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「じゃ……じゃあ実乃梨ちゃん、いくよ……?」
「うん。……おっけー心の準備はできた。でもそっと……そっとね?」
「ふふ。心配ないよ、優しくするから……ね?」

 ちゅぅぅぅぅ。

「いやー、ポンプタイプってのは割安だけどすぐ詰まるのが困りモノですな〜あーみん」
「ほんとほんと。一刻も早くシャワーしたくて自前のを部屋に置いてきちゃったからしょうがないけどね」

 女湯の洗い場。ひと足早くチェックインを済ませた亜美と実乃梨は部屋に荷物を置くが早い
か浴衣と着替えを持って大浴場へとダッシュ。
 かっぽーん♪二人のほかに入浴中の客はおらず、貸切状態の大浴場なのにせせこましく隣同
士のカランに並び、湯おけを置く音をクチで言ってみたり。

「ぱっぱと汗流してお湯につかろうぜーっ。ヘイ!ハリィハリィ〜〜♪」
「髪も洗うしそんな急かさないでよ。先に浸かってりゃいーじゃん」

 カラスの行水でソッコー上から下まで洗い終えた実乃梨が泡だらけの頭で答える亜美の足元
をシャワーで流しながら居座っている。

「しかしあーみんも顔売れたもんだよねえ?」
「偶々よ、たまたま」


 大河があっさり見つかったーと連絡を受けて、あれから1時間ほど飯田線に乗って、今夜の
宿の最寄り駅に降り立ったのが午後4時前だった。手分けしてみんなの荷物を下ろして駅前ロ
ータリーに出てみると、すぐ正面に亜美が手配した送迎車が待っていてくれた。
 荷物を積み込んでいると運転のお兄さんに5名様では?と訊かれ、幹事の亜美がどう言い繕
うのかなと楽しみにしていると、意外にも下山ダッシュで3人脱落しましたあ♪と正直に答え
て、かなり受けていた。


 今夜泊まるホテルは三階建てのロッジ風な外観がきれいな建物で、玄関ホールが吹き抜けで
広く、高原リゾートの雰囲気を醸し出す調度が置かれたゆったりとしたロビーにひとつながり
となっていて、その一角にバーカウンターのような木造りのフロントがあった。
 ここでも亜美は正直に事情を説明して、3人が1時間ほど後に到着するからまとめてチェッ
クインさせてもらえないか交渉して、ふた部屋ぶん手続を済ました。ただ、お連れ様にはフロ
ントに立ち寄っていただけるようお伝えくださいということだった。

 そんなこんなをロビーで硬めのソファに腰掛けて待っていた実乃梨は、亜美の芸能人らしい
顔パスを初めて目の当たりにしたのだ。

「あの……川嶋様?」
「はい」
「ぶしつけではございますが……『湯けむりちゃんねる』の川嶋亜美様でいらっしゃいますか?」
「うふふふ……こちらではご覧いただいてますよね……はい、そうです」
「そうされますと、当地へは下見かなにかで?」

 いえ、友人とプライベートでと蝶ネクタイがピシっと決まっている初老のフロントマンに答
えようとして唇の端がついっと動いたのが実乃梨には確認できた。その後、今回は別の下山ダ
ッシュという企画なこと、後から来る3人がキャスト二人とスタッフなこと、と口から出まか
せも交えて伝える。

「『大橋剣友会』の高須竜児と『タイガープロモーション』の逢坂大河っていう新人で、あと
 『スタジオ狩野』でキャメラやってる北村って筋肉男ですね」

 思わず実乃梨が吹いたら、フロント氏にちらっと見られる。あ、きっとあたしジャーマネか
ヘアメイクかスタイリストあたりに思われてる?

