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 特訓の数日が瞬く間に過ぎ去って旅行当日がやってきた。
 早朝に大橋駅前で待ち合せて、新幹線に乗るために東京駅へと一行は向かう。

 お盆が過ぎて観光や帰省の乗客もひと段落、豊橋に止まるひかりはビジネス客には敬遠され
るとあって空席もちらほら目に付く程度の込み具合だった。2+3列の横並び5席を無事確保
して旅行が始まる。
 大河は当たり前のように竜児にくっついて二人掛けの席に。あとの3人がまとまって。通路
を挟んでみのりん&てのりんという並び。

「ちゃーんと弁当作って来たぞー」
「待ってましたあ!あてにして朝ご飯抜いてきたんだよね」
「あたしもあたしも」「おれもー」
「今回は私がおにぎり担当でぇす」

 はい回してと大きめの弁当箱を通路越しに手渡す。

「大河がぁ?ってほどでもないよなおにぎりなら。お、でもきれいにできてるじゃんか」
「ちょっと修行の成果を見せたくて、俵と三角と二種類握ってみました。感謝して食べるがいい、でぇす」
「ほぉ、逢坂が握ると小ぶりでかわいいな。うん、うまそうだぞ」
「じゃーさっそくいただきまぁす。がぶっ、んごぉっ!?」

 得意げな大河は僅かに俯いてクッククと笑ってポーカーフェイスを解き、言い忘れましたが
当たりが混じっていまぁすと半笑いで告げた。

「あ、当たりって……!?つか1個目からあからさまに実乃梨ちゃんが引き当ててる?」
「当たりの具は何だった、櫛枝?」
「ぐ……ぬぬぬ……ジャムたらこだ……ペースト……しかもたらこ、生」

 甘じょっぱくて磯くさいおにぎりの残りをバクバク完食して、実乃梨は大河にビッとサムズ
アップ。……負けるかよ、不詳この櫛枝、ネタのリアクションに抜かりはないぜ?……不詳じ
ゃないよ謙譲表現なら不肖だよみのりん……うるせえこの貧乳エロ虎……ひ、ひどい……。
 などと目と目で語りあっているのかどうなのか。

「ターイガぁ、当たりは何個入ってんのぉ?」
「ん?2個仕込んだからあといっこだね……ぇぇぇ……」
「どうした大河?」
「……」
「引いたんだな。自分で」
「……うえ……タッパのこの角には置いてないのにぃ。やっちまったー?」
「ああ、俺がこっそりシャッフルしといた。バカやるんなら楽しまねえと」
「ぐぐぐ……りゅ、あんたねえぇ……うぇぇ磯くさー」
「ちなみにネタはなんだったんだい?高須くん」
「イカの塩辛に青海苔たっぷり。そんなに当たりでもねえけど大河には……なあ?」
「うるさいっ、い、磯臭いのはお茶で洗い流しづらいんだからっ、後味を想像するだけで涙目に!」
「ほれ、ぬか漬けつまめ。濃い目にほうじ茶入れてきたから飲め」

「ほーらバカップルはほっといて安全なおにぎり食べようよ」
「おうそうだな。朝はしっかり食べんとな」
「うん、うん。あ、肉そぼろに梅肉だ、おいしいーぃぃぃぃ、ぃぃ、ぃあぃあ辛ぁーーーっ!!」
「ああそれ俺が仕込んどいた当たりだ。おめでとう川嶋、ツイてるぞ」
「ど、どっどっどっどこに辛いのを!?」
「海苔の裏に和カラシ塗っといた。ま、一瞬鼻に抜けるだけだろ。茶ぁ飲むか?」
「ふむ。これで女子全員見事に毒殺されたわけだ。うははは」


 したり顔で眼鏡をくいっと掛け直しつつ、北村はまるで黒幕であるかのような態度で、しか
し高須も逢坂が握ったのと区別がつかんおにぎりを作るとはさすがだ、と賛辞を述べ、竜児も
それに悪役っぽく答える。うむ、おもむろに頷いて。

「朝飯前だ」

「聞きましたかあーみん先輩、ぽーぽぽっぽぽぽぽぽっあれ、ギャグのつもりだぜ?」
「げほっ、高須くんのドヤ顔っていうのもレアだけど、なんかむかつく」
「このテの被害者は北村くん一択が当然と思うからオイラそっちに腹たつのり。大河はゆるす」
「毒殺同盟!」
「応さ!」
「わ、私も同盟入れて……」

 亜美は実乃梨の目を見てニヤリ、頷く。実乃梨も亜美の目を見返し、竜児と北村をゆっくり
不敵な笑みで睨みつけてから大河に視線を移し、ニヤリ、頷く。
 そういうことになった。


 雄大な富士の山麓が右側の車窓一杯に広がる頃、バカップルのふたりだけ大口を開けて寝て
しまった。ただでさえ早めの出発なのに人数分の弁当を作るために相当早起きしたのだろうと
いう結論になって、ハンデを負わさないためにできるだけ寝かせておこうとなった。
 現役体育会系が考えることはフェアなのねー。亜美は妙な感心をする。

