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 1階の大浴場は高原リゾートなロビーとは別棟のようで、男子組が風呂から出てくると入れ
替わりにぞろぞろと日帰り入浴客がやってきた。夕方からはおそらく地元の客で賑わうのだろ
うと二人で話した。混み合う隙間に入れたのは運が良かったな、高須。……おう、ほんとだな。

 浴場を出たはす向かいに小上がりの広間が休憩所となっていて、その隣にはお土産などの売
店や飲み物の自販機も。マッサージチェアや卓球台もこの一角に置かれていた。

「夕食までまだ間がある。ひと勝負いかんか?」
「おういいな。道具は……売店で借りられるみたいだ」

 カッ、コッ、カッ、コッ、カコッ、すかっ!

「いかんいかん。油断した」
「その大胸筋が腕の可動域を狭めてるな北村。バック側に隙ありありだ」
「おおそうかもしれん。じゃああまり開かずに……と」

 カッ、コッ、カッ、コッ、カコッ、カコッ、カコッ、すかっ!

「うん。だいぶいい。ただやっぱり重そうだな?お前はもっと俊敏に動けたはずだが」
「ちょっと慣れればなんとかなるさ。少しラリーさせてもらえるか?」
「おう」

 カコカコ練習をしているうちに、浴衣丹前に身を包んだ女子三人も浴場から出てきた。

「あ。ずるぅい。先に卓球してる!」

 女湯にも地元客が増えて鏡の前を長々占拠しづらくなったのだろう。長い髪を半乾きにした
ままの亜美と大河を見て、竜児は「俺のバッグの中に大河のドライヤーあるぞ」と言い、北村
が懐をまさぐって男子部屋のカードキーを大河に渡した。

「いいよ祐作あとで。せっかくだから卓球勝負に参加しないとね〜♪」
「また勝負かよ……ま、ノリだな」
「そうそう、ノリだぜ?」

 スリッパの片方を脱いで持ち、ぶんぶん素振りをする実乃梨も加わる。……温泉卓球公式ル
ールってーのはな?ラケットなんて軟弱なもん使っちゃだめだろー?……公式なんてあったの
か。……ま、ヘタな方が使ってよしとするかね?

「じゃー勝ち抜き5ポイントマッチで。ほら祐作どいてどいて!」
「おお、一巡して立っていた者がウイナーだな。じゃ俺は後からゆっくりと」
「俺がいちばん不利じゃないかよ」
「だって高須くん巧そうだし、ちょうどいいんじゃないの?」
「竜児はこういうチマチマしたのが得意だもんねー。ま、見ててあげる」

 参加する気はないのか、大河はマッサージチェアにすぽんと埋まると無造作にスイッチを入
れた。ごうんごうんごうんごうん、おうおわわわわ。……大河、まず肩の位置にモミモミロー
ラーを調整してからだよ、頭もんでどうすんのさ。……そうだったそうだった。

「だらけたちっちゃいのはほっといて……さ、いくよ!高須くん」
「川嶋はラケットなのか……そんじゃ」


 パシッ、カッ、パシッ、コッ、スリッパ対ラケットのハンデキャップマッチ。実乃梨と北村
はスタンバって勝負の行方を見守る。大河はローラーに背筋を伸ばされながら体重が軽いので
揉まれるというより上体ごとぶるぶる震わされているが、これはこれで心地よいのか。

「あわわわわわわわわわわわわ」

 よいらしい。

(ほんとうに揺れないなあ……)
(揺れないねえ……)

 横目で気が散る元部長ふたりの耳にも卓上の凄惨な闘いが実況され続けている。

「スマッシュ打てねえ〜〜!」
「ひきょーに打ち分けておいてっ!言えるっ!せりふ〜〜っ?ああっ!?」

 泣きコメントとはうらはら、VS亜美戦はストレートで竜児の勝ち。

「ああいうヤツっているよね〜、弱気なこと言っといてすっごくウマいの!」
「うん、うん、これは燃えてきたよーっ。はぁい、櫛枝!スリッパ申告しますっ!」
「ようし、次!高須竜児VS櫛枝実乃梨、レェディ?……お、逢坂もういいのか?」
「うん。ぐりぐり痛いし」
「切り替えスイッチが『強』のまんまだな」

 あらほんとだ……でももういいや、よく考えたらどっこも凝ってなかったし。大河は浴衣の
袖にふところ手をして腕組み、ふんっと背筋を反らせて偉そうに立つ。じゃ、こんどあたし〜
と亜美が代ってマッサージチェアに腰を下ろした。

