」
「あ・・・」
大河は手を口元にあて、竜児を見る。
「・・・そうだよね・・・竜児は私が座ってる席までゆっくり歩いて来て」
大河の脳裏に浮かぶ3年生の竜児・・・ミス大橋と看板が出ている特設席へ向かって校庭を横切り、大河へ少しずつ近付く竜児。
竜児の脳裏に浮かぶ3年生の大河・・・ミス大橋と看板が出ている特設席でわずかな微笑みを浮かべ、竜児が来るのを待っている大河。
「そっと、手を取って」
「俺は大河に言った」
「覚えてる、私」
「俺と踊ってくれるか?」
「・・・喜んで・・・私、そう言ったわ」
「俺は大河の手を引いて」
「一緒に踊ってくれた・・・竜児」
シンクロするふたりの想い。
バーチャルな世界だったけど、大河と竜児は確かにダンスを踊っていた。



「ところで、なんでこんなとこで待ち合わせなんだ?」
明らかに下校の待ち合わせ場所にしては不自然なところ。
変化球を投げる竜児に大河は少し返答に詰まる。
「そ、それは・・・そ・・・そう、みのりん・・・みのりんに」
とっさに大河が口にした親友の名前。
「ああ、櫛枝か・・・あいつ、さっさと体育大への推薦、決めちまってノンキそうだよな・・・引退したソフト部へ戻って練習してるなんて」
竜児は大河に上手く話を合わせ、会話を続ける。
「だから、その練習を見に行こうって」
それが待ち合わせの理由だと大河はこじつける。
実際、校庭の方からは人のざわめきが聞こえて来て、どこかの部が練習している雰囲気だった。
「じゃ、行って見るか」
竜児はすたすたと歩き始める。
これには大河の方が慌てた。
急いで竜児の後を追い掛け、校庭の見える場所へ出る。
そのバックネット越しに見える校庭でソフト部のユニフォームを身に纏った少女達が一列になってランニングをしていた。
列の先頭で掛け声を上げるショートと言うには伸び過ぎた髪の少女。
・・・おおはし〜ふぁいお〜ふぁいお〜
バックネットの裏に並んで立つ私服姿の竜児と大河に訝しげな視線を向け、ふたりの前を走り抜けていく。
その瞬間、確かにふたりは櫛枝実乃梨の声を聞いた。
・・・お、たいが〜、やっほー・・・あれ、高須君も・・・相変わらず仲良しで・・・ババは少し妬けるでえ〜






校庭の遠くへ走り去るユニフォームの列。
竜児の袖を引っ張り、大河はその場を離れる意思表示をする。
「行こ、竜児」
「お、おう」
まっすぐ正門を目指して歩く大河。
竜児はその後を追い掛けながら、大河に話し掛ける。
「そうだ、今日の晩ご飯、何がいい?・・・学校帰りに買い物寄るだろ?」
「100グラム、88円の牛肉で焼肉・・・」
「・・・妙に具体的だ・・・な・・・」
言い差して竜児は気が付いた。
それはこれから行く予定のスーパーの夕市で売られるはずの特売牛肉。
竜児が狙っている商品でもあった。
「魔法はもうお終い・・・遅くなっちゃったけど、まだ間に合う?」
大河は「ごっこ」の終了を告げた。
「もういいのかよ?」
「うん・・・いくら想像しても・・・それは本物じゃないから・・・」
少しだけ寂しげな大河の横顔。
竜児はそれを見て、堪らなくなる。
もしかしたら、共有出来た時間・・・それはもうどれだけ望んでも取り戻せない。
「大河」
「何?竜児」
竜児を見上げる大河。
「うまく言えねえけどよ・・・思い出は大切かもしれねえ・・・だけど、そんなもの、年を取ってから考えればいい・・・これからたくさん、俺とお前の思い出を刻むんだ・・・この学校で、お前と過ごせなかった時間は正直・・・辛く感じた」
「・・・竜児」
「女々しいかもしれねえけどな・・・どれだけ、大河が側に居てくれたらって何度も思った」
少しだけ表情に辛さをにじませ、大河は竜児の次の言葉を待った。
「でもさ、どんだけ長くても夜は朝になるはずだし・・・冬の次は絶対に春が来る・・・大河は帰って来るってそれだけを信じて待ってた」
「じゃあ、今は春なの?」
「ああ、本当の春はまだ先だけどな・・・今は大河が居てくれる・・・それだけでも十分、俺には暖かいぜ。・・・だからさ、今、この瞬間を大事にしたいんだ」
「・・・竜児」
目尻が少し下がった大河は笑いを堪える様な顔をして、竜児を上目遣いに見た。
「何だよ?」
「・・・クサすぎ・・・・・・でも、嬉しい」
そう言った大河は柔和な笑顔を浮かべ、それから密着させるみたいに竜児へ体を寄せた。
「・・・大河?」
「へへ・・・こうすればもっと暖かいよ」
笑顔でもぞもぞと大河は竜児に擦り寄る。
「そうだな」
竜児は寄り添う大河に腕をまわしてより強い一体感を求めた。
「・・・暖かい、竜児」
夕暮れ迫る校舎脇に伸びる長い影はそれからしばらくの間、ひとつに重なったまま動かなかった。








