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「なあ〜、逢坂もせっかく夏休みなんだし、旅行とかしたいよなあ?」

 留学のため渡米したのに、たった数カ月で帰省(っていうのか?)中の北村祐作が馴れ馴れ
しく振ってくる。

「そーねー。北村くんも1ヶ月しかいられないんだし、ヒマが取れるんなら行こうよ」
「じゃあ、またうちの別荘にする?」

 お盆過ぎれば空いてるよーと。あんた久しぶりに5人で会えるからって誘う気で調べてきて
るでしょーと。なにそれ知ーらなーいと。
 すっかり茶のみ友達となった身長差のある美少女コンビ、逢坂大河と川嶋亜美がどんどん話
を進める気まんまんで鳩首合議し出すのを、取り立ててクチも出さずに高須竜児が眺めつつ、
アイスコーヒーを啜る。

 この、大橋駅裏のこじゃれたカフェは隠れ家マニアの亜美が見つけた店で、メインの客層が
中高生ではないため大橋高校の在校生に見つかる可能性も低く、微妙にログハウス風の内装に
ボックス席が鉢植えで息苦しくない程度に区切られている作りは、ある意味で面割れしすぎて
いる彼ら彼女たちに、卒業後の会合にうってつけの場所として親しまれていた。

「亜美の別荘もいいとこだけどな」
 北村が日焼けした顔をずいっと割り込ませて口を挟む。
「俺は早くも日本が、日本文化が恋しい!従って『温泉』に行きたい!」

「あ、温泉いいね!夏の温泉に湯当たりするまでつかって湯冷めするの」
「湯冷めしてどうすんだ大河、あとお前の湯当たりは重症化するからほどほどにしとけ」
「湯当たりタイガーはあんたが介抱すりゃいいことよ。気を利かせて見ないふりしてやるからさ」
「あと湯上がりにつべったいビールをごくごくきゅーっと」
「いかんな逢坂。大学生とはいえ未成年だからな。ほどほどに」
「あ、固いんだね北村くん」
「もちろんだ。ビールは3ガロンまで」
「ガロン単位なのかよ。つかその体型どうしたのよ祐作」
「おう、これか?」

 Tシャツの胸を張って腕に力こぶを作ると、見るからに短期間で付けた筋肉が盛り上がって
ボディビルダーっぽく見える。なんだか聞いてはまずい事情があったりすると怖いので竜児と
大河は突っ込めずにいたが、幼馴染の遠慮なしで亜美が話題を向けてくれた。

「言葉の壁でなかなか友人ができなくてジム通いばっかりしてるうちにこの有様だ。
 10キロ近く増えたけど体脂肪率はむしろ下げたぞ」
「わ、割れてんの?……腹筋」
「微妙にな。見るか逢坂?」
「み。みみみみ見たいような気もほんのちょっとするかも……だけど……いい」

 返事を聞き終える前に早くも裾に手を掛けてまくりあげようとする動作を目にした大河には
一種のトラウマスイッチが入ったのか、向かいの席で慌てて拒否。

「なるほどな。それで会長さんにキモいと言われて追い出されるわけだ」
「高須、それは」
「おっと悪りぃ、内緒だったよな」
「追い出されるって?はぁぁ初耳だよー?祐作。……いっしょに暮らしてんの?」
「まあな。いわゆるルームシェアってやつでな」
「おおおおお。狩野すみれも一介の女の子ではあったのねえ。存外だわ」
「期せずして肉体改造したら見ためキモいから出てけって?けっこうわがままなのねえ」


「いやそうじゃない『お前が同じ部屋にいると気が散るから夏休みは帰省しとけ』って言われて」
「ああなんだそうゆうこと。出てけじゃないんだ」
「どういうこと?ばかちー」
「ツンデレよツ・ン・デ・レ。きゅんきゅんしすぎて何にも手がつかないからすこし冷却期間をくれっていう」
「ああぁ。さしものナポレオンもワーテルローでは大敗を喫したっていう」
「そ、白旗」

(おう大河、女子同士の納得の仕方がいまいち理解できねえ、別に問題ないのか?)

