「タイガー、どうしたのタイガー?」

夏休み明けの週の木曜日の昼休み。進学クラスとは言え、いまいちエンジンのかかりの悪い3−Bの教室の一角で、眼鏡の小男がクラスメイトに声をかける。

「へ?んーん。なんでもない」

と、頬を桜色に染めて携帯をあからさまに隠したのは、輪をかけて小柄な少女。小学生サイズの体をふわりと包むように伸びた髪は淡色。肌の色は透けるように白く、長いまつげの下の瞳は夢見るように光をたたえている。
逢坂大河、という名前のこの少女が、前の年まで暴力沙汰をはじめとする数々の恐怖の伝説を振りまき、「手乗りタイガー」の名で恐れられていたとはとても信じられない話である。

「そう?なんか嬉しそうにしてたけど。メール?」

と、深追いするのは能登久光。去年同じクラスになった時こそ、恐怖の「手乗りタイガー」伝説に彩られた大河を恐れていたのだが、2年生も後半になるころから少しずつ話をするようになり、いまではこんな不躾なことまでするようになっている。
もっとも、それは能登の勇気によるものではなく、もっぱら大河が丸くなったことに起因しているのだが。

「あら、なーに?高須君からラブレター?」

と、ひょいっと横から首を伸ばしてきたのは生徒会の書記の子で、何々?と興味深げに瞳を輝かせる。他にも何人かにやにやしながら大河のほうを眺めている。

高須君、というのは何を隠そう大河の彼氏である高須竜児のことである。2−Cの1年間、逢坂大河と高須竜児はドタバタとしか表現のしようのない毎日を過ごし、最後にはとうとう付き合うことになったのだった。
誰かれ構わず噛みつく手乗りタイガーがすっかり丸くなったのは、この高須竜児によるところが大である。

竜児と大河は今年の二月に駆け落ちまがいのエスケープをやらかしており、二人が付き合っていることを知らないものはほとんどいない。もっとも、二人が婚約までしていることとなると、逆に知るものもほとんどいない。
教師と親を除くと、極めて親しい友人が数人知るだけである。この教室にそれを知っているものはいない。

「そんなんじゃないって、待ち受け画面を見てただけだよ」

顔を赤くする大河に周囲は却って興味津津である。へらへらと嬉しそうに眺める待ち受け画面とはどんなものなのか。

「見せてよタイガー見せてよ」

能登がしつこくせまる。昨年なら三発くらいびんたをくらったあとに足払いでその辺に転がされても不思議ではない馴れ馴れしさである。

「もう。なんてことない写真だって。やっっちゃんに…えーと、竜児のお母さんに撮ってもらったのよ」

と、大河が能登に見せたのは、本当になんてことない構図の写真だった。ピクニックにでも行った時の写真か、緑を背景に竜児が写っており、後ろから覗き込むように大河が笑って顔をくっつけている。身長差を考えると竜児は座っているのかもしれない。
構図としては平凡だ。構図としては。

「何々私も見せて?」

と覗き込んだ書記女史の笑顔が凍りつく。不用意に覗き込んだ他の女子も黙り込む。文系クラスで女子の多い3−Bはいつもきゃっきゃうふふと華やかな雰囲気だが、大河を中心とした一角だけがふっと微妙な空気に変化する。

「なによ」

と、不愉快そうな顔で大河がみんなを見上げる。怒っているのではない、なぜこの幸せな写真をほめてくれないのかと思っているのだ。
だがしかし、その写真は若干刺激が強すぎた。大河はいい。どこに出しても恥ずかしくない美少女なのだ。シャープなあごのラインやとてつもなく柔らかそうな頬、形のいい鼻、きれいなブラウンの瞳がありえないほど完成されたバランスで配置され、
まるでフランス人形のようとあちこちで囁かれる。事実、昨年はミス大橋高校の栄冠に輝いている。その大河は写真の中でも現実離れした美しさで笑っている。