「牛が豚に化けた」
「仕方ねえだろ・・・タイムサービスが売り切れちまったんだから」
エコバッグ片手に家路を戻る竜児と大河。

あれから急いでスーパーに駆けつけたものの、無情にも売り場には完売の2文字が並んでいた。
止む終えず、お買い得品とPOPの付いた豚肉で妥協することになったのだが、大河はやや不満そう。
「久しぶりにおいしいお肉がいっぱい食べられると思ったのに」
「寮の食事にだって出るだろ?肉」
「出るには出るんだけど・・・鳥とかが多くて・・・それに量も少ないし」
はっきり言って足らないと大河は苦情を申し立てる。
「信じられる?こお〜んな小さなお茶碗、一杯でごちそうさまなんて」
両手の指先を使って小さな円を描き、同じ寮の同居者たちの食事ぶりを大河は皮肉る。
「ま、人、それぞれだからな」
それが普通で大河が平均を超えて大食らいなんだとはあえて言わず、竜児は大河をなだめる。
「で、どうする?しょうが焼きにでもするか?」
「ん・・・それもいいけど」
大河は少し考え込み、違う提案をして来た。
「カレーがいい・・・ポークカレー・・・うんと甘いの・・・これだったらいっぱい食べられる」
「よし、カレーだな。野菜はどうする?」
「たくさん入れて」
「おう、任せとけ」
竜児は買い物カゴにカレー材料となる野菜を次々に放り込んでいった。


高須家に灯る明かり。
台所のガスレンジに置かれた湯気を上げる鍋から食欲を刺激する良い匂いが漂い始める。
「もう、そろそろ?」
鍋の前でまだかまだかと待ち構える大河の姿。
「あと、もう少しだ・・・本当は出来た後に少し置くといい味になるんだがな」
「もういいよ・・・早く、早く・・・」
お腹を空かせ切った子供みたいに大河は竜児をせかす。
「わかった・・・ちょっと待て」
竜児はお玉を取り出すと、鍋に差し入れ、少量を小鉢によそり味を確かめる。
「あ〜、ずるい、竜児ばっかり」
すぐ食べるんだからいいだろと言う竜児の意見に耳も貸さず、大河は私もすると味見を要求した。
「しょうがねえな・・・ほら」
竜児は自分が使った小鉢を大河へ渡し、カレーを少量、たらしてやる。
大河は軽くふうと息を吹きかけるとカレーを口に含み、味わうように飲み下した。
「ん・・・合格」
味見の後で偉そうに審査する大河。
「当たり前だ・・・時間が無くても俺は手抜きはしねえ」
急ぐならカレールーを使うところだが、竜児はそれをしなかった。
中途半端に妥協はしたくなかったし、それに何より大河には少しでもおいしい物を食べさせてやりたかったと言うのが竜児の本音だった。




