「45分待ちだってよ」
「いいじゃない。並ぶわよ」
「家に帰るころには飯の時間過ぎてるぞ」
「外食にしましょうよ。どうせあんたのことだからその辺はぬかりないんでしょ」
「当たり前だ。誰に向かって口きいてると思ってんだよ」

早めに帰って家で食事ができるようちゃんと食材は用意しているが、遅くなって外食してもいいように、消費期限が切れるようなものは冷蔵庫に入っていない。高須竜児。どんなときにも家事に抜かりはない。

「じゃ、決まりよ。どーんと構えて並んでればいいのよ」

お前みたいに小刻みでドジを繰り出す奴の横で、どうやってドーンと構えてられるんだよ。

ジェットコースターでの大騒ぎはどこへやら。大河は今日の締めくくりをこれ以上ない絶叫で飾るつもりらしい。一方、ドジを踏む、泣く、怒る、暴れると大車輪だった大河に振り回されて、すでに竜児はへとへとである。
気配りエネルギーも消費しつくした感があって、大河の言葉にも、おう、おう、と適当な返事を返すだけ。

ぐだぐだのうちに終わってしまう下見をもとに、一体大河はどんなデートを計画するのか竜児には想像もつかない。だいたい、ジェットコースターをどうするつもりなのか。
自分だけ乗らないつもりか、それともさっきみたいに歯を食いしばってやり過ごす気か、ああ、もうわからねぇ、と竜児は特大のため息を漏らす。

「なによ、竜児。ため息なんかついちゃって」
「疲れてるんだよ。てか、お前は疲れてねぇのかよ」
「『疲れた』っていうのは働いた人や勉強した人が言う言葉よ。あんた一日遊んでいたじゃない」

俺はお前の面倒を見るのに疲れたんだよ!とは言わない。ぶっ殺されるから。

「大河、俺ソフトクリーム買ってくるわ。列に並んでてくれ」

全身を覆うぐったりとした疲労感に、竜児の脳みそはさっきから『もっと糖分をよこせ!』とわめいている。いつも燃費の悪い大河は不思議なことにまだ平気なようで、ひょっとするとこいつは遊ぶ時だけ高燃費か?と竜児は眉を寄せる。

「さっき食べたばっかりじゃない。あ、でも私もほしい!竜児!バニラ!」

おう、と、背中で手を振って大河のそばを離れ、「すみません」と丁寧に声をかけてびっしり並んだ客の列を割っていく。時折「ちっ」、と舌打ちが聞こえるが、基本的にお詫びのために顔をあげると人波が割れる。もういい。
疲れた。俺は落ち込まないぞ、と竜児はゾンビの表情で列を離れていく。

ぐったり疲れた体で売店まで辿りつき、メニューを見上げる。たかがソフトクリームに250円。さっきの3段アイスとはわけが違う。ごく普通のソフトクリームがだ。
これが普段の竜児なら目じりを釣り上げてメニューをくまなく探し、妥当な価格でそこそこおいしそうな代用品を探し始めるところだ。
だが、エネルギー切れを起こしている竜児の不完全な良心回路はで、とても良心的とはいえない値段付けにも目じりを釣り上げるなどできる分けもなく、素直に500円払って両手にソフトクリームを装備すると大河の待つ列まで引き返してきた。

帰りは楽なもので、「すみません」と声をかけると顔も見ずに通路をあけて通してくれた。みんな親切じゃないか、と竜児は低燃費で静かにむくれ気味である。

「ほら」
「やった!竜児が食いしんぼだからアイス食べ放題だわ」
「言ってろ。こいつもおごりだ」

えへへ、と嬉しそうにソフトクリームを受け取ると大河は、ぺろりとクリームのご神体をひとなめして

「あ」

いきなりドジってくださった。形のよい鼻には白いクリームがちょこんと付いている。盛大にため息をついて思わず突っ込む竜児だが、

「おまえいきなりなにやらかしてんだよ」
「うぇぇぇ、竜児、早く早く」

大河は聞いちゃいない。拭って、と顔を突きあげる。自分で拭うという発想はないらしい。まぁ、ハンカチを探している間にぽとりとクリームが落ちてしまう姿もありありと想像できるので、あるいは的確な判断なのだろう。

