竜児と別れて1週間、新しい家族と暮らし始めてから毎日、大河は眠れない夜が続いていた。


夜、ベッドの上で横になると脳裏に浮かぶのはいつも、春に竜児と出会ってからのこと。
互いに気持ちに自覚の無いまま過ごした騒々しくも穏やかな日々。
おそらくはこれまでの人生で一番安らいだ日々。

今にして思えば、傍にいてほしいと思ったときにはいつも竜児は傍にいてくれた。
父親に裏切られ一人ぼっちだった文化祭の時は、ボロボロになりながらも親友と2人で真っ先に駆けつけてくれた。
クリスマスのときなんかは他にもっと大事なことがあったのに、一人ぼっちだった私のところに来てくれた。
修学旅行のときも危険を顧みずに助けに来たのはやっぱり竜児だった。

あの時も、あの時も・・・・。


でもその竜児は傍にはいない。

自立すると言って高須家に行かなくなった時も、寝室の窓の向こうにはいつも竜児の存在は感じていた。
でも今はそれもない。


淡い思い出を振り返る最後にいつも感じるのは自分の手に、腕に残るあの感触。





あの夜、大河は結局ほとんど寝ていなかった。
竜児が寝たのを見計らって、再び大河は竜児の部屋に戻ってきたのだ。

「いつまでかかるか分からないけど、きっと戻ってくるからね。」

そうささやいてどういうわけかそっぽを向いて寝ている竜児の頬を撫でてみた。
驚くほど温かい・・・、というより廊下でずっと頃合を待っていたので大河の体のほうが冷え切っていた。

一度触れると竜児のぬくもりをもっと感じたくなり、布団越しにその広い背中を
ひどく頼りなく見える自分の腕で、起こさぬようそっと力を込めずに抱きしめた。

そのまま出発の準備をしなければいけない時間までそうやっていた。



 大河は別れ際に自分の中で約束を作った。
竜児のため、そして私のために、また会える日までどんなに辛い日々が続いても笑顔でいようと。

しかしそれも家族のいる前では気丈に振舞えても、一人になると無理だった。
どうしたって想いが溢れてくる。
自分たちの選択は正しかったと思う。この先に希望に満ちた未来があることも分かっている。
でもやはり、やっと思いが通じ合ってすぐ分かたれて、悲しいものは悲しいのだ。



天井の闇に向かって、その先の星空に向かって溢れる想いを乗せる。
行き場の無い悲しみ、早く会いたい気持ち、そして一人でも頑張る決意を。
この想いは竜児に届いているだろうか?

そうしているうちにようやく眠りに落ちる。その浅い眠りの中で見るのはやはり竜児の夢。
大橋に戻り、竜児に再会する夢。

いつも2人で歩いた通学路の先に竜児の背中を見つけ、驚かせてやろうと思って背中に飛びついて抱きしめようとする。
しかしいつも抱きついた途端に腕に感触だけを残して竜児は幻のように消えてしまうのだ。

「竜児!?どこ行ったの?」
辺りを見回してみるとまた道の先に竜児の背中が見える。

「竜児!待ちなさいよ!せっかく戻ってきたのに無視するんじゃないわよ!」
そう叫んでも背を向けたまま歩き続けてまるで振り向いてくれない。

「もうあったまにきたわ!蹴っ飛ばしてやるから覚悟なさい!」
先を行く竜児に手加減した跳び蹴りでもかましてやろうと思い走って追いかける。
しかし今度はどうしたことかどれだけ走ろうとも竜児の背中に追いつけない。

「竜児!ねぇってば!待ちなさいよ!りゅうじぃ!!」
声が枯れるまで叫んでも竜児は振り向いてくれずどんどん先に歩いていって、ついには消えてしまい、
そして夢はいつもそこで終わる。



朝目を覚ますといつも頬は涙が伝い、枕は濡れ、喉もカラカラに渇いている。

「またあの夢・・・。本物の竜児は消えたりしないよね・・・。ずっと待っててくれてるよね・・・。」
そうつぶやいて丸めた毛布を震える腕で強く抱きしめる。

しばらくそうしていた後、
「自分で決めたんだもん、こんなくしゃくしゃの顔をママやあの人に見せるわけにはいかないわ。」

真っ先に洗面所で顔を洗い、先に起きて居間にいるはずの両親のところへ行く。

「おはようママ。」
「おはよう大河。」
「おはよう、大河ちゃん。」

大河は思う。今は無理やりでもいい。でもいつか自然に笑って家族と過ごせるようになれば、その時は堂々と竜児の元へ、
空翔ける竜のところへ飛んでいこうと。虎の背に翼をつければ何も恐れるものなど無い、
竜と並んでどこまでも一緒に飛んでいくのだと。















話は夜まで遡る。

「そろそろ話してもいいんじゃないか?もうこれ以上は見てられないぞ。」
「そうね、もう話してあげないとね。私だって意地悪で黙ってるんじゃないのよ。」

「毎晩うなされてりゅうじ、りゅうじ、って・・・。ほら、今も。」
「・・・・朝も起きたらなんでもないフリしてるけど私の目はごまかせないわ。あんなに大きなクマ作っちゃって。
声もおかしい時があるし。」

