「それは詐欺だ! 家に上げるな! もう上げたぁ! 馬鹿っ!」
ビルの一室を占める会計事務所の室内に怒鳴り声が響く。
「いいか、すぐ戻るからしっかり見てろ。強盗の可能性だってあるんだからな。」
そう言って子機を置くと、コート掛けからコートを取り出して手早く着込む。
所長である私の剣幕に、事務所スタッフ全員が仕事の手を止めていた。
姪である事務員の恵美が、心配そうな表情を浮かべてこちらをみている。
「家の方で、少しばかり問題が発生したみたいだから、様子を見てくる。」
恵美にそう言い残し、急ぎ足で事務所を出る。ビルに1台しかないエレベーターは
7階で停まっていて、しばらく降りて来そうもない。迷うことなく給湯室横の非常階段を駆け下りた。

裁判所前の横断歩道を渡り、材木町通りを急ぎ足で進む。
途中の交差点で赤信号につかまりイライラしたが、時計をみると、園子からの電話を切ってから5分も経っていなかった。

車が切れたので赤信号を無視して歩道を渡る。
もみじ通りを右に曲がり、小さな路地を入ると我が家だった。古い家を耐震補強した際に、
玄関部分に耐震柱を兼ねた鉄骨を入れた関係上、玄関は、普通の家屋と違い内開き戸だ。ノブを掴み、勢いよくドアを押し開けると、ドアにガンっという衝撃が走った。
「一体なんなんだよ 誰がどこからどういうアレを・・・あぁ」
玄関に入ると、学生服を着た高校生くらいの男の子と、赤いブレザーを着た中学生
くらいの女の子が玄関に座り込んでいた・・・。
「・・・・・あなた、あのね、この子たちが・・・・・なんだって」
「ど、どっちが、なんだって!」
「・・・男の子の方が、泰子の子、なんだって・・・・・」
「な、なん、なん、なん」
あまりにも突然な事に、私は針が飛んでしまったレコードのように、同じ言葉を繰り返すしかなかった。

数秒の沈黙のあと、男の子が自分と女の子の自己紹介をした。
これが、私たち夫婦と、孫の竜児、その恋人の逢坂大河嬢との出会いだった。

竜児は、孫である証明として腕時計と泰子の写真を持参していた。
園子から渡された時計は、1989年製のグランドセイコー。私が独立して会計事務所を立ち上げた記念に購入したものだった。
写真の方は、16歳で家出する前の泰子。紛う事なき馬鹿娘の姿だった。
その後の幾つかの悪企みによって、放蕩娘の18年という長い家出は終わった。

3月上旬の日曜日。私たち夫婦は、久しぶりに宇都宮線に乗った。
新幹線の方が早いが、大宮かで乗り換えねばならないし、泰子達が住む街までは、快速に乗れば乗り換えもないし、
時間的にも30分かそこらしか変わらない。それならばグリーン車に乗っていこうという事になった。
ひな祭り寒波の影響で降った雪が、日当たりの悪い場所に残っている。
朝食に園子が作ってきた、おにぎりを食べながら、少しばかり緊張していた。
今日は泰子が長年世話になっている、お店のオーナーにご挨拶に伺う予定だ。
18年間の家出を終えた夜、子供達を2階に上げた後、家出した後、どの様に過ごしていたのかを聞いた。

泰子は、口ごもりながらも、空白の18年間を語り始めた。
最初の1ヶ月は、家から持ち出した品々を換金して暮らしていたが、思った程高い金額にはならなかった。
16歳の身元保証人もいないような女の子に部屋を貸してくれる、不動産業者もなく、飲食店の住み込み店員募集に応募したが、なかなか上手く行かなかった。
生活費も底を尽きかけ、行く宛もなく商店街を彷徨っていた。そんな時に声を掛けてきたのが、一人の男だった。



男は、商店街の八百屋の店主だった。
どう見ても高校生の自分の娘と変わらないような女の子が、昼間から街をうろうろしているのはおかしい。
この街は、比較的、ちんぴらや極道なんて呼ばれれる輩は少ないが、どんな犯罪に巻き込まれてもおかしくはない。
店を終えた後、女房に客をひとり連れてくるから、飯を多めにしておくように言いつけて、駅前に向けて歩いて行った。

お目当ての女の子は、ロータリーの噴水の見えるベンチに座っていた。
泰子が顔を上げると、そこにはジーンズにポロシャツ、帆布製の分厚い前掛けに、市場への入場章がついた帽子を被った男が立っていた。
「嬢ちゃん、腹減ってないか? 今日はうちの娘が修学旅行でいなくてな、飯が余ってるんだ、うちで食べないかい?」
男の口調には優しさがこもっていた。
泰子自身、何度かこの男の八百屋の前を通っているし、朝食用にバナナを買った事もあった。でも付いて行く訳にもいかなかった。
「お腹すいてませんから・・・。」
「ほー、若い嬢ちゃんが、夜の7時でお腹が空いていない訳ないだろ。遠慮はいら
ねえよ。それに、あんた、いい加減、交番のお巡りさんに不思議に思われてるよ。」
泰子が道路向こうの交番を見ると、年配のお巡りさんが、こちらの方をを見つめていた。
多分、このおじさんが去った後には、あのお巡りさんがやって来るだろう。
「嬢ちゃんよぉ。おっちゃんは別に嬢ちゃんに害をなすつもりはねぇよ。ただな、この街にも悪人って奴は、いくらでもいるんだ。嬢ちゃんの事を根掘り葉掘り聞く
つもりもねぇ。ただ飯食って、風呂入って、一晩泊まっていきゃあ良いんだ。」
肩をポンポンと言った感じで叩かれて、ニッコリと微笑みかけられる。泰子は立ち上がった。

八百善と書かれたシャッターを開けると、ガラスサッシがあり、奥の家族用のスペースに繋がっていた。
土間で靴を脱ぎ、親父さんに勧められるままに段をあがると、そこには台所と食堂を兼ねた居間があった。
「帰ったよ。客を連れて来たから飯にしてくれ。」
奥さんは、泰子を一瞥してニッコリと笑った。
「外、寒かったでしょ。そこの椅子が娘のだから、そこに座んなさい。」
まるで、旦那が泰子を連れて帰ってくる事を、予想していたような感じだった。
夕食は、野菜がたっぷりと入った寄せ鍋だった。
一月近い、家出の生活で野菜不足だった泰子にとって、野菜がたっぷり入った寄せ鍋はご馳走だった。女将さんがもっと食べなさいと、取り皿に盛ってくれるので、
泰子は3杯もお代わりをさせられた。
土間続きのこの部屋は寒かったが、親父さんと女将さんの人柄は温かかった。
狭い部屋には物が乱雑に置かれているが、それは片付けられていない訳ではなく、有るべきものが理由を持ち、そこに存在しているような、言い表せない空間だった。
「そういえば、あなた名前は何て言うの?」
「・・・・・。」
「言いたくなければ答えなくて良いけど、あなたをどう呼べばいいのか教えてよ。」
女将さんは、悪戯っぽく笑って言った。
「泰子です。名字は・・・・・。」
「泰子ちゃんね。名字なんて良いわよ。言いたくなければ言わなくていいの。」
じゃあ、泰子ちゃんお風呂に入りなさいな。女将さんは、そう言って泰子にバスタオルを渡し、食堂の奥を指さした。
「古い家だから脱衣所がないの。だからそこのカーテンを閉めて、服を脱いでね。」
「あと、お父さんは私が呼ぶまで2階。」
「はいはいっと。じゃあ泰子ちゃん、自分の家だと思って、ゆっくり温まんな。」
親父さんは、腰をとんとんやりながら食堂を出て行った。
汚れ物は、そこの洗濯物入れに入れときなさい。明日の朝までに乾くように、洗濯しちゃうから。あっそうだ、着替えとかあるの?」
「あります。大丈夫です。お気遣いありがとうございます。」
泰子が言うと、女将さんがブッっと吹いてしまった。
「なに小娘が殊勝な事を言っているのよ、子供は親に甘えてりゃいいのよ。」
豪快に笑う女将さんに、泰子もつられて笑ってしまった。久しぶりの笑顔だった。

