土砂降りの雨の中、男は歩いていた。


龍のブルース



まるで地獄から這い出た悪鬼のような顔で、男は天を睨みつけた。
別にこんな土砂降りをふらせた神様を呪い殺そうと思っているわけではない。
真冬の冷たい雨に顔をしかめただけだ。
その顔が恐ろしいのは生まれついて鋭すぎる三白眼のためだろう。…主に。
そんな顔を見て集団下校をしていた子どもたちは泣きだし、買い物帰りの主婦は傘に顔を隠す。
道行く不良たちも息をのんで道を譲る。
そんな周囲の反応も男は気にしなかった。
いつものことだからである。しかし男はサングラスをかけ鋭すぎる目を隠した。
「ガキに喚かれるのは面倒だな…」とでも思ったのかもしれない。
いや十分怖いけど。かけても。
 
雨の降るなか商店街を別に急ぐでもなく歩いてると、たったったと可愛らしい足音が聞こえ…
「ぎゃあっ!!」
「おうっ」
背中に突っ込んできた。後ろを見るが誰もいない。
不思議に思い右、左を見まわしついでに上を見上げてみるがやはり誰もいない。すると
「どこ見て歩いてんのよこのヴォケっ!!」
凄まじい声が聞こえた。下を見るとまるで人形のように華奢で小さな女が怒鳴っていた。
 雨の中傘もささずには走ってきたのかずぶ濡れの服に、水の滴る長く美しい髪。綺麗なまつ毛にも水滴が付いている。
しかしその下の目には、可愛らしい見た目とは不釣り合いな怒りが浮かんでいる。驚いた。
別にビビったのではなく自分を恐れるどころか怒りをあらわにするものがいたことに。男は、ふと懐かしさを感じた。
…それにしてもいったい何なのだろうこいつは。見たところ小学生のように見えるし周りに親が付いている雰囲気もない。
仕方ねぇな…自分のガキの面倒もみれねぇのか。
「おい、天気も悪いし寒い。暗くなる前に小学生のガキはかえってアニメでも見てろ」
「な、なん…だとおおおおっ!?」
そのチビはどこからともなく木刀を取り出しいきなり振り回してくる。…どこの殺苦挫だおまえは。
「ひ、人にぶつかっといてしかもこのスレンダー美人に向って小学生!?あんたみたいなやつはモ、モル、モグル送りにしてやるわっ」
人にぶつかってきたのはお前だし、スレンダーというより平坦なだけだしついでにモルグだろ。
そこまで言えたら全部言えよ。
と思いながら木刀を避けていてが一向に収まる気配がない。
むしろ当たらないことに腹を立ててヒートアップしている感さえある。
そんな二人を見て通行人が喧嘩か!?と恐れるような表情をする。
とうとう壁際に追い詰められサングラスが木刀にはじかれ飛んでいった時、
「仕方ねぇな、このクソガキが」
「なっ!?」
振り下ろされた木刀を片手で受け止め、それを膝でへし折りついでに川に放り投げた。
そして、眉間に力を入れ最大出力の眼光で睨みつけた。
チビはしばらく茫然としていたが、俺の眼光に危険を感じたのか悔しそうにこちらを睨みながら逃げて行った。
「ばかばかばああああああああああかっしねっ」
と捨て台詞を残して。泣きださなかっただけでも大したもんだ。並のヤクザじゃ相手にもならんだろう。



しばらくして自分がずぶ濡れになっているのに気が付き、住処に帰ろうと足を踏み出したとき
「…」
マフラーが落ちているのに気がついた。
さっきの奴が首に巻いていたのものだ。暴れていたときに落したのだろう。
しっかりした作りだが大切に使われているのか、擦り切れたようなそのマフラーには T・A という文字と小さなトラの刺繍がしてあった。



住処(すみか)につくと買ってきたビールをあおり、煙草に火をつけ
…なぜか持って帰ってきてしまったマフラーを見て悩んだ。
あの後放っておいてもよかったのだがどうにも気にかかり、目の前の店の店員に見かけたら渡すように頼もうと「おい」と声をかけたところ失神されてしまう始末。
仕方がないので持って帰ってきたのだ。別に明日はやることもないのでまたあそこで会うまで待とうかと一瞬思い
「…馬鹿バカしぃ。」
自分らしくもない考えに首を振る。以前ならこんな他人のことなど見向きもしなかっただろう。
人を騙し、傷つけ、壊して生きてきたのだから。年をとって弱くなったのだろう。
上尾龍杞そう思った。



