都心から特急列車を利用して数時間、古き良き佇まいを見せるこの温泉街は
手拭い片手に下駄履き浴衣姿の宿泊客で大いに賑わっていた。もっとも今回は
とある田舎駅で途中下車というオプションも追加しているので、急ぐ気ゼロの
ローカル列車に揺られてやっと到着したのであるが。

「にーくにっくにくにっくにくー☆」
「何だよその肉々しい欲望丸出しの電波ソングは」
「だって動物性タンパク質は生命の維持に必要不可欠なんだしー」

小さな民宿から老舗の大型旅館、郵便局にコンビニまでもが軒を連ねる駅前通りを
歩いているだけでワクワクしてしまうのは俺だけではないはずだ。
それに、湯上り美人状態の大河を見てみたいという邪な?願望もあったりする。

「えーと、この角を曲がって突き当たりのちょい手前…っと、ここかな?」

薄暗い路地の中でぼうっと光る宿の看板。来客に気づいた女将が玄関先に
姿を見せると「高須様でいらっしゃいますか」と尋ねてくる。

「はい、高須です。今日はよろしくお願いします」

そう言って大河とともに頭を下げ、少々古びた建物の中にお邪魔する。
スリッパに履き替えている最中も奥から美味しそうな料理の匂いが
漂ってくるのがたまらない。


宿の夕食時が過ぎると、再び通りは浴衣姿の人々で賑わいを取り戻していた。
別に信州でも何でもないのに軽井沢ソフトクリームだったり(だがそれがイイ)、
酒屋が店頭で地ビールを販売していたり(大手メーカーのビールとは味わいが
違う、ビールが苦手な人間こそ飲んでみて欲しい)、カラフルなミキサーが
何台も並んでいるジューススタンドなど、湯上り後の水分補給タスクを簡単に
行なえてしまうポイントがそこかしこに点在している。

「から〜んころ〜んからんからんころんっ♪」
「それ違う!つーか下駄しか合ってねーだろが」
「ぷー。だって幽霊とか出てもおかしくないじゃない」
「そうかもしれないけど…こんなに人が多いと出るモンも出ねえよ」

観光案内のパンフレット片手に二人でそぞろ歩き。視界の先には真っ白い湯煙が
もくもくと立ちのぼっていて、これぞ定番「温泉玉子体験」なる看板を発見。

「ねえ竜児、あれやってみようよー」
「おう!家じゃなかなか出来ないからレッツチャレーンジッ!」
「ちゃまご〜ちゃまご〜」

ごぼごぼと音を立てて熱湯が湧き出る岩の周りは木の柵で囲まれていて、卵が入って
いると思しき網がぶら下がっているのを見て大河が何かを思いついたようで。

「要するに、卵と一緒にお風呂に入ったら時間が節約できるよね」
「はあっ?黄身が固まる前に茹で虎になっちまうぞお前」
「家族風呂だと盛りのついた駄犬をなだめるのに時間がかかるのよねー」
「そ、それは…別にいいじゃねえか…」



窓から見えるのは、漆黒の闇の背景と近くの民宿の窓からこぼれる幾つかの灯り。
時折通りを走り去る車の音が聞こえるだけで、普段の生活では感じることもない
夜の静けさが異様に思えてくる。
薄暗い部屋の明かりが二人を照らし出す。湿気を帯びた大河の髪は妙に光沢を
帯びていて、どんな色なのかと訊かれたら上手くは答えられないけれど。

「さっき食べた柚子ソフトクリームおいしかったよねー」
「そうだな、柑橘系のさっぱりした風味が風呂上がりに丁度良かった」

そう、暗い黄色、艶のある茶色。こんな色をした宝石があったと思うのだが。
大河の髪の色とは言えない、というかそれではちっとも答えになってないし。
さて何と言ったものか…風呂上がりの少しぼうっとした頭で色々と考えてみたり。

「ねえ竜児、さっき駄菓子屋で買った飴なんだけど」
「ん…う〜ん」
「これって琥珀色だよね。パッと見は地味だけど、じっくり眺めたらすごくキレイ」
「そうだな…懐かしい感じのする色合いで…って…それだっ!」

大河の小さな手をぎゅっと握り締めて竜児が叫ぶ。何のことかさっぱり分からずに
びっくりした表情で竜児を見る大河。

「いや…あの、何ていうか、今のお前の髪の色は何色なのか考えていて…」
「そんなこと考えてたの?まあ駄犬にしては珍しく美的感覚があるわね」

悪戯っぽい表情を見せて飴を一つ取り出すと、竜児の口にくいと押し込む。


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