車が徳生学院に近づくにつれ、未来が無口になっていった。

今週のお泊りは、あと数分で終わる。
次に我々夫婦が迎えに行くまで、未来は施設での生活することになる。
それは、幼い未来にとっては、辛い事だろう。
 後部座席では、妻の響子が未来のマフラーを直している。
マフラーは未来の為に、響子が編んだもの。未来が大好きなピンク色だ。
「ねえ、今度はいつお迎えに来てくれるの?」
未来が、響子に問いかける。
「土曜日にお迎えに行くよ。」
「何回寝るといいの?」
「6回寝て、起きたら、お迎えに行くわよ。」
「絶対? 絶対にお迎えに来てね。」
「大丈夫よ。」
響子が未来を抱きしめた。出来る事なら、このまま未来を連れて、自宅に
帰りたい衝動に駆られた。

未来と私達夫婦に血縁関係はない。未来は、生まれてすぐに病院の敷地内に
置き去りにされた子供だ。
普段は徳生学院という、さまざまな理由から親と暮らせない子供達が生活す
る児童養護施設で暮らしている。
私達夫婦は、週末に彼女を迎えに行き、土日の2日間を共に過ごす里親なのだ。
未来と私達は、彼女が小学校に入学する来年の4月に養子縁組をする予定に
なっている。未来も響子もその日が来るのを待ち望んでいるのだ。

一人の子供を引き取るという事は並み大抵の事ではない。
収入や住居・夫婦関係の良好さ等を始めとして、子供を養育するに相応しい生活環境が整っているかの調査が行われる。
その次に、引き取る子供との相性確認の為に、何度も施設に通い、親子となるのに最適な子供を探す為のマッチングを行う。
子供の一生を左右する事になるので、何ヵ月も、下手すると何年もかけて相性の良い子供を探すのだ。


私達が未来と出会ったのは、昨年のクリスマスだった。
その年の夏。妻は子宮癌により、子宮の全摘出手術を受けた。幸い、ガンに
ついては転移は見つからなかったが、37歳で、生殖機能をなくした彼女は
精神的に落ち込んでしまった。
妻は、救いを求めるかのように、学生時代に取り組んでいたボランティア活動
を再開した。
平日は老人ホームへ出向き、歌を歌ったり、紙芝居をしたりして、お爺ちゃん
おばあちゃんを喜ばせ、休日はその地域の篤志家が設立した児童擁護施設で、
子供達と遊んだり、面倒をみたり、手焼きのクッキーを届けたりしていた。
慰問や、手焼きのクッキーを児童養護施設へ届けたりといった活動は、彼女に
活力を与えた。
私は、妻が元気を取り戻して行く姿をみて安堵するとともに、彼女の活動の足
として、週末の活動に参加した。
ただ、この段階では、私は彼女の活動を懐疑的に見ていた。
持てる者が持たざる者に奉仕する事に、偽善の匂いを感じていたのだ。
なので、積極的に参加はせず、行き帰りの運転手と男手が必用な作業を手伝う
程度で、あとは車の中で仮眠しているような状態だった。
クリスマス。私は妻に手渡された衣装に車の中で着替えていた。茶色の安っぽい
ブーツ、赤い帽子、赤いズボン。俗に言うサンタクロースの衣装だ。
 私の出番は、子供達がいまやっている劇の後。妻からの電話連絡で、お菓子
が沢山入った麻袋と共に、登場する事になっている。
今時の子供が、サンタクロースの存在を信じているとは思えない、ならば適当
にサンタらしい振る舞いをしようと軽く考えていた。
しかし、この施設には、サンタクロースの実在を確信する少女がいたのだ。
携帯が鳴る、そろそろ出番だから講堂の外で待機するようにという妻からの指
示だった。溜息をひとつ。プレゼントで満杯の袋を担ぎ、車の外に出る。
12月の風が、帽子に着いている白いボールのような飾りを揺らす。パーティー
グッズのサンタの衣装に防風性を期待できる訳でもない。衣装の下はTシャツ
一枚。このままでは風邪を引くのは時間の問題だ。
仕方なく講堂にほど近い、玄関ホールで風を除けていた。
「あっサンタさんだ!」
ホールに響く声に振り向くと、5歳くらいの女の子が立っていた。
肩までの髪をおさげにした彼女は、突然のサンタクロースの登場に驚いていた。
「やぁ。」
あ〜ぁ、見つかっちゃったよ。子供の夢を壊すなと怒る妻の顔が目に浮かぶ。
女の子は恐る恐る近づいてきた、驚きのあまりか、目が大きく見開かれている。
「ねえ、本当にサンタさんなの?」
年齢相応の舌っ足らずな口調で女の子は質問する。
ええい、こうなったら開き直ってやる。
「そうだよ、サンタのおじさんだよ。みんなにお菓子をプレゼントしに来たよ。」
近づいてきた女の子を抱き寄せてハグした。
「本物のサンタさんだっ! やっぱりいたんだ。でもお爺ちゃんじゃないね?」
あら、いきなり偽物疑惑ですか・・・・。
「いや、サンタクロースは世界中に何人もいて、おじさんは見習いなんだ。」
どうせウソをつくなら、もうちょっとまともなウソをつけと脳内から突っ込みが入る。
「だからお爺ちゃんじゃないし、日本語も喋れるんだよ。」もうどうにでもなれ。
 少女は私の手をふりほどいて、廊下に降り立つ。そして顔をじ〜っと見つめる。
「お爺ちゃんじゃないけど、まぁいいや。」
彼女は俺の腕を引っ張って駆けだした。
玄関の横の講堂の扉を開けると大きな声で叫んだ。
「みんな、サンタさんが来たよ〜!」っと。
この小さな身体のどこから、そんな声が出るんだと思うほどの声量は、クリスマス会
の劇を止めるに充分だった。教室の片隅で、妻が大きな口を開けてぽかーんとしていた。
これが、未来と私たち夫婦の出会いだった。