夢を見た。とても懐かしい女の夢だった。子どもっぽいというより幼い感じの女で、強面の自分を恐れずに傍によってきた。

「たつきちゃん」
「ちゃんでよぶんじゃねえ」
「じゃあたっちゃん」
「…ちゃんじゃねえかよ。そしてついてくんな。」
「へへ〜一生ついてくも―ん」
…なんなんだよこいつは。
「なんでだよ」
「好きに…なっちゃったから」
驚いて後ろにいる女を振り返る。きっと凄まじい顔をしていたのだろう、通行人が腰を抜かしてへたり込んでしまった。
しかし女はこわがった風もなく言う。
「だって龍っちゃんは不良から助けてくれたでしょう?私のヒーローだよ。」
「俺は善人じゃねえ。あのクソガキどもが気に入らなかっただけだ。こんな気まぐれに惚れるようじゃお前ひどい目にあうぞ」
「わーい心配してくれるの?善人じゃないなら龍っちゃんはダークヒーローだね!」
「なんとでもいってろ…」
ぼそぼそといつもの声で男は答えた。頭は良くないし、ドジで(893でさえ)ハラハラするような危なっかしい奴。
でも近くにいてほっとするような優しさをもっていて、何より芯が強かった。いつか結婚してずっと守ってやってもいい。そんな風にも思っていた。目が覚めた後、
「俺が守られてたのかもしれないな。」
女を失ってから幾度となく思ったことをぽつりとつぶやいた。そういえば昨日のガキも相当ドジだった。
性格や言動は似ても似つかなかったが、どこかあいつと同じだとおもった。あいつの夢を見てしまうほどに。だからマフラーを放っておけなかったのかも知れない。
飯買ってパチンコにでも行くか。金はまだある。組には捨てられたが影調布はそのままだった。
このまえ長いツトメを終え出所したばかりのときに押しつけられるようにもらった手切れ金。
まともな仕事などしたことがなかったし、する気もない。金が尽きたらそこで野たれ死ぬんだろう。
――安いビール瓶の転がる汚い床 煙草の匂いがするよどんだ空気 そして流れる憂鬱な洋楽。




「ぁああああぁあああっもう!!」
 逢阪大河は焦っていた。
間近に迫ったセンター試験にではない。
前生徒会長ノートのおかげで正直言って自分も竜児も(ついでに2−Cの仲良しメンバーも)大学入試はもう何もしなくても大丈夫そうだった。
もちろん竜児は何もしないと小姑みたいにねちねち言ってくるし、万が一でも落ちて「やっと」恋人になれた竜児と離れ離れにはなりたくないので復習はやっているが、それでも他の受験生と比べれば竜児たちカップルは気ままなものだ。
そう、焦っている理由はそんなことではないのだ。またやってしまった。
(あたしって本っ当ドジ!いつもいつもいっっっつもそう!ほんとに竜児がいないとなんもできないのかしら
…自立なんて夢のまた夢…。えへへ…でも竜児はずっと傍にいてくれるって言うからなんも心配ないんだけど…へへへへへぇ♪ 
じゃねーっつーの!せっかく竜児にもらったマフラーが!せっかく!竜児に!もらった!マフラーが!大切なことなので二回言いました! 
あああなに考えてんだあたしは!おちつけ!もちつけおいどん!)
焦ったりにやけたり見ていておもろいほど取り乱してしまっている。
(そうだおちついて竜児に気づかれるまえにみつければ…)
「そういえば大河お前マフラーは…」
「べべっべえ別になくしてなんかいないから!学校に忘れてきただけだし慌てててもいないんだからねっ勘違い竹刀で米っ!!」
どっから出てきてんのよ!びっくりしちゃったじゃない!…あ、そっか竜児と一緒にテレビみてたんだっけ、と思いだす。テレビにはメカ物のアニメが映っている。
「お、おう。そうか。忘れてきただけか。 (もうすぐ新しいマフラーができるぞって言おうとしただけなんだが…)」
あまりの剣幕に慄きつつ竜児が言った。
「じゃ、じゃあ今日暇だし散歩にいてきまーーーーす!」
言うや否や大河は高須家を飛び出していき、なんなんだよと呟く竜児の声と
「げっこうちょうでおじゃる!!」
というテレビの音だけが残る。

