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「──なんじゃこりゃあ!?」

 奥の個室へ通された瞬間、竜児の口からは某殉職刑事もかくやな呻き声が漏れた。
 卓の周りにみっちり人人人。
 20人どころかその倍は居るだろう。明らかにクラスメートでは無い奴らも混じっている。
「おぉ高須! もう始めちまってるぜ」
 見知った金髪ピアスに声をかけられ、竜児はとっさに腕を掴んで大河の待つ廊下に連れ出した。
「なあ、こりゃ一体どうなってるんだよ? なんでこんなに人が居る!?」
「いやー、お前だけ彼女連れなのも気まずかろうと思ってさ、全員“同伴者OK”にしたんだけどよー。」
 竜児のナチュラル般若面に怯みつつ、金髪ピアスはヘラヘラと手を振った。
「高須が“宇宙一の嫁”を連れて来る、っつー話がどっかから漏れちまったらしくてさ。」
 ピシリ、と竜児の後ろの空気が変わる。
「おかげで出席率過去最高。おまけにどうにかしてその嫁を拝みたい、っていう外部の連中が、何人か紛れ込んでるみたいなんだよな。」
 ──漏れたも何も、犯人はお前かあの顎髭メガネしかいねえだろっ。
 文句を言おうと口を開いた瞬間、上着の裾がぎゅうう、と引かれ、竜児は後ろにつんのめった。
「大河? どうした?」
「そんなこと言ったわけ……!?」
 裾を握った拳まで真っ赤になって、大河がうめく。
「う、うちゅ、宇宙一ってあんた、いいいくらなんでもっ」
「おう、いや、実はな──」

「マジかよ……!」

 突然割り込んだ大声に振り向くと、廊下の向こう、トイレから出てきた顎髭メガネがポカンと口を開けている。
 視線の先には、竜児の背中に隠れて小さく身体を震わせる大河。
「高須お前、誘拐は犯罪だぞ!?」
「いや、飲み会終わったら返すから──なわけねえよ!? 彼女だよ!」
 気がつくと、竜児は大河の肩を掴んで思いっきり怒鳴り返していた。
「こいつが俺の“宇宙一の嫁”!」
 かくして、言い訳の機会は失われる。





「おーいみんな、お待ちかねの高須と嫁さん来たぞー!」
 止める暇もあらばこそ、幹事二人が大声で竜児たちの合流を告げると、場は一瞬にして静まり返った。
 おずおずと大河を紹介する竜児に全員の視線が殺到する。
 そして、──巻き起こる大歓声。
 いつもなら早々に「うるせー!」とブチ切れるはずのチビ虎は、さっき耳にしたばかりの『宇宙一宣言』の衝撃から立ち直れず、ギクシャクと会釈するのがやっとの有様。
 それをウブな反応だと勘違いした連中が、「美女と野獣だ!」「天使と悪魔だ!」「世界不思議発見!」などと失礼なことを口々に叫ぶ。
 それからしばし──冷やかしとやっかみでドツかれまくり、何度も同じ説明を繰り返し、思わず目から殺人光線を漏らしはじめてやっと竜児が自分の席に腰を落ち着けると、大河は大河でそのまま猫を百万匹くらいかぶることに決めたらしい。
 聞いた事もないような猫なで声と丁寧語で周囲と喋っていた。
 それでいて、掘りごたつ式の長卓の下、華奢なおみ足は竜児のスネを小突いてくるのだ。
 ──何で誉めたのに怒るんだよ。
 確かに多少大袈裟だったかもしれないが、彼にとっては大河の存在は真実“宇宙一”なのである。
 大恋愛を実らせて以来、少々浮かれトンチキな竜児の脳内辞書からは、“贔屓の引き倒し”という文字は永遠に失われていた。
 ──女心ってわっかんねえ……。
 大河の個人情報を聞き出そうとする連中を適当にあしらいつつ、こっそりため息をつく。
 とりあえずきちんと経緯を説明しようと、恋人の腕を引いたその時。