お風呂から上がると、女将さんがテレビを見ながらビールを飲んでいた。
テレビは、泰子も毎週観ていた連続ドラマだった。
「ミポリンとギバちゃんみたいなカップルなんて、現実にはありえないわよね〜。」
女将さんはそう言いながら、テレビを消した。
「ちゃんと暖まったの? 」
「はい、お風呂久しぶりだったから・・・・・・。」
「そう、良かったわね。」
じゃあ、お父さんに入ってもらいますかね。女将さんは席を立ち、2階への階段へ向けて大きな声で「お父さん、お風呂開いたわよ。」と叫んだ。
「お〜う。」何だか間延びした声で親父さんが答えた。
「泰子ちゃん、そこだとお父さんの着替えが見えちゃうかも知れないから、こちらへいらっしゃい。」
女将さんは、泰子にキッチン側の椅子に座るように言った。
「あのー、お風呂を先に頂いてすみません・・・。」
「うちはいつも娘が一番でお父さんで私って順番だから気にしなくていいわよ。」
娘が年頃で、お父さんの後は汚いからって一番風呂に入ってるのよ。女将さんは苦笑いいしつつ言った。
「・・・・・あの、お二人の事はなんて呼べば良いんですか?」
「なに旦那はうちの名前を名乗らなかったの?」
「・・・・・・・・もしかしたら、私が聞き逃したのかも知れません。」
「そっか。うちは吉田。旦那が直巳であたしが佳都子。ついでに娘は郁恵だよ。」
「吉田さん・・・・・ですか・・・。」
「呼びにくいなら、あたしの事は佳都子さんでいいわよ。娘にも友達みたいに、佳都子って呼べって言うんだけどさ、ぜんぜん呼んで貰えないの。」
「そりゃ、お母さんの事を名前で呼べませんよ。」
「泰子ちゃんは、お母さんの事をお家では、何て呼んでたの?」
「・・・普通に、お母さんって呼んでました。」
「そうか、すぐに答えられたって事は、仲が良かったんだね・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「親の立場からしてみるとね、子供、特に女の子が家出したって判ったら、それこそ血眼になって、足が棒になったって必死に探すわよ。」
「・・・・・・・・。」
「泰子ちゃんは、お母さんの呼び方を聞かれて、躊躇なくお母さんって答えてくれた。
それは、お母さんとは上手く関係を築けていた証拠だと思うの。」
「・・・・・・・・。」
「帰れるうちに帰りなさいよ。連絡しにくいなら、明日にでも旦那から電話して貰うからさ。うちの旦那は保護司やっていてさ、泰子ちゃんが悪い子じゃなくて、何かしらの
問題があって家出をしたんじゃないかと思って、心配しているの。」
「・・・・・・。」
「私たちを信頼して話してくれないかな・・・。言っておくけど話を聞いたからって、警察に連絡したりしないわよ。造反有理っていってね、反抗する方にも理由はあるって考え
なのよ。だから話して欲しいな。それから力になりたいの・・・。」
佳都子さんの目は真剣だった。
「私のお腹の中には赤ちゃんがいます。多分、妊娠5ヶ月くらいだと思います。」
佳都子さんは、泰子の言葉に衝撃を受けた。娘と同い年か少し下だと思っていた泰子が妊娠をしているなんて、予想のはるか上を超えている。
「相手の男の人は、私が妊娠したかもって話したら、居場所も連絡先も判らなくなりました。お父さんもお母さんもこの子を堕胎って言ってます。でも私は絶対にこの子を護
りたいから、堕胎ことを納得した振りをして、手術の前の日に逃げて来ました。」
「泰子ちゃん、歳はいくつ?」
「16歳です。」「ってことは、高校1年だよね・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「子供を1人育てるのって大変なんだよ。夫婦2人そろっていても大変。どちらか一方が育てるなんてなったら、それこそ死にものぐるいで働かなきゃ子供を育てらんない、
大人でもそう、ましてや泰子ちゃんは、世間様からみたら子供だよ・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「泰子ちゃんには未来があるの。未来ってのは可能性って意味だよ。16歳の女の子なら将来の可能性なんて千や二千はあるだろう、でも、泰子ちゃんが子供を産む事で、あ
なたの持つ可能性は極端に少なくなるの。」


佳都子さんの言う事は正論だった。やっぱり私はここでも理解して貰えないんだ。泰子悲しくなった。そして耐えるようにお腹を押さえた。
「佳都子、そう攻めなさんなよ。」
いつの間にか親父さんが2階から降りて来ていた。
「泰子ちゃんごめんな。佳都子は佳都子なりに、泰子ちゃんと同じ時分から、色々と問題を抱えて生きてきたんだよ。こいつの場合は、家が貧乏で高校に上がれなかった上に
歳の離れた弟がいるのに、母親が若い愛人と一緒にトンズらしちまったから、弟を食わす為に、働かなくちゃいけなくなっちまった。泰子ちゃんの状況と似てなくもないんじゃないか・・・。」
「俺も若い頃は学生運動やら、暴走族やらでいろんな人達に迷惑をかけた。その罪滅ぼしじゃないが保護司なんて似合わない事をしている。でも、実際に悪い事をした人間じゃなきゃ、悪い事した兄ちゃんや姉ちゃんの気持ちも判らねぇだろ。おなじ境遇に立たなきゃ、人の気持ちなんて理解出来ないんだよ。」
「ごめんなさい佳都子さん。でも私は自分の可能性が少なくなっても、お腹の中の子の可能性を失くしたくないの。」
佳都子さんは俯いたままだった。
「佳都子。明日は店も休みだし、久しぶりに、下谷のお母さんの所に行っておいで。お母さんに泰子ちゃんを会わせてあげて、話を聞いて貰ってくればいい。」
親父さんはそう言って、手打ち式だっと両手を大きく開き、胸の前でバチンという大きな音と共に手をあわせた。少々強引かつ繊細さにはかけるが、佳都子さんと泰子の間に
わだかまっていた空気が、手の平でつぶされたようで、2人は目を合わせて笑った。

下谷のお母さんの家には、京浜東北線と山手線を乗り継いで20分程だった。
電車の中で、下谷のお母さんって佳都子さんのお母さんですかと聞いた泰子は、キッと睨まれてしまった。
「下谷のお母さんは、私の親戚の伯母さんでね、昔は上海お辰っていわれていたような芸妓だったのよ。
今は法唱寺っていう毘沙門天を御本尊にしている、有名なお寺の近くに住んでいるの。私にとっては、本当の母親以上の存在よ。」
佳都子さんは、誇らしげに語ってくれた。
「あの〜、お母さんは日本人ですよね・・・・?」
「そうよ?」
「なんで、上海お辰って呼ばれたんですか?」
「・・・・・・。昔、日本と中国は戦争してたでしょ?」
「すみません、私、歴史のテストいつも50点以下でした・・・・・。」
泰子が申し訳なさそうに言うと、佳都子さんは黙ってしまった。
鶯谷駅を出て橋を渡り、広い通りを右折してしばらく行った路地を斜めに入ると、大きはないがマンションが建っていた。
マンションの入り口には、日本舞踊の練習場もあり、つい最近まで下谷のお母さんも講師として稽古を付けていたという話だった。
お母さんの家は1階だった。
玄関を入るとダイニングキッチン。その奥にフローリングの洋室があり、その左右には畳敷きの和室があった。
お母さんは、大場もとゑという名前で、お辰というのは芸妓としての名前だった。
大正4年生まれで、14歳で芸妓の世界に入った時、その年の干支が辰だったことから「お辰」と名付けられた。
昭和10年に中国の上海に渡り、日本料理を出す店で専属の芸妓となり、敗戦の混乱の中、最後の引き揚げ船で日本に帰って来た。
気っ風の良さと、周囲の人への面倒見の良さから、上海お辰と呼ばれ、当時、上海で暮らす日本人で「上海お辰」を知らない人はいなかったという話だが、
75歳を過ぎた今では、歳の割には背筋の伸びた、品の良いおばちゃんとしか見えないのだった。


