まあ、いろいろあって。
「わかったわ。ひまだし、そろそろ職歴もつけておかないと」

 27歳未婚の美人が偉そうにのたまった。
 まあいろいろ話を訊いたら親が金持ちだそうで、働く必要もなく、勉強も好きでなく、他に
打ち込みたい何かもなく。というどこへ出しても恥ずかしくない純正のニートだったわけだ。
定食屋のバイトのどこが職歴になるのか一応5年は宮仕えというものをしてきた高須竜児には
痛いほど分かっていたが、それを指摘するのはやめておいた。

 なにせ、目の前で年齢に釣りあっていないフリフリワンピースでちょこんと座ってる美人は
最終学歴が普通科女子高卒であるにも関わらず簿記一級を持っているのだ。ヒマだったから本
屋でテキスト買ってきてちょこちょこ取った、と言っているが、一級だぞ?税理士資格は目指
さないのですか?と竜児が訊いたら、はあ?なんで?税理士になるつもりもないのに?と侮蔑
の表情で睨まれた。
 つまり単に、本当に、ヒマだから資格でも取ってみようかと思い立って飽きるまでやってみ
た成果が簿記一級、というわけだ。興味が向かなければなにひとつ本気でしない、けど、一旦
向いたらこのくらいは頑張る性格もしくは能力だ、というのがこの美人の人柄の一面と読み取
れる。あとはまあ、ドジってくらいで、これは前から知っていた。

「注文取って、俺に伝えて、客に運んでもらって、あと店が引けたら経理みてもらって」
「わかった。頑張ってみる。じゃ早速みようか?オープンしてからの貸借対照表見せて」
「お、おう。……経理ソフトに打ち込んだだけのやつだけど……3年分しかねえけど」
「うん。ちょっと分析してみるから」

 逢坂大河はカチャカチャとキーを叩きながらCSV.ファイルに変換しては表計算ソフトに叩き
こんでソートして何種類かの分析表を作りながら目も合わせずに不機嫌そうに言った。

「なんか飲むもんちょうだい」
「おう。日本茶コーヒー紅茶オレンジジュース、どれがいい?」
「オレンジ」

 なんだかどっちが雇用主が分からなくなってしまった。定食やの2階の住居兼事務所となっ
ている畳敷きの居間で面接していただけなのに、雇うとも雇わないとも答える前になぜだか俺
の店の経営状況がこの綺麗で不機嫌な女に全て筒抜けになっている。まさか近隣にオープンし
た外食チェーンから巧妙に送りこまれたスパイ!?などと考える必要もなく、開店してから我
が城は常にびみょーな赤字続きなのだ。
 ちゅーちゅーオレンジジュースを吸っている横顔が真剣で、同い年とは思えないほど幼くて、
とはいっても互いに大台目前だからこどもっぽいという程でもなく、そう、高校生くらいの感
じに見えるのだ。童顔ではないのに、妙に若々しい。そんなもんだから、ちょっといいなあと
思ったりした気分を、逢坂は冷たい声で覆してくださった。

「どう考えても客が少な過ぎるね。満席で忙しくて目が回るのはどんなとき?」
「恥ずかしいけど、一度もねえ。埋まって半分だ」
「……それでよく三年営業しつづけられたね?脱サラの貯金を少しずつ取り崩して。でしょ?」
「おう、税金も少なくて済むし、これで少しずつ口コミで客が増えたらなーと」
「あんたどんだけ待ちの姿勢なのよ?商売舐めてんじゃない?」
「に、ニートに言われたくはねえな!」
「それはそうだけど、これでも親父の会社の経営をシミュレーションして勉強したのよ」

 この店のキャッシュフローとは4桁違うけどね、と余計なひとことも交えて、彼女は一段と
竜児の気持ちを沈ませはしたが、

「でもね、いままでの客数が常にキャパの半分程度だったんなら儲けを叩き出すのは簡単よ?」

 などと魔法のようなひとことで、一気に救ってくれた。


「そ、そうなのか?そもそも客を増やすのが難しいんじゃ……」
「まずあんたが回せる時間当たりの客数を正確に出す。それと現状との差を営業時間内にここ
に呼び込むようあらゆる知恵を絞る!おカネかけないで実行する!ほらできた」
「そんな簡単にいけば苦労はねえよ」
「じゃああんたやったの?それでいつも半分しかお客こないの?違うでしょ」
「口コミに期待して……宣伝費なんて掛けられないから」
「口コミ効果はもう上限なんじゃないかな?とにかく一見客に食べに来てもらう、だよね?」
「おう、それはそうだ。食べてもらいさえすればあとは!」
「じゃあ新規のお客に来てもらうようにまずしないと。あんたの料理おいしいし、ランチで感
心させて、夜のお客増やさないとね」

 あんたの料理おいしいし!彼女が店に来てくれるようになって初めての褒め言葉に、竜児の
プライドは瞬間にして満たされた。

「そうだな!」
「この辺だと夜はサラリーマンが仕事帰りに一杯っていう所謂同僚呑みが主流よね。呑んだあ
と駅近な方が帰るの楽だけど、酔っぱらった後ならほとんど関係ない。むしろ住宅街の中の隠
れ家的な美味しいリーズナブルな店っていうのが目指すべき姿よね」
「……お前ホントに職歴ないのか?」