クリスマス会の後は、夕食を兼ねたパーティーが待っていた。先ほどの女の子が、私と妻のテーブルに一緒に座ることになった。
「お名前を教えてください。」
妻が聞くと、女の子は、はにかみながら答えた。
「みらいだよ。おおはしみらい。5さい。」
右手を大きく開いて、5を示す姿は天使のようだった。
「ねえ、おじさんとおばさんの名前を教えて?」
「おじさんは、宮本大我(たいが)、おばさんは、恭子(きょうこ)って言うんだよ。」
「タイガーさん?」
「いや、たいが だよ。」
「ふーん。あのね、おばさんと同じ名前の子がいるんだよ、あのこ。」
みらいは、二つほど離れたテーブルに座る少女を指さした。
「そうなんだ、おばさんと同じ名前なんだね。」
妻が笑った。

 施設の責任者の男性が、大きな箱を抱えて入ってきた。
「さあ、今年もみんなに、サンタクロースさんから、いっぱいオモチャが届いたよ。」
開けてごらんという声に、何人かの子供達が箱に近づき、中身を取り出して包装紙を剥がした。
 中には、ぬいぐるみやボードゲームが入っていて、子供達がみんなで遊べそうなものばかりだった。
 未来も椅子から降りて大きな箱に向かう。そして箱の外側をしげしげと見つめていた。
 未来が妻に向かって手招きをする。
「おばさん、こっちに来て〜。」
 プレゼントを手にした子供達の歓声に負けない大声で妻を呼ぶ。
 妻は、一瞬、不思議そうな表情を浮かべたが、手にしていたティースプーンをテーブルに置くと、席を立ち、未来がいる方に歩いて行った。
 妻が箱に近づくと、未来は箱の上蓋部分を指さして、何事かを妻に訴えている。
 妻は困った顔をしながら、しゃがみ込んで、上蓋を覗き込んだ。そこに書かれている事を説明しているようだが、みらいは、妻の説明を聞いても、納得していないようだった。 しばらくすると、妻がみらいの手を引いて、テーブルに戻って来た。
「おかえり、箱に何か書いてあったのかい?」
私が聞くと、妻は困惑した表情で言った。
「サンタさんの住んでいる場所を知りたいんだって。」
「えっ?」妻の言っている言葉の意味がよく理解出来なかった。
「あのね、サンタさんの箱をね、お昼にクロネコの人が持ってきたの。」
みらいが、妻の言葉を引き継いで説明してくれた。
「郵便の人が持ってきたんだから、郵便の人はサンタさんに会っているんでしょ、その人にお願いして、サンタさんのお家に連れて行ってもらうの。」
みらいは得意げな表情でそう言った。
「みらいちゃんは、箱の伝票を読んでほしかったみたい。」
「伝票って、送付状の事かい?」
「そう、で、送り主のところに書いてある住所と名前を読んでってせがまれたの。」
「で、なんて書いてあったの?」
「・・・・サンタクロースって書いてあるだけ。」
「・・・・。」
「でも、取り扱った営業所は、大橋郵便局だったわ。」
「なるほどね、サンタさんは大橋市民なんだね。」
誰かしらないが、妻以上に奇特な人がいるらしい。
「とりあえず、何かの手がかりになるかも知れないから、伝票の写真を撮ったわ。」
妻の携帯を覗き込むと、伝票の送り主の部分がアップにされて写っていた。
そして、そこには書き殴ったような筆跡で サンタクロース  とだけ書かれていた。


クリスマス会の間中、妻はみらいと色々な話をしていた。
学園での生活の事、同じ部屋で暮らしている、一つ年上のきょうこちゃんの事。
サンタさんが去年プレゼントにくれた、うさぎのぬいぐるみの事。
みらいは、妻に一生懸命に話していた。その中で、妻とみらいは一つの約束をした。
サンタさんがプレゼントを発送した郵便局とその周りで、サンタさんのお家を
探すというのだ。
クリスマス会が終わり、私たちもお暇する時間になった。
みらいは、私たちを玄関まで見送ってくれたが、職員の声に促されて、自室に
もどって行った。
廊下の奥に消えてゆく、みらいの後ろ姿を妻が寂しそうにみつめている。
「今日は、いろいろとありがとうございました。」深々と頭を下げる、園長先生に礼を返す。
「こちらこそ、遅くまでお邪魔してしまいまして・・・。」
「いえ、普段と違う大人と過ごすのは、子供達にとっても良い経験ですから。」
ガラスの向こうの教室では、高学年と思われる園生達が、パーティーの後片付け
をしていた。
「みらいが随分と引っ付いていましたけど、ご迷惑じゃありませんでしたか?」
「いえ、いろんな話ができて面白かったですわ。」
「そう。それを聞いて安心しました。みらいは少し人見知りが激しい子供ですか
ら、宮本さん御夫婦に懐いている姿をみて、びっくりしたんですよ。」
「そうなんですか、すごく人なつっこい子なのだと思っていました。」
「職員や園生以外とはめったに話さない子なので、よほど宮本さん御夫婦を気に
入ったんでしょうね。」
ドアを開けると、冷たい風が吹き込んできて、教室のガラス戸を揺らした。
「では、ここで失礼します。」
駐車場まで見送ろうとする園長先生を制して、私たちは表に出た。

車の中も、外の寒気に冷やされて、まるで冷蔵庫のように冷え込んでいた。
エンジンをかけて、ヒーターを全開にする。
妻は、後部座席から膝掛けを取り出して、毛布のようにくるまった。
先にヒーターを入れておけば良かったと少し後悔する。
車をバックさせて駐車場を出す。なんだか心地よい疲労感が身体を支配している。
「みらいちゃん。かわいかったね。」
妻が、助手席の窓の外を見ながら言った。
「そうだね。かわいかったね。」
抱き寄せてハグした時の軽さと頬の柔らかな感触を思い出した。
「なんで、あんなにかわいい子供を捨てるのかしら・・・。」
「・・・・人にはそれぞれ事情があるさ。」
「・・・・でも。」
「でもじゃない。子供を育てられない事情なんていくらでもあるさ。貧乏、病気、
離婚、育児放棄。今の時代、逆に馬鹿な親から離れた方が幸せになれる子供だっているよ。」
「望んでも子供が出来なかった私たちみたいな人もいるのにね・・・。」
妻が大きな溜息をつく。
「人生なんてそんなものさ。みらいちゃんの未来に幸多かれし事を願うばかりだ。」
車内の暗い雰囲気を紛らわす為に、あえて軽い口調で言ったのだが、妻は非難の
籠もった視線を投げつけてきた。
「今すぐじゃなくて、近い将来でいいから、私は里親になりたいの。血の繋がりは
なくても、次の命を育み、育てたいのよ。」
「俺は、他人の子供を育てられるほど、出来た人間じゃないよ。」
何度となく繰り返して来た言葉の応酬。妻の気持ちは判らなくもないが、父親の愛
情を知らずに育った俺は、子供を愛する自信はなかった。