母と新しい父、そして弟の居る家に帰るとマフラーを探しに行く準備をする。
「といってもそんなに持ってく物ないな。いったいどこで落したんだろう。多分あの商店街のあたりだと思うんだけど…あ」
思い出した。昨日の学校からの帰り道、竜児は用事があるというから一人で帰ってたら、急に雨が降ってきた。
もちろん傘の用意などしてないから走ってたら、商店街でアイツにぶつかったのだ。THE・ヤクザとの戦い、そして敗北。マフラーの紛失に動転しすぎてあんな大イベントを忘れていたのだ。
…アイツのあの眼は本物の眼だった。威嚇する眼。威圧する眼。自分の強さを知っていてそれでいて決して油断しない眼。
「きっとあそこで落したんだ。でもアイツがまたいるかもしれない…!なら」
部屋の隅のロッカー、その南京錠をはずし一本の木刀をとりだした。明らかに昨日のものとは違う禍々しい雰囲気を放つそれは、使い込んだかのように黒ずんでいた。
なにやら紅いものが付いている気がしたが気のせいだろう。
「ふふ、昨日のようにはいかない。」
といささか危ない笑みを浮かべる大河。その手にもつ木刀の柄には「洞爺湖」ときざまれている。




夕焼けの中、流れが止まりよどんで腐ってしまった水場のような陰鬱さを放ち、男はパチンコ屋に向かっていた。
本当はもっと住処の近くにあるのだが、男の意思に反して足は昨日の商店街付近のパチンコ屋へと進む。さらにご丁寧に手にはマフラーまで持って。

(会えるわけないだろう。馬鹿ばかしぃ。たとえ返せたとしてもそれがなんだというんだ。馬鹿ばかしぃ。今更こんなことをして普通に戻りたいとでも思ってるのか?このヤクザが?…馬鹿ばかしぃ。)
たくさんの「馬鹿ばかしぃ」が頭の中を回る。それでも大切にされているように見えるそれを見ると、足は勝手に昨日の場所へと向かってしまう。
住処に帰りたくなかったのかも知れない。家ではない。住処なのだ。
何もない誰もいない、生命活動を続けるためにあるだけの空間。生活することと「生きる」ことは違う。
ずっと昔、堅気ではない男に唯一説教を垂れた男が言った言葉だ。

すべて失った今、その意味がわかった気がした。あのからっぽな空間では生きることなどできやしない。
昔男が手に入れるはずだった、そしてもう手に入らない家はもっと温かく賑やかなものだったんだろう。
そんなことを考えていると昨日の場所に差し掛かった。
そこには…



あのマフラーは本当に大切なもの。竜児が恋人になってから大河にはじめてプレゼントしてくれた思い出の。
金がかからないもので済ましちまって悪いな、と竜児は言ったけどそんなの全く気にならなかった。家族として認めてもらった気がした。
母や新しい父の優しさにも気付き始めるきっかけ、母たちと住む場所を…なんていうんだろう、住処じゃなくて …家?そんな風に感じるきっかけをくれた。
それが…
「ない…ないない…ないないないいいいいいいいいいいいいっ!!」
人目も気にせず大河が叫ぶ。昨日の雨で湿ったままの地面を服の汚れも気にせず探し回ったためあちこち泥だらけ、さらに野次馬まで集まり始めた。

あのマフラーが泥だらけになってるなんて考えたくなかった。でも、泥だらけになったマフラーが捨てられてしまっているとはもっと考えたくなかった。
きっと竜児は失くしたことを怒りはしない。そんなことは分かっている。悲しむあたしにに
「泣くなって。俺がまた新しく作ってやるから」
…そんな風にいって泣きやむまで抱きしめていてくれるのだろう。でもダメなのだ。あれだけは失いたくなかった。

あたしは、いっつも竜児に守られてばかりで竜児を守ることなんてできやしない。だからこそ竜児にもらったあのマフラ−ぐらいは大切にしよう、そう思っていたのに。
悲しみ苦しみ悔しさ情けなさ。いろんなものがごちゃまぜになったような感情に襲われ大河の大きな眼に涙が溢れそうになる。どこかで「泣いてる」「かわいそ〜〜う」なんて野次馬の声が聞こえてくる。
「うるさい、うるさい、うるさい!とっとと消えろ!」
そう言って木刀を振り回す。でも探し疲れてぼろぼろの体と心では、ちっとも迫力が出ない。
野次馬は一瞬ひるんだがすぐに元のようにざわめきだす。大切なマフラーも、焦る気持ちも、ついでに周りの野次馬さえどうにもならない。
大河は不甲斐なくて本気で泣きそうだった。ひとりぼっちの迷子の様にその名を呟く。

「うっうっ 竜児ぃ」



その時。

「…失せろ」

冥界の底から響くような声がした。誰もが振り返り、そして…振り返ったことを後悔した。
そこには鬼がいた。いやそれよりも恐ろしいかもしれない。なんせそれは眼の前に実存するのだから。長身で鍛え抜かれた体躯に服からのぞく傷、そして確かな悪意をもってギラツく …眼。

