只のドジなのだろうか。
 それとも、誘っているのだろうか。
 高須竜児は、自宅の居間に座り込んで、台所仕事に立つ逢坂大河のパンツを真っ昼間から仰
ぎ見ていた。

 初夏のよく晴れてあまり蒸さない日で、まだ暑くなり切る前の時間帯であれば、陽が差さな
いこのうちにも眩しく間接光が注ぎこんでいて、ほどよく風もあり、ああ夏が来たんだなあと
満喫できそうな素晴らしさに心も浮き立つ。
 たぶんオーガニックコットン製の高級品であろう白とピンクのストライプのそれは、こんな
気候にとても似合って、ぴったりと大河の小ぶりで形の美しい尻を包み込み、見るからに手触
りも良さそうで、撫でたり頬ずりしたりすれば、かなり気持ちいいんじゃねえのと思われた。

 だが現在着用中のそれにそんな不埒なマネをすれば、いかに角が取れて素直、かつ、可愛い
女へと自己変革を遂げた大河とて、そりゃ怒るだろう。よもや殺されるわけじゃあるめえし、
ちょっとくらいなら怒られても触ったらいいんじゃねえでござるかと、竜児の中のすっかり堕
落したお奉行様も肌脱ぎで主張はしてみるのだが、竜児本人が要らんことで大河を怒らせたく
はないので眺めるにとどめている。

 ふつうに座っていて立ち仕事をしている者のパンツを見られる局面と言うのはまずない。
 あまりに暑いのでパンイチとか、裸エプロンプレイとか、そういうのは別として、ちゃんと
大河は夏らしいワンピース姿であった。要するにもも丈のその裾を、後ろだけパンツの中に巻
き込んでいるのであった。
 さっき用を足したときに巻き込んだんだろうなあ、と竜児は推測する。
 なぜそんな粗忽をしたかもだいたい読める。あいつは個室の中で閃いたんだ、そうだ!こん
な日にはトウキビを茹でて食べよう!と。
 もともとは、
「ねえねえ竜児ぃ、スイカ切ろうよ、スイカ」
 というところから始まっている。
 スイカ切って食べようと思っただけで尿意を催すというのも何てハイピッチな代謝機能かと
思うが、その数十秒で茹でトウキビを熱々で貪ったあと冷たいスイカで締めるというコースま
で閃いたわけだから、その食いしん坊っぷりには感動すら覚える。たぶんスイカを堪能したら
またトイレ行って、その後「ねえねえアイス食べない?アイス」と言うに決まってる。
 閃いたら全力集中。その時点で瑣末な事はすっぽり頭から抜け落ちる。これが大河という女
の本質と言っていい。

 と言うわけで、竜児は、トウキビの皮を剥いで、ひげをとって、手に取った荒塩をすりこん
で流水で砂を洗い流してラップかけてレンジでチンしている間にはほかの事すりゃいいのに回
るターンテーブルをじっと見ている大河のパンモロを肩越しに眺めている。
 結論は、出た。只のドジだ。

(なんか健康的で格好良くてあんまりエロい感じじゃねえな)

 自分では短足だと思ってるようだが、締まった尻の位置が高いせいだろう、後ろからはずい
ぶん長い脚に見える。こんど機会をみて褒めてやることにする。

(それより当面の問題は、パンモロしてるぞってどう伝えるかだが)



 ――この世界の誰一人、見たことがないものが、あった。
 それはピンクで、または白い。
 多分、見ることができたなら、誰もがそれに触れたがるはずだ。だからこそ、誰もそれを見
たことがなかった。
 そう簡単には見たり触ったり頬ずりしたりできないように、大河はそれを隠したのだ。
 だけどいつかは、俺が見つける。手に入れるべきたった一人がちゃんとそれを見つけられる。

(なあんてな♪)

「りゅうじー、トウキビ茹だったー。トウキビー♪」
 ラップに包まれて湯気を立てるそれを大笊に乗せて、大河が満面の笑みでととと……っと居
間に持ってくる。卓袱台にでんと置いて、んしょっと座る。
 そうして、なんかハッとする。
 そりゃパンツ越しに畳が直に触れればいくらなんでも気づくだろう。後ろ手にもぞもぞっと
して直して、卓袱台の向かいの竜児をじっと見る。
 竜児はあらかじめこうした状況を予見して、台所に対して背を向けた格好で座り文庫本なん
か開いていた。気取られてはいけない、笊が置かれたタイミングでごく自然に本を閉じ、いっ
しょにトウキビ食うぞーという演技を全力でせねばならない。
「おおおーできたかぁ。旨そうだ♪」
「ねねね竜児……」
「んー?」
「……み、見た?」

