【バレンタイン異聞】


「高須くん。…大河は今日も休みなのかね?」
「ああ…」

 朝の登校時の、いつもの待ち合わせ場所。
 いつものように少し早く着いて、いつものように二人を待っていた実乃梨は、この数日精彩を欠く竜児に気遣わしげな視線を向けた。
 今週からずっと、大河は欠席を続けている。
 ちょっとした火傷を負ったというのがその理由。火傷といっても痕が残るようなこともない、ほんの些細なものであり大事をとって休んでもせいぜい1日2日程だろう、という説明を竜児から聞いたのは月曜日の朝。
 だが金曜日になっても大河は一向に復帰せず、それに比例するように竜児の顔も不安げな陰が濃くなっているように実乃梨には思える。

「念を押すけど、病院は出たんだよね?月曜日には」
「ああ。…でも、体調不良というか…具体的にどこが悪いってわけじゃなくて、とにかく元気が無いというか…」
「高須くん。…実はちょっと気になっていたんだけど、火傷は本当に大したことなかったんだよね?」
「ああ。…もう完治してる。というか病院に行くほどのことでもなかったんだが」
「そこなんだよ。…あの病院嫌いの大河が、大したことないのに医者にかかるってのがおかしい」
「……それは……まあ、一応、念のためってことで俺が」
「それに事が起こったのは日曜日……14日のバレンタインだよね」

 ピクリ、と。
 竜児の鋭すぎる眦が、僅かに引き攣るのを実乃梨は見逃さなかった。

「…ズバリ、火傷の原因はバレンタインのチョコ絡みでしょ?」
「…鋭いな、櫛枝」
「大河とのつきあいは君より長いんだぜ?この櫛枝を舐めてもらっちゃあ、いけねぇなぁ。
 でもそう考えれば色々と腑に落ちるね。愛しの高須くんのために張り切って手づくりチョコを贈ろうとした大河が、致命的なドジをやらかしアチャラカパーな事になっちゃってー、って流れ?」
「――うわぁ、全く以てその通り過ぎて何も言えねぇ」

 もう笑うしかない、という笑みを顔に張り付かせ、力なく竜児は視線を逸らせる。
 だが実乃梨は尚も竜児を解放しようとはしなかった。
 足を速め、自分より前に出ようとする竜児の袖を実乃梨はがっしり捕まえて。

「本題はここからだよ。……大河は繊細な子だから、せっかく高須くんに喜んでもらえるように、って頑張ったチョコをおじゃんにしちゃったら、そりゃ落ち込むだろうさ。
 問題は火傷なんかじゃない。不登校になっちゃうくらい、精神的ダメージを負ってしまったんでしょ?」
「…………まあ、そうなるかな」
「なんでそんなことになっちゃったの?」

 袖ではなく、竜児の手首を実乃梨は掴んできた。
 じわじわと――その手に力が込められていくのは、錯覚などではないだろう。

「なんでそんなことになっちゃったの、って訊いてるんだよ?」
「なんでって言われても…」
「高須くんは一体、なにをしたの?それとも…なにもしなかったのかい!?」

 抑え切れない腹立ちを言葉の端々にこぼしながら、実乃梨は竜児の顔を睨みつける。

「高須くん。私は何も大河のドジを未然に防げなかったことを怒ってるんじゃない。っていうか大河の破滅的かつ破天荒なドジ神様を相手に、それは無茶すぎる要求だってことくらい、私にも高須くんでも無理だってわかってるから」
「おう。……それは確かな事実だが、割と容赦ねぇのな…」
「起こってしまったドジは仕方が無い。やり直しはきかないんだから。
 だから大河のドジにどう対処するか、っていうのが要でしょ。…こんなことわざわざ言わなくても、高須くんはちゃんと分かってるし、分かってると思ったから、私は安心して大河を託せたんだ。
 なのに、私は高須くんを買いかぶっていたのかい?
 大河は強い子だよ。でも、傷つきやすい子なんだ、大河は。
 傷ついて、それで倒れこんでしまうんなら、それはそれでいいんだ。
 倒れこんでしまったら、周りはちゃんと気づくから。気づいて、手を差し伸べてくれるから。
 でも大河は強いから、誇り高いから、傷ついても、傷ついても、我慢して、歯を喰いしばって、膝をついたりしないから、ボロボロなのに、傷だらけなのに、誰にも気づいてもらえなくて、誰も手を差し伸べてはくれなかったんだよ」
「……櫛枝……」
「そんな大河が倒れこんで、立ち上がれないとしたら。
 ――どれだけの深い傷を、負ってしまったっていうんだい、高須くん!!」
「…………」
「目を逸らすんじゃない。私の顔を見ろ!高須竜児!!
 そんな――そんな深い傷を大河に負わせられるのは、キミしかいないんじゃないのか!?
 大河がドジこいた、その時――キミは大河をちゃんとフォローしてあげたのかい!?それとも…それとも…何か不用意に、デリカシーのない言葉で傷つけたんじゃないだろうね!!?
 誰よりも信じているキミに、裏切られることくらい大河にとって辛いことなんて無いんだから!!!」
「そんなことは絶対に無い!!」