「…40秒で支度(にげだ)しな!」「3秒もいらないです。はい。」誰もが頭の中でそう思った。

…3秒後、どこかさびれた色合いの古い商店街を背景に、大河と男の二人だけが残った。昨日のヤクザが眼の前にいる。大河にはなぜヤクザがそんなことをしたのかわからなかった。
あの眼は竜児の眼とは違う、僅かに白髪の交じるオールバックと真っ黒の上下の服が余計にそんなことを思わせる。
男を思いっきり睨めつけ言う
「なによ」
「さあな」
「あんたも馬鹿にしに来たの!?今日の獲物は昨日の大量生産品とは違うの!覚悟しなさいよね!?」
涙を浮かべたまま虚勢を張る。ホントは疲れきってせっかくの洞爺湖も無駄そうだった。そんなのあたしが一番わかっている。
「なんとかいいなさいよ!!」
やけくそだった。もしかしたらひどい目にあうかもしれないが、それも馬鹿な自分への罰なのだろうとそんなふうに思った。でも、

「……ほらよ。」

クザは手を差し出しただけだった。そこには綺麗なままのマフラーがあった。大河の目が見開かれ、小さな唇がどうして、なんでと呟いているように見える。ぼそぼそと男は言う。
「大切なもんならなくすな。何があっても離すな。…一回なくしたら二度とは手に入んねぇんだよ。わかったかァ?チビクソガキ」
そして少しだけ表情を緩める。自分がなくしたからこそそんな言葉が出ちまったんだろう。ヤクザが何言ってんだか、と少し自嘲する。
眼の前の少女は震える手でマフラーを受け取った。汚れてしまわないようないよう、しかし全力で抱きしめ大声をあげて泣く。涙の温かさは変わっている。
その姿を見るだけで男は (…来てよかったかもな) 少しだけ思った。
男は懐から出した煙草に火をつけ、野次馬を追っ払うために外したサングラスをかけなおすと、そのまま背を向けパチンコにもいかず住処へ帰って行った。




我が家の大食漢…もとい大食少女のために早めに夕食(今日は高須特製カレー。もちろん一人分だけ甘口だ)を作っていると、そいつは帰ってきた。
…なぜか泣きはらしたように目を真っ赤にして。思わず駆け寄る。
「た、大河!?」
竜児、とぽつりと言いい、大河はまた泣き出しそうになる。しゃくりあげ、腫れぼったい眼にまた涙がたまっていく。
一体なにがあったのかは分からない、わからないが、こんな時男が女のためにできることは一つだけだ。

「ぐす、りゅ、りゅうじぃいい…はわっ!」

頭と背中に手を回し、壊れそうなほど小さくて華奢な体を引き寄せる。そして抱きしめる。体が震えているのがわかる。抱き寄せた大河も、…ちょっと照れくさくて自分も。
大河の小さな体から心臓の鼓動が伝わる。きっと今は言葉ではダメだ。嗚咽がとまり落ち着くまでどれくらいの時間が経っただろう、大河の頭を胸にうめたまま聞いてみる。

「なにがあったんだ、大河。」
「…マフラーが…なくしちゃったマフラーがあったの。もうびづがらないどおもっでだ。」

俺を見上げ鼻をぐすぐす言わせながらそんなことをいう。さっき抱きしめたせいか顔は真っ赤だ。あ、赤い顔で涙目で上目づかいは反側だろ…。落ち着け野性!頑張れ理性!
こんな時なのに愛しさが止まらず、もう一度ぎゅっと抱きしめた。うわ、鼻水服につけんじゃねぇ!!なんて大声で言ったのは、俺も顔が赤くなったのをごまかすため。
無意識にくっついていることはよくあるけど、意識して抱きしめるのはやっぱり気恥ずかしい。付き合ってても。

それからゆっくりと今まであったことを聞いた。傘を忘れて走ったこと、喧嘩でまけたこと、マフラーが見つからず焦ったこと、
…へんなヤクザが助けてくれたこと。まあ若干誇張してあったが。大河の木刀を片手で白刃取りするなんて地球人にできるはずがない。未来から来たスーパーサイヤ人並だ。

「で、野次馬を邪気眼でぶっ殺して返してくれたの。」
腕の中で甘えながら、俺のお姫様は言った。
「どんなヤクザだよそりゃ…。そうか、でももうこれはいらないな。」
もうほとんど完成している新しいマフラーを見て言う。去年、次のはどんな色がいいと聞くと大人っぽいのがいいと大河が言ったから、色はシックなグレー。
でもまだ前のを使うようだし、俺も泰子も去年のがまだしっかりしている。使えるものをつかわなくなるなんてMOTTAINAIからな。
「うん、このマフラーがいい。それより竜児、相談があるんだけど…」
すっかり落ち着いて、口いっぱいにプリン(慰め、不機嫌時用等汎用菓子型決戦兵器)をほおばった大河が言った。とんでもないことを。

