虎と並び立つものは昔から竜と決まっている、なんて必死に言ってたけど。
 本当は、虎だって竜と並び立つのに必死だったりする。

 竜児のスーパー家事スキルはモテとは程遠いかもしれないが、本当に彼女泣かせなのだ。
 何をやっても勝てる気がしない、というか勝てない。
 私だってドジなりに練習してるけど、料理も掃除も落第点。散々お世話になったから、力量差は痛感している。
 焦る必要は無い、傍に居てくれればいい、そう言ってくれるのは嬉しいけど。
 私だって。してもらうばっかりじゃなくて、何かしてあげたい。
 触ればしあわせ? の手乗りタイガーなんかじゃなくて、恋人として。
 遠い未来なんかじゃなくて、今すぐに。

 今の私に出来て、竜児に出来ない事。普通じゃない私に出来る、普通の事。
 それを、ずっと探していた。

 ……そして、ついに私はそれを見つけたのだ。


***


「なあ大河、その……今日、出来るか?」

 本当は、それも竜児のほうが上手だ。でも「竜児に」という条件を付ければ、話は別だ。

「今日?」
「……おぅ」

 竜児がいかに家事の完璧超人であっても、身体構造までは変えられない。

「そんな、いきなり言われたって準備してきてないし」
「こっちで全部用意するからさ」

 自分の肩や背中まで、手はうまく届かない。届いたって力は入れられない。それが人型の限界だ。

「だいたい、もっと早く言いなさいよ。平日なんだし、こっちだって予定ってものが」
「そんな事言わずに、頼む。メシも付けるから、な?」
「全く……ちょっと待って」

 多くを背負う竜児の肩は、何時だってガチガチに硬い。並の女じゃ歯も立たないだろう。

「……ママ? 今電話大丈夫? ごめん、今日遅くなりそう……ちょっとね……食べてくるからいい……うん、分かってる。ありがと」

 あるいは、みのりんなら別だったかもしれない。でも、先に気付いたのも、傍に居るのも私。

「いいわよ。そこまで言うなら、やぶさかではないわ」

 だからきっと、これが今の私に出来る「普通の事」なのだ。


「すまねぇ、今日は何でも好きなもん作ってやるからさ」
「……じゃあ肉、簡単なのでいいから」

 いつもの放課後、いつもの通学路、いつものように竜児と帰る。
 でも今日はそのまま竜児の家に、去年と同じように。


***


 ――二人で早めの夕食を終え、竜児がお風呂に入っている間。私は用意された室内着に着替えていた。
 室内着、なんて言うと聞こえはいいけど。
 実際は竜児の中学時代の芋ジャージだ。緑色一色で、もちろん胸には『3−1高須』の名札付き。
 ダサいし、貧乏臭いし、ぶかぶかで裾が余っちゃう生き恥ドレスは今もなお現役である。
 まったくもう。登校前に言ってくれれば、もっと可愛い服持ち込んだのに。

 しかし、ない物ねだりしても始まらない。
 高須家にはマイ茶碗、マイカップ、マイ座布団、マイ歯ブラシ……と大抵揃っているけど、私の着替えは無いのだ。
 毎回持ち込みも面倒だし、本当は何着か置きたいけど。洗濯して干している所を、誰かに見られるかもしれない。
 そう思うと、さすがの私も気が引けた。
 竜児に何かあったら困る。今は一番厳しくて、そして将来を決める大切な時期なのだから。
 本当は婚約者なんだし、やましい事なんて何も無いのだけど。合鍵だって預かってるし。

 まあ、今は芋ジャージでいい。卒業するまでの短い間だもの。
 それに、お古の芋ジャージだって考えようによっては悪くない。緑色だけど。
 裾は折ればいいし、着心地も悪くは無い。それにこの名札……

「……へへへ」

 おっと、つい独り言。今の時間やっちゃんは居ないし、誰にも聞こえてないだろうからいいけど。
 ちょっと恥ずかしいけど、3−1の部分だけ切り取るように頼んでみようかな?なんて他愛も無いこと考えながら。

 竜児の部屋で、
 竜児の服を着て、
 竜児のベッドに座り、
 竜児のいれたホットミルクを飲み、
 竜児の編集したMDを聞きながら、
 竜児の戻りを待つ。

 ああ、これで門限が無ければ最高なのにね。

 遺憾ながらここまでキス無し、そして今日はこのまま自粛の予定。
 だって、これから同じベッドにって時にそんな事したら、その、妙な気分になってしまう。
 心臓バクバクになって、テンションおかしくなって、マッサージどころじゃ無くなってしまう。
 もっとも、竜児のほうから求めてきたなら話は別で、私もやぶさかではないけど。
 でも、きっと無いと思う。
 竜児だって「猛毒」と言ってたぐらいだし、今日はとても疲れてるはずだもの。

