1ドル87セント、これで全部。しかも、そのうち60セントは1セント硬貨の寄せ集め。
八百屋、肉屋、しまいには魚屋でまでも買い物をする度に無理やり値切り、店主のジト目と無言の非難を受け
顔から火が出そうなほど恥ずかしい思いをしながらも、少しづつ浮かせて貯めたものです。
大河はもう一度(これでもう三度目です)昼食の済んだテーブルの上で硬貨を数えてみました。
でも、やっぱり1ドル87セントしかありません。
「はぁ…どうしよう。明日は―――」
―――明日はクリスマスだというのに。


ここは大河と竜児の暮らすアパート。格安の家賃の割におんぼろアパートと呼ぶにはまだ早く、二人がつつましく生活するには十分な家です。
玄関ポストの上には『高須』の表札が貼ってあり、その下にはそれぞれ『竜児』『大河』と書かれた名札、
そして『セールスお断り!』という貼り紙が貼られていました。
毎晩竜児が帰宅すると、大河は必ず、
『おかえり、竜児!』
と、ありったけの想いを込めてぎゅうっと愛する夫を抱きしめます。
もっとも、大河はかなり小柄なので、傍から見れば大河が抱きついているだけに見えることでしょう。

さて、大河が頭を悩ませている原因。明日はクリスマスだというのに、竜児に贈り物を買うためのお金が1ドル87セントしかない。これは大変遺憾です。
なにせ、竜児が仕事で帰らない今日のうちが、こっそりプレゼントを用意する最後のチャンスなのですから。
二人は決して貧しくはありませんでしたが、生活費を差し引いた残金が、月末に財布の中にたんまりと余っているほど裕福でもありません。
ただでさえ出費の多い年末、大河はやりくり上手な竜児の見よう見まね(竜児は店で無理やり値切ったりはしませんが)で自分なりにお金を貯めてきたつもりでしたが、どうやら少々甘かったようです。
「明日は竜児も早く帰ってくる日だし、せっかくいいものを…。」
贈ろうと思ったのに。何か、素敵で、めったにないもの―――竜児が喜んでくれる何かを。

ふと、机に突っ伏していた大河のきらきらとしたブラウンの瞳に、部屋の隅にある姿見の鏡に映る自分の姿が映りました。
ふてくされたような、いたずらを咎められた子供のような顔をした自分の姿が。
「うん、このままウジウジ悩んでてもしょうがないわ。とにかく、午後は町に行きましょう。もしかしたら、竜児へのいいプレゼントが見つかるかもしれないもの。」
よし、と大河は椅子からぴょこんと飛び降り、鏡の前で髪をとかし始めました。
嫁入り道具として持ってきて以来ずいぶんくたびれてしまった櫛で。



高須家には、誰よりも自慢できる宝物が二つありました。
一つは大河の自慢である、竜児が持っている金の懐中時計。
もし、ブランド物の腕時計を自慢気に見せびらかしている人がいても、彼の懐中時計を見れば、あわてて袖の中に腕を引っ込めることでしょう。
ただ、その懐中時計には時計チェーンではなく、大河の携帯電話に付いているものとお揃いのストラップが付けられており、時計、そして持ち主とのアンバランスさが、かえって可愛らしく見えるのでした。
そして、もう一つは竜児の自慢である、大河の長く美しい髪でした。
淡い栗色の髪は彼女の膝まで届き、町を歩けば女性からは羨望の眼差しを受け、男性からはナンパの嵐(もっとも、左手の指輪を見せればそそくさと行ってしまいます)を受けるので、
大河は、竜児との外出時以外は帽子をかぶるのが常でした。

町に出て、様々な店を見て回ることしばし。ついに大河はとある雑貨屋で、竜児に贈られるために生まれてきたとしか思えない一品を見つけました。
それはプラチナでできた懐中時計用の時計チェーンでした。デザインはシンプルで上品。一見冷たく鋭い光を放っていますが、
手にとってみれば、本当はとても優しい光であることを実感させてくれるそれに、大河は竜児の面影を見ました。
産まれつき目つきが悪く、一見すると怖そうに見えるが、溢れんばかりの包容力と優しさで自分を愛してくれる、世界一の夫の面影を。
「み、みのりん!こ、こここれ、いくら!?」
大河は店主に掴みかからんばかり、というかすでに胸ぐらを掴みながら問いかけました。
「さ、32ドルだよ…というか大河、手を離してくれぇ、ぐ、苦じい…。」
「あ、ごめん。…32ドルかぁ、ぜんぜん足らないや。」
大河がぱっと手を離すと、店主―――大河の親友にしてハイスクール時代の同級生。櫛枝実乃梨―――は軽く咳き込みつつ、
「それが気に入ったのなら今日一日取り置きしておくよ。まだまだ時間はあるし、代金が用意できたらまた来なよ。高須君にあげるんでしょ?特別にまけてあげるよ。」
「ほんとう!?」
「おう、まけるぜ〜、超まけるぜ〜。純プラチナだから本当は定価販売なんだけど、なーに親友の大河のためさ、大まけにまけて21ドルでいいよ!」
地獄に仏、渡りに船。実乃梨は大河にチャンスをくれたのでした。

