「竜児、あんた、今度の土曜日ヒマよね」
いつものように夕飯をタカりに来た大河が、茶の間から唐突に声を掛けた。
「おう、疑問文ですらねえんだな・・・。実際ヒマだけどよ」
しょうが焼きを皿に盛り付けながら、竜児が答える。

夏休みも終わりが見えてきた8月中旬。
紆余曲折を経て恋人同士、をすっ飛ばして婚約者同士にまでなった2人も、
今や来年に大学受験を迎える受験生。
今日も今日とて朝から市の図書館で勉強会を開き、先ほどようやく帰って来たところだ。

ちなみに竜児の母・泰子は、自身が店長を勤めるお好み焼き屋で
新入りバイト君の歓迎会があるからと、今日は帰りが遅くなる予定だった。

「ヒマなんじゃない。うだうだ言うな、主夫犬め」
高2のときから2人の関係も変わったが、
この娘―逢坂大河の口の悪さは相変わらず。
それでも昔はダメ犬、バカ犬呼ばわりだったのが今では主夫犬。
少しはマシになったのか。なったのか?
「はいはい、わるうござんした・・・で?土曜に何かあんのか?」
手に持ったしょうが焼きの皿をちゃぶ台に置く。
待ちに待った肉の登場に、だらしなく寝っ転がってテレビを見ていた大河が跳ね起きた。

「きたきた!あーおなか減った!」
早速箸を手に取って、肉にぶっ刺し口に運ぶ。
「こら!いただきますはちゃんと言え。農家と豚に感謝しろ」
「いただいてまふ」
「事後確認かよ・・・。あーお前、米粒ぽろぽろじゃねえか!落ち着いて食えねえのか。
だいたい箸の持ち方が悪いんだよお前は」
ご飯をかっ込み、ハムスターのようになった大河に竜児が注意する。
彼は基本物静かな性格だが、食事と掃除とエコにはうるさかった。
「ふぉんふぉあんふぁふぁうるふぁいわね」
「食べ物を口に入れて喋るんじゃありません!」
一度、この子虎にはテーブルマナーを叩き込まねばならないのかも知れん。
行儀悪く箸で皿を引き寄せる大河を睨みながら、竜児は真剣にそう思った。
それは、もし睨まれたのが大河でなかったら、箸も皿も放り出して
土下座しながら財布を差し出してしまいそうな顔だった。

「それで、土曜日が何だって?」
2杯目の米を要求しつつ、ようやく人心地ついた様子の大河に、竜児は改めて尋ねた。
「ん?あぁ、え〜っと・・・あれ、なんだっけ?」
「俺に聞かれて分かるかバカ」
「ほっほ〜う。大層な口を聞くじゃない、しゃもじ犬風情が。
ああ、今の怒りで思い出したわ。ちょっと付き合って欲しいところがあるのよ」
一応竜児のおかげ?で思い出したにも関わらず、
大河はきっちりちゃぶ台の下でケリを入れてから言った。
「いてっ!おい蹴んな!・・・ったく。んで、どこに付き合えってんだ?
まさかまた1ヶ月メシが食えるような値段の洋服を買う気じゃねえだろうな。
だったら俺は全力で阻止するぞ」
「洋服買うならあんたとなんて行かないわよ。
買うたび横で"ああ、それ買う金があれば半月は食っていけるのに〜"とか、
"それにもうちょい足せば新しい掃除機が買えるのに〜"とか、
哀れっぽく言われちゃたまんないわ。ちょっと別のところよ」

実際そんなセリフを言った憶えのある竜児は反論できなかった。
思えば、あれ以降大河の洋服を一緒に買いに行った記憶はない。

「・・・。で、どこなんだよ、それは」
「ちょーっとまだ予定が未定なの。決定したらまた話すわ」
手渡された茶碗と再び格闘し始めた大河に、これ以上聞いても答えは返って来なさそうだ。
今の話では何があるのか全く分からないが、また話すというならそれを待つか。

大河がこぼしたキャベツの切れ端を拾いつつ、とりあえず竜児はそう判断した。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


土曜日。
「で、結局なんだってんだよ」
不機嫌さを隠さず、竜児は大河に尋ねた。
また話す、という大河の言葉を信じて待っていたら、何も聞けないまま土曜になってしまった。
朝っぱらから高須家に乗り込んできた大河に洋服を着替えさえられ、
グイグイ引っ張られて駅まで来て、切符代まで払わされて電車に押し込まれ今に至る。
いくらこの恋人が勝手極まる性格の持ち主とはいえ、いい加減理由を聞かせてもらいたい。
でなければ、券売機に飲み込まれていった野口英世も報われない。

「そうね、もう逃げられないし、いい加減話そうかしら」
不穏な前置きをして、大河は今日の目的を告げた。
「前の高校の友達がね、あんたを紹介して欲しいって」

・・・。
「は!?」

思わず電車の中ということも忘れ、竜児は大きな声を出した。
耳を押さえて顔をしかめた大河が言う。
「うるっさいわね。電車の中では静かにって、教わらなかったの?」
お前にマナーを説かれたくないわ、と頭の片隅で思いつつ、竜児は矢継ぎ早に質問を投げる。
「ま、待て待て!前の高校の友達って何だよ!?」
「何って、わたし、一時期違う高校に行ってたじゃないの。あんた忘れたの?マルツアイマー病?」
恐らくアルツハイマーと言いたかったのだろうが、今の竜児にツッコむ余裕は無い。
「そ、それに紹介ってどういうことだよ!?」
畳み掛ける竜児に、大河は哀れみと蔑みを混めた眼を向けて言った。
「イチから説明しないとダメ?」
当たり前だ。今ので理解しきれるか。