物心ついた時には、すでに父親は蒸発して消え失せた後だった。
18で俺を生んだ母親は、まともな会社に勤められる筈もなく、水商売を生業とす
るしかなかった。母親は、男なしでは生きられないタイプの女だった。
思い出せるだけで、6人の男が我が家を出入りし、最初は上手く行っていた関係が
しばらくすると、罵声と何かが壊れる音に変化していった。
母親は、酔うと幼い俺に「あんたがいなければ幸せになれるのに」と言って絡んだ。



俺がグレもせずに生きて来られたのは、早く大人になって独立する事を夢見ていた
からだろう。一刻も早く母親から逃れたかった。
母親が俺の事が邪魔であると同様に、俺にとっても母親は邪魔な存在だった。
昼夜逆転の生活を送る母親と、学生である俺の生活は滅多にクロスしなかった。
毎日、キッチンのテーブルに1,500円が置かれていた。朝・昼・夜の3食を賄うには
充分な金額。学費や、急に金が必要になった場合には、夜、キッチンのテーブルに
メモを書いて残しておく。そうすれば翌朝には必要な金額が置かれていた。
中学を卒業して、地元の高校に進学すると、俺はバイトに明け暮れた。
そうすると、母親と接する機会は全くなくなった。
月に一度、偶然顔を合わせる。そんな関係だった。
幸い、俺はバイトに明け暮れる生活を送っていても、学業の成績は良かった。
高校卒業後、大学に進み、中堅どころのイベント運営会社に就職すると、寝食を忘れ
たように仕事に打ち込み、30歳を過ぎる頃には、大きなイベントを取り仕切る立場
になった。


ティーン向けの雑誌のイベントは、随分と華やかな雰囲気だ。
雑誌の看板モデルが勢揃いして、バレンタインデーのチョコを手にしてフラッシュの
放列に向かい笑顔を振りまく。
観客の多くは小学校の高学年から高校生までの女の子。カメラ小僧も紛れ込んではい
るが、制服・私服の警備員が一定の距離以上には近づけないよう見張っている。
「亜美ちゃーん!」「こっち向いて〜!」と言った黄色い声に混じって
「亜美さま〜。」「こっち向いてくださ〜い。」という野太い声も混じる。
ケミカルウォシュのデニムは色褪せ太い。何年巻いているんだ?と聞きたくなるほど
草臥れたようなチェックのバンダナにカメラマンベスト。川嶋亜美の事務所の人間か
ら、要注意人物だと伝えられた男は、カメラ小僧達の真ん中に陣取り、高そうなカメ
ラでモデルの女の子を狙う。
手元のトランシーバーで舞台袖に配置された警備責任者に注意を促した。

イベントが終わり、出演者達は帰って行く。ただ1人、川嶋亜美を除いて。
「おつかれさま。まだ帰らないのかい?」
俺が聞くと、川嶋亜美は営業用の笑顔を見せた。
「ええ、マネージャーが迎えに来てくれる筈なんですけど、来ないんです。」
困っちゃいますよね〜。川嶋亜美は明るい声で言う。
「次の仕事は?」
「今日はこれで終わりなんです。」
いくら人気モデルとは言え、ティーンズ雑誌のモデル程度に専属のマネージャーなど
いるはずもない、例えそれが、有名女優の川嶋杏奈の娘でもだ。
時計を見るとすでに5時半過ぎ。辺りは暗くなっている。
「俺も帰りだ。途中の駅まで乗っていくかい?」
「でもマネージャーも来るし。」
「そうか、じゃあ気をつけてな。さっき警備の無線聞いていたら、バンダナ巻いた男
が楽屋口の歩道をウロついてるそうだ。」
俺がそう言うと、川嶋亜美は表情を曇らせた。
ポケットから車の鍵を取り出して、歩き始めると、黙って川嶋亜美もついてきた。

車が大橋駅のロータリーに着くと、川嶋亜美はお礼を言って降りていった。
さて、これからどうしようかと考える。
家に帰っても、今日は妻はいないはずだった。
去年のクリスマス以来、妻は毎週のように徳生学院に出かけている。

徳生学院の生徒達の半分には、土曜・日曜を過ごす週末里親がいる。
年明けから、みらいと姉妹のように仲の良いきょうこちゃんが、毎土日、週末里親の
元に預けられるようになると、必然的にみらいはひとりぼっちになってしまった。
時折、訪れる里親候補者に対して、激しい人見知りを示すみらいは、難しい子供とし
て扱われてしまい、早々に里親達の興味の対象から外れてしまう。
しかし、妻だけには、思慕の態度を示すのだった。