「ヤクザにお礼ってどうしたらいい?」



それから少したったある日、世間さまはクリスマスシーズンで浮かれ、
イヴに備えイルミネーションに彩られた商店街の中、この前結局行き損ねたパチンコ屋に行くため昼間っからぶらぶらしていた。

「くそ。俺は一体なにしにここまで来たンだよ。」
パチンコ屋に行きたいのならもっと近くにあるのだが、昨日結局目的を果たせず帰ったため意地でも商店街のパチ屋に行こうと思う。
いや実際にはマフラーは渡せたので用件は済んだはずなのだが、そんなことのためにここまで来たとは認めたくなかった。

俺らしくもねぇ。

真昼間から街中を闊歩する眼付のやばいヤのつく人の存在に人々は恐れ戦き、モーゼの海割のように道をあける。
飯時の混雑も無縁である。睨みを利かせるまでもない。目当ての店を見つけ入ろうとした瞬間、

「そこのヤクザ、とまれええい!」

…無視して店内に入る。きっと俺のことじゃない。近くの別の奴だろう。
店の外で「おまえじゃ!」とか「無視スンナ!」とかいう声が聞こえるがきっとそいつも店内に入ったのだろう。騒ぐガキを店の外に残したままパチンコ屋に入るなんてどんな迷惑な奴なんだ。
あ。人のこといえねぇか。ヤクザだし。

三時間ほどして飯でも買おうと店の外に出ると、とんでもなく不機嫌な顔で店のガラスに寄りかかって座っている奴がいる。
薄々気づいていたがやっぱりこの間のチビだった。手には木刀が、標準装備なのだろうか。

「おまえ三時間もまってたのかよッ…」
あきれていう。うらみがましく睨まれるがかかわる気はない。また無視することにして歩き出す。
「あっ!まちなさいよっ!」
と慌てたような声がするがもちろん無視。歩き続ける。十分ほどして後ろを見ると、なんとまだ付いてきている。俺が後ろを見たのに気付いたのか、話しかけてきやがった。

「おいヤクザ」
なんて失礼極まりない奴だ。保護者の顔が見てみたい。
「ヤクザて呼ぶんじゃねえ」
「じゃあ名前教えてよ」
「いやだ。一億円。」
「持ってるわけないでしょ!ガキか!!」

たとえもらったって教えてやるつもりはない。俺みたいな奴の名前を知って、知り合いとでも思われたらロクなことがないからだ。
それに俺には厄介事がある。いつ死んでもおかしくないし、巻き込んで死なれでもしたら気分が悪い。まあ知ったこっちゃないんだがな…
「ねぇヤクザ。」
「結局ヤクザかよ、そしてついてくんな。」
「やだ。目的果たすまで一生ついていって迷惑掛けてやる。」

…なんなんだよこいつは。

「なんでだよ」
「この前の…お礼言ってないから。」


驚いて後ろにいるチビを振り返る。

きっと凄まじい顔をしていたのだろう、通行人は腰を抜かし、自転車は倒れ、原付はスリップし、車は正面衝突し、飛行機とUFOがニアミスを起こし墜落し、赤と黄色の縞模様を着た赤アフロが揚げ物屋の太った人形をバットで破壊して走って行った。
(いや最後のは俺のせいじゃない。)しかしチビはこわがった風もなく言う。

「マフラーのお礼をするまで帰らない。」
「おっさんは悪い人なんだよ?オジョウチャーン。悪人に見返りを求められて危ないこともわからんほど馬鹿なのか。」
「ばかでもいい。」
「勝手にしろ」

ため息をついて歩き出す。やはり付いてきているようだ。どの道ここじゃ話も出来ねえ。商店街を出るか。
 ヤクザとチビの珍妙な組み合わせの二つの影法師が、街はずれの道を行く。



しばらくして着いたのは、ぼろっちい神社だった。こんなところにあるなんて知らなかったし、聞いたこともない。竜児も知らないんじゃないだろうか。
正月でもないのに巫女さんがいて、組み合わせが不審なのかジロジロこっちを見ていたけどヤクザが一万円賽銭箱に放り投げたら
「ゆっくりしていってね」
と縁側みたいな場所に通された。現金なやつだ。それにしてもひらひらやリボンのついた変な巫女装束だった。
…かわいいけど。今度駄け…竜児に作ってもらおう。
ヤクザが「あれが最近の流行りなのか?」って聞いてきたけど知らないから何もいわなかった。
ここはヤクザが子供の時悪戯をしたら逃げてくる場所だったらしい。ここに来ればなぜか誰も追ってこないから、秘密基地みたいで気にいってたんだと。