「左様でございましたか。では撮影などはされませんね?」
「ええ、個人的なスナップくらいで。ほとんどプライベートと変わりません」
「でしたらそのようにお世話させていただきます。……あの、ご迷惑かとは存じますが」
「あ、はい。いいですよ。何枚書きましょう?」
「もし宜しかったら弊社に一枚、あと個人的に一枚頂けたら嬉しいのですが……」
「あら、ご年配の方に個人的って言われるのは嬉しいですね♪ありがとうございます」
「来年中学なのですけど、孫娘がファンなのですよ。御出立までで結構ですから、まずお部屋でお寛ぎくだされば」
「うふ。うっかり忘れたりするといけませんから今こちらで書きます」

 色紙を2枚持って実乃梨の向かいに座り、サラサラっとサイン。日付と、ホテル名と女の子
の名前を宛名にして、隅に簡単に、しっぽを振ってるかわいい子犬のイラスト。

「ありがとうございました。お夕食は6時半からとなります。ごゆっくりして下さい」

 フロント氏、ふたりにカードキーを丁寧に手渡して満面の営業スマイル。

「はい、お世話になります」
「お世話になりまーす」


「いやぁ〜、アレでいきなり待遇良くなった気がするぜ?女子部屋を広い方に代えてくれたもん」
「男子部屋と隣同士じゃなくなっちゃったけどね」

 右肩左肩と、実乃梨は少々冷えたのか湯おけに汲んでざばざばかけ湯。それに今夜はおフロ
だけでなく泊まりもほとんど貸切なんだって?ゆりちゃんのせいだよなー……ほんとね。あた
しらの他は老人会のグループひとつだけだって。荷物運んでくれた係の人に“お客様より従業
員の方が多いです”って言われ……ちょっとぉっ!なにやってんのっ!



「おっかしいなあ、泡切れ悪いと思ったよっ。もーっ、こどもじゃないんだからさっ」

 長い髪をすすぎで流している上から、実乃梨がシャンプーを取ってはかけ取ってはかけてい
たのだった。……あーもー、リンスやり直しじゃんっ!……ふっ、ふはははははは!

「あーみんよ……この試練は友達とおフロ入れば必ず受けるのだよ……」

 言うなり実乃梨は広い湯船にざばぁんと飛び込んだ。高い天井によく響く声で、あとで大河
にもやってやろうぜー?と笑いながら、他に誰もいないのをいい事に泳ぎはじめた。

 再度の髪すすぎを終え、くるくるっと丸めて留めた亜美がやってきて、脚だけとぷんと浸け
ながら声をかける。ねえ?露天行かないの?せっかくだからその方が良くね?……おお?そう
じゃった!露天じゃよ!ザバァ!前も隠さず仁王立ち……。


 脱衣所に一旦戻って、専用の湯衣を羽織る、というよりかぶる。タオルと同じくパイル地で
そこそこ厚手、濃い色合いだから濡れても透けたり貼りついたりの気づかいはいらないかわり
に、肩ひものないムームーみたいなデザインでいかにもあか抜けないが、さすがに全裸で混浴
露天に入る漢気まではふたりともなかった。

 内湯から外へつながるガラス戸を押して出れば、露天の方はにごり湯で、周囲に岩をごろご
ろ置いたよくある深山幽谷ふう。簡単に言うと目隠しの竹垣にぐるりと覆われて屋根を切り取
った竹造りの小屋のなかに設えた岩風呂といった感じだった。
 景色を眺めながらというわけにはいかなかったけれど、内湯から出るなりまるみえにはなら
ないよう隣の男湯との境に同じ竹垣の仕切りがあって、奥のほう半分ほどの混浴露天部分から
は、まだ高い日差しが差し込んでキラキラ光を反射させていた。誰も入っていない。

 ちゃぷ……。ふたりは腿くらいの湯に踏みこんで、仕切りの端くらいまで進む。干渉しあっ
た波紋がさざ波をつくる。

「うーん。微妙と言えば微妙、安心と言えば安心だ」
「混浴露天といってもこんなもんよ。本格的なとこだとまず脱衣所から共用よ?」
「さすがにそれは……水着着こんでいかねえと無理。あ、それも『湯けむりちゃんねる』体験?」
「うん。先月は忙しかったぁ。行楽シーズン前にあっちこっちで撮り貯め。ふやけそう」