さて、ああは言ってくれたものの、今日中にあと20ドル集めるのは至難の業です。
1ドル87セントの入った財布をポケットの中で握り締め、うんうん唸りながら町を歩く大河の目は、ある一点に釘付けになりました。
『美容室・亜美』
実乃梨と同じくハイスクール時代の同級生。現役モデルでありながら現在はサロン経営もこなす、大河にとっては悪友であり、よき友人の一人でもある、川嶋亜美の店の看板…
…に貼られた、『あなたの髪、買い取ります』というチラシに。

「あら?ちび虎、いらっしゃい。」
ちょうど客足の遠のいた時間なので手持ちぶさたにしていた亜美は、大河に気が付くと、
「どうしたの?前髪や毛先ならこないだ調髪したばかりでしょ?あ、とっくに修正期間過ぎてるから、やり直しは別料金になるわよ。ちゃーんとお代はいただきますからね。」
にやりと笑いながらハイスクール時代と変わらない意地悪そうな、しかし声には友人に向けた柔らかさを含んだ口調で問いかけます。
「ううん、ばかちー。今日は別の用事で来たの。」
大河も、亜美の意地悪口調が冗談であることなど百も承知です。そして、『ちび虎』と言われたら『ばかちー』と返すことは、二人にとってはもう一種の挨拶のようなものとなっているのでした。
「あの、さ。外に貼ってある、『髪、買い取ります』って…ほんと?」
「は?あんた髪切るの!?」
「うん、実はね…。」
大河は最初から順番に理由を説明しました。亜美は終始無言で聞いていましたが、
「なるほど、あんたの気持ちはわかったわ。いい髪はウィッグやエクステの材料に使えるから、ウチとしても助かるけど。ただあんた…本当にいいのね?」
念を押すように再度問いかけてきます。
「うん、竜児のためだもん。それに髪ならまたすぐ伸びるし、いいの。」
「…負けたわ。あんたの髪、買い取らせていただきます。んで、あといくらあればその時計チェーンは買えるの?悔しいけどあんたの髪の質は本物だし、知り合いのよしみで、今回だけ特別に言い値でいいわよ。」
ハイスクール時代、まだ仲の悪かった頃の亜美の口からは到底出てこなかった台詞に、
「ばかちー、あんた…ううん、ありがと!」
「それでいいの。特別なんだから、今回くらい人の厚意は素直にもらっとけちび虎!」
大河も、いつもの軽口や冗談は言わず、心から感謝の言葉を返すのでした。
もはや条件反射になりつつある『ちび虎』『ばかちー』のやり取りだけは残して。

さて、目標の21ドルを手に入れた大河は、その足ですぐに実乃梨の店へとんぼ返りし、
「大河ぁ〜。あんたって娘は、なんて旦那想いなんだい!ちきしょう、高須君は世界一の幸せモンだよ、てやんでぇ!」
目当ての品と、実乃梨からの号泣&ハグをお土産に受け取りつつ、帰路についたのでした。


