「…大河?」
「うにゃ?」

 ぐらり、とよろめきかけた身体と心を立て直し、竜児は心の中で呪文を唱える。
(煩悩退散・煩悩退散・煩悩退散・煩悩退散・煩悩退散……よし)

「あー。えっと、大河、さん?」
「ふみゅう?」
「日本語を喋ろ―――!あーもう可愛いなコンチクショウ!」

 あっさり限界を超えかける己の理性を必死に繋ぎとめながら、竜児は自身のベッドに潜り込み、『至福』に浸りきってフニャフニャ鳴いてる婚約者を睨みつけた。
 男のベッドに潜り込んで誘っているのかこの淫乱なビッチめ!よーしそれなら望みどおりにじっくりたっぷりねっぷりどっぷり(成人指定)な(有害指定)で(検閲削除)に可愛がってくれるわ!とりあえず首輪はデフォな!
 ……と考えているわけではない。いや実のところ、越えてはいけない一線ギリギリのところで辛うじて踏みとどまってはいるのだが。
 つまるところ、買い物から帰ってきたら留守中に勝手に上がりこんだ大河が竜児のベッドで丸くなっていた。
 それはいい。いやホントはよくないが、今は脇に置く。
 問題なのは……。

「へ・へ・へ・へ・へ……りゅうじのにおい〜〜。はにゃ〜〜ん…」
「あああああああ!客観的には変態さん100%なのになんでこんな犯罪的に愛らしいんだお前はよう!」

 懐かしのカード捕獲人みたいな甘え声でハニャララホニャララな大河の蕩けっぷりに、血管キレそうな竜児です。がんばれ、竜児?

「んふ〜〜りゅうじの匂い〜〜〜」
「ああもう好きにしてくださいっていうか可愛すぎてタマラヌワ!
 というか――前から不思議だったんだが、…そんなに俺の匂いっていいのか?自分じゃとてもそうとは思えねぇんだけど」

 竜児の問いに、少し理性を取り戻した大河はんー、と考えて。

「そうね、基本的には男臭いっていうか犬臭いんだけど」
「…傷つくぞコラ。風呂にはちゃんと入ってるんだけど…臭いのかやっぱ…」
「まあ独特ってことよ。それにちょっとクセがあるくらいが逆にそそるっていうか」
「クセ?」
「例えば……竜児の匂いの49%はおしょう油の匂い」
「……なんか自分でも納得してしまった」
「あと――右手は(くんくん)カレーというかスパイスの香りがする」
「そうか?カレーは最近作ってないけど…自分じゃわからん」
「左手は(すんすん)カビキラーとか漂白剤とか…洗剤の香り、かな」
「マジで?本当ならすごいな、お前の鼻」
「そして顔は……」
「え……」

 ちゅ。

「…とりあえず、今朝の卵焼き…だね」
「…お前それ、嗅覚じゃなくて味覚だろ…」
「えへへ…で、で、ココはぁ…」
「ちょ、ちょっ!お前ナニしやがるっ!?そ、そこは!?
 いやああああああっ!?ズ、ズボン下ろすなあああああああああああああ!!?」

 …すぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ。

「……イカくさい」
「ああああああああああああああああ!!
 下ネタは控えろとあれほど!あれほどぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「スルメのスメル?」
「しかもそんなオヤジギャグまで!!?」
「てゆうか…この臭いの濃さ…もしかして独り繁殖しちゃってたわけ?このエロエロ発情犬?」

