「ほら、使ったタオルよこせ」
銭湯から帰るなり、竜児は大河に洗濯するからとバスタオルを出せと求めた。
「大河の家で洗うのもここで洗うのも一緒だろ、ついでだ」
竜児にそう言われて大河はお風呂セット一式が詰まったバッグからくちゃくちゃに丸まったバスタオルを竜児へ手渡す。
「おま・・・いや、いい」
「何よ?文句でもあるの」
使い終わったタオルといえどもきちんと折り畳むのが礼儀だと竜児は言いたかったのだが、悪びれた様子の無い大河に後の言葉が出て来ない。
そのまま洗濯機へ入れてしまおうとベランダへ向かっていた竜児を見送った大河だが急にあることを思い出し、大急ぎで竜児を追い駆けた。
「やっぱ、自分で洗う」
返してと大河は竜児の部屋で自分のバスタオルを取り戻そうとする。
「何だよ、遠慮するなよ」
竜児は取り合わない。
「返しなさいよ、自分で洗うから」
執拗に返却を求める大河は実力行使に出た。
力任せに引っ張る大河に竜児は慌てる。
「大河、やめろ」
バスタオルで綱引き状態の竜児と大河。
「洗ってやるって言ってるだろ」
どうせ家に持って返っても結局、大河の家にある洗濯機で洗うのは俺なんだから同じことだろと竜児は主張する。
「違う、自分で洗う!」
駄々っ子みたいに大声で大河も言い返す。
前にも増してバスタオルを強く引っ張る大河に負けじと竜児も力を入れていたのだが、上質な生地を使ったタオルが痛むのを恐れて不意に力を抜いた。
そのおかげで「わっ」と声を上げ、反動で背中からすてんと転ぶ大河。
「わ、わりい」
もろに大河を転ばせたことに罪悪感を感じた竜児は大丈夫かと大河に声を掛けようとして、銅像のようにその場に固まった。

「もう!竜児!!」
何てことすんのよと起き上がりざまに、竜児を「この駄目犬」呼ばわりしようとした大河も瞬間冷凍された大間のマグロみたいに竜児の前でカチカチになる。
一畳分の畳を挟んでお見合い状態で向かい合う竜児と大河。
そしてふたりの間に落ちている二つの白色もまばゆい物体。
レースの飾りがある小さなお椀が2個付いているのがひとつと赤い刺繍のような飾りが付いた小さな布を張り合せてような木綿製品がひとつ。
しわの寄り具合が明らかに使用後を示していた。

「み、見んなあ!」
金縛りが先に解けた大河はそう叫ぶと己がついさっきまで身に付けていた物の上に覆いかぶさった。
「わりい・・・」
申し訳なさと言うカクテルでいっぱいに満たされたグラスを片手に竜児は大河に背中を向ける。
思わぬものを見てしまい、驚いて固まってしまった竜児だが、目の前の大河の有様に二度目の驚きを味合う。
「あらやだ、遺憾だわ」とか言いながら平然と拾うであろう大河を予想していた竜児にとって大河のこの反応は予想外。
竜児とて、大河の家に出入りしてあれこれやっていれば乾燥機から取り出し忘れた大河の下着に遭遇したりすることはこれまでにあった。
その時でも大河は平然としたもので、思わず乾燥機の前で固まる竜児に「このエロ犬、くんくんしたりしてないでしょうね」と言いながら竜児の前で片付けたりしていたのだ。


「はあ」
洗濯機の前でため息をつく竜児。
まさか脱いだ物をタオルと一緒に丸めているとはさすがの竜児も気がつかなかった。
だから、大河がバスタオルを必死に取り戻そうとするのを単なるいつものふざけ合いの延長だと思って気にも留めなかったのだ。
洗濯済みのものならいざ知らず、ついさっきまで着ていたものなんて見られたくねえよな、普通・・・。


居間に竜児が入って来る気配を感じ取ると大河は竜児に背を向け、お風呂セットが入ったバッグの前でうつむき加減になる。
何で自分が竜児の前であんな態度を取ってしまったのか、解答の無い方程式に向き合っている気分を大河は感じていた。
平気な顔して拾えば良かったのに・・・今までならそれが出来たはず・・・。
どうして急に出来なくなったのかと大河はあれこれ考えるが答えが見つからない。
竜児と出会った頃ならあのまま、洗濯機まで持って行かせて、自分のあれを見つけた時の竜児のうろたえる様を大いにからかってやろうとか思ったはず。
それなのに・・・あんなにうろたえて取り戻すなんて・・・。
・・・私、どうしちゃったんだろう?