「それよりか・・・もう少し包丁の使い方、練習しろよ」
流しの片隅に置かれた三角コーナーに入る生ごみ。
大河が剥いたジャガイモの厚い皮が横たわっている。
皮を剥いたと言うより、身をこそげ落としたと言った方が正解に限りなく近いシロモノ。
「・・・ジャガイモはでこぼこがあって剥き難いの」
「ほお・・・じゃあ、でこぼこがなければきれいに剥けるんだな?」
「あ、当たり前よ」
つまらない意地を張ると墓穴を掘ると言うけれど、大河がまさにこの状態。
じゃあ、剥いてみろと竜児が大河へ渡したのは真っ赤なりんごだった。
「デザート用に買ったんだが・・・ちょうどいい、剥いて貰おうか」
ほらと竜児に手渡されたりんごを見つめ、大河はあうあうといった感じで右往左往する。
やがて、ままよと決心したのかおもむろに包丁を掴み、りんごに刃先を向け、おぼつかない指先で皮を剥き始める。
最初こそ薄かった皮は段々とその厚みを増し、下へ行くに従って削り落とされる身が増える。
最後に剥き残した皮が点々と残るまだら模様の下半身スリムなりんごが出来上がった。
剥き終わったりんごを皿の上に置き、大河は身を縮めた。
「・・・大河はさ・・・刃先を立て過ぎるんだ」
てっきり、竜児のお小言が出ると思っていた大河は穏やかな声に竜児を見上げた。
竜児はまだ皮の剥けていないりんごを手にすると軽やかに包丁を当て、滑る様にりんごの皮を剥いて見せた。
「わ〜」
竜児、上手と大河は小さな歓声を上げる。
「・・・ほら、見てないでやってみろ」
竜児は大河へ包丁とりんごを渡す。
「・・・うん」
自信無さそうに受け取ると、大河はゆっくり皮を剥き始める。
そんな大河の背後から竜児は手を差し伸べ、小さな大河の手を包むようにしてアシストする。
「・・・竜児」
首だけ振り向いて竜児を見上げる大河。
「いいから・・・集中しろ」
「うん」
りんごの皮剥きを再開する大河。
竜児は大河の右手を軽く押さえ、左手でりんごを廻すように大河の指先を操った。
二人羽織のまま進むりんごの皮剥き。
薄く剥け始めるりんごの皮に大河は嬉しそう。
「見て、見て、竜児・・・こんなに薄い」
「ああ、ちゃんと使えばきれいに剥けるんだ」
「・・・うん。もうちょっと練習する・・・使い方」
「急に上手くなれって言っても無理だから、少しずつやれよ」
「分かった、竜児」
竜児としては大河が包丁を使ってあれこれやってくれるようになっただけでも大いなる進歩だと思っている。
それに加えて向上心を持って取り組もうとしている点も評価してやりたかった。
昔の大河ならりんごの皮が剥けなくて何が悪いとうそぶいただろうにと竜児はしみじみ感じてしまう。
りんごをきれいに剥き切ってしまい、竜児が手を放そうとすると大河は「ふっ」と鼻を鳴らす。
「何だよ?」
「・・・もうちょっとだけ・・・このままでいて」
「あ、ああ?」
生返事を仕掛けて竜児は今の状態に気が付く。
大河への包丁レッスンに気を取られていたが、ポジショニングはどう見ても背後から大河を抱き締めているとしか見えなかった。
大河は後頭部を竜児の胸に預け、心地良さそうに目を細める。
包丁とりんごをそっと台の上に置き、竜児は大河の手を取ったまま、大河を受け止めていた。




「ただいま〜・・・わ、いい匂い」
「おう、お帰り」
「あ、やっちゃん。お帰り〜」
台所から居間へ鍋を運んでいた竜児と食器を並べていた大河が同時に返事をする。
玄関を開けて泰子は家中に漂うおいしそうな匂いに鼻を動かす。
「大河ちゃん、来てたんだあ」
そして大河を認めると嬉しさをいっぱいに表す泰子。
「やっちゃん」
「大河ちゃん」
玄関先で両手を抱えるようにする泰子を目掛けて大河が抱き付いた。
「会いたかったよ〜」
「私も、やっちゃん」
それはまるで生き別れた親子が感動の再会をするかのよう。
「・・・毎週、毎週、よく飽きねえな」
竜児はそれを見て冷ややかだ。
なにせ毎週ふたりはこれをやっているのでいい加減、うんざりもしてくると言うもの。
「ふん、竜ちゃんにはわかんないのよ・・・ねえ、大河ちゃん」
「ねえ、やっちゃん」
そう言ってうなづき合うふたり。
お互い、分かっててふざけあっているのだ。
まあ、害は無いと知りつつも、三文芝居の観客としてはいい加減、演目を変えて欲しいと言わざるを得ない。
「泰子もいい加減にしろよ・・・早く、手を洗って、うがいしろ・・・風邪が流行ってるんだから」
「ふわ〜い」
そう返事をしながら洗面所へ向かう泰子を見送り、竜児は食卓の上を整えていった。