「何を?」

「ん?んんん……なんでもない。さっ、食べよっ♪」
「おう」
 このときの竜児の顔にはすっかり騙されたと、後年になって大河は語ったと伝えられている。

 そういうふうにできている。


〜おしまい〜



 ゴロゴロ大河が定位置の窓側で昼寝を決め込んだのをしばし眺めていて――い、いや決して
いやらしい気持ちなんかないぞ?寝顔が無邪気でかわいいなあと思ったのは事実だが、トウキ
ビとかスイカとか爆食した後だし、ついでにアイスクリームも食ったし、腹冷やしたりしない
かと心配になったんだ。たぶん。
 気持ちの良い日だけどあんまり暑くてもと思い、パンツと同じオーガニックコットンのワン
ピで落ちている奴にバスタオルを掛けてやって、そうして俺もいつのまにか落ちていた。台所
の冷んやりとした床を枕にして。
 しばらくして。
 ちょっと眠りが浅くなったんだろう。む、とか唸りながら卓袱台をはさんだ向こうで大河が
起き上がったのが分かった。暑くなったか、喉が渇いたか。あ、腹が減ったというのもありそ
うだな。要求されたらなに作ってやろうとか考えている間にてってっと歩いて来て、俺の横で
立ち止まる気配がした。
 おうどうした?腹へったか?と声を掛けようとしたのと、大河が俺の頭をまたいでトイレへ
行くのとが同時だった。開いた目は、ちょうど頭上を通り過ぎる大河の姿を偶然とらえてしま
って、そのまま声を掛ければよかったのに、つい、黙りこんでしまった。
 最初に目に入ってしまったのは古傷だらけの膝小僧が視界を横切ったことだが、その上空に
あったのは……地図記号の“銀行”。真下からだから決して“消防署”ではない。昼前に見た
ピンクと白のストライプはあくまでも前後からのビューイングであって、このアングルからは
白一色だった。なるほど!
 じゃねえ。あくまでも事故なんだから、善後策を考えねえと。
 落ち着け俺。見たければ見せてほしいと頼めばいいんだ。多少ヘンタイっぽくても、そこは
彼女なんだから。そうすると、すでに褌一丁になった俺の脳内お奉行がまた茶々を入れる。
 曰く、偶然見えるのはまた格別なのでござるよ。値千金とでもいうべきもの。
 同意!
 水を流す音が聞こえて、ぺったぺった板の間を歩く足音が聞こえて、居間へと続く戸口でぴ
たりと止まった。頭のすぐ先に両の足があるのが見えるようで――勘づかれた?
 やがてふうわりとワンピの裾を揺らして、行く時と同じように俺の頭を跨いでいく。尿意が
ない今は歩様がゆっくりなのも分かった。通過の一瞬だけ、俺は目を見開いて、脳内にひそか
に画像をキャプチャ。成功。黒。

 ――黒!?
 跨ぎ終えた大河はくるっと向き直って、寝たふりの俺を見下ろしているようだ。
 それでいいのか大河。いくら俺の挙動不審を暴くためとはいえ。やばい、バレたら殺される、
という危機感よりも、そこまで身を捨てるのかお前は!?という驚きの方が先に立つ。先例に
倣って地図記号で言ったら工場が発電所が頭上を通り過ぎたというところか。いや、そんなに
はっきり見えたわけではないけど、黒くて三角のものが通過したなら間違いなく……。
「あーら、驚いてるぅ?竜児ぃ〜」
 しゃがみ込んで俺に声をかける大河は、その調子から言って間違いなく面白がっていた。い
きなりキレる可能性もあるから油断はできないが、少なくとも見られて恥ずかしくてという方
向ではなさそうだから当面の問題はない。俺が寝たふりを続ける理由もない。
 というわけで、むくり。起きてみたら、案の定、得意げな笑みを浮かべている。
「びっくりしたでしょ?こういうデザインなの」
 言うなり、ワンピのすそをばさっとまくりあげて、くるっくるっと回りながら見せる。
 それは、ベージュピンクの地に濃紺で蝶の上翅分だけがプリントされたパンツだった。後ろ
側はピンク一色、濃紺との境い目がちょうど真下の微妙ゾーンにあって、▼に流れていた。
「一瞬だけ見たらノーパンに見えたんじゃない?」
「見えた……びっくりした」
「もっとじっくり……見たいなとか……?」

 日は長い季節とはいえ、そろそろ夕刻に差し掛かって、少し遠く、途切れなく聞こえていた
蝉しぐれも、気がつけばなくなって静かなものだ。
 逆光ぎみの光を受けた大河の表情は明らかに誘っていて、伏せかけた瞳が纏う長い睫毛が、
さらに長い影を色白の頬に落としていて。
 綺麗だと思った。
 だから――。


〜おしまい〜



作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system