12月も半ばのころ。

 クリスマスを10日後に控え商店街は相変わらずイルミネーションに溢れている。
 通り過ぎゆくサラリーマンも散歩中のお婆さんも、皆その光に心癒され、
街は何処となく厳かな雰囲気に満ちている。

 そんないいムードを一気にぶち壊す男が一人。

「ねぇ〜カノジョぉ〜暇?暇なら俺とお茶しない?」
「困ります・・・・・・私、人を待ってるんで・・・・・・」
「そんな冷たいこと言うんじゃねぇよ。ほらこんな田舎だし
こういうことされたことないんだろ?な?照れなくていいって」

 ムードブレイカーなその男は見るからに軽薄そうな金髪。ファッションは、
最近流行っているアイドルのをそのまんま模倣。正直イタい。超イタい。
自分がイケメンだと勘違いしている典型的なパターンである。
 田舎扱いしてるがそこでナンパしている人間も相当な田舎者だ、
ということに全く気付いていない、ある意味幸せな人間だった。

 その勘違いオーラ120%な男に絡まれているのは身長150cmあるかないかの
まるでフランス人形が如き超絶美少女。

 周囲の人間は、周りがやらないなら俺もやらないという日本人の気質を裏切らない様子で、
要するに皆見て見ぬふりを決め込んでいる。

 そうしているうちにもチャラ男はどんどん少女との距離を詰め、
もう触れるか触れないか。間近で見る少女の作り物めいた顔を見つめ、
グフフ、とだらしなく、気持ち悪く笑っている。

「ねえ、あれヤバくない?」
「ヤバいよね・・・・・・・・」
「多分あそこの大学の大学生だよね」
「就活とかしなくていいのかな」
「ただでさえここらへんじゃ馬鹿大学とか言われてるのに・・・・・」
「そこの指定校推薦取ったあんたに言われたくはないでしょ」
「偏差値38とかなのに・・・・・」
「Fランク大(笑)とか言われてるのに・・・・」
「もう人生諦めてんじゃない?」

 キャハハとお前らにバカって言われたくねえ、というような
女子高校生に人生を憐れまれてるとも知らず、
人生を諦めてる(と思われている)その馬鹿大生は今もナンパを続けている。

 ところがいつか夢は覚めるもの。この馬鹿大生にも
目覚めの時は必ず訪れる。そう、トラウマ級の目覚ましによって。

「ねえ、あれって・・・・・・」
「ヤバッ!ねえ帰ろ?」

 12月になると日が落ちるのも早い。この日も辺りは急に暗くなりはじめ
人の歩みも速くなってゆく。馬鹿な男はこの時もまだ、
己に振りかかろうとしている災難に気づいていなかった。


 カラスが一斉に飛び立ち辺りの一瞬空を黒く染める。
それと同時に一人の男が商店街に足を踏み入れた。
 「そいつ」は他の人間には見向きもせず
大股に、スタスタと、速足に美少女と馬鹿大生のところへ向かっていく。

そして馬鹿大生の5メートルくらいで立ち止まると、

「・・・・・・・・・・・・・おい」
「あ、俺。そこの大学生、え?大学生にこういうのされたことないの?」
「・・・・・お前だよ、馬鹿大生」
「あん?」

馬鹿呼ばわりされた男(実際本当に馬鹿だが)はむっとした様子で顔を上げ、

「ひぃぃぃぃぃぃッッッッ」

すぐさまそれを後悔する。

 馬鹿大生の前に立っている男は顔つきこそまともだったが
その眼は軽く常軌を逸していた。
 ギュッと眇められた目、異常なほどに釣り上ったそれは完全な三白眼。
何より全身から立ち上る怒りのオーラ。
「喰ってやる」とばかりに乾いた唇を舐めるその仕草。
それはまるで羊の前の狼のよう。
これはヤバい。非常にヤバい。こうなったら手段は一つ。

「すっ」
「・・・・・・・酢?」
「すみませんでしたぁぁぁぁぁ!!!」
 それはいわゆる逃避行動。
喰われる前に牧場へ帰ろう羊飼いという名の冷たい現実のほうがまだマシだ、
と言わんばかりに羊という名の馬鹿大生は走り去り、そして見えなくなった。

