4

 豊橋から近郊区間の乗客がほとんどだったようで、30分もしないうちに車内は閑散としだ
した。席を譲った年配の方々も、どーもと礼を述べて降りて行き、亜美は竜児と代ることなく
実乃梨と一緒に元の席に納まった。
 平野から山あいに差し掛かる頃には景色も良くなり、思い思いに車窓を楽しみながら、とり
とめなく駄弁る。メンバーに鉄道趣味を持った者はいなかったけど、ローカル線の旅はなかな
か楽しい。

「なんかすぐ近くの景色がいいと乗ったままじゃなくて降りてみたいって思わない?」
「そうだな。沿線で二泊くらい予定取って、乗って降りてまた乗ってな」
「ローカル線にしては本数が多めで飯田線はそういう旅に向いてるらしいぞ、高須」

 窓のかまちに肘を置いた北村はニコニコしていて、言った通りホームシックぎみだったのだ
ろうか、日本的な景色を眺めるのが愉しそうに見える。

「ときに、お前たちは婚前旅行とかしないのか?」
「ん……そういえば、まだ、だね?」
「おう、なんかな、ちょっと抵抗ある。……しかしまたいきなりな?」

「ああ。うん。実はな……俺は夏前に軽ーくしたぞ?」
「えっ?狩野すみれと……だよね?」
「おう免許持ってるだろって言われてな」

 ちょっと遠い目をして「たくさん作ってくれたサンドイッチ持って、2時間ばかりクルマ走
らせて川っぺりに行って、みたいなやつを」と北村は話しだした。

「婚前旅行っていうよりピクニックだろそりゃ」
「そうなんだけど。……そこで一緒に住もうって話になったから、ちょっとした記念でな」
「ふうん?……なんだか狩野すみれのイメージが微妙に……」

 気配を察した亜美と実乃梨も聞き耳を立てる。

「誰の話であってもコイバナちうのは聞き逃しちゃいけませんや、なあ?」
「まあ、あたしはあらかた聞いてるけど……」
「断片的にな。いい話ばかりでもないが……そのうち話せるときが来たらまた聞いてくれよ」

 別に聞かれても構わないのか、向かいのボックスにも目線を投げて話す。

「おう、そうなのか北村」
「ああ、宇宙は遠い……っていう類の話だ」

 それでも距離が見えてからがやっと始まりだから落胆までするのはまだ早いな。後半を独り
言のように締めて、また窓外を見ようとする。そんな北村の姿を見てうん、と。黙って聞いて
いた大河がおもむろに顔を上げると、スっと腰を浮かせたが早いか目の前の膝を両手でしっか
りとつかみ、自分のヒザを……。

「じゃあ北村くんに気合いを入れてあげよう」
 告げるなり、ゴッ!

「おあぁっつ!」
「いったたた〜、電車の揺れがうまいこと乗っかっちゃって、ごめん、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、ははっ。シャープな蹴りだな逢坂。高須もくらってんのか?」
「おう。まあふざけてだけどな。こいつの全力蹴りだけは受けたくねえ」


 頭に受けなくて良かったなあ〜?などと竜児は立ちあがって、自分の荷物から冷却スプレー
を取り出し渡す。はははっ、ほんとだよなあと北村も同じ調子で受け取る。
 でも大丈夫か?これから走るのにヒザ負傷してたら話になんねえぞ?……ご、ごめんね北村
くん……痣くらいで済むだろう。それより逢坂の方は大事ないか?……うん平気……氷はねえ
が濡らした何か布当てて冷やした方がいいかな。メディカルテープ多めに持ってきたから。

 実乃梨も立って、自分の荷物から応急セットを取り出そうとしていたが、竜児の用意だけで
済みそうと分かって、また座る。

「準備いいね、高須くん」
「おう、AED買ってこようと思ったけど高くて無理だった」
「!?あれは個人で所有するもんと違うぜっ?」
「冗談だよ……」
「あんたが言うと冗談に聞こえないのよ」
「ドジが偉そうに突っ込むな。ほら自分でヒザスプレーしろ。ツイタテになっててやるから」
「あーー、シップくさいぃ〜」
「仕方ねえだろ」

「おーい、水のボトル開けちゃったついでに誰かなんか飲むか?」
「あ、午後ティーちょうだい祐作」

 車窓はいつの間にかすっかり山中の景色に変わって、トンネルを抜けたらまたトンネル、間
にぱっと広がる渓谷が見えてはすぐ行き過ぎる。止まる駅がみな小さくいかにも田舎の駅舎だ
った。ときどき開けたところに出ると川岸に集落があって……。