「要するに、前に通ってた学校の友達が、夏休みだからってこっちに遊びに来るんだって。
で、わたしに・・・その・・・コイビトが、居るって知ってるから・・・会ってみたいって言ってて」
最初の方はいかにも面倒くさそうな顔で説明していたのに、
"恋人"という単語を口に出すと急に、大河は照れくさそうにもじもじし出した。
その様子はまさに恋する乙女そのものだ。
もとから容貌の整っている大河のもじもじは、破壊力が高かった。
正面の若いサラリーマンが、大河を見つめてぽかんと口を開けている。
直後、竜児の顔が視界に入るや一瞬にして青ざめ、マッハで寝たふりを決め込んだ。


だが混乱の最中にある竜児は、そんな周囲の様子に気付かない。
「じっ・・・じゃあ何か。俺は今からお前の友達に会うのか。お・・・女の子、だよな?」
「当たり前じゃないの。ついでに、紹介して終わりじゃなくてそのまま水族館に行く予定」
こいつ、だからこんな寸前まで黙ってたのか。最初に言った"逃げられない"はそういう意味か。
「だって竜児、このこと最初から言ってたら、きっと来てくれなかった」
少しむくれる大河。だが彼女の言うことは当たっていた。

竜児には、人見知りの傾向がある。彼の持つ極めて凶悪な目つきがその原因だった。
昔から、初めて会う人には必ずこの眼がビビられていた。
それがトラウマとなって、知らない人に会うのが苦手だったのだ。
ましてや今日の相手は華も恥じらう女子高生だというではないか。
会った瞬間泣き出されても不思議ではない。
少なくとも、かつて女子小学生には泣かれた経験が彼にはあった。

「わたしもさ、最初は断ろうと思ってたもん。
でもあの子たちが、どうしてもって言うから・・・。一目会ってみたいって」
そして再びもじもじモード。
「それにさ、前に・・・あっちの高校に通ってた頃に、カレシ自慢聞かされたことがあるの。
だから、わたしもさ、してみたかったんだもん。わたしのカレシの自慢、してみたかったの・・・」
うつむき、顔を赤くして、小さな声で。
今度のもじもじは先ほどよりも更に威力を増していた。

どくん、と竜児の心臓が高鳴る。
この野郎、良いパンチ持ってるじゃねえか。
だがな、審判。今のはスリップだ、ダウンじゃねえぞ。カウントとめろ。

頭の中でファイティングポーズを取り直し、
審判に試合続行を求める竜児の心を知ってか知らずか、
大河は竜児の服のすそを、きゅ、と握って、上目遣いで小さく言った。

「だめ・・・?」

心臓が、先ほどよりも大きく鳴った。
おのれ、普段はキーキーうるさい子虎のくせに。
そんなお願いの仕方、どこで習った。川島か。
少なくともお父さんは、そんな子に育てた覚えはありませんぞ。

動揺から、竜児は心の中で思わずムック口調になった。
もはや勝敗は決していた。

はぁ、と溜息をついて頭を掻き、竜児は答えた。
「分かった、分かったよ。今更帰るのも電車代がもったいねえし、
いい息抜きになるかも知れねえ。最後まで付き合ってやらぁ」
「やった!ありがと竜児!あ、安心してね、友達には"顔は怖いけどヘタレ"って伝えてあるから!」
「安心できるか!」
きゃらきゃらと笑う大河を見て、竜児も何だかどうでも良くなってきた。

もし顔が怖くて泣かせたら、謝ろう。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


大河が前の高校の友人との待ち合わせ場所に選んだのは、
2人の住む街から少し離れた都会の駅前だった。

目印の時計台の下で、友人の到着を待つ大河。
旧友との再会の喜びもあるし、加えて竜児と遊びに出掛けるのも久しぶり。
にこにこと笑顔を浮かべている。

その横で、緊張の余り真顔になっている竜児。
"恋人の友人に紹介される"などという事態、生まれて初めてのイベントだ。
最初は何て言えば良いんだ・・・まずは名前か?名前だよな?
できれば笑いを取れればベストだが、自分にそんな話術は無い。
あれこれ悩むその顔は、敵の組長のタマ獲って来い、と命じられたヤクザのそれだった。

彼らは気付いていなかったが、微笑む美少女に声を掛けようと近づいてきては、
隣のヒットマンに気付いて逃げ出していくナンパグループが何組か居た。

「あ!あれ、大河ちゃんじゃない?」
「ほんとだ!おーい、たいがぁ〜〜!」

突然響いた明るい声。大河はパッと明るい笑顔を声の方に向け、竜児はビクリと体を固めた。
哀れにも竜児の視線が直撃した散歩中の犬が、尻尾を丸めて飼い主の足元に逃げ込んだ。

