11

「だーめだ」
 足もちいさいのだった。本当に人形のようだと、竜児は思う。足の指もちいさくて、その先に大河の手の指の爪と同じ色をした、けれど竜児のどの指の爪よりもちいさな、桜色の爪がちゃんと生えている。
 竜児は捧げ持つようにして、大河の足の指にキスをする。
「いいじゃないケチ……あっ」
 口づけするほどに近づいた竜児から見れば、それはミルク色の細くなめらかな柱。立てられた脚の向こうに拡がる淡い色の髪の雲に浮いて、大河が薔薇色の唇をとがらせて不服そうな表情を向けている。
「ケチとかそういう問題じゃねえだろ」
「いいじゃない減るもんじゃなし……だめだってば、そこ、汚い……っ」
「おまえに汚いところなんかひとっつもねえ。……減るもんじゃなし、なんて、普通男が言うセリフだろ……」
「差別、ヨクナイ……キ、キスだけでいいでしょ? しゃぶっちゃだめだってばっ。あう……っ。……もー、いいもん、右手の匂い嗅いでやる」
「は? 右手の匂いって……わっ、バカ、おまえ、よせ!」
「ふんがふんがふんがふんがふんが……はー……竜児のソレの匂いがするわ……」
「嘘っ、マジで!? バカやめろ汚いっ」
「あんたに汚いところなんてひとっつもないんだぜ」
 そう言って大河は、ニヤリと。
 議論中、なのだった。二人は。これでも、一応。



 お願い竜児、初めては何もつけないでして……そう、甘やかにも切れぎれに、大河は竜児に懇願したのだった。避妊具を、ゴムを、つまりはコンドームを、最初はつけないで竜児のを挿入してくれと、そういうことだった。
 大河はしかもそれを、挿入予定の穴で竜児の指をぎゅうぎゅう締めつけて、あのいかにも大河らしく滅茶苦茶でやらしくて可愛らしい、イく姿を晒しながら頼んできたのだから、たまらなかった。竜児は本当に、脳裏にせめぎあう天使と悪魔を見た気がする。
 ねえねえ竜児、このえっちな穴にナマでハメるとすっごい気持ちいいんだって! 射精もオッケーだってさ! いこいこ!……と、文字通り手乗りサイズの裸の大河の姿をした悪魔が言い。
 だだだだめだっての! ちゃんと避妊しないと赤ちゃんができちゃうでしょ!?……や、やぶさかではないけど……そう言う、やっぱり超ちっこい天使の大河の方は全身ピンクのあやしいラバースーツを着ていた。なんか逆じゃねえ!? とすかさずつっこんだ竜児だったが、逆ではないのかと一人で納得した。
 やがておちついた大河にさっそく問いただしたところ、竜児の早合点があったことも発覚した。
 大河のお願いは正確にはこういうものだった。
 最初に挿入する時だけゴムをつけないで欲しい。そしたらすぐ抜いて欲しい――つまり中で射精してはいけないのである。当然だよな当然ははははははは……そう空笑いした竜児だったが、むしろ当然中出しかと最初に考えてしまっていた自分の欲望の深さに内心、恥じ入るばかりであった。
 さてそこで問題なのは、ゴム無しで挿入して射精せず抜いた場合、それも避妊したことになるかどうかだった。
 遺憾なことに(?)、大河も竜児もその答えを知っていた。いわゆる膣外射精と呼ばれるその行為は、避妊とはとても呼べない確率で妊娠することもあるのである。勃起した男性器の先からにじみ出てくる透明な分泌液(大河に吸われた……)、透明な蜜みたいと大河が呼んださっきのあれ(大河に吸われたんだよ……)、あれにも精子が混じっているからだ、と二人の知識も一致していた。
 さてそこで議論になった。
 大河は、処女を捧げるのにゴム越しなのは抵抗がある、妊娠の確率もちょっとは下がるだろうしいいのではないか、と主張し。
 竜児は、処女ゴム云々についての大河の気持ちもわかるが、やはり避妊とはとても呼べないやり方はよくない、と主張した。
 そんな意見の違いはあれど、それでもやっぱりどうしてもつながりたい、そこは二人は共有していて。
 どうしてもつながりたいから、いちゃいちゃは止められなくて。