「それじゃ仕切り直してサーブ権挑戦者側。レディ、ゴーッ!」

 パシュッ、パシュッ。今度はなかなかにいい勝負だが、やはり竜児の打ち分けに対応するの
は難しいようで、体さばきで食らいつきながらもイージーに返してしまう実乃梨の旗色が悪い。

「ふっ、みのりんと言えどやはり竜児の敵ではないようね」
「なんかコーチっぽいコメントだねタイガー。あは〜ん、きもちいい〜ん……肩こるのよねー」

 ぷるぷるぷるぷる。ちらっと見ただけで迫りくる微妙な敗北感に大河が負けそうになってい
るうちに卓上では勝敗が決していた。

「しくじったー!見栄はらずにラケット申告しとけばなんとかなったー!!」
「いや櫛枝うめえよ。スリッパ慣れさえすりゃいいとこいく」
「はっはは高須、いいとこってどこだよ。……よし次は俺!無理せずラケットで挑もう」
「おう北村、胸貸してやるからかかってこい」

 ふっ。いい気になってるようね?竜児。眉を吊り上げたまま目を伏せて微笑むコーチ然とし
た大河の様子に実乃梨は突っ込まざるを得ない。これは、いわゆる『待ち』だから。

「あー、高須くんが卓球うまいのは大河の薫陶の賜物かい?」
「まあそうよ。『おれのこえ』の上のビリヤード場でときどき稽古つけてやってる」
「ほおお?煩悩をスポーツで発散か、うん、健全だ」
「そんなんじゃないよ……」
「あらタイガー、ビリヤードやるの?今度勝負しよ。あたしうまいよ?」
「うんそうね♪……そう、ね……?」


 盛大に胸を揺らしながら誘う亜美にうっかり目をやってしまい、大河の強気がしゅーんと引
っ込んだ。いまは、なんだろう?勝てる気が少しもしなかった。

 それでも和装が似合い過ぎな若衆頭と筋肉ダルマの決着があっという間につくと、気を取り
直した大河はスリッパ片手に、どぉーれ?用心棒よろしく、ゆらぁっと乗り出した。みんなが
かかされた恥はわたしが雪いであげよう、などと恩着せがましく。

「そんなに態度デカくしてていいのかー?星は五分じゃねえか」
「スリッパと袖では条件違うの……根拠はないけど」
「ないのかよ」

 睨みあう竜虎対決。

 この休憩所で寛いで帰るのだろう。三々五々、日帰り入浴の客も上がってきて、碁を打ち始
めたり、湯上がりビールを楽しんだりし始めていた。卓球台の周りにもギャラリーが集まって
きて眺めている。いつまでも独占してはいられないだろうし、これでちょうど最後の対戦か。

「いくわよ竜児……」
「来いっ」

 大河はスリッパの幅が狭くなった土ふまず部分を持ちピンポン玉の感触をコンコン確かめて、
うん、と頷く。サマになってはいるが……そんな短く持って当てられるかな?竜児も口元に不
敵な笑みを浮かべて。

 スパッッ!!コッッ!!!

 袖の抵抗もなんのその。コンパクトに振ったサーブが竜児の背後へ抜けると同時に二の腕を
突き出して勝利の気合い。

「サァッッ!」


 日が沈みかけてそろそろ夕食どきとなった。
 一行は3階の女子部屋、2階の男子部屋に分かれて荷物の整理をしたり、身じたくを整えた
りしてから、今度はロビーの方に降りて待ち合わせた。

「あ〜〜。すっぴんで頭メチャメチャなのにいろんな人に見られたあ〜。ゆだーん」
「けっこう顔バレしてたよね、あーみん。……しかし決勝戦はありゃなかったよな」
「おう、サービス5本で終わりだもんな」
「仕方ないじゃん。ドライブかかんないスリッパじゃ苦手コース突くしか」
「ギャラリー増えたから早々に終わらしてくれたんだ。逢坂は」
「あんたが要らん気ー使わなくてもよかったのに」
「だーから。なんで私がばかちーに気ぃ使うっていうのよ。考え過ぎ」
「えーー?」

 キャッキャウフフラリーしたかったんじゃないのお?たーいがぁー?……そ、そんなの、い
つだってできるもの……わざわざ旅先でって?意ー地っぱりぃ〜♪

「じゃあさじゃあさじゃあさ!ほらあーみん、送迎の車から見えたじゃん?テニスコート!」
「あ!そうだね。明日なにするか決めてないし」

 亜美はスマホでちゃっちゃと調べた。



「町営のコートだね。道具もウェアも借りられる。このまんま予約もできる。どうする?」

 漠然と川下りかなんかすればいいと考えていたけどな、それは飯田線をかなり戻らなくちゃ
ならないし、来た道をたどって帰るのは少しつまらんなあ?

