8

「あー。いい湯だあ。なあ高須」
「おう〜」

 ところ変わってこちらは男湯。壁の向こうでこだましている嬌声はここまで聞こえてこなく、
竜児と北村が内湯にのんびりと浸かっていた。
 向こうが露天になってるなあ〜。……おう〜。……備え付けのタオルで隠しながら入っても
いいのかなあ〜。……湯衣が別にあるってことはタオルを湯に浸けたらマズイんだろ〜……そ
うかあ〜では裸(ラ)で行くか〜?……それもな〜。

「少ないとはいえ他にも客がいるんだし、マナーとして裸は避けようぜ」

 こちらには年配の男性客が他に2名、微妙に縄張りっぽい距離をそれぞれに置いて気分よさ
そうに浸かっていた。あちらのグループにもご婦人方がいれば同じように入浴している可能性
も充分にある。

「うむ。では決まった。前を隠すアイテムを入手しに行こう」
「おう、引き戸のすぐ脇にあったな」


「うーむ。でか目のバスタオルを巻くのとあんまり変わらんな?」
「そうだな。ただいちおうゴムが入ってるから腰ミノ感がすごくする」

 なるほど。北村はくいくい腰を左右に振って変な手つきをしてみる。

「高須、腰ミノといえばあれだ『めーっちゃくちゃ調子がいいですぞー!』」
「おう!キタキタおやじ。読んだ読んだ小坊のころ!そうそうそんな感じ!」
「おやじ、流行っててなあ?」
「俺の方じゃ『カッコいいポーズ』が一時流行ってた。黒子の役が手足持って持ち上げて、プルプルしてたの見た」
「はっはは!やったやった!……おお、なかなか雰囲気のいい露天ではないか」

 男子組は戸を押して露天風呂に出た。ステンレスの手すりを伝って段々を降り、内湯より少
しぬるいにごり湯に身体を沈める。やはり先刻の亜美や実乃梨同様、女湯との境にある間仕切
りより奥へは行きにくい。

 着衣入浴だから別に気にする必要もないのだろうが、なんとなくの抵抗感はあって、女子た
ちが今どこにいるか確認もせず降りてきてしまったから、鉢合わせしては悪いかもしれないと、
二人ともそれなりに考えてしまう。

「女湯というと覗いてウヒヒみたいなイメージがあるけど、いざ自分がとなるとそんな気起きねえな」
「そうだな。考えてみると不思議なものだ」

 曇ってしまった眼鏡を北村は外して手近な岩の上に置き、湯の中で楽な姿勢をとる。お、見
えにくくなってみると覗きの虫がけっこう元気になるな?こりゃまた面妖。……自分が見えに
くいからって向こうからも見えないと思うなよー?……うむ。覗き道と云ふは潜むことと見つ
けたり、か。……葉隠かよ。
 かけ流しの湯口にすーーっと這い寄って行って、掬って顔にぱしゃぱしゃ掛けては、うーむ
しょっぱいと感想。同じく掬ってみると竜児にはかなりの苦みも感じられた。



「なあ、高須……」
「おう。なんでも聞くし、思ったことを言うぞ?」

 北村は端正な顔に鎮座する丸い目をさらに丸くして竜児を見た。あまりにも反応が早くて少
し驚いたのかもしれない。でも、竜児からしたら北村が悩みをかかえていることは昼前からお
見通しだった。

「うん……ありがとう。いろいろ遠いって話だ」
「ああ」
「俺たちの世代が物心ついたときには既にあったスペースシャトル計画が終わってしまった」
「次世代はコンステレーション計画のはずだったがな……」
「計画の遅れと、予算でな。打ち切られた」

 竜児も興味があって気にはしていた。最大11名の乗員を乗せるスペースシャトルのオービ
ターから、4名までとなるコンステレーション計画のオライオン宇宙機に移行となれば、そも
そも入学を目指す大学の定員がいきなり3分の1に減るようなものだ。
 もちろん狩野すみれが目指した時点で既にそうした予測はあった。夢をかなえるには大幅に
困難となる時代へ進んで行くが、ゼロになるわけではない。北村もそうした諸々を呑みこんで
行く道を決断したこととも知っていた。
 しかし計画そのものが無くなってしまっては……。

「宇宙飛行士の需要そのものがゼロになったわけじゃないといってもな」

 ルーティンミッションとしてはISS(国際宇宙ステーション)との往還が依然としてあるが、
……有人宇宙飛行に関わるという夢は急に、極端にな、困難になってしまった。

 とつとつと話す北村に、でも竜児は落胆めいたものをやはり感じなかった。ひるま飯田線の
中で漏らしたように、気を落とすまでは至っていないようなのだ。それは走り出したばかりで、
まだ全容にかじりついていないひよっ子ゆえ持ち得る向こうっ気のようなものがあるのかもし
れない。困難さで言ったら比べものにならないかもしれないが、自分と同じように。

「だが諦めたわけじゃねえんだろ?」
「俺……のことより会長だな」
「……まだ会長って呼んでんのか?おっと済まねえ、話ぶった切って」

 ぱしゃぱしゃ湯で顔を洗う。いけねえ、これじゃただの野次馬だ。

「ああ、気にするな。会長にも言われた。でもこれは俺のけじめで大事なことなんだ」
「並んだと思えるまで、か」
「そうだ。……会長は俺より1年以上先行して、それだけ絶望と戦ってきたんだなって」
「もしかして失望……しちまったのか?」
「ん?失望?……なんでだ?」