「悪かった・・・少し、デリカシーが足んねえよな、俺」
おずおずと謝る竜児。
大河は無言のまま、竜児を見ない。
「本当に悪かった、ごめん」
取り付く島がないというか・・・相当、あれだなと思いながら竜児が大河に頭を下げた瞬間、竜児は自分の心臓が立てるドクンと言う音を聞いた気がした。
洗いあがりで生乾きになっている大河の大雑把に2本にまとめられた髪。
そこから僅かに残るシャンプーの香りが甘い色をして上り詰めている。
そして髪のすき間から垣間見える大河の白い首筋・・・。
竜児はひとり、我知らず慌てる。
ついさっきまで一緒に居て何も感じなかった相手に異性を感じてしまったからだ。
数時間前には平気で触っていた大河の髪が、何かひどく触れ難いようなものに見えて、竜児は一歩後ろへ下がる。
女の子なんだよな・・・大河も。
当たり前すぎて当たり前じゃなかったことが竜児の目の前に突如、広がった。



「ねえ・・・竜児」
「お、おう」
相変わらず後ろを向いたままの大河にいきなり呼ばれて、竜児は声がうわずる。
「ひとつ、聞いていい?」
「な、何だよ?・・・俺で答えられることならな」
何となく身構える竜児。
「簡単なことよ・・・竜児は大きなつづらと小さなつづら・・・どっち、取る?」
「は?」
意味不明な質問に竜児は面食らう。
「だから、どっちって聞いてんのよ?」
声にやや苛立ちを含ませながら大河は答えを督促する。
そして言った後で大河は背を丸め、胸の前で両手をクロスさせ目を閉じた。
舌きりスズメかよとぶつぶつ口の中でつぶやきながら竜児は答えを口に載せる。
「大きな方・・・」
竜児がそういい掛けると大河の肩がピクリと跳ね上がり、直後にすっと落ちた。
「・・・って言いたいとこだが、あいにく俺はそんなに欲張りじゃねえ・・・選ぶなら小さい方だ」
竜児がそう言い切ると下がっていた大河の肩が上り、急に精気を得たように生き生きとしだす。
「本当に?」
「ああ、間違いねえぞ」
大河の念押しに竜児も保障を与える。
「・・・良かった」
心底、安心した様な声で大河は言うと胸の前の手を解放し、竜児へ向き直る。


「何の意味があるんだよ?」
振り向いた大河が怒ったり、落ち込んだりしていないのを確認した竜児は大河の前に座り込む。
「別に、ちょっと聞いてみたかっただけ」
あけっらかんでそれでいて嬉しそうに言う大河。
「竜児、手、貸して」
「手?」
こうか・・・と竜児はパーの形になった右手を大河の前にかざす。
「そうそう」
大河はその竜児の右手に自分の手の平を押し当て、そして何気なく空いているもう一方の手で自分の胸元を押さえた。
「えと・・・このくらいだから・・・わ・・・すっぽり隠れちゃうかも」
何をしてるんだと不思議そうに大河を見る竜児。
その大河は右手で竜児の手の大きさを測り、左手で同時に自分の胸のサイズを測っていたのだ。
「やっぱ・・・足んない」
顔に出したがっかり感を急いで引っ込た大河は決意を込めた目で竜児を見る。
猛禽類を思わせる手乗りタイガー仕様の目付きになる大河。
にらまれたと感じた竜児は身の危険を察知し、腰を浮かす。
「借りるわ、竜児」
大河の両手が竜児の右手に伸びる。
本能的に手を引っ込める竜児に大河は舌打ちすると「逃げんな」と一喝。
動きの止まった竜児の右手を掴むや、大河は自分の胸元へ引き寄せる。
もちろん、大河は竜児に触れさせようとしたわけではない。
胸元近くまで近づけて竜児のハンドパワーで己が胸の成長の糧としようとしたのだ。
まったく切羽つまった虎は何をするか分からない。