問題はその横で笑っている(と思われる)高須竜児である。大きく、わずかに青みを帯びる白目がつりあがった形の瞼の中におさまっており、それだけで結構な迫力がある。
それに加えて白身の中の瞳はギュッと小さく収縮しており、見事な三白眼を形成している。その竜児が満面の笑みでにやぁっと笑っているのだ。

きっと幸せに浸っている表情なのだろう。しかし、息苦しいほどの威圧感に、覗き込んだ少女たちは一様に黙り込んで、どろりと濃い汗を顔に浮かべる。こっそりとその場を逃げ出した子もいる。

「ちょっと、何よこの空気」

ぷっと、頬をふくれさせる大河の横で、能登が苦笑い。

「いやー、タイガー仕方ないよ。俺は1−Aのときから高須と一緒だったからこのくらいじゃ平気だけど、はじめて見る子はやっぱり怖がるよ。特に女の子は」
「あら、私最初から怖くも何ともなかったわよ」

そりゃ、あんたの方が怖かったから!とテレパシーで突っ込みながら能登は苦笑いでごまかす。竜児のおかげで丸くなったとはいえ、いつ角が生えてくるかわからない女である。

「いったい何が怖いってのよ」

目が怖ぇんだよ!とクラスメイトからテレパシーの集中砲火を浴びつつ、大河は待ち受け画面を見つめる。周囲の無理解に多少不機嫌になったようだが、待ち受け画面を見るうちに何となくふにゃふにゃしてきた。
どうやら、3−Aにとってあの壁紙は爆発防止のお札として機能しているようだ。

これに乗じて勇気を振り絞ってその場を和らげようと書記女子が話題を振るが、

「ね、逢坂さんは高須君のどんなところが好きなの?」
「え?全部。えへへ」

ボールは真芯でとらえられ、痛烈な打球となって書記女子を強襲。あまりのおのろけぶりに膝の力が抜けそうになる。すかさずマウントにあがった押さえの能登が

「そこをあえて言うと、どこ?」

と追求。写真を見ながら頬をゆるめてぐねぐねしていた大河だったが、

「目かな?前は口の形がいいなって思ってたんだけど。やっぱり竜児は目がチャームポイントよね」

と、言って周囲をあきれさせる。

チャームって何だよ!と、辞書の書き直しをテレパシーで要求するクラスメイトたちにの真ん中で、大河は一人ふにゃふにゃになっている。


◇ ◇ ◇ ◇


それから2週間ほどあとのこと。

誰かが机の上に置き忘れた携帯電話をとある少女が取り上げたのが騒動のきっかけだった。

「ねえ、誰かケータイ置き忘れてるよ?!」

声を上げて聞くが誰も答えない。誰のかな、と何の気なしに開いた瞬間、がちゃん!と派手な音を立てて彼女は携帯電話を取り落とした。

「どうしたの」

心配そうに駆け寄るクラスメイトに答えることもできず、彼女は口を手で覆って後ずさりするばかり。

「大丈夫?」

そう声をかけて携帯を拾おうとした別の少女が、今度は短い悲鳴をあげて手を引っ込め、その場から逃げ去る。

「何どうしたの?」

女子がキャアキャア言っている中心に男子がやってくる。女子の多い文系コースで少々肩身の狭い思いをしていた男子としては、女子が怖がっているときこそかっこいい姿の見せ所。しかし、

「うわわわわ!」

携帯を拾おうとして飛び上がると、体中にできた鳥肌をなだめるように我が身をかき抱いてその場から脱出をはかった。いいとこなしである。

なんだか見たらまずいものが写っているらしいと気づいた彼らは、ブツに目を向けないようにしつつ、その場で立ちすくんでいる少女をなだめ、ゆっくりと現場から離脱をはかった。そんな騒ぎの最中に、ようやく持ち主が牛乳パックを手に戻る。

