6

 ちょうど大河が陸橋のうえで行こか戻ろか迫られていた数分前に戻ってみる。

「ひゃぁはっ、ひゃぁはっ、ふぁぁ、はーっ、はーっ、あーーーっ!負けたー!」

 鳴り始めた踏切の警報音に急かされるような足取りで、10秒くらい遅れをとった竜児が駅
の出入口に到着した。先着し、よろよろぺたんとホームへとつながる階段に座り込んだ亜美は
片手を上げて「勝っちーーぃ♪」相好を崩している。実乃梨の姿は見えないが、その辺で休ん
でいるのだろう。
 いろいろ手があると言っていたけど、卑怯な策を弄するはずはなくて、スタートだって盛り
上げるための三味線だろうと思っていたから、竜児は亜美に対するマークを途中から外してし
まっていた。

「バテたように見えたが……川嶋は体力あるんだな……」
「言わなかったっけ?トレーニングしてるって」

 そうさせておいて、いわゆる“死んだふり”から襲いかかられた。
 まごうことなき正攻法で、通る車がぱたっとなくなった最後の信号を過ぎてからの住宅街に
おいて、見た目はヘロヘロだが当人たちには真剣なバトルをそこそこの間くり広げてきたとこ
ろだ。
 結局は、実乃梨との競り合いに負けた直後で一時的に余力を失っていた竜児の方が顎を上げ
たというわけで、亜美は正々堂々陥れると言った両方とも実行したことになる。 

 近づいて手すりに手を掛けても竜児が必死に腰を落とさないでいたのは、せめてもの男の意
地かも知れない。

「あー、はーぁ汗だく!やっぱやるんじゃなかったぁ♪」

 ほれ、ウェットティッシュ……ありがと、でもひとそろい持ってるから。ゴーグルを外して
背のウエストポーチを脇に回し開ければそこにはちゃーんとメイクグッズ一式。これから電車
に乗って人前に顔を晒すまで亜美のタイムトライアルはまだ残っているようで、竜児は邪魔に
ならないようその場を離れて、水分補給でもしているであろう大河と実乃梨を探す。

 と、その時。走ってくる実乃梨の姿を認める。なぜそんな方から?と考える間もなく。

「高須くんっ、大河がいないよ!携帯も出ないっ」
「なにぃっっ!?」

 駅西側の住宅街からから駈けてくる実乃梨の切迫した声に、即座に竜児の脳は高回転を始め
た。1分以上前にゴールしたはずの彼女はほとんど休む間もなく小さな駅の周りを走って大河
を探してくれたのだろう。

「あたしの2分ぐらい先に着いてるはずだし、飲み物の自販機ならここにある!」
「じゃあ道を間違えたんだ!考えてる暇はそんなにねえかっ」

 メイク直しを済ますと同時に聞きつけた亜美がポーチを仕舞いこみながら立って、小走りに
駈け寄りながら「間違えるとしたら最後のЧ字!……あとその前の坂の連続Y字の順!」と思
いつくままにサポート。

「あ、北村くんまだなんだ?どうしよう?」
「そういえば祐作忘れてたわ。バテバテだったからたぶん歩いてるね」
「もうすぐ電車来ちまうな……誰もいなかったら大河たどり着いても……」



 迷子探しにコース逆走するか?ここで次の電車を待つか?
 竜児はいっしょに地図を読みあわせた記憶をたどって大河の行動を考え始める。あいつはど
こで確認しあったルートや目印を真っ逆さまに勘違いするだろう?自分だけ別コースを検討す
るのに気を取られてそこんとこよく見てなかったかもしれない。いずれにしても残って捜索す
る選択しか自分にはあり得ない。

 だがそれを告げれば実乃梨は残り亜美は荷物番と言うだろう。納得させねえと……。竜児は
穿いていたハーフパンツのやけに幾つも付いたポケットを叩きながら。

「北村は何分遅れてくるか分からねえ、みんなの荷物は二人いねえと下ろすのがきつい」

 心配そうな女子ふたりの目を交互に見ながら、できるだけ暢気に聞こえるようにゆっくりと
告げた。「それに、ほら?」

「『重いのやだ』って言うんであいつの携帯を俺、預かっちまってた。返さねえと」

 悪りぃけど先に行っててくれるか?小一時間遅れるけど3人で追いつくから。亜美と実乃梨
はたっぷり20秒、探るように顔を見合わせてから言った。わかった、と。


 下山村駅で降りた同じ電車が止まり、ふたりを乗せて走り出すのを見送ってから、竜児は正
しいコースを向かってくるであろう北村とまず合流する事にして走ってきたコースを逆にたど
った。幸いにすぐ向こうからゆっくり走ってくる親友に会えて、事情を話した。
 伊那上郷の駅出入口までともに戻って、行き違いに備えて駅に北村を残し、それから亜美の
言うとおりにまず駅前から東方向に向かって付近をしらみつぶしに探そうと走り出した竜児は、
すぐに踏切の方からよたよた歩いてくる少女に気がつく。