 朝の澄んだ大気を震わせる怒鳴り声に、多くは無いが周囲の通りすがった人々が驚いて二人に視線を集中させる。
 だがその視線はすぐに竜児の鋭すぎる眼光に霧散し、皆揃って足早に遠ざかっていく。
 普段、その凶眼で畏怖されてしまう竜児だが、その眼光は見かけだけのものにすぎない。普段なら。
 だが今、長めの前髪から覗く二つの瞳には、本物の怒気に満ち溢れていた。
 それを真正面から受ける実乃梨は、内心はわからないが外見は全く平然として正対している。

「…そう。なら、ワケを聞かせてよ。ちゃんと。詳しく」
「……それは……ちょっと…」
「ちょっと?ちょっとって何が!?
 大河は私の親友だ!一番の親友なんだ!私は大河が悩んで苦しんでるんなら、何とかしてあげたいんだ!
 それともなに?私には話せないっていうの!?」
「……その気持ちは…わかるけど…」
「わかる?わかるっての?だったら教えてよ!確かに、簡単にいえるようなことならすぐに高須くんだって言ってくれる。だから今まで何も言ってくれないのは、やっぱり難しい事があるからだと思う。
 そう思うから、だから敢えて今までは尋ねなかった。
 でもね、もう私、我慢の限界!
 これ以上、ただ黙ってみているだけなんて、耐えられない!」
「………」
「大河だけじゃない!私は高須くんの方も心配なの!」

 制服の胸倉を掴まんばかりの鬼気迫る勢いで、実乃梨は顔を寄せ、詰め寄る。

「高須くんが傍にいる。大河と高須くん、二人一緒なら、大抵のことはちゃんと乗り越えていける。恐れるものなんて、何も無い。キミたちは虎と竜なんだから。
 …さっきはあんなこと言っちゃったけど、でも、私は高須くんを信じてる。
 高須くんがどれだけ大河のことを大事に思ってるか、私はちゃんと知っている。
 だから、どうしようもなく不安になってくるんだよ。
 高須くんが傍にいても、それでも大河、立ち上がれないのかって。
 そしてそんな大河に、どれだけ高須くんが心を痛めてるか、って」
「櫛枝……」

 必死に自分を見上げてる実乃梨の大きな瞳を見て、竜児は自分が勘違いしていたことに気づいた。
 実乃梨は怒っていたのではない。
 最初から…怒ってなんかいない。
 トモダチが心配で、心配で、たまらなくて、どうしようもなく不安で、怖かったのだと。
 だから、必死なのだと。

「……ごめん」
「あやまるようなことじゃないから。はは、ごめんはこっち。何時になくエキサイトしちゃって」

 今更ながらに周囲を気にして見回したりする二人である。

「…でもなぁ。そこまで真剣に心配してもらって、逆に申し訳ないっていうか。
 だってさ。すごくくだらないっていうか…それもどちらかというと、恥ずかしくて人様には言えないような類のコトでさ…」
「まあ、くだらないかどうかはこちらで判断させてもらうけど。あ、勿論、個人情報の取扱いにはくれぐれも厳重に注意するから。誓約書かこうか?」
「まあ、そのあたりは信頼してるけど。…でもさ、本当に、くだらない話なんだよ…」


  ***


 日曜日、バレンタイン当日。
 前日に言われたとおり、俺は大河の家に出向いていった。
 お母さん達は留守だから、二人っきりで――って。
 勿論、というか当然、バレンタインのチョコ絡みなんだろうなって、予想はついてたし期待もしてた。こいつのことだから、何か子供っぽいサプライズを考えてるだろうな、って。それが楽しみでもあったけど。
 だからインターホン越しにそのまま大河の部屋まで直行しろって言われて、素直にそれに従った。

