(うーーーーーっ)

 寒い。寒い寒い寒い。風にひゅーっと吹かれると襟口から袖口からコートの裾の合わせ目か
ら持ち去られていくヌクヌクMOTTAINAI!元々女子にしては筋肉質で代謝機能も優秀、
冷え症とは無縁な身体を授かった逢坂大河といえど寒いものは寒い。結局は薄くて小柄だから、
熱しやすく冷めやすい物理法則にには勝てやしないのだ。一刻も早く家に帰ってこたつの力を
借りて、あと熱々ココアにでもあっためてもらおうと考えていた。

 大河が帰るべき家は婚約者と将来の義母が待つぼろい借家と、実母義父実弟が待つ4LDK
マンションと現在ふたつあったがいま大きな荷物を抱えて向かっているのは借家の方だ。なん
と言ってもクリスマスを迎えるのだから、当日は大事な家族と過ごすけど、イブは愛する者に
寄り添って過ごすのがいい。

(竜児、喜ぶかな?)

 抱えたプレゼントが彼を喜ばすことは間違いないと分かっていて、足取りも軽く鉄製の外階
段を登ると扉を開ける。

「おかえりぃ〜〜ぃいらっしゃぁ〜ぃ↓」

 某新婚さんイジリ番組司会者のお馴染みイントネーションで泰子が声をかけた。ただいまぁ
お邪魔しまぁすと返して大河は上がり込む。付き合いも長くもう気遣いは無用、居間のこたつ
から寝っ転がったまま伸びて、台所のある板の間に顔を出した泰子、この家では本人と大河だ
けがこう呼ぶ愛称やっちゃんにえへ♪と笑みを向けて。

 おう早いな、悪りぃがいま手が離せねえとガスレンジの前に立つ婚約者、高須竜児は火にか
けてる鍋から目を離せないでいた。自慢のベシャメルソースをいままさに注いで、焦がさぬよ
うダマにせぬよう、ちょうどよく火を通した具と合わせる、クリームシチューの成否が決まる
瞬間であったから無理もない。後からの調味や煮返しでフォローも効くけど、ミルクのおいし
さを最大限活かそうとこだわるなら、ここの火加減とかき回しを適当に済ますわけにいかない
ことぐらいは大河にも分かっている。

 だから邪魔にならないよう近づいて、手元と真剣な顔をじっくり眺めた。
 美味しいものを作って、分けあって一緒に食べるのはいい。私にとってもそれは幸いの原点
と、そんなことも思い出しながら。

 とか浸ってみるのも身体の冷えを思い出すまで僅かな間のこと。ぶるっと震えが来て、そう
だったそうだったとコートも脱がず居間のこたつに滑り込む。脚にしみこむような温かさにに
ゅっはぁ〜と頬も緩んで、突っ込んだ手で自分の腿裏を揉みながら肩をぷるぷる揺すったりと
こどものような仕草をしてしまう。

「そと、寒かったねえぇ?」
「うんーー暖かぁ〜……お?」

 こたつの角、角でくっつくような格好で笑みを投げかける泰子の装いには気が付いていて、
大河は頃合いをみて反応してみた。やっちゃんいつもと違うね?

「そ、イブはかき入れどきなのぉ☆ どぉ?サンタコス無理なーいぃ?」
「うん、かわいいかわいい♪あ、ミニスカサンタなんだね。でも……」
「やっぱここぉ?」


 こたつから立ち上がって、肘でシェイキンしながらくるっと回る泰子は永遠の23歳、ベルベ
ット地のきらきらサンタコスは、でも網タイツのせいで女王様感がすごいように大河には感じ
られたのだけど、仕事着だからアンバランスな方がいいのかなあ?お客さんのシュミって私じ
ゃいまいち分かんないしと正直に伝える。

「駅前でチラシ配るからぁ。アミアミだとなんか暗くて見えにくいかなぁ☆って」
「あ、逆にもっと目立つ方向なんだね。じゃ、あのペカペカストッキングの方がいいんじゃない?」
「光る生地のやつとスパンコールのやつとぉ……」
「生地の光る方が。あとチークも少し濃い目にした方がいいかも」
「お店に行ってからキツ目だと稲毛さんが突っ込むからねぇ〜でもいっかぁ。イブだしね☆」
「あーそっか。私じゃやっぱどうしたら一番いいか分かんないよ」
「いーのいーの。大河ちゃん若いんだから“すこしキレイに”しとけばいいんだよぉ」
「う、うん」
「ちょっとだけチーク塗ってみよ☆あとカゲをちょいちょいと……」
「え?ええ?」
「アレルギー大丈夫?」
「このくらいなら……」

