「ねえ、竜児」
「何だよ?」
「会いたい、今すぐ、竜児に会いたい」
「おま、無茶言うなよ」
無茶じゃない、会いたいものは会いたいんだと地団駄を踏むように大河は言い募る。
夜通し電話をしたあの日から幾日も立っていない。
却ってそのことが大河の竜児へ対する気持ちに火を付けてしまった感さえもある。
竜児とてそんな大河の気持ちが分からないわけじゃない。
でも、現実的にそれは難しいのだ。
電車で30分とか1時間で行ける距離なら、思い悩む必要も無く、今度の日曜日に駅前でとでも約束すれば済む話だった。
関東と九州ではそうは行かない。

「どうやって行くんだよ?」
「竜児が来なくていいよ、私がそっちへ行くから」
「こっち来るって、親に黙ってか?」
「・・・・・・うん」
その辺りを竜児に言われると大河の声は小さくなる。
竜児との関係は既に両親にはオープンになっていたものの、まだ、全面的に了承されたわけではないのだ。
そんな中、竜児に会いたいからなんていう理由で大橋の町へ行くことを気持ち良く、両親に理解して貰える自信は大河には無かった。
「日帰りなら・・・バレないし・・・クラスメートと出掛けるって言えば・・・」
「こそこそするみたいで嫌だ」
「竜児は会いたくないの!」
イラ付くような大河の声に竜児も遂に大声を出す。
「会いてえに決まってるだろ!!・・・北村にバイクを借りて飛ばして行きてえくらいだ」
「竜児、免許あるの?」
「・・・ねえよ。あくまでもたとえだ」
それによと・・・竜児はリアルな現実を突きつける。
「電車賃とか・・・あるのかよ?」
「・・・無い」
言いたく無いけど仕方ないから、しぶしぶ言うみたいに大河はつぶやいた。
ひとり暮らしの頃は潤沢すぎるくらいのお金を自由に出来た大河だが、母親も義理の父親も目下、蒸発中の父親、逢坂陸郎の悪しき慣習を続けるつもりは無かった。
現在、大河は高校3年生に相応しい額を毎月、お小遣いという形で母親から貰っているのに過ぎない。
手軽に手に入っていた高価なブランド物のファンションは既に遠い存在になっていたが、大河とてやたら欲しくて買い漁っていた訳ではなかったのだ。
使い切れない金額を渡して来る父親にあてつける気持ちが心の底にあったことに大河は気が付いていた。
だから、それが手に入らなくなってもさほど飢餓感を大河は覚えずに済んだ。
むしろ、少ない金額であれこれやりくりしてコーディネートするのが楽しくすら感じられるほどだった。

・・・大河ちゃん、それすごくない?
・・・すごいって?
・・・それ、東京の有名ブランド・・・あれ?なんて言ったっけ?
・・・「・・・」じゃない?
・・・そう、それ。




転校から数ヶ月経ち、大河にも仲の良いクラスメートが幾人か出来ていた。
季節外れの転校生、ルックス十分で小柄でカワイイともなれば否応も無く、注目は高まる。
当然の事ながら、出る杭は打たれるのことわざ通り、大河に対する嫌がらせが一部クラスメートから始まった。
・・・どこの山にもボス猿って言うのは居るのよね。
その頃、竜児への電話で大河が言った台詞である。
まあ、良家の子女がやる嫌がらせで底は浅く、ほとんど大河は無視していたのだが、あることをきっかけに大河は態度を静から動へ切り替えた。

移動教室の変更があったのを大河ひとりを除け者にして連絡が行かない様した小さな陰謀。
しかし、それ自体は成功しなかった。
なぜなら、クラスの中でボス猿の行為を潔しとしないクラスメートも居て、こっそり大河に耳打ちしたのだ。
それが後日、発覚し大河に耳打ちしたクラスメートは教室内でボス猿とその取り巻きから責められた。
幾人かが責められるクラスメートを庇おうと立ち上がったが、ボス猿一派の前に跳ね返されてしまう。
勝ち誇ったボス猿が宣言した。
・・・そのチビと口を利いた人はどうなるか分かったわよね。そんな風になりたくなかったら、大人しく私の言うこと・・・
ボス猿は結局最後まで台詞を言えなかった。

席を立った大河は無造作につかつかとボス猿の机の前まで来ると、スカートがめくれるのも構わず、ダンと大きな音を立てて土足のまま片足を机の上に着いた。
・・・ずいぶん、偉そうな口を利くのね、あんた・・・何様?

