差し伸べられた手を掴んだ瞬間、目が覚めた。

 天井へ突き出した自分の細い腕。そのシュールな光景をしばし眺めてから、大河はのろのろと手を下ろした。
 夜明け前の薄暗い部屋に、エアコンの微かな機械音だけが響く。
 会いに来ちまった、と。笑いかけてくれたはずの恋人は、実際は遠い遠い空の下。
「……寝耳に水とはこのことね。」
 涙で濡れた耳元をうるさそうに拭って、身体を起こす。
 とめどない雫が、今度は鼻筋を、頬を、ぽろぽろ伝い落ちた。

 あいたい。

 想いとは裏腹に、大河はきゅっと唇を引き結んだ。今声を出せば悲鳴になりそうだった。いつかの聖夜のように。
 あるいはもう夢うつつで叫んでしまったかもしれない。そんな日は母親が普段より優しくて、余計に辛かった。
 縋るように携帯を手にすると、着歴に残る名前を探す。
 6月29日、高須竜児。7月2日、高須竜児。7月7日、昨日だ──高須竜児。
 七夕だよ竜児。会いたいな、会いに来て。髪に頬に肌に触れて、抱き潰してよ。
 通話中ずっと、そんな台詞が喉に引っかかっていた。言えるわけがなかった。
 模試の結果を語る誇らしげな声を、曇らせたくなくて。

「──ささの葉、さーらさら……。」

 嗚咽をこらえるように、小さく口ずさんでみる。
 彦星と織姫は周囲を省みず、お互いに夢中になりすぎたのだという。
 自分たちなら、と考えて、すぐに馬鹿馬鹿しくなる。とっくに骨の髄まで夢中だ、もう。
 もしあのまま駆け落ちしていたら。天帝ならぬ“社会の壁”に引き離されて、今よりもっと辛い別離になっていたかもしれない。
 ──どうせ幸せになるなら、みんなで幸せに。
 竜児の言葉が耳に蘇って、大河はぎゅっと瞳を閉じた。
 一年。
 空の上の二人とは違う。この一年さえ乗り切れば、自分たちはきっとまた共に過ごせるようになる。
 そして、その時は。
「……天の川なんて、泳いで渡っちゃるわ。」
 金銀砂子を跳ね散らかし、ビート板を抱えてジャブジャブ泳ぐ虎を、やがて竜が空から迎えに来てくれるだろう。
 それからは二人、どこへだって行ける。

 いつの間にか涙は止まっていた。
 ぺちん!とひとつ頬を叩いて、大河はすっかり湿っぽくなったタオルケットをはねのけた。
 ウジウジしている暇はない。眠れないなら、とっとと顔を洗って予習でもするべきだ。
 勤勉家の竜に置いて行かれないよう、せいぜい頑張らなくては。


だから、大河は朝まで気づかなかった。廊下へと滑り出た瞬間、ベッドの上で携帯がチカチカと瞬いたのを。
 織姫に会いたくて、彦星もまた眠れぬ夜を過ごしていたことを。



 from.高須竜児
  sub.(non title)
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 来年の七夕は、一緒にそうめん食おうな。





 会いたいよ。大河。
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                《了》



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