「あ、ああっあ、みっ、見て見てあーみんっ!」
「あれ?いま渡った川をもう一度渡ってる?」

 駅を出てから線路と並行する川を、左岸から右岸へ、右岸から左岸へ、もう一度逆にとS字
に鉄橋が掛かっている。なんでこんなアトラクションのように作ったんだろう。女子たちは伸
びあがって左右の景色を眺めている。

「鉄道を作った時代には土木技術が高くなくてトンネルを掘れなかったんだろう」
「なるほど。それでこうして山を迂回するのか。よく調べてるじゃねえか」
「俺は小心だからな、行った先が見通せないとどうにも不安になるような」
「そうか……。だけど、だから必死に調べようとするんだろ?」

 ああ、だな。と頷く北村の声に少しばかり引っかかるものを感じて、でも北村ならと竜児は
思い直した。こいつはちゃんと援けを呼べる男だ。
 ふと気付くと、大河がじっと見ていた。

「そうだ。ねえ、もうお昼にしようよ。景色いいしさ?」
「逢坂の言うとおりだ。腹ごしらえしとかないとバテるから、食っとこう」
「さんせーい!ほら大河、毒殺同盟の方に来ないとおべんと分けてやんないよんっ♪」
「うあっ、待って待って待って」

 男子組の膝を食欲でガンガン押しのけて、大河は向かいのボックスに移動していく。


 賑やかに昼食を済ませたあと、みんなのお弁当ガラをきっちり分別して、ペットボトルも潰
して畳み、驚くほどかさばらない袋二つにまとめて自分のダッフルバッグに仕舞いこむ竜児の
芸の一部始終をじ〜っくりと堪能してから実乃梨が言いだした。

「ねえ、アニメをなぞるんだったら……スタンプラリーしとけば良かったかね?」
「あれは……無理じゃねえかな?押しに行くたびに脱落しそうな気がする」
「やっぱそうか。話かわるけど配役的には高須くんがあーるくん確定としてさ」
「俺が確定なのか……」
「だってさ、学ラン似合うし、周りの人を癒すし」
「びびらせるの間違いじゃないのぉー?癒されるのは人となりを知ってからでしょ」
「そうだけどさ、教室でご飯炊いたこともあるじゃん?」
「あれはさすがの私もひいたね……再炊飯で何とかなるとかゆりちゃんウソつくし」
「……それを言われると……面目ねえな」

「あっ、それでさ?竜児があーるくんだとすると、さんごは誰にあたると思う?」
「一応ヒロインだからなー、もちオイラだろ!走るの速いぜっ」

 ふっふーん?……何言ってんのみのりん。大河は傲岸不遜な態度でアゴを突き上げる。

「大事なコト忘れてるよ?さんごは走った時にムネが揺れたら失格でぇす♪だから私っ!」
「お前……いま大事なものを喪ったって気が付いてるか?」
「黙れ駄犬!」
「ひ、久しぶりに聞くとあらためて酷えな」

「まあ待て高須」

 眼鏡を光らせて横から話に割り込んだ北村の分析は的確だ。

「あーるが逆らえない、すぐ技をかける、根拠のない自信、そして会長と犬猿の仲!」

 北村が指折り挙げるたびに不審そうな表情できょろきょろする大河を除いたあとの三人は、
申し合わせたように左掌を天に向け、握った右拳をその上に。ポン。

「「「鳥坂先輩だっ!」」」

 三歩歩けば忘れる鳥頭だしなぁ……なにぃっ!?……まあまあまあまあ、狩野すみれが西園
寺まりい、ブフッ♪似合いすぎぃ〜……そっちがツボか……だぁって〜♪……あ!それならそ
れならそれならさ!

「光画部の気づかいお母さん、椎ちゃんはあーみんで確定として、北村くんは……」
「ま、鰯水だろうな。立ち位置的に」
「北村くん……女子生徒全員の顔とスリーサイズ暗記してた?必須だよそれ」
「そんなセクハラは無理だろう?」
「じゃ、鴨池だよね?」
「違うよ鳥坂先輩、北村くんは新外人だよ。なんつったっけ名前?」
「鳥坂言うなあ!……新外人?……新外人」
「おいおいおいおいおい!そこまで端役なのか俺……ベンジャミンだよ名前」
「そうだっけ?バッテン荒川じゃなかったっけ?読み込んでるね北村くん」
「当然だ。あれは生徒会では聖典だったからな。内緒だが各部活の予算配分のときには
 校内サバゲー大会をやろうかって企画が出たこともあるくらいだ」
「おう、そういえば村瀬がそんなこと言ってたな……そうか。あいつが鴨池か」
「北村くん北村くん。ベンジャミンはあだ名。本名は日系アメリカ人レオナルド根岸」