 (大河じゃねえかっ……?ああ、良かったぁ)

 最後の高松交差点から後の駅東側をまず探し、続いてY字の別れ道が連続していた坂の途中
まで下って西の飯田市街と、見つかるまで捜索するつもりだった。迷い子くらいなんだ、屁で
もねえ。本当の心配は事故だったから、走り出してすぐに逢えたのは嬉しかった。

「大河ーーッ」

 ワンピ姿の美少女が垂れていたこうべを上げるなりくしゃっと表情を歪め、駈け寄って、駅
前で臆面もなく抱き合った。
 というのはふたりの心情的描写に過ぎないのであって、それはフリルひらひらな少女がダッ
シュして長身男にタックルをぶちかまし、その衝撃をくらってともに転倒するのを避けるため
に男が少女の脇下をホールド、受け流してくるーり1回転というルチャ・リブレのような客観
的光景であったことは特筆しておかねばならない。

「ウ…………、ウウ……ウぅーじぃぃぃぃ〜」

「ああ心配したぁ。怪我ねえな?服もカギ裂き作ってねえし……」
「う〜〜ううううう」
「どうした?失語症か?走り過ぎて息苦しくねえ?あーあー汗でぐしょぐしょじゃねえか」
「うーー」
「よし喋らんでいい。次の電車までけっこうあるしゆっくり休憩できるぞ?」
「ウウ〜〜」

 よーしよし。よーしよしよし。なんだ泣いてたのか?と思いながらポケットのひとつから抜
き出したハンドタオルで汗と涙を一緒に拭ってやり乱れた髪を整えてやるのだが……拭っても
拭っても濡れた頬が乾かない。

(あ、寂しいとか悲しくてじゃねえや。……ひょっとして情けなく思ってる?)



 大河の泣き顔にもその時々によって微妙な表情がある。スタートの時にはまつざかさんハイ
で勘違いしていたようだけど、どこでどう回路を接続し直したか、荷物番を託されたと思い込
み過ぎたのだろうと、竜児はおおかた正しく把握した。
 竜児にしてみれば、5人そろって乗り遅れた場合だけが最悪なのであって、まず安全圏の大
河には単に励ますつもりでそう言った比重の方が大きかったのだが、思ったよりも真面目に受
け取ったらしい。浮かれアホモードだからといって油断ならねえと反省しきりだが、今となっ
ては後の祭りだ。

 こうなると慰めたところで機嫌は直らねえ。かといって責めても同じだ。俺の方から謝ると
ますます惨めな気分に堕ちていくだろうし。さてどうしてやったらいいのか。

「まあ深刻なことがなくて良かったな。荷物は櫛枝と川嶋が見てくれるし」
「ウ……ウウウ……」

 まずは変に気を使われてると思わせないよう、軽く傷口を突っついて様子を見る。

「こっちは櫛枝が大差で1位、川嶋が2位だった。俺は少しの差で遅れちまったぜ」
「ウウウウウ〜」
「まつざかさん、ごめんな。帰ったらそこそこの特売肉でスキヤキやろうぜ?」

 オージー穀物肥育牛のステーキでもいいけどな。「うしくさいー」とか文句あるかもしんね
えけど今度は香味ソースを工夫してやるからな?
「ウッウううう〜」

 (『俺の方にも落度があったからお互い様だなてへ♪』じゃだめか)

 まさか特売肉が気に障ったわけでもあるまい。

 竜児と交わした約束を果たせなくて情けない、というのは、竜児も守れなかったから、では
埋まるものでなく、もっと深刻な自己嫌悪を?といささか怖い考えもちらっとよぎる。
 ……いやいやそこまでには見えない。だいたいうーうーでもクチ利いてるし、長くても半日、
次のメシどきを過ぎれば解消する程度なのだろう位はまあ、わかる。でもせっかくの旅行なの
だから、楽しめない時間はできるだけ短く済ませてやりたい。