まったくよう、とつぶやきながらハンカチを取り出してぬぐってやろうとして、

「おう」

思わずガン見。

「え?何?」

これはこれで…ありかも。などと思ってしまう。もともとツラはいいのだから、鼻の先にクリームをつけるドジっ娘の姿は、なかなかどうしてかわいい。あるいはこれで北村のハートを鷲掴みに。

「あー、いや。なんでもねぇ」

なわけねーか。と竜児は拭ってやる。鷲掴みにする前に、そんな計算高い演技を大河に求めるリスクの高さが恐ろしい。素直に食べようとしてこれなのだ。鼻につけろと指示したら目玉でアイスを舐めかねない。そしてそのドジのつけは全部竜児にまわってくる。

鼻を拭ってもらって大河は改めてソフトクリームをひと舐め。表情は帽子の下に隠れる。くぐもったような甘い声が聞こえてきて、ああ、満足そうだなと確認。竜児もガブリとクリームにかぶりつき、おう、甘い、と一息つく。

亀の歩みでしか進まない列の中でソフトクリームをなめているうちに、糖分補給が終わったせいか竜児にも少し余裕が出てきた。体の疲れは相変わらずだが、気分が少し楽になっている。
少し余裕の出てきた頭で周りを見回して、先ほどからうっすらと感じていた妙な違和感の正体がわかった。

「なあ大河、これってあんまり絶叫してないな」
「ふぇ?あ、ほんとだ」

二人してスカイスクレーパーのご本尊を見上げる。

当遊園地最凶最悪などという大げさなレッテルを貼られている割には、さっきからそれほど客の悲鳴は大きくない。

アトラクションの構造はシンプルそのもので、天に向かって高さ100mの柱が一本立っているだけである。その柱を囲む形で4脚のいすが4つ背中合わせに配置されている。客がいすに座るとジェットコースターの時と同じようなバーで体を固定し、16人を椅子ごと真上に引き上げる。
そして一番上についたらそのまま落としてしまうのだ。当然ブレーキはついているが、ブレーキがきき始めるまで、存分に自由落下を楽しめるわけだ。

「えーと、最初の1秒で…」
「竜児、あんた何ぶつぶつ言ってるの?」
「ちょ、ちょっと黙っててくれ。今計算してるんだ」

気でも狂ったかといぶかしげに見上げる大河の横で竜児はなにやら暗算。少したって、ようやくはっきりと言う。

「だいたい4秒くらい自由落下してるな」
「ふーん、計算でわかるんだ」
「ああ、物理の初歩だぜ。最初の1秒で重力加速度の係数の半分だけ落ちるんだ。地球上だとだいたい5mだな。あとは時間の自乗に比例した距離になる。4秒だとだいたい80mくらいか。最上部まで引き上げないだろうし、一番下に来る前にブレーキが始まるから、4秒弱だろう」

どうだ、理系志望の力を思い知ったかと晴れ晴れとした表情でタワーを見ながら竜児は解説するものの

「ふん、これだから理系犬は融通が利かないのよ。そんなの時計で計ればいいじゃない」

と、大河は一蹴、竜児に忘れていた疲れをもう一度思い出させる。

もっとも、時計で計るなら少し耳を澄ます必要がありそうだ。竜児たちのいるところからはタワーの頂上部分は見えないのだ。落ち始めは耳で確かめるしかないだろう。

二人が並んでいるところは大きな天幕による屋根が覆っており、強い日差しから守られている。雨の日にもぬれる心配もない。ジェットコースターや観覧車にはこんな天幕は無かったから、きっと遊園地一の絶叫マシンのために特別に作ったのだろう。
天幕はタワー基部も覆っており、おそらくは高さ15mくらいのところにある穴をタワーが貫通する形になっている。

乗客は自由落下が終わって停止したあとや降りたときに、ひゃーとか、ふへーとかジェットコースターの降り場でも聞いた情けない笑い声を上げているくらいで、落下中に悲鳴を上げている人はほとんどいない。これならジェットコースターのほうがずっと悲鳴がやかましい。
張り切って屋根まで作ったのだろうが、どうやらそれほど怖くないのかもしれない。