「なーんかね」

 寄りかかり合って寝こけている大河竜児に順々目をやりながら、
「うらやましいとか、妬けちゃうなあとかと一緒に、かわいいと思っちゃうんだよね」
 ぽつん、呟いたりして。

「俺もそう思う。応援したいって気になるんだよな」
「へえ!北村くんが。マッチョメンでもそんなふうに思うもんなの?」
「なんで複数形なんだよ……まあ、俺が心配する必要なんてもうないんだろうけどな」
「ふたりともバカ正直なとこあるからねー」

 いろんなつまらない事でケンカして、回り道してんのかなってね。気になるのよね。あー、
正直に言うと、なんか行き詰ってたら助けてやりたいって上から目線でいながら……実際には
恩着せてやればもっと馴れ馴れしくできるって思ってるんだよね。

「そう。そうしたいだけなんだあたし。きっと」

 北村は珍しく自分語りをし出した幼馴染の話を黙って聞いた。クールに大人びた振る舞いが
板についていても、寂しがり屋ゆえにわがままでお姫様然としていた幼い頃を思い出す。古い
自分を切り捨てたわけじゃない。切って棄て去ったつもりで知らぬ顔をしても、まったく新し
い自分に生まれ変わることまではどうしたって出来はしないのかもしれない。

 悩み……というほどではないだろうが、助け舟を出してやる。溺れてねえよと言うかもしれ
ないが、それならそれでいい。

「うーん、それは女子側からの割と一面的な見方だと思うぞ?」
「え、そうかい?あたしもあーみんと同じくその辺は気になるぜ?」
「俺は高三のとき高須と同じクラスだったから、あいつがどう変わったか見てるんだよ」


「男同士だけに分かること、あるのかな。ね、祐作、教えてよ」
「そうだな、巧く言える気はしないが……高須はもともと『いいやつ』だ」
「うん」
「今はそれだけでなく『すげえやつ』だと思うようになってる」
「ふーん。北村くんがリスペクトするほどか……あたしにはいまいち分からんよ」
「さっき亜美が言ってたバカ正直な回り道ってやつな、それを自分で選び取る意志みたいなのを感じるな」
「あーそういうことか。そうだねえ、大河はその辺をきっちり見てるんだろうね」

 そうなのよね、うん。泳いでるだけだから。
 同じ舟に乗っていないけど、なにかあったらすぐ漕ぎつけられるくらいの距離に居る。それ
は奇跡のような確率かもしれなくて、でも存在しているのが当たり前。ずっとそうだったんだ
から。

「やばいよー、ホレ直しちゃうんじゃないの実乃梨ちゃん」
「ないない、それはないよ。やだねぇあーみんさんや」

 かっかっかと初代水戸黄門役のモノマネで笑ってみせて、まあこうして誤魔化す程度にはね
と隠しもしない。
 いいじゃんか、こうゆうこと考えてもけっこう元気出るんだぜ?
 高校時代より一層短くした髪を、うっかり前の長さの感覚で毛先だけをかき上げながら照れ
る友人を、幼馴染のふたりは同意するでなく深く突っ込むでもなく、ただ優しげに見ている。
 舟は二艘より三艘あった方が心強いから。

「ま、あれだな。皆変わっていくものだ。『男子三日会わざれば割礼して見よ』ってやつだ」
「割礼じゃねえよ括目だよ。げっひーん祐作!」
「割礼ってアレかあ?皮切るんじゃん?チン……むぐっ」
「ほぅーれ実乃梨ちゃんも。そこまで捨てねえでいいからっ」

 やがて車窓に浜名湖が広がって、小一時間舟を漕いでいた二人を起こせば、間もなく飯田線
の起点、豊橋に着いた。短い停車時間に慌ただしく一行は降り立った。


 これから乗り込む飯田線は予想以上に長くて昼を挟んで下山村駅まで4時間近く乗らねばな
らないから、食料やら何やらの買い出しに一旦改札を出ることにした。この辺の情報は各自が
集めて幹事である亜美にメールすると、亜美はそれを取りまとめて北村に転送し、北村が分か
り易く要点をまとめたしおりを作ってくれていた。

「うーん」

 駅弁売り場の店頭で大河がどれを買おうと唸っているところへ、どうした?と女子ふたりが
寄ってきた。こんど乗る電車は50分後の接続で始発だから慌てなくていい。

「これ食べたいけど、こっちも捨てがたいの。あ、これも」
「4時間後には全力で走るんだぜ?気持ち悪くなったりしない?」
「それは大丈夫だと思う。ただ、おにぎりから時間空いてないからふたつ食べる自信ないんだよね」
「あいかわらず食うねえ。じゃ、あたしこれ買うからさ、三種類買ってどれかひとつを半分わけしよっか?」
「いいね、あ、でもそれでもちょっと多いかな」
「じゃーあたしも加えて?3人で四種類ならいいんじゃない?量的には」
「それだ!」

