「ただいまぁ」

 買い物袋を提げて大河が帰宅すると、奥からおかえりぃ、とやっちゃんが奥から声だけ返し
てくれた。出勤間際の夕刻のことで仕度やら何やら忙しいよう。と、見下ろせばタタキに竜児
のローファーがきちんと並べられている。いつも脱いだ時に簡単に手入れしてるから少々の傷
は付いていてもピカピカで……違う。そういう話じゃない。

 今日は帰りに大河が買い物をしてきたのだし、という事はもちろん献立も決まっていて、準
備万端済ませたあと、竜児が帰宅すると同時にこけつまろびつ玄関に走り「お帰りぃ〜♪私に
する?ねっとり私にする?それとも爽やかに私?」というベタな一択を提示したあげく小突か
れて「めしーっ」と言わせる、他人には見せられないようなネタ時空を発生させる計画もひそ
かに練っていたくらい。

 それなのに先に竜児が帰ってるたぁ、とんだ誤算。
 ていうかそれなら買い物済ましてるかもで、もしかして食材がかぶっちゃったらMOTTA
INAIじゃないのよ!なんで早く帰るなら連絡くれないのよっ!と大河にも芽生え始めた主
婦脳の反論に眉をひそませたりしながら居間に入ってみれば、ふぇぇ?

 こたつが出ているではないか。

 いつのもちゃぶ台は狭い2DKのどこかの収納に片付けられ、8畳間の真ん中に広がるこた
つ布団の模様はブーゲンビリアだろうか?大きめの花柄。まさに大輪の花を咲かせたようで、
その一角、いつもの場所でなく、大河の定位置たる窓側で足を半ば突っ込んだ竜児が横向きに
眠ってる。大河は台所に買い物袋を居間の入口に鞄を置いて、足音を忍ばせて近付いていき、
傍らにそおっとしゃがみ込んだ。

 二つ折りの座布団に鼻先を突っ込むように抱えた竜児は、肩口が冷えるのか見た事がないほ
ど小さく縮こまっていて、それでも気持ち良さそうにすうすう寝息を立てて完全にオチている。
多分こたつ仕度をした者の特権でとぷんと入り込み、その心地よい空間に身を預けているうち
に、こともあろうかこたつめにチャーム系かヒュプノ系の魔法をかけられてしまってこの体た
らくというわけか。

 おそらくこの秋から冬、初めて訪れた寒波に合わせて、家族が快く過ごすために竜児はこた
つ出しを決めた。同時に昼間打ち合わせたとおりに、炊事当番を自分に信頼して任せてくれた
ってことにも、立ち尽くした一瞬の間に大河は思い至る。

 おぉっしゃらぁ!そんなら任されてやるわよ。

 大河はフェルト地のロングコートを脱いで、自らの体温をまとわせたままのそれを竜児にふ
わっとかけ、肩口を包み込むように押さえてやった。そうして柔らかく微笑むと勇んで台所へ
と、やはり足音を忍ばせて戻り猫足柄の専用エプロンをキリっと締めたらやる気十分に不敵な
笑みを浮かべて。
 目を閉じたら、うん。頷く。

 買って来たものを袋から出し、仕分けして冷蔵庫にしまいつつ、すぐ下ごしらえをするもの
だけをシンクの脇に積む。今日は良さげな鶏腿肉が安かったので4枚もまとめて買って来てい
た。うち2枚は今夜のおかず、残りは冷凍して後日の糧。後日なにに使うかは竜児がちゃんと
考えてくれる。

 まずは付けダレを。
 酒と味醂を行平鍋に注いで火にかけ、揺さぶりながら酒気を飛ばした。甘みだけを手塩皿に
とって確かめながら、味醂をちょっとずつ足していく。自分は少し甘めの方が好きだが、竜児
とやっちゃんはそれより辛めの方がいいから、ちょうど中間になるよう調節。
 それを済ますと生姜とニンニクを剥いて手早く擦りおろし、煮切った酒に投入。強火にして
軽く煮立たせたところへ醤油を加えて沸騰を静め、また味見。うんと舌鼓をひと打ちしたのち
火を止めて、できたタレをカップに注いでしばし放置、粗熱を冷ます。


 一口大に切り分けた鶏腿肉を温くなったタレとともにビニール袋で浸けこんだら、キッチン
タイマーがわりのストップウォッチを打って時間を測り始めた。抜かりなくひとつひとつの塊
に表裏から十字に包丁を入れてあるから30分くらいが適当か。おいしくなあれ、と念じながら
袋をモミモミ。

