「お父さん」
食後の寛いだ席で改まって大河は話を切り出した。
「なんだい?大河」
いつもと違ってやや緊張した様子を見せる大河に、大事な話があるんだろうと父親は見当を付け、そのまま大河をソファへ誘った。
ソファに座ったものの大河はなかなか口を切れない。
時折、「あ」とか「え」とか言葉を発しようとして唇が動くものの、後が続かないのだ。
そんな大河を眺めながら父親は辛抱強く、大河が言い出すのを待った。

「・・・進路のことなんだけど」

たっぷり、5分も経ってからようやく大河は言いたいことの文章化に成功した。
これから父親に相談しようとしていることは認めて貰い難いことかもしれない・・・そう思うと大河の口は重くならざるを得ない。
そして、もし認めて貰えたとしたら、それはそれで大河自身を追い込んでしまうことになりかねなかったのだ。

夏休み前、仲良くなれたクラスメート達と学校帰りの寄り道。
ファーストフードで、あれこれ食べながら他愛もないおしゃべりをするだけだけど、大河はそんな時間が心地良いと感じていた。
その日もいつものように続いていた会話がファッションの話題でふと途切れた。
そんな中、誰かが言い出したこと。
・・・ねえ、進路、どうするの?
大河が通っているのは歴史ある名門校・・・学力で言えば上位に入る学校でいわゆる良家のお嬢様的な生徒が多かった。
もちろん、ごく普通の一般家庭から通ってますと言う生徒も少なからず居て、どちらかと言えば大河が仲良くなったのは後者のグループに属するクラスメート達だった。

「エスカレーター?」
疑問系で投げ掛けられた台詞。
それは無難な選択ともいえる付属の大学への推薦入学だった。
「勉強しなくもいいし、楽よね」
大河は周りの空気がそれに肯定的であることを感じ取った。
でも、雰囲気はそれに諸手を上げて賛成と言う感じではない。
「みんな、もう決めてるの?」
その声に頷く顔があちこちに見受けられた。
「ね、良かったら、みんな順番に言わない?」
クラスメートの発案で楽しい秘密を打ち明ける会の様に場は盛り上がり、ひとりづつ自分の夢と言うか進路を語り始めた。

・・・薬学部に行くの。ほら、家って薬局じゃん。だから資格を取らないと。
・・・音大、狙ってるんだ。将来はピアニスト・・・え?無理だって?・・・夢は大きい方がいいでしょ・・・多分、ピアノの先生で終わると思うけど、あはは。
・・・国立狙う、福岡か大阪・・・

てっきり、そのまま付属へ進学と言う答えが大半を占めると思っていた大河は予想外の回答に慌てた。
みんなすごい・・・それが大河にとって偽りの無い感想だった。

「大河は?」
そう聞かれて大河は慌てた。
なぜならこの瞬間まで大河は明確な答えを用意していなかったからだ。
もちろん、大河には夢がある。
それは竜児と一緒になって幸せな家庭を築くことだった。
でも、それはここで口に出来る様な話題じゃないってことくらいは大河にも分かっていた。
だけど、何も考えていないと言うのはなんだか負けを認めるみたいで大河には面白くない。
「あ、その、私は・・・つ、通訳になりたいの」
僅かに口ごもりながら、大河はそんなことを口走っていた。
以前、英会話の授業中に発音がいいですねと誉められたことを思い出し、咄嗟に頭に上らせてしまったのだ。
「え〜、大河ちゃん、すごい」
そんなこと無いよと照れの表情を浮かべながら、大河は内心、忸怩たる思いに捕らわれていた。
確かに自分は英語は好きだけど、そこまで強い思い入れがあったわけじゃない。
よくもそんな言葉が口をついて出たものだと大河は我ながら呆れる思いだった。
「じゃあ、大河も外部受験だね」
そんな声に大河は我に返る。
「外部って?」
「だって付属大学には外国語関係の学部ないよ」
「どこ受けるの、大河?」
「えっと、まだ決めてない」

ここ居るみんなは外部受験組だね・・・おし、ファイト!
と、体育系の乗りで差し出された全員の手に大河も手を差し出していた。

みんなと別れての帰り道、大河はひどく難しい顔で歩いていた。
ついさっき、勢いであんな事を口にしてしまったけど、どうやったらそんなものになれるのかさえ、大河は知らない。
もちろん、それになりたいなんていうのは夢でも何でもない。
でも、それを口にしてしまって、大河は何となく取りあえず自分が進む方向を見つけたような気がしていた。



「ねえ、竜児」
「おう」
「勉強、進んでる?」
「まあまあってとこだな・・・自分でも良くは分かんねえけど、どうやら合格圏内が見えて来そうだぜ」
「・・・良かった」
心底、安堵した様な声で大河は電話口でつぶやく。
「ホント言うとよ・・・」
「何?」
「たまに辛くなる」
「どうして?」
「家でさ・・・独学だけだろ」
「うん」
「予備校とか行ってる奴に・・・差を付けられてるんじゃねえかとか思えて来て」
「・・・竜児」
「うん」
「大丈夫・・・私が付いてる」
「そうだな・・・わりい、変に愚痴っちまって」
竜児は写真立ての大河を見つめ、目を細める。
「全然、平気・・・辛くなったらどんどん言って。この大河様が全部受け止めてあげる」
「ああ、そん時は頼むぜ」
「任せて・・・ゲホ」
「ゲホって、おまえ、何やってんだよ?」
「胸、叩いたらむせたの」
「ドジ」
「うっさい!」
そう言いながら大河の顔は笑っていた。