「予定どおりこの辺で遊べるならそれがいいんじゃないか、高須?」
「おう、俺も構わんが」

 竜児は大河をちらっと見やる。テニス経験者なのは知っているが、なにしろ中学時代のこと
だから、自分が知らないトラウマでも持っていたら……と思ったのだが、ふん!と微かに鼻を
鳴らして(ないない、そんなの)。

「いーよ、私も。っていうか、胸を貸してやろうじゃないの」
「あーなんかほんとにぜーんぶ体力勝負な旅ね〜?何の合宿これ?はい予約完了っと」
「そんじゃあ、いよいよ豪華なお夕食に行くとしますか……あっ!ちょっとまって、あれっ?あれっ」

 吹き抜けロビーの、柱と横木で大きな格子に組まれた背の高いガラスの遠く向こう。中央ア
ルプスに沈みゆく夕陽が雲を紅く染めていく景色を実乃梨が指差した。

「きれい。ね?竜児」
「ああ……すげえ」

 すでに影となった山の端から燃え立つようで、刻一刻と色合いを変えていくさまを数分間。
立ったまま声も無く、山影がくすんだ青紫に移るまで皆で眺めた。


 夕食の席は、畳敷きの宴会場でなく洋間のコンベンションホールをちょうど良い広さに区切
って設けてあった。
 ひと品ずつ出来たてを供してくれる会席料理がここのセールスポイントというだけあって給
仕の仲居さんがテーブルごとに控えてくれているが、たすき掛けの和服なのが少々の違和感を
誘っている。普段は宴会場に設ける席を、若者と年配の2グループしか泊まり客がいないとい
うことでこうしたのだろう。

 川嶋様御一行様と札が立ち、めいめいに本日の品書が置かれていたテーブルに着くと、仲居
さんがまずお飲み物はいかがなされますかと訊ねてくる。

 と、とりあえずビールって言っていいの?……和食はちょっと経験が……あ、実はあたしも、
レストランはそこそこ分かるけど……俺は外食そのものがほとんど経験ねえ。

「飲み物のメニューをください」

 にこっとお愛想たっぷりに大河が言うと、はいどうぞと前掛けの裏からやはり和紙のドリン
クメニューを出す仲居さん。なるほどそういう仕掛けかーと一同得心していると、

「コース料理だけど気張った作法は要らないはず。飲んで美味しいもの食べればいいんだよ」

 お嬢様の本領、ここにようやく発揮。

「そっかタイガー。お品書みると……やっぱり地酒かな?」
「そうかも。みんないい?……じゃ、くせの強くないすきっとしたあとくちの……」

 大河は仲居さんと、料理と合いそうな地酒はどれか相談してチョイス。あとほうじ茶を頼ん
だ。お待ちくださいと引っ込んだタイミングでほーーーっとため息がもれる。

「基本、おつまみっぽい料理が出ると思うよ。酢の物か和え物になったらご飯ね」


 すぐに、陶器の片口に入った酒、盃とともにガラスの小鉢に涼しげに盛られた先付が運ばれ
てきた。ひし型のごま豆腐に茹でた瓜が添えられてダシに浮いている。見た目を楽しんで、そ
のまま味わって、お酒と合わせてまた楽しむという食事が始まった。

 竜児はなんだか味見だけみたいなコースだなと思いながらも、こういう出し方もあるのかと
感心していた。

 椀物、お造り、焼き物、煮物か蒸し物と頃合いを見計らっては運ばれる料理のいずれもが三
〜四くちで終わってしまう量で、もうちょっと欲しいと思わせるところが却っていい。味付け
も薄いものから順に濃い目へと進んで行き、あっさりとした酢の物を味わったらめし!という
のも好みにぴったりだった。
 三種の薬味で柔らかな馬刺しを味わいながら、うん、文句なし。すべからく食事というのは
こうあるべきだと竜児は思う。少なくともその境地を目指すべきだ。大皿にひと品かふた品ド
カっと作ってガツガツ食ったら満腹ぷーーという己が家庭の食生活はなんと過ちに満ちていた
ことだろうか。
 てなことを少しばかり考えながら仲間と差しつ差されつ楽しんでいるうち、次第に気になり
始めた。大河はこういう食事だと食べ足りないんじゃねえか?