いや聞いてないし。はあ、ちっとも本題に入れない。よし、ヤクザに向き合って言う。

「この前は…ありがと」
「よしわかったじゃあな。」

いや待てよ!!これで終わったら何のために竜児が頑張ったかんないじゃないのよ!
さっさと行こうとするそいつを半ば襲うように引き止めていたら、さっきの巫女さんが奥からお茶を運んできた。
…ここに住んでんのかしら。そしてゴミにつっかかっておもっきりこぼした。あーあと思っていたらなんとヤクザが掃除し始めた。なんてシュールな絵だ。
自分のとこはどーでもいいんだがこんなとこよごされんのは我慢ならんのだと。どんなヤクザだ。
ついでに奥に入って行ってキッチン(神社にあるか?フツ―)や居間の掃除までして、さらに背を向けておぼつかない手でお茶を入れ治そうとしていた巫女さんに
「いや、もう汚すなよ…」
と後ろから手を回し急須をとり、お茶まで入れてた。

…なんかどっかで見たことある気がする。こんなお節介をしょっちゅう見ている気がする。ついでに毎日お世話になってる気がする…。
 ちなみに巫女さんは顔が真っ赤になっていたが、風邪でも引いてんのか、と手をあてていた。…にぶい。この鈍さもみたことある気がする。そういえば顔も…見たことある?

「あんたどっかであったことある?」










「あんたどっかであったことある?」

顔を真っ赤にしたガキが大丈夫だからとどっかに言った後、なぜか呆れたような目でチビがそんなことを言ってきた。
「幸せにも俺は今までの人生の中でおまえのような珍竹林なチビにはあったことがない。」
「チビってゆーな!!」
「じゃあ名前教えろよ。」
「あんたが教えないならおしえない。」
「じゃあチビだ。」
「ちびってゆううううううなああああああ!!」
やれやれ、めんどくさい奴だ。なにやら小さいことがコンプレックスのようだ。じゃあなんて言えばいいんだよ、おっさん困っちゃうぜ、だってヤクザだもんとガラにもなく悩む。
そこでマフラーにしてあった刺繍を思い出した。チビな女とは思えないほどの力と、俊敏さと、獰猛さ。
…ぴったりじゃねえか。

「じゃあ…タイガーだ。」
「…!!」

タイガーが息をのんで驚く。もしかして本名だったのだろうか。んな訳ねーか。どんな名前の女だよ。っとそんなことより。
「礼ってのはなんなんだよ、さっさとしろよ寒いだろ。」
日が傾き、暗くなるにつれて急激に冷え込んできた。今夜は雨が降るらしい。
「ふっふーん。そんなあんたにちょうどいいもんよ!」
と得意そうにチ…タイガーは言い何やらバッグをごそごそとあさり出したかと思うと、

「じゃーん!!」

と細長いものを取り出した。マフラーだった。落ち着いたなグレーに、しっかりしたつくり。こいつが巻いているのとおそろいのものだ。
「貴様にこれをやろう!」
偉そうにタイガーが言う。俺みたいな下種には勿体なすぎる、上品なマフラー。なぜかとてもまぶしく見えた。
「…高かっただろ、それ。いくらしたんだよ。」
ガキの財布に負担をかけたものなんて気が重くて使えねえ、
金を払おうと財布を出すとちょっと拗ねたような顔をして
「これは気持ちだから、お金には代えられないの。それに手造りだしね。」
そんなことを。驚いて三白眼が極限まで鋭くなる。今なら人を殺せる。視線で。
「おまえの!?…まさかな」
「なによその反応。まあ、あってるけど。」
いよいよもってそんなものもらえない。
「このH・Yッてイニシャルは何なんだ。もらえねえよ」
「HENNA YAKUZAでHY。あんたの名前がわかんないから。」
「…それでも勿体なくてもらえな」
「うるさい!」
喚くとタイガーはマフラーを両手に持って広げ、背伸びをして俺の首に(しめあげるように)巻きつけ、笑って言った。
「ふん、まあまあね。似合うじゃない。」
二十年近く前の記憶が、フラッシュバックする。



「たっちゃんにあうううううう!!さすが手作りマフラー。やっちゃん頑張った甲斐あった〜!」
「うるせえよ。」
なんだかへたくそな糸の塊が首にまかれる。これがクリスマスプレゼントだなんて…冗談だろ?冗談だと言っておくれよ、ハニー。
「初めてつくったんだよぉ〜。それにクリスマスプレゼントはもう一ついいものあ・げ・る♪」
「…」
まさかこれもう一本とか言わないだろうな…いややりかねん。こいつと付き合って、いやこいつを俺の女にしてどれくらいになるだろう。
危険日や安全日など気にしなかったからひょっとしたらひょっとするかもしれないが、まあ二人食わせるぐらいのくらいの金は入る立場にいる。
こいつはもうすぐ高校1年…2年だったか?になるらしい。正直どっちでもいいが、こいつは進路がどうとかで悩んでいるようだ。
あんまり気にしていなかった。ガキができるかもしれないことも、こいつの進路も。
このときは。