「さて・・・・・・・」

 残された男と美少女。傍から見ればさらに状況がヤバくなったように見えるが
なんてことはない。実は二人、家族なのだ。

「なんで電話で助けを呼ばないんだよ。乱暴されたらどうするんだ。」

目つきの悪いこの男の名は、高須泰児。


「だってぇ〜、見たかったんだもん。お兄ちゃんを見たときの反応。」

美少女の名前は、高須竜河。

要するにこの二人、血のつながった兄妹なのである。


 『未来への帰り道』


「ねえ〜今日の晩御飯は?」
「ブリ。今が旬だからな」
「どうやって食べるの?」
「塩」
「焼きかあ〜」

 夕飯の献立を話しながら、2人は人が多い商店街を歩く。
目指すはそこのスーパーだ。

「ほんとはトンカツの予定だったんだけどね、誰のせいだろ」
「俺のせいじゃないだろ。強いて言うなら親父のせいだ。
それにブリだって安いわけじゃないんだぞ」

どこか疲れたように泰児はボヤく。

 実は泰児は竜河と会ってから一回程、職質をかけられたのだ。
実際泰児は学ランを着ているため、今までこの時間に職質をかけられたことはない。
 ではなぜかけられたか、それは父親から遺伝したこの目つきと、そして
「お前のせいでもあるんだけどな、竜河・・・」
「なんで?」

 お前と一緒だから、とは言えない。というか妹にそんなこと言いたくない。
そもそもこいつは言ったって理解出来やしないのだ。この俺の悩みを。

 そうこうしているうちにスーパーに入る。
タイムセールが終わった今、泰児に肉を安く買う術は残っていなかった。
 魚売り場からブリをふた切れ取り出して買い物かごにそっと入れる。

「ねえ〜お肉ぅ〜」
「無い」
「牛肉は?」
「無い」
「豚・・・・・」
「無い」
「じゃあ」
「鶏も無い」
「なんも言ってないじゃん」
「言おうとしただろ。文句あるなら食わんでよろしい。作るのは俺だ」
「う、うぐぅぅぅぅぅぅ」
「勝手に唸ってろ、行くぞ」
拙い、このままでは晩飯に肉が一切れも入らなくなってしまう。

 実際大したことではないのだが竜河にとっては大問題だ。何か策は・・・・・・


1、泣くと脅す。泰児が周りからなんと思われようが知ったこっちゃない
2、大声を出すと脅す。
3、その他。

と一瞬で鬼のような選択肢と立て、
仕方ないここは2で、と泰児に話しかけようとしたその時だった。

「あれ?高須君?」
「の、能登!?」


  *  *  *


「へ?」
振り返ったその場にいたのはやや髪を茶色に染めた竜河達と同じ
高校の制服を着ている女子校生。校章の色から見て泰児と同じ3年生。

 とそれまで落ち着きはらっていた泰児が急に挙動不審になる。
それを見て竜河は確信する。やはりこれは・・・・・・・。

 泰児はもともと母親や妹のせいか背の低い女性に興味を示さない。
かといって父親譲りの堅い性格のせいか今風の女の子は非常に敬遠するきらいがある。
とはいっても大人しい性格だと会話が続かないから嫌とも言っていた。

要するに泰司の好きなタイプは、
背はそこそこあって、それほどケバくなくて、そんでもって性格が明るい、
今ちょうど目の前にいるような女性だったのだ。

 それに加えて豹変した兄の態度。これは・・・・・使える!。

「ねえお兄ちゃん、お肉ぅ〜」
「だからしつけえって、おう!」
振り返る、と同時にのけぞる。

 一瞬のうちに竜河は上目使い。儚げに肩を縮こまらせて目には涙まで溜めている。
ただでさえ美少女である竜河。こんなことをされて胸に来ない男
なんていないし、もちろん泰児だって例外ではない。

 クッソこれ絶対、亜美小母さんの差し金だよなあ。
あの人親父に加えて最近俺まで誘惑するもんなあ。
なにが「亜美ちゃんって呼んで・・・・・・・いいんだ・・・・・・・・よ?」だよ。
もうあんた4■歳じゃねえか。
しかも俺のことは「泰児(はあと)」って呼び捨てだし、そんで俺はちゃん付け?
どこの65点クラスの奴隷だよ、俺は。いや呼び捨てなんて出来ねえけど。

 そうこうしているうちに竜河はどこからか持ってきた
牛肉(100g298円税別)を買い物かごに入れようとしている。
口パクで「・・・・いいでしょ?」と、その魅惑的な表情に泰児は、


「・・・・・・・駄目だ」

 頷かなかった。

「え?ええ〜〜!?」

 当り前である。たしかに可愛いと思ったりはしたがそれも所詮妹、
誘惑されるほど落ちぶれちゃいない。そんなことで覆る
MOTTAINAI精神(泰児ver)ではないのだ。

こうして竜河の作戦は完全に、

「ねえ高須君、ここまで言ってるんだし買ってあげればいいじゃん」
「なにぃっ!?」

 成功した。


  *  *  *


 そう、元から竜河は泰児を落とそうなんて思っちゃいない。
泰児の父親譲りの固い性格からして、親から与えてもらった大切な金を
妹のために使おうなんて思うわけがないのだ。
 じゃあどうすればいいか?簡単である。別の人間に説得してもらえばいいのだ。