銀髪は歳のせいかボリュームを失してはいるが、いまだに張りは衰えていない。
薩摩絣の正藍染の着物に、派手ではないが落ち着いた色合いの名古屋帯。
昨年、雪の日に足を滑らせてから、腰の痛みがひどくなったというので、洋室で過ごす時間が長くはなっているが、佳都子さんと泰子の来訪は、仏間で迎えた。
「お昼には、お鮨が届くよ。」
突然の訪問を詫びる佳都子さんに対して、お辰さんは笑顔でそう答えた。
しばらくの間、親類の生活状況等を話していた佳都子さんだが、いつまでも来訪の目的を話さない訳にもいかず、淹れてもらったお茶を一口すすった後で、やっと泰子に関す
話を説明した。
お辰さんは、佳都子さんの話を聞きながら、時折、射るような目で泰子を見つめた。
その度に泰子は、心のなかで「ヒィッ」という悲鳴を上げたくなった。
「という訳なんです。直巳さんも、私も、この子の為にどうしてあげたら一番良いのか判らないので、お母さんの所に相談に来ました。」
佳都子さんが説明し終わると、お辰さんはもう一度、泰子の顔をジッと見つめた。
「佳都ちゃん。悪いんだけど、お茶が冷めちまったから淹れ直してくれるかい?」
佳都子さんが立ち上がり、3人分の煎茶碗を持って台所に出て行った。
「あなた、名前はなんて言うんだい?」 「高須泰子です。」
「たかす・やすこ・・・、やすこってどういう字を書くんだい?」
「え〜と、泰然自若の泰に子供の子です。」
「ほー、泰然自若ってのはどういう意味だい?」
「判らないです、母が、泰子のやすって字を聞かれたら、そう答えなさいって教えてくれたので、子供の頃から、そう答えていました。」
泰子がそう答えると、お辰さんは心底おかしそうに言った。
「あなたは不思議な子だねぇ。名は体を表すっていうけど、あなたほど、泰子って名前がしっくりくる子は、あたしゃ知らないよ。」
そう言いながら、近くにあったチラシの裏面に、筆ペンで「泰然自若」と書いた。
「泰然自若って言うのは、要は、落ち着いていて物事に動じないって意味さ。家出したって言うのに切迫した感じがしないし、
追い詰められた人間て言うのは、悪事の一つや二つしようと考えて相に出るっていうのに、あなたにはそれがない。
持って生まれたものなのか、親の育て方がよかったんだか、とにかくあなたは、どんな人をも魅了してしまう、何かを持っているんだろね。」
お辰さんの言っている意味は、泰子には良く判らなかった。
「お母さんのいう通り、この子には、なんだか放っておけない、なにかがあるのよね。
だから、直巳さんも私も、家に上げてご飯食べさせてあげたくなっちゃうんですよ。」
狭い部屋だから、台所にいても今の話が聞こえていたのか、佳都子さんも喜んでいるんだか、怒っているんだか判らない、複雑な笑顔を見せながら和室に戻ってきた。
「泰子ちゃん。あんたはお腹の子供を産みたいという。その子に会う為に、親御さんの元を離れて東京に出てきた。
でも、行く宛も無い、多分、お金だってそんなに無いだろう。野良犬や野良猫なら、ゴミ箱漁れば何とかなる。でもね、あんたは人間なんだよ。
子供産むまでの生活はどうするんだい?、どこか住み込みの店に潜り込めても、腹が大きくなってくりゃ働けなくなる。
産んだあとだって、2週間やそこいらは働く事なんか出来はしないよ。仮に働けたとしても、乳飲み子抱えて働くことなんかできやしない。
結果的に、周りの人に迷惑をかける。あんたは、それを判っているのかい?」
「・・・・・・・・・。」
「あんたが意地を張ればはるほど、お父さん、お母さんやその周りの人に迷惑がかかるんだよ。親御さんは、警察に捜索願い出してるだろう、近所の人はどこかで事故にでも
遭ったんじゃないかって、いろんな所を探しているだろ。あんたには、そういう迷惑を掛けてでも、子供を産みたいって理由が有るのかい? あるなら言ってごらんよ。」
お辰さんの口調は静かだった。でも、一言一言に重みがあった。
泰子だって、自分の家出がどれだけの人に迷惑がかかっているかも知っている、そして今の自分がどれだけ無謀な事をしているかも知っている。でも・・・・・・。
「私には、なんでこの子を産みたいかなんて判りません。どんなに考えたって言葉に出来ません・・・・・。でも、どうしても産みたいんです。
この子の事を守りたいんです。自分でも判らないです。でも産まなくちゃいけないんです。」
泰子は、心に思いついた言葉をそのまま口にした。


部屋の中は、壁掛け時計の秒針が進む音が聞こえるほど静かだった。
長い沈黙のあと、お辰さんが口を開いた。
「やれやれ、母親の本能ってやつじゃ、どうしようもないやね。」
呆れ、感嘆、同情、いくつかの想いがブレンドされているような不思議な声音だった。
「あたしは子宝に恵まれなかったが、長い人生見てきて、この子よりもひどい状況で子供を産んで立派に育てあげた例は、いくらでも見てきたよ。
その人達も、みんな持って生まれた何かが、不思議と導いたもんだ・・・・・。」
「・・・・・・。」
「この子が、綺麗事を並べるようなら、ふん縛って、白菜やミカンなんかと一緒に直巳さんのトラックの荷台に載せて、実家に送り届けてやろうって思ってたのに、この子ときたらなんの飾りもない事を宣った。こうなりゃ仕方ないね・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「泰子ちゃん、あんた、婆ちゃんがこれから言う事をすべてやりますって誓えるなら、この婆ちゃんが、あんたとお腹の子供を守ってあげるよ。」
お辰さんは、俯いていた泰子に顔をあげて、自分の目を見るように言った。
「あんたが子供を育てるには、人の情けに縋るしかないんだ。情けってのは人を大切に想う心であり、この人の為になにかしてあげようって優しい心だ。
あんたは他人から受けた優しさをを当然に思うんじゃなく、そういった人達によって生かされている事に感謝するんだ。
そして、あんたの子供が成長して余裕が出てきたら、自分が受けた情けを他の人に三倍増しにして渡してあげるんだよ。」
それが一つ。お辰さんは、さっきのチラシに『恩を報じる』と書いた。
「それから、あんたは人を大切にするんだ。人のはなしを良く聞き、その人が悲しんでいるなら一緒に泣いてやり、その人が楽しい時には一緒になって喜んであげる。
その人が困っている時には、自分が出来る事をしてあげる。」
それが二つ。『人を大切にする』
「最後に、あんたの両親に手紙を書きなさい。心配させた事を詫び、今、自分がどこにいるのか書いてポストに入れなさい。」
『手紙を書く』
書き終えた三つの誓いの羅列を、泰子の前に置いてお辰さんは静かに言った。
「あんたの覚悟を聞こうか。」
再びの沈黙。
黙り込む泰子のお腹が一瞬ピクリと動く。
お腹が空いている訳じゃないから、お腹の音ではない。今のは・・・・・・・・。
手の平をお腹に静かに当ててみる。泰子のお腹のなかで、確かに何かが動いている。
自分の中で育つ子供の生命を確かに感じた。
自分の中から喜びが湧きあふれてきた。
「あんたの覚悟を聞こうか。」
答えない泰子に、お辰さんがもう一度覚悟を問う。
「誓います。」
泰子はお辰さんの目を見て言った。お腹の子供に廻り逢えるなら、どんな誓いも必ず守ってみせる。
お辰さんも、泰子の目をじっと見つめていた。この子の中で何かが変わった。先ほどまでの自信のなさが消えて、決意と歓喜を秘めたような力の籠もった視線で自分を見るよ
うになった。この子なら・・・・・・。
「あんたが思っている以上に生きることってのは大変なんだよ。あんたが必死になって育てた子供が、あんたの気持ちに報いてくれない事もある。それでも後悔しないね?」
「はい。後悔しません。」間髪を入れずに答えが返ってきた。
久しぶりに、上海お辰と呼ばれていた頃の鉄火な気持ちが甦ってきた気がした。
「この中で一番大切なのは手紙を書く事だよ。文章なんてどうでも良いから、心配させた事を詫びて、自分が元気でいる事を親御さんに知らせておやり。
それで、親御さんが迎えにきて、あんたの気持ちを伝えて、子供を産む事を赦して貰うんだ。
あんたの気持を伝えても、世間体やらなんやらで子供を産ませないっていうなら、このお辰さんが、あんたを守ってやる。
だから嘘や偽りなんか書かずに、ちゃんと手紙を出すんだよ。」
「でもお母さん、電話させてあげた方が早いんじゃないの。」
二人のやりとりを黙って聞いていた佳都子さんから、現代的な突っ込みが入った。
「お黙り! 電信やもしもしじゃ伝わらない言葉もあるんだよ!」
お辰さんの、時代がかった言い回しに、佳都子さんと泰子は笑ってしまい、お辰さんはそれを忌々しそうにみた。
玄関のチャイムが鳴り、お鮨の出前が届いた事を知らせた。