猫を被っていたにせよ、押したら泣いてしまいそうな感じを外見に見せていた大河。
その豹変振りに、教室中の誰もが凍りついた。
射る様な大河の視線にボス猿はたまらず、腰を浮かせ、後へ尻餅をついた。
貫禄負け・・・その瞬間、教室中の誰もがボスの交代を認めた。

それがきっかけで大河はクラスの中に友人と言える何人かの知己を得たのだ。

そんな友人から日曜日に遊びに行こうと誘われた大河は気に止めることも無く、あのマンションから持って来たブランド物を着て出掛け、すごいねの声に取り囲まれることになった。
大河にすれば、普段着感覚、とりたてて勝負服でもないし、平気で着たまま竜児の家で寝転がっていたもの。
それが、そんなに驚くほどのことかと逆に面食らってしまった。
あ、とか、え、とか大河が上手く言葉を紡げないでいると周りは勝手に解釈を進めてしまう。
・・・いいなあ、プレゼント?これ。
・・・ああ、私も買ってもらいたいなあ。
・・・無理、無理、成績がクラスでトップにでもなんなきゃ。
・・・そこまで言う。

大河は自分の周りを飛び交う声に、自分が着ているものが一般的な高校生にあって高嶺の花の存在だと改めて気づかされた。
・・・それが、普通なんだ。
大事なこと教えて貰えたみたいで大河は嬉しくなる。
友人の輪に囲まれて歩きながら、大河は楽しい想像をする。
・・・みんなにあのマンションのクローゼット見せたら、どんな顔するだろ。
目を回すかななんて思いながら、大河の顔はひとりでにほころんでいた。




だから、竜児に交通費と言われて、大河は沈黙するしかない。
東京へ行って帰って来るのにどれだけか掛かるのか、大河は知らない訳ではないのだ。
それだけにその実現がどれだけ難しいかも即座に理解してしまう。
「この前みたいに新幹線、出世払いで乗れば・・・」
「ダメだ」
以前、福岡の家を飛び出した時に使った手段を提案した大河だが間髪いれず、竜児から否定され、大河は手の内が尽きたことを知った。
電話の向こうでシュンとしてしまった大河にやれやれと言う感じで竜児は切り出した。

「俺が行ってやるよ」
「え?」
「だからさ・・・俺がお前のところへ行ってやるって言ってんだよ」
意味が分からないのかと竜児は言葉を繰り返した。
「嘘!」
「嘘じゃねえ」
「じゃあ、冗談」
「あのなあ、俺がそんなつまらない冗談を言うか」
「・・・じゃあ」
「ああ、本気だ」
ようやく、大河にも竜児が本気で言っているんだということが伝わり、大河の胸の内で嬉しさが徐々に込み上げて来た。
それと同時に大河は心配になる。
竜児のお財布の中身が自分以上に乏しいのを知っているからだった。
確かにお札は詰まってるけど、それは竜児が自由にしていいものじゃない。
あれは高須家の生活費なんだと大河は思う。

その辺りの疑念が竜児に伝わったのか、竜児は心配するなと大河へ伝えた。
「バイトしようと思うんだ」
「だって、バイトはやっちゃんが・・・」
「ああ、うるさく言うだろな・・・でも、じいちゃんの紹介なら文句はねえだろ」
夏休みに入ったら、社会勉強も兼ねて祖父の知り合いの事務所で半月ほど働かせてもらえそうなんだと竜児は種明かしをする。
「大してもらえねえけどよ・・・往復の飛行機代にはなると思うからさ」
だから、会えるのは夏休みの後半だなと竜児は言う。
何時にするか、よく考えて置けよと言う竜児の声に大河は弾んだ声を返す。
「うん。すごく楽しみ・・・ああ、早く夏休みになんないかな」





それからの数日間は大河にとって浮き立つような毎日だった。
「ずいぶん、嬉しそうね、大河」
夕食の席で、鼻歌でも歌い出しそうな娘の様子に母親は声を掛ける。
「そ、そうかな?」
「何かいいことでもあったの?」
「ふふん・・・ちょっとね」
薄気味悪いほど上機嫌な娘を前に大河の両親は顔を見合わせる。
そんな両親の様子を気に掛ける事も無く、大河は夕食のメニューをこなしていった。

