バタンと借家のドアを閉めるなり、竜児は大河に声を掛けた。
「大河」
「何よ?」
「ぼさぼさだぞ・・・髪」
「え?やだ」
竜児にそう指摘され、両手で頭を隠す様にする大河。
何せふたりとも季節外れの強風が吹く中、学校から歩いて帰って来たのだから仕方が無い。
風速15メートルの風に煽られまくった大河の髪はふんわりを通り越し、寝起き同然の乱れ髪になっていた。
ぼさぼさの髪なんて散々、竜児に見られているとは言うものの、それはあくまでも朝起きた時に限られる。
普段の日常で平気でいられるほど大河とて大雑把ではない。

「こっち、来いよ」
だから、竜児の俺が直してやるよという声に素直に従った。
竜児は泰子がいつも使っている鏡台の前に大河を座らせると、五本の指を使い大河の髪を梳き始める。
絶妙な力加減で竜児は大河の髪を毛先に向かって下の方から何段階に分けて手櫛を入れて行く。
それが心地良いのか大河は目を閉じ、喉を撫でられた猫みたいな表情を浮かべる。
手櫛を終えると竜児はブラシを片手に大河の髪を整え始めた。
「竜児?」
「何だよ?もうすぐ終わる」
「そうじゃない・・・ずいぶん慣れてるみたいだけど」
女でもない竜児が何で長い髪の手入れの仕方を知っているのかと大河は不思議に思ったのだった。
「ああ、たまに泰子のを手伝うことがあったからな」
「やっちゃんの?」
「おう」
最近でこそ少なくなったものの、泰子の毘沙門天国への出勤が遅刻寸前ということが何回かあり、魅羅乃ちゃんへ変身するのを竜児が手伝ったこともあるのだ。
その場合、化粧の手伝いなど竜児が出来るわけも無く、必然的に泰子の髪を整えてやることになったのだが。
「あれこれ、言われてさ・・・それで慣れてるんだよ」
「ふうん」
竜児の説明に納得する大河。
「ほとんど絡まねえな・・・大河の髪」
小気味良いくらいにブラシが髪の中を通る。
「そう?」
「ああ、トリートメントとか手入れはしっかりやってるんだな」
感心するように言う竜児。
「あんまり気にしてない」
あっさり言う大河。
「おま・・・少しは気にしろよ」
実際、大河はそんなに自分の髪にあれこれ手間を掛けた覚えが無いのだ。
もちろん女の子である以上、無関心という訳ではないが、自然体のままやって来たと言うのが偽らざるところだった。
「似てるんだよな・・・泰子と大河の髪質」
ブラシを当てながら竜児がボソッと言う。
「やっちゃんと?」
「おう」
枝毛とか痛みが目立つんだよと竜児は泰子の髪の現状を憂う。
「だから、大河もちゃんと手入れとかしておけよ・・・せっかくきれいな髪なのに・・・もったいない」
お得意の決め台詞で話を終えると竜児は手入れの終了を告げた。




「ありがと、竜児。一応、お礼は言っておくわ」
竜児の整えてくれたやり方が満更でもなかったのか、誉められたのが嬉しいのか大河は機嫌よく言う。
鏡の中の大河は片手を使って髪を首筋から肩へ向かってなびかせる。
そして、そのまま中腰になって鏡を覗き込み、指先で自分の頬をぷにっと押す。
「何やってんだよ?」
大河の行為に不審を感じた竜児が聞く。
「余分なお肉が付いてないかどうか見てるの」
「普通、腹とか足じゃねえのか?」
「うるさいわね・・・私の場合はここなの」
それはまた変わったところでと竜児は思わざるを得ないが、下手な反論はリスキーなのでやめておく。
仕方なく竜児は黙り、大河の好きにさせた。
鏡に向かい、小首をかしげながら大河はチェックに余念が無い。
背を向けて前かがみになった大河の姿勢は嫌でも長い髪をより長く竜児に見せた。
「そう言えば、大河っていつから伸ばしてるんだよ?髪」
ふと疑問を覚え、問いを発する竜児。
「小学校、入った頃よ」
さっきのご機嫌が続いてるのか大河はすんなり回答を出す。
「へえ、きっかけとかあったのか?」
竜児の合いの手に・・・。

「うん・・・うっかり間違えられたから、男の子に」
思わず、ぽろりと言ってしまう大河。
言ってしまった後で大河は鏡に向かい真顔になる。
「ねえ・・・竜児」
「おう」
「私・・・今、何か口走った?」
「ああ、何か間違えられたとか」
大河は大きく目を見開き、せっかく整えてもらった髪をくしゃくしゃにする。
「みのりんにすら話したことの無い、忌まわしい記憶を・・・」
ぶつぶつと大河はつぶやき、竜児をキッとにらみつけた。
不愉快なことを思い出したじゃない、どうしてくれると竜児を指弾する大河。
「責任、とってよね」
半オクターブ下がった大河の声。
別に俺は聞きたくないぞと言う竜児をその場に座らせ、大河が語り出すそのいわれとは・・・。