出前のお鮨を食べながら、泰子はお辰さんの昔話を聞いた。
お辰さんは、この下谷に生まれたそうだ。お父さんは、近くのお寺で雑務をこなす寺男であり、貧乏人の子だくさんという言葉を地でいくような家庭だったという。
尋常小学校を出た春。口減らしをかねて浅草の商家に行儀見習いに出された。
行儀見習いは名ばかりで、子供の面倒をみたり、炊事洗濯を手伝ったり、とにかく独楽鼠のように朝から晩まで働かされた。
14歳の時、父親が脚気で働けなくなった。
ある日、長兄が訪ねて来て、自分が新橋の置屋に売られた事を告げられた。
芸妓になるという事は、商売女になれと言われたも同然だった。
子供の頃から、弟妹の面倒を見させられ、一度も誰も好きになれぬまま、自分は売られて行くのだと考えたら、涙が止まらなかったという。
それでも、かわいい弟妹達が少しでもお腹を満たす事ができるならと、お辰さんは諦めて、奉公先の主人に暇を貰い浅草を後にした。
お辰さんが身を置くことになった置屋の主人と女将さんは、進歩的な考えの人だった。
芸妓が簡単に肌を許す事を認めず、芸事を大事にするように言い、お辰さんに三味線や日本舞踊の稽古をつけた。
下谷の大場もとゑは、14歳の春。正式な芸妓として初座敷を踏んだ。その年の干支に因んで「お辰」と名付けられた。
その置屋での時代は、お辰さんにとっては幸せな時代と言えた。確かに厭な客もいたが格式高い新橋芸者に名を連ねて、芸に精進できる事に喜びを感じる事の方が多かった。
時代は流れ、いつの間にか自分より年が若い芸妓も多くり。お辰さんは「お辰姐さん」と呼ばれる事が多くなった。
昭和13年。上海に料亭を開いて欲しいという要請が、お辰さんの知り合いの料亭の主にもたらされた。依頼してきたのは表向きは商社だったが、その実態は陸軍の息がかか
った人物からの要請だった。
当時の上海は、「東洋の巴里」とも「東洋のバビロン」とも言われた東洋随一の都市だった。
半ば軍からの要請である以上、無碍に断る事も出来ず、料亭の主は、上海への出店を受け入れた。そして、その料亭の専属芸妓として、お辰さんに声がかかったのだ。
軍部の統制が強まり始めた時代、置屋なんてものは息を殺して、お上の目を逃れようという時代だった。
芸妓をお座敷に呼ぶのは、一部の戦争成金や、鼻息の荒い陸軍さんだった。成金や軍人が嫌いなお辰さんにとっては、状況さえ許すなら芸妓から身を引きたいと本気で思えるような時代だった。
ある日、お辰さんは、長年世話になってきた置屋の女将さんに呼ばれた。
言いだしにくそうにしている女将さんの姿にぴんとくる物を感じて、自分から上海行きを申し出た。自分以外の芸妓には、旦那がいたが、自分にはいないから。そう自分に言
い聞かせた。
上海での生活は、意外とお辰さんの肌にあったようだった。上海唯一の料亭として、お辰さん達のお店は流行った。
客は軍人が多かったが、商社の人間が異国の客人を招待して、料理とお辰さん達の三味線や舞に酔った。
お辰さんが、『上海お辰』と呼ばれるようになったのもこの頃だった。
ある時、板場の人間が下働きの漢族の男に殴る蹴るの暴行を加えて、意識をなくしたその男を簀巻きにして河に突き落とすという事件が起きた。
板場の人間は以前から、漢族や満州族の女性を無理矢理手込めにするという所行もあった。
お辰さんは自らの給金からこの男性の遺族に見舞金を渡し、その足で板場に乗り込み、問題を起こした男を包丁で斬りつけたという。
「あんたとあたしや支那の人達、この五体に流れる血は同じだろう、あんたが支那の人を傷つける理由はないんだ!」と啖呵を切り、男を追い回したという。
その話が伝わると、中国の人達から「上海龍大姉」と呼ばれ親しまれるようになった。
やがて、アメリカとの戦争が敗色濃厚となってくると、それまで威張り散らしていた軍人や成金達の姿は消えた。昭和20年8月。長かった太平洋戦争は終わった。
それまで土地の人達を支配していた日本人は、今度は追われる立場になった。
お辰さんは、右往左往するばかりの男どもに指示して、芸妓時代に培ってきた人脈により、料亭を引き揚げ船がくるまでの間、
行き場をなくした人達が過ごせるようにしたり、中国人の知人に頼み食料を確保したりした。そして、最後の引き揚げ船が到着するまで、他人を励まし、希望を与え続けた。
最後の引き揚げ船で上海を出る時、お辰さんの手元には何もなかった。持ち物はすべて金に換え、引き揚げ船の人達で分けた。


泰子は、宇都宮の両親に宛てた手紙を、大橋の吉田家の和室でしたためた。
両親に宛てた手紙なんて、小学校の卒業式の記念行事の一環で、書いて以来で、どんな事を書けば良いのか判らなかった。
勝手に家を出てしまった事。
両親の不在の間に、自分名義の通帳だけではなく、6桁の数字が並ぶ通帳を持ち出し、父親が大切にしていた時計や、母親の宝飾品も黙って旅行カバンに詰め込んだ事。
妊娠した事を言い出せずにいた事。
両親に謝罪すべきことは、両手では収まりきらなかった。
明日のお昼に、下谷のお辰さんの家に行き、当分はお辰さんの元で暮らす事になる。
今晩中に手紙を書き終えて、佳都子さんと郵便局に行き、速達で実家に送ってもらう。
その手紙を読んだ両親は、諸般の事情を押してでも、下谷のお辰さんの家に駆けつけて来るだろう。

お辰さんの昔話を聞いたあと、両親との話し合いの結論が出るまでの、泰子の住まい等の話をしているなか、泰子はある疑問を口にした。
「もし、両親がそれでも堕ろせって言ってきたらどうすれば良いんでしょう。」
泰子の不安気な顔を見て、そっと頭を撫でてくれた。
「鬼出るか蛇が出るか、丁半博打みたいなもんさ。」
お辰さんは笑いながらそう言った。そして
「あんたが、そんなに不安がっていたらお腹の子に障るよ。あんたの持って生まれた物は笑顔だ。
それを常に失くしちゃいけないよ。常に笑顔でいりゃ、毘沙門様が護ってくださる。」
「毘沙門様・・・・ですか。」
「ああ、毘沙門様は、仏様を守護する四天王の一人でね、あたしの護り本尊みたいなものさ。
苦しい時も、悲しい時も毘沙門様が加護して下さった。でなけりゃ、あたしみたいな者が、この歳まで生きてこれなかったよ。」
お辰さんは、そう言って窓の外の林を見つめた。