 失礼ね!と逢坂は頬を膨らませてちょっと怒る。ないわよ!と続ける。なんでそんなに偉そ
うなのか竜児にはさっぱりだ。

「まあ素人考えだけど、ランチの値段を下げて駅前のオフィス街や川沿いの工場街にチラシ打
ってとりあえず満杯にしてみたら?恒常的に値下げしたままだと苦しいから、そう、なんか理
由付けてキャンペーン打つのよ」
「……うん。それいいかもしれねえな?」
「どんなに美味しくてもビーフカレー650円とかスタミナ定食900円じゃ今時のご亭主は選択の
外でしょうよ?ここは単品赤字覚悟でワンコイン!500円!そうでなければここまで足を運ばな
いわ」
「お、おう」
「『わあ500円なのにこんなに充実した昼メシが!』っていう方向で、夜はワインか日本酒の品
揃えが充実しているぞっていう雰囲気をおカネ払ったお客に宣伝しまくる!」
「さ、酒は俺あんまり詳しくないんだよ」
「大丈夫、わたし日本酒にはすっごく詳しいんだよ?」
「そうなのか?」
「今は蔵元が世代交代して、いろんな味の品質のいいものが銘酒でないってだけで沢山あるのよ。
そういう知られていないお酒をいくつか置けば何十種類もキープしないで済むんじゃない?」
「ちょっとソムリエっぽく、うんちくなど交えながら、得意げに勧めて……」
「そうそう。あ、それ私がやってやるわ。純米〜が〜、お好っきでしょ〜?でゅっわ〜♪」
「……いいかもな。ちょっと呑みたくなってきた」

「その夜営業の利益率をちょい上げておけば全体で儲かるんじゃない?」
「しかし低価格ランチだけにしか客が来ないんじゃないかなと思うと怖いんだよ」
「そこよ。そこがあんたの料理の腕にすべて掛かってくるわけよ。言い訳なしの戦いでしょこ
れって。仕事ひけたら、これで一杯呑みてえな、って思うようなランチを作るのよっ」
「言い訳なしか、確かにそうだ。昼メシ単体でなく、ほっと気を緩めたときにつまんで呑みた
くなるような料理、おうっ、なんか燃えてきたぞ!」
「よしっ、竜児。きっとあんたなら出来る!私も落として壊すグラスを一日ヒトケタ以内にす
るようがんばるからっ」
「それは最初の三日間くらいにしてくれねえかな……」


 まあ、そんなこんなでドラゴン食堂に逢坂大河は就職した。
 手作りのワンコインランチのチラシを朝、出勤途上の会社員たちに駅前で撒いたりしている
うちに三々五々、新規の客が増えて。綺麗に霜が降りた日本酒の冷蔵ケースを目立つ場所に置
いたりして、壁には夜メニューを貼りだしたり。あと隠れ家的に夜は暖簾を出さないでお品書
きだけぽつんと店頭に置いたりして、細かい努力を重ねるうち、呑み客も増えてきた。

 もともと、自分がちょっと好きだなと思った男がこの店の経営者兼大学院生であるという勘
違いから、少しでも側にいられたらと勇気を出して働く事にしたのだ。
 一方、本当の経営者の竜児も、常連客のとあるOLがちょっといいなと思っていたのだが、
彼女は基本、ランチにしか来ない。夜営業が商売のうえでは本舞台となってはそうそう浮つい
てもいられなかったし、なにより看板娘と化して逢坂を目当てに通ってくる常連客も増えてき
ては、間違いが起こらぬようそっちの管理にも気を配るようになって行った。当然、商売上の
理由から『夫婦でやってる店』ということにするようになり、互いに名前で呼び合うようにも
なった。

 そんなわけで、客足が軌道に乗ってからはマスター、奥さんと呼ばれるようになっていて、
それを変だとも思わない日が続く。きちんと経理を見てくれてアイディアも出してくれて集客
にも貢献してくれる彼女に竜児は頼って、いかに旨い料理を安く作って提供するかに集中する
事ができた。
 それは彼女が日々壊すグラスやお皿の損失などとは比較にならない価値をこの店にもたらし
たが、実際にはお金で測ることなどできはしない。

 半年後。

「大河、今夜もごくろうさん。まかないは何が良い?」
「うーー、お腹減ったあ!竜児のカレー、とってある?」
「おう、もちろんだ。カツカレーにしてやろうか?」
「うーん。別々がいい。どっちも美味しいからね、混ぜちゃうともったいないもん」
「ははっ、カレーには合わないけどワインも開けような。……あと、これも」
「……ゆ、指輪?」
「従業員じゃなくてよ、経営者になってくれないか?」
「りゅ、竜児……」
「俺、お前とずっと一緒に店をやっていきたい。こんなショボイ店で済まねえけど、お前にやる」
「わた、私はさ……」
「北村が好きなのは知ってた。でも考えてくれよ」
「返事は……明日、する」
「おう。お前が好きだ、大河」
「ひゃ、ひゃーーーっ。ごはんおかわりっ」
「おうっ」

 翌日、逢坂大河がなんと答えたのかは誰も知らないが、ドラゴン食堂は『とらドラ食堂』と
なぜか名前を変えて、さらに三年経った今でも相変わらず繁盛している。


〜おしまい〜



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