 自然と、ながら議論になっていた。



 かくして変態爆発竜児の大河全身清掃、もとい、全身キス責めの続き(特に下半身)は着々と進む一方、議論の方は平行線、遅々として進まないのである。



「ねえ、ちょっとだけ。ちょっとだけだから。先っぽだけでもいいから。大丈夫、中で出さなきゃ妊娠しないから」
「だーめだ、って。可能性あるのおまえも知ってるだろうに。てかだからそれ完全に男側のセリフだろ!?」
 筋肉も美しい、流れ落ちるミルクのような大河の細っこいふくらはぎに口づけしながら、竜児の凶眼は狂おしく火花を散らす。大河のこの白い脚を流れる血潮に牙を突き立てたいと、吸血鬼としての眠れる本性があらわになったわけではない。食べちゃいたいくらい可愛いとは思っているが、たんに困惑しているだけなのだ。
 争う天使と悪魔を見たと思った竜児たが、実際のところ目の前には悪魔しかいないのだった。しかもこの悪魔もやっぱり裸で、やたらと小柄だが元気で可愛い。そんな降臨した裸の悪魔こと大河は、堂々巡りに踊る議論のはしばしで、
「お願い、初めては竜児をナマで感じたいの……」
 とかと、祈るみたいに両手を組んではちいさな乳にぷにゅと押し付け、さらにはその大きな瞳を、腹黒美少女としてお馴染みのどっかの悪友ばりにキラキラキューンと輝かせたりなんぞしてまで、哀願してくるのだから竜児には厳しい。惚れた弱みにつけこむとはまさにこのこと。脳裏にお住まいの方の悪魔な大河ミニさんまで「お願いりゅうじぃ〜」なんて復唱してきてこれじゃ二対一じゃねえかと。あやうし竜児、なのである。
 実はむしろ、大河がまだふざけ半分に腹黒様のマネとかしているうちはマシなのだ。それがわかる分、竜児としても冷静になれるというものだった。だけど、もし。
 普通に、素の大河にあの寂しそうな切なそうなツラで同じ言葉を吐かれた日には――本当に俺は狂ってしまうかもしれない、と竜児は思う。それを思うと、おまえどこまで本気なんだ……なんて引き金を引くようなことは、怖くて訊けたものではないのである。
 とはいえ、それとこれとは話は別とばかり、竜児は大河の足の裏にだって唇を捧げる。せっせとちゅっちゅと。
「あひゃひゃひゃひゃひゃ! くすぐったいわバカタレ!」
 大河は身をよじり足をひっこめようとするが、竜児は両腕で足をがっちりホールド。もう片方の足でげしげし蹴られようとひるまない。なにせそんな大河の蹴りからは普段の暴虐の力がすっかり抜けていて、
「……もう、竜児の変態……っ」
 かわりに大河の声には切ない乙女の響きが宿ったりもするのだ。なんだかんだで大河は大河なりに竜児に「手込め」にされてしまっているのである。
「だいたいコ……コンドーム買ってきたのはおまえじゃねえか」
「だから後でそれもちゃんと使ってって、言ってるじゃない。それに買ってこなかったら、竜児はえっちなんかしようとしないでしょ? なんか見てると辛くって」
「当然だ。……って、何だって? 見てると辛い? 俺をか?」
「そう、竜児を。だーってさ、もうずっと。竜児ったら、手は握ったら汗だく、目は血走ったまま、そのくせ私のこと盗み見しまくり。ちょっとでも近寄ったら顔は真っ赤にするし、鼻息は荒くするし、なんかハァハァしてるし。私にやらしいことしたい、えっちがしたい――――っっっ!……って、バレバレなんだもん」
 手が、と言われては手を離し、目が、と言われては目を手で隠し、顔が鼻息がハァハァがと言われては隠しようもなくなった竜児は大河の足元で丸まって貝になる。もし生まれ変わることが出来たなら、俺は貝になりたい。大河とえっちが出来ないような貝に……それは嫌だ! と自己完結して、引きこもるすんでのところで貝殻の隙間から気管のように話すための唇を出す。
「……俺、そんな、だったか?」
「うん! すっごくそんな感じ! まあ、嬉しかったんだけどねへへへ……って、こーら貝、閉じるな。ちゃんと人の話を聞け」