 サンタコスの泰子に助言していたつもりが、いつの間にやら部屋に引き込まれてメークされ
てる大河はちんまり座りこんで、自分では普段それほど念入りにしないから、なにやら気恥ず
かしいといった顔。
 そうこうしているうちに、台所の竜児が作りたてのシチューと炊きたてご飯を出し始めた。

「え?え?もう夕飯なの?早くない?」
「泰子がもう出かけるんで先にな。かき入れどきだから毎年こうだ」
「ええっ!?聞いてないよそんなのーっ!」
「え?あ……」

 不思議そうな顔で、竜児は大河の顔を見てからしまったと思った。自分のうちでは正月はと
もかくクリスマスは自らに関係のない世間のイベントであって、年末の忙しさの中に埋もれて
いるのが常識だったから。
 でも、今年はそろって静かに過ごしたいと思うのが常識の家族がひとり増えていたのだった。
気を回すのをすっかり忘れていたことに竜児は気づいて、とても申し訳ない気分に襲われてし
まう。高二で知りあってもう3年近いのに、彼女がクリスマスに寄せる思いは聞いていて共感
もしているというのに。それでもいっしょに過ごすのは今年が初めてなのだから無理もないこ
とだが。

「ごめん……言うの忘れてた……じゃねえな、その……もっと早くなんか、気が付けば」
「ん?あ、そか。べべ別に怒ってるわけじゃないから、お仕事ならアレだし、ちょっと考えれば分かる事だし」

 そんなことでどうこう言うほど私もワガママじゃないのよ。……ってえええっ?やっちゃん
シチューをご飯にかけて食べるの?しょっ、醤油かけるのぉぉぉ?

「え?うん。おいしいよ?やっちゃん流のクリームシチューなのでぇっす」
「お前も、食うか?」
「そ、それは後で。てか忙しいけどそれなら先に済まさなきゃ!やっちゃんメリクリ!りゅーじ、メリクリ!」


 大河は鞄から泰子へのプレゼント、畳に置いていた包みを竜児へのプレゼントとして差し出
した。うんありがとう、と泰子はスプーンを置いて押し戴き、自分が用意しておいた大河への
プレゼントを持って来て、めりくり☆と微笑んで渡した。
 開けて開けてと気忙しく大河が急かす。
 パッケージをほどいたら、泰子へのプレゼントはシルクのグローブだった。薄手だから指先
の細かい動きを妨げずに防寒の機能を持つ、本来の素材の良さを実用に活かしたうえで装いの
上品さも備えた手首まで包んでくれるそれは、決して高価ではない代わりに、流行りではない
からどこにでも置いているというモノでもない。
 きっと足を向けて探してくれたのだろうとじんわり嬉しい泰子は、指先のささくれにひっか
けないようさっそく両手にはめて握ぎ握ぎと。

「うわぁ、あったかいよ。柔らかいからお財布の小銭もはめたまんまで探せちゃうぅ☆」
「シルクの手袋やくつしたってほんとは実用的なんだよ。やっちゃん持ってないようだったから」
「ありがとねー、大事に使うよー。やっちゃんのも開けてみて☆」
「うん。……わ、カチューシャのセット?」
「大河ちゃん髪のまとめいつもゴムだからと思って。さっと寄せたりまとめたりはこっちの方が楽だよー」
「そっか、考えた事もなかったよ。こんどどんな風に使うのか教えて?」
「うん、もちろーん。まとめるときの仕草もかわいいんだよん」
「お、俺には」

 こんな高価なもの貰ってもいいのか?大きなつづら……じゃない、包みを開け終えた竜児が
すこし震え声で割って入る。

「び、びたくらふとの高級鍋……憧れの……ではあるけどさ」
「うん。ほんとは圧力なべとどっちにしようか迷ったんだけどね」

 膝立ちでえっへんと。ぷんっと鼻息をひとつ放って大河は得意顔。

「あんたの料理にかける変態的な思いを考えるとね。用途の幅が広い18-8ステンレス多層構造鍋の方がね」
「ありがとうっ大河!これで夢にまで見た無水料理ができるっ」
「その成果を味わうのはもちろん私っ」
「おおっ、そうだとも!うっまいものいろいろ作ってやるからなあっ!!」
「その意気だっ」