 人を射んとせばまず馬を射よ(杜甫「前出塞」より)

 その言葉通り竜河が狙っていたのは泰児ではなく
そこにいる能登という名の少女だったのである。

「ねえ、いいじゃん買ってあげなよ。今時いないよ?こんな可愛い妹さん」
「・・・・・・・いや、あの・・・・・・・・ですね?能登・・・・・・さん?
こいつは今猫を、いや虎を被っているわけでして・・・・・・」
「訳わかんないこと言わないで、ほら!」
そう言うと少女は竜河の持っていた牛肉を取り上げ
泰児の籠に入れていしまい、
変わりに入ってたブリを自分の籠に入れてしまった。

「・・・・・ああブリが、俺のブリが」
「ねえ妹さん?名前なんてゆうの?私麻衣、能登麻衣ってゆうの。よろしくね」
「たかするか・・・・・です。簡単な方の竜に河原の河です」
「竜河ちゃんかぁ。今何年生?」
「一年生です。お兄ちゃんと同じ高校です」
「ええ〜!?同じ学校?全然知らなかったよ、ねえ高須君なんで言ってくんなかったの?」

 女どもはまさにorz状態になりかけている泰児を完全に無視。それに対して泰児は、
「ブリ・・・・・・・塩焼き・・・・・・・いや俺は照り焼きのほうが実は・・・」


 今だ立ち直れないでいた。
「えー・・・・・・・とぉ〜、高須君?」
「ああ〜〜〜!!ブリ〜〜〜!!って何だ?」
「いやだからなんで妹さんがいること言ってくんなかったのかなって」
「話すことでもないだろ。それより能登もここによく来るのか?」
「たまにだけどね。うち親が共働きだし」
「何やってんだ?親」
「お父さんは音楽関係のフリーライターで今週は出張中。
お母さんは雑誌の編集者で忙しいから今日は少し遅くなるって、
高須君のところは?」
「いや・・・・・・・俺の親は・・・・・・・」

 拙い。これは言っていいものか。
正直恥ずかしい。向こうがまともなだけに滅茶苦茶恥ずかしい。
しかしこっちだけ言わないというのもアレだし、

 そう、泰児の両親は息子の大学入試を直前に控えたこの時期に、
「うちの親は毎月恒例のデートです」
「そうそうデ・・・・・・・・てお前!」
「何で隠すの?嘘じゃないじゃん」

 そういう問題ではない。一体どこ結婚20年目になって
毎月デートに出かける夫婦がいるのだろうか。
 小さいころ友人たちにからかわれた苦い思い出が蘇る。
ああ、俺の初恋もこれで終わりか・・。

「へえ、うらやましいなあ」
しかし泰児の耳に入ってくるのは侮蔑でもからかいの声でもなく純粋な羨望。
「え゛!?」
「お父さん達から聞いてたんだけどホント仲いいんだね」
「え・・・・・。、ああ、そういえば能登のご両親はうちの親の知り合いだっけか?」
「そうみたいだよ?高校の時二人とも友達だったって、
うちのクラスの集合写真見てすぐ『この男の子、ひょっとして苗字高須?』
って言ってたし・・・・・・・そっちは聞いてないの?」

 一応そのことは泰児も両親から聞いていた、が

「すまん、聞いてない」 
「え?お父さん達言ってたよ普通に。ひょっとしてお兄ちゃん忘れた?」
「あ〜〜と・・・・・いや、覚えてるけど。そこは忘れるふりをするところじゃないかと・・・・・」

 泰児が忘れた振りをする理由、それは・・・・・・

「あ、いいよ、お父さんたち『どうせ悪く言ってんだろうな』って言ってたし
何て言ってたの?」
「えと・・・・・

『ふん!カワウソとギャル女の娘か。母親によく似てる・・・・・・・。
父親に似てないでよかったわ。
あんた、タイプの女だからってデレデレすんじゃないわよ』

って」
「「・・・・・・・・・・・」」
「え?似てなかった?」


 似てるよ!超似てるよ!「ふん!」のところなんて魂入ってんじゃねえか!
元々見た目も声も似てるから一瞬入れ替わったかと思ったぞ!