 しかし見ると行儀よく、にこやかに楽しんでいるようだった。
 酢の物か和え物か好みで選んだら、ちょうどちびちび舐めていたお酒も終わって。ほろ酔い
にまで至らないいい気持ちだあと思っていたころ。それは小声だったけれど、確かに竜児の耳
にも届いた。

「ああもうっ。お腹へった〜〜」

 そうか。やっぱりか。案の定か。いんげんのくるみ和えをちょぼちょぼ食べていた大河がも
うたまんないと言うような情けない声でこぼしたのと同時に、みんなも堰を切ったように言い
だした。

「やっぱり大河もそう?いやもーあたしさっきから食欲だけ刺激されてさ〜」
「すっごく美味しいけど……やっぱりちょっとずつもの足りないかな?」
「でしょでしょっ?なんかもう、丼でご飯かっこみたいわ!」

 竜児は北村と頷きあって、仲居さんに声をかける。

「すいません。もうご飯にしてもらえますか、できたら多めに」
「かしこまりました。おひつでお持ちしましょうか」
「おう!だったら俺が盛りますからそれで。こちらににお願いします」

 ややあって運ばれるおひつ、人数分の飯茶碗とみそ汁椀、漬物、そして……大皿?

「でら〜海老フリャぁ……だなも。やっとかめ」
「た、大河?なんで名古屋弁ぽく?しかもインチキくせえ」
「びっくりしてう、うれしさの余り思わずでてしまった……なも。っていうか」

 お品書きにはありませんけど間違いでは?と念のため仲居さんに訊ねれば、当ホテルの専務
から川嶋様へお礼とのことですと意外な答え。ああ、あれかー。亜美、実乃梨で頷きあって、
ご馳走になりますとお伝えくださいと伝えれば、かしこまりましたと笑って引っ込む。

 事情が分からない、後から着いた竜児と北村は、なにがあった?とどきまぎしてサイン一筆
のおかげと知る。黙って事情を聞きながらタルタルソースに醤油を垂らして和え、うやうやし
く海老フライに盛り、てんこ盛りご飯の茶碗を手元に受けた大河が、ぱんと柏手を打って亜美
を拝むなり、

「なるほどね。ばかちーにありがとう。遠慮なくいただきまぁす♪」


 お嬢様スイッチオフ!ガッガッガッと、サクっとプリっとしたフライ定食(?)を食べ始めた
その物怖じしない様子に皆の緊張も解けて一斉に箸を伸ばす。若者の胃袋を満たす饗宴がしば
し続いて、終わりに近づくとスッと出てくるデザートメニュー。

「コースの締めは果物になりますけど、他にお好みのデザートもお召し上がりくださいと」
「もしかして……それも専務さんが?」
「はぁい。左様でございます〜」

 そこそこの齢であろうに笑うと童顔な仲居さんは、彼らの食べっぷりに合わせてくれたのか、
いつの間にかくだけた感じで接してくれるようになっていて、別腹装備の女子が思い思いにデ
ザートを注文するなか、男子ふたりはさすがにもう甘いものは入らないと丁重に辞退する。


 お腹を満たし熱いほうじ茶を啜るころ、亜美が仲居さんに頼みごと。フロント氏=専務さん
にお礼を述べたいから取り次いでもらえないかと。

「はい……それがすでに下がらせていただいておりまして」

 聞けば、シフトに入るのも不定期なのだという。昨今の景気では働く人もパートに頼らざる
を得ず、従業員でない専務さんもボイラー係から客室係、フロント、果ては調理場まで、叩き
あげでひととおり経験しているのを幸い、ちょくちょく穴埋めで勤務するのだそう。
 最も得意としているのは宴会が入った時の司会進行で、電線音頭の盛り上げが好評らしい。
デンセン音頭が何か竜児たちは知らなかったが、はあ、そうなんですかーと相槌だけはうつ。

「私もパートでございまして、でしたら……板長にご挨拶させましょう」
「え?お仕事中にご迷惑では?」
「本日はもうおひと方様だけでございますから、ちょうど手が空いている頃と存じます」