 ちなみに多層構造鍋っていうのは、ステンレスの扱いやすさを備えつつ、熱伝導率の飛躍的
改善を達成した製品で、水をほとんど使わずに煮もの蒸しものを作れる性能を備えている。竜
児が言った無水料理とは、主に野菜をそうして加熱することを指していて、熱伝導媒体たる湯
を介して食材の栄養素とおいしさを溶け出ささず損なわずに済むというメリットがあった。お
まけに炎を強火にする必要がないのでエコ!という。

 高価と言っても額でいったら驚くほどでもないのだが、既にひとそろい鍋が揃っている状況
から、高性能だからといって買い替えたり、まだ十二分に使える旧家財を廃棄する事など死ん
でもできないと考えるなら、夢のまた夢と言っても間違いではない。羨ましいなあ、使ってみ
たいなあと日々思ってはいても現状の鍋が使用不能になるまでは決してこうした製品を手に入
れることはあり得ない。つまり、こんな風に貰っちゃう場合を除いては、竜児にとって夢のよ
うな贈り物なのだ。

「びたくらふとの価値が分かるなんてお前は主婦の鑑だ!」
「まあね。栄養士目指してるくらいだし当然よね。まだ主婦じゃないけど」
「さっそく今夜、なにか追加の一品をこれで作るからな!」
「うんっ!あんたは最高の血統の駄犬よ!」
「何言ってんだか全っ然分かんねえっ♪」


 妙なテンションで笑いあう息子と義理の娘(予定)をにこにこ横目に、シチュー掛けごはんお
醤油ぶっかけ丼を食べて、エロサンタ泰子は出勤して行った。冷え込むと伝えられる今夜も指
先が凍えることもなく張り切って仕事ができることだろう。


 残された竜児と大河、見つめあってちょっと家族関係でなしにいい感じに移ろうとしかけた
その矢先、泰子が出かけるのをまるで見透かしていたみたいに、ノックの音がした。

「あ、こんばんは。こんな時分になにか?」
「相変わらず腰が引けてるねえ竜児くん。いやさ竜ちゃん」

 馴れ馴れしいこの声は……と応対に出た竜児の尻を大河がひょいと顔を突き出して見てみれ
ば、それは1階に住む高須家の大家であった。慌ててこたつを出て玄関に向かい、こ、こんば
んはと挨拶。いつぞやに泰子が倒れてるから鍵あけろと狂乱して以来、大河もこのおばあちゃ
んには頭が上がらないでいる。

「おや、奥さんもご無沙汰で」
「ま、まだ籍入れてない……です」
「あ?ああ〜〜そう?いけないねえ、ちょっとボケ始めたかも。毎日楽しそうだからついそう思っちゃって」
「……」
「ああ、やだよう。別にイヤミで言ってるんじゃないからね。早く孫見せてほしいなってね」
「は?まご?」
「ああまあアタシの孫じゃないけどね。あ、違うわ、ひ孫だ」

 大家から見れば泰子が娘の世代に相当するらしい。ちなみにいつ竜児に対する二人称が気易
く“竜ちゃん”に変わったのかは定かではなかった。永遠の謎と言えるが、ふたりが再会した
今年の春からは嫌味を言われることも、箒の柄で天井(高須家から見れば床)を小突かれること
も無いのは事実で、その辺りなのかも。時と場合によっては高二の頃よりうるさいかもしれな
いのに、だもんだから。

「あーそうそう。別にいっしょにクリスマスを祝おうとかそんなんじゃないんだよ。
 今年も田舎から無事に届いたんでね。これ、おすそ分けにねと思って」

 それは毎年貰っている山東菜だった。遠く明治の頃に我が国に伝えられた、中国山東省が原
産の白菜で、きれいに結球しないデカい菜っ葉。市場にも出回るが年末限定だから店ではあま
り見ないレアものだ。普通の白菜よりカロテンなどミネラルの含有量が格段に多いのが特徴で、
味が濃く美味しい。そのためお浸しをはじめ白菜と同様煮もの炒め物蒸し物と万能に用いられ
るがなんと言っても漬物が素晴らしい。
 流通に適したように育種改良されたものもあるが、生産量が今や極端に減ってしまい、こう
して生産農家の縁者を通じて細々と味わわれている冬の味覚のひとつだ。竜児は山東菜の漬物
の葉の部分を海苔の代りに巻いたおにぎりが大好物で、いつか大河にも食わせたいとも思って
いた。その漬物の袋と、生の2〜3株を提げて今年も大家のおばあちゃんが来てくれた。