それからいくらか時がたち、俺はやらかした。組長…オヤっさんの実子を殴り飛ばしたのだ。

その頃俺らの中で後継ぎのことが問題になってた。
けんかっ早いがとりあえず下に慕われているらしい俺と、
親友(いやろくでなし仲間だから悪友だろうか)の頭がよく人も動かせる男。

そして…オヤッさんのどら息子。

こいつは息子である自分が継ぐのが当たり前だと思っているらしく、気に入らなければ素人にも節操無く手を出す馬鹿だった。
オヤッさんの子だということで年寄り連中は何も言わないし、若いのもビビって縮こまる。

誰も何も言えずにいる中、あいつは…俺のダチは言った。そりゃもうぼろくそに。オヤッさんの目の前で、今までどんな愚かなことをしでかしてきたか。
自分は継がなくてもいいから、人を操れる、慕われるようになれと。はっきりと言い切った。
オヤッさんが渋い顔をしてドラ息子をたしなめ、出て行ったあとそいつは真っ赤な顔をして殺してやると喚いた。
殺すなんて言葉日常茶飯事、いくらなんでもそこまで馬鹿じゃねえだろうと俺たちは思っていたが…甘かった。
ダチが死んだ。次の日に。家族ともども血まみれになっていたらしい。殺されたんだよ。
誰がやったかなんてわかりきってた。俺はドラ息子を殺しに行った。なん発か殴ったところで取り巻きにやられたけどな。
そのときはこれからの立場なんて考えてもいなかった。
ただ煮えたぎる思いで頭が一杯で。
俺が一睨みするだけで縮こまるような玉無しに友が殺されたということで一杯で。
―泰子のことナンザ考えてもいなかったんだ。
その日は特に何も起こらなくて、ほっとして家に帰って、泰子のことを思い出した途端真っ青になった。
その時はもう泰子の腹の中にガキがいるのはわかってた。
まだ泰子のことは誰にも言ってないが、ばれればロクな事にはならないだろう。ガキも一緒に。

俺は泰子をガキを家族を 「家」を捨てることにした。

女を買い、泰子に会いに行った。
「あ〜たっちゃん会いにきてくれたの?やっちゃんうれしぃ〜ありがとう〜あ、赤ちゃんも喜んでるよ!
その人はお友達?はじめましてぇ〜やっちゃんだよ!」

無邪気に微笑む泰子。母になってから前よりももっと優しく強く、いとおしく感じるようになってた。
いつか海の見える場所に家を建てて、休みの日にはガキとキャッチボールでもしようなんて思ってた。
自分がヤクザだということも忘れてしまうほど幸せだったが、それももう叶わない。泰子の笑顔が痛々しかった。
「さよならだ、やすこ」
見せたことが無いほど顔をゆがめ、睨みつけて言う。
「俺はこの女にする。おまえじゃない。…ガキなんて邪魔なんだよ」
「え」
じゃあな、とだけ言い、呆然とする泰子を置いて俺は逃げた。

悲痛な叫びが聞こえてきたのはずいぶん離れてからだった。俺はからっぽになった。
知ってるか?人間は空っぽになっても動き続けるんだぜ。俺みたいにな。
買った女は抱かなかった。そいつは大体のことが分かっていたらしく、どこかに隠れると言っていた。
「すまねぇな。」そういってせめてもの金を渡すと「よくあること」と笑って言った。強い奴だった。

それから数日後、俺は捕まった。ダチを殺した罪で。
もちろんみんな誰がやったかなんてわかりきっていたが頭の実子を突き出すことなんてできず、
この前の喧嘩ごと俺に押しつけて処理した。

ドラ息子のバカはオヤッさんに半殺しにされ、跡はダチの弟がついだらしい。
 
泰子のことは何もわからなかった。俺は…もう女は抱かないと決めた。



「どうしたの?」

ボーっとしていたらしい。気づくとタイガーと巫女さんが心配そうにのぞきこんでいた。

「なんでもねえよ。」

お前を見て泰子思い出したなんて言えるわけがないし、言ったところでわからない。それよりもう夜も遅い。サングラスをかけ立ち上がった。

「送っていきなさいよ。あんたの顔だったら誰も近づいてこないしね」

タイガーが言う。いつもだったら絶対無視するか脅して金でもとるが、そんな気分にならなかった。変なことを思い出したからだろう。

「おう、いいぞ。おっさんがエスコートしてやる。」
「驚いた。ヤクザもエスコートっていう言葉くらい知ってるのね。」

…東京湾に沈めたろか。またゆっくりしに来てねというガキの巫女さん(こころなしか頬が紅い、しもやけにでもなったんだろう)と別れ、タイガーと街を歩いた。
鮮やかなイルミネーションが夜の空気に広がり、幻想的な雰囲気を作り出す。