「こっちこっち!わぁ、2人とも、久しぶり!」
大河が手をぶんぶか振って友人たちを迎えている。
竜児もギギギ、とそちら側を向いた。

キャッキャと喜ぶ2人の少女。彼女らが大河の前の高校の友人たちか。
大河の名前を大きく呼んだ方は、髪を少し茶色に染めた、活発そうな少女だった。
大橋高校の親友・櫛枝実乃梨から、変人成分を抜いたらこんな感じだろうか(本人には失礼だが)。
もう片方は、セミロングの黒髪をした、お嬢様っぽい女の子だ。
去年同じクラスだった、香椎奈々子に少し似ている。ただ香椎の方が大人っぽかったかも。

「へえ!じゃあこの人が大河の彼氏君なんだね!初めまして!」

いきなり自分に話を振られ、竜児はハッとなった。
いかん、挨拶もせずに分析なんぞしてしまった。女性相手になんと失礼なことを。
そうだ、まずは挨拶。人間、初対面の相手には、一にも二にも挨拶だ。

「こっ、こんにちは、初めまして。大河さんとお付き合いさせて頂いてる、高須竜児と言います」

バッと45°まで頭を下げる竜児。
言ってから、色々変なところに気付いた。
まず、なんで"さん"付けだ。いくらなんでもテンパりすぎた。

沈黙が怖い。やばい、やはりビビらせてしまったか。
そろり、と顔を上げたところで、2人の少女が弾けたように笑い出した。

「あっははは!高須君、何でさん付けなんですか!
お父さんに挨拶するみたいでしたよ!あはははは!」
「ちょ、ちょっと笑いすぎだよ。でも、ふふ、ごめんなさい、ふふふ、私も少し可笑しかった」

一気に顔が熱くなる。何故か大河も赤面している。
「いっいや違うんだ!いや、何も違わないけど、とにかく、ちょっと緊張してて!」
「ちょっとじゃないわよこのバカ!どんだけ緊張してたらあんなんなるのよ!」
ドカ、と大河がケツに膝蹴りを叩き込む。
「おうっ!?いや、スマン。スマンがスカートでニーキックはやめろ!」


いつものやり取りを始める竜児と大河に、友人2人の笑いも大きくなる。
「あー、面白かった。でも大河が言ってたとーりだわ」
「本当ね。見た目は怖いけど凄く良い人だ、って」
「い、良い人だなんて言ってない!」
「はいはい大河、照れない照れない」
「あ、ごめんなさい、高須さん。私、怖いだなんて」
「おう、いいんだ。よく言われる」

大河が懐くだけあって、この2人の少女はかなり親しみやすい性格なようだ。
実際大河が自分のことをどう説明してくれたのかは分からないが、
彼女たちは竜児が不安に思っていたほど、自分を怖がってはいない。

「でも先に謝っとくけど、アタシも最初、うわ〜怖ぇ〜って思ったよ。
あれって大河絡まれてるんじゃないのって」
「ちょ、ちょっと」
「あんただって、最初、ヒッ、って言ったの、アタシ聞いてたよ」
「あ、あれは!ああ、高須さん、ホントごめんなさい」

いや、訂正。やはり若干の恐怖心は与えてしまったみたいだ。

「そうよ、あんたの顔が凶悪なのが悪い」
「お前は少し気遣いを覚えろ」

竜児もようやく緊張が解けてきた。

「さ!それじゃあ早速、水族館に行ってみよー!アタシ、楽しみにしてたんだー」

おーっ、と続いて声を上げる大河。本当に仲が良かったんだな、と竜児は思った。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


水族館に向かうバスの中、竜児は2人から向こうの高校に居た頃の大河の話を聞いていた。

「・・・それでねー、普段はそんなにケータイなんか見ないくせに、
たまにチョー嬉しそうな顔でケータイ見てて」
「ちょっ!」
「そうそう、なんだか凄く一生懸命メール打ってたよね、大河ちゃん」
「ばっ!」
「ああ、こりゃあ・・・と思ったよアタシは。大河、結構男子に人気あったくせに、
男なんかに用は無ぇーって顔してたから、なんかあるなとは思ってたけど」
「まっ・・・」
「お弁当食べながら空見上げたりしてたよね」
「完全に乙女の顔でね。あとさ、この子たまに視線が上に飛ぶんだよ。
さっき気付いたんだけど、それがちょうど高須君の顔の辺りの―」
「待てぇーーい!!」

ばたばた手を振って大河が話を遮る。

竜児は口元を押さえて、真っ赤になった顔をそらしていた。
他人の口からは初めて聞く、離れ離れになっていた間の大河の話。
一部は自分にも覚えのある話だ。
大河からのメールに思わず笑顔が浮かんだり、
ふとしたときに、大河の頭がある辺りに視線を向けてみたり。そこには誰も居ないのに。
だが、大河も自分と同じように過ごしていてくれたとは。

「たまに"りゅ・・・"って言いかけて止めたりしてたけど、
そっかー。あれは"りゅうじ"って言おうとしてたん「もうやめれーーー!!」


大河が叫ぶ。
もう止めて、というのは竜児も同じ気持ちだった。
こういう話を聞けたのは嬉しい。だがそれよりも、恥ずかしすぎる。
できればバスに停まってもらって、そのまま逃げ出し行方をくらましたい気分だった。

