◇ ◇ ◇ ◇


「ちょちょ、何これ!」
「おい、大河!竜河の手離すなよ!」

突如現れた楽団の行進にあちこちから歓声があがる。ここ千葉県某有名遊園地は休日の人で猛烈に混んでいる。駆け寄った人々はあっという間に楽団を人垣で囲み、少し離れた人々も群れをなして寄って来る。

こんなところで迷子になったらとんでもないことになる。そんなことはわかっている。でも、わかっていてももみくちゃにされて、母と娘は離してはいけない手を離してしまう。

「おかーさーん!」
「竜河っ!竜河っ!」

自分の背の低さが恨めしい。小さな娘の姿はついたてのように立ちはだかる人波に飲み込まれてあっとい間に見えなくなった。

「おかーさーん!おとーさーん!」
「おい大河!どうした」
「手、離れちゃった!」
「馬鹿、なにやってんだ!」

馬鹿も何も無いわよ!と蹴っ飛ばしてやりたいところだが、その竜児の姿も見えない。声が聞こえるだけ。本当に腹立たしい人混みだ。

「おとーさーん!おとーさーん!」

あの馬鹿娘、土壇場ですがる相手を変えやがって。とは思うものの、手を離したのは自分だし、竜児が頼りになるのも紛れもない事実。そして何より、氷のように冷え切った背中が、事態がどんどんまずい方向に流れていることを知らせる。

「おーい、竜河!ちきしょう、声は確かにあっちから聞こえるんだが」

もみくちゃにされながらも押してくる若い男の脇にエルボーを叩き込んだ時、竜児の声を聞いて突如頭上の太陽のように明るくナイスアイデアがひらめく。
にやりともらした笑みは肉食獣のそれ。一息大きく吸い込むと、竜児に聞こえるように、はっきり大きな声で竜河をしかりつけた。

「ああーっ!竜河!ソフトクリームで服汚しちゃ駄目でしょ!」
「何!」

人垣の向こうでプシッ!と音が聞こえたような気がした刹那、いっそう大声で大河が一声。

「きゃー!」

半径三十メートルの人々がいっせいに大河の悲鳴に振り向き、次いで一角から「うっ」「うわぁ」と微妙な声が。そして立錐の余地もないほどぎゅうぎゅうだった人波が大河から見えない所で割れ始める。眼と眼があってしまったのだ。竜児と。

パックマンの口のように割れた裂け目の向こうには、半泣きの竜河。突如開いた人波の向こうに父親を見つけて、今度こそほんとに泣きながら駆け寄ってくる。


◇ ◇ ◇ ◇


「おとーさーん、こわかったー」
「おう、よしよし。もう大丈夫だから。服汚さなかったか?汚さなかったのか」

と目をすがめて我が娘をなでる竜児。だが泰児は知っている。怒っているのではない。傷ついているのだ。あ、そういえば。

「ねぇ、お母さんは?」

割れた人波と方角違いにいたらしい大河は、まだ家族と合流できずにいる。どこかであっぷあっぷしているのだろう。

「いいんだ。さぁ、行こう」

あちゃー、父さん怒ってるぞ。と、泰児は独り笑いをかみ殺す。



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