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 流れ出した音楽は『ミスター・ロンリー』
 フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラのバージョンで、真昼間というのに、優美
なストリングスの調べがチープなスピーカーを少しビビらせながら。
 そうしてかぶる、落ち着いたナレーション。

「お昼休みのひととき『あなたの恋の応援団』。関東地方も梅雨入りした今日は、ついに有名
なあの方をゲストに迎えてなんと饒舌なお話をうかがうことができます……ジェット……スト
リームアタぁックっ!!」

 アタック余計ですぅ会長〜、と細いアシスタント女子の声も拾って、大橋高校ランチタイム
の生徒会占有校内放送が始まった。生徒会長、北村祐作の落ち着いた美声が思い思いに昼休み
を過ごす生徒たちの頭上から響き渡っている。

「『手乗りタイガー』……と言えばまだ皆さんの記憶に新しいでしょう。一年生の諸君はググ
って……じゃなくサークルの先輩や情報通のクラスメイトに聞いてみてください」

 3年C組の木原麻耶はピクっとして、でも昼食を広げる手を止めないで聞き入り始める。
 ガタガタガタっと、同級生が弁当を持って麻耶の向かいに来る。
「タイガーっ!?が……ゲスト?おまえなんか知ってるっ?大先生から聞いてるっ?」
「えっ?なんであたしが……知らないよ」
 まるおから秘密の話なんか聞けるとでも思ってんのかよ、と図々しく向かいに座り込んで弁
当を広げ始めた能登久光を睨みつけて、麻耶はコンビニで買ってきたサラダスパブレッドの袋
をびりっと広げてかぶりついた。

 BGMが変わってズンズンズンズン……ジャーンッ!ジャカジャカジャっっ!!
じゃーん!っじゃじゃっじゃっじゃじゃっ!っじゃじゃっじゃっ……あれ?これシングルカッ
ト版じゃないな。
 なに?分かんない。と口をもぐもぐさせて麻耶も天井を見る。
 『 Jigsaw 』の『スカイハイ』。昔の曲だけどカバー何度もされてるからわりと聞くよ。こ
りゃミル・マスカラスの入場テーマに使われたテンポの遅いオリジナルで、通称メインタイト
ルバージョンだよ。ブラスパートが華やかに広がるこっちも俺ちょー好き。
「マスカラス知らね?歴史的ななルチャドール『千の顔を持つ男』」
「知らねえよ……オタクってこれだから」
 タイガーとならこれ語り合えるのになあ、極上の美しさで魅せるフライングクロスアタック、
プランチャスイシーダ、それから去年の文化祭のフィニッシュホールド、ロメロスペッシャル。
 もう能登は独りしゃべりでうっとり。
 うぜえ、と目で語る麻耶はもぐもぐ。

「今日は昨年度までこの学校に在籍していた有名人、逢坂大河さんの彼氏にいろいろとお話を
伺います」

 なあんだ、ゲストってのは高須かあと、麻耶と目を見合わせる。
 麻耶もそりゃそうだよという顔でパンを頬張る。なんだか食べづらそうだ。
「飲み物、ねえの?」と能登は訊いた。
 うん、そう。朝、なに飲みたいか決められずに買ってこなかったんだ。購買か自販機で、そ
のときの気分で決めようと思って忘れてた。と、こんな長々と答えられずに能登の顔を見て頷
くと、やつは「じゃ、これやる」とウーロン茶の紙パックを机にどんと置いた。
「なに、べつにいらないしっ。……あんたが飲むもんなくなるじゃん」
「俺は母ちゃん謹製の弁当だから喫緊に水分いらないし。おまえはパンだから飲めよ」
 上目遣いに、眼鏡越しに睨みつけて弁当をかっこみ始める。



「で、高須。逢坂は元気か?」
「ちょっ!?匿名じゃねえのかよっ」
「『手乗りタイガー』と『ヤンキー高須』が只のツレでなく実はラブラブカップルであった。
というのは既に有名な噂だからな。いまさら匿名というのもあざとい」
「まあそうだ。そんならこの機会にひとこと言っておきたい事がある」
「おーっ、言え言え、何でも言ってやれ」
「大河が急に転校した理由を『妊娠したんで親に引き裂かれた』とかデマ飛ばしてるやつっ!」

 能登は「そんなやつがいたんだ?」
 麻耶は「けっこう飛び交ってるんだよ。誰がまいてる噂か分からないけど」
 のんびり昼食を取りながら放送を聞く。高須竜児の珍しい怒りの声がチープなスピーカーを
またもビビらせている。

「俺はなあ!そんなダラシないことしねえ!ちゃんと避妊するっ!!」

 ガタガタガタッ!!と。あちこちで椅子からコケる生徒多数。いいのか高須それで!?など
と当人に届かないツッコミも多数聞こえた。もちろん能登と麻耶もコケて、のろのろと戻る。
 放送室でも盛大なコケ模様らしく、ガッッピィィィンというハウリングとともにアシスタン
ト女子がきゃーきゃー言う声も拾われている。
「能登……お茶もらうよ」
「ああ、飲め飲め」
 麻耶は紙パックを開けてストローを差すと、◇形に開いた飲みくちを、ん、と突き出した。
「あんたはそこから飲めば。あたしストロー使うからさ」
「え?お?う?……半分こ……いいのか?」
「500mlは多いし。わざとツバたらしたり……下品なことしねーなら」「しないわそんなん」
 BGMだけ派手に鳴り響く時間が過ぎて。
「ていうか、高須にタイガー語らせるときにこの曲ってのもひどくね?大先生」
「ん?別にいいんじゃね?けっこう爽やかでテンポいいしさ」
「だってこれ、大失恋の歌詞だぜ?『君は僕に嘘を言って全てを空にすっ飛ばした』なんてさ」
「へえ、そうなんだ!」
 能登が曲のウンチクで麻耶の興味を釣った辺りで放送は再開された。