 力も抜けているためかひどく優しい具合で、大河は竜児の頭にこんこんと踵を下さる。
「……ほっておいてください。俺は深海の一介の貝。大河さまをえっちな目で見まくった罰で、貝に生まれ変わったのです。ほっておいてください……」
 はあ……と大河がため息をつくのが聞こえる。やれやれ……ともおっしゃられたかもしれません。



「それじゃあ、私も貝にならないとね」
 そうおおせになって、大河さまも貝に……って、
「え?」
 つい、竜児は貝殻をわずかに開いて聞き耳を鋭くする。
「私も、竜児のこと、えっちな目で見てたもん。貝にならなきゃ。竜児と一緒に」
「大河……」
「竜児が私のこと意識してるの、観察している時はわりと平気なの。嬉しいな、楽しいな、って……からかう余裕もあるくらい……だけど、それ以外の時は、だめ」
 そこで言葉を区切って、つい大河は唇をそっと噛んでしまう。伏せ目にした長い睫毛も震わせ、大河は少し迷ってから勇気を出して言葉を続ける。
「竜児が物思いにふけっている時とか……竜児は何考えてるんだろうって、竜児のことわかりたいって、思うんだけど、気づいたら竜児の唇を見てるの。竜児の唇のことばかり考えてるの。髪の毛を見て、触りたい、って思うの。腕を見て、抱っこされたい、って思うの。手を見て、撫でられたい、って思うの。背中を見て、しがみつきたい、って思うの。竜児のこと、ぜんぶぜんぶぜんぶ欲しいって……そう思うの」
 だから、私も貝にならなきゃね……なんて、大河は言う。
 大河のひとつひとつの欲望の告白を聞くたびに、胸があたたかくなるのを竜児は感じる。少しもいやらしいなどとは思わなかった。竜児は嬉しかった。自分のこの、なんのへんてつもない身体を、美しくもなければ取り柄もないこの身体を、その髪の毛の先までをも、大河は欲してくれるのだった。狂おしいほどに恋人の身体を求めることが、自然なことかどうかなんてわからない。けれど、好きなひとから求められることは、心から幸せなことだと竜児は知る。だから貝になる必要なんてないのだ、大河も……そして、自分も。
「貝になんてならなくていい」
「竜児……」
「嬉しいよ、大河……」
 竜児の殻が割れる。顔を覆う手を解き、顔をあげた竜児は目の前の光景を見て、
「……大河さまが貝になられた……」
 ちょっと狂っていた。
「ヘ? 私が貝?……あんた貝ってまさか!?」
 顎を引いた大河は見た。
 大河の股間に鼻を突っ込むようにして見入っている、寄り目も血走って鼻息も荒い凶悪犯ヅラの最低男(恋人・17)の姿を。
「貝とか死ねこの変態っ!」
 危機を察知した動物の本能が人間の愛を越えた悲しい瞬間であった。迷わぬ罵倒に振り上げた足を一閃、大河の渾身の踵落としが竜児の後頭部に決まる。だが、しかし。
「あひっ!」
 叫んで意識が飛びそうになったのは大河の方だった。渾身のはずの一撃はやはり脱力していて、竜児の頭を後ろから押す格好、竜児の顔面を大河の股間に突っ込ませたのだ。しかも鼻先はモロに大河の秘貝(命名・竜児)に突っ込んでいた。そのうえ。
 何をされたのかはわからないまま、どうなっているのかはわかった竜児は、やっぱりちょっと狂っていたのかもしれない。
「……」
 竜児は無言のまま、ぺろり、と。
「あはっ!」
 口からも鼻からも盛大に息を吐いて大河は悶絶。一度だけ腰を跳ねさせる。二度目が無いのは、大河のふとももを竜児が両腕で下からがっしりホールドしてしまったからだ。
「……なぁ大河、ここ、キスまだだった。キスしていいか?」
「ななな舐めてから言うなっ! やだだめだめ絶対汚いからだってそこ」
 ぺろん。
「あひゃっ!」
 格別に変な声が出てしまうのだった。跳ねるはずの腰が固定されているものだから、腹筋をするように大河の上半身が逆に跳ねてしまう。
 上体を起こしたまま静止するという腹筋運動じみた姿勢で、大河は触りたかった竜児の髪を存分にわしづかみして、押しはがそうとする。