 タイガーはいろんなことを喋った。
 自分の家族がバラバラだったこと、高校までずっと楽しくない人生を送っていたこと。
 高校で友達と好きな人ができ、ラブレターを別の奴にカバンに入れたこと(笑ったら蹴られた)。
 そいつに恋の手伝いをしてもらったがホントはそいつが好きだと気付いたいこと(ビッチといったら殴られた)。
 今はそいつと付き合っていて、このマフラーはそいつが作ってくれたこと。
 几帳面なそいつもちょっとだらしない母親も底抜けに優しいということ。

 そんなことを聞いたせいか、首に巻いたマフラーからほんのり家族を感じた。俺がマフラ―をこいつの彼氏が作ったと聞いて驚いた時、タイガーは自分のことのように喜んでいた。
 深く愛しているんだな。そいつのこと。きっといい家族になれるだろう。
 そんなことを話していると大型デパートにの前にいた。…そう言えばもうすぐクリスマスだったな。

「ちょっと待ってろ」  

そう言い、店の中で十分ほど時間を使う。レジでアルバイトの少女が

「家族に粋なプレゼントですねぃ旦那。そんなに家族を泣かせたいか!おぬしも悪よのぅ〜」

と言ってきたときは声をあげて笑った。こわくないのかと聞いたら似たような人を知っていると言っていた。
案外俺のガキだったりしてな。外に出るとタイガーが

「何買ったの?教えなさいよ!」

期待のまなざしで見てきたのでエロ本だといった。蹴られた。
それからまた色々なことを話し、タイガーが家の近くまで来たと言った時、俺はさっき買った3つの箱を取り出した。
レジの子が櫛枝流ラッピングなんちゃらとかいってたそれは、きれいに包装されている。

「これが彼氏ので、こっちがそいつの母ちゃんので、…そしてこれがお前の。おっサンタからの早目のクリスマスプレゼントだ。」
「エロ本じゃないじゃない。…中まで来ないの?」

そんなことを聞いてきたがこわがるだろうから、と言って断った。気にしないでいいのにとタイガーは言う。
こいつの家族ならホントに受け入れてくれるだろう。でも、もう十分だった。




「あ、雨。」


 ぽつりと雨が降ってきた。
別れを告げタイガーが走っていく。
帰りを待っていたのか2つの影が建物の前に立っている。
プレゼントを渡したようだ。二つの影がこっちに頭を下げているのが見えた。
 雨脚がだんだんと強くなってきた。
背を向け、歩き出す。
明日から土方仕事でもしようか、そんな気分になった。まともに稼いだ仕事で食う飯は今よりちょっとはうまいだろう。
この寒いのに俺が見えなくなるまで見送るつもりらしい。
 馬鹿で暖かい家族の視線を背に受け、はやあ


「「パン」」


…冷たい空気を弾くような乾いた音がした。
ゆらり、と物陰からだれか出てくる。この世で一番見たくない顔だった。
何もこんなタイミングであらわれなくてもいいじゃねぇか、神様の馬鹿野郎。
久しぶりに見たドラ息子のクソヤローは、ヤクか何かで正気を失っているらしく目の焦点があわない。
もしかして俺が出所するのをずっと待っていたのだろうか、狂ったまま何年も。ご苦労なことだ。
「おまえのせいでおれはあぁっぁぁぁぁぁひぃっ」
何やら喚いていたが、ちらりと見ただけで逃げて行った。

 後ろからタイガーの叫ぶ声が聞こえる。
体から力が抜け、世界が傾いた。倒れる。腹から流れ出る赤、イルミネーションの黄色や緑、走ってくる三つの黒。

そのなかに懐かしい顔があった。

「やすこ。」

久しぶりに見た泰子はあの時と何も変わってなかった。
もう一人はタイガー、そうするともう一人は…

俺とそっくりの三白眼の奴は「彼氏用」のプレゼントをしっかりと持っていた。残る二人と同じように。

なんてこった。

わが子への、最初で最後のクリスマスプレゼント。

倒れた俺を抱きしめて、あの日のように優しく微笑んだ泰子が言う。

「おかえりなさい、たっちゃん。」

神様はこんな奴にもクリスマスプレゼントをくれたようだ。

家族を。



土砂降りの雨の中、男は幸せそうに眼を閉じた。





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