竜児サイド
「はぁ…。」
溜息も一際大きく、竜児の苦悩を表していた。
そう、あの女の子に頼まれた事が、そもそもの始まりだった。
「手作りの…クッキー作りを手伝ってほしい?」
どっかで聞いた事があるような…と、竜児は大河と初めて出会った時を思い出したりしていた。
「はい。実は私、どうしてもプレゼントしたい人がいて…。やっぱり、手作りの方が愛情がこもってるじゃないですか!」
「あ、あぁ…。そうかもな。」
「私、手芸部の先輩から聞いたんです。あ、私手芸部なんですけど。っていうか、自己紹介もしてません私っ!!ああ、ごめんなさいっ!」
「大丈夫だから、取りあえず落ち着け。」
「は、はい!スー、ハー…。」
胸に手を当て、深呼吸をする女生徒。
遠目には胸に手を当て、頬を赤らめているように見えるのは、当然竜児の知る所ではない。
「私、2年の相野三崎(あいのみさき)っていいます。三(さん)ちゃんって呼ばれてますから、高須先輩もそう呼んでくださっていいですよっ♪」
「…い、いや…遠慮しとく。」
「えー、そうですかぁ…?まぁいいや。あ、でもでも、名前で呼んでくださいね!私、妹がいるから苗字で呼ばれるより名前で呼ばれるのが普通になってて!」
小学校のときなんか…などと、ほっておいたらいつまでも喋り続けそうなこの少女・相野三崎を、取りあえず本題に戻してやる事にする。
「えっと、三崎…その、それで手作りクッキーがどうのって話だけど。」
「ああっ、忘れてました!そうですそうですそうなんです!!手芸部の先輩が『高須先輩は私達より器用』だって言うじゃないですか!しかも料理も上手だって!!」
「そ、そうか…。」
確かに昔手芸部に頼まれてレクチャーをした事があるのだ。おそらくその時の誰かだろう。
「お願いします!クッキー作るの、手伝ってください!」
「いや、それはいいんだが、何故俺に?クッキーぐらい、いくらでも作れる子もいるだろう?」
「確かに作るだけなら…でもでも、先輩はもう一つ貴重な情報を私にもたらしてくれるはずなんです!」
「貴重な情報…?」
両手を胸の前で握り拳にして、竜児の顔前にずいっ、と体ごと突き出して力説する三崎。
それがどう見えるかは、ご想像に任す所ではある。
「私がプレゼントしたい人は、このクラスにいるんですっ!」
成る程、と納得した竜児。
確かに相手の趣味思考や恋人の有無などを知る上でも、同じクラスの竜児なら適任と言える。
「まぁ、クッキー作りぐらい別に手伝ってもいいけど…。」
「本当ですかっ!!ありがとうございますっ!!」
大喜びで何度も頭を下げる三崎。
大河の突き刺さりそうな視線はずっと感じてはいるのだが、三崎のその姿を見ると、どうにも憎めない。
理由を説明すれば、大河もわかってくれるだろう。そう軽く考えていた竜児だった。
「それじゃ、明日の放課後とかでいいですか?」
「ああ…家庭科室でいいんだろ?」
「はい!使用許可は取って置きますから!」
満面の笑顔で何度もお礼を言いながら、三崎は竜児たちのクラスを後にしようとする。
その去り際。
「あ、この事は誰にも言わないでくださいねっ☆」
「え?」
そう一方的に言い放って、三崎は跳ねるような足取りであっという間に消えてしまった。
「だ、誰にも…?」
それは、俺の背中のこの視線の先にいる、あの姫君にも―――か?
