「やっちゃん久しぶり!」
「大河ちゃん久しぶり!今日もかわいい!」
「もう。私23歳だよ。かわいいって変だよ」

喫茶店のカウンターの前に立って、くすぐったそうに逢坂大河が笑う。待ち合わせの相手は高須泰子。当年とって39歳のはずだが、子供っぽい顔立ちや表情の作り方は、とてもそんな風に見えない。『永遠の23歳』に偽りなしね、と正真正銘23歳の大河は独りごちる。

大河は6年ほど前、高校2年生の1年間、泰子の家に半居候を決め込んでいた。それまで家族から離れて一人乾いた生活を送っていた大河は、泰子と、その長男の竜児の元で心の潤いを取り戻し、結局3年生に進級する前に竜児と婚約してしまった。
そして長い婚約期間が過ぎ、ようやく今年、二人は晴れて結婚する。つまり大河と泰子の二人は、まもなく義理の親子になる。

「もうすぐ本当にやっちゃんが私のおかあさんになるんだね」
「やっちゃんずーっと大河ちゃんがお嫁に来るの待ってたんだから」
「それ最初に聞いたのいつだったっけ」
「ずっとずっと前だよ」

二人、顔を見合わせて笑う。二人の婚約は5年前から両家にとって周知の事実だったのだが、さすがに働いていない男に娘をやるわけにはいかないと、大河の両親からずっと止められていたのだ。今年大学を出て就職した竜児は、ぺーぺーとはいえ給料袋をもらう身になった。
そうして、ようやく長い長い『待て』に終止符が打たれたのだ。待たせていたのは大河の両親とはいえ、学生時代、ひたすらまじめに『待て』を守る竜児に大河は何度『あんた、どれだけ忠犬気取りなのよ、もう、同棲くらいしようって言ってよ』と、泣いたかわからない。
そのたび蹴っ飛ばされた竜児もいくつ痣を作ったかわからない。

「で、やっちゃん相談ってなぁに?」

15分ほど話し込んだ後、大河に問われて泰子が舌を出しながら破顔する。

「いけなーい、忘れてた。あのね、大河ちゃんおり入って相談なんだけどぉ」

普通『折り入って相談』といわれると、借金の話とか、やっぱり息子はやれないとか、父親は、といった重い話しである。しかし、高須家が貧乏ながら何とか無借金でやりくりしていることは知ってるし、竜児と大河をくっつけたがっていたのは泰子だし、
大河は竜児と出会った頃に父親の写真を見て爆笑している。大河としては、今更びっくりするようなことが飛び出すとは思っていない。何より目の前の泰子がへらへら笑いながら話しているので、聞いている大河もクリームソーダをストローで吸いながら

「なぁに?」

と、気楽なものである。

「あのねぇ、花嫁衣装決めた?」
「うん。ドレスにするの。竜児も似合うって。やっちゃんにも写真見せたよね」

そう答えて大河が顔を赤らめる。ドレスを試着した大河を見て、竜児は挙動不審と言えるほど動揺したのだ。あんまりきれいなんで度肝をぬかれたぜ、とあとで真っ赤になりながら話してくれたものだ。その写真は泰子にも見せている。

だが、

「そうようねぇ、大河ちゃん本当にドレス似合うよねぇ。でもね、白無垢も着てみたいって思わない?」

と、和服を勧めてくる。大河の方は思わず黙り込む。だって、どう考えても自分には似合わないと思うのだ。

もともと小学生サイズだった大河は、和服を最初っからあきらめている。
昔の友達には『私だって背が伸びたでしょ』と薄い胸を張ってみせるが、その実伸びたのは3mmででしかない。3cmではない。3mmなのだ。
現在身長は143.9cm。ミリメートルで表さないと成長を見逃すレベルである。

もともと和服は女性の体をふっくらと見せる。丈を詰めても横は細くならないから、自分が着るとちょっと滑稽になると大河は思うのだ。
おまけに自分のようなちびが高島田みたいな日本髪を結うと、頭でっかちになりすぎないだろうか。

その点、ドレスは薄いので、ほっそりとした大河の体の線を引き立ててくれる。
竜児も、頬を赤らめる大河にどれほどドレスが似合っていたか、3時間にわたって熱弁をふるってくれた。

「私、着物似合わないし、竜児もドレスの方がいいって言うの」

しかし泰子は

「見たいなぁ。和服姿見たいなぁ」

と、こだわりを見せる。

「ねぇ、やっちゃん白無垢着たかったの?」

と、大河がおそるおそる聞いたのは、泰子の境遇を知っているからだ。

16歳の時、チンピラの子供を身ごもった泰子は、後に竜児と名付けることになるその子供を守るために家を出た。
チンピラはとっくの昔に姿を消しており、始めから一人で生きて竜児を守るための家出だった。花嫁衣装など着るチャンスは無かったはずである。

もし、自分が着ることのできなかった白無垢に泰子があこがれをもっているのであれば、大河としても願いを叶えてやりたいと思う。しかし、

「ううん、やっちゃんもねぇ、ドレス着たかったのぉ」

などと言う。

小首をかしげ、大河が泰子を見つめる。竜児に『飲食業なんだから』とやかましく言われて短めにセットした髪は、昔ほどではないが
軽く脱色されて明るく波打っていうる。少したれ気味の目尻には、さすがに年相応の年輪が刻まれているが、
それにしてもにこにこと笑う姿は、とても39歳とは思えない。そうして、甘いマスクは年齢だけではなく内心すら覆い隠しているのだ。