「大河ー、入るぞ」

 一声かけて、ドアを開けて大河の部屋に入ると、部屋の真中で正座している大河がすぐに目に入った。
 最初の一秒は、なにしてんだ?っていう素朴な疑問。
 2秒目で、大河が正座してるのは防水シートの上だってこと。
 3秒目に、正座した大河の膝と腰を被っているのは、バスタオルってことだった。
 お前なにやってんだ、って口にするより先に、やや緊張した顔と声で、大河の方が先に話しかけてきたんだ。

「ね、ねぇ、竜児。今日はわかってると思うけど、バレンタインのチョコをね…」
「おう。…実は結構、期待してたりするけど」
「へ、へへへ…ほら、去年は…なんかすごいケミカル物質?で歯が立たないチョコになっちゃったじゃない?…ただ湯銭で溶かして固めただけなのに」
「……ただそれだけでなんでそんな謎な硬化現象起こすかなお前?まあ、結局ホットチョコにして飲んだけどな」
「うん。で、今年はそれならそれで、最初から私もそうしようかって思って」

 大河が傍らに置いてあったケトルを右手に取り上げた。
 左手は、膝を被うバスタオルを握っている。
 そして、大河は、こう言ってきたのだ。

「ね、ねねね、ねええ、ねえ竜児?
 りゅ、りゅ、りゅりゅりゅうじ、は、………………わかめ酒、って知ってる?」

 バスタオルの下に、大河は何も身につけていなかった。
 ほとんど無毛の、女の子の一番大事なところを露にして――


  ***


「なんじゃそらああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
「あのドジ…っていうかもうドジとかいうレベルじゃねぇだろ…。そんなとこにホットチョコレートなんか流し込んだらどうなるかなんて…」
「ちょちょちょちょちょ、火傷って!火傷って―――!!」
「だ、だいじょうぶ!大丈夫だっ!ギリギリ、なんとかケトル取り上げて…ほんの少しだけ、上の所にかかっただけだったから!言ったろ?痕も残らないようなって!!」
「あああああああああああ……もううううぅぅぅ…たいがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」
「な?下らないだろ?恥ずかしくって、とても人様には言えないことだろ?
 ったくあのバカ…どこであんな下品なネタを仕入れてきたんだか…」
「も〜〜〜〜!あの子ってばあの子ってばあの子ってば〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
 そこはホットチョコじゃなく冷ましたココアにしておきなさいってあれほど!あれほど注意しておいたのに!!」
「お前かっ!あんな親父ネタ大河に仕込んだのお前かよっ!!?」
「いやあ……大河がさ、『みのりん、りゅうじをのーさつ☆するにはどしたらいいのかりん?』とかメタタァな甘え声で懇願されちゃったらさあ…みのりんとしては全力で応じずにはいられなかったのですよ!!」
「そういう方向で応じるなあああああああああああぁっ!!
 お、おかげで大河は、大河はなあ……大河は……」
「???………はっ!?ちょっと、ちょっと上の方にだけ…かかっちゃったんだよね…」
「!!?」
「……元から薄かったけど……ほとんど無かったけど……でも少しだけあった…茂みが…」
「い、いうなっ!それ以上、いうなっ!!」
「もしかして…今の大河、下の方までつるっつるのピカピカはげ●君!!?」
「いうなっつったろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!?」

 天下の往来で、もはや傍目も気にせず絶叫する竜児であった。


  ***


「やっちゃん。もう大分、良くなってきたし…そろそろお店にいかないといけないんじゃない?」
「う〜〜ん…でもでも大河ちゃん、油断しちゃだめなんだからね。女の子は腰、大事にしなきゃいけないんだから」

 連日、お見舞いと看護に来てくれている未来の義母の気遣いには素直に感謝しつつ、大河はベッドにうつ伏せになった。

「じゃあ、最後に湿布だけ、張替えお願いしてもいいかな?」
「お安い御用でがんすよ♪っていうかもっともっと甘えてくれていいんだからね?」 

 上機嫌な泰子は鼻歌交じりに大河のパジャマを少しずらすと、白い背中と腰の中間に張られた湿布を取り替える。

「いや〜〜〜…それにしても竜ちゃんって、以外にマニアックな好みだったんだねぇ〜〜」
「やっちゃん…恥ずかしいから言わないで…」
「そっか〜〜…竜ちゃん、パイなパンが好きだったんだ〜〜〜〜」
「い、言わないで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「もー、普段お堅い竜ちゃんが、大河ちゃんの腰が砕けるくらいがんばっちゃうなんて……恐るべし、ツルツルピカピカ☆」
「ううううううう〜〜〜〜〜…複雑だよぅ……」

 バレンタイン・竜児のーさつ作戦。
 実は微妙に性交…もとい成功していたのは、実乃梨にも言えない秘密だったりします。


  <了>


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