散々大河をからかって(間接的に竜児もからかって)、
2人がゆでだこみたいに赤くなった頃、ようやくバスは水族館に到着した。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


バスから降りた彼らを出迎えたのは、大きなヨットのレプリカだ。
この水族館は、全国的に見てもかなり大きい方だった。

腹が減っては何とやら、まずは昼食を取ろうじゃないかという2人(大河とその友)の意見に従って、
4人はシーフードレストランに入った。

ここでも話の中心は大河だった。今度は竜児が、大橋高校での大河の話をする番だった。

「・・・んで、こいつは3年の教室に殴り込みかけてな。しばらく停学食らってた」

大橋での大河の伝説の数々は、2人の友人にとってにわかに信じられないものでもあった。
彼女らの学校に通っていた頃も大河は、確かに口が悪かったりしょっちゅうドジをやったりしていたが、
竜児が話すほどの暴走をやらかしたことは無かったからだ。

だが大河にしてみれば、竜児の話は封印したい黒歴史の暴露でしかない。
「竜児・・・あんた、よくも人の過去をベラベラと・・・よっぽど命が要らないみたいね・・・」
「まっ、待て、大河。ただの思い出話だろ?」
「あんたにとってはそうかも知れないわね・・・でもわたしにとっては、それじゃ済まないのよ・・・」

パキキ、と指を鳴らして、怒りの炎をくゆらせる大河を、しかし友人たちは止めなかった。
これが自然な大河の姿なんだろうなぁ、などと、微笑ましく見守っている。
竜児としては、とてもじゃないが笑っていられないのだが。

必殺の目潰しが放たれようとした刹那、注文していた料理が運ばれてきて、竜児は危ういところで生き延びた。
「チッ・・・命拾いしたわね」
食事を前に戦闘を続行するほど、大河の腹は満たされていなかった。
まずはメシだ。

「ん」
大河は魚料理の乗った皿を竜児に突き出した。
なんだ?と見守る友人たちの前で、竜児は「はいはい」といつものように魚の身をほぐしてやる。

「ほれ。骨もカルシウムだから食えよ。ノドに刺さらないように気を付けろ」
注意とともに大河に魚を返して、竜児も姿勢正しく食事を始める。
食事のマナーにかけてはそこらの大人よりよっぽど正しい竜児の前で、
友人たちもやや緊張気味に、各々料理にフォークを伸ばし始めた。

「あーお前、ほっぺたに葉っぱついてる」
ふと大河を見やった竜児が、呆れたように笑いながら言った。
「え、どこ?」
「待てよ、取ってやるから」
大河の頬に手を伸ばす竜児。
「ん」
目をつぶってほっぺたを向ける大河。
「・・・ほい、取れた」
小さく礼を言う大河を目の端に入れつつ、竜児は大河の頬から取ったハーブをぱくりと口に入れた。


「!」
「!」
「ん?」

大河の友人たちの様子がおかしい。
フォークにエビを刺したまま、真っ赤になってこちらを見ている。
大河もそれに気付いたようだ。

「どしたの?2人とも」

「どうしたもこうしたも・・・ねえ?」
「う、うん」
「?」
「た、大河たちさ、普段一緒にご飯食べてるときも、そうやってしてるの?」
「そうやって、って?」
「いや、だから、高須君に魚ほぐしてもらったり、さ・・・」
「ほ、ほっぺの食べかす、高須さんに取ってもらったりとか・・・」
「へ?」

大河と竜児は全くもって不思議そうな顔で2人を見ていた。

(ああ・・・これは・・・)
(本当に気付いていないのね・・・)

お皿を渡しただけで、大河が何をして欲しいのか一瞬で理解した竜児。
丁寧に魚の身と骨を分けて、小さく微笑んでそれを返して。
ん、と受け取った大河は、なんだか少し嬉しそうで。

頬についたハーブにも気付かずはぐはぐと食べる大河は、まるで子猫みたいに可愛くて。
それに気付いた竜児の声は、まるで優しいお兄さんのようで。
子どもみたいにぺたぺた顔を触っていた大河は、
取ってやるよ、という竜児に、ちょっと桃色に染まった頬を向けて。
しょうがねえなあ、と笑いながらそれを取ってあげる竜児に、ありがと、と照れくさそうに言う大河。
とどめに竜児は普通にそれを口に入れてしまった。全くもって自然に。

何なんだ、このカップル。

友人たちは同時に思った。
からかえばすぐ真っ赤になってウブだなぁ、などと微笑ましく思っていたら、
新婚夫婦も裸足で逃げ出す甘い空気で一瞬にしてテーブルを覆い、
しかし当の本人たちは、何ら意識した様子もなく食事を続けている。
事実、自分たち以外にも、隣のテーブルのカップルも真っ赤になってチラチラこっちを見ているし、
奥のテーブルからも老夫婦が、さも若いわねえと言いたげな顔をこちらに向けているというのに、
この2人はどこまでも自然体だ。

つくづく、この2人と同じ学校でなくて良かった、と思った。
昼休みに毎日、こんな2人だけの世界丸見えの光景を見せ付けられては、教室に居づらくて仕方ない。

同時に、彼らの今の同級生たちに心から同情した。
特に独り身には、この2人は劇毒以外の何者でもないだろう。

ただ、友人たちは知らなかった。実際毎日この毒を浴びている独神が居ることを。

自分たちの存在自体が無慈悲な兵器と化していることに気付きもせず、
竜児と大河は不思議そうに顔を見合わせていた。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