三人でする食事。
たったひとり大河が加わるだけで、こうも雰囲気が変わるのかと竜児は思う。
泰子とふたりだけでの食事でもそれなりに会話はあり、賑やかなのだが、大河が居るだけで食卓の華やかさが全く違う。
そのせいか、泰子も竜児もいつも以上に食が進み、炊飯器が空になる。
とにかく大河は良く食べ、良くしゃべった。
その大河はと言えば満腹になったお腹をさすりながら、満足そうに横になっている。
以前の竜児なら、注意するところだが、もう竜児は何も言わない。
呆れて、あきらめた訳ではなく、なぜなら大河がすぐ起きることを知っているからだ。
その証拠に大河はまもなく立ち上がる。
「せーの」
掛け声と共に反動をつけ上半身を垂直にすると、食器を片付け始める大河。
「竜児」
「おう」
「とってもおいしかった」
「そっか、それは良かった」
竜児を見つめ、大河はそう言うと食器を重ねて台所へ運ぶ。
後片付けは私の仕事と大河は心得ているらしく、その動きはよどみが無い。
鼻歌交じりに台所の流しで食器を洗う大河の後姿。
その姿を横目で見ながら泰子が言い出した。




「竜ちゃん」
「何だ?」
「大河ちゃん・・・いい娘になったね」
「そうだな・・・あいつが家に来た頃は・・・食うだけ食って終わりだったもんな」
「それもあるけど・・・いじらしいじゃない・・・出来るところを頑張ろうって」
「まあな」
「絶対、放しちゃ駄目だからね」
と、ここだけ真剣な目をして竜児を見る泰子。
「ああ、そんなつもりは全くない」
「あ〜早く、大河ちゃんが竜ちゃんのお嫁さんにならないかな」
やっちゃん、それが今から楽しみと頬杖をついてニコニコ笑う。
竜児はわずかに顔を赤らめると泰子から視線を逸らす。
「・・・分かってる・・・けどよ・・・許されるなら明日にだって・・・そう言う気持ちはある」
「そうよねえ・・・竜ちゃんも大河ちゃんも学生だし・・・あ、学生結婚ってのもロマンチックじゃない?」
「それが出来るなら・・・そうしてるさ」
あきらめ口調で竜児が言う。
「新しい大河ちゃんのお父さん、けじめとか厳しそうだもんね」
「ああ」
竜児が同意する。
大河に対して過保護とか過干渉とかそんな感じは全く無いが、大河の義理の父親に当る人物は筋や理屈を重んじるタイプの人間だった。
別段、竜児と大河の交際に反対しているとか、婚約なんかは認めないとか、そう言うことは無く、竜児も何度か会ったが、竜児のことを子供扱いせず、対等の関係として接してくれた。
それだけに竜児としては自分が大河の相手として相応しいことを証明しなければ、最終的なゴーサインをもらえそうにも無かった。
でも、20歳になれば、親権者の同意など無くても籍は入れることが出来る。
竜児とてチラリとそんなことを考えなくもなかった。
だけど・・・と竜児はそこで立ち止まる。
みんなで幸せになるんだと母親の下へ帰った大河の行為が無に付す危険性がそこにはあった。
ひとりの脱落者もだすことなく、大河とウェディングマーチを聴きたいと竜児は熱望しているのだ。
バージンロードを進む花嫁を先導するのはやっぱり父親の役目だろ・・・それが居ない式なんて・・・。
竜児は考え込む。
・・・どうしたら、大河を幸せにしてやれるんだろう?
大河に聞いたら、「今でも十分、幸せ」とか言いそうだけどな、あいつ。
普通は好意があることを相手に告げて、了承されたら付き合って、付き合いが深まったらプロポーズだろ。
一番最初に、プロポーズしちまったもんな、俺。
竜児は自分がとった手順が間違っていたなどとは思っていない。
思ってはいないが、どれだけ大河を待たせてるんだろうと内心、忸怩たる思いを抱えていた。