 今日の目的はあくまで竜児のメンテ、残り少ない時間は全て竜児の為のもの。
 我ながら何もここまでしなくても、と思わなくも無いけど。
 マッサージの理想の条件が「お風呂で温まった後」「柔らかい場所で」なら、私はそれに応えたい。
 私からベタベタするのは明日からでいい、今日足りない分は明日取り戻せばいい。
 ……だから、我慢する。
 たった半日だけだもの、我慢できないはずがない。


 ――竜児が戻ってくるまであと1000秒、門限まであと6000秒。


***


「お待たせ」
「相変わらず早いわね。ちゃんと温まった? 髪乾かした?」
「ほっとけ、俺はカラスの行水なんだよ。手抜きした訳じゃねえから安心しろ」
「そ。じゃあ、始めよっか」
「もし寝たら起こしてくれよ、まだやる事あるんだ」
「はいはい」

 意識しないよう、さりげなく。
 まずは竜児をベッドに座らせて、私は膝立ちになって肩を指圧する。
 ベッドと言っても竜児の私物だから通販のシングルベッド、本来なら二人乗りは厳しい。
 それでも、私なら何とかなる。低すぎる背を何度も嘆いたものだけど、世の中そう悪い事ばかりでもないものだ。

「この前やったと思ったら、また硬くなってるし」

 両手の親指を使って、こうグリグリと。……しかし硬い。お風呂で温めてほぐしたはずなのに、まるで鎧でも押してるみたい。
 コリコリというか、ゴリゴリという感触が指に伝わってくる。鎧は鎧でも、錆付いた鎧だ。
 今すぐ、錆を落としてあげないと。

「ったくもう。一体なにをやったら、こんなになるの?」
「休憩中にどうしても汚れが気になってな。あっちもこっちも、と掃除してたらつい深夜に……」
「何やってんのよ、このポンコツ犬。勉強は?」
「や、やったぞ一応」
「だったら早く寝なさいよ。いくら気分転換だって、物には限度ってモノがあるでしょ。馬鹿じゃないの?」
「お前にゃ言われたくねえ」

 何よ。平日は弟の面倒見なくちゃいけないのに、今日もママに無理言って変わってもらったのに。

「あっそ、じゃあもう帰ろうかな?」
「ま、待てまて! 俺が悪かった」
「分かればよろしい。……で、ここでいいの?」
「もうちょい上、手の間隔を狭くして……そうそう。後、もうちょい強く」
「ん」

 それにしても。こうして間近で見ると、やっぱり竜児の背中は大きい。
 だから、一箇所だけやっててもカバーしきれないわけで。押す場所は徐々にずらしていかないといけない。
 肩甲骨まわりを、竜児の反応を見ながら押していく。
 本当はどの辺を押せばいいのだろう?ちゃんと勉強してないし、良く分からない。確か、資格とかあった気がする。
 まあ私は、竜児以外にはやるつもりは無いし、竜児が満足してくれるならそれでいいのだけど。

「……ちゃんと効いてる?」
「おう、いい塩梅だ」
「何そのジジ臭い言い回し、時代劇の見過ぎじゃない?」
「何を言う、料理の基本だぞ」
「あんたは筋金入りね」

 褒めるならもうちょっと気の利いた言葉にすればいいのに、ホント鈍いんだから。
 ……でも、そんな古風な言葉を知ってるぐらいなら、さっきも気付いて欲しかったな。
 ねえ竜児、私「やぶさかではない」って答えたのよ?
 すまねぇ、なんて言わないで。


「……もういい?」
「もっと……」
「じゃあ、肘でもいい?」
「おう」

 続ける事15分、さすがに指が痛くなってきたのでやり方変更。腕まくりして、肘のとがった部分を竜児の背中に押し当てる。
 両手から片手になるので作業効率は悪いけど、指よりも体重を掛けやすく疲れずに済む。
 それに私の肘は小……細いから、よりツボに入りやすいはず。問題は加減が難しい事で、慎重にやらないといけなくて。

「痛てえっ!」
「やだ、遺憾だわ」

 おおっと。ドジって変な秘孔を突いてしまい「ん、間違ったかな?」とはならなかったが、ノーミスにはまだ遠いようだ。
 やっぱり、ちゃんとやり方勉強したほうがいいかもしれない。後で調べてみるかな。

「これぐらい?」
「もうちょい弱く……いいぞ、そこ百やったら左頼む」
「回? 秒?」
「百数えたら、だ」

 くりくりこりこり……軽く肘を入れる度に、竜児の頭も小さくゆらゆら揺れる。
 本人は気付いて無いみたいだけど、起き上がりこぼしみたいでちょっと可愛い。竜児のくせに。
 百で終わりは味気ないので、数え忘れたフリしてちょっとサービスしておこう。もちろん竜児には内緒で。

「はい、おしまい。次は手でいい?」
「おう」

 軽く背中を叩いて合図すると、竜児は「待ってました」と言わんばかりに横になる。
 私はそのすぐ脇に移動、何度か調整してベッドからずり落ちない位置に座る。
 本当はベッドから降りたほうが動き易いんだけど、もちろんこのままで。
 ここから先は二の腕から徐々に下がって、指の付け根まで揉むだけだ。後は指を回したり、手の甲をさすったり。
 硬くは無いので、さっき休めておいた指とマッサージローラーで十分通用する。