怖くないなら、それもいいかもしれないと竜児は思う。ジェットコースターで竜児の名前を叫んだことすら忘れるほど興奮した大河も、これくらいなら落ち着いて乗れるかもしれない。ならば、北村と最初にこれに乗ればいいのだ。
うまいこと4人掛けだから、大河、北村、竜児、実乃梨で座ればいい。

いや、と竜児が目をすがめ、瞳を小さくする。3人ともてっぺんから突き落としてやる、と考えているでのはない。席順を考えているのだ。いきなり北村と大河だけだと不審がられるか。北村、大河、竜児、実乃梨の順がよさそうだ。これなら自然。

そんなことを考えたり、大河とおしゃべりをするうちに少しずつ列は前に進む。最近の弁当は肉が少ないとか、タンパク質より野菜を今は摂らなければならないとか、独身の授業は退屈だとか、お前宿題に名前書き忘れたらしいなとか、みのりんに前髪笑われたとか、
北村の日焼けがはんぱねぇとか、やっちゃんお酒飲みすぎとか、この前おまえんちの冷蔵庫チェックしたらアイスとジュースだらけだったぞ、とか。どうでもいいことばかりだけど、気がつけば話しているのはお互いの友達と、それ以上にお互いのことだったりする。

当然と言えば当然か、と竜児はほほえむ。お互い想い人が相手の親友だから共同戦線を張ったのであり、おまけに虎と竜はワンセットなのだから。

学校以外の社会とほとんど接点を持たない上に共通の趣味なんかない二人の話題は、勢いお互いの友達か二人の身の回りのことばかりになる。

適当な会話を続けながら、いったい大河はどんなことを考えながらおしゃべりをしているのだろうと思う。このわがままで単細胞でどうしようもない気分屋が、実はみんなの知らない繊細な顔を持っていることを竜児は知っている。
竜児とあった頃、大河はひとりで泣いていると言ったことがある。実際、竜児は大河が泣いているのを何度も見た。

親にかまってもらえない一人暮らしの中で、将来のことや、思うようにいかない北村のことを思って何度も泣いていたのだ。さっきの観覧車の件だってまるで今では無かったような顔をしているが、きっと明日になればやはり同じことを不安に思うのだろう。

大河と北村をくっつけるには、どうしたらいいのだろう。このどうしようもなく手のかかる女を親友と言える男に押しつけることに多少とも良心の呵責を感じることが無かったわけではない。しかし、心根は優しい女だし、北村への気持ちは本物なのだ。
なんとかしてやりたいと思う。

遊園地デートがうまくいくかどうか、竜児にだって絶対とは言えない。どうすればうまくいくか、疲れがたまってきた体と頭では、正直よくわからない。でも、うまくいってほしいと思う。大河の恋が叶えばいいと思う。もちろん、竜児の恋だってかなえたい。

「竜児!何ぼうっとしているのよ。私たちの番よ!」

脇腹にいきなり肘をたたき込まれて思わず苦痛に顔をゆがめる。大河の大声に振り向いた前のカップルが竜児の苦悶にゆがむ顔を正面から見てしまい、慌てて目をそらす。待ち続けること45分。ようやく、本当にようやくだ。二人の番が回ってきた。

「ああ、もう私乗る前から疲れちゃった。列が長すぎるわよね」
「てか、俺は列に並ぶ前から疲れていたぞ」
「あんた犬なんだからスタミナくらいつけなさいよ」
「お前と会話するだけでHPを削られている気がする」

大河の帽子を預け、係員の指示通り靴を脱いで椅子に腰掛け、ジェットコースターの時と同じく上から降りてくるバーで前に回した髪ごと大河の体を固定してやる。竜児の方は、ようやく座れて人心地。絶叫マシンだろうがなんだろうが、椅子は椅子だ。

やがて全員の準備が終わるとベルが鳴り、ゴトリと揺れて乗客が小さな悲鳴を上げた。カタカタと音をたててゆっくりと登り始めた椅子は、すぐに人の目の高さを超える。

「竜児、結構並んでたんだね」
「おう、45分だからな。列が長いはずだぜ」

目の前には天幕の下に並ぶ人、人、人。仕切りのテープに沿ってぐねぐねと並ぶ何百人もの人の列が広がる。椅子が上昇するにつれ、列の見え方もかわっていく。

「ねぇ、竜児」
「おう」
「遊園地。北村君誘った方がいいと思う?」
「何だよお前のアイデアだろう」
「うん。そうだけど。いろいろあったじゃない。竜児はどう思う?」
「誘え」