「オープニングトークはアドリブで良いとは言ったが……まあいいか。とにかく。つまりヤっ
たことはヤったと。言うわけですね?」
「そんなことまでは言ってねえ。あくまでも仮に、そうなら、の話だ。というわけで噂はデマ
だからな。今後は飛ばすんじゃねえぞ、と言っておく。大河は単に家庭の事情で引っ越しただ
けだ。きちんと親元で高校生やってる」
「うん。つまり連絡は取り合っている、というわけだ。正式な彼氏として」
「お、おうっ!」
「というわけで今日は、逢坂大河の消息を差し障りのない範囲で彼氏から紹介してもらおうと
思います……まず通ってる学校の話などから」

「なるほどな」と能登が頷く。
 これはあれだ。無責任な噂が飛び交っていちいち高須も面白くないだろうから、本人の口か
ら公式発表をさせて黙らせようって、企画なわけか。
「そうかー。そうだよね、なんか裏に訊いたらいけないようなことあったらやばいって、あた
しらも思ってたもんねえ」
「そうだよな?大先生もなかなかシンプルに済ますじゃんよ」
「高須くんは恥じいって思うかな?」
「一回で済むなら、って思ったんだろ?いやなら出ないだろうし……それより、ああやって言
えるようになったんなら、もういいんだよな」
「うん、そうだね。ふつうの遠恋ならあたしらも心配いらないって思える」
 なんとなく気が楽になり、微かに笑い合っちゃったりしながら、二人はうかつに、同時にウ
ーロン茶のパックに手を伸ばしてぶつかり、はっとして引っ込める。
「あっ、悪い」
「いやあ、別に……」



 放送は遠い北の土地で元気に暮らすタイガーの近況を高須竜児が至極まじめに語り、パーソ
ナリティの北村祐作がそれをなんとか面白く、できればエロ話に持って行こうとノリツッコミ
を繰り返している。

「俺さ、木原。……おまえと同じクラスになれて良かった」
「は?なに?そういうふうに持って行くわけ?」
 無茶ぶりっぽくない?相っ変わらず空気ぜんぜん読まねーなおめーは!と罵倒しながらも、
木原麻耶の声に以前ほどの棘はもうなかった。
「あたしだって、能登だって。一年前はタイガーと高須くんの仲を噂した当事者じゃん」
「あ?ああ、そうだったよな。なんかすごい昔のような気がする」
「あたしさ、思うんだ。1日6時間くらいいっしょでさ?」
 10カ月300日、1800時間いっしょにいてさ。あいつら。……だから仲良くなれたん
じゃないかって。時々。
 考えたこともなかった。いつの間にかそういうふうにデキていたと思っていた。そうか、と
能登は初めて思った。
 そんなに長い時間、何を考えて、何を話して過ごしたんだろう。まさか緊張して黙りまくっ
ていたわけじゃあるまいし。ケンカとか……起きるんだろうし。
「ほら、そうやってまた、ひとりで考えて黙る」
「え?」
「あたしだって、あんたとなに話すんだなんて分かんねえよ」
 でもさ、せいぜい学校で1時間以内じゃん?千八百日……5年もこんなふうにすんの?しな
いとあいつらみたいには思い合えないのかってね。
 いらいらするし、怖いし、他にもたくさん考えることあるし、……でも気になるし。なんて
ことは絶対に言えないけど。
 確かに300日経ったらもう高校生じゃなくなる。いつまでも当たり前のように会えるわけ
でもない。タイムリミットなんてどこにでも転がっている。
 ひょっとしたら、高須とタイガーも、あんなに長い時間いっしょでも、うまくやることが出
来なかったのかもしれなくて、それで離れ離れになったのかもしれなくて。
 だから。
「じゃあ、む、無茶ぶりついでに……帰りにさ、どっか寄っていかね?」
「どこ行くんだよ……」
「放課後までに考えとく……とりあえず1時間を2時間くらいに……しねえ?」

 片目だけを心もち三角に眇めて、なにやら考えながら麻耶はウーロン茶をちゅーっと飲む。
珍しく能登からダイビングボディアタックを仕掛けてきたのだから、技を受け切ったうえで返
さないとプロレスラーとしては名折れだ。とか考えているわけはないけど。

「3時間くらいは……ひまだよ」
「ホント?そう?ラッキー♪ラッキーだよ♪うん」

 お昼休みのひととき。天井のスピーカーから、大河ぁ!とネタっぽい絶叫も聞こえたあと、
なんでこんな失恋の曲流すんだよと高須が北村に詰め寄る。はっはっはぁ〜♪この放送は何と
言っても『あなたの恋の応援団』、失恋大明神のテーマだからだ!
 そういや確かにな『You've blown it all sky high』なんてまさにお前の大失恋っぽいかも
知れねえ。一年生はサークルの先輩や情報通のクラスメイトに聞いてみろ、今となってはマジ
受ける超こっ恥ずかしいエピソードだからな。
 何を言う高須、お前は夏休みとか逢いに行け。
 ああ。
 そうしたら第二回も企画するからな。
 ええっ!?

 みんな、みんな少しずつ、みっともなく歩いて行く。
 梅雨空ではあっても天辺を見上げて。


――END




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