「席替えターイム! チェンジ!!」

 明らかにアルコール・ハイな幹事の声が響き、大半が素直にいそいそと移動し始めた。
「はい、高須も向こうの卓に行くー」
「おう!? いや俺今、大河に話が──」
「そんなん帰ってからいくらでもすればよくね!? 膝抱っこしてチュッチュチュッチュしながらさあ! いいから動いた動いた!」
 尻を蹴飛ばされるようにして追い出された先には──目をギラギラ光らせた女子の一団が。
「隊長! 高須くんを補まえました!」
「よろしい、左右を堅めたまえ。」
「え、あの、ちょ」
 ▽竜児 は まわりこまれてしまった!
「詳しく。二人の愛の軌跡を詳しく」
「もっと事細かく。」
「下ネタも辞さなくてよ。」
 ──うわああああああ大河あああああああ!!!!


 内心の絶叫虚しくズルズルと魔窟に飲み込まれる。その背中に一瞬、大河のすがるような視線が投げられたのに気付く由もなく──。


 ──……女子怖えぇ……。
 しばし後。高校時代にさんざん噛み締めた事実を再び思い知らされ、竜児はぐったりと長卓の端に伸びていた。
 家族問題などのデリケートな部分は死守したものの、最初はお互い別の人が好きだったことや、果ては近頃のデロ甘い日常まで洗いざらい吐かされて。
 恥ずかしさと大河への申し訳無さでトラウマ級の悪鬼羅刹フェイスになったあたりで、ようやく解放されたのだ。
 今夜彼女たちがどんな悪夢にうなされようが竜児の知ったことではない。自業自得である。
 ちら、と目を上げて大河の姿を確認すると、借りてきた虎猫様は遠くで男子の群れにたかられ、崇拝されていた。
 ──おうおう、飯にも手ぇつけないでまあ……無理しやがって。
 そう、それはまさに崇拝と言った体が相応しい。お互い牽制しあっているのか、大河が無意識に威嚇しているのか、必要以上にそばに寄る不埒者はおらず──
 いや、いた。 一人だけ妙に馴れ馴れしい手つきで大河のグラスに何か注いでいる優男が。
 ──あれ酒じゃねえだろうな? アルコールは体質的に得意じゃねえって、始めにちゃんと説明したはずだぞ──
 三白眼がゆら、と不安気にゆれる。
 そんな竜児の姿に気がついてか、幹事の片割れの顎髭メガネがそっと近づいて耳打ちしてきた。
「高須。今お前の彼女の隣にいる4年生な、あんまり良い噂聞かねーから気をつけろよ。」
 曰わく、目当ての女の子を酔わせて持ち帰ったりするらしい。
 ──なんて奴だ、男の風上にもおけねえ!
 すわ嫁の一大事、と腰を浮かせた竜児の元に、あろうことかその優男が向こうからニコリと笑いかけてきた。
 せ、宣戦布告かコノヤロウ、受けて立っちゃるぜ!とばかりに両眼から殺人光線をビカビカ放っていると、酎ハイのピッチャー片手にこっちにやってきて。
「高須竜児くん?」
「……ええ、はい」
 ──そうですが何か。 俺と俺の嫁に何か。
「オレ、4年の○○」珍しい名字でよく聞き取れなかった。「まあ飲もうよ。」
 グラスにドボドボ注がれ、特におかしな味もしなかったので素直にいただく。
「彼女、大河ちゃんだっけ? めちゃくちゃ可愛いな! もう籍は入れたの?」
「まだですが、いずれ近いうちにそうなります。」


 断言してまずは軽いジャブを浴びせる。
「じゃあ、ご両親に挨拶とかも?」
「だいぶ前に。 ほぼ同棲状態なんで、そういうケジメはちゃんとしねえと。」
「へえ! そりゃ偉いな。」
 何でもない会話の筈なのに、妙にねちっこい蛇のような威圧感を感じる。竜児の強面をまともに見ないよう、絶妙に視線をずらしているのも気に食わない。
 喉の乾きを覚え、ついつい手元のグラスを呷ると、すかさず注ぎ足されて。
「いや、俺もう……」
「まあまあ、もう少し付き合ってよ。
 君たしか法学Bの授業取ってたよね? オレ去年バイトで補助員しててさ──」
 云々と。益体もない話をダラダラとしながら、どんどんグラスに酎ハイを注ぎ足してくる。
 一瞬、自分が狙われてるんじゃ、などとしょうもないことを考えてしまい、竜児は鳥肌を立ててぶんぶん首を振った。
「あのすんません、俺、ちょっとトイレ……」