 (仕方ねえ。ちょいといい具合に怒らせるか。)

「いやあ、それにしても櫛枝はすげえな。追い抜かれるときに『福男』思い出しちまったよ」
「ウ?」
「実はこっちが後ろに付けててさ、一度アタックかけて並んだらバーンと引き離されて」
「うう……それで?」
「お、やっと人語を解し始めたな?それでさ」

 福男レースしたときの、なんかパァァーーッと爽快な充実した気分になれたの思い出してよ?
けっこう胸熱に……。

「ちょっとあんたあっ!!」
「おうっ!?どうした急に?……え、怒ってんのか?何に?」

「いまっ、い、いまさらやっぱりみのりんガー、とか言いだすつもりじゃないでしょうねっ!?」

 掛かった。竜児は「はあ?」と不審顔を作りながら内心でニヤァ〜。あとは巧く引き揚げれ
ばいい。気分はすっかり大間の一本釣り漁師。



「そんな話じゃねえよ。抜き去られたときの、すげえっていう気分思い出したってことだよ」
「はんっ!」

 どん、と平手で竜児の胸を突き、寄り添っていた身体を引き離す大河。作用反作用の法則で
質量の小さい方がとととっと押しやられてもふんぬっと踏みとどまって、大河的にはイニシア
チブを握っているつもり。

「あんたのその気分がどこまでつながるのか、良ぉく知ってるもんっ」
「そんなことねえよ……やきもちタイガーかよ……(ぼそっ)」
「ばっっ!?何言ってっあんタッ、みのりんにそんなこと思うわけないじゃんっ、今になってっ!」
「そうだろ?櫛枝はすごいやつで、素敵なやつだなって思っただけだよ」

 ふんっっっ!大河は勢いよくそっぽを向きながら思いっきり鼻を鳴らして、その拍子に思い
っきりすっ飛ばした洟水をすぐ手でぬぐって「あ〜〜あ〜」甚だみっともない。すかさず竜児
が光る帯を付けた手の甲をきれいに拭いてやって(ええと……お嬢様?)とか考える。

「なあ?」
「なによっ?」

 すっかり黙りこくって不機嫌モードに切り替わった大河から、今度は不安だけを取り除こう。

 その辺の展開、別に隠すことじゃねえし聞きたくねえ?……ってか、聞いてくれよそんなに
長い話じゃねえし感動したんだからと巧いこと前置いて、紙芝居屋の前できなこあめを舐めな
がら待ってる子どものような目にさせると、竜児は詳しく回想をし始めた。


 実乃梨の背中がだんだん大きくなる。胸は早鐘のように高鳴っていた。

「ほうーらドキドキしたんじゃないよ?」
「坂登ってりゃ心拍数も上がるだろっ!ただの動悸!」

 背後の二人も苦しい中でついて来ている気配。実乃梨の右側に出て、一気に抜き去ろうと考
えても、なかなかこれ以上はペースを上げられない。自分の胸郭が一回り大きくなったように
も錯覚してきて、空気を吸い込んでも吸い込んでも吐き出せていないようだ。
 吐く方に集中しろ、吸うのは身体が勝手にやってくれるから。中学時代の部活でそんな風に
教わったのを思い出してそうする。

 振り返らなくてもぴったり付かれているのは実乃梨も承知しているだろう。しばらく矯めて
から後ろを確認して、一台の車が行き過ぎるのとほぼ同時にアタックをかけた。
 突風のように――とまでは行かなかったけど、それなりにじりっと追い抜けるぐらいのスプ
リントに入り、並んだ。と、実乃梨がこっちを見て、にぃ〜〜。笑う。うわ、まだいい笑顔し
てんじゃねえかーやっぱ余裕あるかーと思った。

「ひっひっふー、ひっひっふー、よお高須くん。よくぞ来た我が精鋭たちよっ、ふー」

 なんでラマーズ法なんだよと返す台詞も出せやしない。

「勝負じゃないよ?……これはあくまでも……遊びね。……ひっふーぅ」
「…………」
「そんでねっ……ひっひっひ……」

 あれ?苦しそうな……。く…る…し…いの…か?とかろうじて訊く。

「苦しいさ、苦しい……とも……」



 浮かべていた笑顔がくにゃっと歪んで、口を開けるのも辛そうだ。なら喋らずに走りに専念
すればいいだろうが。並走が長くなり後方が気になって、バランスを崩しながら一回振り返っ
て車と亜美と北村を確認し、その間の遅れをまた取り戻そうともがく。