携帯を取り出して妻に電話してみた。プップップという機械音の後、数回コールした
が、すぐに留守番電話サービスに繋がった。もしかしたら既に家に帰っているかも知
れない。そう考えて車を発進させようとしたところで、コンソールボックスに置いた
携帯から聞き慣れた音楽がながれた。「星に願いを」プリインストールされた着信音
の中から、妻からの着信専用に設定しているものだ。
携帯を取り上げ、通話ボタンを押す。
「もしもし。今どこだい?」
「今、大橋の商店街にいるの。」
電話の向こうから、商店街の喧噪が漏れ聞こえてくる。
「1人・・・な訳ないよな。」
「うん、みらいちゃんと一緒よ。」
確か徳生学院には、19時までに送って行かなければならない筈だ。
「みらいちゃんの門限に間に合うのか?」
市街から外れた場所にある徳生学院までは、バスで20分以上かかるはずだった。
「出来れば車で送って欲しい・・・。」
申し訳なさそうな妻の声・・・。
「わかった。駅のロータリーにいるから、迎えに行けると思う。大橋商店街のどの
あたりにいるんだい?」
「須藤コーヒースタンドでお茶してるの。」
「ああ、あそこか・・。」
商店街の外れにあるコーヒーショップ。妻との買い物の途中、たまたま通りかかっ
た時に、どこぞの有名コーヒーチェーンにそっくりな看板に笑った店だ。
3分で行く。そう言って電話を切った。

コーヒーショップで2人をピックアップして郊外に向かう。
道路は少しばかし渋滞気味だ。後部座席には、妻とみらいが座っている。
学院で昼食を食べた後、妻とともに街に出て、約3時間も商店街を歩き回って、
サンタクロースの家を探し歩いたみらいは、疲れているようだった。
ウエストがゴムになっているデニム生地のズボンに長袖のトレーナー。モコモコ
とした中綿キルティングの上着は、お姉ちゃん院生のお古かも知れない。
信号待ちで停まった時、ふとルームミラーで後部座席を見ると、ミラー越しに、俺
をみらいが見つめていた。
「歩きまわって疲れたかい?」
問いかけると、小さく首を振った。
「タイガーさんは、どこに行っていたの?」
みらいが急に質問してきた。
「タイガーじゃなくて、た・い・が だよ。今日はお仕事だったんだ。」
「タイガーさんの方が強そうだよ。」
いや、そう言う問題じゃなくて・・・。みらいの隣で妻が腹を抱えて笑っていた。
「おじさんは、虎さんほど強くないよ。みらいちゃん。サンタさんは見つかった?」
「うーん、郵便の人は、サンタさんのお家知らないって言ってた。」
残念そうな表情は、どこまでも真剣だ。
「おばさんとサンタの家探すのは、今日で何回目なのかな?」
「うーんと・・・。3回目だよ。」
「次こそは、サンタさんのお家を見つけようね。」
妻が、みらいを抱き寄せて言った。
みらいは、うれしそうに頷き、天使のような笑顔を妻に向ける。チクリと胸が痛んだ。

徳生学院には、19時の門限ギリギリで着くことが出来た。
駐車場に車を停めて、妻と2人で玄関までみらいを連れて行く。
車が徳生学院へと続く坂道に差し掛かったあたりから、みらいの笑顔が消えた。
楽しかった1日が終わったのだ。自然と足取りも重くなる。
玄関横の事務室から園長先生が出迎えてくれた。
「すみません、遅くなってしまいました。」
恐縮する妻と俺に、園長先生は笑顔を見せた。
「みらい。楽しかったかしら? 宮本さん達にお礼を言いなさい。」
先生の隣に立つみらいは、小さく頭を下げただけだった。
「みらいちゃん、バイバイ。また遊びましょうね。」
みらいは、妻の呼びかけにも答えず。ただしょんぼりと地面を見つめ続けた。


帰り道の車内は静かだった。
5歳の女の子が残して行った体温は、後部座席で、今もその存在を主張し続けていた。
ステレオから流れる、ピーターポール&マリーの「500マイル」のもの悲しい調べが、
より一層、得体の知れない喪失感を伸張させているのかも知れない。
沈黙を破ったのは、妻だった。
「今日、園長先生に、宮本さん御夫婦に折り入って御相談したい事が有るから、時間
を作ってもらいたいって、お願いされたわ。」
「用件は?」
「多分、みらいちゃんの週末里親の話だと思う・・・。」
「そりゃ、それ以外の話題はないだろうね。」
「あなたは、どう思う・・・・。」
「前から言っている通り、俺は、他人の子供を育てられるほど、人間が出来てない。」
「・・・・。」
「それに、土日に仕事が入る事もある。父親代わりを務めるには役不足だよ。」
「私は、みらいちゃんを娘にしたい。あの子が、私たちにだけ、心を開いてくれてい
るのは、偶然以上の何かがあると思うの・・・。」
「子犬や子猫を貰うんじゃないんだから・・・。下手な感傷なんて邪魔なだけだよ。」
妻ならば本当の母娘以上に愛情を込め、みらいを立派に育てあげるだろう。
しかし、俺には、子供をほったらかして男に媚びを売るような女の遺伝子と、18歳
の妊娠した女を捨て去って、平気でいられるような男の遺伝子が生命に刻まれている。
そんな男が、里親になんかなれるはずがない。
「感傷なんかじゃないわ。本能よ。私の中の母性が、みらいちゃんを育てたいって
叫ぶのよ。」
妻は、感情を押し殺したような声で言った。
悲しみの陰に揺るぎない何物かを宿した瞳は、俺を見据える。
引き結すばれた唇は、彼女の決意の深さを語る。鬼子母神というものが実在するのな
ら、多分、いまの妻と同じような表情を浮かべているのだろう。
「園長先生に会うのは、いつなんだ?」
「あなたの都合がつく時でいいそうよ。」
「わかった。一週間ばかり考える時間をくれ。」
ピーターポール&マリーの歌声は、「パフ」に変わった。

イベントの企画を考える時には、静かで集中できる場所がよい。最近はホテルのシン
グルルームに自主的館詰になって企画を練るのだが、金がない頃は、神社の参道を登
りつめた場所にある、展望台の椅子に座って考えるのが常だった。
2月半ばなのに、今日は20℃近くまで気温が上がっていて、分厚いダウンのコート
は無用の長物と化していた。
久しぶりに歩く参道は、日陰の部分に雪が残っていて、スウェードのリングブーツに
染みを作った。
駐車場で買った、缶コーヒーを懐から取り出し、プルトップを押し開けて一口啜る。
次の仕事までは2時間ある。移動を考えても、約70分は物思いに耽る時間が出来た
訳だ・・・。
俺にとって、自分を見つめるという作業は、ひどくストレスのかかる作業だ。
だから、自分の原点とも言える場所で、自分という人間を見つめたかった。