 これはまずい。
 歩いてみて初めて自分のふらつきに驚く。
 思い返せば、女子軍団に尋問されていた時も照れ隠しに結構飲んでしまっていた。さっきの椀子蕎麦ならぬ椀子酎ハイがトドメになったわけだ。
「俺、本当にお持ち帰られるんじゃねえだろうな……?」
 冗談ではない。想像しただけで胸が悪くなり、……それで思いついた。 出しちまおう。
 ──MOTTAINAIが、この有様じゃいざって時に大河が守れねえしな。
 まだ何かが起こると決まったわけではないけれど。 意を決して便器に向かい、竜児は喉に思いきり指を突っ込んだ。



          # # #




「あー……。喉いてえ。」
 嘔吐後特有の気怠さに胸をさすりつつ、ヨロヨロとトイレからさまよい出る。
 酔いはだいぶ覚めた──ただ、後始末をするつもりでうっかり便器をピカピカに磨きあげてしまった。
 空くのをイライラと待っていたどこかのおっさんが、個室に入るなりその輝きにひるむ声が聞こえる。
 部屋に戻る前に水を貰うべく、店員の姿を探していると。
「はい高須くん、ウーロン茶。」
「おう、助かった」
 見知った顔に横からグラスを差し出され、一息に飲み干す。だいぶ氷の溶けた薄さがありがたい。
「あーあ、残念。あたし、一年のころから密かに高須くん狙ってたんだけどな。」
「!?……ぶほっ! な、なんだよ急に……?」


 まじまじと見れば、ストレートな黒髪に清楚な淡いブラウスの、おそらく同級生。 さっき竜児を質問責めにした女子軍団の一人である。
 名前はたしか、……。全然覚えていない。
「入学して半年だったかな。二号棟の横で、つまずいてミュールの留め紐を切っちゃって。
 たまたま通りかかった高須くんが、魔法のように直して立ち去ってったの。」
 擦り傷の手当てまでしてくれてね、と言われ、眉をひそめて考える──そういえばそんなこともあった、ような? 正直、似たような出来事が多くて覚えていられないのだ。
 なにしろMr.MOTTAINAIこと竜児のもとへ持ち込めば、たいていの衣類・小物を直してしまうので、陰では小人の靴屋ならぬ“般若の修理屋”と呼ばれていることなどは本人も知らぬ事実である。
「学部も違うし、なかなか話す機会がなくて。で、今日がチャンスと飛び込んでみたら、あんなにフワフワキュートな彼女のお出ましでしょー。
 おまけにさっき耳が腐っちゃうくらいたっぷりノロケられて、なんていうかもう」
 ぱっと両手を広げて微笑む。「勝負の前に惨敗、って感じ?」
「…………。」
 その表情の種類を竜児は知っていた。 こんなに切なそうな笑みは、そう、高校時代に何度か見た──
 ──心底望んだものが得られなかったやつの顔だ。
 あの時は、自分もみんなもまだ幼くて、ひどく傷つけあってしまったけれど。
 竜児はぐっと深く息を吸い、黒髪の彼女に向き合った。
「……よくわからんが、そう思ってくれて、その、嬉しい。 ──けど」
 軽く目を見開き、彼女が顔をうつむける。
「俺、大河を愛してる。」
 とんでもなく恥ずかしい、そして残酷なことを言っている自覚はあった。でもこれは告げなくちゃならない。きっと、今。
「好きで好きで、どうしようもねえ。
 想像すらしたくねえけど、今あいつが俺の人生から居なくなったら、きっと気が狂っちまう。いや、もう半分狂ってるのかもしれねえ。 そのくらい好きだ。
 だから、……ありがとう。ごめんな。」
 廊下にぽたりとこぼれた雫は、きっとグラスの汗だ。

「じゃ、じゃあ俺、先に戻るから」
 経験から言って、あとは自分で感情にカタをつけるしかない。
 言いようのない罪悪感とともに竜児が座敷に戻った瞬間──それは起こった。



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