あらかた食事も終わり掛けた頃、父親が話しを切り出した。
「大河は・・・将来、どうしたい?」
「どうするって?」
父親の問いに、そんなの決まってるだろうと大河の瞳は発言者を見返す。
「もちろん、大河が心に決めた人と結ばれることについて、ボクは反対するつもりはない。その点は大河の気持ちを尊重するよ」
そう言う父親だが、責任を放棄しているわけではない。
義理とはいえ、娘となった女の子の将来を娘の言い分だけで決めるわけには行かなかった。

父親は密かに頼んだ興信所の報告書を思い出していた。
家庭環境や現在の暮らしぶりが事細かに書かれた報告書類。
それに付けられた人物のスナップ写真の中に居る娘の想い人。
それだけ見れば手放しで喜べる状態ではなかった。
・・・世間一般の常識だとこれは無いだろうというのが、父親が最初に抱いた印象だった。
しかし、その一方で他人の調査がどれだけ当てにならないかと言う事も、経営者としての経験が教えていた。

手元に置いてから、半年も経っていないが、娘の人を見る目はそんなに悪くない。
信じてやろうじゃないかと言う気持ちが父親の行動となって現れた。
直接、自分の目で確かめてみようと思い、東京へ出張した最終日、忙しい時間をやりくりして父親は大橋の町を訪れていた。
物陰からそれとなく竜児を眺めて見るだけのつもりだった父親だが、気が変り、学校帰りにエコバッグを提げた竜児に道を聞く振りをして話し掛けていた。


大橋の駅へ歩みを進める父親の顔はどこか嬉しげでとても穏やかだった。
ついさっき、父親は道を教えてくれた竜児へ謝礼を渡そうとしたのだ。
遠慮なく、受け取る様に勧める父親に竜児は受け取りを拒み続けた。
拒む理由を問うた父親に竜児は貰う謂れがないとはっきり答えていた。
父親は謝礼を渡すことで竜児の反応をテストしたとも言える。
・・・十分、合格だな、大河。
父親は歩きながらそう娘に語り掛けていた。





「竜児くんはどう思ってるんだい?」
「竜児は・・・大学へ行くって・・・それから、一緒にって」
父親の問いに大河はそう答えた。
「そうか・・・」
父親的には高校を卒業してすぐに一緒になりたいと言い出されるのが一番困ると思っていたので、この返答に内心安堵した。
「大河は反対なのか、竜児くんの考え」
「ん・・・わかんない・・・でも、竜児の夢を邪魔しちゃダメだって言うのは分かってるつもり」
座りながら大河は足の上で握ったこぶしに力を入れた。
「ホントはすぐにでも竜児のとこへ飛び込んで行きたい・・・でも、そんなのって・・・ただのおままごと」
大河は自分がまだまだだって言うことを十二分に自覚していた。
料理の腕も不十分なら、裁縫だって全然ダメ・・・たとえ竜児の服が破れても自分は繕ってあげられない。
公立高校には無かった家政関係の実習で大河は嫌と言うほど自分のその方面の能力が不足していることを思い知らされた。
そんなものがなくても、竜児は気にしないって、大河には分かっているだけにかえって辛かった。

「竜児くんの夢って言うのは?」
「専門知識を生かせる仕事に就きたいって言ってた」
大河は竜児の祖父が会計士をしていて、そういう技能が必要なことをしたいって言ってたと補足した。
「大河も応援するんだよな?」
「もちろん、決まってるじゃない」
「それじゃ、今が受験に向けて大事な時期だ」
「受験?」
「夢を叶えるにはそれなりのレベルの学校へ行かないと難しいだろう」
父親の声に大河は背中を強く叩かれた様な錯覚を覚えた。

・・・高校3年生なんだ。
・・・受験?
・・・何も考えてなかった

大橋高校で独身から再三、求められた進路調査の答えを紙飛行機にして飛ばしてしまったあの日から、そのことに関して大河の思考は止まっていた。

・・・竜児は何て書いたんだっけ?
・・・そうだ・・・就職・・・。
・・・でも、竜児は大学へ行くって。
・・・何のため?
・・・夢の実現・・・夢って?
・・・私と一緒に安心して暮らせる様になりたいって。
・・・だから、大学へ行く。
・・・今、受験勉強の大切な時期・・・。