大河サイド
「たいがー、たいがー。そろそろ許してやるべ。高須くんがやましい事なんて、するわけないって。」
結局昼休みから放課後まで不貞寝を決め込む大河の席の前で、実乃梨がなだめるように言葉をかける。
大河にしても、実乃梨に言われるまでもなく、それはわかっていた。
ちょっと、やきもちを焼いて見ただけだ。別に竜児が浮気をするなんて、これっぽっちも思ってはない。
ただ、妙にあの女【相野三崎】が馴れ馴れしそうにしてるのが腹が立った。それだけだ。
「ほっときなって実乃梨ちゃん。結局こいつは甘えてるだけなんだから。」
「これこれ、わざわざ事を荒立てるでないよあーみん。」
「うっさいわね…ばかちー。」
わかってるわよ、と聞こえないほど小さな声で呟く。亜美はそんな大河に一瞥すると、そのまま教室を出て行った。
「あ、あーみん。」
実乃梨はいったんその後を追いかけようとして、その前に大河に耳打ちをする。
(おらおら、さっさと仲直りしちまいな!この実乃梨せんせいが手伝ってやるから。)
どーいう意味…と大河が尋ねるより早く、実乃梨は竜児に向かって大声で。
「おぉーい高須君!!大河が一緒に帰りたいそーだぜっ!」
「み、みのりん…!」
言って、自分は亜美の後を追う。竜児にアイコンタクトで「よろしく頼むよ」と促して。
「…。」
「…。」
大河が振り返ると、自分の席で固まってる竜児と目が会う。
教室には微妙な緊張感となんとなく期待感が高まっているようにも感じたが、大河には関係のない事だった。
やがて、金縛りが解けたように竜児が大河の元まで歩み寄る。
「…帰ろうぜ。」
「…。」
大河はぶすっとしたまま竜児を睨み付けたが、やがて鞄を掴むと、それを竜児の胸元に押し付ける。
竜児サイド
「おぅ…な、何だよ?」
「荷物もちするなら、話くらいは聞いてあげるわ。」
「…お前は。」
そもそも俺が何かしたのか?と文句の一つも言いたい所だが、それを耐えて竜児はその鞄をつかんで身を翻す。
「…ほら、帰るぞ。」
「あ、待ちなさいよっ。」
しょうがない奴だ、と溜息一つ。
でも、後にパタパタと続く足音にホッとするのだから、仕方ない。
後は、相野三崎の事をどう話すか―――それが問題だ。
でも、その逡巡は徒労に終わるだろう。何故なら、相手は逢坂大河だ。竜児の隠し立てなど通用しない。
洗いざらい聞き出されるに決まっているのだ。
竜児は、心の中で三崎に手を合わせる。他の奴には言わないからと言い訳しながら。
〜おまけ:実乃梨&亜美サイド〜
ポン、と肩に手を置いたのは実乃梨だった。
その顔は笑顔。
「んふふ、まあ心配なのはわかるけど。相変わらず天邪鬼だねぇあーみんは。」
「…子供を諭すみたいに言うの、やめてくれる?」
「だーいじょうぶさっ!あの二人は。明日にはケロッとしてるよ。」
「だから心配なんかしてねぇっての。」
「あのあのー、高須先輩!私聞きたい事があるんですケドっ。」
「…ま、まあ大体わかる。」
「なら、説明してくれませんか…この状況をっ!!?」
翌日。約束通り家庭科室で三崎にクッキー作りをレクチャーする竜児。
そして、その二人から離れた教室の一番後ろ、壁に背を持たれかけた大河。右手には竜児もよく見慣れた木刀を遊ばせている。
「気に…するな。」
「これ気にしなかったら、私ちょっとおかしい子ですっ!!」
全く持って返す言葉もなかった。竜児は大河に聞こえないような小さな声で「スマン」と呟き
(邪魔する訳じゃないからさ…と、とにかくクッキーを作っちゃおうぜ?)
(えぇ〜〜…超気になりすぎなんですけど…。それに、誰にも言わないで下さいって言ったのにぃ…。)
(重ね重ねスマン…。)
竜児に合わせるようにボソボソと話す三崎。その姿が手乗りタイガーを触発するに十分である事は、想像に難くないだろう。
「あら、なんか私お邪魔してるかしら?お・二・人・の…。」
「ニコッ」と笑うその顔が怖いから、などと竜児が言えるはずはもちろんない。
「誰かに言いふらしたりするつもりないし、その点は安心して良いわ。別に邪魔する気もない。ただここにいるだけよ。悪い?」
「うわぁ〜、全部聞こえてるし…。」
「とっ、兎に角だ!三崎も早く作ってしまいたいだろう?俺もあまり長々とは居られないし!さあさあ、早速作ろう!今すぐ作ろう!!」
「んん〜〜…ご本人に内緒にしててくれるんならまあいいんですけどぉ。」
大河の方を見ながら右に左にと首をかしげる三崎。
そう言えば目当ての人がクラスにいると言っていたな、と竜児は昨日の言葉を思い出していた。
「でもでも、じゃあちっちゃい先輩さんは何でここにいるんですかぁ?」
「ひぃっ…!!」
思わず悲鳴をあげる竜児。
「…あぁ?」
大河は三崎を射殺そうかとばかりに睨み付け、持たれかけた背を壁から浮かす。
そんな空気が読めないのか、そもそも危機管理能力が欠如しているのか、三崎は構わずさらに続けた。
「…ひょっとしてぇ、高須先輩と私が二人っきりなのが心配だったんですかぁ☆」
「みみみみみ三崎!!」
「はぁい、何でしょう?三ちゃんって呼びたくなりましたかぁ?」
「ならない!」
「そうですか…それだけ力いっぱい否定されると、少しショックです…。」
(頼むから、本題に戻ろう!)
(せっかくならあのちっちゃい先輩もこっちくればいいのに。)
(いいからっ!!)