「逢坂大河・・・字だけ見たらどう思う、竜児」
「どうって・・・普通だと思うぞ、俺は」
「ふ・・・普通って言うのはばかちーみたいな名前を言うのよ」
「川嶋が・・・か?」
「名字はいいの・・・問題は名前よ」
美少女戦士みたいな名前だといつか大河が言っていた川嶋の名前・・・それは亜美。
「川嶋・・・亜美・・・でしょ。竜児はこれを字で見た時、どう思う?」
さっきと同じ問いを繰り返す大河。
「女の子らしい名前じゃねえのか」
字面を思い浮かべながら竜児がそう言うと大河は顔色を変え、竜児に噛み付く。
「そうよ!女の子らしいのよ!!どっからみてもそうじゃない!!!」
「お、落ち着け、大河」
暴れ馬を扱うかのように、どうどうと大河を制御する竜児。
「・・・それに引き換え・・・大河なんて・・・どうみたって、女の子に見えない」
シュンとしながら大河は黒歴史とも言うべき、トラウマを竜児に打ち明ける。
「何だったか忘れたけど、小学校1年生くらいの時、全校集会で校長先生から私も含めて何人かが賞状を貰う事になったの」
「すげえじゃねえかよ」
「うん、それは良かったんだけど・・・問題が起きたの。ひとりひとりが校長先生に名前を呼ばれて前に出ることになって・・・」
大河はここで声色を少し変えて、その時の再現を始める。
「櫛枝実乃梨ちゃん・・・高須竜児くん・・・川嶋亜美ちゃん・・・逢坂大河・・・くん・・・」
泣き笑いのような顔をして大河は自分の名前を呼んだ・・・くん付けで。
これで分かるでしょと大河は目で訴える。
「・・・何て言ってやればいいのか」
竜児は大河へ掛けるべき言葉をとっさに見つけられない。
校長先生も「逢坂大河」と言う名前の持ち主が女の子だとは気が付かなかったんだろうな・・・無理もないと竜児は思う。
「それだけで終わらないのよ」
どよーんと沈みながら大河は話を続ける。
「ショートに近かった髪型・・・スカート、穿いてた・・・その時の私・・・・・・で、聞こえたのよ・・・後ろの方で男女とか言いながら笑う声が・・・」
髪を伸ばそうと決心したのはそう言う理由からと大河は話を締め括る。

「災難だったなとしか言えねえけど・・・な」
「・・・いいのよ、もうあきらめてるから、この名前」
手乗りタイガーなんて言う呼ばれ方をされる羽目になったのもこの名前のせいと大河はうんざりしたように付け加える。
「なあ」
「何よ、竜児?」
「聞いたことあんのかよ?自分の名前の由来・・・」
「あるわ、一度だけ・・・呆れるような理由だったけど」
「どんな?」
「・・・間違えたんだって、男の子と」
大河の話した内容はこう言う事だった。




母親のお腹の中に大河が居た頃、医者は大河を男の赤ちゃんでしょうと出産前の性別診断を誤診した。
その上、大河自身もお腹で暴れる子だったから絶対、男の子だと大河の両親は思い込んだ。
そんな訳で、産まれて来る子のために男の子用の名前しか用意していなかった。
「・・・で、産まれて来れば、私は女の子で、両親とも大慌てと言うわけ」
雄々しく育って欲しいと準備された名前・・・あれこれ考えてせっかく用意したのだからとそのまま流用されることが、両親の間で合意に至るまで長い時間は必要とされなかった。
「はは、ひどい親でしょ」
乾いた笑い声と裏腹に大河の表情は湿り気を帯びる。

「そっか・・・でもな・・・俺は好きだぞ、大河」
何気ない竜児のひと言に大河はえ?と言う顔になる。
「・・・す、好きって?」
ドキっとしながら聞き返してしまう大河。
思わず、大河はくるりと竜児に背を向ける。
鏡台の鏡に映る自分の顔・・・ほんのちょっぴり赤くなっているのが分かる。

「あ・い・さ・か・た・い・が・・・大河・・・いい名前じゃねえか・・・俺はいいと思うぞ」
鏡の隅で竜児はうんうん頷きながら大河の名前を誉めちぎっていた。
好きなのは名前のことかと分かり、大河は落胆に似た心境を味わう。
なんでそんな気分になるのか理解できないまま・・・。

「ありがと・・・気を遣ってくれて」
でも、竜児にそう言われるとこの名前にも愛着が湧いて来そうだと大河は思う。

「もう一度、やってやるよ」
大河が自分でくしゃくしゃにしてしまった髪。
竜児はブラシを手に大河の背後に立つ。
「うん、お願い」
大河は自分でも驚く位、素直に返事をしていた。
竜児にブラシを当ててもらう鏡の中の大河は自然に笑みがこぼれる。
「何だよ?嬉しそうだな」
鏡を覗き込むように竜児が言う。
そう言われて大河は急に渋面を作る。
「べ、べつ、いいでしょ」
さっさとやりなさいよ・・・このグズ犬が・・・といつもの罵倒を始める大河だったが、その口元が笑っているのを隠し切れていなかった。


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