竜児は断言する。北村はきっと喜ぶ、と。喜ばないはずがない。そして二人の仲は進展するだろうと思う。大河の片思いもそろそろ先に進んでいい頃だ。
さっきは遊園地ダブルデートがいったいどうなるのか頭を抱えていた竜児だが、ソフトクリームによる糖分補給が追いついたせいか、あるいはようやく椅子に座れて落ち着いたか、今は前向きになっている。

「そっか。北村君喜ぶか。よし、誘おう」

すぐ横で、大河が顔をほころばせ、犬がしっぽを振るみたいに脚をぶらぶらと振る。そして、竜児に向かって顔を上げるのと同時、

「わあっ!」

と声を上げた。

大河だけじゃない。竜児もつられたように「わぁっ」と狂眼乙女全開に声をあげる。

それどころか、いすに固定されて引き上げられている全員が声を上げた。乗客を乗せたいすは天幕の高さに到達し、そして天幕に開いた穴をくぐり抜けた。ここにきてはじめて竜児は大きな天幕が張ってあった理由を理解する。
あれは日よけでも雨よけでもなかった。これを演出するためだったのだと。

天幕を抜けた竜児たちの上には突如として青い空が広がった。濃い青に沈みゆく空には鱗雲が浮いていて、暑いけどもう秋は始まっているのだと知らせる。そして、沈みゆく太陽がその雲を赤く染めている。濃い青と赤の作るコントラストに全員が息を呑んでいた。

「空、おおきいね」

大河がつぶやくように言う。透けるように白い肌は夕日にあかね色に照らされ、大きな瞳もきらきらと輝いている。

「おう。いつも建物に遮られてるけど、こうやって高いところに来ると空って広いな」

もちろん、河原に来れば空は広いし、校舎の2階から見る空もなかなかのものだ。
だけど、やっぱり何か違う。高い柱に引き上げられながらむき出しの椅子から見上げる空はとてもとても雄大で、ジェットコースターには無かった心の余裕がある分、竜児の胸をさわやかにしてくれる。

一方、天幕は急速に遠ざかり、足下には遊園地広がり始める。いつの間にか椅子の高さはジェットコースターどころか観覧車を超えており、遊園地で一番になっている。うねうねとのたうつレールの上を、おもちゃのように疾走するコースターから悲鳴が聞こえる。
遊園地の外の道を自動車が行き来している。遠くの線路を電車が走っている。

「なんだか全部おもちゃみたい」

大河がクスクスと笑う。

観覧車よりも高く、観覧車よりも開放的な景色だった。こりゃぁいい。センチになんかなりようがない。大河も大喜びらしく、竜児に「ほら、あのビル高い」とか、「飛行機が飛んでる」とか、「あれって野球場?」などと次々と指さす。
そのたびに竜児は大河の紅葉のようなかわいらしい手が指し示す方向に目をやり、一つ一つ相づちをうったり、答えてやる。

「大河、遊園地来てよかったな」
「うん、本当にそう思う」

青空の中につり上げられたまま、二人顔を見合わせて笑う。意味もなく、幸せな気分になった。

「ねぇ竜児、北村君てさ」

大河がうれしそうに何かを言おうとした瞬間、椅子ががくんと揺れて停止した。おしゃべりに興じていた16人の乗客から口々に小さな悲鳴が漏れ、そして何が起きたのかを全員が理解する。

地上100m。スカイスクレーパー最上部にご到着である。

それまでの楽しげな雰囲気は一変し、全員が黙り込んだ。さもありなん、これでのんびりした空中散歩は終わったのだ。稼いだ高さをこれから一気に放出することになる。
登る際にジェットコースターのような緊張感が無かった分、突然思い出したこれから起きることに全員が息を呑んでいる。