「だ、だめだってば竜児! そこおしっこするところだしそれにそれに」
 ぺろん。
「あーっ! 違うの舐めて欲しいとこ言ったんじゃないおしっこの穴舐めちゃだめ」
 ぽかぽかと竜児の頭を叩くけれど、どんどん力が入らなくなっていく。
 ぺろぺろ。
「あーっ! あーっ! へ、へんたいっ、りゅうじの、へんたい……っ!」
 そんなとこを舐められるなんて、大河は想像すらしたことはなかった。恥ずかしすぎた。そこがこんなに気持ちいいなんてことも、知らなかった。もう一度竜児の髪を掴もうとするけれど、嬉しくてもっとしてって撫でているみたいにしかならない。違うの、って言おう。言わないと。おしっこの穴を舐められるのが好きな変態だって、大好きな竜児に思われちゃう。
「ち、違うの、りゅうじ……」
 大河の茂みに鼻をうずめるようにしていた竜児が目を開く。そんな光景も恥ずかしすぎた。大河は大きな瞳を開いたまま竜児の視線を受け止めるのも辛くて、つい目をそらしてしまう。
「おう、そうか。すまん……」
 大河の言葉は通じたのだろうか、竜児は謝ってくる。べつに謝らなくていいのに、って思う。
 竜児は大河のふとももを抱えたまま、右手の親指を恥丘の茂みの下に押し当てる。大河は震えて、なにをされるのか気になって、盗み見てしまう。きっと竜児にえっちなことをされると、教えるように奥のところが甘く鋭く疼いて、切なくなる。その時、竜児の親指が持ち上げるようにわずかに動いて。
「……っ!」
 大河は剥かれてしまった。もう裸なのに、もう一度丸裸にされてしまったかのようだった。大河は驚いて息をするのも忘れて、煌く瞳をめいっぱい大きくする。大河からは見えないけれど、そこがひんやりとした空気に触れて、剥き出されていることがわかる。竜児がそこをじっと見ていて、殺したいほど恥ずかしい。まだ熱くなれたのかと驚くほど顔中がほてって、耳まで熱い。そこはさっき包む皮の上から竜児の指にさんざん弄ばれたところ。大河の、クリトリス。
 そんなこと竜児にされるなんて、信じられない。さっきお風呂に入った時、ちゃんと綺麗にできていただろうか。でなきゃ死んじゃう。竜児はじっと見つめるばかりで、黙っていて、大河は怖くて何も言えない。あんな変なところ、竜児の目にどう映るかなんて。もし褒められたって、信じない。真珠なんて言ったら殺してやる。
 竜児の口が動く。お願い何も言わないで!
 ふっ。
「はあっ!」
 大河の身体が跳ねる。身体は快感が爆ぜたように反応して意識が薄れてしまうけれど、なんて……なんてなんてなんて屈辱。
 ふっ、ってされた。竜児にそこを、ふってされた。息を吹きかけられた。ふってふってふってふってふって!
 なんなの? 馬鹿にされたの? それともそれも愛撫なの? 優しい目をして微笑んだって駄目! もう決めた。もう決めた絶対決めた竜児を殺して私も死ぬ。
 大河は本物の殺意をこめて竜児を睨みつける。竜児が何を言ったって駄目。二人で死ぬのこれ決定。問答無用、聞く耳はもたない。
「大河……ここにキスしたい」
 もうやだ。なんなのこのカラダ。その言葉を聞いた途端、そこの奥がずきずきずきずきっ、って熱く疼いてたえられない。がくがく震えて止まらない。聞く耳もたないって何なの? 意味ないじゃん私聞いたし聞こえちゃったし。竜児が私のそこにキスしたいって。可愛がりたい、愛したいって。そこ変なとこなのに。頭がぼうってする。だって、キスなんて、
「キスなんて……っ」
 駄目って言わないと。だってずきずき止まらないんだもん。もう溶けてるみたいなんだもん。竜児は可愛いなんて言ってくれるけど今も変な声が出そうなんだもん。まだキスされてないのに。キスされたい。うっさい黙れ! もうこんなに溶けてるのにキスなんかされたら私だけ死んじゃう。そんなのずるい。竜児も一緒に死んでくれないんならやだ。やでしょ?! キスされたい。だから駄目って言うの。キスして。だから駄目って!
「だ、め……っ!!」
 い、え、た、よ……?