「だがね高須くん、これが意地だっ。はっ。毎日カラダを苛めぬいてきたあたしが……」

 どんだけの高みに来たかっていう……見せてやる……真剣な遊び。主婦には尻も拝めねえっ
てことをな?………………見せつけて……やるよっ……。
 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……長台詞を途切れ途切れに喋って酸欠ぎみか、
本来は禁じ手のはずの速い息継ぎをしている。そうして、もう一度顔を上げてさっきのいい笑
顔に戻す。

「こんなサービス、めったに……しないんだから」

 い、いくらなんでもパクリすぎだろー?とはもちろん突っ込めず、もう遅れないでいるのが
竜児には精一杯で、道の左奥に目印となる円筒形の建物を視界の隅でとらえて、もうすぐ最後
の信号とどこかで思ってると、それはいきなりの、目撃。

 ギュンっ。という効果音がまるで響いたような印象で、実乃梨の眉尻が跳ね上がってキツい
目つきに変わる。あたかも“火が付いた”というような形容がぴったりで、前を向き、上体を
沈めるとダッシュしだした!引きつける膝が高く、振りぬく腕は力強く、あんなに苦しげな表
情をしていたのにまだこれだけ動くんだと見せつける。

 負けるか!とばかり。竜児も歯を食いしばってスパート、僅かにペースを上げた。が、追い
つけるスピードまでは出ない。繰り返し、再三、気合いを入れてみるも、どうしても腿が上が
らなくなっていき。

 つまり、ここに勝敗は厳として決した。

 傾斜のもっともきつい場所だからだろう。最初はゆっくり、やがて加速して引き離されてい
きながらうなじを、肩を、背中を目にして、今までに見た櫛枝実乃梨の姿の記憶の中でも、不
思議なことにそれは最も華奢に最も薄く、伸びやかに映った。

 文字通り後塵を拝し、再び背中を見る。それは一歩ごと遠ざかっていくけれど、置いて行か
れる印象は少しもなかった。たぶん櫛枝は、自分の一番美しい姿を見せてくれたんだな……と
思った。
 あとでみんなとこの走りの回想を語りあって二度楽しむことになるだろう。でもこの印象を
うまく伝えられるか分からない。俺の言語能力では「くっさあ♪」と言われるかもしれない。
 恥ずかしいし、櫛枝もそうかもしれない、でもきっと話してしまうし伝えずにはいられない
だろう。――あんときお前は(もしくは櫛枝は)すっげえカッコよかった!……ってちょっとオ
ブラートには包んでな。

 話しながら竜児はふと、亜美もそんなふうに現在の自分を見せてくれたんだと気づく。なか
なかあいつらも回りくどいと思う一方で、やっぱり“らしい”と思う。

 そして傍らの、毎日新しい顔を見せてくれる仏頂面に話の締めを。

 いちばん急な区間を登り終わって最後の信号のとこはちょうど青になっていてよ?そのまん
ま渡り切って左側の坂へ……あ!あそこだわ間違えたの!一瞬ぼーっとしていて!……おう、
その前のY字な別れ道が連続してる辺りの方が迷い易そうに思ったのが誤算だったな。
 そんな有様でさ。間を空けずに追いついた後ろと揃ってラストスパートして、死んだふりし
てた川嶋に抜かれて、北村が本格的にバテてと。まあこういうわけさ。



「走ってみて初めて分かることがいくつもあるもんだと思ったな」
「なにうっとりと語ってんのよ『そして俺は恋に落ちた』みたいなコトを」
「違う違う。恋愛より出くわすのがレアだあれは。マジで見られたっていう感動さ」
「そ、そう?……怪しいけど、まあ」
「これっぽっちも怪しくねえ」

 睨みつけてくる大河の顔を見てこれで大丈夫と竜児は判断した。「お前がいるんだから」と
つむじをくしゃくしゃ揉んで、この辺で矛を収めてくれと打診する。

「ま、まあ別にどうでもいいけど……そんなこと」

 目を泳がせて感情の持って行き場を探っている。からかわれているのでも、誤魔化されるの
でもないと知れば、ちゃあんと腰を据えて受け止める。竜児からしたって、そもそも本当に思
ったことで隠すつもりもないし、実は誰よりもまず大河に聞いてほしかった。

「……分かるけど……なによ!お、お女のケツ追っかけて」
「……お前がトップ引きだからみんなして女の尻追っかけてたよ?あんまり怒んなよ」
「怒ってなんかないわよっ!」
「そうか。じゃ北村も待ちぼうけてるだろうし、合流してダラダラしようぜ?」
「指図すんなっ、分かってるぉいっっっ!」

 怒ってる怒ってる。どうやらストレスをすり替えるのにはひとまず成功したようだ。澱のよ
うに溜まり続ける自責の念より、吐き出せるこっちの方がずーっといい。そう言えば、飯田線
の中で服を脱ぐのに強い抵抗感を示したように、こういう我慢強いところもお嬢様的なのかも
しれねえと考えてる隙に……。

 ばかぁっっ!!

