「あー、もう、みのりーん。また刺されちゃった」

ぺちっと首のあたりを叩いて、コンパクトサイズの少女が愚痴をこぼす。横ではいい色に焼けた少女が

「Oh! 俺っちは全然刺されてないぜ。たいがの血は特別おいしいのか?お前の血は何味だぁ?」

などと、おちゃらける。

ジャージ姿で座り込んでいる二人は夏の間に茂った雑草をひたすらむしりまくる。二人だけではない。二人の周りには同年代の少女が色気のかけらもないジャージに体を包まれて、うだるような暑さの中、あぢー、うざーいと愚痴りながら、だらだらと草むしりを続けている。

今日は夏休み中の最後の登校日。聞きたくもない訓示を聞かされた後、担任に指示されるまま、各組とも指定区画の草むしりにいやいやながら従事している。

「一体どうして私が草むしりをしなけりゃならないのよ。学校で人を雇ってむしればいいじゃない」

と、愚痴るのは、先のコンパクト少女、逢坂大河。麦わら帽子の下には三つ編みのロングヘアー、首にはタオルをかけて田舎少女風味。横で何が楽しいのかにこにこしながら草をむしっているのは櫛枝実乃梨。
常人には理解できない八木節スタイルでタオルをかぶるオシャレ上級者である。

「どうしてって、そりゃ労働も学業のいっかんだからだべ。さあさ、大河、がんばんなって。ほら、高須君もはりきってるじゃん」

そういって実乃梨がちらりと視線を送る先は、男子の一団。何とはなしに女子と男子別グループに分かれているのは思春期特有のテレみたいなものだが、その、男子の一団の中、一人立って檄を飛ばしている男がいる。

30 度を超える気温と厳しい残暑の強い日差しの下、まなじりを釣り上げているのは高須竜児。逆光の中でも怪しく光る白目の奥で、狂気に彩られた瞳を揺らしている姿はまるで魔王そのものである。事実周囲の空間はゆらゆらと揺らめき、土くれは地面を離れて浮かび上がり、
やがて地鳴りとともに牽属である1000の魔獣が地下の世界からあらわれたのであった。と、いうわけではなく、カゲロウ揺れる中、やる気のないクラスメイトを叱咤激励しているのである。

「あっちーよ、たかっちゃん、やめようよう」

などと泣き言をあげるクラスメイトのけつを叩きつつ、なおかつ人の倍の草をむしっていた竜児であったが、フェーズドアレイレーダーのように周囲の草の状況を監視していた高須アイの端に、一瞬目を向けた実乃梨の姿がはいったのだろう。
びくっと、体をふるわせて動きが止まる。

あうあう、と口が動いているのは、たぶん

「く、くし…えだ…」

とでも行っているのか。苦渋に顔をしかめているようだが、あれできっとにっこり笑っているつもりのはずだ。

ふと、大河は黙り込む。みんなと一緒にいった旅行では、竜児とその思い人である櫛枝実乃梨をくっつけるために大河は獅子奮迅の働きをしたのだった。しんかし、なんだか腑に落ちないところがある。どうも二人は大河が見ていないところでその距離を縮めたように思えるのだ。

「おう、たいが。ごらんよ。高須君あんなに汗びっしょりで苦しそうにしているよ」
「みのりん、あれ笑ってるんだよ」
「ええ?そうかい?日射病で倒れそうに見えるぜ」

やっぱり距離は縮まっていないのかもしれない。

安堵とも竜児に対する憐れみともつかない小さなため息が漏れる。しかし、そんなそんな大河の気持ちも知らず、竜児は照りつける日差しをモノともせずにクラスメイトを鼓舞している。その姿がちょっと気に障ったのは、単に意地悪な気持ちだったのか、
それとも横にいる実乃梨にだけ竜児が視線を送ったからなのかは、大河にもわからない。

「痛っ」

突然の刺すような痛みに竜児がほほを押さえ、次にこちらに視線を送る。大河のほうはしてやったり、と猛獣の笑み。右手は小石を親指ではじいたままの形。手乗りタイガーともなれば、おはじき遊びも流血騒ぎになりうる。

「何やってんだよ大河」
「あら、どうかしたの?」
「石ぶつけたろう」
「ぶつけてないわよ。石が草むしりの邪魔になったからどけたのよ」
「俺にぶつけたじゃねぇか」
「私の前に生意気な石が立ちはだかったから排除しただけよ。それともなに、あんたも立ちはだかろうっての?草をむしるのにも飽きたしあんたの髪の毛むしってやるのもいいかしらね」

がるる、と唸り声をあげて立ち上がる大河はいきなりやる気満々の中腰。竜児のほうはしょっぱなから『うっ』と腰が引けているが、想い人の手前かぐっと踏みとどまり、たいていの高校生が目をそらす三白眼を全開にする。喧嘩なんかする気はないのだが、
とりあえず殺る気まんまんには見える。