「浸けるのは大変だからね。無くなったらまたおいで。年寄りの独り暮らしじゃ食べきれない」
「あ、ありがとうございます。いつも。……そうだ、シチュー召し上がりませんか?」
「なぁんかほっとする匂いがすると思ったらシチューかい。もらうよ」

 と言っても、上がり込みゃしないわさ。へっへっへ。おばあちゃんが笑う。
 大河が気を利かせて高校時代に使っていた弁当箱を出してきて、出来たてのクリームシチュ
ーを盛る。耐熱容器だからこのまま温められる。竜児は電子レンジから焼き終わって馴染ませ
中のローストチキンを取り出すと一部を削ぎ、ひとくち大に切り分けて、湯がいておいたブロ
ッコリーにちゅっとマヨネーズ、添えたひと皿をつくり、ラップをかけて、弁当箱とともにコ
ンビニ袋に収める。
 それを渡しながら、

「あり合わせで済みませんが、作りたてですから良かったら」


 お愛想笑い。と言ってもガキンチョの頃からの顔なじみだから別段うざい、というほどでも
ない。小言も言われたが世話も焼かれて、特に泰子とは仲がいい感じだったから。

「ふふぇっ、これはこれは、ありがたいねえ。お世話様。頂きますよ」
「ちょっとチンして、乳くさかったら醤油が合いますからね」
「あいよ。アンタたちも暖かくしな。おいとましますよ」

 外階段をゆっくり降りながら、大家のおばあちゃん。腰は曲がっていても相変わらずカクシ
ャクとしていて、めりくり♪と振り返りもせず片手を上げた。


「ねえ?」
「おう?」
「なんかいいね?1階と2階で同じご馳走食べるのって」
「そうだな。ちょっと早いけど、もうメシにするか?」
「うん。なんか匂いでおなか減って来た」
「じゃ、ちょっと準備するからな。もらった山東菜をさっそくおひたしにしてみる」

 この鍋で、と嬉しそうな竜児。


 かつて大河とは約束したのだった。クリスマスには鶏ドーン!牛ドーン!と。
 その年にはかなえられず、次の年にも叶わず。
 やっと、迎えられたのだ。互いに念を押す事もなく覚えている。

(ん、ま、イーヨ)

 聞いたら、このように応えた大事なペット、インコちゃんの許しも得て、高須家の電子レン
ジのサイズからいって、ごく小さめではあったけど、逆にそれゆえに竜児が苦労して探してき
た丸鶏に香味野菜を詰め、秘伝のタレでローストチキンに。普段より高めの国産牛肉をごろご
ろたっぷり具のメインにした熱々クリームシチューを。もちろんブッシュ・ド・ノエルもどき
な自己流ロールケーキも手作りで、前日のうちに焼いたものが冷蔵庫で冷えている。

 大好きな、大切な大河と過ごす初めてのクリスマス。

 まあ、そこに山東菜のおひたしなんて場違いな一品が加わっても、おいしければいいだろう。

 一枚一枚、丁寧に流水で洗い、ざくに刻んで、キンキンに熱したびたくらふとに水をひと匙、
それは真珠のように丸まって転がり、蓋をされれば中に高温の水蒸気が満たして行く。そこに
葉を素早く投入。すぐ蓋をして。あとは焦げ付かないように大きくタテに揺する。中は見えな
いから勘と音が頼りだ。その間に指図をもらい、大河は容器をぐるぐる回して擦りゴマを小皿
にとる。戸棚からおかかの小袋を取り出し、混ぜ、醤油で和える。
 ん?と深皿を竜児に渡せばタイミングぴったり。大量の湯気とともに蓋が開く。

 粗熱がとれたら、ゴマオカカ醤油の塩気トッピングをのっけて、食べてみろという竜児の促
しにつまんでみれば、しゃっきりとして、甘くて、それは白菜とは全然違う味のコクを感じて
驚いてしまう。こんな野菜、食べた事ない。



「キャンドルを点けたいとこだけど、うち乾燥し切った木造だし、勘弁な?」
「しょーがないわねえ。じゃ、蛍光灯を豆球に、あとテレビで……こんなとこかな?」
「おう、そうだな。ほれ、プレゼント」
「遅っそい!と一応文句付けといて、へへ、ありがと。何かなー?」