 これに薄力粉の衣をまとわせればから揚げ。片栗粉の衣で揚げれば竜田揚げ。フライパンで
まんま焼けばソテーというわけ。浸けこんだタレは再度加熱して調味料として重宝する。ネギ
とキャベツの炒めものなんかに味付けるには相性ばつぐんだ。この辺のやりようは竜児から薫
陶を受けたもので、やっちゃんから教わった事がベース、さらに遡って園子お祖母ちゃんの家
庭料理スキルから連綿と伝わって来ているものであっても、竜児も大河もそこまで意識してい
るわけではないが。
 今日の鶏は浅く張った油で焼き揚げるコトレット風の竜田揚げにするつもり。衣がサクっと
いう楽しい食感を付けるにはこれが一番。付け合わせには得意のグリーンサラダをきんきんに
冷やして、あとマッシュポテトにサワークリームを添えた和洋折衷でザンギ定食にしてやろう
と思っている。箸休めにはぬか床でほどよくつかった大根があったはず。

(そうすると……汁ものもあっさりめ、かな?)

 使った器や包丁をさっと洗い終えて、みそ汁の準備。白菜の葉っぱ部分だけとモヤシにささ
がきゴボウを加えようと決めた。ダシの中で軽く煮た状態で止めておき、あとは食事の直前に
温め直して味噌を溶けばいい。
 これで、あとは10分もあれば夕ご飯にできるところまで済ますと大河はエプロンを外して
居間に戻った。竜児が目を覚ますか、やっちゃんの出勤準備完了か、どちらかのタイミングが
訪れるまでしばしの空き時間というわけ。

 慣れて、いつの間にかできるようになっていた。ほとんどなんの努力をした覚えもない。
 それは、竜児にたくさん教わったしやっちゃんがやるのを見ていた事もある。でも、ある日
独りでやってみたら悩む事も困る事もこんがらがることもなく、不器用なはずの自分が流れる
ように全部できてしまった。いつだったのかも最近なのにちょっと思い出せない。
 それはたぶん、ずっとお手伝いのつもりでいたからだろう。
 竜児の帰りが遅いとき、代わりに買い物をする。簡単に下ごしらえする。どうすればいいの
か聞いて、その通りにやって、細かいところをやっちゃんに教わっているうちに、全部済まし
てしまった日があった。そのときどや顔をするのを忘れていたので、竜児も気づかずに流れで
ふつうに夕食を済ましてしまったのだろうか。

 でも、あの細かい竜児がそんなことを見逃すなんてあるわけがなく、つまりふだんの高須家
の食事と寸分違わないものを作れた、ということで、竜児はやっちゃんが作ったと思ったのだ
ろうし、やっちゃんは竜児が仕込んで置いたご飯だと思ったってこと。

「ふ……ふふふっ、ふふっ……」

 なんでだろう?本当なら「なんで気づいてくれないの!」とキレてもまあいいところだろう
に、自身ではさほどの努力を払った覚えもなく、なにより自身で初めてできた日を覚えていな
いくらいだからそんな気もしない。なんかこう、振って湧いた幸運のように、小さな嬉しさだ
けが空腹のはずの胃の辺りからのぼってくる。
 大河は、本来は竜児の場所である居間の入り口にぺたんこ座りで、にじり寄ってこたつに膝
を滑り込ませて、両手を思い切り伸ばして突っ伏し、卓の冷んやりとした感触を頬っぺたに当
てて、膝と腿にこたつの温みを沁み入らせているうちにくすくすと含み笑い。
 しているうちに、すぅーっと。

 高須家では別に当番を決めたりしていなかった。早く帰れた方がごく自然に炊事をするよう
な倣いとなっている。竜児も、大河も外で忙しければ時にやっちゃんが済ましておいてもくれ
る。援け合うのは意識するまでもなく当たり前で、わざわざ確認する必要もなかった。


 すうっと眠気に襲われはしたのだけど、大河にしては異様な抵抗力を発揮してこたつ布団か
ら膝を抜いた。冷気に少し我を取り戻してこたつは魔物と思う。人を堕落させる悪魔の発明品
じゃないの?なんでこんな速攻で眠くなるの?
 ほんと恐ろしいわ……とぶちぶち呟きながらぐるりと回り込んで竜児の脇に寄ってみた。せ
っかく気持ち良く寝てるのに起こしちゃ悪い。このところ連日遅くまで勉強してるから疲れて
いるのよ、そんなことも分かってるけど。