「君の話だと手がつけられないくらい我侭で乱暴だって聞いてたけど、素直でいい子じゃないか。
僕にはまだなじんでくれないみたいだけど。」
「ほんの1週間前まではそうだったんだけどね。何があったんだかあの逃げ出したたった1日で急に成長したみたい。」

「例の『りゅうじ』君か。向こうに行ったら会ってみたいもんだ。」
「高須竜児くん、ね。彼には問い詰めたいことは山ほどあるけど、とりあえず感謝しないといけないみたいね。
私もこれ以上あの子に辛い思いはして欲しくないし、明日病院に行く前に話すわ。」



出産間近なので台所に立てない母親の代わりに朝食を作るのは大河と新しい父親の役目だ。
卵料理さえ満足に作れない大河だったが、パンを焼いてマーガリンを塗るくらいはできる。
本来ならついでに紅茶かコーヒーでも淹れるところだが、
間違って妊婦に濃すぎるのを出したら体に良くないのでそこは父親に任せている。


「あら、大河。今日のは焦がさずに焼けたじゃない。」
「もう、このくらい出来るに決まってるじゃない、子ども扱いしないでよね!」
「まあまあ大河ちゃん、毎日手伝ってくれて助かってるよ。」
「・・・・・どういたしまして。」

慣れては来たものの、やはりまだ新しい父親に対してはぎこちなさは消えない。


「あのね大河、今日病院に行くんだけど、きっとそのまま入院になると思うの。」
「え、もう産まれるの?」

「そうよ。だからね、その間お父さんと二人なんだから仲良くしててね。」
「う、うん、家族なんだから当たり前じゃない。」


「・・・・そんじゃあね、改めて聞くけど大河はこの子も自分の家族と思ってくれる?」
「・・・・・。」

「・・・・私はママの子。その子もママの子。だから私とその子は兄弟。今はちゃんとそう思えるようになったのよ。
今まで意地張って、その・・・・悪かったわ。」

「そう、ありがとう大河。じゃあこの先私が見られないときは私の代わりにこの子の面倒も見てくれる?お姉ちゃん?」
「もちろん、任せといてよ!ほんとはね、産まれてくるのすっごく楽しみなの。だからちゃっちゃっと産んできてね!」

「もう、あんたはまた無茶なこと言って、そういうところは変わらないのね。
あのね、大河。こんな話するのもね、あなたに話しておかなくちゃならないことがあるからなの。
もっと早く話してあげても良かったんだけど。」

「僕は大河ちゃんがここに来てからすぐ話してやれって言ったんだけどねぇ。」
「この子がちゃんとうちの家族になってくれるまで待ってたのよ。もう安心みたいだけど。」

「もう、一体何なのよ、二人してもったいぶって。」

「ほら、まだあんたが新学期から通う高校の話してなかったわよね?」
「あ〜、そういえばすっかり忘れてたわ。他のことで頭一杯で・・・。」

『他のこと、ねぇ・・・・?』
「もう、なにニヤニヤしてるのよ!」

「ふふふ、ここよ。きっと気に入るわよ。」


そう言って見せられたパンフレットの高校は・・・・


 母親が入院して何日かたったある日、父親は仕事なので大河は一人で母親の面会に行った。

「具合はどう?もうすぐ?」
「そうね、お腹の中でよく動いてるわ。ちょっと元気すぎるかも。」
「へぇ、ママに似たのかな。困ったもんだわ。」
「何言ってるのよ、あんたも私にそっくりじゃない。」
「ほんとにね。・・・・どうせなら体型も似てくれれば良かったのに・・・・。」

「そんな気にしなくてもそのうち大きくなるわよ。(ペタペタ)」
「さ、触るな!し、身長の話よ!」
「ふぅーん。」


「そういえばあんた、大橋に戻ることはもうお友達には話したの?」
「んー、まだよ。あれだけ大騒ぎしてあちこち世話になって別れてきてからそんなに日も経ってないのになんか気まずくって。」

「まったくだわ、私もこんな体で探し回るの大変だったんだからね。」
「・・・悪かったわよ。でも私の友達のこと悪く思わないでね。
みんな一人だった時支えてくれた大事な友達なの。あれだって私のために・・・。」

「分かってるわ、あんたがこれだけ素直になって帰ってきたんだからよっぽどいいお友達に恵まれたみたいね。」
「うん、またあの場所に戻れるなんて夢みたい!ほんとにありがとうね。」

「そうそう、お友達もだけど、あんたが逃げ出した後の話聞きたい?あの担任の・・・こいなんとか先生・・・」
「恋ヶ窪よ。先生がどうしたの?」

「これ見てみなさい、あんたに見せようと思って持ってきたの」
「何この紙切れ、・・・竜児?」
「裏も見てごらんなさい。」
「え、これって・・・・」


「そうよ、あんたがもし連絡してこなかったらあの先生今頃路頭に迷ってたわね。」
「ここまでしなくてもよかったじゃない!」

「今はちょっとやりすぎたって思ってるわ。でもあの先生のほうから言い出したのよ、
高須君があんたに連絡させるって約束守れなかったら教師を辞めるってね。
私もこんな性格だしあの場では何も言わなかったけど、あの先生の行動見て
あんたが約束守って戻ってきたら退学取り消すってことはもう決めてたのよ。」