「竜児?」
「おおおう」
いきなり竜児の目前に大河のドアップ。
竜児は思わずのけぞる。
「何、驚いてんの?」
変な竜児と大河は笑う。
竜児が物思いに耽っている内に、いつの間にか大河は洗い物を終え、台所から戻って来ていた。
「何度、呼んでも返事しないんだもん、竜児」
だから、顔を近づけたと大河は言う。
「おう、わりい」
まさか、おまえのことを考えていたからなんて言える筈も無く、竜児は適当な理由でその場を取り繕った。
「はい、竜児の分」
差し出されたガラスの器。
中にはきれいにカットされたりんごが入っていた。
「大河?」
「竜児がずっとぼうっとしてるから・・・私がやっちゃった」
切り分けるくらいなら上手でしょと大河は微笑む。
大河が洗い物を終えたら竜児が用意しようとしていたデザートのりんご。
「・・・サンキュウな、大河」
泰子の前でなかったら、竜児はそのまま大河を抱き締めてしまいそうだった。
その泰子は目の前で繰り広げられる竜児と大河の遣り取りを幸せそうな顔で眺めていた。



テレビに映し出されるドラマの内容が佳境に入って行くに従って大河の口数が少なくなる。
ドラマの前半はその内容について竜児とあれこれ話していたはずなのに・・・。
では、大河は内容がシリアスになって来たから画面に見入っているのかと言えば、そうでもない。
それを証明するように大河の視線はテレビ画面と居間に置かれた時計との間を行ったり来たりしていた。
なぜ、大河がそんなことをする理由を竜児は嫌と言うほど知っている。
どうしてかと言えば、竜児も大河と同じ様なことをしているからだ。
それは迫り来るタイムリミットへのカウントダウン。
大河が今、住んでいるのはあのマンションではない。
都内にある大学の女子寮だ・・・それも門限付きの。
大河に残された時間は後10分足らずだった。
それを過ぎると寮へ帰る時間が遅くなり、大河は門限破りとなってしまう。
「・・・大河、そろそろ」
動こうとしない大河に堪りかねたのか竜児が婉曲に催促する。
「まだ、大丈夫・・・終わりまで見てから帰る」
そう言った大河だが心がここにあらずと言った感じで、テレビ画面の内容をほとんど見ていないのは明らかだった。
単なる時間の引き延ばしに過ぎないのだが、それは出来ない相談でしかない。
「・・・大河!」
やや強い口調で竜児は大河に警告する。
大河は何ともいえないような表情を見せ、黙ってテレビをリモコンで消した。
やがてノロノロとした動きで立ち上がると、ハンガーに掛けておいたコートを手にする。
その時、ふすまが開き隣の部屋に居た泰子が顔を覗かせた。
「帰っちゃうんだ・・・大河ちゃん」
しゅんとした顔つきで泰子は残念がる。
「うん・・・また来るね、やっちゃん」
コートを片手に泰子の前に立つ大河。
「ちゃんとご飯食べて・・・風邪引かないようにしてね」
「大丈夫・・・竜児が作ってくれたはちみつ金柑があるから」
泰子の心遣いに応えて大河は明るく言う。
「じゃね、やっちゃん」
「・・・いってらっしゃい、大河ちゃん」
朗らかに言う泰子。
その言い回しのわずかな不自然さに大河は怪訝な想いに囚われる。
「だって、ここはもう大河ちゃんのお家だから」
大河の心の動きに機敏に反応して泰子は説明する。
単に大河は寮へ出かけるだけで、またここへ帰って来るんだから『バイバイ』とかじゃなくて『いってらっしゃい』が相応しいのだと・・・。
大河は嬉しさと喜びが混ざり合ったいい表情を見せると泰子に別れの挨拶を言い直した。
「・・・行って来ます」
「はい、行ってらっしゃい」
泰子に見送られて玄関へ向かう大河。
「じゃ、俺、大河を送って行くから」
コート姿になった竜児も大河を追って玄関へ向かった。

明かりの消えたマンションをチラリと見やって大河は駅へ向かって歩き出す。
追い掛ける様にして竜児は大河の横に並び、大河と一緒に歩みを合わせる。
夜の帳が落ちた路地にふたりの吐く息だけが白く流れ、すぐに消えて行く。