・・・竜児は・・・

そこまで思い至って、大河は軽い吐き気さえ感じた。
自分はなんと言うことを竜児に求めたんだろうと・・・。




「それで、大河はどうする?」
「・・・え・・・」
通っている高校の系列大学へ推薦を目指すか、それとも外部を受験するかと聞かれ、混乱から抜け出せない大河の返答は不明瞭なものになる。
どっちつかずの返答を言い残し、大河は自室へ引き上げた。

そのままバタンとベッドにうつ伏せに身を投げ出して、大河は顔を枕へ埋めた。
竜児への申し訳なさで胸が一杯になる。
出来ることなら、あの電話をした日に帰りたいとさえ大河は願った。

自分がワガママを言ったせいで、竜児は夏休みにバイトをすると言う。
この大事な受験の時期に・・・。
どれだけ、勉強が遅れるのか、大河には想像がつかない。
きっと、竜児のことだから、不足分を埋めようと無理をするのに違いなかった。


しばらくの間、ベッドの上で身じろぎもしなかった大河。
その大河は不意に飛び起きると竜児へ電話を掛け始めた。


「・・・で、何時にするか決まったか?」
何時と言うのはもちろん、夏休みの竜児福岡訪問計画の日程のことだ。
とても楽しみにしていたもので、大河は既に意中の日も決めていた。
その日を口に乗せるだけで待ち望んだ物が手に入る。
大河は抗し切れない誘惑を振り切って、気持ちと裏腹な声を電波に乗せた。

・・・いいわよ、来なくて。

急に何を言い出すんだと電話口で騒ぐ竜児の声を無視して、大河は同じことを繰り返してから一方的に電話を切った。

再度、鳴り出した携帯を枕の下へ押しやり、大河はぎゅっと力任せに押さえつけた。

・・・ごめんね、竜児。
・・・私、全然、分かってなかった。


やがて、力尽きたように携帯が鳴り止むと、大河はそれがまるで竜児であるかのようにそっと頬に寄せた。





「まったく、おまえは言葉が足りねえ」
「あの時は悪かったわよ」
「急にあんなこと言われた俺の身にもなれ・・・嫌われたかと思ったぜ」
「だから・・・謝るって」
ドレス姿の大河はごめんなさいと横を向いて謝った。

「どっち見てんだよ?」
「だって、私、悪くないから」
「あのなあ・・・あの後、俺がどんなに落ち込んだか知らないだろう」
「うん、知らない」
「大河〜」
竜児の声に大河は声を出して笑った。

あの時、竜児の声を聞くのが辛くて大河は数日、音信不通にしてしまったのだ。
竜児はもうパニック状態で、本当に北村にバイクを貸せと頼みに行っていた。
福岡まで行って直接、大河に問い質すと、目を血走らせ、北村に迫った。
そんな状況を改善したのは櫛枝だった。
その場で大河へ電話を掛け、高須くんが暴走してると告げ、自分の携帯を竜児の耳に押し当てた。

その効果は絶大だった。

携帯のスピーカーから聴こえる大河の声
・・・みのりん?竜児が暴走って・・・北村くんのバイクで?・・・事故とか・・・やだ・・・竜児が死んだりしたら、私、生きていけない・・・ねえ、みのりん、どういうこと・・・ねえ、みのりん・・・




「なあ、大河」
「何よ?」
「会った方が良かったか?」
窓辺に背を向け、大河に向き直った竜児がそんなこと言う。
偉く省略した竜児の台詞だが大河にはすぐに通じた。
「会いたいって言う気持ちは強かった・・・けど」
「けど?」
「・・・あれで良かったって今は思えるの」
少し間を置いて大河は言った。
「竜児は?」
「おまえと同じさ・・・あそこで大河の顔を見たら、お前の手を掴んで何処か遠い所へ駆け出したかも知れねえ」
そんなことになったらと竜児は付け加える。
「・・・今日を完全な形で迎えられなかった」
「完全な形?」
「ああ、そうだ」
再び、窓の外へ目を遣る竜児。
陽光の下、広いテラスの端に竜児の見知った顔が現れ始めていた。
ようやく、前の組が終わり、参列者の入れ替えが始まろうとしている。


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