「お、おう。会長が絶望して、お前と暮らそうって言って……ってなると」

 それを総合すると、目指す道を諦めた会長を目の当たりにして……って流れかと思ったんだ
が?……あ、ああそうか、話しの順番からいうとそう聞こえてもおかしくはなかったな。そう
じゃない。

「会長は戦い続けているってことだよ、高須」



 まあ勝ってるとは言えない。0勝20分けっていう感じかな?あと、俺の方がそれに畏敬の
念を抱きすぎて絶望してるとか、そんなことでもないぞ?卵のカラをケツに付けてピヨピヨ後
をついていたのは最初のだけであとは後発なりにしっかり追いかけてる自負はあるッ。

 暑苦しく拳を振り上げた北村が目の前でザバッと立ち上がった。真剣な話の途中で悪いが、
正直なところ、腰ミノ着用で本当に良かったと竜児は心の底から思っていた。湯に浸かってい
るのにこれは冷や汗だろうか?

 そのとき女湯の方が騒がしくなって、露天の方に客が出てきたようだった。声に聞きおぼえ
があって、竜児も北村も今の話は保留にしようと目で合図。

「わー。いいじゃんいいじゃんばかちー?夜になったら雰囲気よさそう」
「あんた湯衣のすそ引きずってるよ。踏んでころぶんじゃないよ?」
「ほーらこっちおいでー大河ーすりすりすりすり」
「ほ、頬ずりはもういいからー」

 3人いっしょか。驚かすといけねえし、こっちも入ってるって知らせとくか?……そうだな
高須。着衣入浴とはいえ李下に冠は正さずの一手だ。……じじむさい言い回しだな。

「おーいおまえたちー」

「あら北村くんだ。そっちも入ってたのかーい?」
「おーう。高須もいるし、他のお客さんも出てくるかもしれないからなー」
「わかったー」
「高須くーん」
「おうー、なんだ川嶋ー」
「あがったらいっしょにPAKURI飲もー?」
「…………」

 そのままで、しばらくお察し下さい。

「ま、まあどうせ着衣だから気楽だね。そうだ、せっかくだからの、覗きに行ってもいーい?」
「だ、大胆だな逢坂。……高須があんなふうに改造したのか?」
「さらっとすげえこと言うなよ……やめとけ大河ー、なんかドジの予想がついたぞー」

「ドジだって。ひどくない?」
「いや、あたしもタイガーのやらかすドジは鮮やかすぎるほど予想ついたね」
「うん、あれね。見えるとこまで歩いて行ってら……ストーンっっ」
「そんなわけないじゃないみのりん。漫画やアニメじゃあるまいし」

 ちゃぱぁ。ほーら露天には湯気なんてそうそう立ちこめたりしないものよ?

 じゃぶ、じゃぶ、じゃぶと歩いてくる水音が聞こえて、大河は竹垣の端からぬっと。へっへ
へへー。内湯でもうのぼせ気味なのかなといった色づきで、にやけ顔だけ突き出した。

「念のため聞いとくけど水着かー?」
「ううん。ムームーだから色気ほとんどなし。ほらーばかちーもみのりんもおいでよ」
「やーだよ。こっぱずかしいじゃん?」
「あーみんの場合は色気レスだから見せたくないんだよなー」

「なんだ、つまんない。じゃー私だけで潜入レポートしますっ!」


 一旦顔を引っ込めると、大河は肩まで浸かってすすすと国境を突破してくる。へへへへへ、
はいっちゃった。男湯。

「おう?分かったぞ?それでザバっと立ち上がると湯衣がストっと落ちるってオチだ」
「けっこうきついゴムだからそれもないよ。ではチャレンジしてみましょう」

 大河は勢いよく、ふぬっっ!立ち上がる。ザッパァァンッ!竜児の予想通り、大河の細い身
体にはぶかぶかすぎたのだろう、湯衣がするっと脱げ落ちる。

「あ、やっぱりか。うんおぼえた!何事も実証主義!」
「気はすんだかー」
「実はー。下に水着を着ていたのでありましたー」
「見れば分かる。ってか荷物に入ってたの知ってるし俺」
「女の荷物の中身を検分するなんてけしからんエロ犬だわね」
「どうしてもうまく収まらないから詰めてって言ったの誰だー?」
「へへへへへ……明日また詰めてよね」

 腕組みで眺めていた北村が嬉しそうに口をはさむ。

「せっかく逢坂の水着なのにおれはまたぼやーっとしか見られなくてちょっと惜しいな」
「あっそうか。眼鏡……は、曇っちゃってるんだね。うん、いずれ……機会があったら」

 湯衣を引き上げてまとうと、また肩まで沈み、来た時と同じようにすすすすと女湯に戻って
いく大河を竜児は見送った。
 もうすっかり楽しそうでよかったな。う……ん……っと湯の中で身体を伸ばす。疲れた腿や
背中が溶けていくようで、こめかみを伝わり落ちる汗も心地いい。

 ――はしゃいでいるうちにちょっとずつ恥ずかしくなってきたってところか

 寄り添って浸かりてえ……とちょっとだけ思い、ま、そんなわけにもいかねえだろとのんび
り打ち消して、竜児はざばざば湯をかぶる。


――つづくっ!

--> Next...




作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system