「・・・・・ていうか本人の前で言うか、普通」
「いや、いいよ高須君。うちの親もほぼ同じこと言ってたし、
タイプの女ってとこだけ予想外だけど。
高須君にも好みのタイプっているんだね・・・・・・・・なんか意外」
「そこは聞かなかったことにしてくれ、頼むから」
「え?別に悪い気しないよ?高須君って割と女の子に人気あるし」
「冗談はよせ、そんな訳ないだろ・・・・・・」
「そうですよ。うちの兄こんな犯罪者面なのに」
「お前に言われるとなんか腹立つな」
「・・・・・・まあ、二人ともそう思ってんならそれでいいけど」

 麻衣は複雑な気持ちになる。実際、泰児は本当に女子人気が高かったのだ。

 きっかけは家庭科の調理実習の時間、
泰児の班は彼以外全員手際が悪く、他の班に比べ相当遅れていた。
時間も半分が過ぎたとき、一人の女子生徒が
包丁で怪我をしたのをけっかけに今まで大した事をしてなかった
泰児は全員から包丁を取り上げ、班員5人分の料理全てを
少ない時間であっという間に作り上げたのだ。
 怪我をした女子生徒の治療や気遣いにも余念がなく、
後日彼女の両親は彼の家にお礼を言いにいったという。

 それだけではない。裁縫ではクラスで女子全員を差し置いて一番最初に仕上げ、
分からないから教えてくれと言った生徒には
先生でも裸足で逃げ出すほどの分かりやすさで丁寧に対処した。
 もちろん性別に関係なく。

 また常に友人の無駄遣いに対して「MOTTAINAI!」
と叫んでいたため付いたあだ名が
「般若の仕立て屋」とか「鬼の倹約家」とか「地獄の料理人」とか。
 
とにかく泰児は運動神経は人並み、身長も平均だったがその優しさと
目つきとのギャップもあってそれを知ってる女子からの人気はかなり高かった。

 まあ誰かさんからの遺伝のせいか本人は全く気づいていないようだが。


 *  *  *


 麻衣が泰児と知り合ったのは一年生の最初、入学したばかりのころ。
いや、それよりも前、高校入試の試験当日。会場が分からなかった麻衣を
わざわざ回り道までして案内してくれたのは泰児だった。


 目つきに怯えてた麻衣だったが、無事時間前に会場入りしたことに着いてから気がつき、
そこで自分がこの犯罪者面な男に助けられたことを知った。

 要するに、泰児がいなければ麻衣は現在の高校に通うことは出来なかった。

 特徴的なあの目つきを持った男は入学後すぐに見つかった。というか
自分と同じクラス。しかも斜め前の席だった。

 高須泰児。それが入学後、彼女が一番最初に知った男子生徒の名前だった。
親が友達同士ということを聞いた時は驚いたものだった。

 周りの人間が心無い噂をする中、何度か会話するうちに麻衣は
やはり彼はヤンキーなんかではない、という確信を強めていた。
 友人が無意味な注意を喚起するなか不快な気持ちにはならず、むしろ優越感に浸っていた。
最近では彼の本性に気づいた何人かが彼に好意を抱いているとは聞いたが。

 彼女がその最初の一人、要する泰児に恋心を抱いてもう結構な時間がたっていた。

 もう卒業まであと少し、受験も大詰めを迎えている。手を打てる時間は刻一刻と
少なくなってきている。

「じゃあ、俺たちはこれで」
「さようなら、麻衣さん」

 でも、と考え直す。でも今はこれでいいのだと彼女は思う。
卒業まで残り少ないといってもまだ時間はある。それまでにどうするか考えよう。
 今はそれよりこの予想外のブリをどうやって調理するか、そのほうが重要なのだから。


 *  *  *


 午後7時

 閑静な住宅街の一角にある一軒家が彼らの家だった。

 泰児は家に着くなり早速調理を開始していて現在のところ、
作業もひと段落し鼻歌なんかを歌いながら次の作業の準備をしている。

「若さだと〜♪言われようと〜関係ない〜yes♪」
「ねえ〜まだぁ〜?」
「はあ・・・・・・・まだだっての。何回言わせるんだよ」
「何回言っても出来ないから催促してるんじゃん・・・このダケン!!」
「その言葉母さんの専売特許だろ。文句があんなら少しでも手伝ったらどうだ」
「私、勉強で忙しいの。お兄ちゃんと違って」
「俺受験控えてんだが・・・携帯いじってることのどこが勉強だよ」


「ねえ、原子番号36番って何?」

 いきなりな質問。どうやら竜河はそれっぽいアプリをしてるようだ。

 理系の泰児はそれに対し淀みなく答える。
「Kr・・・クリプトン、だろ?希ガス原子だ」
「じゃあ炭酸ナトリウムの製造法は?」
「アンモニア・ソーダ法、またの名をソルベー法」
「エタノールに濃硫酸を加えて130度から140度で加熱すると?」
「分子間脱水が起こってジエチルエーテルができる。
理系舐めんな、もっと難しいのもってこい」
「ぬぅぅぅ・・・調子乗って。そんなに好きな女の人と喋れたのが嬉しかったの?」

 えっ?何でこいつ俺が能登のこと好きって知ってんだ?