 いちばん読み込んでるのは大河だったか……小学生のときにね、高校生になるとこんなに楽
しそうな学校生活が送れるんだなーって……ああっわかるわかる!文化祭とかね。
 大河は懐かしそうに目を細めて、ちょっと間があって、うんと頷く。


「あとね、あさのときしだは能登春田。これも確定でしょ?」
「おー確定確定!鳥坂先輩にいっつも理不尽な目に遭わされてたとこなんかかんぺき!」

 だーからとさかやだあーっなどと盛り上がりつつ天竜峡駅を過ぎて、山あいから盆地に入り、
のどかな景色が急に開けてくると目指す下山村駅まではもうじきだ。おうみんな、そろそろ準
備しねえと、と竜児が振れば、だーいじゃうぶ!変なイントネーションでちっちゃな鳥坂が返
してくる。
 あああっ、中指立てんな!はしたない。


「みんな道順のプリントには目を通してるか?忘れてきたら余分があるぞ?」

 元生徒会長の準備は周到だった。きちんとスタート〜ゴールの最短ルートを記した分かりや
すい市街地図を作り、交差点や横断歩道、間違えやすい別れ道の情報なども書きこんで事前に
配っていた。皆、しっかりとイメトレは済ましてきたようだ。

 そして竜児の秘策はここにある。
 まず、信号待ちや横断待ちが発生するからには、運動としてはインターバル走となる。そこ
に競争能力の差を縮めるヒントがある。着目したのは勾配だった。

 竜児は地図サイトを探しまくって、正確な等高線を重ねてみた。いかにダラダラ坂と言って
も勾配が一定であるとは限らない。緩い区間と急な区間が入り混じっているはずで、急な区間
を流し緩い区間を全力でというペースコントロールをつければ全体としてはタイムは縮まると
考えた。モデル図を作り、最短コース以外も調べ、道路の横断パターンもしらみつぶしに埋め
て最も信号などにひっかからない黄金のコースを見つけ出した。現状の体力で及ばない分はヘ
ッドワークでカバーする。平面上の最短距離だけにこだわっていてはたどり着けない解だろう
と自負している。

 もうひとつは諜報戦。
 亜美には現状以上に対策を立ててほしくない。できるだけ油断していてもらいたい。そのた
めに特訓中はわざと18分を切らないようにしていた。亜美の性格なら必ずリサーチを入れて
くるし、それは大河を介してに決まっている。いくらまつざかさんに目がくらんでいても、ア
ホモードのあいつは引っかき回してやれば面白いという方を取るはずだから、聞かれれば情報
を流すだろうと読んでいたが、その通りだった。

(身内も騙すのは気が引けるが……すきだのすてきだの言われちゃな)

 もっとも大河にはちゃんと再乗車してもらい残した荷物の保全を託したいといったリアルな
事情もある。そうすれば俺が川嶋に負けたとしても気持ちのうえでイベント自体に負けたこと
にまでならないで済む。きっと肉肉肉ぶーたれるだろうけど、それは後で埋め合わせてやろう
と思っていた。

(あんた……何かたくらんでるね?)
(おうっ!分かるか?)
(分かるよ……目だけキモ〜く笑ってるもん。何か作戦があるんなら……)
(作戦てほどじゃねえが)

「ほれっ、大河。髪まとめるんだろ?お団子は崩れるからポニテ折り返してひっつめな」

 ぱっぱと上着を脱いで準備を済ませた実乃梨が世話を焼く。山越えして伊那盆地に入ったら
ピーカンではなく薄曇りになっていたけど、暑いのは変わらないだろう。それぞれにしたくを
していたら、自分たちといくつも変わらなそうな車掌が歩み寄ってくる。

「走るの?なら検札先に済まそうか?」
「え?はい。お願いします……けっこうやる人は多いですか」
「うん。夏休みだと学生さんがね、来てくれて」


 伊那上郷駅の近くまでくると踏切の警報音が聞こえて焦るかもしれないけど、電車が駅に着
くかなり前から鳴り始めるからあきらめちゃだめだよと、また間違えやすい交差点での目印な
どを検札しながら親切に教えてくれる。

「ありがとうございます、助かります。観光案内みたいに仕事なんですか?」
「いやあ、乗務員によって違うんです。僕は地元なので経験者。だから規則に違反しない範囲でね」
「なるほどっ!それは心強い」
「ちなみに記録の方は?」