大河と三崎の間に割って入るようにして、三崎の背を押しクッキー作りに入る。
「…フン。」
幸いにも大河は爆発に至っていなかったようで、再び背を壁に預ける。
今だけで寿命がかなり縮んだな、とため息を付きながらとにもかくにもさっさとこの空間から抜け出したい、と願う竜児だった。
「そこで混ぜすぎないようにな。混ざったなと思ったらすぐ止めていい。」
「ハイッ」
生地を混ぜ、冷やし、オーブンで焼く。総じて約1時間。その間大河は一切その場を動こうとしなかった。
「…なあ、三崎。その、上げたい相手って結局誰なんだ?俺はてっきりその人の好みとか聞きたいのかと思ったぞ?」
「あ、ハイ!実は実は…あー、そうかっ!!好みとか聞けばよかった…高須先輩知ってますか?」
「…いや、だから誰なんだって…。」
「え?言ってませんでしたか?」
やっぱり天然だなこの子は、とややあきれながらもその相手というのに興味がないかと言えば嘘になる。
「じ、実はぁ…。」
思い切って、といった趣で三崎はその思い人の名を口にした。
「は…?」
鋭いその目を真ん丸くして、竜児はその驚きを隠せないでいた。
振り向いて見ると、大河も同じように目を丸くしている。
「で、高須先輩に渡すの手伝って欲しいんです!わ、私なんかとても一人じゃ声掛けられなくてっ!!」
「て、て、手伝うって…どうすればいいんだ?」
動揺しつつも、何とか言葉をつなぐ竜児だが、動揺はありありだ。
だが、一人興奮している三崎はそれどころじゃないようだ。
「教室の入り口まで呼んでもらうだけで良いんですっ!」
「そ、それでいいのか?人気のないとことかじゃなくて?」
「それだと返って緊張して…。」
「まあ、それでいいならいいけど…。」
良くないけど、とも言えず。なし崩し的にそれを受諾する事になった竜児。
きっと今週の占いをすれば、最悪だろう。年下の女性に気をつけろ、と出るのかも。そんな事を考えながら。
翌日放課後。
「な、なぁ川嶋…さん。」
「はぁ??」
いきなり竜児にさん付けで呼ばれ、思いっきり怪訝そうな顔をする亜美。
「お、お前に用があるって人がいるんだ…今教室の入り口の所に来てる。ちょっと行ってやってくれねぇか?」
「いったい何よ?ファン?そういうのマジ迷惑なんだけど。」
「いや…スマン。」
「な、ちょ…そんな本気で謝んないでよ!わかったってば…。」
頭を下げて謝る竜児に、仕方なくめんどくさそうに席を立つ亜美。
「…。」
「…。」
その後姿を見送り、無言で目を合わせる大河と竜児。
「大河、帰ろうか。」
「そうね、竜児。」
「おお、二人とも仲直りしたかね!うんうん、よかったよかった!」
「ま、まあな櫛枝。」
「そ、それじゃねみのりんっ!」
挨拶もそこそこに、そそくさと立ち去る二人。もちろん亜美の向かった入り口とは反対から。
しばらくして、目の据わった亜美が戻って来る。顔はやや青ざめて。
手には何やら可愛いラッピングがされた包装紙を抱えていた。
「ど、どしたあーみん??」
恐る恐る声を掛ける実乃梨に、その目つきのまま向き直る。
思わず実乃梨も一歩後ずさった。
「…高須くんは…?」
「さ、さっき何か急いで帰ってったケド…?」
「あの野郎…知ってて逃げやがったな……!」
言うが早いか教室を飛び出していく亜美。
何がなんだかわからないままに取り残された実乃梨は、一人ぼーぜんとするしかなかった。
「何か知らないけど、あーみんが怖いぜい…。」
「いやー、世の中には色々な人がいるもんだな…。」
「そうね。」
逃げるように教室を後にして、二人はいつもの帰り道を歩く。
「…なんかね、思い出した。」
「ああ。俺もだ。」
はじめて会った去年の春。北村にプレゼントするためにクッキー作りを竜児が手伝った事を。
「…アンタ、あんなしょっぱいクッキー黙って食べるんだもん。」
「お前は出会ったときからドジだったからなぁ。」
「何よっ!」
「キッ」と睨む大河だが、それも一瞬。
「「プッ」」
二人で笑う。
あれから二人でずっと。
怒って、喧嘩して、泣いて―――そして、今笑ってる。
それが嬉しくて。幸せで。
「…フッフッフッフッフ…」
そんな二人の笑い声に被せるように背後から響く声に、ビクゥッ、と二人の肩が揺れる。
「……どうもぉ〜お二人さぁ〜ん♪よ・く・も・騙してくれたわねぇ…。」
「川嶋っ!いや、それは違うっ!決して騙したわけじゃないぞ!黙ってただけで…。」
「それで言い訳してるつもり?」
凄まじい迫力で竜児ににじり寄る川嶋のそのわき腹に、大河が指を突き指す。
「ひゃうっ!!」
思わず飛び上がる亜美。
「逃げるわよ、竜児!」
「えっ、お、おぅ…!」
満面の笑みで手を引く大河につられて走り出す竜児。
亜美の周りにはゴゴゴゴゴとオーラが見えるよう。いや、確かにそれが見えた。
「待てやコラァーーーーーーーーーーーーー!!」
大河は本当に楽しそうで。亜美には悪いと思いつつも、竜児も自然に顔がほころぶ。
「あははは、いいじゃないばかちー!!モテモテで!」
「やかましいちびトラっ!!てめー絶対ぶん殴る!!」
「竜児早くっ!ばかちーに追いつかれるわよっ♪」
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