「ん?何の騒ぎ?」
「逢坂さん、その携帯逢坂さんのじゃない?あ、だめ!見る前に確かめて!」
「あーっ!」

戻ってきた大河は一声あげると携帯に駆け寄る。女の子向けの愛らしい携帯を拾い上げると、「何よ、拾ってくれてもいいのに」とぶつくさ言いながら、ふーふー吹いて埃をぬぐう。

えー、また高須画像か?と周囲で脂汗が流れ始める。しかし、いくらなんでもキャーとか、うわーっってのはひどすぎるように思える。まぁ、去年の生徒会長選では視線で数人昏倒させたらしいが。

「逢坂さん、待ち受け何を表示してるの?」

全員を代表して恐る恐る尋ねたクラスメイトに

「何って、ほら」

ぱっと突き出して見せたのが今年度最大の蛮行。逃げる間も与えられなかった彼女はばっちり至近距離でモロ画像を見てしまい、「いやーっ!」と絹を裂くような声を一声あげて駆け出す。周りにいた連中もあおりを食らってついチラ見。
ぎゃっ!とかひぃっ!とか短い声を上げる。尻もちをついた者までいる。

「何よ。変なの」

騒がしいクラスの中心で、一人、大河だけは憮然とした表情で待ち受け画面を見ている。


◇ ◇ ◇ ◇


「大河、着替えたらここに来て座りなさい」
「何?」
「いいから、早く着替えなさい」

学校から帰ったばかりの大河に母親が久しぶりに見せる緊張した表情で話しかける。

「わかった」

素直に返事をして自分の部屋で着替えをする。怒られるようなことをしたろうか、と考えてみるが分からない。新しい家族と暮らし始めた時にはいくら歯を食いしばって頑張ってもすれ違ったりわがままが出たりして何度も衝突があった。
でも、あれから何カ月もたった。家では怒られるようなことはしていないし、まして学校でも比較的いい子を通しているつもりだ。

それとも、前のテストで名前を書き忘れでもしたか、と背中を冷やすが、いやいやそれなら最初に自分に連絡が来るはず、と思い返す。

「何?」

キッチンのテーブルに座って母親を見上げる。母親も椅子にすわって、「座って話そうか」状態。

「今日、学校から電話があったの」
「電話?」

まだ思い当たる節が無くて大河がいぶかしげに顔を傾ける。その様子をみて、母親がため息をつく。

「今日、あなたのクラスの子が二人保健室に運ばれたそうよ。知らない?」

知らない、と首を横に振る。

「そう。じゃぁ、はっきり言わないとわからないわね。あなたの携帯の写真を見て、ショックで泣き出したんですって」
「え……ちょっと、どういうことよ」

身を乗り出して食いつくように問う大河に、母親は深呼吸してタイミングをとる。

「それをこれから話し合うの。ねぇ、大河。あなた、携帯に何の写真を入れてるの?」
「それは……」

口ごもる大河に

「人にいえないような写真?」

と聞く母親は、やはり一枚も二枚も上手である。

「そんなんじゃないわ。竜児の写真よ」

きっ、と表情を硬くして大河がそういうのは計算のうち。「そう」と、短く返事をして少し視線を落とした後、これもはかったようなタイミングで話を切り出す。

「大河。これから話し合うことは、高須君がどうのって話はひとまず横に置いておくことにするわ。それをわかってちょうだい。私が高須君をどう思っているかとか、高須君がどんな子かってことは、今からする話とは無関係。わかった?」
「わかった」

なんだか不愉快な話になりそうな雲行きに大河は低い声で答える。

「さっきもいったけど、あなたのクラスの子は、携帯の写真を見て泣くほどショックを受けてるの。先生だって放っておけないわよね。どんな写真を入れているのか、母さんに見せなさい」