 怒鳴るなり鳩尾にわりとハードな頭突きを入れられて。ウッと息をつまらせながら、ずっと
いいのは、それでも変わらねえと竜児はやせがまん。こんなのはごくごく軽い方、これでお終
いっていう挨拶みたいなもんだろ?……ごほっ!


 もう惰性となったぷんすか気分だけ残す大河の肩をぽんぽん叩いて促し、引き連れて歩き出
した。駅の西側に戻ってみれば北村が縁石に腰掛けて携帯を弄っているところで、二人の姿を
見つけるとデジカメを向けた後おおいと手を振り、大河も愛想よく振り返して駈け寄る。そこ
をもう一枚、パシャっと。

「ごめんごめん、道間違えちゃってたよ」
「おお、そうか。でもすぐ合流できて良かったな」

 ついさっき亜美から連絡があって、逢坂が踏切のとこにいるって聞いたばかりだ。……お、
そうだったか?竜児はポケットから自分の携帯を出してみると確かに着信していた。それで思
い出して預かっていた携帯を大河に返しながら、先行した真・毒殺同盟の行動予定を訊く。

「そんであいつらどうするって北村?降りる駅で待ってるって?」
「いや、暑いし退屈そうだから先にホテルにチェックインしてるそうだ」

 荷物は全部持ってってやるってすごく恩着せられたぞ?と哀れなほどバテていた筋肉男もす
っかり回復したような普段通りの笑みでなによりだ。



「……俺のバッグ重いぞ?大河のドライヤーも入ってるし……強力伝だな」
「櫛枝が担いでみて『うん、楽勝』って言ったそうだ」
「そいつはすげえ……」
「すごいね……」
「な?すげえって言ったろ?」
「……微妙にニュアンスは違う気がするけどすごいものはすごい」

「部活では用具担ぎがあるからな。まあ駅に着けば送迎もしてくれるから大したことはないだろう」
「あ!そうか。それなら安心だね」

 そういえば北村くんが最下位だったって?……ああ、高松の信号渡ってしばらく行ってから
バテたんだ。……こんなに筋肉付けたのにね。……その運動に関係しないでただ付いてる筋肉
はただの錘りだよ逢坂。これは走る役には立たん。……ふーんそういうものなんだ。

「そうだな、10キロ担いで走ってたみたいなもんだ」

 次の電車が何分後か見てくる、と竜児がホームの時刻表を見に行った。北村はおう頼むと返
して大河との話に戻る。

「おまえが速くてバテにくいのも、そういうわけだ。軽くて筋肉のバランスが優れているからだ」
「へへ……そうなの?」
「ただ代わりに燃料をそうは積めない。きっと一旦バテたらその場で倒れこむだろうな」

「……そっか。ねえ北村くん、竜児からなんか訊いてる?そんなような話」
「そういう話って、バテの話か?……聞いてないが、最近そんな事があったのか」
「最近じゃないけど。でもバテたときはチャーハンが効くよ?もう即効」
「ほう?まあ炭水化物ではあるが。ただもっと消化吸収がいいものはあるし糖が一番速いぞ?」
「ふふふ。私にはね、チャーハンが効くの。内緒だけどね」
「お、そうか。意外だけど、うん。それはなんだかおまえらしい!はっはははっ!」

「大河ぁ、北村ぁ……見たら40分近く後だったぞー」
「そうか、日は照ったりかげったりだし風もあるからそのくらいはしのげるな?」

 ゴトン。ぷしっ。

「おう、あんまり暑かったらホームの日陰に入ればいい。喫茶店とか見当たらないし」
「あ、でも逢坂は平気かな?走った後だしこたえるんじゃないのか?」
「聞いてみよう、おい大河?」

