白く透き通るガラス細工の様なその脚は、ちゃぱちゃぱと力無くプールの水面を蹴っている。

「どうしたんだ、大河。泳げなくても水に浸かればいいじゃねえか。暑いだろ?」
「…いい。」
「浮き輪使うの恥ずかしいのか?なら俺が手持っててやるぞ?」
「別に今更……ちょっとは恥ずかしい、ケド」

そんな事じゃない、と吐き捨てる様に呟く。
宝石の様に煌く大きな瞳は、付し目がちなせいで長い睫毛が被って、輝きも褪せて見え。

「なんだよ、お腹痛いのか?日陰行って休むか?」
「…いいって言ってるでしょ?」

ギロリ、と睨み付けるその眼力も幾分威圧不足に感じる。その位で丁度いいか、とはもちろん声に出さない。



しかし、やはり心配は心配で別ではある。
朝から不機嫌そうな、ダルそうな感じはしていたのだが、週始めの月曜日だしこんなもんかと思っていたが、
これはどうやらそういう事ではないらしい。

「一体どうしたってんだよ、大河。」
「……………。」

しばらく沈黙が続いた。こういう時は黙って待つのが吉と決め込み、竜児もプールから上がり大河の横に腰を下ろす。
やがて、竜児を見ないまま大河がボソボソと喋りだした。

「私もね、やっぱり女としてはばかちーみたいな脂肪ばいーんが理想なワケ。」
「へ?お、おぅ…。」

誰が脂肪ばいーんだっ、という怒声が遠くから聞こえてきた気がしたが、敢えて聞こえない振りをして竜児は促す。

「…竜児もやっぱりそう思うでしょ?」
「バババ……な、何を…ッ!」

今更そんな事を気にしていたのか、とか、俺は別に気にならないとか。
そんな気休め程度の言葉すら言えなかったのは、淀んだ大河の目が初めて竜児に向けられた瞬間、予感がしたから。

いわゆる『嫌な予感』だ。そしてそれは―――

「…部屋のタンスの引き出し、2番目の裏…」


―――的中。

今までで一番の冷や汗が背中を伝う。ここがプールでなかったら、来ている服が張り付くほどだったろう。
竜児に与えられた選択肢は2つ。謝るか、開き直るか。フル回転で答えを導き出したつもりだったが。

甘かった。
回答権は竜児には与えられない。

「…別にいいの。竜児がそんな本持ってたからって、怒ってるわけじゃないの。別にね。」

怒ってないよ、という繰り言が一層竜児の恐怖を呼び起こすが、大河は構わず続けた。殆ど独り言の様に。

「むしろノーマルな嗜好で安心したわ。悔しいけど竜児の趣味が私の外見にぴったり該当する方が逆に引くし。」

フフ、フフフ…と自虐的に笑う大河の周辺にはどんよりとした負のオーラで溢れ返っていた。
竜児は、出来る事ならこの場から走って逃げ去りたい衝動を必死に抑えるので精一杯。
とても気の利いた言葉など言えない。

「だから…やっぱり、竜児は私に、その………」
「あ、あの…タイガサン?」


バゴッ!!
「がはっ!?」
「と、とととときめいたりしないの…?」

真っ赤な顔でもじもじとしながら、搾り出すような小さな声で。
そんな姿に「今殴ったのはスルーか!?」とも言えず。痛む鼻面を押さえながら、竜児は

「プ…はっはははは!!」

笑った。どんな無茶を言われるかと身構えていたので、ホッとした訳ではない…いや、ホッとしたのは事実だが。

「な、何よ!?馬鹿犬!!駄犬!!人が真剣に悩んでるのに!!」
「すまんすまん。そんな事で悩んでるなんて…ふ、振りかぶるな!いや、悪い。頼むからこれ以上殴らんでくれ。
こんな所で鼻血でも出してたら変態のそしりは免れんぞ。」
「うっさい!!お似合いよ!!…竜児の、バカっ!!」

完全につむじを曲げてしまった大河に溜息を一つ付くと、竜児は超高圧高須式水鉄砲で大河を狙い打った。

「ぷぁっ!?なにずんのよごのエロ駄犬!!」
「この際そこは否定しねえけど(出来ねえけど)、お前は相変わらず馬鹿だな。」
「な…何ですってぇ……っ!」

団子状に結った髪が弾けて解けそうな程、大河の負のオーラは怒りのオーラへと変わっていた。
少々腰が引けながらも「やっぱりこっちの方がらしいか」などと竜児は割と悠長に思っていた。

「お前さ、俺の目付きが怖いって今でも思うのか?」
「アンタの目付きの悪評は百年経っても消えないわよっ!!」
「じゃなくて…え、そこまで?…い、いやともかく!お前は怖いとか思うわけ?」
「んなわけ無いでしょ?アンタの悪辣な目なんか最初ッからビビッてないわよ!!だから何よっ!!」

まるで取り合わない大河に、竜児は諭す様に続ける。

「じゃ、じゃあ…嫌か?目だけ取り替えられたら取り替えてえのか?」
「な…そ、そんな事言ってないじゃない…。」
「何で?」
「??」
「何でだよ?百年消えない悪評が立つような目つきなら、取り替えたくないか?」
「そ、それは言葉の綾っていうか…な、何よ?気にしてるの?」
「そんなんじゃない。どうなんだよ?」

ここまで来て、ようやく大河は竜児が真剣に言っているのに気付く。でも、質問の意図が見えない。

「…そのままでいい。」
「何で?」
「…何で、って…。」



「そんなの…竜児だから、よ。」
「俺もだよ。」

え、と言う大河を置いて、竜児はプールに飛び込んだ。そして直ぐに浮かんでくると、大河に向き直って

「趣味嗜好はともかく…………大河だから、その…と、ときめいたり……は、する。て、何言わせんだよ!」
「自分で言ったクセに。」
「はぁ。誰にも聞かれてないだろうな…?」

思わず周りを見渡す。クラスの皆は思い思いに楽しんでいるようだ。気に留める者はいない。
間違っても川嶋などにだけは聞かれないように、と心から祈っていた。

「ふぅん。竜児は私の水着姿でときめくんだ。」
「お、おぅ…文句あるか?」
「欲情して、息を粗くしてはぁはぁ、へっへっへっへ…とか言っちゃうんだ。」
「そこまでは言ってない。ま、さすがにスクール水着に欲情する趣味は無いけど……ぐおっ!!」

言い終わる前に、大河の魚雷のようなドロップキックを喰らって竜児は2〜3m吹っ飛ぶ。

「りゅ〜じ〜〜〜っ!しずむ〜〜!」

早く助けなさい、と溺れかけながら息巻く大河。何て勝手な、と思いながらも結局竜児はそれを支えるのだった。

「馬鹿犬のクセに生意気言うからよっ!!」

その表情は、言葉とは裏腹にさっきと打って変わった満面の笑み。
そして、ヘッドロックをかましながら、竜児の背中に引っ付く。

「た、大河!苦しい、っていうか!は、恥ずかしいから離れてくれ。」
「ヤだ。私がこうしたいんだから、アンタの意思は関係ないの♪」

背中にくっついたまま離れない大河。竜児にしても本気で引き剥がすつもりもなく。
結局いつも通りじゃれあう二人だった。




「ま、でも当然あの本は没収だから。というか、次見つけたら燃やす。」
「ははは…は。」
「ブサ鳥を。」
「はは、は……………………………………………………え?」

生涯最高の冷や汗記録、絶好調更新中――――。


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