「そんな・・・、私あの先生にはいつも・・・」

「私も今時あんな先生がいるなんて思わなかったわ。教師なんてクラスに問題があっても見ないフリするか、
困った時は自分の保身ばっかり考えるか、そんな人間しかいないと思ってたもの。
でもあの先生は違うわね。本当に生徒のことを思って生徒のために体を張れる人だわ。
また担任になってくれるといいわね。私も安心して娘を任せられるし。」

「うん、私もまたゆりちゃんがいいな・・・。戻ったらすぐ謝りに行かなくちゃ。」

「そうしなさい。それにしても一人で暮らしてる間にずいぶんいい人に出会えたみたいね。
本当は私がもっとそばにいなくちゃいけなかったんだけど・・・・。ほんとにごめんなさいね、大河。」

「もういいわよ、ずっと辛かったけどそれがなかったらみんなとも出会ってなかったし、
今はとっても幸せなんだから。」

「そう言ってくれると助かるわ。そうそう、幸せって言えばあんた、もう夜中に悪い夢は見なくなったの?」

「え、え、え、何で知ってるの?何も言ってないのに。」
「そりゃ分かるわよ、あれだけ毎晩寝言でりゅうじりゅうじってうなされてちゃあねぇ?ちなみにお父さんも知ってるわよ。」

「な、な、な・・・・」

「あらあら、真っ赤になっちゃって。まあそのうち家に連れてきなさい。私も話したいこといっぱいあるし。
他のお友達もね。ええっと、北村君と川嶋さんと櫛枝さんだったかしら。」

「う、うん、みんなママのこと怖がってるかもしれないけどそのうち誘ってみるわ。そうなったら赤ちゃんも紹介しなきゃ。」

「ふふ、それなら私も頑張って産まないとね。それにしてもやっぱり私は敵扱いなのね、まったく困ったもんだわ。」



4月2日、朝刊の公立高校の人事異動の欄を見て恋ヶ窪ゆりの名前が無いことを確認した大河はさっそく大橋高校に出かけた。


「失礼しまーす。」

どうやら今日は出勤日だったようでタイミングよくお目当ての人はいてくれた。

「あ、逢坂さん!おかえりなさい、元気にしてた?」
「そりゃもう元気よ、また戻ってこられたんだもん!」

「お母さんに感謝するのよ?すぐ次の日に取り消してくれたんだから。」
「うん、それもそうなんだけどそれも全部先生のおかげ。本当にありがとうございました。それと迷惑かけて申し訳ありませんでした。」

「どうしたのよ改まって、私は何もしてないのよ。」
「ううん、ママから聞いたの。私のために仕事やめなきゃいけなかったかもしれなかったって。ほんとにごめんなさい。」

「そんな、私はただ逢坂さんと高須君を信じただけ、教師として生徒を信じるのは当たり前のことなのよ。・・・・・そりゃちょっとは不安だったけど・・・。高須君には黙っててね?恥ずかしいから。」

「ママが言ってたわ。あんな先生は今時珍しいって。」
「それって、褒められてるのかしら?」

「うん、ママも先生には悪いことしたし改めて挨拶に来るって。」
「それはまた緊張しちゃうな・・・・。」



「そういえば、もう高須君とか櫛枝さんには会った?」
「ううん、まだ。いきなり会って感動の再会を演出しようと思って。」

「そう、きっとみんなびっくりするわね。私の他にはまだ校長先生と学年主任しか知らないから。」

「新しいクラスまたゆりちゃんが担任だと嬉しいな。」
「ふふ、ありがと。クラスは知らないけどできることなら私も最後まで面倒見てあげたいわね。また大変かもしれないけど。」

「・・・・去年はほんとにいろいろ迷惑かけてごめんなさい。あの時のハガキもずっと何書こうか迷ってるうちに結局出さずじまいになっちゃって・・・。
まだ書くこと決まってないの。ずっと待っててくれる?絶対出すから。」

「うん、いつまででも待ってるわ。卒業して大人になってからでも。でもメール魔にはならないでね・・・。」

「え、何の話?」
「いえいえ、こっちの話よ。」


「それじゃそろそろ帰るね。また新学期に。」
「ええ、またよろしくね。」

「あ、そうそう、もう一つ謝らなきゃいけないこと思い出したわ。」
「ん?何?」

「あのね、私先生の先越しちゃった。ごめんね。」
「え、え?何の話?」

「プロポーズされちゃったの!それじゃあまたね!」


「・・・・え・・・・・?ええええええええええええええ!?」


恋ヶ窪ゆり(30・独身)はこの後1年間これでもかと見せ付けられるバカップルっぷりの恐怖はまだ知らない。



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