「ん?」

 大河は自販機で缶PAKURIを買って、ごきゅごきゅ飲みながら戻って来た。まあ大汗か
いて大泣きしたから喉が渇いていたのだろう。

「北村が暑くてつらくねえかって」
「んんーんー」

 ものぐさにも程があった。缶の飲み口を咥えたままで頭を振ったら、中でポチャンとはねた
PAKURIが鼻に入ってむせている。

「ばかだなあ」
「うっさい……のむ?」
「おおすまんな、逢坂」



 どっちに勧めたのか、ちょうど男子組の間に差し出した缶をひょいと北村が取って飲もうと
するのを、流れるような動作で竜児が奪ってひとくち、クイっと。
 そうしておいて微妙に固まっている北村の手に缶を戻す。

「ほれ」
「あ、ああ、済まんな高須、気が回らなくて……いかんいかん俺。ははっ、んくっんくっ」

 ずうずうしく結構な量を飲んでから、ありがとう逢坂と告げて返そうとする。

 しぇぃっ。変な掛け声で、また竜児が横からその缶をかっさらい、またひとくち付けて大河
に戻した。笑うでなく渋面でもなく、終始無表情。

「あ、また済まん。わざとじゃないぞ高須?」
「わ分かってる咄嗟ってやつだ気にするな俺が勝手にしてるだけだほっとけ」
「…………」

 ん、と竜児からぶっきら棒に返された残り僅かなPAKURI缶を両手で受け取った大河は
びみょーな上目づかいでこく……と飲みほしてから、自販機横の空き缶入れに往復。背を向け
て佇む竜児の前に回り込んで、下から覗きあげて、

「あんたさ、いい齢して間接「うっ、うるさいっ。いいっその話題はいいっ!」
「…………」
「…………」

 ツッコんでみたら、竜児にしては珍しく乱暴な言葉づかいで遮られた。大河がよくよく顔を
見てみれば、中学生じゃあるまいし……もう……。日焼けではないのだった。
 
 そこで退かずに追いまわしてじーっと顔を見てやろうとする自分も輪を掛けて大人げないと
は思わないところがいかにも大河的と言うべきだろうが、犬同士が喧嘩する前にぐるぐる互い
の周りを威嚇し合っているようにも見えるのは少々みっともない。
 そんな風に少し離れている北村に見られているのだろうかと思うとなかなかに味わい深い恥
ずかしさで、竜児が平静を取り戻すのには少々かかった。やっと大河のツッコミに対する心の
備えも得てから何だよと向けてみる。

「……じゃあ直接の単語は勘弁してやるけど」
「……おう」
「あんた北村くんとしたよ?」

「あっ」
「2回も」

 わたしの立場どうなるんだろー?北村くんと竜児、今夜はふたりっきり。ああ不安♪

「……言ってろ」
「くふっ♪」

 可笑しそうな様子になったのを見て、お?期せずして怒りもどっか飛んでったな。というこ
とにも竜児はめざとく。なんだかいい仕事を完遂したような気分になった。

 亜美に先着することだけに専念していれば勝負の行方は分からなかったが、時間を戻してや
り直したいなどとは思わず、走って良かった、面白かったと思う。でも大河の方はどうだった
ろう?レース展開で離れてしまってからは注意も届かなくて、独りで先に行ってつまんない思
いだけ味わってはいなかったろうか。
 機嫌も直ったことだし、この際きいてみる。大河?



「なに?」
「お前は走ってて面白かったか?」
「うん。古くさい言い方だけど……スカッとはした」

 スポーツなんて格闘の他に興味なかったけどさ、独りで死ぬ気になってまで走るっていうの、
なかなか良かった。ただねぇ?うーん。どうした?小難しい顔して。

「迷ったときの多重ドジが酷過ぎてもう……巧く生きていけんのかなってあらためて思ったね」
「何だ?なぁぁぁんだぁ。そんなことで不機嫌さんだったのかよ」
「なんだはないわ。軽〜く深刻な問題よ」
「どっちだよ?まあそのやらかしはあとでじっくり聞かせてもらおう」
「うん……笑い飛ばしてもらいたい」
「笑ったりしねえ。本当に深刻かどうか真面目に敗因を考えるんだよ」

 お?と見上げる大河に、竜児は鬼の首でも取ったように他人には映りそうな、でも心からの
笑顔で告げる。それぞれ単独で挑戦したのは間違いだったかもしれねえ、でも得るところ大で
良かったかもしれねえ。

「まあいっしょに迷えばアホも利口もないもんだがな?」

 聞いてないようで一言も漏らさずに聞いていた北村が腕組みで、うん、と頷いた。


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