泰子はまもなく義理の娘になる女の小首をかしげたポーズに気づいたのか、いっそう目尻を垂らすと

「あのねぇ、やっちゃん竜ちゃんのぉ、紋付き袴姿見たいのぉ」

と、のたまってくれた。ずるり、と大河がいすの上から落ちそうになる。

ええええええぇぇぇぇぇ!と、声には出さないものの、昔『手乗りタイガー』の二つ名で呼ばれた女は、心の内をだだ漏れにしてしまう。嫌だ、嫌すぎる、と。

「大河ちゃんはぁ、竜ちゃん紋付き袴姿似合うと思わない?」
「それはぁ」

似合うと思う。
だから嫌なのだ。誰よりも自分に優しくて、たとえ世界を敵に回そうと自分を守ってくれるだろう愛しい婚約者には、紋付き袴姿はきっとよく似合うだろう。
それはもう、おそらく披露宴会場の半分がぷっと吹き出し、半分が目をそらすほど似合うに違いない。

竜児は、目が怖い。裂けるようにつり上がったまぶたの中には青白く不気味に輝く白目がはめ込まれており、その中央でぎゅっと縮んだ黒目が狂気をたたえてかたかたと震える。
絵に描いたような三白眼。

高校生時代、怖いもの知らずで鳴らしていた大河は竜児の顔が怖いなどと思ったことは無いが、自分が思わなくても世間がどう思っているかはちゃんとわかっている。なにしろ並んで歩いているとみんな道を譲ってくれるし、デート中に職務質問をされたこともある。
スーパーで物陰から目つきの鋭い万引きGメンらしき連中に監視されていたことも数知れず。

人を傷つけることのできない、根っからの善人である竜児だが、悲しいかな、遺伝子の半分はチンピラからもらい受けている。それが性格に反映されなかったのは幸いだが、その代わり、ありったけの遺伝が目つきに現れてしまっていた。

そんな、にこにこ笑っても子供が泣くような顔で紋付き袴でも着た日には、披露宴会場に嫌な空気がただようこと請け合いである。
なんだか、竜児と大河の前に黒服の男女が二列に並んでびしっと礼をしている風景が頭に浮かんできて、鳥肌が立つ。
そういう悪ふざけを仕掛ける奴がいるとしたら絶対ばかちーに違いない。

「私嫌だなぁ。紋付き袴」
「ええー、絶対かっこいいよ」

そうだ、忘れていたが、泰子はどうやら「そういう」のが好きらしいのだ。やくざ映画が好きとかじゃなくて、なんだか、怖い顔の男が好きらしいのだ。
そうでなかったら16歳でチンピラにだまされたりしないだろう。竜児を生んでくれたことには本当に感謝しているが、正直、この嗜好にはついて行けない。

にっこり笑って首をかしげて否定する大河に、

「私は嫌だなぁ。竜児は絶対スーツのほうがいいよ」
「大河ちゃん、男は紋付き袴だよ」

泰子もとろけるような笑顔で即答する。

冗談ではない。結婚式は生涯一度きり、竜児とだけと決めているのだ。それを極道もののレンタルビデオの祝言みたいにされてたまるものか。ここは退くわけにはいかない。
竜児はその堅さもあって『お色直しは「あなたの家風に染まります」って意味だからな。2度も3度もするのはおかしいぜ』などと妙なところにこだわっている。
大河としてはウェディング・ドレスさえ着れればいいのだからそれで文句はないのだが、白無垢とドレスのミックスってどうなのか。というか、竜児はお色直しなんかしないだろう。
当たり前だ、自分が竜児色に染まるのだ。竜児にお色直しなんかさせない。

ならば、話は簡単だ。ドレスか着物か。勝つか負けるか。妥協など無い。負けるわけにはいかない。

「竜児もスーツがいいって言うと思うな。わ、私のドレスきれいだって言ってくれたし」

妙な切迫感に包まれて、どもりながらも大河は強気。小首をかしげてつんとあごをあげ、自分が受け取っている婚約者からのあふれるような愛を未来の義母に誇示する。

「じゃあぁ、やっちゃん竜ちゃんに頼んでみようかしら。竜ちゃんやっちゃんにやさしいぃ」

泰子も珍しくこわばった笑顔で押収。じわり、と喫茶店の一角が嫌な空気に沈み始める。

「えへへ、やっちゃん変なの。息子の洋服にこだわるなんて、おままごとじゃないんだから」
「だってぇ、未来のお嫁さんがお願い聞いてくれないんだものぉ。あっそうだ。お願い聞いてくれないなら結婚反対しちゃおうかな。なーんちゃって。冗談よ、大河ちゃん、冗談だかからね」

目をかっぴらいて耳まで避けそうな笑いを浮かべた大河の前で泰子がへらへらと笑う。

◇ ◇ ◇ ◇

「馬鹿野郎!つまらねぇことで電話してくるな!」
「だって、だって。竜児ぃ」
「あーっ、もううるさい!明日までに泰子に電話して仲直りしとけよ!」

ぶちっと電話を切ってため息を漏らす。午後9時。あらかた人が帰ったオフィスの片隅。残業中に母親に続いて婚約者からつまらない話を聞かされ、高須竜児がどっとため息をもらす。

「高須ぅ、婚約者か?熱いなぁ」

冷やかしの声をかけた同期入社の友達が、ギロリとにらまれて首をすくめる。畜生、なんだってんだ。

「あの二人は喧嘩しねぇと思ったんだけどなぁ」

忘れていた重要事を思い出して、竜児はこれからの生活に頭を抱える。くだらない嫁姑戦争の心配はしないと思っていたのだが…。

今後、たまに巻き込まれるかもしれない「小学生レベルの喧嘩」の様子を思い描いて、社会人一年生の竜児はmなるで人生に疲れたように机につっぷした。

(お・し・ま・い)


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