しばらくの間、ふたりの間に会話はなく、無言のままアスファルトに足音だけが響いていた。
横を通り過ぎる車から大河をかばう様に竜児は大河の手を引く。
その大河は何も言わず、引かれた竜児の手に自分の腕を絡ませた。
「大河?」
ちょうど腕を組んだ姿勢になり、そのまま大河は前を向いて歩き続ける。
「歩き辛い?」
「・・・いや」
「そう・・・じゃあ、このままでいい?」
「俺は別に構わねえけどよ・・・大河の方こそ、手を繋いで歩いた方が楽じゃねえのか?」
「いいの・・・この方が」
「どうしてだよ?」
竜児の疑問に大河は足を止め、組んでいた腕を放し竜児の手を握る。
手を繋いだ姿勢を作り出すと、大河は思いっきり竜児を引っ張った。
「・・・いきなり、何する・・・」
引っ張った衝撃といきなりだった為、竜児は大河と繋いだ手を放してしまった。
空白になった己の手のひらを見て竜児は大河の言いたいことが理解できた。
「そういうことかよ」
「・・・うん」
繋いだだけの手じゃ、振り解けてしまうかもしれない・・・だけど、しっかり組んでおけば絶対に離れない、そう大河は言いたかった。
「ほらよ」
竜児は大河が手を組み易いように腕を突き出した。
その竜児の腕に大河はがっちりと自分の腕を交差させ、竜児とひとつになった。

「もうすぐ冬休みだね」
大河が待ち遠しそうに言う。
「ああ、そうだな」
休みになれば、竜児も大河も一緒に居られる機会が増え、共に過ごせる時間が増える。
だからふたりともそれを心待ちにしているのだ。
「大河の予定はどうなってるんだよ?」
「私?・・・クリスマスイブまではこっちに居る」
それは暗にイブを過ぎれば実家に帰ると言うことを、大河は言っているのだった。
「イブか・・・俺の家でホームパーティでもするか?」
「やっちゃんは?」
「泰子はその日、魅羅乃ちゃんだ」
「ふ〜ん」
しばらく何かを考える様な大河の仕草。
「ねえ、竜児」
「おう」
「やっちゃんが仕事に行く前にみんなでホームパーティして・・・それから、ちょっとだけ出かけない?」
「俺は構わないけどよ・・・何処へ行くんだ?」
「クリスマスのイルミネーション・・・見てみたい、竜児とふたりだけで」
私、少しおしゃれするから、竜児もばっちり決めて、普段出来ないことをたくさんしようと大河は目を輝かせてはしゃぐ。
「だけどよ・・・おまえ、門限が・・・」
言いかけた竜児の口をノンノンと大河は指先でふさぐ。
「門限、破る気か?」
驚愕する竜児に大河はまさかと笑う。
そんなことしたら、実家に報告が行って大変なことになるじゃないと分かりきったことを大河は言う。
「それなら・・・どうやって?」
大河の説明はこうだった。
イブの日に実家に帰ると帰省届けを出せばその日はもう寮へ帰る必要が無い・・・だから門限は気にしなくていいし、実家へは25日の夜までに帰れば問題ない。
「ね、いいアイディアでしょ」
そう言って笑う大河。
竜児はその裏にある大河のメッセージを受け取った。
外泊したって構わない・・・大河はそう言ってるのだった。
「そうだな・・・そうするか」
少し迷ってから竜児はそう答えた。
竜児の了解が取れたのが嬉しいのか、大河のテンションが上る。
あれこれ、楽しいクリスマスプランを語り出し、大河はひどく楽しそうだ。
そんな大河を見ながら、竜児自身も気分が高揚していくのを感じていた。


上りがあれば下りもある。
いつまでも上り続けることは出来ない。
楽しい気分で盛り上がった気持ちも駅が近付くに従って徐々に冷えて行く。
まもなくやって来るしばしの別離。
少なくなった口数のまま、気が付けば駅の改札口が見えて来てしまった。
名残惜しそうに大河は組んでいた腕を解いた。
「・・・竜児」
「ああ」
「今日はありがと・・・また、来週だね」
「おう、楽しみに待ってる・・・今度は寝坊するなよ」
「大丈夫・・・多分」
頼り無さそうなことを言い、大河は顔を伏せる。
「・・・あのね・・・何でもない」
何か言い掛けてやめる大河。
「何だよ?言い掛けて止めんなよ」
顔を伏せたまま、大河は顔の下で指を絡ませもじもじする。
「私・・・竜児が・・・とっても・・・あ〜もうなんて言えばいいの」
上手いボキャブラリーが出て来ないのか、大河は身をよじる。
「・・・竜児が、竜児のこと・・・」
顔を上げ、竜児をじっと見つめ、何かを伝えたいのか必死な様子の大河。
言いたい言葉は分からないけど、それがネガティブな内容でないことだけは分かるし、好意の気持ちを伝えたいんだと言うのも竜児には分かった。
そんな大河の気持ちに応えてやりたくて、竜児は人目を気にしながら大河をぎゅっと抱き寄せた。
「・・・いいよ、それ以上言わなくて・・・大河の気持ち・・・分かるからさ」
それだけ早口で大河の耳元でささやくと竜児は大河を腕から解き放つ。
公共の場所でそんな振る舞いをしてしまうなんて、日頃、礼儀とかマナーにうるさい竜児にしては思い切った行動だった。
「・・・竜児」
大河は竜児をすぐ側で真下から見上げる。
目と目が合い、大河は微笑む。
ものすごく大切な物を慈しむ様なその笑顔を竜児の胸に焼き付けるようにして、大河は改札を駆け抜けた。
ホームへ昇る階段の下で振り返り、竜児に手を振る大河。
階段へ消えて行く大河を見送った竜児は大河を乗せた電車が走り去る音が完全に聞こえなくなるまでその場から動けないでいた。