友人2人に中々のダメージを与えつつ食事を終えた竜児たちは、
いよいよ本番の水族館に向かって歩く。

なんだかんだ言って竜児と水族館に来るのは初めてなので浮かれている大河と、
さり気なく、そんな大河がいつ転びかけても助けられるポジションに居る竜児。

そんな2人の後で、友人たちはこのカップルの危険性についてとつとつと語っていた。

(やばいよ、大河チョー嬉しそうだよ。メッチャ笑顔で高須君に話しかけてるよ)
(ほんと、そばで見てても丸分かりだね。あ!転ぶ!)
(うわ、高須君即助けた!?何あの動き!)

竜児の方を振り返り、後ろ向きに歩いていたせいで転びかけた大河と、
まるで予測していたかのようにその手を取って助ける竜児。
呆れ顔の竜児の注意に反抗しつつも、大河は嬉しそうだった。

あの桃色タイフーンの中に入っては無事では済まないだろうが、
傍で見ているだけなら空気が痒い程度の被害だ。
幸せそうな大河を見ているのは楽しかったので、とりあえず2人は傍観者で居ようと決めた。

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-

水族館の中に入るや否や、早速水槽に駆け寄っていく大河。
「おい!中は暗いんだから走るとコケ・・・!」と言ってるそばから、
とととっ、とつまづく大河。何とか踏ん張ったようだが、あのドジ。せめて最後まで言わせろ。

後ろを振り向き、大河の友人たちにも一声かける。
「2人も、足元見え辛いから転ばないように気をつけてな。
特にハイヒールだと危ないから」
「あ、はい」

答えながら、2人はちょっと感心していた。
この男、自分の彼女だけじゃなく、私たちのこともちゃんと見ていてくれたのか。

竜児が高校で「気遣いの鬼」と呼ばれていることは、もちろん2人とも知らない。


「見て竜児、カレイ!これ食べれるよね」
「ああ。煮付けにすると美味いな」

「これ・・・も、カレイ?」
「いや、これはヒラメ。シタビラメ」
「食べれる?」
「食べれる。塩コショウとバターでムニエルにすると美味いぞ」

「竜児、ハコフグだって!これは?」
「食えるぞ」
「でもフグだし、毒は?」
「皮膚に毒があるだけだ。中身くりぬいて味噌なんかと混ぜてから詰め直して焼くと、かなり美味いぞ」


(水族館の魚見て食べれるか聞く人って、ホントに居るんだ・・・)
(高須さん、答えが具体的・・・本当に料理得意なんだね)

そうして2人の後ろからついて歩いていた友人たちだったが、どん、と誰かとぶつかった。
「いてーなおい、どこ見て歩いてんだ?」
居丈高な声を出したのは、ケバい女性を連れた茶髪の若い男だった。
「あ、ご、ごめんなさい!」
謝って去ろうとする少女たち。しかし、この男は中々に性質が悪いようだ。
「おいおいおい、ぶつかっといて逃げる気かよ」

「あの、すいません。俺の友達が、何か?」

そのとき、男に後ろから声が掛かる。
あ?と振り向いた男の眼に映ったのは、館内の暗がりの中でなお瞳に紫電を宿す戦鬼だった。
ヒィッ!と、引きつった悲鳴が上がる。


「俺の友達が何か・・・?」

妙な声を上げたまま反応のない男に、竜児はもう一度尋ねた。
はっきり言って心臓はバクバクしている。相手はどう見てもヤンキーだ。
普段なら絶対関わりたくないが、何だか大河の友人たちと揉めている。
大河をけしかければ3秒で撃滅するだろうが、こういうときは男の自分が行かなければ。

一方でヤンキー男の頭には、ヤバイ、の一言だけが浮かんでいた。
こいつはヤバイ、マジでヤバイ。この眼、間違いなく何人か手に掛けてる。
脳内でアラートが鳴り響く。絶対なる恐怖が、彼にただ1つの行動を取らせた。
即ち、謝って、逃げる。

「すっ、すんませんでした!!」

90°に頭を下げて、猛烈な早歩きで立ち去っていく男を見送り、竜児は、ふぅ、と息を吐いた。
なんとか穏便に収まった。こういうときだけは、自分の顔を形作る遺伝子に感謝だ。

「大丈夫か?」

とりあえず2人に声を掛ける。

「ぁ・・・は、はい。大丈夫です。ちょっと、怖かったっ・・・けどっ・・・」

と、1人が涙をぽろっとこぼした。

「あーあー、ちょっとほら、こんなところで泣かないの」
もう1人がなんとか慰めるも、彼女は少し落ち着けそうにない。

後ろから大河もやってきた。
「ちょっと竜児、急に居なくならないでよ・・・って、2人ともどうしたの!?」
うわやべ、と竜児は思った。
すでに問題の男も去った今、何も知らずにこの状況を見たら、
"鬼が2人の少女をいじめているの図"にしか見えない。

多分に漏れず、大河もそう思ったらしかった。

「竜児・・・あんた、私をほっぽって一体何を・・・!!」
「待て待て、誤解なんだ!とりあえず一旦外に出よう!」

今にもノド笛に噛み付いてきそうな虎と、泣きじゃくる少女。
とにかく明るいところに出て、状況を落ち着かせなければ。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