 竜児は大河のクリトリスにキスしていた。唇をすぼめてわずかに開き、唇にはさむように。ちゅっ、と。そして唇を離して様子を見る。
「……っ! ……っ!」
 大河は瞳をぎゅっと閉じて息も詰めて、竜児の頭を抱えるようにして何度も跳ねた。淡色の髪が揺れ、肌に結んでいた汗が飛び散る。



 竜児に剥かれたそこを、キスされたのだった。ぜんぶしてね、と大河は言った。ぜんぶあげる、と大河は言った。でも、そこを剥かれてキスされるなんて、考えてさえなかった。でも何かをあきらめて、大河は嬉しかったのだ。そこも竜児のものになったんだって、思う。もっとキスしていいよって、思う。だってもう、そこも竜児のものだもん。でもやっぱり駄目かも。だって、そこ。
 ちゅっ。
「あうっ! そこ、すご……っ!」
 ……すごいの。一瞬、頭の中真っ白になる。身体が勝手にあばれちゃう。竜児が悪いの。竜児の唇が特別なの。気持ちいいとかそんな穏やかなのじゃない。触れたら熱くて甘くて中毒になる。もっとして欲しくなる。もっとして欲しくて、同じところを捧げてしまう。カラダが勝手に大河の股間を竜児に突き出してしまう。知らない筋肉が動いて、息するみたいにそこを何度も疼かせる。おねだりするいやらしい身体。なのに。
 なのに、竜児は、キスをやめてそこを見ているだけ。
「や、やめちゃう、の……?」
 大河は言ってしまう。言って、おねだりに聞こえたろうかと心配になる。すぐに、どうして竜児はやめたのかと不安になる。今までの時は、駄目と言ってもやめないで、最後まで……イクまで、可愛がってくれたのに。これが竜児の意地悪だったらいい。でも、もし。
 嫌になったのだとしたら。
 嫌になったのだろうか。やっぱり変なところだから。だってまだ竜児、褒めてくれてない。可愛いって言ってくれてない。綺麗だよって言ってくれてない。真珠みたいだ、なんて言ってくれてない。別な涙が瞳にあふれそうになる。要らないと思っていた言葉が今は欲しい。キスがだめなら息ででもいいから可愛がって欲しい。
 だって好きだから、怖いんだもん。
 とうとう竜児は、目をぎゅっとつぶってしまった。
「りゅ、竜児……?」
 大河は焦った。ぜんぶひっくり返ってしまう。息でもいいから愛撫が欲しくて、なんでもいいから褒めて欲しくて。そして今は、せめて見ていて欲しいのだった。でも竜児はぜんぶ止めてしまった。でもどうしたらいいのかわからない。怖い。もう、竜児の中断は意地悪なんかじゃない。もし、嫌になったのだとしたら……嫌にならないで、なんて、言えない。言っても意味がない。どうしたらいいのかわからなくて、大河は名前を呼ぶしかなくなる。
「竜児……」
「駄目だよ、大河……」
 苦しそうな竜児の声。
 駄目って、竜児は言った。駄目って、駄目って。やっぱりそうなんだ。とうとう涙があふれてしまった。瞳をめいっぱい拡げたのに、溜めておけない。嫌われたんだ、竜児に、あそこ、変なところ……大事な、ところ。身体からは力が抜けてしまっていた。涙を流す機械になった。何も考えられなくて、きっと私、消えてしまいたい……。
 違う。私、こんな子じゃなかった。しくしく泣いて消え入ろうとするような娘じゃなかった。変えられてしまった。竜児のせいだ。私は怒る子だったのに。どうしたらいいのかわからなくて怒る子だったのに。そうだ。
 大河は、怒る子。
「駄目なんて駄目えっ!」
「大河……!? うわなんでおまえ泣いてるんだ泣くな泣くな!」
 声に驚いて竜児が目を開けると、大河はものっすごい睨み目でしかもどばどば泣いていた。竜児は大河のももを抱えていた腕を解いて、焦って大河の身体を駆け上がる。顔に顔を寄せる。睨む大河に竜児の凶眼、はたから見れば竜虎抗争勃発、流血必死逃げろや逃げろのガンつけである。
「どうした大河、泣くなよ……」
「うるっさいっ! 嫌われたら泣きもするわ! なんで見ないのよせめて息吹きかけろ真珠とか言え! 駄目とか許さん変えた責任をとれ責任を! よっしゃなんか元気出てきたあっ!」
 大河が言うことは滅茶苦茶だった。
「おう、元気になったなら嬉しいが、おまえが何を言っているのかさっぱり意味がわからねえ」
「なら考えて! シンク! 間違えたら噛む! ……目をそらすなっ!」