 泰児よ、見りゃわかるに決まってるだろ、と画面の外から言うことはできない。

 まあここは落ち着いて、ポーカーフェイスで、否定しようじゃねえか。
友達には感情のない男と呼ばれてるしな・・・え?褒めてない?うるせえ。

・・・・すうぅぅぅ・・・・・・・・はぁぁぁぁ・・・・・・・・よし。

「べべべべ別にすすす好きとかじゃねえぞ!?」
「すごい噛んでんじゃん、間を取った意味ないじゃん。」
「あれ?何でこんなことに?」
「ま、いいけどね。お兄ちゃんが何処の誰とハアハアしようが私には関係ないし」
「あ・・・・・・れ?なんか既視感が・・・・・」
「で、まだ?」
「何が?」
「ば・ん・ご・は・ん!」
「おう!そうだった。もう出来るから茶碗とか出してくれ」
「やだ」
「あのなあ・・・」

 仕方なく泰児は一人で二人分の茶碗を用意し始める。
まあいい。この女は一度決めたらてこでも動かない。
むしろむりやり動かそうとしたらてこが壊れる。
こんなくだらないことで無駄な体力を使うわけにはいかないのだ。
飯を作ってそれで泰児の一日が終わるわけではない。

「ほら、出来たぞ。お待ちかねの晩飯だ」
「ん」

 結局、夕飯は泰児が一人で作ってしまった。メインは竜河の好物であるトンカツ。
普段なら踊りだすくらいなのだが、何か様子がおかしい。
 強いていうと、異様なほどに不機嫌だ。

「なあ。なんでそんなに怒ってるんだよ」
「怒ってないって言ってんじゃん。変なお兄ちゃん」
このやり取りを先ほどから何度も繰り返している。


 こういう意固地なところはほんと母さんそっくりだよな、と泰児は心の中で呟く。
 基本的に竜河は自分達の祖母(見た目30代実年齢50代)
の性格を強く引き継いでる。基本的にのんびりした性格は間違いなくその影響だろう。
 ただそれが不機嫌になると一気に母親の性格に変わる。
怒っている、と言っても怒ってないの一点張り。
これは彼らの両親が夫婦喧嘩した時と同じパターンだ。
 両親の場合、結局は母親が暴れるか、父親が土下座するかそのどちらかで
戦争は終わるのだが、いくらシスコンの泰児でも理由なしに土下座はできない。

 とはいってもこのまま、というわけにはいかない。
人間誰でもあんな不機嫌面で自分の作った飯を食われるのは嫌なものだ。
 何か、何か手立てはないものか、と思考ループに入りかけた
泰児をすんでのところで引きとめたのは、

「ねえ」
「おう!?」

 他でもない竜河だった。


  *  *  *


 竜河自身は自分がいらつく原因に気づいているわけではない。
そのことが彼女の不機嫌をさらに加速させる。
 いや、全く気付いていないわけではないのだ。うすうす感づいて
いることはいるのだが、竜河自身の心がその考えを拒絶する。
 
 そしてまた無限のループに入り込む。

 そう、それは完全な嫉妬。やきもちという絶対的な感情。
昔から竜河はずっと泰児に頼りっきりだった。
 そして泰児も当たり前のように忙しい両親に代わって、小さいころから
竜河から目を離そうとしたことはなかった。

中学生のころから竜河は次第と泰児のことがうっとおしくなっていき、
邪険に扱った時期もあったものの、最終的に困った時助けてくれるのは
いつも泰児だったのだ。

 だから竜河にはある自信があった

『兄にとっては自分が一番なのだ。自分のことだけを見てくれるのだ』

 これからもそうに違いない、と密かにそう思っていた。
 自慢できる特技もなく、内気でいつも兄の影に隠れていた竜河だったが
それに対しては絶対の自信を持っていた。

 その自信が今夜、撃ち落とされた。


 十中八九泰児と麻衣は両想い。目の前にある肉だって麻衣が無理やり
泰児に押し付けたようなものだ。おそらく竜河が同じことをしても泰児は
決して受け付けないだろう。

 万が一泰児と麻衣が付き合い始めたらもう竜河は泰児のそばにいられなくなる。
彼女より妹を優先する奴なんていない。
 要するに、そうなったら竜河はそれ以後何かあっても泰児を頼ることはできない。