乗客が黙り込んだせいで、周囲に満ちあふれている町の喧噪が突然大きく感じられ、風の音が急に恐ろしい高さを思い知らせてくれた。そうだ、自分は今地上100mにあって、落下を待つ身なのだ。竜児も大河も表情を硬くし、バーにしがみついてその瞬間に身構えた。

ところが。

「あれ?」

大河が声を漏らす。大河だけではなかった。いぶかしむような声がほかの乗客からも漏れ始める。竜児も同じだ。上についたらすぐ落ちるものだとばかり思っていたのだが、椅子はぴくりとも動かない。息を呑んでいるうちに緊張が切れてきて何人かがひそひそと話を始める。

「竜児、落ちないね」
「おう、す」

ガチャンという大きな音とともに椅子が突然落ち始めた。すっかり警戒を解いていた竜児はなんの対応もできない。声も立てられなかった。聞こえるのは背後でレールがたてる轟音と、一気に暴力的な音量になる風の音だけ。
ハラワタに羽が生えてふわふわ飛んでいきそうな妙な感覚に、大きく吸ったまま息を吐くこともできず、それどころか下手をしたら口から魂が漏れて飛んでいきそうな具合だった。
すごい勢いで風の中を落ちていく椅子に座ったまま、竜児はバーにしがみつき、大河に鬼般若のような顔を向けてひたすら腹筋に力を入れるだけ。

大河も同じなのだろう。目と口をまん丸に開いて竜児の方を向いたまま、きゃーともひーとも言わずにバーにしがみついている。

誰も、何も言わない。悲鳴すら上げられない。

長く長く続いているような落下は、たぶん竜児がさっき計算したとおりたかだか3秒か4秒だったはずだ。いきなり背後でガーッという新しい音が鳴り響くと同時に全員が椅子に押しつけられ、そのまま天幕のあたりで椅子は制止した。

「ひゃー」
「ほぇー」
「ふあははは…」

まわりでうつろな声とも笑い声ともつかない声が上がる。竜児も大河も同じだ。怖くないだって?絶叫マシンとしては期待はずれだって?そうではない、悲鳴を上げることすらできなかったのだ!

カタカタと音を立てて降り続けた椅子が地面につくと、係員の合図でバーがあがる。靴を履いて立とうとして、おっといけない。竜児はよろめく。大河も同じらしく、しかもこいつは本当にこけそうになるが、竜児に腕を捕まれて危うくセーフ。
顔を見合わせて、そしてようやく二人とも笑えるようになった。

「きゃははははは!何これ!」
「あははは!いや、すげぇ」

人の邪魔にならぬよう道を空けながら竜児は柱を振り返る。すでに新しい組が椅子に固定されてカタカタと柱を引き上げられていくところだ。なんてアトラクションだろう。本当に、悲鳴をあげることすらできなかった。

「これだったら、北村君と乗ってもいいよね」

満面の笑顔のまま、おかしそうに大河が言う。

「おう、これなら大丈夫だ」

ああ、いいとも。絶対大丈夫だ。だって悲鳴を上げることすらできなかったのだから。竜児の名前だろうが、北村の名前だろうが、口にすることすらできないだろう。決定だ。こいつがデートの最初のアトラクションだ。こいつでメンバーの頭をがつん!とたたいてやる。
あとは遊園地気分で楽しく過ごせること請け合い。

「うふふふ、本当『最凶最悪』よね、ぐわーって落ちていって、私おなかがくすぐったくなっちゃった。あんたも変な顔してるし」
「ああ、すげぇーぜ。ははは、思い出すだけで笑えてくる。てか、顔のこと言うな。お前も相当だったぞ」
「何よ、ひどいんだから」
「なんかこう、気を抜くと口から魂がぬけちまいそうで」
「あ、わかるわかる!