「・・・ってことがあったんだよ」
竜児の必死の説明と友人2人のフォローを受けて、虎はようやく牙を収めた。

「ふん・・・ま、そんなとこじゃないかと思ってたけどね、わたしは」
「嘘こけ」

なんだかんだで大河をなだめているうちに、泣いていた友人もすっかり落ち着いたようだった。

「ごめんなさい、高須さん。ちょっと混乱しちゃって」
「いや、気にすんなって」

あんたのせいじゃないんだから、という竜児の笑みに、なんだかホッとしてしまう。
助けてもらっておいて失礼な話だが、さっきの竜児は怖かった。主に顔が。

「しかしナメたマネしてくれるわね私の友達に。なんで水族館ってお土産屋で木刀売ってないのかしら」
「待てお前、売ってたとしてそれで何する気だ」
「何って決まってんじゃない。人誅よ人誅」
危険な会話を繰り広げる大河と竜児を見て、ようやく友人たちにも笑顔が戻った。

「ふふ、もう大丈夫です。ね、イルカショー行きましょ、イルカショー!」

折角の水族館。少しケチはついてしまったが、まだまだ楽しまなければ。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


屋外に設けられたイルカショー用のプールには、続々と人が集まりつつあった。
開演時間より早めに来たおかげか、4人は前の方の席に座ることが出来た。
最前列に竜児と大河。そのすぐ後ろに大河の友人たち。

と、突然大きな音楽が流れ、水中からザバッ!とイルカがジャンプした。
『みなさーん!こんにちはー!今日はイルカショーに来てくださって、ありがとうございまーす!』
飼育員のお姉さんの声がスピーカーから響く。
その間にも、イルカたちはバッシャバッシャと跳ねている。

観客たちから歓声が上がる。
竜児がチラ、と横を見れば、大河もまたキラキラした目でイルカを見ている。
竜児は一瞬、こいつイルカも食べる気か、と思ったが、この目の輝きからして純粋に楽しんでいるらしい。
イルカも結構美味いらしい、とは言わずにおいた。こう見えて彼はムードを大切にするタイプだった。

飼育員の笛に合わせて、イルカがざぶん、とプールから観客席に向かって身を乗り出す。
きゅいきゅい鳴きながら観客たちに愛嬌を振りまいていたイルカだが、
竜児と目が合った瞬間鳴き声が止まった。電光石火でプールに戻り、一目散に逃げていく。

「・・・」
大河が何か言いたそうに竜児を見る。
「・・・・・・な、なんだよ」
その視線に負けて、弱々しい声を出す竜児。
「・・・あんた、海のおともだちにも容赦ないのね」
「うるっせえ!」
その後ろで、友人たちが笑いを押し殺していた。


演目はまだまだ続く。
体を半分以上水面に出して尾びれでバック泳ぎ。
飼育員の投げたフリスビーを水中から飛び上がってキャッチ。
同じく、飼育員が水面に掲げた輪をジャンプしてくぐる。

様々な演技が決まるたび、観客から大きな拍手が送られる。
竜児も、年甲斐もなく興奮していた。すげえ。イルカすげえ。

拍手しながら大河が呟く。
「あのロン毛虫より、きっとイルカの方が賢いわね」
「思っても言うなよ・・・」
大河がロン毛虫と呼び、イルカ以下と判断された男・春田その人を友に持つ竜児は、
しかし特に反論はしなかった。
さもありなん、というのが正直な感想だった。

いよいよショーも終盤。水面よりかなり高い位置に、赤いボールがセットされる。
どうやらイルカの特大ジャンプを見せてくれるようだ。

『それじゃあいきますよ〜!・・・はいっ、ジャ〜ンプ!!』

プールから勢いをつけてイルカが飛び上がる。
これまでで一番大きな歓声の中、イルカは空中で一回転。尾びれでボールをキックして―

ドパーン!と特大の水しぶきをあげてプールに着水した。


『前の席の方ー、大丈夫でしたかぁ〜?』
「おう、大河、濡れてねえか?」

そう聞く竜児の前髪から、水がポタリと滴り落ちた。
彼は今、プールに背を向けて大河の真正面に立っていた。
イルカの跳ね上げた水がこちらにぶっかかってきた瞬間、反射的に大河をかばうように立ち上がったのだ。

「竜児・・・あんた・・・」
「後ろの2人も、大丈夫か?」
「えっ、あっ、はい、大丈夫です」
友人たちも、ほとんど濡れてはいなかった。ちょうど竜児の影に入っていたのだ。

「ニイチャン、やるねえ!」
友人たちの隣の席、子供連れのおっさんがニヤニヤしながら声を掛ける。
そこで竜児も初めて気付いた。自分に視線が集まっていることに。
(やべえ、何か注目されてる)
そそくさと竜児は席についた。衆目にさらされるのは苦手なのだ。
思わず立ち上がってしまったが、今の自分は相当恥ずかしいのではないか?