 傍らのつむじに小声で訊くと、大河は拳をずんずん竜児の脇腹に打ちこむマネをしながら教
えてくれた。

(あんたに分かるような例で言うと、そうねー?『一生店屋物宣言!』みたいな状況)
(分かったような分からんような)

「ふふっ高須くん。要するにココロの準備するから一旦部屋出てって、ってことよ」

 竜児としては、難しい顔で腹肉をつかんでくる大河に気を散らされて話題どころではなくな
ってきた。よっぽど割れた腹筋に興味が湧いたらしいのは分かるがそりゃ今すぐは無理だと思
いつつ、おうそうかと答え、亜美は北村に向き直って、帰省中にそのキモい大胸筋を落として
来いってことじゃね?と混ぜっかえすのも忘れない。

「うお、お待たせー。くそ、通り一本迷っちまったぜ?長年住んでるけど駅裏は疎いんだ」
「あ、みのりちゃーん。祐作どかしてそこ座って?」
「そんなそんな。遅れてきたヤツは向かいのボックス座りますよ。すいませーん、ソーダ水〜」
「みのりん合宿明けたんだっけ?夏休みはあとヒマ?」
「うん、自主練だけだから適度に遊ぼうかと思って。せっかく北村くんが帰国してるし」
「温泉行こうかって話してたんだよ」
「お、いいじゃねえか混浴!湯当たりして湯冷めしてつべったいビールをごきゅあっと!」
「3ガロンまでな」
「あと湯冷めはなしな、櫛枝」
「打てば響くようにツッコむね。でー?どこ温泉にするー?日程はー?」

 スマホでさっそく旅サイトを当たっている亜美は、暑苦しいネタトークに一切絡まずに計画
を進めようとする。「もうお盆だからねえー。今から行けるとこなんて……それにけっこう割
高なのよねこの時期ー」とかなんとか気づかいバリバリ。
 草津だー。熱海だー。今月今夜のこの月を〜と脱線しつつ検索していると?

「あ〜ん〜た〜たち〜ぃ……♪」

 区切られた鉢植えの隙間から見覚えのある女性の顔がヌッと。5人組の元担任、大橋高校教
諭、疲れ切った表情の恋ヶ窪ゆり(32)その人だった。もちろん独身、不動産持ち。

「おお、恋ヶ窪先生ではありませんか。ご無沙汰しておりますっ」
「あーら北村くん。もうジャンクになって送り返されたの?早くない?」
「ははっ、お口が悪い。夏休みなので帰省しているのです」
「そーぉ。狩野さんにもよろしく伝えてねー」
「はいもちろん。ところで先生はなぜこちらに?」
「……なんか居たら変みたいに言わないでよ。このお店は有史以前から私が独りで寛ぐ大事なとこなんです」

 ――それって?
 ――常連ってコト?
 思わずカオを見合わせる亜美と大河。春先から週一のペースでここを溜まり場にバカ話に興
じてきた二人としては、心中穏やかでない。
 ――有史以前てそんなワケないじゃないですかあ、はっはっは
 という北村のツッコミをそこじゃない、と流しつつ。じゃ、じゃあ?


「えーもちろん川嶋さんと逢坂さんの周囲を省みないえろえろ話は耳に入ってますとも」
「た、立ち聞きとは遺憾だわ先生」
「立ち聞きじゃありませんよ。あんたたちと私の定席が偶々隣同士だっただけですよ」

 あー、それじゃあぁんな話やこぉんな話のいくつかは筒抜けなわけねーと平静を取り戻した
亜美とは対照的に、なぜか竜児がちょっと赤面する。親バレはもう慣れたが、元担任バレは初
めての体験だから。だが、

「卒業生の異性交遊まで知ったこっちゃありません。……それより温泉旅行するんでしょ?」

 吹けば飛ぶよに流された。

「おう!?まさか連れてけと言うんじゃ?」
「ばかおっしゃい。夏休みでも先生には仕事があるんです。し、仕事でぇーーっ!研修旅行というものをぉ」

 仕切らねばならなくなったのよねー。よよよと昭和の泣きマネ。
 それから彼女が話したのは、社会人ならおそらく誰もが通る道。『上の気まぐれで順調に進
んでいた準備のちゃぶ台返され』であった。
 要するに信州某所の温泉宿にて教職員30名余りの一泊二日団体研修旅行を組んで後は当日を
待つばかりになっていたところ、やっぱり温泉宿でというのはいかがなものか?という天の声
がいきなり響いてきたという。ねえ、いちいち計画書とか根回し万全に周到に確認とりつつ二
か月もかけて張り切って進めてきたのにこれってあり得なくない?