俺の思考の根底には、親に愛されなかった子供時代が常にある。
必要とされていない子供。あんたがいなければ幸せになれると母親に言わせる子供。
自分の存在意義が見いだせなかった。
ろくでもない両親から生まれた俺は、ろくでもない子供でしかない。
あんな親たちの遺伝子を次の世代に引き継ぎたくない。
俺は遺伝子レベルからして、自分の事が嫌いなんだと改めて気づかされる。
では、自分以外の遺伝子を持った「みらい」を、里親として育てるのはどうなんだ?
イベントプロデューサーとしての収入を、みらいの為に費やす事に抵抗はない。
逆に、あの子が幸せな未来を手にするのを見たいとも思う。
しかし、引き取り育てる自信はない。・・・・矛盾だな。

ふいに背後の草むらが、ガサガサと音を立てる。振り向くとジャージ姿の赤毛の
女の子が息を切らせて立っていた。
「よーし、一等賞ゲットだぜ!」


ふいに背後の草むらが、ガサガサと音を立てる。
振り向くとジャージ姿の赤毛の女の子が息を切らせて立っていた。
「よーし、一等賞ゲットだぜ!」
展望台に俺がいることに気がついて、彼女はバツが悪そうに笑顔を見せた。
「すみません、お騒がせしてます。」
お騒がせしてます? なぜ現在進行形? その理由はすぐに解った。
展望台へと続く山道を駆け登ってくる何人もの足音が聞こえてきた。
野球に使う白い練習用のユニフォームを着た、男の子が5人、縦一列になって、展望台
前の狭い草原に駆け込んで来る。多分、後にも部員達が続いているのだろう。
「えーい、女子ソフトの櫛枝は化け物か?」
坊ちゃん刈りのメガネ君が息も絶え絶えに言う。
「ふふふ、日頃の鍛錬の賜物だよ、それに赤いジャージは機動力3倍の証だよ。」
櫛枝と呼ばれた女の子は、草原にへたり込む、白いユニフォーム達を見て不敵な笑顔を
見せた。
「誰だよ、体力強化にトレールランニング取り入れたの!」
「体力強化の前に、死人が出るぞこれ。」
男の子達は、口々に文句を言う。
「ふっふっふ。君達、本当の恐怖はこれから始まるのだよ。山は登るより下る方が体力
が必要だと言う事を、身を持って知るが良い。」
「まさか、下りも走れって言うのか?・・・?」
「おうよ。ちなみに今日のメニューはこのコースを2周だ。頑張って箱根の山の神の
尊称を目指そう!」
ギャーッと言う男の子達の悲鳴を押し切り、女の子は再び駆け出して行った。
男の子達は立ち上がる事も出来ない。
「軟弱者、それでも男ですかって、セイラさんに怒られるぞ?!」
山道の向こうから、女の子の叱咤が聞こえた。

展望台が白いユニフォーム達の野戦病院と化す前に、俺は山道を降りた。
途中、赤ジャージが率いる白いユニフォーム達に抜かれた。
「怯えろ、すくめ、自らの運動能力を生かさぬまま脱落していけ〜。」
赤ジャージの女の子はそう言いながら駆け下って行った。きっと名のある陸上選手に違いない。



駐車場に停めて置いた車に乗り込み職場に向かう。
神社から職場に行くには、徳生学院の前の道を通るのが近い。
時計を見ると午後2時半。徳生学院では、もうじき三時のおやつの時間だ。
そう言えば、大橋高校を過ぎた商店街にドーナツショップが有った筈。院生15人と職
員が3・4人いると妻から聞いていた。たまには差し入れでもしようか。そう考えて、車を商店街に走らせた。
少し多めに買ったドーナツの入った紙袋を助手席から取り出して、駐車場から玄関に向かう。
事務室の窓ガラスの向こうに、こちらを見つめる顔を発見した。みらいだった。
両手に持っているドーナツの袋を左手にまとめて、みらいに手を振った。
その瞬間、みらいの顔にぱっと笑顔が広がり、手をふりかえしてくれた。
玄関の扉を開けると同時に、みらいが事務室から飛び出してくる。
ジャージ素材の長ズボンにピンクの熊の絵が描かれたトレーナーは、みらいを普段より幼く見せた。
「たいがーさんだ。なんで。おばさんは?」
矢継ぎ早に質問してくるみらいをみて、少しだけホッとする自分がいた。
みらいの後を追って、園長先生が事務室から出てきた。挨拶を交わし、通りがかったつ
いでに、差し入れのドーナツを持ってきたことを伝えると、園長先生は上がるように勧
めた。しかし、残念な事に談笑する時間は残されていなかった。
「今日は時間がありませんのでこれで失礼します。ですが、今度の土曜日に妻と共にお
伺いさせて頂きます。」園長先生は、とても残念そうな表情を浮かべた。
「え〜、たいがーさん、もう帰っちゃうの?」寂しそうな顔をするみらい。
「うん、お仕事の途中だからね。また、おばさんと一緒に遊びにくるよ。」
前屈みになって、みらいの頭を撫でる。みらいは両腕を俺の首に回して抱きついてきた。
「帰っちゃやだ。たいがーさんと一緒にお家に帰りたい。」
イヤイヤをするように、みらいは首を振った。首にまわされた腕に力が入る。
この子は、こんなにも俺達夫婦を好いてくれているのか・・・・。
「今日は木曜日だから、今日と明日の2回寝たら、おばさんと一緒にみらいちゃんを迎
えにくるよ。我慢できるかい?」
左腕をみらいの膝裏にまわして抱き上げる。右手でみらいの頭を何回も撫でた。
何も言わずに1分ほどなで続けていると、ふいに首にまわされた腕の力が弱まった。
「本当に? 約束だよ。」か細い声で聞いて来るみらいを、俺はいっそう強く抱きしめた。
「約束するよ。土曜日は、おじさんのお家に泊まって行こうね。」
勝手に約束してしまった事に気がついて園長先生を見ると、静かに頷いてくれた。
その日の夜、いくつかの予定をキャンセルして早い時間に帰宅した俺は、久しぶりに妻
を外食に誘った。
すでに作り終えていた夕食は、翌日の朝食と昼食の弁当にまわす事で妻を説得し、馴染
みの洋食屋に出かけたのだ。
洋食屋と言ってもお上品な店ではない。社会人になったばかりの頃、妻とデートをする
時に利用したごく普通の街の洋食屋だ。
L字型のカウンターに、今となっては珍しいスチール製の四つ足のテーブル。テーブル
クロスは白のレース。客層も贅沢とは無縁そうな若者とサラリーマン。値段も手頃。
ある程度の収入を得るようになってからも、俺達夫婦にとって洋食と言えばこの店だけだった。
俺はチーズハンバーグセットのごはん少なめ&ビール。妻はデミグラスソースがたっぷ
りかかった、特製オムライスを頼む。
「今日、徳生学院に差し入れのドーナツを持って行って、みらいちゃんと土曜日に迎え
に来るって約束してきたよ。」
「えっ?」
「養女に迎えるかどうかは別にして、みらいちゃんの週末里親になるつもりだ。」
「・・・・。」
「反対かい?」妻が黙っていることに不安を覚えた。
「どうして急に、そう思うようになったの?」
「わからない。みらいちゃんを抱き上げてたら、急に意地を張ることが馬鹿らしくなっ
たのかも知れない。」
「・・・・。」
「子供ってさ、大人と違って全力で感情を示すだろ、みらいちゃんは俺達と一緒にいた
いって必死になってしがみついてきたんだ。俺が頭の中でどんなに理屈を捏ねたって、
みらいちゃんを抱きしめてあげたいって感じたのは本能なんだよな・・・・。」
「・・・・。」
「言いつくろったりせず、あの子を大事にしてやりたいって感じた事に素直になるよ。」
男の人にも「母性本能」があるのね。そう言って妻は泣きながら笑顔を見せた。