和室の隣の郁恵さんの部屋の中から、小さなアラーム音が聞こえた。部屋の時計を見ると23時だった。
朝4時前に起きて、市場に競りにでかける直巳さん(お父さん)を気使い、吉田家は全体的に夜は早いようだ。
階段を静かに上ってくる気配がしたと思ったら、佳都子さんが顔を覗かせた。ウッドペッカーが書かれたマグカップを手にしていて、ふんわりとレモンの香りが漂ってきた。
「どう、ちゃんと書けてる?」佳都子さんはそう言いながら、マグカップを置いた。
泰子は、困った顔をしながら小さく首を振る。「やっぱりね、まあ一服しなよ。」泰子に勧めたのは、少し多めに砂糖が入れられたレモンティーだった。
一口啜ると、レモンの果汁もたっぷり入っているのか、酸っぱかった。
「お母さんも言っていたけど、上手に書く必要なんかないからね。親なんだから、子供が何をいいたいのかちゃんと理解出来るよ・・・・。」
「はい。」
なんだか気恥ずかしくなった泰子は、半分位まで書いた手紙を佳都子さんに見せた。
「なに、この丸っこい字、親への手紙ぐらいちゃんとした字で書きなさいよ。」
さっき言った事と矛盾するような事を言いながら、佳都子さんは手紙をざっと読み、泰子に返した。
「大丈夫よ、思ったよりも上手に書けてる。あとは、この街で元気でいる事を書けば良いんじゃないの・・・・。」
とりあえず、あんまり遅くまで起きていちゃダメよ。佳都子さんは、そう言い残して、部屋を出て行った。結局、3時まで手紙を書き続けて、泰子は眠った。


結局、泰子が送った手紙の返信は届かなかった。
泰子は、佳都子さんに促されて手紙を2通書き送ったが、2週間経っても返信が届く事はなかった。
痺れを切らした佳都子さんが、お辰さんに黙って、泰子の実家に電話をしたが、10回も20回もかけても繋がる事はなかった。
佳都子さんから、電話が一切つながらない事を聞いたお辰さんは、両親側が故意に連絡がつかないようにしていると判断した。
肉親の問題は拗れたら簡単には解決出来ない。時の妙薬が効くのを待つしかない。
お辰さんは、そう考え便箋を取り出し、筆ペンで父母に宛てた手紙をしたためた。
これを鳩居堂で買って来た和紙の封筒に収めて。仏壇に奉じて祈念をささげる。
あなた方のご息女は、ご両親のお怒りが解けるまで私が責任を持ってお預かりさせて頂きます。お怒りが鎮まったら迎えに来てあげて下さい。
お辰さんは、長い祈念の後、家を出てその手紙をポストに投函した。

泰子とお辰さんとの奇妙な同居生活は、そうしてスタートした。
泰子は、お辰さんの姪で。両親との折り合いが悪くなってしまった為、お辰さんの家で暮らしている大学生という事になった。
「大学生にしちゃ、ぽやぽやしてるけど、まぁ仕方ない。」
そういう設定を考えついたのは佳都子さんで、その話を聞いた時に、お辰さんは呆れながらそう溢した。
ずっと、お辰さんの家にいても良いのだが、これには泰子が働く事を強情に主張した。
とはいえ、数ヶ月もすれば臨月になるような身重な女の子をコネもなく雇って貰える事はない。
そこは佳都子さんが、大橋の商店街の喫茶店のアルバイト口を見つけ出して来た。朝8時の開店からモーニングサービスが終わる11時までの3時間。
それから夕方までは八尾善で働く。八尾善でのバイト料は、出産費用に充てるという約束だった。
その他にも、お辰さんの家で暮らさせて貰う以上、洗濯や掃除は泰子がやると言い張り、その強情さには、お辰さんと佳都子さんでさえ、最終的に譲らざるを得なかった。
12月末になる頃には、泰子のお腹は目に見えて大きくなってきた。
八尾善で働いている間、泰子が少しでも無理をすると、直巳さん・佳都子さん両方からきつく怒られた。そんな時に助け船を出してくれるのは、一つ年上の郁恵さんだった。
優しい人達に護られて、泰子は出産の準備を整える事が出来た。
そして春。男の子が誕生した。

泰子の息子を初めてみた時の、お辰さんと吉田家の人達の反応はそれぞれだった。
「おおっ いい面構えじゃないか・・・・・。」(直巳)
「・・・父親の因果が子に報いちゃったのかしら・・・・。」(佳都子)
「・・・・・・・スケバン刑事の般若みたい。」(郁恵)
お辰さんだけが、男の子の顔を見つめて、ニッコリと微笑みかけた。
「この子は、将来、良い男になるよ。この子には、お不動さんがついていらっしゃる」
なんだか本当の孫が、しかも初めての男の子の孫が生まれたみたいに、お辰さんは喜んでくれた。
泰子は、生まれたばかりの男の子の名前を幾つか考えていた。
「竜」これは初恋の男の名前を一文字。「園」これは優しい母親の名前から一文字。
「清」これはおとうさんから一文字。「児」これもお父さんから一文字。
そして「辰」。もちろん、私とこの子を護ってくれた、お辰さんの辰から一文字。
「園児」では意味が通らない。「竜清」は怖そうだ。「清児」はお父さんと一緒になる
「辰児」か「竜児」かどちらがいいだろう。
泰子は、ベットの隣で付き添ってくれている、お辰さんに話しかけた。
「ねえ、おばあちゃん。この子の名前なんだけど、おばあちゃんに決めてもらっていいかなぁ。」
「名前なんて、やっちゃんが決めればいいんだよ。」
「うん、やっちゃん、いろいろ考えたんだけど、決められないの。」
「どんな名前を考えたんだい?」
「うん、『竜児』と『辰児』のどっちかにしたい。」
「じゃあ、竜児にしなさい。竜も辰もどっちも同じ竜の意味だからね。」
「ええっ、そうなの、やっちゃん、辰って、タツノオトシゴだと思ってたよ。」
心底おどろいたような泰子の口調に、お辰さんは唖然としてしまった。
上海お辰の辰は、竜ではなくタツノオトシゴだったのかい。泰子とこの子の将来に、毘沙門様のご加護がありますよう。お辰さんは、本心から祈った。


泰子の子供は「竜児」と名付けられた。
お辰さんは、昔から懇意にしている老弁護士に、5年ぶりに連絡をとった。泰子と竜児の戸籍に関する相談をする為だった。
泰子の戸籍は今も宇都宮にある。
竜児が生まれた以上は、正式な手続きをしなければ、竜児は戸籍のない子供になってしまう。
お辰さんから相談をうけた弁護士は、事務所の中でも有能と言われている女性弁護士にこの問題を穏便に解決するよう指示した。結果的にこの人選は大失敗だった。
こじれにこじれた上、高須家(正確には高須家の本家)の弁護士と、老弁護士の間で話し合いがもたれ、高須泰子の戸籍は、下谷のお辰さんのマンションに異された。
お辰さんは、泰子に対してこの話をしなかったので、泰子が18年間の家出が終わるまで、なにも知らされなかった。
産婦人科から退院し、泰子と竜児は再びお辰さんの家に戻ってきた。
泰子の産後の肥立ちは順調だった。泰子の子育ては予想以上に上手くいっていた。
もちろん、お辰さんや佳津子さんの協力のお陰なのだが、まるで母親の負担にならないよう気遣っているんじゃないかと不思議に思えるほど、
竜児が手のかからない子供だった事もある。
泰子には不満な事が一つだけあった。
竜児と二人でお辰さんの家にいるというのに、お辰さんは家賃どころか月に1万円以上の食費は絶対に受け取ろうとしなかったのだ。
お辰さんの家では、一汁一菜の朝食。麺類の昼食。一汁二菜の夕食がほとんどだ。二菜と言ったって、きんぴらや煮浸しやらの作り置き出来るお菜に、主菜は魚。
時には肉も食べたが、コマ肉やらバラ肉やらじゃ値段は知れている。だからといって、月1万円で食住済まさせて貰うのは申し訳ない。
泰子は強情に、月3万円を受け取るように言ったのだが、お辰さんもガンとして受け入れない。ギャーギャー言い合う姿は、まるで本当の祖母と孫娘がケンカしている様にみえた。
佳都子さんは、竜児をあやしながら、無責任に「もっとやれ!」なんて火に油を注ぐ始末。何だか賑やかな家庭だった。