 噛むなよ……と思いながら、何と言われたか記憶をまさぐろうとして、竜児が目を斜め上にそらすのも大河は許さない。大河はその間も竜児の目をねめつけ、間違えるなよ、間違えるなよ、と繰り返しては、こうだとばかりにちいさく並んだ綺麗な歯をカチンカチン噛み鳴らすのだから、何かを考えるにはこれ以下はない最悪の環境だった。



 だがここは是非とも俺にお答えいただきたい。大事な大事な……大河、は。
「……嫌われた、とか言ってたな、おまえ」
「ちっ、正解……そうよ、あんた嫌いになったんでしょ私の……あそこを。だからキスもやめて……だから駄目なんでしょ……うぐぐ」
 泣くのがくやしくて、歯を食いしばって我慢するけれど、大河の瞳は星を揺らして涙を落とす。それでも一切ごまかされはしないと、視界に揺らめく竜児を睨みつける。けれど。
 竜児は笑いも、苦笑も、微笑みもしなかった。
 謝りもしなかった。褒めもしなかった。まして怒ったりもしなかった。
 ただ竜児は頬を赤くして、ぼそっと。
「おまえのを見てると、つながりたくてたまらなくなるんだよ」
「嘘っ! ……ん、ん?」
「おまえのにキスすると、気が狂いそうになるんだよ、俺は」
「んんん……? もうちょっとわかりやすく言って」
「おう……つまりだな、なんもつけないでいきなり、ハメ、たくなるんだよ」
「……そうすればいいんじゃない?」
「だから、俺はちゃんと避妊したいの。なのにそうしたらおかしいだろ? それじゃ俺が狂ったっていうことになるだろ?」
「……おお、なるほど」
 左手を臼に、右手を杵にして、大河はポンと手を打つ。
「わかったか?」
「いやちょっと待ってくださいよ……?」
 と、大河は今度は右の人差し指を額に当てて推理の構え。別に俺は犯人でもなければ、クイズも出しちゃいねえよな……? と、竜児は思わずにはいられない。
 やがて探偵大河は竜児に人差し指を突きつけて。
「……するとあんたは別に私のあそこを嫌いになってない、と?」
「と?じゃねえ。嫌いなわけねえじゃねえか」
「『嫌いな、わけねえ、じゃねえ、か』?……嫌い、否定、否定、疑問……難しいっ! 好きか嫌いかでどうぞ!」
「好きだよ」
「……ほんと? あ、じゃなくって。あの、特にその、最後にキスしてたあたりなんかは?」
「最後に、って……す、好きだぞ?」
「おお……っ。ちなみにたとえて言うと何? 比較的いい感じのが嬉しいんだけど。宝石とか素敵なのがいい」
「大河……おまえは一体何を言って」
「あーっとひとつ忘れてたあ! こっち大事かもこっち優先で。ねぇ竜児、何が駄目なの?」
「おう……すまん、今度は俺だ。もうちょっとわかりやすく言ってくれ……」
「察しの悪いボンクラねえ……だからさ、竜児が私のあそこにキスするのやめて、駄目だ、とかなんとか言ったでしょ? あれ何?」
「そこに戻るのかよ!? ……だから、俺がおまえのにキスするだろ?」
「ふんふん」
「おまえは可愛い声とか出すだろ?」
「ふんふん……っ」
「おまえは可愛く震えたりするだろ?」
「ふっ、ふんふん……っ」
「すると俺の、が、すごく勃起するだろ?」
「……そ、そうなの?」
「そうなの。……すると俺はまさにそれをハメるところにキスしてるわけだろ?」
「……っ」
「唇で触れているところ、目の前がそうなわけだろ?」
「……」
「そんなとこにキスしてたら我慢できなくなるだろ? 議論の結論も出てねえのに」
「……」
「だからキスはしたいけど出来ない、だからもう駄目だ、と。ほらつながった」
「……」
 ところどころで律儀にふるふる震えたりしながら、大河は竜児の説明をおとなしく聞いていた。毒気は完全に抜けてしまっていた。あそこが嫌われたわけではないと知って、嬉しかった。けれど。
 元気も消えてしまっていた。竜児にそんなに我慢させていたということも、知ってしまったから。



「そんな顔するな」
 竜児はそれでも微笑んでくれる。竜児の我慢を大河は勘違いして、ドジな早合点して、変な難癖に付き合せたのに。
「嫌われたなんて思ったのか、バカだなおまえ……」
 バカと言われて、やっと大河の気持ちは少し軽くなる。竜児は頭を撫でてくれて、大河の額にキスしてくれたから、やっと大河も唇をむにゅむにゅ波に結んで、微笑むことができる。やっぱりこのひとが世界で一番、私を上手に可愛がってくれる、って思う。
「もっといっぱいキスしたかったよ、大河。おまえのに」