土曜日。前日、遅くまで打ち合わせが続き、自宅に帰り着いたのは午前3時過ぎ。
風呂も入らず、着ていたシャツとパンツを脱いで下着だけで布団に潜り込んだ。しかし、朝7時には
たたき起こされて、シャワー室にぶち込まれた。
 木曜の夕食から帰った後、妻は片付けの鬼と化した。リビングや寝室、風呂場は勿論のこと、普段
あまり使用していない6畳の和室の畳まで拭き清める始末。
 片付けが終わったら、子供用のシャワーキャップから、子供用の洋式便座に至まで、ありとあらゆ
る子供用品を買い揃えてきた。
 風呂場には、イチゴの形をしたかわいらしいスポンジ。つい一昨日までは、俺達夫婦の2本しかなか
った歯ブラシいれにも、パンダの絵柄が入った子供用歯ブラシが差し込まれている。
 髭をあたり、風呂から出ると、既に妻のおでかけ準備は整っていた。みらいを迎えに行くのは11時
の約束だから、いくら何でも早過ぎるだろう。それだけ、妻は今日という日を楽しみにしていたのかも
知れない。
 約束の11時少し前に徳生学院に着いた。駐車場には何台かの車が止まっている。殆どが、週末里親
として子供を迎えに来た、俺達とにたような境遇の夫婦だ。
 何度か日帰り(正しくは半日)で出かけた事は有るけど、泊まりとなると若干事情が変わってくる。
みらいに関するいくつかの注意事項、食品アレルギー・薬アレルギー、持病や夜尿症等の癖。担当の職
員から、事細かく申し送りを受けるとすでにお昼に近い時間だった。
 職員と、居残る院生に見送られて徳生学院を後にする。
 昼食は、例の洋食屋で食べる事にしていた。
 初めて3人で食べたのはオムライス。俺達夫婦の間で、この洋食屋での思い出がまた一つ増えた。
 こうして、血のつながりのない3人の仮の家族がスタートした。

 3月のひな祭りは、妻が実家から雛人形を持ってきて3人で飾った。
 4月はお花見。妻が花見弁当を作りすぎて、食べきれなくて、周りの花見客に振る舞った。
 5月はドライブで千葉の牧場へ。牛が怖いとみらいが大泣きした。
 6月は市内に新しくできた「ラクージャ」というレジャー施設へ。プラネタリュウムに感動する。
 7月はプール。幼児用プールに中学生の女の子が入り込んでいるのを見て妻と苦笑する。
 8月は川原でバーベキュー。近くのグループと意気投合し大騒ぎになった。
 9月はお月見。みらいが作った月見団子を食べる。月うさぎの由来を話したら泣かれた。
 10月は徳生学園の運動会。また妻が大量のお弁当を作り、院生が総出で食べ尽くす事になった。
 11月は高尾山で紅葉狩り。体力不足とダイエットの必要性を痛感する。子供の体力は無尽蔵だ。
 そして12月・・・・。
日曜日の大橋商店街は混雑していた。3人で「かのう屋」で夕食のハンバーグの材料を買い、自宅の
クリスマスツリーに飾るオーナーメントを買って帰る。
 大橋商店街は、商店街一丸となってクリスマスディスプレイに力を入れているのか、各お店のショー
ウィンドにはツリーが飾られ、カッティングシートや白い発泡樹脂で「Merry Xmas」の文字やサン
タクロースの姿が描かれていた。
 本屋さんの前で、サンタクロースの衣装を着た女の子が、絵本の読み聞かせ会のチラシを配っていた。
みらいは参加したかったようだが、午後7時の門限に間に合うように夕食を食べるため、参加するのは
無理だった。
 みらいは名残惜しそうに、サンタのお姉さんと握手をしてその場を離れた。
こうして子供と歩いて見ると、サンタグッズの多い事。お肉屋さんでは豚と牛がサンタの衣装を着たポ
スターが飾られ、ペットショップでは、猫がサンタの帽子を被っている。
 物珍しいサンタグッズを見つける度に、みらいは駆け寄ってジッと見つめる。そして俺達が待ってい
る事に気がつくと、慌てて駆け寄り、右手を俺と、左手を妻とで手を繋いだ。
「みらいちゃんは、本当にサンタクロースさんが好きね。」
妻が笑って言った。
「うん、私、サンタさん大好きなの〜。」
「あらそう、じゃあ今年も来てくれると良いわね。」
「う〜ん。」
そう言ってみらいは、俺達の腕にぶら下がった。ブランコのように腕を持ち上げるとおさげにした髪を
結んでいる白い布製の髪留めが揺れた。
少し先の道ばたで、白いコートを着た女の子が突然しゃがみ込んだと思ったら、両手両足を拡げて大
きくジャンプした。
「私、クリスマスだーい好き。」
女の子は大きな声で叫んだ。妻もみらいも笑顔になった。
そう、みんなクリスマスが好きなのだ。