泰子が再び働きにでたのは、竜児が1歳を過ぎてからだった。
竜児がおっぱいを欲しがる間は、そばにいること。お辰さんは、そう泰子に厳命して、どんなに泰子がお願いしても、働きにでる事を許してくれなかった。
それでも、一歳を過ぎて離乳を済ませると、短時間ながら働きに出ることを許した。
矍鑠としていると言っても、お辰さんだってもう80歳に手が届く年齢だ。いずれ、自分がいなくなった時に、泰子が経済的に困らないよう準備して置かなければならない。
しかしながら、ぽやぽやしている泰子では事務仕事は勤まらないだろう。
佳都子さんと相談した結果、佳都子さんの知り合いがやっている飲食店で働く事になった。最初は仕込み時からランチタイム迄、
竜児が保育所に預ける事が出来るようになると長く働くように、段階を踏んでいった。

竜児が4歳になる春。泰子は5年近く住んだお辰さんの家を出る事にした。
新しい家は大橋駅の一つ隣の駅。竜児の通う保育所と、泰子の職場の利便を考えると、下谷の家を出るしかなかったのだ。
「佳都子さんの家までは一駅だし、下谷まで30分しか掛からない。休みの日にはいつでも帰ってこれるよ。」泰子は涙で滲んだ瞳でそう言いながら、下谷を後にした。
泰子は20歳。お辰さんは79歳になっていた。


家賃、保育所の費用、水光熱費、食費、諸雑費。電卓を何度叩いても今月も大幅赤字。
泰子は電卓を机の上に放りだして、テーブルに突っ伏してしまった。
快速の止まらない北大橋駅から歩いて10分。築24年。1DKのアパートは夏は暑くて冬は寒い天然のエアコンディショナー完備だった。
朝の7時半に家を出て竜児を保育所に預ける。職場には8時過ぎに入り、仕出し弁当の仕込み。10時に仕込み弁当を発送した後は、お昼の営業の準備。
昼食は毎日15時近く。それから夜の営業用にお通しを作り、小鉢に盛り込む。
宴会が入っている場合は、宴会の仕込みもやる。
毎日10時間。長いときには12時間立ちっぱなしの仕事は結構つらい。
お店の人間関係だって良くない。今まで、お辰さんや佳都子さんに、どれだけ守られていたのか・・・・。いまさらながらに下谷で暮らしていた頃が懐かしかった。
ベットではスヤスヤと寝息を立てて、竜児が眠っている。呼吸する度に小さく上下するお腹。小さな掌。癖のない柔らかな髪。すべてが泰子の宝物だった。
初めてお辰さんの家に行った時。泰子は3つの誓いをお辰さんと取り交わした。
「恩を報ずる」「人を大切にする」「手紙を書く」
いまだに、お辰さんや吉田家の人達には、恩返しが出来ていない。「人を大切にする」という誓いも、厭な人、自分勝手な人、
横柄な人に対しては反発が先に出てしまい、実行出来ているとは言い切れない・・・・。私はダメな人間なんだと溜息が出てしまう。
今月の不足分を穴埋めする為には、とうとう、宇都宮を出るときに持ち出してきた、母の指輪を売らざるを得なさそうだ・・・・。
ぬるくなって、泡が多めになってしまったビールと共に、苦い思いを飲み下した。

「お姉さん、ちょっと話しを聞いてよ・・・・。」
竜児の手を引きながら、池袋のPARCOの前を歩いている時に一人の男に声をかけられた。
50年配。細身のピンストライプのスーツ。髪の毛を後ろに流していて革のクラッチバック。カニメガネのレンズの奥に光る目は鋭い。
「あの〜、何か御用でしょうか?」
見るからに、カタギではない男性の身なりを見て、泰子は竜児の手を強くにぎった。
「いや、お姉さんがとっても綺麗だったからさ、思わず声かけちゃったんだよ。」
男は慣れた手つきでバックから名刺を一枚取り出す。「桐葉興業スカウト・鳥居」
名刺を、泰子ではなく竜児に渡すあたりが、鳥居が百戦錬磨であることが判る。
「今日は、弟さんと買い物ですか?」
「やっちゃんは、僕のお母さんだよ。」泰子が答えないでいると、竜児が怒ったような声で鳥居に答えた。
「へー、若くて綺麗なお母さんなんだね。ぼうや、アイスクリーム奢ってあげるからママと一緒においでよ。」
「アイス?」
「そこに、アイスクリーム屋さんがあるから、そこで少しお話ししような。」
「うん。」
アイスクリームが余程食べたかったのか、竜児は泰子の手を離して、鳥居の後を追い歩き始めた。

ガラスの器にウェーハース。ストロベリーとバニラとチョコレートのアイスにたっぷりの生クリーム。竜児は、にぎりしめたスプーンでアイスと格闘している。
「やっちゃんは見たところ21歳前後。こんなかわいい男の子のママに見えないね。」
鳥居は、胸のポケットからロングサイズのパーラメントを取り出して、ライターで火をつける。
「・・・・・・。」
「僕はさぁ、高級クラブに女の子を紹介するのを仕事にしているんだ。」「・・・・。」
「ちゃんとした店は女の子の募集広告出す訳じゃなくて、僕みたいなスカウトに金を払って、お客さんがつきそうな女の子をスカウトしてるんだ。」
「・・・・・・。」
「ストレートに言うけど、やっちゃんは良いものを持ってるよ。久しぶりに逸材に会えたって興奮しちまったよ・・・・。」
格好にお金かけてなさそうだし、手も荒れてる。失礼だがシングルマザーだろ?
クラブに勤めたなら、半年もしないうちに、人気のトップ5に入れる。
鳥居は、高級クラブの夜の世界について、良いこと、悪いこと含めて泰子に説明した。
そして、「もし、興味が出たら名刺の電話番号に電話くれよ。」
そう言い残して、レシートを手に店を出て行った。


悪い時には、悪い事が重なるものだ・・・・・。
アパートに引っ越して来る時に、吉田家のお古で貰った洗濯機が壊れた。
竜児が、インフルエンザにかかってしまい病院に入院した。
部屋の給湯器が壊れた。修理は住人の自己負担。
その上、職場の人間関係が最悪となり、古くからいる牢名主のようなおばちゃんに目をつけられてしまい、朝の仕出し弁当の仕事から外されてしまった。
残り少なかった銀行の残高が、みるみる減って行く。このままでは家賃も竜児の保育費も払えなくなってしまう・・・・。
家出して、大橋駅前のロータリーを彷徨っていた頃の侘びしさが甦ってきた。

「えっ、夕方のシフトも入れないんですか!?」
手渡された来月の勤務予定表を見て、泰子は絶句してしまった。
仕出し弁当のシフトだけではなく、夕方からのシフトからも外されてしまったのだ。
原因は判っている。牢名主のおばちゃんの嫌がらせだ・・・。そのおばちゃんは実質的に店の運営をオーナーから任されている。
この間までは自分の事を「やっちゃん」と呼んで可愛がってくれていたのだが、食材の納入業者から、
陰で金銭を受け取っている所を泰子に見られて以来、掌を返したように苛め始めたのだ。
10時から14時のシフトだけでは絶対に生活出来ない。結局辞めざるをえないのだろう・・・・。
退職する事をオーナーに伝えたところ、明日から来なくて良いと言われた。不景気の世の中だから、すぐにでも次の人は決まる。
「ご苦労さん。給料は来月振り込むよ。」
佳都子さんに紹介されて働き始めて4年間。辞めるとなるとあっさりしたものだった。

佳都子さんには、仕事を辞めた事を言えなかった。佳都子さんに話せば、すぐにお辰さんにも、話が伝わってしまう。おばあちゃんには余計な心配をさせたくなかった。
泰子は、アパートへの帰り道、アルバイト情報誌を買って帰った。
出来るだけお金が多く貰えるけど、学歴不問な会社。
そんな条件で探すと、100ページある中で、2件か3件しか求人はなかった。
贅沢は言ってられないと、付録の履歴書を書いて、連絡先に電話するが、子供を抱えていて、シフトが限られてしまう事を伝えると。
面接前に断られてしまった3日間。必死になって仕事を探したが。雇ってもらえる会社はなかった。
泰子は、引き出しから以前に貰った鳥居の名刺を探し出した。
1時間迷ったあとで、泰子は鳥居の事務所のダイヤルをプッシュした。