 実乃梨はピシっと亜美を指し、そのまんま指し示す場所を下方向に移動。

「しかしあーみんの腹が心配だ!」
「トレーニング積んだもん。その分きっちり食べてもいいのよ。お菓子もいくよっ」


 すみませーん、おべんと四種類ひとつずつ〜♪とよそ行き猫なで声の大河が購入すると、そ
れまでのやりとりを全部聞いていた売店のおばさんが可笑しそうに、
「最近の娘さんはたくさん食べますね」
 などと言う。

「いーえー、大喰らいはこいつひとりでーす♪」
「そうなんですぅ、あたしたちは付き合いでぇ、しかたなくぅ」
「なっ!?う、裏切り者っ」
「ぶっふふ、見た目よりそんなに量は多くないですからね。お嬢さんたち天竜峡で川下り?」
「あー、そういうのもあるんですね。その方が涼しげで楽しいかも〜」
「走るんです。そのあと温泉♪」

 あ、なるほど、飯田ね?と頷くおばさんから駅弁を受け取った三人は、次はお菓子と飲み物
かなーと名店街をぶらついていると、重そうな袋を提げた北村が向こうから歩いてきた。

「あら祐作、みんなの飲み物買ってくれた?」
「おう車内で飲むものと、紙コップと、走る時の給水用に小さいスポドリを人数分な」
「じゃーあたしたちはあとお菓子だけみつくろって……あれ?大河、そういえば高須くんは?」
「弁当箱洗いに行った。マイスポンジ持って」

 なーるほどなあ、と皆が頷くなか、けっあのエコ野郎がと大河が付けたしのように毒づく。

(プチ恥ずかしいのかね?)
(なんかもう身内感覚だよねー。“ウチの子が団体行動乱してすみません”的だよねー)

 うんうんとさらに深く納得しているところへ、洗い終えた弁当箱を収めた袋を提げ、竜児が
戻ってきた。弁当買ったのか、なに買った?と覗きこんでから、袋を大河に押し付けて自分も
買い出しに売店へ行く。

 既に陽は高く登って昼過ぎにはジリジリと照りつけそうだった。こんな日に本当に全力疾走
するのかと思わせるが、5人の意気込みは高い。普段はそれぞれの進路で背伸びをして頑張っ
て、それが自分の人生を切り開く力になると信じてはいても、やはりバカをやるのは愉しく、
それが心許したかけがえのない仲間とできるのならもっといい。

 改札が始まった飯田線の電車に乗り込んだ。
 二両編成の短い電車の中ほどで、今度は実乃梨と亜美が二人組となって、通路を挟んだ2つ
の4人掛けボックスに別れた。竜児は窓際に大河を座らせ、その向かいに一番脚の長い北村、
大河の隣に竜児と自然に席を占める。

 と、発車間際に地元の乗客が乗りこんできて、8分の混み具合だった車内が割と混み始めて
きたようだった。年配の人が多かったから、竜児は立って席を譲ろうとし、でもそれを制して
亜美と実乃梨が立った。空いたボックスをどうぞ、とおじさんおばさんの4人組に譲る。
 そうしておいて、亜美は竜児に元の席に座れと押しこむように指図、向かいに実乃梨を座ら
せて、自分は竜児の脇、ボックスシートの背もたれに付いた手すりに腕を掛けて立った。

「お前が座れよ」
「こういうのは最小の移動で済ますのがエレガントってやつよ。それにね……」

 くわっと目を眇めて、べえっと舌を出してからそれはもう憎らしい表情を浮かべて、ついっ
とアゴをしゃくってささやく。

「ハンデ、くれてやーんよ♪18分台のひとに」


 顔つきとはうらはらに、それがあまりに可愛い子ぶりな声だったので、傍から見たら言われ
た方がムっとしてもおかしくなさそうな空気なのだが、当の竜児はそんなの慣れっこで腹も立
てない。

「おう、じゃあ借りとこう。疲れてきたら代ろうな」

 北村ほどでないにしろ竜児もそれなりに長身だし向かいの実乃梨も女子としては平均以上。
膝を互い違いに置かねばコツンとぶつかってしまう。へへ……と小さく照れた実乃梨の笑いが
もれて、傍らの大河がやはり小さくふひぃと鼻を鳴らす。

「それより何だって?ハンデ?うーん」

 大河の方にちらっと目をやり、竜児はわざとらしく。

「誰か俺の走破データを敵にリークしたやつでもいんのかなー?」
「それ私。結局18分ジャストが最高記録って。ツイッターで全世界に。うそだけど」

「なんだ高須。それじゃあ自己新出さないと再乗車できないじゃないか」
「まあそこはいろいろ考えてる。我に秘策ありだ。な、大河」
「そ。竜児は練習より本番に強いから心配いらない。ばかちーのセクハラから守ってよね」
「お、そんな賭けがあんのかね?今からオイラも参加させてくれんかね?」
「俺も参加していいかな?逢坂」
「それは洒落にならんだろ」

 バカ話に興じているうちに、アナウンスとベルに続いてプァン、と警笛が響いて電車が駅を
出てゆく。昼過ぎにはメインイベントだが、その前に4時間近い鉄道旅が待っている。


――つづくっ!

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