12月10日。大手出版社主催のファッション業界人向けのクリスマスパティーが行われた。
この秋にオープンしたばかりの話題の新らしい商業施設には、タレントを始め、女優・俳優・お笑い
芸人等が招待されて、テレビのワイドショーのカメラも入っていた。
 これからクリスマスまでの間はイベントが目白押しだ。正直、家に帰っている暇もなく、よくてソファー
最悪、設営途中の会場の床に段ボールを敷いて寝るようになる。
 今回は招待状がなければ会場に入ることが出来ないクローズドパーティーだから、訳のわからない輩
は入って来られないが、その分、プライドの高い芸能人を相手にしてイベントを運営するのは気疲れだ。

 川嶋亜美が、折り入って相談事が有ると言って、バックヤードに入って来たのはイベントが終わって
一時間程が過ぎてからだった。
 挨拶を交わすべき関係者は帰って行き、残るは仕切り部隊と肉体労働専門のスタッフだけ。やっと落
ちついたところだった。
「やあ、人気モデルさん。お疲れさまだね。」
「お疲れさまです。あのちょっと相談があるんです・・・・。」
「なんだい、また駅まで送れって言うのかい?」
そう言ったら、少しだけ嫌そうな顔をした。しかし、その後の顔面変化はまさにプロだった。
「あの〜。このイベントで使ったツリー欲しいんですけどぉ。出来たらタダで。」
「えっ? このツリーって、こんな馬鹿でかい物を自宅に飾るのか?」
さすが大女優の娘。随分と剛毅な申し出じゃないか・・・。
「いえ、学校のクリスマスパーティーで飾りたいんですよ。」
細かい事情を聞くと、2学期の終業式の後に有志でクリスマスパーティーをやるそうだ。
へー面白いじゃないか。
これだけでかいクリスマスツリーは、保管に手間がかかるうえに、倉庫の使用料もかかるから、一度
使ったら廃棄する場合も多い。このツリーも同じ運命を辿り、年明けには粗大ゴミとして処分される。
ただツリーの所有権は発注者であるから、俺の一存で判断する事は出来ない。
 携帯を開き、今回の主催者側の責任者である広報部長のアドレスを呼び出す。
「とりあえず、事情は伝えてあげるよ。でも交渉は君自身がやるんだよ。」
川嶋亜美はコクンと頷いた。

時計の針は午前一時を回っている。会場はあらかた片付き、あとに残るのは、このツリーの解体だ
けだ。空調の切れたホールは意外と寒い。身体を動かしている野郎どもには丁度よいが、パーティー
ドレスにトレンチコートを羽織っただけの川嶋亜美は、すこしばかり寒そうだった。
「風邪ひくぞ。暖かいところにいろよ。」声をかけたが首を振るだけだった。
川嶋亜美のお願いは、広報部長の許可が出た。この場で適当な大きさに壊す予定が、作業開始直前
に分解して梱包するという手間がかかる作業に変更になった。13人×4時間の作業予定が、13人
で6時間という予定に変更になった。大の男が13人。時給3,000円で計算したとしても、川嶋亜美
の「お・ね・が・い」の一言で、主催者側は78,000円の予定外の出費。そして分解した後、川
嶋亜美の所属プロダクションの倉庫まで運ぶのに、メインモデルを務める雑誌社のスタッフが動員さ
れる。職人には金が払われるが、動員されたスタッフには残業代も出ない。他人事とはいえご苦労な
事だ。
 川嶋亜美が偉いのは、お願いをした事により、どれだけの人間が迷惑を被り、人件費がどれだけ掛
かるかを逃げずに見つめている事だ。
 友人の為とはいえ、なんの根回しもなく、思いつきの行動でおねだりをした結果、多くの人に迷惑
かけているいる事実を、歯を食いしばって見つめ、今、この場で出来る事を見つけようとしている。
 綺麗な洋服を着ているのに、解体で出たゴミを拾い、分解した物が搬出されていく導線に邪魔な物
が置いてないか確認して片付けている。
 最初はブーこら文句を言っていた作業員も今は、気遣う声をかけている。
 この子は、川嶋杏奈の七光りでモデルをやっていると思っていたが、その辺りの2世タレントとは
違うなと感心した。
 結局、川嶋亜美は、全ての作業が終わるまで立ち会い。雑誌社のスタッフの運転する車で帰っていった。