「暑いのに(夫婦)喧嘩やめろよ」

と、迷惑そうにクラスメイトがつぶやくが、そうしつつ二人のために場所を空けることも忘れない。手乗りタイガーの破壊力は4月の大暴れで証明済みだ。巻き込まれたら死ぬ。仲裁に割っても死ぬ。あと、超小声で言った『夫婦』を聞かれても死ぬ。

こんな場合、自分で仲裁しようとしてはいけない。駅にある不審物を自分で何とかしようとしてはいけないのと同じだ。エキスパートを呼ぶべきなのだ。2−Cにもこの手の事態を治め得るエキスパートは居る。

しかし。

「おーい、どこだよ北村先生、どこだよ」

北村祐作はどうやら生徒会長の指揮と青空の下、各部署を走り回って不在らしい。

「あれー、あみちゃんはどこ?」

とりあえず手乗りタイガーを煙に巻く能力の高そうな川嶋亜美は、美少女トリオごと姿を消していた。どうやら紫外線から避けるべくどこかの日陰でさぼっているらしい。

そして最後に残った頼みの綱である櫛枝実乃梨は

「OH! 夫婦喧嘩?ファィツ!!」

と、妙なテンションでポーズを決めて火に油を注ぐ構え。仲裁は期待できそうにない。こうなったら、ひたすら遠巻きに見守るしかない。もちろん横目でだ目があったら死ぬ。

睨みあう大河と竜児の周りには、いつの間にか灼熱の円形闘技場ができあがる。そして言うまでもないが、こんな場合すたすたと無造作に間合いを詰めるのは大河である。話し合いなどするはずがない。一気に暴力でカタをつけたほうが早いとでも思っているのだろう。

「ちょ、大河お前なんだよ!」

と、竜児があわてるものの、時すでに遅し。虎は必殺の表情。

ああ、高須死んだな、とギャラリーが遠目の横目で見守る中、びっと空気を切り裂いて手乗りタイガーの回し蹴りがさく裂した。と、だれもが思った。でも炸裂しなかった。

かっこ悪くも顔の前で手をクロスして顔を伏せる竜児の、そのまさにガードを打ち砕く寸前で、ジャージに包まれた大河の足が空中でぴたりと静止している。

「あれ?」

と声をあげたのは竜児。本人も死んだと思ったのだろう。目の前で制止する小さなあんよを見、そしてそのあんよの持ち主である手乗りタイガーを見降ろす。

「あ、あ、あ、あんた。なななに持ってるのよ」

大河のほうは視線どころの話ではなく、顔色を変え、目を見開いて身震いしている。その見開いた先には…

「何って、ああ、これか。さっき日干しになりそうだったから救い出して花壇に逃がそうと思ってたんだよ」

頭をガードする竜児の手には、ミドルサイズのミミズが一匹垂れ下がってにょろにょろとうごめいていた。ひぃぃぃぃぃっと声をあげたのは大河。そのまま猛然と後ろに吹っ飛ぶと、ごろごろっと後ろ向きに転がって、
草をむしり終わっていない校庭の一角にひっくり返った蛙のごとく無様に倒れこむ。

「なんだよ、ミミズぐらいでそんなに驚くなよ。てか、お前ミミズを何だと思ってるんだ。ミミズが土を食べて穴をあけるから土が耕されて肥沃に…」
「うるさーいっ!よるな!」

ダーウィン先生が聞いたら涙を流して喜びそうな場違いな講釈など耳に入るはずもなく、大河はその辺の草をむしって竜児に投げつける。猛烈なスピードで射出される草だが、残念なことに全部空中で失速して散らばるばかり。
こうなると手乗りタイガーもかわいい女の子に見えるから不思議不思議。

一方の竜児は目の前にミミズを掲げて見る。目を眇める姿は、のたくるミミズを巨大化させて校舎ごと破壊せんとする悪魔のようだが、もちろんそんなことは考えていない。大河がなにをそんなに嫌がっているのか純粋に理解できないのだ。
この場合、否は竜児にあるようだ。下手をすると大河が女子であることを忘れているのかもしれない。

「わわわかったから、そのミミズを捨てなさい。私の視界からすぐに取り除きなさい!」
「はいはいわかりました。ほら、ちゃんと花壇に放した。お前もいつまでひっくり返ってんだよ。ジャージこんなに汚しやがって」

ブチブチ文句を言いながら竜児はいつものように大河を立たせると、パタパタとジャージの泥を落としてやる。言われるままに立って、おとなしく泥を落とされている手乗りタイガー。

「お尻触るなエロ犬」
「お尻汚すなドジ。あーあ、髪にまで泥が入ってるぞ」

乱闘が起きる覚悟で見まもっていた2−Cの面々は、ホッとしつつも、いつものごとく『あの二人はわからねぇ』と心でつぶやく。

残暑の厳しい青空の下、いつも通りの平穏な大騒ぎ。

(おしまい)


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