 考えてもいなかった。次第に泰児から自立していく・・・・・という未来をおぼろげながら
想像していた竜河にとって「泰児が自分から離れていく」なんてことは眼中になかったのだ。

 そして懸念材料はもう一つあった。それは、

「ねえ」
「おう!?」

 竜河がこれから投げかける質問は自分がこれからどれだけ泰児に依存できるかを
占うようなものだったのだ。

「お兄ちゃんの行きたい大学ってどこにあるの?」

 言いかえれば
「この家を出ていくのかいかないのか、あとどれくらい自分は傍にいていいのか」
泰児の返事によっては竜河は覚悟を決めなければならない。



「おう岡山だけど」
「・・・・・・・・・・・・え?」

 答えは最悪だった。頭のいい兄のことだ。必ず志望校に現役で受かる。
そしたら自分は兄と離れ離れ。月に一度の手料理も金輪際食べることはできない。

 そのことに悟ると同時、急激に目の前がぼやけて見えてくる。

「おか・・・・・・・やま?」

 ああ、私は泣いているのか。その事実は意外とすんなり頭の中に入ってきた。

「お、おい。竜河?」

その様子は目の前にいる泰児もちゃんと気づいていた。
いきなり目の前で泣かれ始めたら困る。ただでさえ竜河は母親譲りのフランス人形のような
容姿をしているのだ。その泣き顔はそんじょそこらの泣き顔とは一線を画している。

 よく女の泣き顔は武器、とか言われるが竜河の場合は武器を通り越して兵器なのだ。
泰児にはちょっと刺激が強すぎる。


「お前、なんで泣いて」
「くっ・・・・・だって・・・・・すんっ・・・・・おかやまって、そしたら・・・・・っ・・・・・そしたら
もういっしょにごはんもたべられないし・・・・・おとうさんとおかあさんがいないひに
・・・・・ひっく・・・・つくってくれるひともいなくなっちゃうし・・・・・」
「・・・・・・・・竜河」
「おにいちゃん、あのひとのことすきなんでしょ?・・・・・・つきあったりして、
もうわた、ひくっ・・・・・・わたしのことなんて、かまってくれなくなっちゃうし、
ぐすっ・・・・・・・これから、どうやって・・・・・・」
「あのな、竜河・・・・・・・」
「うっ・・・・・・・なに?」
「お前は2つ、大きな間違いをしている」
「・・・・・・ふぇ?」
「まず俺の大学があるのは、岡山じゃない」
「え?でもさっき『おう岡山だけど』って」
「『おう岡山』じゃねえ、大岡山だ。東京都目黒区大岡山。ここから電車で1時間少し
だろ。家を出るのは大学を卒業してからだ。」


 ・・・・・・・・・・


「・・・・・・え゛?」

「あと、能登とは違う大学だぞ。まあ同じ都内だけど、あいつは新宿区だ」
「ど、どこ?」
「W大の文学部。親と同じでマスコミ関係になりたいんだと・・・。
要するに卒業したら離れ離れ、そもそも付き合う保証もねえだろ。」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「それ以前にお前みたいなのを残して家を出れるか。大学入ってから卒業するまで基本的な家事
は全部仕込んでやるから覚悟しろ。まあ親父とかも協力してくれるだろうけど。
あの人、お前にやたら甘いからなあ・・・。
とにかく、お前が一人でも大丈夫になるまで家は出ない。あとそれとは別に

俺が誰と付き合おうとお前が俺の妹だということはずっと変わんねえぞ?
なんたって俺にとっては世界でたった一人の妹だからな。

・・・・なんかこっ恥ずかしいな、この台詞。てか気持ち悪い?
や、やっぱり忘れてくれ、ていうか忘れたい・・・・・・・・おい竜河?聞いてんのか?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 聞いていなかった、いや聞いていることは聞いているのだが
さっきまで蒼白だった竜河は数秒の後に達磨も裸足で逃げ出すほどの真っ赤か。

「お・・・・・・おい、竜河?あ、あのな別にこんな勘違い気にすることはないぞ?
よくある間違いだし、お前に頼られてるって分かって悪い気はしないし逆に嬉しいっていうか、
だからそんなに顔真っ赤にすることねえぞ?」


 もちろんこの結末は竜河の勘違いが招いた結果であって、泰児に責任はない。
いわば自業自得なわけだがここでフォローしない、という選択肢は初めから泰児にはない。
なぜならそれは兄である泰児の義務であり、また責任でもあるのだから。