竜児の前から来る通行人が竜児を見て慌てて道を譲る。
まっすぐ家に帰る気がしなくて、竜児は闇雲に歩き回っていたのだ。
ひどく難しい顔をして・・・。

大河が自分に好意を寄せてくれているのは分かり過ぎるほど分かっている竜児。
それに対して自分はこれからどうやって応えて行けばいいのかと考え込んでいるのだ。
・・・大河の幸せがいちばんだ。
・・・じゃあ、どうしたら大河を幸せに出来るんだ?
・・・側に居てやるだけでいいのか?
答えを見つけられないまま、竜児はいつしか人気の無い公園に足を踏み入れていた。

やり切れない気持ちを誤魔化すように竜児は公園の中を走り回った。
ぜいぜいと息が切れ、やがて限界を感じた竜児は近くのベンチへどっかと腰を下ろした。

・・・プロポーズはした。
・・・でも、その実行は伴っていない。
・・・では、すぐに出来るのか?
・・・答えは否だ。
・・・厳密には出来るが・・・それは望んだものじゃねえ。
・・・大河は待っているんだろうか?
・・・その実行を・・・。
・・・結婚すれば・・・ずっと一緒に居られるのか?
・・・今は無理だ。

・・・収入も無く、学費すら面倒を見てもらってるこの俺が・・・どうやって・・・。



竜児は頭を抱えた。
どうすればいいんだと、詰まった物を吐き出すように竜児は大河の名前を大声で呼んだ。
「たいが〜!!!」

その瞬間、竜児のコートのポケットで携帯が震えた。
竜児が携帯を手にするとディスプレイにメール着信の文字。
大河からの着いたよコールだった。
受信処理を終えたメールの本文が画面に映し出される。


無事、着いたよ〜 BY大河

そっけない一行だけが竜児の目に飛び込む。
大河らしいメールだなと竜児が画面を切り替えようとした時、それに気がついた。
縦方向へのスクロールバーが現れていることに。

更に下に何かあるのかと竜児は画面を下へスクロールさせる。
竜児が思ったとおり、文章が続いていた。

えっとね・・・さっき、面と向かって竜児に言うの出来なかったから・・・
・・・・・・竜児・・・愛してる・・・ずっと
気がつくかな、ここ

笑いを意味する絵文字で締め括られた大河のメール。

携帯のバックライトが消え、文章が見えなくなる。
竜児は真っ暗な携帯画面を見つめ・・・竜児は笑い出していた。
大河にしてやられた・・・そんな気分だった。

そうだよな・・・大河。
お互いの気持ちがしっかり繋がっているなら、形式なんか不要だ。
そんなもの後から付いて来る。

俺はただ、手の届くところでおまえさえを見ていればいい。
これから大河とふたりで歩いて行く道。
決して平坦な道のりばかりじゃないって思う。
だけど、繋いだ手をじゃねえ・・・組んだ手だ。
絶対に離さねえ。

そう、改めて誓う竜児。

BON  VOYAGE  今から始まるふたりだけの物語〜♪
出会ったあの日から これからも・・・・・・♪

その時、風に乗ってどこからか聴こえて来たメロディが竜児の耳に届く。
それはすぐに聴こえなくなったが、竜児の胸にすっと沁み込んだ。

・・・良い旅を・・・か。
竜児はつぶやく。
見えない何かが背中を押してくれている様な気がして竜児はベンチから立ち上がる。
空を見上げた竜児。
中空高く昇った月影に大河の笑顔を浮かべ、竜児は心の中から大河へメールを返信する。

俺もだよ・・・大河・・・俺もおまえのことを・・・

                   ・・・愛してるさ。いつまでもな。







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