 大河はつい竜児の唇を見てしまう。思い出して、すぐにへその下がずきずきと甘く疼き出す。顔がほてって、つい鼻息を漏らしてしまう。
「おまえはどこもかしこも可愛くて……可愛すぎて、俺にはもったいないくらいだ」
 はっとして、大河は瞳を大きくする。せっかく竜児が止めてくれたのに、また涙があふれてしまう。なんて泣き虫。
「そんなことない! 何度言ったらわかるの!? 竜児じゃなきゃだめだもん! 竜児じゃなきゃ、私……っ!」
 大河はとうとう絶句してしまう。いっぱいいっぱいいっぱい伝えたいことがあるはずなのに、胸につかえて出てきてくれない。どれも的外れに感じてしまう、あいまいな言葉の雲みたいなところから、ようやく思い浮かんだことを、大河は唇をとがらせて、ひとつ呟くのがやっと。
「……何度もなんども好きになるの、竜児だけだもん……」
 竜児は涙で頬にはりついた大河の髪を指で梳き取って、親指で目元を拭ってくれる。
「あんまり泣くな、頭痛くなるぞ」
「あんま泣かせんな、竜児のバカ」
 言って、悪口だけは快調なのに、って、大河は思う。そして思いつくのはぜんぜん関係のないことばかり。
「ねぇ竜児。のど渇いた」
「おう、そりゃそうだろ。お茶とってやる」
 そうしてよつんばいになってペットボトルに手を伸ばした竜児を見て、また大河はそれとあまり関係のないことを思いついたから、言ってみる。
「あのね、竜児」
「おう」
「ゴムつけて、していいよ」
 竜児の手からペットボトルが落ちた。






  12

「うっふ〜ん」
「……」
「あっは〜ん……」
「……」
「りゅ〜うじぃいいいいん……どう、上手くいった?」
「……いや、だめだ。これもう使えねえな……」
 がっくりと竜児は肩を落とす。ついでといってはなんだが股間の手乗り竜児もしょんぼりしている。そんな竜児の手には裏も表も無くぐにょぐにょと丸まって使えなくなったコンドーム。これで2個目であった。
 ゴムなんて当然のごとく今まで一度も着けたことなどない絶賛童貞中の竜児である。
 ゴム着きで挿入して良い――大河の許しをついに得て、竜児はドキドキワクワク、意気揚々と、装着すべく箱を開け、はやる気持ちを抑えながらしっかり説明書を読んだ。それでもその時までは股間のミニ竜児だって意気揚々としていたのである。ところが。
 袋を切ってゴムを手に取り、竜児がいざ勃起した自分のモノへと乗せてかぶせようとすると、なんだか上手くいかないのだった。上手く着けられないから萎えるのか、萎えるから上手く着けられないのか、とにかくと焦れば焦るほど、萎えてしまって失敗する。後に残るゼリーでべたべたするゴムの情けない残骸がまた、おのれ自身のさまを思わせて、竜児にはひときわ物悲しい。
 そこで「よし、私もひと肌脱ぐわ!」と協力を申し出たのは、ひと肌も脱ぐものとてないまっぱの恋人、大河であった。「私の性的魅力であんたのおちんちんを勃起させ続けてあげる! それはもうビンビンにね!」と、恋人の口から聞くにはいささかキツい表現ではあったが、それでもそんな大河の気持ちに竜児は素直に感動していた。「おう、頼んだぞ!」なんて、竜児も元気に応えたのだった。
 そして、その結果が、さっきの「うふ〜んあは〜ん」なのだった。棒読みではないにせよ、そんな如何ともしがたく紋切り型のヨガリ声を上げながら、竜児の前で大河がとるポーズもまた、どこかのギャグマンガにでも出てきそうな紋切り型のセクシーポーズ。この上さらに大河の性知識の仕入先まで心配することになった竜児である。
 こいつのする「協力」ってそういえばそんなだったな……と、お互いに別の恋を応援しあっていたあの頃の大河クオリティを思い出す竜児は感慨もひとしおだが、そんな感慨では当然、勃起しないのである。今や大河と相思相愛、大河にメロメロ(つられて紋切り型)の竜児だから、やばいエロ人形みたいになっている大河を見ても、こいつすごく可愛い、くらいは思う。写メで仮撮りしまくりデジカメで永久保存したいとも思う。思うが、それもやっぱり勃起の方向からはななめにズレているのだった。
「……なあ、大河。協力してもらっているところ悪いんだが、せめてその『うふ〜んあは〜ん』だけでもなんとかならないか?」
「なによ。私にこんな恥ずかしいことさせといて、その上注文するって言うの? あんた何様のつもり? 婚約者? 恋人? 私のご主人様?」