「竜児、国立大学って難しいの?」
「難しいって言うか、範囲が広いな」
「そうなんだ・・・」
「何だ?大河も狙うのか?」
「・・・ん、そうじゃないけど・・・レベルが高いところを目標にするのってどんな気持ちかなって」
「そうだな、雲に手を伸ばすような気がした、最初は」
竜児は目の下を指先でこすりながら、言葉を選んだ。
「でも、伸ばしてみたら無理だと思ってた雲がけっこう近いんだよな・・・で、行けると思って近付くとなかなか届かない・・・だからがんばってまた手を伸ばす努力をする」
「うん・・・何となく」
分かるかと聞かれて大河はそんな風に答えた。
「そうしたら小さかった雲がだんだんでかくなって、もう少しって感じだな」
「・・・手を伸ばさなきゃダメなんだね」
「ああ、こんな答えでいいのか?」
「うん、竜児」
竜児にそう答える大河の声は少し弾んでいた。


おやすみと電話を切った後で大河はベッドに仰向けに寝転んだ。
そのままの姿勢で天井を見上げる。
大河はゆっくりと手を伸ばし、天井へ向けた。
「・・・届かない」
当たり前かと大河は思う。
でも、手を伸ばそうとさえしなければ何時までたっても届くことは無い。
「今は届かないけど・・・がんばれば・・・きっと」
ある決意を秘め、大河はうなづいた。


父親を前に大河は自分の想いをぶつけた。
それが最善の策だとは思わないけど、自分のわがままとでも言うべき望みを叶えて貰うためにはこう言わざるを得なかった。

話し終えた大河を前に父親はしばらく黙ったままだったが、おもむろにうなづいた。
「そう言うことなら、反対はしない」
優しげなまなざしで大河を見る父親。
大河は張り詰めていた全身の力を抜くと、ホッとしたように小さく息を継いだ。
「・・・ありがとう、こんな勝手なことお願いして」
「いや、それはまったく構わない・・・だが、どうみても大河の方が分が悪くないか?」
「そうかもしれないけど、こうしたかったの・・・」
どうしてと言う父親の問いに大河ははにかみとも言える表情で言う。
「竜児だけ・・・がんばるなんてそんなのダメ・・・私だってがんばらないと・・・」
「でも、大丈夫か、残り時間は多くないぞ」
あくまでも心配そうな父親に大河は不敵な笑みを浮かべる。
「半年の勝負よ」
結果を楽しみにねと言い残し、大河はソファを立つ。
娘の後姿を見つめ、父親は声に出さず、グッドラックと大河へエールを送った。


「お、川嶋だ」
窓の外を眺めていた竜児が川嶋亜美の姿を見つけ、つぶやく。
「え、ばかち」
どれどれと大河も竜児の側に寄り、一緒に窓から外を見る。
「さすが、売り出し中の若手女優ナンバーワンだな、オーラが違う」
川嶋亜美の周りだけスポットライトが当っているかのように光が濃かった。
「相変わらず目立ってくれるわね」
憎まれ口を聞きながらも大河の川嶋亜美を見る目線は柔らか。
「あ・・・北村くん」
川嶋亜美にさり気無く近付き、親しそうに談笑しているのは北村祐作だった。
時折、含み笑いを見せながら、話し込むその様子はよからぬ相談をしているようにも見える。
「楽しそうに話してるけど・・・あいつら何か企んでないか?」
「・・・ありえるわね」
竜児の台詞に大河は同調する。
何せ竜児達は今日の式の司会進行をあのふたりに頼んでいるのだ。

会場に人が少しづつ増えて行く。
そんな人の列に大河は親友の姿を認めた。
「みのりん」
「おう、櫛枝も来たか」
「み・の・り〜ん!」
届くはずも無い声を上げ、大河はじたばたと存在をアピールする。
「いくらなんでも気がつかねえぜ」
ガラスの内側で、こっちの室内はそんなに明るくない上に、窓のすぐ外には生垣があって視界を半分さえぎっている。
外から見られないと思っているからこそ、竜児は遠慮なく窓から外を見ていたのだ。
「あ、でも気が付いたみたいだよ、みのりん」
「マジか?」
大河の言葉が嘘でない証拠に窓の向こうで櫛枝はまっすぐ竜児達の居る方へ向って手を振っていた。
「・・・あいつ、どんな視力してんだよ」
「エースだもん」
親友を誇るように大河は胸を張った。

「もうすぐ・・・ね」
「ああ・・・もうすぐだ」
「ね、竜児・・・どうしよう。ちょっとドキドキしてきた」
「どれ」
そう言うと竜児は大河の胸に耳を軽く押し当てた。
ドレスの薄い布地を通して竜児の耳に届く大河の鼓動。
規則正しく、ビートを刻む。
それが8ビートから16ビートへ小刻みにテンポを上げて行く。
「竜児は平気なの?」
「聞いてみるか?」
うんとうなづくと大河は少ししゃがんだ竜児の胸に頭を付けた。
「聞こえない・・・竜児、落ち着いてる」
「俺まで上っちまったら、大変だろ」
「そだね・・・転ばないとは思うけど・・・ちょっとだけ自信ないから」
「安心しろ・・・しっかり俺が支えてやる」
「竜児・・・」
大河は竜児の胸に頭を預けたまま甘えるような仕草を見せる。
「うん、お願い」
大河の声に竜児はそっと手を回し軽く大河を抱き締めた。
「ああ、任せとけ」
「竜児」
「何だよ?」
「・・・幸せになろうね」
それに応える様に竜児は大河をぎゅっと腕の中へ囲い込んだ。


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