 温泉とグルメに特化したCATV局である『湯けむりちゃんねる』で、亜美はこの春からある番
組のキャスターを務めていた。“元少女モデルが女子大生になって解禁”などと扇情的な見出
しで小さく記事になったのを実乃梨は覚えているが、実際にはいろんな温泉地でお湯と料理と
レジャーを紹介する普通の旅番組で、以前からのファン層であったティーン女子に加えお父さ
んお母さん、じっちゃんばっちゃん方にも人気を伸ばしているところだ。

「別にモデル引退なんて言った覚えもないんだけどね〜。でもまあそっちは若い子がいっぱいいるし」
「若い子って……あーみんだって若いじゃん」
「このぐらいになれば選抜厳しいよこの業界。次なにやるにしても地道に露出はしとかないとね」

 ママからは若いうちに温泉キャスターなんて『手垢』が付いちゃって損よって言われたけど、
スタッフさんと息があっててやりがいあるよ?プロデューサーさんからタイアップ感をできる
だけ減らして、旅好き亜美ちゃんぽさを出したいって力説されてなんだか俄然やる気になっち
ゃったのよね。

「まあ、撮りは行楽シーズン前にまとめてだからほとんど季節労働者〜♪」
「ときどき見てるけど、素を知ってるあたしからしたら『やらされ感』もちょっとあるね」
「あ、ほんと?いけないなぁ。『ちい散歩』見てもっと勉強しなきゃ」

 掌をかさねてうう〜んきもちいい〜と伸びる亜美。湯衣から胸の谷間が現れて……リアクシ
ョン芸って難しいっ……うん、それはまじっぽい♪……だっていいお湯じゃん?ここ。



「うん……ところでポロリは……あるのかい?」
「やあねえ。……ここだけの話、毎回のようにあるわよ。NGだけど♪」
「りゅ、流出とかこわくない?」
「そこは信頼だよ。ちゃんと気を使ってもらってるから、その分がんばらないと」

 それより実乃梨ちゃんの方はどうなの?ホントは忙しいのに無理して来たんじゃない?

「へへっ♪……合宿終わって自主練だけっていうのはまじさ。お察し下さいってとこかな」
「あ……レギュラー、もれちゃった?」
「うん、レベル高いや」

 体力も気力も毎日バカみたいに練習すれば積み重なるもんだけどさ?気力は油断するとすぐ
落ちる。そっちがね、今は課題なの。

「ふぅぅぅ〜ん?……で、取り戻せたかなっ?」
「お、突っ込んでくるじゃねえか。……けっこう来たぜ?オイラには」
「ふふふっ♪やっぱりホレ直してんじゃねーの?あっぶなーい」
「またぁ。そんなんじゃないって。……約束、思い出せたんだ。それだけ」

「約束……ね。うん。良かったんじゃない?」
「またまたぁ〜。お見通しだぜ?煽り入れて大河と高須くん引き離したろあーみん?」
「さ〜〜?なんのこと〜〜ぉ?」

 そらっとぼける亜美をにやけ顔でぷにっぷにっと肘でつついて、実乃梨は急に真顔。

「あたしの方は……ごちでした、ありがとね、だけどさ……大河と高須くん……」
「ほんと心配だよー?喧嘩とかになってないとい〜よねえー♪」
「お?心配ないって思う?」
「だぁってぇ〜〜♪」