向かい合って母親を黙って見つめた大河は、ふた呼吸ほどして「わかった」と言うと椅子をたち、携帯をとりに部屋に向かった。

リビングに残された母親が大きくため息をつく。

表で子供の話す声が聞こえる。

程なく戻ってきた大河は、椅子に座ると、手に持っていた携帯をテーブルの上に置いた。あとは、表情を殺して母親を見つめる。やましさのかけらも感じさせない。何が悪いのか!と心の中で思っている様子がありありと読み取れる。

「どんな写真なのか、見ていいわね」
「うん」

大河の返事を受けて女の子向けの愛らしい色合いの携帯を手に取る。クラムシェル・ボディをぱかりとあけて、そこに現れた画像に思わず息をのんだ。構えていたとはいえ、首のあたりに広がる鳥肌に声一つあげなかったのはさすが女王虎の生みの親である。

「これ、高須君の写真?」
「うん」

ちらりと目をやって娘の表情を見やる。相変わらず、感情を殺した顔をしている。一緒に住み始めた頃には反抗心むき出しでぶつかってくることもまれにあったが、こうやって気持ちを押し殺した顔でじっとこちらを見ている様子は、かえって手強そうに思える。

「どうしてこんな写真作ったの?」

と、問いかける母親の手の中には、大河の携帯がまだ握られている。待ち受け画像は竜児の目、目、目。いろんな表情の写真から切り貼りしたのだろう。全部で20ほどの目がこちらをじっと見ている。写真が気持ち悪いとか言う前に、この写真を作った我が子の心が心配になる。

「みんなが、竜児の目のことを怖いって言うから」
「大河は怖いって思わないの?」
「私は思わない。竜児は優しいし。何でみんなが怖いって言うかはわかるけど……言われたくない」
「そう」

と、言葉をきって、しかし大河の母親は続ける。

「あなたのクラスの子がなぜ泣いたのか、あなたはわかってるの?」
「……」
「わからない?」
「たぶん、気持ち悪いって思われた」

どうやら気持ち悪いという自覚はあるらしいことに、母親は胸をなで下ろす。

「大河、聞きなさい。あなたが携帯に高須君の写真を使うことには、私は何も言わないわ。あなたたち二人は恋人同士なんだし、そのくらいのことはいちいち私が口を挟むことじゃない。でもね、気持ち悪い写真を使うのはやめなさい」
「竜児は」
「大河!」

きっと表情を硬くして大きな声を出す大河を、もっと大きな声で制する。

「大河。私は最初になんて言った?」
「……」
「大河」
「…竜児のことは…関係ない…」
「わかるわね。私は高須君がどうのって話はしていない。この写真が気持ち悪いって言っているの。なぜ気持ち悪いかはわかるわね」
「わかる」
「じゃあ話は簡単よ。高須君の写真は使ってもいいわ。でも、気持ち悪い写真はだめ。あなたは女の子だからそんなことはしちゃだめ。いいわね」
「わかった」

母親はほっとため息。これでこの話は終わりだ。大河にとって譲れないようなことは言いつけていないし、本人も素直に『わかった』と答えている。心の底が素直かどうかは別として、頭のいい子だ。
この件で言うことを聞かないときに何が起きるか、それは言うことを聞く場合について損か得か、そのくらいはわかるはずだ。

部屋に戻る娘の背中を見送りながら、これでもう少し男の趣味がよければいいんだけど。と、もう一つため息をつく。


◇ ◇ ◇ ◇


『タイガーさんの話聞いたか?』
『聞いた聞いた、携帯の写真だろ』
『なにそれ』
『携帯の写真見せただけで相手を保健室送りにしたらしいぞ』
『まじかよ』
『さすがタイガーさん、精神攻撃も最強かよ。かっけー!』


◇ ◇ ◇ ◇


「たぁーいがぁー!蓮コラ作ったんだって?見せて、見せて!」


◇ ◇ ◇ ◇


「ねぇ、竜児。聞いていい?」
「なんだ?」

二人並んで帰り道。昨年は半同棲状態だった二人だが、今年は大河が親と生活しているので帰り道は途中までである。
おまけに大河の弟が今年生まれたばかりで面倒を見なければならないので、寄り道もせず、わずかな二人でいられる時間に買い物や会話を楽しんでいる。