「ちゅ、中止になっちゃったんですか?」
「蓼科の公立研修施設で日程ずらしてやることになりましたぁーーっ」

 温泉がー、混浴がー、会場には豪華なお夕食と地酒がぁー、などという涙交じりの愚痴は延
々と聞いても共感しづらいので北村以外は適当な相槌を打ちながら流しぎみ、たぶんこの人に
は生涯宿泊施設に恵まれない、なんか呪いがかけられているのではとみんな思う。

 結局、直前にキャンセルした当の温泉宿にはぽっかりと団体の穴が空くわけで、もちろん違
約金は支払うが、それだけでは心が痛むから、ちょうど温泉旅行を計画してるあなたたち、こ
れぞ天の配剤、そこに行って泊まってもらえまいか?という話であった。

「で、いつ、どこなんです?」

 先刻から丁寧な受け答えが流されっぱなしの北村祐作がやっと話に入れてもらえた。

「来週の今日から一泊二日です。場所は信州いいじま温泉。混浴露天風呂があって景色良くて」

 混浴!……が、初手からまずっていたんじゃねえか?……そうね……なんでだい?……研修
旅行で混浴はないでしょ……うん、宿泊場所のスペックなんかをすごく細かい文字で打った計
画書を回したりしてたんだろう。よくある姑息な手だ。……だがどうする?俺は別に乗っても
構わねえと思うが……そうね……混浴に釣られたな?このエロカップルがぁ。

「あの……相談まとまった?」

「もうちょっと待って下さい。おれたちもそうそう性に奔放なわけじゃないんで」
「混浴無条件オッケーなのは体育会系女子ひとりで、嫌がりそうな体型の者もいますから」
「おいこらどさくさになにさらっと言ってんだてめー竜児っ」
「女性はタオル巻きや水着着用可ってとこもあるからその辺調べてからにしたら?」
「ぐっへっへっへっ大河とあーみんと混浴ざんまいだぜ。お宝ゲットだぜ!」


「急きょ10部屋以上キャンセルしたから、空いた部屋のプランは半額セールになってるわよ?」

「「半額っ!!」」竜児と大河が同時に反応した。

「和室7.5畳二食付き定員3名お一人様¥12300のところ謝恩サービスで半額¥6150。夕食は特選会席」

「「会席っ!!」」亜美と大河。

 安っ!!と瞳をギラつかせて慨嘆する竜児に「ね?もう悪くて悪くて申し訳なくて」と意外
なほど人のいい面を見せる元担任が次の撒き餌をバラまく。が、これはちょっとチープかもし
れない。

「もちろん卓球台もあります」

「「「温泉卓球!!!」」」北村と実乃梨と大河。

「あ、釣れるんだこれ。浴衣でラリー出来ますよお♪」

 いやそれは当たり前ですと、さすがにここまで質が下がると誰も食い付かない。

「まんざら知らない仲でもないんだし、助けると思って……お願いっ」

 どうすんの?まず日程でしょ?みんな大丈夫なの?……おうヒマだし……うんヒマだし……
もち空ける!……おれもっ。

「「「「「行きますとも!」」」」」

「ほんと?ほんとね?今から旅行会社に電話入れるわよ?はいもう〆切っ!這ってでも行ってね」

 恋ヶ窪ゆりは音速で電話を掛けた。……もしもし谷水さんお願いします……あ、恋ヶ窪です
……いえ、ほんと申し訳ありませんご迷惑かけちゃって……いえそんな……そうですよね……
1週前じゃ……ええ、で、私の知り合いが5名で行きたいって言うんですよ……ええ、はい…
…ええ、男性2名女性3名でふた部屋かな……あ、ちょっと待って下さいね。

「二泊三日とか延泊の希望あり?前後は満室だって。ない?そう」

 ……はい、日程そのまんまズッポシだそうです。あはは、すみません麻雀?打てますよ。並
べるだけですけど……ええ、学生時代にちょっと女子仲間で流行ってて……え?輪切り?何言
ってんですかもう〜うふふふ、はい連絡先ですよね?