「と、とにかく!この話はこれで」
「わっ」
「・・・・・・倭?てこれ今日2度目じゃ」
「わ、わ・・・・・ぅ忘れろお〜〜〜〜い!!」

 咆哮と共に竜河が懐から取り出したのは、なんと・・・・・・・・

「え・・・・って、え゛?ぼ、木刀!?」
「死にたくないなら・・・・・記憶全部なくせ〜〜〜〜!!」

 フォロー失敗。
結局竜河をなだめることは出来ず、結局彼女が空腹でぶっ倒れるまでの約10分、
泰児は掛け値なしに恐怖の絶頂を味わったのだった。


  *  *  *


「ねえ、お父さんたちいつ帰ってくるの?」

 なんやかんやあっての晩餐会も終わり、
すでに入浴を済ませ、二人は夜の勉強会を開いていた。

 というよりも実際は竜河が勉強道具を持って
泰児の部屋に勝手に上がりこんでるだけなのだが。

 これについてはいつものことだから、と泰児も黙認している。

「さあ?もうすぐだろ。いくらなんでも朝帰りは無い」
「本当?」
「ああ」
「賭ける?」
「・・・・・・・・・・・・・・・賭けない」

 その間にも泰児は計算を進め、
「ほら、分かったぞ。お前最初のとこでいきなりミスってんじゃねえか。
だから最後まで導けないんだ。ほらここ、式を2倍したらルートの中は4倍じゃねえか。
展開の進め方は悪くねえけど、そこであってたら答え整数なんだぞ?」
「あっちゃ〜遺憾だわ〜」

 何回目だよその台詞、とは今さら言う気にはならない。
勉強会とは名ばかり。その実態は竜河の押しかけ生徒なのだ。

「少しは真面目にやれよな。お前はもともと頭はいいんだから・・・・・」
「あれ?」
「・・・・・・・・・・・・なんだよ」
「お父さん達の・・・・匂いがする」
「はあ?・・・・・・・あ、本当だ」
「ね?」
「匂いはしねえけど足音なら聞こえるな」
「うわ・・・・・つまんない」
「お前は俺に何を求めてんだ?ほら行くぞ」
「どこに?」
「手伝いにだよ。どうせ母さん酔いつぶれて親父におんぶされてんだから」


 この時午後11時。いつものように最終バスに何とか乗れたようだった。


  *  *  *


「ただいま〜・・・・・・・・・ふう」
「おかえり・・・・・うわ、完全にダウンしてんな」
「ああ・・・・・元からそんなに強くねえのにワインがばがば飲みやがって」

 高須竜児はそういうふうにいいながらも全く嫌そうな素振りさえ見せず、
そのままリビングに上がりソファに彼の妻を横たえる。

「じゃあ俺、風呂入ってくるから」
「あ、温度下がってるかもしんないからそのときは追い炊きしてね」
「わかった。ありがとうな、竜河」
「うん」
「ああそうだ。泰児、大河に水やっといてくれ」
「おう」

 竜児がシャワーを浴びているあいだ、リビングでは新たな問題が発生していた。

「ほらよ水だ、って寝てんのにどうやってやるんだ?」
「さあ?起こせば?」
「マジで?」
「マジ」
「はあ・・・・・・・・おい母さん、水だ!っておう!?」

 起こそうとしたその瞬間、泰児の母である高須大河は見た目にあわない馬鹿力で
彼を抱き寄せ、

「うみゅ〜〜〜、りゅ〜〜〜じ〜〜〜〜」
「うわ!すげえアセトアルデヒド臭、ていうか竜児、じゃねえ!泰児だ、泰児!」
「た〜〜〜い〜〜〜じ〜〜〜!!・・・・・・・・ん?」
「うぐぐぐ、離せ!ってうわ!」

 思い切り蹴り飛ばして

「なんだ、泰児か」

 つまんね、とばかりにため息をつく。

「・・・・・・・・・・・・」
「ふう、喉乾いちゃったわ。どっちか水持ってきて」
「・・・・・・・・・・・・」
「えっと、さっきお兄ちゃんの持ってきたのがそこにあるけど」
「あら、ほんとだわ・・・・ってかいつまでそこで寝っ転がってんのよ、泰児」
「・・・・・痛くて・・・・・・声が・・・・・出ない・・・・・」
「出てんじゃない。あ〜あ〜軟弱だこと」


 そう言うと大河は水を飲み始め、
コップに注がれた水はあっというまにその口に吸い込まれていく。

「くう〜〜〜〜!うんま〜〜〜い!!泰児!おかわり」
「・・・・・・・・・・もう自分でやれんだろ」
「へえ〜〜〜?か弱い女性にそんなことさせるんだ?
あ〜〜〜いやだいやだ。いつからそんな子になっちゃったのかしら。
竜児はいつだって何か頼んだらすぐやってくれるのに」
「分かったよ、持ってくるからそこで大人しく待ってろ」
「あ、あと晩御飯残りあるならチンして持ってきなさい。ありったけ全部よ、全部」
「レストランで食わなかったのかよ」
「量少ないのよ、イタリアンってのは。どれも高いから追加注文も出来ないし」
「少し時間かかるけど・・・・・」
「いいわよ、そのほうが好都g・・・・・じゃなくて・・・・・あっ竜河はここにいなさいよ」