「やすこちゃん お疲れさま。」
お店を出る時に、敦子ママが優しく声をかけてくれた。
「お疲れさまでした。お先に失礼します。」
泰子は一礼して、大急ぎで階段を駆け上がった。
竜児を預かってくれている、無認可保育所とは、午前1時までに迎えに行く約束になっている。
大橋駅までの最終電車に駆け込めば、何とか間に合う。
お店から池袋駅まで走り、大橋駅からダッシュすれば約束の1時に間に合うのだ。
駅前のロータリーを抜けて、1階がハンバーガーショップの雑居ビルの階段を駆け上がると、保育所はある。時計を見ると24時55分間に合った・・・・。
扉を開けると、玄関に竜児が佇んでいた。屈んで強く抱きしめるとミルクの臭い。
1日の中で泰子が一番幸せに感じる時間だ。
夜間担当の保育士さんにお礼を言って外に出る。今日は寒い。オリオン座が綺麗に見える。
泰子は竜児が着ているパーカーのフードを直してやり、自宅までの道を、竜児と話ながら帰って行く。こんな生活がもう半年続いている。
「明日はお休みだから、おばあちゃんのお見舞いに行こうね。」
竜児に言うと、眠そうな眼でこっくりと頷いた。
少し早起きして、おばあちゃんが好きな海苔巻きを作って持って行こう。泰子は、お辰さんが、喜ぶ笑顔が見たかった。


お辰さんは、大橋の隣町の大学病院に入院していた。
日課である、朝の散歩の最中に倒れ、そのまま、救急車で運ばれたのだ。
81歳になり、さすがの上海お辰さんも気が弱くなりはじめた。
佳都子さんと郁恵さん、それに泰子が交代で世話を焼きに来る度に、わがままを言い、3人を困らせるのは、お辰さんなりの照れ隠しなのかもしれなかった。

お辰さんは、佳都子さんにも、泰子にも内緒で、人生の仕舞い支度を始めていた。
泰子の戸籍移動の時に世話になった弁護士に病室に来てもらい、自分が死んだ後のマンションの処分や少々の預金の分配。それから葬式代の払いと入るべきお墓を決めた。
二人の年寄りは、なんの感傷もなく、ただ淡々と自分が身罷ったあとの処置を決め、段取りについて話しあった。
「やれやれ、これでお迎えがいつきても安心だね〜。」ほっとした口調のお辰さん。
「そんな事を言うものではありませんよ。」優しく嗜める老弁護士。
上海からの引き揚げ船で知り合って以来、50年以上もの付き合いの二人に遠慮はなかった。
その日から、お辰さんの食は細くなり、ベッドで寝たきりになってしまった。

お辰さんが息を引き取ったのは、12月の寒い日だった。
上海お辰と呼ばれ、波乱に満ちた生涯を送った「お大場もとゑ」という老婆は、静かに眠るように息を引き取っていた。昼食を食べ、いつもの様に昼寝を始めたのが午後2時
16時の検診に来た看護婦さんが、ゆっくり眠っているから起こさないでおいたのだが、夕食になっても眼を覚まさない。
同室の人が声をかけたところ動かないという事で、亡くなっている事に気づいたのだった。

泰子が、お辰さんの死を知らされたのは、お店の営業が始まってからだった。
泰子の事を可愛がってくれている証券会社の部長さんが帰ったあと、テーブルを片付けている時に、敦子ママがそっとバックヤードに呼び、
佳都子さんから電話があった事を教えてくれた。
慌てて、佳都子さんが伝言を残した病院の連絡先に電話をすると、郁恵さんが出て、お辰さんが亡くなった事を、涙声で教えてくれた。
それから、病院にどうやって辿りついたか覚えていない・・・・。


お辰さんの葬儀は、お辰さんの家の近くで営まれた。泰子も遺族席の末席に連なり、焼香にいらしたお客様に頭を下げた。
元々小さかったお辰さん。荼毘にふされお骨になってしまうと、いよいよ小さくなってしまった。
どれだけ泣いても涙は涸れなかった。生きてきて、これほど悲しい事はなかった。
遺言により、お骨の半分は、上海の長江に散骨し、もう半分は、菩提寺に新たに作ったお辰さんの墓に収める。長江に流したお辰さんのお骨は、ゆっくりと東シナ海に沈む。
「上海龍大姉」を知る中国の人はもういない・・・・。
しかし、お辰さんのお世話になった人達は多く。葬儀が終わったあとも、下谷のマンションにやってきて、お線香を手向ける人は後を絶たなかった。
吉田家の人々が上海に散骨に行っている間、泰子は下谷のマンションでそう言うお客様の応対にあたった。

お辰さんが亡くなり一月が過ぎた。
気がついたら、宇都宮の実家の前にある公園のベンチに座っていた。
この家を深夜に抜け出して、東京に向かったのは6年前。実家のたたずまいは変わっていなかった。
一人の女性が、泰子の顔を怪訝そうに見ながら前を通り抜けた。泰子は定まらない視点の中で、いまの女性が母親と仲の良い近所のおばちゃんだと気がついた。
竜児は、さっきまで滑り台や鉄棒で遊んでいたが、地元の子供達がやってくると、泰子の隣に腰をかけ、足をぶらぶらさせている。
そして、時折、泰子の顔を心配そうに覗き込んでいた。
大橋にも、下谷にも帰りたくなかった。お辰さんを失った今、これから先、どうやって生きて行けば良いのかわからなかった。


カバンの中に入っているPHSが着信を知らせた。いつでも連絡がつくようにと、敦子ママから持たされているものだった。
知らない電話番号が表示されている。少し迷ったが泰子は通話ボタンを押した。
電話をかけてきたのは、お辰さんが懇意にしていた老弁護士だった。
「こんにちは。ご自宅に連絡してもお出にならないので、電話しました。」
老弁護士は、そう言って突然の電話を詫びた。
明日、大橋の吉田家にお越し願いたい。時間は夜の19時。夕食を食べながら、お辰さんの遺言についてお話をしたい。
突然の申し出に、泰子は戸惑ってしまった。
「私は身内じゃありませんから、そういった席に出るのは・・・・・。」
「亡くなったお辰さんは、あなたのことを身内だと思っていたようです。」
老弁護士は、遺言により、吉田直巳・佳都子夫妻と高須泰子同席の下で、遺言状を開封する事と指定されています。
あなたが来なければ、吉田夫妻が困ります。と言って、明日何か不都合があるのか聞いた。
「・・・・ありません。」
「では、明日19時に。そうだ、竜児君は郁恵さんが見てくれるそうですよ。」
そう言って、老弁護士は電話を切った。
公園の角にお豆腐屋さんの自転車が止まり「トーフー♪」と笛を吹く。
竜児のお腹が小さく鳴った。
「お腹すいた?」泰子が聞くと、減ってない、ちょっとお腹が鳴っただけだよと言う。
泰子は立ち上がり、竜児の手を引いて歩き始めた。
もう一度、家の方を振り返ると小さく「ごめんなさい」と言って公園を後にした。


「次は、大橋、大橋です。東埼線、京浜東北線、上野方面はお乗り換えです。」
園子が土産物が入った紙袋を、棚から下ろそうとするのを手伝い。軽く屈伸をする。
最近、長く近く座っていると、歩き始めに痛みを感じるようになった。
園子がコートを着て、階段を下りて行こうとするのを、電車が駅に着いてからでよいと嗜め、自分自身もコートに袖を通した。
駅のホームに降り立つと、早速、園子が泰子に電話をして、どこに行けば良いか確認している。宇都宮に比べて、大橋は幾分温かいようだ。

泰子に指定された東口のロータリーの噴水はすぐに判った。そこに泰子と竜児君が立っていた。
竜児君は、これから模試があるとかで昼食は一緒に食べられないが、夕食は一緒に食べると言い残して去っていった。
なんでも、私たち夫婦を出迎える為だけに、わざわざ家から出てきてくれたという。
泰子の案内で吉田家に向かう。歩き出すときに泰子が、懐かしそうに噴水のベンチに一瞥をくれた事が気になった。