 ただいま呼んでまいりますね。仲居さんは調理場へと歩み去っていった。

「いたちょうって?」
「和食の調理主任さんだな櫛枝、レストランならコック長だ」
「ね……イメージ的にきっと爆弾岩みたいな見た目なんじゃない?竜児」
「お前それは失礼だろ?たぶん俳優の故・緒形拳さんみたいな……」
「あたし緒形拳より三國連太郎の方がハマるかんじなんだけど、板前さんっていうと」

 女3人寄ればかしましい、とは言うが、そこに2人男が加わってもあまり変わらない。

 やがて席にやってきた、責任者を示すのだろうか、ラインの入った真っ白な板前法被姿で、
帽子をとりながらきちっと挨拶する板長さんは、彼らの予想を大きく覆し、年の頃なら30前
後か、少ーしだけ額が後退しているところを除くと、意志の強そうな目のまだ青年と言っても
いいくらいの風貌。胸に松岡と刺繍がある。

 幹事の亜美が料理をほめ差し入れのお礼を伝えると、キリッとした表情を崩して人懐っこい
笑顔に変わるところも好感が持て、場所がら新鮮な魚介は敵わないが野菜や肉などは地場のよ
いものを厳選して出していると語ってくれた。東京で店を移りながら板前修行をして、Uター
ンで故郷に帰り、職を定めたのだという。


 仲居さんにもお礼を述べて、一行はホールを後にした。
 絨毯敷きの廊下から階段へと歩きながら、北村が思い出したように、さっき卓球前にカード
キー渡したままだったと言い、大河は懐から出して返す。そうして先に戻っててくれ、俺、ト
イレーと別れた。
 残った4人で土産物の売店をひととおり巡って、2階で女子たちとも別れ、竜児はひとりで
部屋に戻る。


 隅に寄せられた卓袱台、夕食中にふたつ並んで敷かれた二組の布団、板敷きの荷物置きには
北村と自分のバッグ。貴重品金庫とテレビ。なんの変哲もないホテルの和室だが、竜児は幼い
頃に泰子とふたり泊まった部屋に似ていると思い出した。

 カーテンを引いて窓の外を眺めてみればもうとっぷりと日も暮れてすっかり夜の景色となっ
ている。昼間なら遠く山並みが見えるはずだが、今はもう暗く、町の明かりも大橋と違ってず
いぶんまばらだ。

 あれは観光ではなかったのだろう。だって覚えている。町なかの盛り場の外れの古ぼけた旅
館だった。さあ行こう♪大事なもの持った?竜ちゃんって言われて、まだ眠い目をこすりこす
り、小さなリュックサックを背負って出かけた。光る真鍮のドアノブ、かちゃりと音を立てて
鍵をかけた小さな部屋にいまだ帰った事はない。
 泰子ははしゃいでいて、珍しく一日中ずっといっしょにいてくれて、遊んでくれた。お菓子
を買ってくれたりもした。記憶ではずいぶん長いこと手をひかれて旅をしたような気がするけ
ど、たぶん次の仕事と住処を定めるまで、せいぜい二、三日の間だろう。旅行の嬉しさと、感
じとった不安とがない交ぜになった、小さな男の子の気分を思い出してみる。
 そうして、あのときの母の気持ちの方が、今では近く思う。
 辛かったり悲しかったり悔しかったり、それはしたろう。それと一緒に、ふたり笑いあって
暮らせる場所を探し当てる嬉しさもたくさん、両手いっぱいに持っていたんだろう。

 竜児はなにげにテレビを点けてみて、自宅の部屋とそんなに変わらないけど家具がないだけ
でずいぶん広いもんだと思った。

 さて、まだ寝るには早い。
 風呂で中断した北村の話を聞くのには十分な時間があるだろう。売店もまだ開いているから
男同士飲み直してもいいし、また湯につかるのもいい。日帰り入浴は7時までだから、湯は空
いているはずだ。布団脇に胡座の腰をおろして、そんなことに考えを移した。

 それにしても北村遅えな?と思っていると、がちゃりと音がしてドアが開いた。ぱったぱた
と履脱ぎでスリッパを脱ぎ散らかす音がして――ん?北村じゃねえのか?と不審に思ったせつ
な、すっと障子を開けて入って来たのは……大河だった。


――つづくっ!






次回、酒盛り+混浴編2(未成年飲酒な展開についてはご寛恕のほど願います)


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