 ふんっ、と背を反らせて誰かさんに似た態度、もちろん最速の13分戦!と自慢げに語った
後で職務も忘れない。

「みんなで走るのなら、荷物を一か所にまとめておいてくれたら目は配っておくけど」

 北村の逆三角な体型を見た車掌さんは「全員乗り遅れることはなさそうだね、そうなったら
忘れ物として処理しなくちゃいけないんで、そこ気ぃつけて」と言い置いて戻って行った。

 したくを終えた北村は、おっと忘れていたと言いながら、デジカメで車内に掲示されている
編成番号を撮影する。記録は大事だが、誰かに見せるのだろうかと考えかけて、そんなことよ
りも今は、大河に注意事項を伝えるのが先と振り返り、竜児は驚いた。足元こそ履きなれたス
ニーカーだが、朝出るときから着ているフリル付きワンピースのまま。到底これから走ろうと
いう格好には見えなかった。

「お前……下に着込んでいたんじゃ?」
「ん。スパッツ穿いてるから転んでもぱんつみえまるにならない……んしょっ、ほら?」
「わぁお!えろ尻ぃぃんぬ♪」
「めくるなめくるな、つかレギンスだろ?……そうじゃねえ走りづらいし危ないじゃねえか」

 襟もとからちょっとつかみ出して、トレシャツも着こんでる。けどうっかりワンピースで出
てきちゃったから、もそもそっと脱ぐの恥ずかしくて……ドジこいた……という、しかめっ面
の言い訳。
 そんな事で!
 聞きながら竜児はしまったと思う。下に着こんでいるなら上に着ているものをどう脱ごうが
関係ねえと思うのは、心根が庶民だからだ。セレブの川嶋だってササっとエレガントにだが脱
いでいた。
 だが、大河は心根がお嬢様なのだ。さっき中指を立てて見せたりしても、いまは普通の経済
力の家庭に暮らしていても、お嬢様な心根をきれいさっぱりと喪ったわけではないのだった。

 どんなところに強い抵抗感を持つのか常にリサーチしておくべきで、それを怠ったのは自分
の落度だと思った。

「俺も気づかなくて済まねえ。豊橋で着替えさせとくべきだった。いや朝の段階でよく見とくんだった」
「いいよそんなの。うかつだったの私だし」
「なによ大河?余裕でハンデしょってるんだと思ってたのに、ただのドジだったー?」
「そうなのよそうなのよそうなのよ」
「三回言うのが流行っているのかい……」
「みのりんが先に始めたんだよ……」

 ハンデ?……は櫛枝の方が負うべきものだろうと竜児は思い込んでいたから、亜美に聞こえ
ないよう小声で聞いてみる。

「櫛枝が優勝候補じゃねえの?」
「ううん違うよー」


 ここだけの話しな?大差で勝つのは大河だよ?こちらも声をひそめて。ナイショのささやき
で勝負の行方を予想する実乃梨。驚いて、また聞き返してみる。大河が?だって練習ではいっ
つも15分台だったぜ?

「練習は練習だよ。君と一緒に走っていてどんどん先に行っちゃうやつじゃないよん♪」
「手抜き?だったのかな……ま、マジで走ったら?」
「あれは山岳王だぜ高須くん。だからちょうどいいハンデなのさ」

 大学でスポーツ生理学を学び、自身も日々鍛え抜いている専門家の言うことだから、それな
りに根拠があるのだろうとは竜児も思うが……。
 亜美に目をやると、モデル体型を惜しげもなく晒す新品のランニングウェアに身を包んでキ
ャップのつばを後ろに向けてかぶっていた。UVカットゴーグルもきっちり装備。
 あのレギンスはたぶん大河とお揃いで買ったのだろうと気づくと、勝負でなくあくまでレク
リエーションというところへ戻りそうになる。竜児はしばし逡巡して、だけどすぐ意を決して
大河に向き直った。

「大河、共同の作戦はない。だが準備運動が足りてねえから温まるまでは気を配れ」

 勝負でも遊びでも、どっちでも。俺も、大河も、全力でやる!
 そうでなきゃMOTTAINAIっ。

「うん、分かった」
「フリルを引っかけねえように生垣とか車に細心の注意を払え。そのうえで……死ぬ気で走れ!」
「おし!あんたもばかちーに負けんじゃないよ!」
「おう!仮に負けてもすき焼きだけは必ず食わせてやる。安心して俺たちの荷物を守れ」
「へ……へへ……すき……やき……」

 うわぁーお!無警告で愛の交歓するんじゃねえよこのバカップルめー!走れなくなっちゃう
だろーと実乃梨の悲鳴を乗せて、大きな左カーブを切りながら、電車は徐々にスピードを落と
しはじめた。
 これを曲がり終えればいよいよ下山村駅。所謂18分戦のスタートとなる。


――つづくっ!

--> Next...




作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system