 泰児が冷蔵庫の中身を取り出している間、リビングでは微妙な内緒話が始まろうとしていた。

「さてと、邪魔者はいなくなったことだし、ゆっくり話を伺おうかしら」
「えっと・・・・・・何の話?」
「惚けんじゃないわよ。今日スーパーで能登麻耶の娘に会ったらしいじゃない」
「何で知ってるの、その話」
「一時間くらい前にメールがあったのよ。
『もしものときはうちの娘をよろしくおねがいしま〜す』
ってね。
早めに帰ったら頼んでた献立が急に変ってたらしいし、雰囲気がおかしかったから
問い詰めたら白状したらしいわ。ちなみに竜児はこのことをまだ知らないわよ」
「お兄ちゃんに直接聞けばいいじゃん」
「泰児がそう簡単にゲロするわけないじゃないの、で?どうだったのよ、うちのバカ息子は」
「付き合ってるわけじゃないみたいだけど・・・・・」
「そんなの女ができたらすぐわかるわよ、母親なんだから。
そうじゃなくて、もっとこう・・・・・・・おしべとめしべが・・・・・・」

「何を話してるんだ?」
「ふぇっ!泰児?もう出来たの?」
「いや、その事なんだけど・・・・・ご飯以外だとこれだけしかないんだが・・・・・」
「なにこれ」
「・・・・・・・・・野菜・・・・・・ですけど・・・・・・殴らないでね」
「肉は?少しは残しとけってメールで言わなかったかしら」
「その分も含めて竜河が全部食っちまった。一応多めに作ったんだけどな」

 ・・・・・・・・・・・・・・

「ねえ・・・・・・どういうこと?竜河」
「ど、どういうことだろうね・・・・・・あはは」
「・・・・・・・寝ぼけてんじゃないわよ!ちょっと面かしなさい」
「ひぃぃぃぃ!!ゆ、ゆるしてぇ!!」

 しー・・・・・・・・・・・ん。


「なんだよ・・・・・やっぱり動けんじゃねえか」

 どこぞへと引きずられていく竜河をただ見つめることしか出来なかった泰児だった。


  *  *  *


 竜児がシャワーからあがったのは竜河が大河に引きずられて消えたそのすぐ後だった。

「あれ?大河と竜河は?」
「どっか行った。晩飯を残さなかったのが逆鱗に触れたらしいけど」
「ったく。あの二人は・・・・・」

 そう言いながら竜児は冷蔵庫から缶ビールを取り出し泰児の隣に座る。

「あれ?飲んでこなかったのか?」
「大河がいるからな。結局ほとんど飲まなかったな」
「よくやんな。親父はよ」
「そうか?」

 まんざらでもない様子で缶のプルトップを開ける。
会話は弾まない、けど仲が悪いわけではない。それが彼ら二人の日常なのだから。

「今日の晩御飯は何にしたんだ?」
「トンカツ、まあほとんど無理やりにな」
「そうか・・・・・・・悪いな、いつも」
「なんだよ。藪から棒に」
「いや・・・・・・・なんとなく、な・・・」

 そう言いながら、ちびちびとビールを喉に流し込んでゆく。

 この前冬は寒いからビールは飲みたくないって言ってたばっかりじゃねえか。
酒をあんまり飲まないあんたがこうして飲むってことは、
どうせ俺との会話の機会を設けるつもりだったんだろ?お見通しなんだよ、息子舐めんな。

 竜河のつまらないことでうじうじ悩むのは親父の遺伝だったか、と今さらながら認識する。

「いいって、そんなこと。料理するの嫌いじゃねえし」
「でも・・・・・・」
「いいんだよ、ほんとに。だって・・・・・・・」

 俺達は、家族だろ?

 そのたった一言で竜児は何かが吹っ切れたように、
その恐ろしい顔で恐ろしい笑顔を浮かべる。
そのうちに大河と竜河が戻ってきて、高須家も団欒の空気に包まれる。


この世界の誰一人、見たことのなかったものは

確実に存在していて、

それは必ず次世代へと受け継がれていく。

親から子へ、子から孫へ。

無限に続くリレーのように見えるけど、

一度その手でつかんだら、二度と離すことはない。

行先はただ一つ。

先の見えないけど愛が咲き乱れる

光り輝く、「未来への帰り道」なのだ。



[fin]



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