 ざわ…ざわ…


「わたしというお、お、お、お嫁ちゃん、がいながら!一人でおしべを!
 一人で!一人でそんな非生産的行為に及んで!数億の可能性を無為に!
 なんて卑劣!なんて下劣!併せてヒゲ劣!!!」
「変な日本語を造るな!!全然イミわかんねぇ!!」
「そんな…そんな…そんな無駄な(ピー)があるなら私に注ぎ込みなさいよ!?」
「女の子がそんな下品なこと言っちゃいけません――!!」
「それとも…それともまさか!竜児アンタう、うううう、うわうわうわ、うわ、き」
「それはねえ!それだけは絶対ねえ!俺の嫁は大河だけだ!俺は大河以外の女を知る必要は無いし、知りたいとも思わねぇ!
 俺の嫁はお前以外にはあり得ねえから!」
「え、え、え?えへ…。
 ってなにこっ恥ずかしいコト大声でのたまってくれちゃってるのよこのエロ犬!
 そそそそそ、そ、それにぃ…それに、その…じゃあ、なんで、一人でその…しちゃうのよ?」
「え、いや、そりゃあ…その…そういうこともあるっていうか…」
「やっぱ納得いかない!それって結局…け、けっきょく、つまり、わ、わ、わたしのからだにまんぞくしてないってこと?だ、だからひとりで…?」
「ち、ちがうって!俺はお前の全部、大好きだぞ!?お前くらいかわいくてステキな女の子はどこにもいない!」
「じゃあなんで!なんで一人で!一人繁殖しちゃうのよ!!
 そんなに欲求が不満してるなら、おもう存分私をハケグチにするがよい!」
「お前それ日本語おかしいよ!?っていうかはけ口ってなんちゅう人聞きの悪い…」
「やっぱり私が哀れ乳だから!チビで貧相でガリガリだから!
 えーそうですともフェロモン足りてないわよ色気ないわよいい歳してツルッツルよっ!
 でも最近は心もちちょっとだけもしかしたらうっすらと濃くなってきたような気がするわ!」
「だからそんなこと無いって!お前は十分に魅力的だっ!
 大体…だいたいなぁ。その…一人でその…繁殖した…素材というか…」
「おかず?」
「だから言うなよそういうこと!少しは恥らえ!
 ああもう…言うよ、白状するよ!俺は確かに昨夜、大河を!大河のこと想って興奮しちまったよ!
 で、盛って!も、盛り上がっちゃって!
 ………………が、我慢しきれなかったの!ああもうエロだよ発情犬だよ俺は!
 俺は大河をネタに妄想して下品しました!
 ご、ごめんなさい!!」
「うわ〜〜〜〜…」
「す、素で汚物を見るような目で俺を見るな!見られて当然だけど…」

 いつの間にか仁王立ちする大河の前で、正座してしまっている竜児である。
 まともに自分の顔を見れず項垂れる竜児を、表情を消した顔で大河は見つめていたが。
 ぐい、とやや乱暴な手つきで竜児の髪を鷲掴みにし、強引に顔を上げさせる。


「竜児…これは正直に、真面目に答えて欲しいんだけど」
「な、なんだ?」
「なんていうか…ちょっとわかんなくなっちゃって。
 いや、わかることはわかるのよ?その、そーゆー行為に到っちゃうのはこのアホがぁって思うんだけど、まあ、なにせこの大河様のことでエロ犬のアンタが我慢しきれず先走っちゃう気持ちはね?」
「お、おう…」

 抗弁の欲求を抑えながら、とりあえず竜児は肯く。

「私だってそうだから。今はまだ、私たち高校生だから、独り立ちできてないから、まだ一緒には暮らせないから、夜中に時々、切なくて、会いたくて、竜児の傍にいたいって、竜児を感じたいって、
 …たまらなくなること、あるの」
「…おう」
「だからなのかな。…竜児のにおい、好きなの。
 さみしい時、竜児を傍に感じたくて、写真を置いて、録音した声を聴いて…」
「…録音…アレか…」

 実はこの話、微妙に繋がってたり。

「でも、写真の竜児は何も言ってくれない。音声ファイルは、同じコトしか言ってくれない。
 優しく頭を撫でてくれる、暖かい手を感じることはできなくて。
 やっぱり、竜児が遠い。
 でも…匂いはちがう。
 匂いはちゃんと、自分の身体が竜児を感じてるから…この匂いは確かに、確かな、竜児のものだから…だから、竜児の匂いが、…好き」
「…………」
「ごめん。…ちょっと、話それちゃったね」