そして翌日の晩までお話は進み、今日はクリスマス。そろそろ竜児も帰ってくる時刻です。
「ただいま〜。」
「おかえり、竜児!」
大河はいつも通り、竜児に抱きつき(本人としては抱きしめているつもりです)ました。
「おう、ただいま。たい…が…?」
竜児もいつも通り、大河を抱きしめ返しました。しかし、今日は一つだけ、いつもと違うところがありました。
竜児が驚くのも当然です。大河の美しいウェーブのかかった、膝まで届いていた淡栗色の長い髪は、肩口からばっさりと切られてしまっていたのです。
「ど、どうしたんだ、その頭!?」
「え、えーと、イメチェン?」
「質問に質問で返すなよ…。」
竜児は苦笑しながら大河を見つめます。大河も竜児を見つめます。
ふと、
大河は、竜児の瞳がいつもと違うことに気付きました。いえいえ、目つきの鋭さはいつものことなのですが、
その瞳の奥に…怒りとも悲しさとも困惑とも違う、微妙な感情に揺れる光を感じ取ったのです。でも、それはすぐに竜児の瞳から消え、
「まぁいいや、まずは食事にしようぜ。せっかく大河が作ってくれた料理が冷めちまうのはもったいない。」
竜児は愛用の赤いマフラーを外しながら食卓につきました。暖かいシチューに香ばしいとんかつ。バゲットはいつもより厚めにスライスされ、カリカリに焼かれてバターもたっぷり塗られています。
レタスだけのサラダの横にはポテトサラダ、もちろんシャンパンも用意されています。そして、テーブルの中央の大皿には…竜児が初めて大河に作ってくれたものと同じ材料、同じ味付けの、想い出のチャーハン。
さあ、今夜はごちそうです。
「「いただきます!」」
どれもこれも、大河が竜児に教わりながら一生懸命覚えた料理ばかりでした。

「そうだ竜児、私、あんたにクリスマスプレゼントがあるのよ。」
食事の途中で、大河は意を決して話を切り出します。自分の髪を切ってまで手に入れた、竜児への最高の贈り物を渡すために。
「おう、ありがとうな。開けてみてもいいか?」
「うん!きっと気に入ると思うわよ。」
大河は、竜児が箱を開けた瞬間、ぱぁっと表情が明るくなるものだとばかり思っていました。しかし、箱を開けた竜児の表情は、あの微妙な感情に包まれていたのです。
まるで、どう反応すればいいか分からない、とでも言いたそうに。
「なあ、大河。実はさ、帰りに川嶋の店の前を通ったとき見ちまったんだが、まさかお前、このチェーン買うために…。」
「…うん。私の髪、買い取ってもらったの。それで、竜児へのプレゼントを買うお金を用意したのよ。」
―――でもね、どうして竜児は、そんな顔をするの?という台詞は続けられませんでした。竜児は、決して怒っても、悲しんでもいませんでしたが、本当に複雑な表情をしていたからです。
「わかった。その理由が知りたいなら、俺のプレゼントを開けてみてくれ。それで、全部わかるからさ。」
さすがは竜児。声に出さなくても大河の心情を察したのでしょう。大河は竜児に手渡された包みを開けてみました。そして、その中に入っていたのは…
「…っ!これ―――」
それは、大河がずっと前から欲しいと思っていた、櫛でした。美しいべっこうでできていて、宝石できらりと縁取りされたそれを、大河が町へ出かけるたびにうっとりと眺めていたのを、竜児は知っていたのです。
「俺さ、その櫛を買うために、あの時計…売っちまったんだよ。」

そう、大河と竜児。二人は、お互いの一番喜ぶ贈り物のために、その贈り物と対になるべき、お互いの一番大切なものを手放してしまっていたのです。


しかし、大河は櫛を胸に抱き、やっとの思いでこぼれるのを我慢した、涙をたっぷりと湛えたブラウンの瞳を上げ、微笑んでこう言いました。
「私の髪はね、すぐにもとの長さまで伸びるわ。あぁ、今からこの櫛を使うのが楽しみね!」
竜児も、胸の奥がじぃん、と熱くなるのを感じながら、
「俺の時計だって、すぐに取り戻してやるさ。質屋のオヤジが、『これはとてもいいものだから、他人には絶対売らん。必ず、お前が買い戻しに来い。』って言ってくれたからよ。」
ふっ、と柔らかく微笑み、
「それに、時計に付けてたストラップは、これからは携帯電話に付けりゃいい。そうすりゃ、お前と完璧にお揃いにできるしな。」
と、愛する妻を抱きしめながら、優しく、優しく囁くのでした。

お互いに素敵な贈り物を用意するために、お互いの宝物を台無しにしてしまったこの二人を、あなたは愚かだと思いますか?
いいえ、それは違います。
イエス・キリストが産まれたときに贈り物を持ってきた東方の賢者たちよりも、
今夜、メリークリスマスの言葉と共に贈り物をする全ての人たちよりも、
この二人は、最も愛する人のために、最も賢い選択をしたのです。
彼らこそ、本当の、賢者なのです。

それに、櫛が髪と、チェーンが時計と対になるのは時間の問題。そう遠い話ではないでしょう。
何より、この二人は、虎と、竜は、いつも、いつでも、いつまでも―――

―――対になっているのですから。
――――――そういうふうに、できているのですから。




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