赤くなって視線をさまよわせる竜児の視界に、白い何かか映りこんだ。
「大河。これ・・・?」
「・・・いくら夏でも、あんたがバカでも。濡れたまんまじゃ風邪ひくでしょ・・・」
それは、大河が差し出したハンカチだった。
竜児と目を合わせないようにうつむいてはいるが、頬が赤いのが横からでも見える。
「・・・おう、ありがとな」
今日の天気なら、洋服だってすぐ乾くだろう。
ちょっと恥ずかしかったけど、大河が濡れなくて良かった、と竜児は思った。


「お礼言うのはこっちでしょ・・・」
小さく言った大河の声は、BGMにかき消されて竜児には届かなかったようだ。
こういうとき、はっきり大きくありがとうが言えない自分がちょっと嫌いだった。
後からでもいい、ちゃんとお礼を言っておこうと大河は思った。

それにしても。竜児はやっぱり竜児だ。身を投げ出して、自分を守ってくれた。
こいつは基本こうなのだ。憎まれ口も叩くけど、いざというときには必ず自分を守ってくれる。
でも、それに甘えてばかりじゃダメ、と大河は思う。
今回は水だったから濡れるだけで済んだけど、例えばこれが自動車だったら?
それでもきっと、竜児は迷わず身を投げ出すだろう。
もっともっと、しっかりしなきゃ。私は虎でこいつは竜。
後ろで守ってもらいっぱなしじゃなくて、ちゃんと横に並ばなきゃ。
そうは思っても赤くなるのを止められない頬を髪の毛で隠しつつ、大河は密かに決心を改めた。


その後ろで、友人2人もまたちょっと赤くなっていた。

大河め、一体どうやってこんな男を捕まえた。

自分たちにも彼氏は居るが、こういうとき彼のように、とっさにかばってくれるかは分からない。
事実、竜児と大河の隣では、同じように水に襲われたカップルが、為す術もなく2人揃ってびしょ濡れになっている。
ムスっとした女の子の視線が、大河と竜児に向けられているのが頭の向きで分かった。

実は大橋には一杯居るのか?こんな行動を取れる男子が。

7割冗談、3割本気で、彼女らは転校を検討していた。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


やや夕暮れの気配が混じる潮風が、3人の少女の頬を撫でていく。
大河と友人たちは今、港を臨む公園のベンチに座っていた。
竜児は、飲み物でも買ってくる、と言って席を外している。

うーん、と伸びをしながら、3人の真ん中に座る大河が言った。
「久しぶりに一杯遊んだわねー、今日は」
友人たちがそれに答える。
「そーだねー。なんだかんだ言ってアタシらも受験生だしさ、こうやって遊んだのホント久しぶりかも」
「だいたい、大河ちゃんと遊んだのが久しぶりだもんね、今日」

半年近く会っていなかったとは言え、気の置けない友人たち。
流れる無言の時間に、心苦しさなどもない。
3人はしばらく、黙って海を眺めていた。

「それにしても、竜児、どこまで買いに行ったのかしら。ノド乾いたのに」
ぽつりと文句を言う大河。友人たちは大河の頭越しに顔を見合わせ、両側からズイっと彼女に迫った。
「な、なに?」
「大河さぁ、ほんと、勝ち組だと思わなきゃダメだよ?」
「へ?」
「高須君みたいなのが、当たり前だと思っちゃダメってこと」
諭すように言う友人と、それにウンウン、と頷く友人の顔を、大河はえ?え?と交互に見た。
「あのね、大河。あれは相っっ当の優良物件だよ。そこんとこ分かってる?」
「大河ちゃん言ってたよね、料理もすっごく上手なんでしょ?高須さん」
「そりゃー確かに顔はちょっと怖いけど、作りが悪いわけじゃないじゃん。どっちか言うとイケメンじゃん」
「しかもすごく優しいし。私のことも助けてくれたし」
「そうそう、ちゃんと周りが見えてるって言うかさ、まさに気が利くって奴?今も飲み物買いに行ってくれてるし」
「多分、私たちを3人にしてあげようって思って行ってくれたんだと思うの。
中々戻ってこないのも、気を遣ってくれてるんじゃないかな」

両側からの砲火にさらされ、目を白黒させる大河に、更に友人たちは続けて言った。
「そうかと思えば何?今日1日で随分仲のいいとこ見せつけてくれちゃって」
「レストランとか?」
「そうそう、何なのよアレ。いっつもあんなことしてたら、あんたらいつか独り身の人に刺されるよ?」
「水族館に移動してるときも」
「そうだよ。大河ってばコケそうになったとき、高須君にバッ!って助けてもらっちゃったりしちゃってさぁ」
「イルカショーでも」
「そうそれ!アタシが一番驚いたのはアレだね。なんなの、あの行動。惚れてまうやろー!って言いたくなったね」
「ちゃんと私たちのことも気にかけてくれたよね」
「ホントなんなの。あんたの高校、実はああいう人いっぱい居たりすんの?」
それは今日1日、桃色の毒気に当てられ続けた友人たちの、心からのグチだった。


「そっ、それは!でも、だってっ・・・!」
「あによ」
言い返そうと口を開くもギヌロ、と睨まれ、さすがの大河も少しひるんだ。
「だって、あんたたちだって、前にわたしに彼氏自慢、したじゃなぃ・・・」
言いながら、だんだん声が小さくなる。
「ッハン。言葉で自慢すんのと実際見せられるのじゃ、モヤモヤ度が違うのよモヤモヤ度が」
「それに、私は、したことないけど・・・」
搾り出した反撃も簡単に切って捨てられ、大河は返す言葉もなくなってうつむいた。