 髪を解放し、手と膝を畳についた四つ這いに近い体勢で、大河は竜児の顔を覗き込む。

「だからね。だから…竜児、我慢して欲しくないの。一人でそんなことしちゃうくらいなら、もっと、もっともっと私のこと、好きにしちゃってよ。
 好きにしてほしいのよ。
 私、竜児のこと、…す、すきだから。
 一緒にいないときも、さみしくないように。
 二人でいられる時には、思いっきり、竜児のこと好きにして、好きにされたい。
 竜児に好きにされて、好きになってもらいたい。
 私はそうしたい。
 なのに、なんで竜児は我慢しちゃうの?
 我慢しなくていいよ?
 我慢して、…それでそんなことになっちゃうのって、バカバカしいじゃない」
「俺は――」
「わかってる。竜児は真面目だもん。良識的であろうとするのは当然だと思う。
 つまりは、私の言ってることは、ワガママだってことも、ホントはわかってる。
 このカタブツ野郎、とは思うけど…それが竜児だし、そんな竜児が、やっぱり好きだから。
「…………」
「前置き、長くなっちゃったけど。
 これだけは教えて?
 ホントのホントは…私と同じ気持ち、あるよね?」


 竜児は、静かに大河を見返した。
 少し困ったように、笑って。
 しょうがないな、ってちょっとだけ楽しそうな目で。
 黙って、黙ったまま。
 小さく肯いた。

「うん。そうだよね。…だからどうだってわけでもないんだけど。
 一応、確認はしておきたかったから」
「おう…」
「あー、でもさー。竜児がそーゆー我慢できずにしちゃったりって、珍しい?みたいな?
 なになに、そんなにたまってたの?」
「だからお前、そういう無造作な物言いは止めてくれ。二人きりの時はまだしも、人前でその調子が出るとヒヤヒヤなんだぞ俺」
「細かい男ねぇ。でもソボクに疑問なんだけど」
「まあ…その…なんだかんだで、俺もお前と同類っていうか…」
「はあ?何ソレ?」
「いやさ、昨夜、洗面所のタオル洗濯しとこうと思って…そしたらタオルからお前の匂いが香って」
「え?」
「で、その…あ〜そーいやお前、顔洗ってこのタオルで拭いてたなーとかだな、つい、その…嗅いだりして」
「ええ?」
「そうやって…大河の匂い、ずっと嗅いでたら…その…むらむらと…」
「キモっ!うわキモ!キモい!変態!よるなこのアブノーマル!!」
「お、お前がそういうこと言うかぁぁぁ!?さっき俺のベッドでフンフン悶えてたのはどこのドナタ様だ!」
「竜児。世の中には『心に棚を作れ』という格言があってだねぇ」
「お前はいつも棚にも置かずに放りっぱなしじゃねぇか!!」
「ほんっと細かいわね。器が小さいったらないわ」
「細かくねぇよ!?ってか大事だろそれは!!」
「うるさいこの匂いフェチ!」
「だから、お前にそんなこと言えるかよぉぉぉぉぉぉ!!」

 メクソハナクソ・五十歩百歩。
 あるいは、朱に交わればなんとやら。
 つまりはいつもどおりな竜虎の二人、だったとさ。


   <了>





おまけ

実乃梨「女の子はミルクの匂いがするとかそーゆー表現、多いよね。」
亜美 「まあ…割とあるかな?」
実乃梨「ぶっちゃけ、おぱーいの匂いを表現する時
亜美 「だから!チビトラといいなんでぶっちゃけすぎなのあんたら!」
実乃梨「でもよあーみん。給食でこぼれた牛乳ふいた雑巾、あれスゴイ臭いだよね」
亜美 「まあね。…なんであそこまで悪臭に化けるかな」
実乃梨「つまりおぱーいの香りは牛乳雑巾!」
亜美 「違うでしょ!っていうか台無しだアンタ!!」




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