 また背をそらしてひと伸び。うんっ、と伸びきってチワワ笑顔を向ける。

「ときどき独りになってみるの、いいんじゃない?」
「うーんそうかー。ま、あとで様子見てまずかったらフォロー入れてやろう……お?」

 あーみんさんや、ヤツが入って来ましたぜ?
 見ると内湯の方にすっぽんぽんの大河が(当たり前)入ってきてきょろきょろしていた。どう
やらふたりと同様、着くなりタッチ&ゴーで大浴場まで駈け下りてきたらしい。
 手近のカランに陣取ってざばざばお湯をかけ、こちこち顔を洗うとすっくと立ち上がり手は
腰に。その割には意外なほど楚々とした動作でお湯に浸かって、ぷぃーなんて言ってる。

「あらほんと。なんかすっげえ満足そう。あ、泳ぎ出した。こっち気づかないのかな」
「じゃあ、いっちょー」

 ぎらり。実乃梨の目が光った。

「……丸洗いしてやりにいくかい?」
「行こう、行こ行こ。うう〜んっ♪バスルームより愛を込めて〜♪」

「たぁ〜〜いぃ〜〜があ〜〜〜〜ぁ〜」
「きゃっ!ああなんだみのりん、いたの?うわ、なにその南の島コス?」
「なんだ、泳いでるのかと思ったら浅いのいいことに這ってたね?見〜栄っぱりぃ〜」
「いぃいいいいい……いいじゃないっばかちっ」
「流しただけでからだ洗う前に浸かってしまうのはマナー違反だぜ大河?」
「う……貸切状態だったんで……早く浸かりたくて、つい……」



 へぇっへっへっへっ……実乃梨は湯船の端にしゃがみ込み、手を差し伸べる。

「お嬢さん、おせなを流しやしょう〜〜」
「ええっ!?いいっ。いいってばっ」
「じゃーあたしらもう上がっちゃうよー?浸かってるとのぼせちゃうしぃー」

「えっ、そんな。待っててよ。こんな広いのにさみしいじゃんっ」
「だあってぇー、その辺に座ってるのもやることなくて退屈だしねー」
「というわけでオイラたちにひまつぶしを提供したらいっしょに露天浸かり直してやろう。な?」

 むーんと小難しい顔で考え込む大河をみて、自分たちふたりはもう裸の付き合いに慣れが生
まれていたけど、いま脱いだばかりではいくら仲が良いといっても恥ずかしい方が先に立つか
なと思った実乃梨は方針を変える。

「ところで大河、高須くんとはケンカしたかい?」

 直球。

「え?竜児と?え?ケンカ?……えと……」

 湯に浸かったばかりというのに、ぷんすかモードで深く考えていなかった間接キッス事件を
否応なく思い出させられて、大河はじわじわ全身を染めていく。……そういえば……あんな分
かり易くやきもち焼かれるって……ありそうで……なかった……しぃぇぇぇっ?!

(ゆ、茹でダコ……!)
(なにかあったの……ね?)

 想定外の反応に、思わず目を見合わせる実乃梨と亜美。押してはいけないスイッチを心ならず
も押してしまってこの先その報いを自分たちが受けるはめになるのではないか。あまり意識して
はいなかったが、何と言っても5人グループの中に相思相愛がひとカップルいるのは紛れもない
事実なのだから。

 とはいえ、いちゃいちゃごときにびびってるような乙女なときは、もう卒業したのだ。

「タイガー少なくとも今日はあたしの賞品でしょ?はい、言うこときく」
「む?……うー……分かった。でもくすぐるのなしでっ。ぜったいなしっ!」
「うん、わかったよ大河」

 誠実そうな言葉と違って、両手をワキワキさせながら優しーい、貼り付いた笑顔。……ばか
っぷるめ、どっからでもかかってこいやぁ。……そうね、つるっつるに磨き上げて先に、徹底
的に陵辱しまくってやらないとね?みのりちゃん!

 その手っ!みのりんその手っっ!!ばかちー、なんだその目!!
 わっせろーいっっ。脇下に突っ込まれた手で、茹であがった少女はお湯から勢いよく引き揚
げられ……そして……。

 キャ〜〜!!!!


――つづくっ!

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