大河から逃げようと中腰状態だった竜児は右手ごと大河に引っ張られてバランスを失った。
大河も竜児の右手を力強く引き過ぎた。
このふたつが重なった時、予期せぬハプニングが起きてしまう。
竜児の手は体重にも後押しされて、止まるはずの大河の胸元、数センチ手前の最終ラインをオーバーランした。


その瞬間、高須家の居間は氷河期へ突入。


その直後、大河の悲鳴と声にならない竜児の叫び声が部屋に交錯する。
大河に激しく突き飛ばされた竜児は仰向けに倒れ、後頭部をしたたかに打ちつけたあげく白目を剥いて悶絶しかける。
己が胸元を両手で守りながらも、宇宙人語を発しあっちの世界へトリップし掛ける竜児に大河は狼狽する。
「ちょ・・・竜児、大丈夫?」
慌てて竜児へ駆け寄ろうとする大河にドジの神は優しく微笑んだ。
両足をもつれさせ、大河は見事に転んだのだ、倒れた竜児へ向かって・・・。


体重プラスの加速度を付けて竜児の胸に飛び込むことになった大河。
大きな音を立ててぶつかると、さっきの比では無いくらい広い面積で竜児と大河は胸元を中心に触れ合う。
「ごめ・・・竜児?」
ぶつけた顔面をしかめながら大河は謝る。
そして起き上がろうとした大河は自分でも意味不明な言葉を漏らしてしまった。
「ひ、ひゃああ〜」
起き上がろうとする大河を竜児はそっと腕で抱き締めていた。
普段の竜児なら絶対にしないような振る舞いだが、頭を打ったせいで剥き出しになった意識が竜児を動かす。

「り・・・竜児?」
恐る恐るといった感じで大河は竜児の顔をのぞきこむ。
竜児の意図が読めないからだ。
その竜児は目を閉じたまま、意識がもうろうとしているみたいに大河には見えた。
「ちょっと、あんた、大丈夫?・・・ねえ、竜児ってば」
ぺちぺちと利き手で大河は竜児の頬を軽く叩く。
「ん・・・んん・・・うん」
首をよじりながら竜児がうめく。
その様子に大河はほっと胸をなでおろす。
・・・良かった、大丈夫みたい。




だけど、この状態、どうしようか?
大河はそう思う。
そんなに強い力で竜児が抱き締めているわけでもないので、振り解こうと思えばそれは大河にとって簡単なことだった。
でも、あえて大河はそうしようとしなかった。
・・・少しだけ、いいかな。
そう思いながら、大河は竜児の胸板へ頬をそっと寄せた。

・・・竜児って・・・大きいんだ。
改めて思う大河。
雛が親鳥に包まれているような安心感を覚え、大河は心が安らぐ。
その一方で、止まらない胸の鼓動を持て余し、思わず深呼吸する。
鼻腔を竜児でいっぱいに満たした大河から笑みがこぼれた。

広い竜児の胸の中に身を横たえて、大河は今までに味わったことの無い甘酸っぱい感情に心が満たされて行くのを感じていた。



秒針が長針を10回くらい追い越した後。
「は〜い、お待たせ・・・ん?どうしたのふたりとも、おふろで上せたのまだ引かないの?」
コンビニの袋からペットボトルを出しながら泰子が言う。
飲み物が無いからコンビニに寄ってから帰ると、ワンテンポ遅れて戻った泰子。
ちゃぶ台の前で向かい合ったまま顔を赤くしてうつむく竜児と大河を見つけ、泰子は不思議そうにふたりを見たのだった。


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