 包みが簡素で、やっぱり暖かになるものかなーと予想しつつガサガサと開けてみる。

「……こんな高いもの」
「それがな、同じものなんだけど大して高くなかったんだ」

 シンプルなカシミアのマフラー。但し色違い。

「デフレってすげえなと思った。けどちゃんと調べた。モノは俺のと同じだ。使ってくれよ」
「うん。……でもあんたから見てこの色、合ってる?」
「おう。そう思ったから選んだんだ」
「ふへ♪じゃあ今日からこの色好きになるね」
「うちの中で巻くのかよwまあそのうち暑くなるけどな……さ、冷めないうちにメシにしよう」
「そうね。お?いわゆるスパークリングワインなんか出てくるわけ?」

 へへっとニヤケながら竜児が栓を抜こうとすると、途中からやらせてやらせてと大河が奪っ
てく。おい危ねえだろやめとけ、ちゃんと目だけ防いでおいてよ!顔狙ってんのかよ!うっさ
い胸狙ってるけど私ドジだから逸れるかもしれないでしょっ、ポンッ!コンッ!あてっ!

「あああああっ、こぼれるこぼれるっ」
「とととと!」

 しゅわしゅわとフルーティな香りが広がる中、綺麗に磨いたグラスに注ぎ分けて、ほっと息
をつく。目線を交わしあって、どちらからともなく笑い出した。

「初めてだね、あんたと私で一緒のクリスマス」
「おう。……大好きな、……き綺麗なお前と一緒の……クリスマス」
「はっ?はぁぁっ?恥ずかしいなもうっ。なんなのよ」
「だってお前。化粧してるし。すっげえ綺麗だ」
「そ、そうなの?やっちゃんにちょちょちょいっと塗ってもらっただけなのに」
「こんなに変わるんだ……って。き、緊張するな」
「むー」

 大河は取り上げたワイングラスを卓上に置くと、1分待って!と駈け出した。境の暖簾をバ
ッとかき分けて、洗面所でわっしゃわっしゃ、カオを洗い始める。
 お、おい、大河ぁ?竜児の声掛けも聞こえていないようで、洗顔フォームを凍りそうな冷水
で泡立て、本格的に化粧落とし。慌てて竜児が持ってきたふわふわタオルで水気を拭いとった
後は、あまりの冷たさに塗ってもらったチークよりも鮮やかに朱を差した頬で、でもさっぱり
とした表情になってる。

「あんたが緊張するようなメークはやだ。ぜったい嫌。これでいい?」
「いいも悪いもねえけど。つうか、いいばっかりだけどな」

 緊張しなくて済むように、慣れるように、いずれまた見せてくれよ。竜児はグラスを掲げて
促した。ゆっくり大人になるんだろ?と。


「……そうだね。いずれね。きっき気が向いたら……ね?」
「おう」

 ちんと軽くグラスを合わせて。

「メリークリスマス」
「メリー……クリスマス」


 うおおおおー、皮ぱりぱりーっ。鶏ドーンうまっ!ローストチキンだろ?鶏ドーンが正式名
称だと思ってんのか?なわけないでしょっ、符牒ってやつよ。あ、なんか良い香りがついてる
ね?おう、玉葱とセロリとコリアンダーだ。シチューもおいしっ!おうっ好きなだけおかわり
しろっ。ごっ、ご飯にかけてお醤油でって、やっちゃんがやってたの、おいしいの?

「ふっ、自分で試してみろよ」
「じゃあ、キモそうだけどちょ、ちょっとだけ試して……みようかな」
「小皿にメシ盛って、上から掛けて、ほれ?」
「む?むーん。うん、まんまだとふつうにご飯には合うね……ってよりドリアだわこれ」
「まあそこは予想つくよな。で、そこに醤油だ」
「ふん。うん。ん!ななななにこれっ!」

 旨っまぁーーーーー!!

「牛肉にも醤油はベストマッチングだしな。これって冷や飯にあつあつシチューかけたときも味変わるんだぜ?」
「すっごい!魔法みたい!おいしっ」

 ふーーーっ暑くなってきちゃった。もらったばかりのマフラーをほどいて、大河は愛おしげ
にたたむ。竜児は冷やかしもせず、目を細めてそんな仕草を黙って眺めた。寂しかったり、悲
しかったり。何かに耐えながらイブの夜を迎えることは、きっともうないだろう。

 この聖夜に、ささやかな願いを込めて。




〜おしまい〜




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