「あのさ、熱帯雨林が小さくなっているのは、私たちがゴミをたくさん捨てるせいって本当?」

ぶん!と音の出る勢いで竜児が首を回して大河を見る。まなじりはつり上がり、白目はぎらぎらと輝き黒目はぐっと収縮してドス黒い狂気を可視範囲に振りまく。このまま縛り上げて香港に売ってやろうと思っているのではない。うれしいのだ。

「お前もとうとう地球環境の大切さに気づいてくれたか。俺はうれしいぜ」
「竜児、泣かなくてもいいから教えてよ」
「おう、つい目頭が熱くなったぜ。そうだな、たくさん捨てればほかの資源を余計に使うからな。無駄使いと同じだ。熱帯雨林の減少の一因と言っていいだろう」
「あまりゴミを出さなければいいの?」
「いや、それだけじゃ駄目だ。分別しねぇと。紙ゴミ、燃えるゴミ、金属類、生ゴミ、ペットボトルは基本だろう」
「どうして分別するといいのかしら」
「たとえば高性能焼却炉ってのは生ごみだろうがペットボトルだろうが無害になるまで焼くことはできる。けど、燃料がいるんだよ。ただでさえモノを燃やすと二酸化炭素が出るのに、油まで燃やさなきゃならねぇ。おまけになんだかんだ言ってたくさん燃やすと炉が痛むだろう。
建て替えには金がかかるよな。その点、分別して燃えるごみだけ燃やすようにしたら、油はほとんどいらないし、建て替えも先延ばしになるからエコだ。それに再利用を勧めれば森林伐採の必要が少なくなる」
「ふーん」

妙なハイテンションで気分よさそうに話す竜児を大河がちらりと見上げる。

「でもさ、分別しても意味がないって言ってる子がいたよ」
「何だと!」

竜児の目がギラリと日本刀のように光る。連れてこい!ばらばらに切断して生ゴミと燃えないゴミに分別してやる!と思っているわけではない。そんな悲しい言葉を聞きたくないのだ。

「ゴミの業者がインチキしてちゃんと処理してないからペットボトルも何もかも結局燃やしてるんですって。だから分別なんかしなくていいって」
「違うだろう!」

竜児が目を眇める。

「業者がインチキしているから、俺たちも手を抜いていいなんてことはないんだよ。業者がインチキしてるなら業者を正せ!」

今や黒目はいつもよりさらに縮み、地球環境への愛と市民への怒りでぱちぱちとスパークを放ちそうになっている。

「ねえ、竜児。やっぱり分別しても意味がないような気がしてきた。あしたからまとめて捨てちゃだめ?」
「だめだ!」

ぐいっと首をひねり、業者の不正を裁く閻魔大王の目で竜児が大河を睨みつける。がしかし、

「なんだよ、大河」

睨みつけた先にあったのは大河の携帯。邪眼によく耐えて壊れなかった日本製携帯電話は、竜児の怒りの顔をアップでパシャリと写真に収める。

「うふふ。一枚ゲット」
「大河、お前からかってるのか?」

戸惑いながらもこめかみに半分マジの筋を立てながらせまる竜児に、大河は目を線にして笑う。

「ごめんごめん。この写真大事にする。エコを忘れそうになったらこの写真をみて思い出すから。ちゃんと分別もする。本当よ。約束する」

わけのわからないことを言う大河の笑顔に竜児は気勢をそがれて

「お、おう。そうか」

と、尻切れトンボ。


◇ ◇ ◇ ◇


両親も弟もとっくに寝静まった深夜。自分の部屋で一人、今日撮った恋人の写真を見る。ギロリ、と目をむいてこちらを睨み付けている竜児。大河のバラのつぼみのような唇に笑みが浮かぶ。