吉田家は、聞いていたとおり立派な八百屋さんだった。
12年ほど前に建て替えたとかで、季節の野菜やフルーツの他に、焼き芋を焼く窯のような物が店頭にあった。
泰子について裏に回ると玄関があった。
仏間に通され、大場さんの遺影に対して線香をあげる。この人のおかげで泰子と竜児は、今日まで大過なく過ごすことができたと思うと、深く頭を垂れざるを得ない。
私と泰子は、しばらくの間、手を合わせ続けた。
直巳さんと佳都子さんが仏間に入ってきた。電話では幾度か話したが、お互いに顔を見るのは初めて。私と直巳さんは同じ年齢だという話しだった。
しばらく世間話をしていると、泰子と佳都子さんが、カセットコンロと鍋をもって入って来た。
園子が手伝おうとするが、「お客さんは座ってて下さい」と佳都子さんに言われて、引き下がった。
やがて鍋が良い具合に煮えてきた。直巳さんが蓋を取ると、八百屋さんらしく、野菜がタップリ入った寄せ鍋だった。
「今日は、泰子鍋をご用意しました〜。」
泰子が脳天気な口調でいう。
私と園子が、意味がわからず反応出来ないでいると
「この野菜鍋は、泰子が初めてうちで食べた料理なんですよ。」
直巳さんがそう言って泰子の方を見た。


吉田家での昼食を終えると、佳都子さんの案内で、下谷にある、大場さんのお墓に行く事になった。
園子と佳都子さんは、波長が合うらしくおしゃべりが止まらない。2人の間に挟まれネタにされている泰子も、しおらしくしている。あまりの馬鹿騒ぎに運転手さんが、
ルームミラーをチラリと見る。私は、すみませんと小声で頭を下げた。
大場さんのお墓は、随分と慎ましいものだった。吉田家の人や、大場さんの晩年の知人がこまめに通っているものらしく、
草生した隣のお墓に比べて、苔生す事も、仏花も絶える事なく故人の人徳が偲ばれるものだった。
泰子が18年ぶりに帰ってきた事で、幾つか判明した事実があった。
泰子が吉田家のお世話になり始めた時に、私と泰子宛に送った手紙と、大場さんが綴った手紙は、私の実家の蔵から出てきた。
その頃、園子が心労の余り精神のバランスを崩す事が多くなり、私の義姉と姪の恵美が留守番をしてくれていた。
正直、高須本家の人達(私の実母と兄夫婦)は、園子の事をよく思っていなかった。
高須家は、代々、戸田家宇都宮藩の上役を勤めた家柄で、地元では名士と呼ばれる家柄だった。
そんな家柄の高須家だったから、泰子の妊娠騒ぎが外に知られることを嫌った。泰子や大場さんからの手紙は、義姉の手により、私達のもとには届かず、実母
の元で保管されていたのだ。
戸籍についても、弁護士さんからの電話を受けたのが、留守番をしていた恵美で、判断がつかなかった為、高須本家にまわされ、
私たちの知らないうちに処理がされていた。自分の身内の虚栄心が、私たち夫婦を長い事苦しめ、他人の優しさが、泰子と竜児君を生かしてくれた。
私は、大場さんの面影を偲びながら、感謝の涙をこぼした。

お墓参りを終え、お寺を出ようとすると、佳都子さんが御本尊にもお参りしましょうと言った。
「ここの御本尊は、おばあちゃんが、自分の護り本尊だって言って、生涯、お参りを欠かさなかった御本尊さまなんですよ。」
佳都子さんに促され本堂にあがる。そこには、大日如来でも、薬師如来でも、阿弥陀如来でもなく、四天王の毘沙門天が祀られていた。
「おばあちゃんの口癖は、毘沙門様が護って下さるだったね。」
手を合わせた後で、佳都子さんが懐かしそうに言う。
泰子も、毘沙門天を見上げて涙を流していた。
「毘沙門天をお祀りしているお寺は珍しいですね。」
「そうですね、有名なお寺では、ここと、鞍馬寺らしいですね。」
佳都子さんは、そういって、まあマイナーな御本尊様ですよねと小声で言った。
「お前が、毎日お参りしているお寺さんは、何をお祀りしてるんだ?」
園子に聞いた。園子は、泰子が家出して以来、毎日のように、近くにある祠に泰子の無事を祈願しに行っていた。
「さあ、多聞天じゃなかったかしら・・・・」
園子は自信なさげに言った。

その後、タクシーで大橋に戻って、泰子が勤めるお店を見に行く事にした。
オーナーは佳都子さん。泰子は雇われママ。
大橋駅の隣駅にあって、その駅で唯一のお店だった。
お店は、大場さんの遺言により建てられた。名前は「毘沙門天国」大場さんの信仰心を考えると如何なものかと考えるが、
佳都子さんと泰子が一晩寝ずに考えた結果だそうだ。
お店のカウンターの片隅に、ガラスケースに入った扇子が一つ飾ってあった。
扇子には達筆な筆捌き「 植福 」と書いて有った。
「植える福・・・・。」
私の独白を聞いて、佳都子さんが意味を教えてくれた。
「福を植えると書いて、しょくふくと読むそうです。自分自身がその恩恵を受ける事がないとしても、将来の人の為に福を生み出すものを植えておくという意味です。
このお店が出来た事で、非行に走っていた女の子が何人も救われたんですよ・・・。」
戦火の中、敵国の人達に「龍大姉」と呼ばれて慕われた、大場さんの慈悲の深さに声を失った。
隣で、園子も泣いていた。


「毘沙門天国」を後にして、泰子の自宅へ行く。
竜児君の作った早めの夕食を食べると、もう帰る時間だった。
楽しみにしていた大河嬢との再開は叶わなかった。
母親と暮らす為に、この街を出たのだという。
幸いな事に、携帯電話で連絡を取り合っているというので、完全な離ればなれではないが、好きな人と会えない辛さは、竜児君を成長させてくれるのだろう。

泰子と竜児君に見送られて電車に乗り込む。帰りは新幹線だ。

宇都宮駅でタクシーに乗り込む。
時刻は21時過ぎだった。
泰子との空白の18年を埋める旅。改めて、人間の優しさと醜さを考えさせられる旅だった。
18年前のあの時、本家の圧力と実母からの泣き落としで、警察へ捜索願いを出す決断が出来ず、結果的に、園子と泰子の事を苦しめてしまった。
私もまた、醜い人間なのだろう・・・・・・。

自宅まであと200メートルほどの交差点に近づいたところで、園子が突然、運転手さんに対して車を停めるように言った。
タクシーは停まり、園子は手早く料金を払う。
走り去るタクシーを見送ったところで、私は園子に理由を問うた。
「今日は、お参り出来なかったから・・・・。」
泰子はそう言って、祠へと続く路地に入って行く。
祠は、小さな街頭のしたに建っている。私が子供の頃から変わらずに建っている祠は地元の古老が詣でるくらいで、有名なものではなかった。
園子が我が家に嫁いできた頃、2人で散歩する時に初めて詣でて以来、事ある毎に詣でて来た祠だ。
泰子が家を出て以来、毎日のように泰子の無事を祈ってきた祠。
園子は祠の前に佇み、静かにてをあわせた。
園子につられて、私も掌をあわせる。そして、眼を開いた瞬間にある事に気づいた。
「園子。おまえ、この祠の御本尊様は多聞天って言っていたよな。」
「そうよ、多聞天様のはずよ。」
泰子は怪訝そうな声で言った。
私は携帯のフリップを開く。祠の伝承を記した看板から字が暗闇の中に浮き上がる。
「多聞天(毘沙門天)」
多聞天は毘沙門天の別称だった。
一人の母親の願いが、毘沙門天を奉ずるお辰さんに感応して泰子を守ってくれた・・。
馬鹿な父親の戯言に過ぎないが、私はその偶然を信じたくなった。
「多聞天がどうしたのよ〜。」
泰子にそっくりな声で、園子は意味がわからないと言い続けた。

(了)




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