12月24日。みらいと出会ってちょうど一年が経った。去年と違うのは、院生の里親達が招かれ
参加している事だろう。
 里親の母親達の間でネットワークが立ち上がり、イベント事でお料理や設営を行う必要があれば、集
つまり、わいわい言いながら準備を整えるようになった。
 父親達も役に立たないながらも部屋の飾り付けを手伝い、何とか面目を保った。15人いる院生の中
で週末里親を持たない子供達も、最近は週末ごとに、誰かの家に連れられて行き、土日は、面会の予定
がない時には、院生が誰もいないなんて状態になってしまっている。
 母親達の合い言葉は「どの子もうちの子」であり、一切分け隔てがないのだ。
今年のサプライズは川嶋亜美の協力で成り立っている。クリスマスツリー解体の時に、徳生学院の子
供達とクリスマスパーティーの話をしたところ、お手伝いの申し出があった。何で君が協力を申し出る
んだ?と聞いたら。「宮本さんには借りが有りますから」とニヒルな笑顔で返された。
「人手も料理も足りているよ。足りないのはサンタクロースだけだ。」
「サンタクロース?」
「そう。今は、男親はみんな顔がばれていてね、普通にサンタクロースの衣装を着ただけだと、○○ちゃ
んのパパだって言われちゃうんだ。」
子供の夢を壊すなって女房に言われていてね・・。そう言ったら川嶋亜美は任せてくださいと言った。
パーティーが始まる直前に一台のタクシーが駐車場に停まった。中からは川嶋亜美と熊のサンタクロース
が降りてきた。
 川嶋亜美は熊サンタの手を引き、裏口へ回る。手には蛍光イエローの丈長のはっぴ。
「宮本さん。借りは返しましたよ。」営業用スマイルを見せた。

 熊のサンタの破壊力は抜群だった。去年と同じ失敗を繰り返さないよう、熊サンタは登場直前まで
子供達に見えない場所に秘匿され、最高のタイミングで登場した。
 高学年の院生は爆笑。低学年から幼児の院生は叫声をあげた。熊サンタからのプレゼントは例年通り
お菓子の入った長靴だったが、その他に子供達それぞれの名前が書かれた包みが手渡された。中身は手
袋やらカバンやら実用的なものだったが。子供達が喜んだのは言うまでもない。
 時間の都合上、熊サンタは会場を後にした。来た時と同じように川嶋亜美に手を引かれて帰ってゆく。
そうして、今年のクリスマスパーティーは終わった・・・。もう一つサプライズを残して・・・。
 今年も、差出人「サンタクロース」の段ボールが届いた。ただ去年と違うのは、すばらしく綺麗な
筆記体でサンタクロースと書かれていた事だろう。
 園長先生の判断で、この段ボールの中のプレゼントは、子供達が寝静まった後、そっと部屋の中に
置いておく事になった。
「その方が、本当のサンタさんからのプレゼントらしいでしょ。」悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

 片付けを終えたところで、みらいに声をかける。「今日はみんなと一緒に過ごすかい?」っと。
みらいは少しだけ迷ったけど、俺達と帰る方を選択した。
 院生の内、今日は高学年が4人。低学年が5人残ることになった。みんな、サンタさんが来ることを
期待しているのだ。

帰りの車の中。みらいは妻の腕の中で眠っていた。
底冷えする寒さ。冷たい風。クリスマスイブらしい静かな夜だ。
次の交差点を曲がれば我が家はもう少し。ウィンカーを出して左に寄る。ニットキャップを被った女の
子がライトに浮かび上がった。女の子が通り過ぎ、安全を確認して発進する。
 大橋高校へと続くこの道は、少し急な坂道になっている。アクセルを踏み込む。そのショックでみらい
が目を覚ましてしまった。
 キョロキョロと辺りを見回すみらい。俺はルームミラーをチラリと見やる。
「あーっ、サンタさんがいる。」突然、みらいが叫んで左側の窓に近づく。
みらいのあわてぶりに驚いて、俺は車を停めた。


大橋高校の校門の前に熊のサンタが倒れていた・・・。
 何が起きたのか判らないから、俺は妻とみらいに車内で待つように言った。
もしかしたら、事件かも知れないのだ。
 運転席を出て、熊サンタに駆け寄る。頭部が身体から離れていて、俗に言う中の人が見えていた。
辺りが暗くてよく見えないので、俺は携帯のフリップを開けて、中の人の顔の前に光を当てる。
「うぉっ!」思わず叫んでしまった。
うっすらと開いた瞼から覗いているのは強烈な三白眼。邪眼もかくやという代物。商売柄、その筋の
世界の方にも知人はいるが、この方は幹部クラスに違いない。闇討ちにでもあったのか?
念の為に周囲を確認するが、異常はない。チャカもポン刃もないしナイフもない、まさか毒殺?
「とりあえず救急車だ・・・。」119と押す直前。中の人が呻いた。
「くしえだ〜。たいが〜。やすこ〜。」
情婦の名前を呼んでいるのか・・・・・。
 とりあえず、意識を回復した中の人に事情を聞くと、今日は学校でパーティーが有って、その準備
で動き回っていて疲れて倒れてしまったのだという。
 住所を聞くと、ここから歩いて帰れない距離ではないが、意識が朦朧としているようだから、車で
家まで送ることにした。
 車で送る事を伝えると、中の人はふらつきながら頭部を装着した。しきりに寒いといいながら。
 助手席に乗せ車を折り返す。中の人の家は古ぼけたアパートだった。

 みらいは大興奮だった。探し求めていたサンタクロースの家を見つけることが出来たと。
興奮が醒めやらぬままマンションに帰ると。ベランダに大きな箱が置かれていた。
「あれなにっ?」そう言ってベランダに飛び出していくと箱に恐る恐る近づいて行った。
妻と俺はすぐ側に立つ。みらいが箱を見つめてパッ喜びの笑顔を浮かべた。
「サンタさんからのプレゼントだ〜。」
箱には、みらいでも読めるように、ひらがなで「さんたくろーすより」と書かれていた。
寒いから中に入りなさいと促してリビングに移動する。
みらいは箱の周りを小躍りして喜び、下の階に音が響かないか心配する妻をハラハラさせた。

翌日。このところの寝不足の俺は、目覚ましがなっても起きられなかった。2つめのアラームが鳴るが
これもすぐに止めた。
 リビングの方から、トーストが焼ける臭いが漂ってくる。
 遠くで妻がみらいに俺を起こすように命じる声がする。
「はーいママ。パパを起こしてくるね。」
小さな足音が近づいてくる。扉が開く。
「パパ。ママが起きなさいってさ。」
目を開けると、愛しい「未来」のはにかんだ笑顔があった。
「おはよう、未来。」
抱き寄せてハグをした。
(了)




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