ようやく。本当にこれで、デートのための下見が終わった気分だ。これで大丈夫。デートは絶対に成功する。大河の恋も竜児の恋も、きっと一歩前進だ。本当に遊園地に来てよかった。なんて楽しいところだ。

ようやく落ち着いてきた二人は、晴々した気持ちで最後に顔を見合わせてもう一度笑い声を上げる。しかし、しかしだ。

「やあ高須!逢坂!偶然だな。ずいぶん楽しそうじゃないか。これってそんなに楽しかったのか?」

声をかけられて振り返った竜児と大河が凍り付く。眉毛のあたりでびしっと前髪を切りそろえ、真っ黒に日焼けした顔の眼鏡の男が手を挙げて近づいてきていた。

北村祐作、なぜお前がそこにいる。


◇ ◇ ◇ ◇


二駅手前で目が覚めた。

大河と二人でがっくり落ち込んで、飯も食わず、話もせずに電車を乗り継いでこの電車に乗り換えた。最初は立っていて、席が空いたから大河を座らせた。大河はすかさず寝てしまい、隣の席が空いたのを見て竜児も座った。
どうやら竜児も座るのとほとんど同時に寝てしまったらしい。よほど眠りが深かったのか、あるいは寝る前によほど疲れていたのか、妙に頭がすっきりしている。大河は竜児の肩に寄りかかって寝息を立てている。

ついてなかった。

すたすたと歩いてきた北村は「なんだ、デートか?相変わらず仲がいいな」などと軽口をたたいて二人をパニックに蹴落とした。言い訳などできるはずもない。「お前を陥落させるためのダブル・デートの下見だ」などといえるはずがなかった。

大河の

「やっちゃんを連れてこようって言ってたの」

という、苦し紛れの、しかしぎりぎり嘘ではない一言にすがるように

「おうそうだ。三人で来るはずが泰子が来れなくなったんだよ」

と、話をあわせて見るも、納得したのかしてないのか、少し話をして北村は戻っていったのだった。

北村は今日、女子ソフトボールチームの練習試合の応援で近所に来ており、帰りの経路に遊園地があったのでほんの少し立ち寄っただけだということだった。つまりは女子ソフトボール部も一緒だったのだ。

起き抜けの頭でそのときの会話を思い出しながら、そういえば女子ソフトボール部にいるはずの実乃梨が来なかったなと思い出す。
北村によれば全員が同じアトラクションに並んでいたらしいのだが、だったら実乃梨だって、いや実乃梨こそ大河を見つけて駆け寄ってきそうなものだ。駆け寄って来られたら来られたで、言い訳を迫られただけだろうが。しかし、それにしてもなぜ。

ああ、わからねぇ。

小さくつぶやいて横で寝息を立てている大河を見下ろす。いったいどれだけがっかりしたことだろう。誘おうとした本人に見つかり、おまけに竜児とのデートと勘違いされたのでは、遊園地に誘ってでダブルデートなどできるはずもなかった。遊園地の話はお流れだ。

(私こんなに頑張っても振り向いてくれないし)

観覧車のゴンドラの中でそう言った大河を思い出す。今回だけはこいつのドジのせいじゃなかったのだ。ドジは確かに踏んだが、どれも何とかフォローできるものだった。ただ、最後についてなかった。

家に帰ったら泣くのだろうか。誰にも、竜児にも見せずに涙を流すのだろうか。

泣き虫め、冗談じゃねぇ、と思う。親に放り出されて、想い人に声すらかけられずに大河は一人で泣いていた。運が悪かったからって、これ以上泣く必要なんか無いのだ。

竜児だって同じだ。これで実乃梨との遊園地デートはお流れ。だからといっていちいち落ち込んではいられない。片思いとはそう言うものだ。次のアプローチを考えるだけだ、日々のアプローチを重ねていくだけだ。

「おい、大河。起きろ、もうすぐ着くぞ」

肩を揺すって小さく声をかける。よほど疲れていたのかなかなか起きない。ってこともないか。と、竜児は苦笑い。こいつはいつだって寝起きがしゃっきりしない。電車の中で大声を出すわけにも行かず、肩を大きく揺らし、肘でつついて起こしにかかる。

「!」

ふがっとか、ふにゃっとか言う声と同時に飛んできた裏拳に額を殴られて、竜児が無言で頭を押さえる。

電車の乗客は目の前でいきなり演じられたコントにぷっと吹き出すやら、にやにや笑やら楽しそうだが、手を下ろした竜児の血しぶきをまき散らしそうな凶眼に目をそらす。思わず席を立って去っていった人もいる。