「ほら、次。あっち向いて」
「……拭いたか?」
「気のせいよ」

 汗ばんだ手の平は竜児のシャツで拭いて、今度は反対側の腕。
 手にはツボが集中していて、肩にも効くらしいけど。やっててイマイチ物足りない。
 それは竜児の反応が薄いせいかもしれないし、その気になれば竜児自身にも出来る場所だからかもしれない。
 一年前には指を繋ぐのでさえ恥ずかしかったのに、今じゃこんなに堂々と触ってて物足りないなんて。
 私もずいぶん慣れたというか、贅沢になったものだと思う。

 ……それにしても、大きな手。そのくせ器用で、繊細で、温かくて、魔法みたいに何でも出来て。
 比べて見ると、私の手はまるで玩具みたい。……どうしてこうも違うのだろう? と思わなくも無いけど。
 今は私に出来る事をしよう。
 次は腰、背中、時間があれば足。コース内容は毎回似たようなものだ。

「腰の、どのへん?」
「……」
「このへん?」
「……ぉぅ」

 竜児の返答が鈍くなってるけど、これも平常運転。
 手からマッサージしないのも、わざわざ狭いベッドでマッサージする理由もこの辺りにある。
 畳で寝かせておいたら風邪引いちゃうし、かといってベッドまで運ぶには重い。
 そういう場面でも体格差は露骨に響く、もちろん悪い方向に。
 叩き起こせばいい? そうするのは簡単だ、実に簡単だ。でも、それじゃあまりにも味気ない。
 こういうのは最後が一番おいし……肝心なのだ。

 ――時計はもう50分を回っている。
 ここまで休憩無し、さすがの私だって疲れてくるわけで。
 だから、隣で寝転がって省エネ運転になったとしてもそれは正常なことであり。
 押すというより、さするという動作になってもそれは仕方の無いことであり。
 掛け布団が邪魔だから、一緒に中に入っていても何も問題など無いのだ。

 感じるのは体温と嗅ぎ慣れた匂い、マフラーよりずっと深く私を包んでくれる。
 私はもう一人じゃない。かけがいの無い、幸せなひと時……
 でも、こういう時に限って時間は早く過ぎてしまうのだ。

「……そろそろ時間だけど、どうする?」
「……」
「……竜児?」

 返ってくるのは規則正しい寝息。竜児はみっともなく涎まで垂らして、安穏な顔で眠っていた。
 ホント、目さえ瞑っていれば悪く無い顔だけど……やっぱり連日の疲れが溜まっていたのだろう。

 出来ればこのまま、ゆっくり寝かせてあげたい。
 一緒の布団で添い寝して、寝顔をずっと眺めていたい。
 そして朝になったら、おはようのキスして起こしてみたい。

 ……でも、今はこれが精一杯。
 まだ高校生だから。私は門限までに帰らなくちゃいけないし、竜児もこれから勉強しなくちゃいけない。

 それに今着ているのは貧乏臭い芋ジャージ、ベッドだってシングルだし、そもそも私お風呂に入ってない。
 そういうのはもっと準備とかムードとか、整えてからのほうがいい。
 どうせやるなら、その時はもっと盛大にやろう。
 私の作った手料理をいっぱい食べさせて(その頃には作れるようになってるよね?)
 入浴剤たっぷりのお風呂に入れて、私も入って。
 服は趣味に走ったフリフリのネグリジェ……いや、あえて触感重視でシンプルなパジャマも。
 照明だって蛍光灯じゃなくて、もっと薄暗くて暖色系の照明に。
 もちろん、ベッドはセミダブル以上で。
 うるさい門限も無し。キスだって解禁して、それから……

 竜児も喜んでくれるかな、それとも贅沢だってぼやくかな?
 疲れているんだ寝かせてくれ、なんて言ったら殴るけど。

 よくよく考えてみれば、物だけだったら隣に住んでた頃に揃っていたのにね。
 やろうと思えばいくらでも出来た環境だったのに、何もしなかっただなんて。今から考えると惜しい事したかも。
 でも、いい。
 他人から押し付けられた物より、自分たちで掴んだ物のほうが良いに決まっている。
 まだ機は熟していない。今がっついても渋いだけ、それこそMOTTAINAI。


 そう言えば、寝たら起こしてくれって竜児に頼まれている。だから今すぐ起こして、今日はおしまい。
 そうするのが正解。
 でも……ああ、やっぱり起こせないよ。少しでも長く、寝かせてあげたい。
 だって、こんなに幸せそうなんだもの。
 いっそ、このまま時間が止まっちゃえばいいのに。

 でも、時間は止まってくれないから。明日も幸せでいたいから。
 我慢する、我慢はするけど……
 私、フィアンセだもん。少しぐらいなら、いいよね?


 だから私は目覚ましを一時間後にセットして、布団を掛け直して、涎も拭いて。
 仕上げに軽くキスを落としてから、そっと部屋を出た。

[fin]



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