竜児が好きだ。

出会ったころは、恐ろしく懐の深い優しさを持つ、だけどちょっと芯の弱そうな男の子だと思った。でも、それは大間違いだった。長い時間一緒にいて、最後に分かってきたのは竜児がとても強い意志を持つ男の子だということだった。

顔が怖いからと、避ける友達に受け入れてもらえるよう、竜児は優しい子になった。

独りで竜児を育てる泰子のために、竜児は掃除や洗濯をするようになった。

泰子に心配をかけないよう、親や先生の言うことを聞く子になった。

なんて意志の強い男の子なんだろうと思う。自分は親に見放されてふてくされて毎日泣くだけの女だった。せいぜい外に向かって強がって見せただけ。でも、竜児は違った。強い気持ちで正しくあろうとし続けていた。
そして自分の心がばらばらになりそうになったその時に、竜児だって膝をつきそうなほどつらい目に会っていたのに、お前が好きだと強く強く抱きしめてくれたのだ。

こんな男の子とめぐり会えたなんて奇跡だと思う。竜児のおかげで何もかも変わった。こうやって当たり前のように普通に暮らしている新しい家族とも、竜児と出会わなければギスギスしていたかもしれない。

竜児の目が怖いなんて当たり前。あの奥には、本当は誰にも見せない強い意志が隠されているのだ。親の遺伝なんて大したことはない。

こんな話を竜児にしたら、「かいかぶるな」と笑うかもしれない。それでもいい、逢坂大河だけが知っている高須竜児がいる。あの眼の奥には自分を守ってくれる強い意志が潜んでいる。


◇ ◇ ◇ ◇


「先生おはようございます」

職員室で声をかけられた教師は、自分のクラスの生徒におや、と心の中でつぶやく。逢坂大河がこんな朝早くに来るとは。それも職員室にわざわざ来るとはめずらしい。3年にあがって素行が良くなっているとはいえ、こういうことには無縁だと思っていたが。

当の本人は職員室だというのに堂々としたもの、脚を綺麗にそろえ、手をきゃしゃな体の後ろに回し、フランス人形のように整った顔に軽いほほえみを乗せてちょっとだけあごを出して立っている。

「先生、先日はすみませんでした」
「えーと、何だったかな」
「携帯の写真のことです」
「ああ、あれか」

騒動が起きたときにはどう対応するか苦慮したが、結局親に電話をしたのは正解だったらしい。

「もう、気持ち悪い写真は使いません。みんなを怖がらせたくないから」
「そうか。わかってくれればいいんだ」

そういってほほえむが、逢坂大河はまだ自分の改心を説明仕切れていないと思ったらしい。教師に反応する時間を与えずに後ろ手に持っていた携帯を突き出す。

「ちゃんと、普通の写真にしました。ほらっ!」

それが今年度二番目の蛮行。

のけぞっていすから落ちそうになる担任を、恋ヶ窪ゆり(独身31)が遠くから苦笑しながら見ている。

待ち受けに表示されているのは、高須竜児その人。

地球環境への蛮行に対して怒りを燃やす竜児の顔を半分ほどをトリミングした拡大写真には、かえって尋常ならざる迫力がある。逆光気味の光に暗く沈んだ顔面に、そこだけ青白い光を放っているような白目が写っている。
そしてその中心でぎゅっと小さく収縮している黒目が、「俺は尋常じゃないぞ」と、全力で叫んでいる。地球の大切さを理解できないような連中には、拳でわからせるしかない。1000人のモヒカン頭どもを眼力で金縛りにかけ、拳の風圧だけで大気を血しぶきでいっぱいにしてやる。
高須竜児の世紀末環境覇王伝説の始まりであった。ひゃっはー!

と、いうわけではない。

愛しているのだ。逢坂大河と、すべての人と、地球環境を。

(お・し・ま・い)



作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system