ちくしょう、もう遠慮しねぇぞ。

さっと立ち上がって肩を抜くと、いきなり枕を失った大河がぐらりと揺れ、座席にぱっと手をついてようやく目を覚ました。

「ふぇ?」
「もうすぐ着くぞ、ほら」

返事を待たずに網棚に上げておいた、つば広の帽子をぽんとかぶせてやる。かぶせられた大河はつばを持って帽子をかぶり直すと、竜児を見上げる。まだ寝ぼけているのか、悲しさも、悔しさもない、あどけない顔で。
ねぇ、どうして電車に乗ってるんだっけ?ご飯は?とでも言いそうな顔で。

それを見ていられなくて、

「早くしろって、ドアが開くぞ」

乱暴に言い放つと、くるりと向きを変えて一人電車を降りる。あ、待って!そう一声発して大河が立ち上がると電車から駆け下りる。

ドジのくせに走って降りたりして、こけても知らねぇぞ。

冷房の効いた車両から出てきたのでそれなりに暑さを感じるが、それでも昼間よりはだいぶましになった。それはそうだろう。いくら暑くたって、もう秋なのだ。

携帯をとり出して時間を見る。7時半過ぎ。まだ時間はある。

「大河」

なによ、と言う声を聞きながら、きっと今頃ようやく今日のことを思い出しているのだろうなと思う。

「飯、これから材料買うからスーパーについて来いよ」
「ええ?こんなに遅いのに?外で食べた方がいいんじゃない?」

思い出して、きっとまただめだったと落ち込むのだろう。

「だめだ。俺が納得できねぇ」
「納得できないって、何よ」

太陽はとっくに落ちてしまっていて、空の明かりだけが残っている。もうかぶっている意味のない帽子を取って体の前で持っている大河に向き直る。発車した電車が轟々と音を立てて二人の横を走っていく。
どうしようもなく我が儘で、態度がでかくて、乱暴で、怒りっぽくて、ドジで、泣き虫で、どうしようもなく傷つきやすい大河。

「俺たちには作戦が失敗したなんて落ち込んでいる暇はねぇんだ。落ち込んでいる暇があったら次の作戦を考える。そのためには飯だ。うまい飯を食って、腹をいっぱいにして気分を切り替える」
「だからご飯は外で食べようって……うまい飯?」
「おう」

ぎろり、と不動明王の目つきで大河を見下ろす。卵に漬けてパン粉をまぶして揚げてやろうというのではない。好物を食わせてやろうというのだ。

「今日はトンカツにする」

厳かに言い放つ。

「でも時間が」
「とって置きの新レシピがあるんだ。ミルフィーユトンカツって知ってるか?」
「ミルフィーユトンカツ?」
「おう。薄切りにした豚肉を束ねて間に脂肉を挟んだトンカツだ。脂肉は小さく切るからお前の嫌いな固まりじゃなくて、肉汁になる。一口噛んだだけで旨みたっぷりの肉汁があふれ出してくるんだ。言うまでもないが衣はサクサクだ。
昼間の偽物なんかと比べものにならないくらい旨いトンカツだぞ。どうだ、食いたいだろう」

不道明王から一転して悪事へ誘うような凶悪な笑顔で見下ろす竜児を大河が見上げる。ごくりと、つばを飲んだのが喉の動きでわかる。あどけない表情が消えて、腹を空かせた猫の顔になる。

「私、もうおなかぺこぺこで死にそうなんだけど」
「我慢しろ。我慢するだけの価値のあるものを食わせてやる」

自信満々で言い放って、竜児は向きをかえると出口に向かって歩く。後ろで駆け出す足音が聞こえて、大河が追いついてくる。

「何よ、待たせるだけ待たせて期待はずれだったら許さないんだから。覚悟しときなさいよ」
「お前じゃあるまいし俺がそんなドジ踏むかよ」
「何ですって!」

今では腹を減らした肉食獣の顔になった大河をいなしながら、竜児はスーパーで買うものを考える。今日はキャベツは安かっただろうか。

「なあ大河」
「何よ」
「北村のこと、あきらめないでがんばろうぜ」
「当たり前じゃない。あんたこそ私と北村君のためにきりきり働きなさいよ」
「はいはい」
「返事は一回!」

気がつけば虫の声がすっかり秋のそれになっている。タイムセールは終わっただろうか。

いや、閉店前でかえって安いかも。

(おしまい)




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