「あーあー、いいなぁ、高須君。大河さぁ、アタシにくれない?」
「そっ、それはダメッ!!!」

顔を跳ね上げ、大きな声で大河は叫んだ。
ダメだ、竜児だけはダメなのだ。お願い、他のものなら何でもあげる。だから私から取らないで―

必死の大河とは裏腹に、言った友人本人は、ニヨリ、と変な笑顔を浮かべた。
「じょ・う・だ・ん・だ・よ」
「へ・・・?」
叫んだときの体勢のまま、ぽかんと大河は固まった。
「だから、冗談。あんたたちの間なんて、入る隙さえ全然無いじゃん」
「もう、意地悪言いすぎだよ」
反対側から、たしなめるような声が聞こえる。

「へ・・・」
ゆるゆると、2人の友人の顔を交互に見やる大河。
「・・・あっははは!もー大河ったら本気にしちゃって!泣きそうな顔するんじゃないの!」
ぐりぐり頭を撫で回され、大河もようやく我に返った。
「あ・・・あ、あんた!!」
「ハイハイ怒らない怒らない。、あんたはすーぐ本気にしちゃうんだから」
「ふふ、でも、今のはちょっとやりすぎたんじゃない?」
「ちょっとした復讐だよフクシュー。今日1日分のね」

ぎゃいぎゃい喚く大河たちのところに、ペットボトルを抱えた竜児が戻ってきた。
「おう、わりい。ちょっと中々自販機が見つからなくて・・・って、おう、大河、お前なんでそんな真っ赤なんだ?」
「うっ、うるさい!バカ!うるさい!元はと言えばあんたが遅いから!」
「うわ痛っ!なんだよ、なんで蹴るんだよ!」
「黙って蹴られろバカー!」

憤る大河と虐げられる竜児、それを見て爆笑する友人の横で、一人だけが気付いていた。
(ペットボトルに水滴がいっぱい・・・。高須さん、買ってから、どれぐらい時間を潰しててくれたのかしらね)


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-


今日はこっちに住んでいる親戚の家に泊まるから、と、
駅で別れることになった友人たちに、大河は無言で抱きついた。
あんな風に大河が抱きつく相手、竜児は実乃梨ぐらいしか知らない。
別の学校でもちゃんと、良い友人に恵まれたんだな・・・と1人、胸を熱くする竜児であった。

「そんじゃ、大河、高須君。今日は楽しかったよ!ありがと!」
「また冬休みにでも遊びに来るからね、大河ちゃん」
「うん、待ってる」
「俺も楽しかった。また会えるのを楽しみにしてる」

友人たちが大河の耳に口を寄せる。
何を言われたのか、大河が赤くなって友人を突き飛ばす。

笑いながら、今度は竜児に寄ってきた。
「高須君、大河のことよろしくね。あの子、ああ見えて寂しがり屋だから」
「良く知ってる」
「おっと、そりゃそっか。そうそう、今度来たときは高須君の友達紹介してよ。大橋男子にちょっと目つけてんの今」
「は?」
「あはは、こっちの話」

彼女らは、竜児たちが帰る方向とは反対に向かう電車に乗る。
手を振り、ホームに消えて行く友人たちを見送って、竜児と大河も歩き出した。


「さて・・・と、晩飯どうする?ここまで来たんだ、折角だし何か食ってくか?」
「あんたがそんなこと言うなんて珍しい。ケチケチ主夫のくせに。明日は雨かしら」
「倹約家と言え。たまにはいいだろ」
「ま、仕方ないから付き合ってあげる。わたし、魚が食べたいかな」
「お前、水族館でかわいいお魚さんたちを見た後で、よくそれを食べようって気になるな・・・」
「何言ってんの。見たからこそじゃない」

言い合い、並んで歩いていた2人だが、ふと、竜児がその足を止めた。
何かと振り返る大河に、今日1日気になっていたことを聞く。

「なぁ、大河」
「なによ」
「お前さ・・・お前、今日・・・俺は・・・」
「その顔でもじもじすんな。かわいくないのよあんたのもじもじは」
「う、うるせえ。じゃあ聞くけどな」

「今日の俺は、自慢できる彼氏だったか?」

「・・・・・・」
「な、何か言えよ」
クルリと前に向き直り、大河はいつもと同じような声で言った。
「そう・・・ね、まぁ・・・ギリギリ合格ってとこ?
あ、勘違いしないでね。同情点を加えてのギリギリ合格なんだから」

言葉だけ聞けばひどいものだ。
だが、竜児は気付いていた。
言いながら、大河が決してこっちを向こうとしないことに。
髪の間から見え隠れする耳が、今日で一番真っ赤に染まっていることに。

「・・・はいはい、そいつはわるうござんした」
「そうよ。もっと努力しなさい。わたしが自慢できるようにね」

すたすたと歩いていく大河を、竜児は小さく笑ってから早足で追いかける。

ところでお前耳赤いな 何言ってんのあんたバカ? 顔見せてみろ顔 ぎゃあ前に来るな変態!

楽しそうに騒ぐ竜と虎の声が、8月の夕暮れ空に響いていた。



Fin


作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system