 見れば竜児は寝がえりを打って、座布団の代わりにコートを抱きしめているのだった。

 なんだかとても損をした気分になってしまって、大河は渋面で見つめたのち、こそこそと竜
児の脇に潜り込みにかかる。こたつ布団の端をちょっとめくって、ソックスの脚先からそろり
そろり。
 うまいこと収まったから、自分のコートごしに竜児の胸に頭を預けようとして、ふと大河は
竜児のあごに畳のケバが一本貼りついているのを見た。ちくちくしちゃう。手を伸ばして、細
い指で器用に、竜児のあごに触れないようケバだけを取って捨てた。
 起こしたくないから触れられない、けれども心はひとつ。膨れ上がっても決して弾けるまで
には至らない思い。その快さに身を任せて、愛しい者の傍に居着く。そこら辺りがこたつめの
魔法効果に抗う限界と言えた。膝や腿や腰から遠慮なく侵入する温かさ、額から伝わる竜児の
胸元の温み。こんな。つむじにかかる竜児の寝息のリズムが、身の内のバランスを保つ糸を今
にも断ちそうでやばい。

 子供のころから和室で過ごした経験がほとんどない大河には、こたつの暮らしもほとんど初
めての体験で、それはもう……やばすぎた、のだが。


 ****


「たいがー。おい、大河」
「あうん?あぁ……ぐすん、あう、竜児ががが」

 どうやらこたつの温もりは恋の熱よりも人には優しく沿うらしく。

「そろそろメシにしようぜ。泰子がうまいうまい言ってもう出かけちゃったぞ」
「ええっ!」

 がばっと起き上がる。小一時間くらいの感じなのに、けっこうガン寝してしまっていた。見
れば肩口は柔軟剤でふわふわのタオルケットにくるまれている。

「いま揚げるからちゃぶ台拭いとけよ。腹へってんだろ?」
「わ……分かってるわよ。ってかこたつになってんじゃない。ちゃぶ台じゃないでしょ」
「あー。まあいいだろ?ちゃぶ台で」
「いいけど」

 台所と居間を忙しく往復して食卓を整える姿を見ながら立ち上がろうとすれば、竜児は手で
制して座っとけというしぐさ。

「お前がしたくしてくれたんだから。上げ膳据え膳でいいんだよ」
「そ、そう?じゃあふんぞり返る」

 程なくして卓上には皿が並び、差し向かいで、いただきます。


「から揚げっぽかったけど下味が強めに付いてたからタツタ揚げにしてみた」
「うん、そのつもりだった」
「前に言ってたザンギってやつだよな?これ」
「そうよ。どう?」
「うまいなあ。めしが進む」
「へへん♪」

 マッシュにしようと出しておいたじゃが芋は皮つきのまま単にふかしただけで添えられてい
たけど、これはこれで美味しい。付け合わせとしての設計思想はさすが竜児、間違えたりしな
いものねと思った。まあ、サワークリームを作っておいたからよほどへそ曲がりでないかぎり
は茹でるだろうけど。

 タツタ揚げを齧ってみると、ふんわりネギの香りが立ってあれっと思い、竜児の顔を見る。

「ああ、余計かもしんねえけど半分はネギの青いとこみじんにしたの巻き込んで揚げてみた」
「うん……おいしいかも。こっちの方が」
「どっちも旨いが、味が一種類だと3切れめくらいで飽きてくるだろ?だからさ」
「ネギと生姜と鶏の脂って合わせると中華料理の味になるんだね?」
「おう、たぶん広東料理だな。どれひとつ欠いても和食だから不思議なもんだ。……しかし」

 大河が起きるのを待っていて空腹だったのだろう。旨い、旨いを連発していつになく竜児が
バクバクご飯をかきこむ様子を見ると、自分自身で完遂できなかったのにミッションコンプリ
ートな気分になる。そうして、どうしても、くすくす。含み笑い。

「大河、お前はどこへでも嫁に行けるなー。自信もっていいぞ」

 なにニヤケてバカ言ってんの。へへっ。

「ほんと?うわぁ迷うなあ。どこへお嫁に行ったらいい?」
「バカ言ってんじゃねえ俺んとこに来い。毎日お前のメシを食わせろ」
「それじゃ私があんたのご飯食べられないじゃん」
「おう、そうか。じゃあ一日置きくらいで」

「んーー。週4日くらいはサービスしてやるか。……ねえ?」
「ん?」
「なんでこたつ出したの?ていうか、このうちにあったの?」
「話せばちょっと長いけど、お前も身にしみたろ?こたつは人を自堕落にさせる」
「そうね……」
「元々うちでは泰子が一番こたつの魔に魅入られていたから禁止にしてたんだ」
「あー。あーなるほど」
「俺だって見た通り偉そうなことは言えねえ。お前と知り合った冬に出さなかったのも危険だったからだ」
「危険……。そ、そうね。そうかも。これ、危険よね」
「な?ご馳走さま。旨かった!」

「ねえ?じゃ、今年出したってのはさ」
「言いたい事は分かってる」

 竜児ときたら真面目な顔で食器を片づけながら言うんですよ。

「もう危険じゃないと分かったから、解禁だ」


〜おしまい〜




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