「幹事だれっ?」
「あ、じゃあ〜あたしやります」

 亜美が電話を代って打合せを始めた隙に、大河は亜美のスマホを勝手に弄ってそもそもそこ
は信州のどこなんだと探し始める。
 ふうん、岡谷と飯田の間かあ……これは確かに景色良さそうだね、それに混浴!……みのり
んそればっかだね……混浴ったってな、ふつう間仕切りされてるもんだぞ?……いいじゃん、
駄弁りながら浸かれるぜ?べつに君たち覗いたりしねえだろ?……お望みとあらば裸のつきあ
いしてもいいぞ……き、北村くん? 

「はぁい。決まったよー?」

 さっさと打合せを終えた亜美が輪に戻ってくる。どれどれと覗きこんで打ち合わせた内容の
確認をしているようだが、どこか上の空で、恋ヶ窪ゆりと旅行会社の営業さんの、用は済んだ
のに続いている通話に聞き耳を立てたり。


「……あれは、アレだねえ」
「ん、どうしたの?あーみん」
「んーー、なんかあたしたちひとつ善行を積んだみたいだよー?」
「ほえー?」
「あ、ほらほら。先生帰るみたい。せーんせ、今夜は雀荘ですかー?」
「うんー?まーなんだほら。……ありがとね、川嶋さん。みんなもまたね〜♪」
「ぶふっ!頑張ってくださいねー」

 恋ヶ窪ゆり(32)は足取りも軽く店を出て行く。亜美のエールに振り返らず、だけど確りとV
サインを示す辺りは昭和の女っぽかったが意気込みだけは伝わって来た。

「ふむ。雀荘ねえ?おおっ!?そっかぁ。いやー糸口というのはあるもんだぁ、ねえ〜」
「そゆこと。だいたいもうベテランの域に入ってるのに旅行の幹事とか怪しすぎると思ったわ」
「あー。うん。そうゆうのは大抵ぺーぺーがやらされるもんだからね」
「それより泊まりが決まったんだからアシ決めよっか」

「免許持ってるのは北村ひとりだよな……レンタカーはないだろ?」
「そうだな。運転しっ放しは辛い。中央線で岡谷まで行って、飯田線に乗り換えて……」

「飯田線!?北村くん知ってるっ?あれ?」
「あれって……あ、もしかしてあれだな?」
「そう、あれあれ!電車と勝負!」
「はうぁっ、あれか!おおオイラも知ってるぜっ」

 なんだなんだ?と訝る竜児に向けて、実乃梨は人差し指と中指を立てた緩く握った拳を顔の
前に揚げ、緊張感のない表情を作って首をかしげ――「やあ。R.櫛枝みのりんだよ」
 呟く。

「はーーっはっはっはっ。高須っ。飯田線と言えばあれしかないだろう」
「そ。ネットで見て一度やってみたかったんだよね」
「あれって実際にできるんならやらなくちゃね、大河?」
「学生はバカやらんと学生らしくないからなっ」

 なになになーに?と亜美に額を小突かれながら、竜児は腕組みをして、さっぱりわからん、
といった顔をつくってみるが、盛りあがった三人はもったいぶってなかなか教えてくれず、
同時に人差し指をぴっと立てて、クイクイ振りながら声を合わせた。

「「「し・も・や・ま・ダッシュ!!!」」」

「なあ、説明してくれ、大河」
「うるさい、竜児なんかロボットだ!」

 あ、なんでそんな得意げに吹きそうになってるほど楽しげなのに、そんな得体の知れない
罵倒を受けねばならないのか。と竜児は思った。
 とほほ……。


――つづくっ!

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