「おう……『様』はともかく、だいたいそこらへんではあるようだぞ」
「ちっ……どうすればいいわけ」
「本当にありがたいと思ってるんだ、大河。だからそうヘソを曲げるなよ……なんていうか、いつものおまえの可愛い声でいいんだが」
 竜児の言った「可愛い」の言葉に律儀にふるふるして、でも大河は不服そうに言い張る。
「じゃあさっきのでいいんじゃない」
「おまえは『うふ〜んあは〜ん』なんて言ってなかったぞ……?」
「そんなこと言われたって、よくわかんないもん」
 言って、大河は薔薇色の唇をつんと蕾にとんがらせる。



 そういうもんなのか……と竜児はひと思案して、
「おいで、大河」
 優しく声を落として、手をさしのべる。
 なにやら大河は急に頬を上気させて、唇は蕾からむにゅむにゅと波形に、照れたように瞳も伏せてしまう。ああ、この顔なんだよな……と竜児は思う。
 片手で胸を隠しながらにじにじと膝歩きしてきた大河を、竜児はその大河の熱い両腋に手を差し入れ、ひょいとお人形のように持ち上げて、あぐらをかいた自分の膝に横座りさせる。ちいさな尻まで隠すほど長い大河の淡色の髪が、竜児の太ももをふわふわと撫でて心地よくくすぐる。
 いったいなにがそんなに嬉しいのか、さっきまでのお冠はどこへやら、大河は頭を竜児の首もとに、ごんすりすり……と頭突きアンド擦りつけの猫コンボで懐いてくる。もちろん竜児だって嬉しいのだが。
「大河、ちょっといいか?」
 言って、竜児は手ブラをしている大河の細い腕をそっと掴む。見上げてくる大河の、長い睫毛に縁取られた、鳶色がかった煌く瞳を、竜児は夕空に向ければカラスをぼとぼと落とせそうな禍々しい眼光で眺める。優しく見つめ返しているのだ。もちろんそれは大河も知っているはずで、コクンとうなずき、
「あんまり見ないでよね……」
 そう言って大河は、胸を隠す腕を解く。薄く可愛くふくらんだ、ミルク色の胸があらわになる。竜児は大河の華奢というにも細い腰を抱き寄せて、反らせたその胸に顔を寄せる。予感に震える大河の、つんと上を向いた桜色の乳先をそっと唇に含む。
「あっ」
 竜児は胸から顔を離して、大河の顔を見て言う。
「その声だよ、大河」
「えっ……よく聞いてなかった、から……もう一回……」
 竜児は微笑んで。
 ちゅっ。
「あっ!」
 ふたたび、腰を跳ねさせる大河の顔をうかがう。
「お、覚えるから……もう一回……」
 ちゅっ、ちゅっ。
「あっ! あっ! りゅうじ……っ」
「その声……その顔だ。可愛いよ、大河……覚えたか?」
「……も、もうちょっと練習するから……もうちょっと……」
「……おまえわざとやってるだろ」
「ん……えへへ」
 途中からおねだりしていた大河はバツの悪そうに舌をぺろっと出して照れ笑いするが、
「あっ、竜児!」
 と、竜児の股間を指さすや、ぴょんと竜児の膝から跳び降りて、
「わーい、勃った勃った! 竜児が勃った!」
 にわかにお下劣なアルプスの少女・大河になっていた。
「さ、竜児、早く!」
「おう!」
 はしゃぐ大河にうながされ、竜児はこれが最後と三つ目の袋を開けて、ゴムを装着しようとする。
 ああ、だが、しかし。
 先端に載せて、輪のように丸めてあるゴムの端を竿に沿って降ろそうと焦るほどに。
 膝をそろえて屈み、わくわくと覗き込む大河の目の前で。
 しくじって、やがて竜児の男根は硬さを失い。
 しおしおと、おちんちん形態に。
 オゥマイガッ……。
 ジーズ……。
 シッ……。
「……」
 がっくりと竜児は肩を落とす。振り出しに戻っていた。
 振り出しどころか、箱に入っていた最後のゴムが死んでいた。
 終わり、なのだった。



「竜児……」
 首も折れよと俯いた竜児の顔を、下から覗き込んでくる大河の、心配そうなツラがまたこたえる。まだ失望や軽蔑を向けられる方がマシだった。何も面白いものなどないのに、細かく吐くように竜児は笑っていた。
「はは……いいんだぞ、大河。罵ってくれて。いつもみたいに、言ってくれよ。このグズ、ノロマ、不器用……不器用……はは、おまえはすごいや。俺なんにも思いつかねえ……」
 竜児の顔は正真正銘、ひどい顔であった。歯を軋るほどに噛み締めた唇は引き攣れ、涙をこらえて凶眼はゆがみ、星の断末魔にも似た滅茶苦茶な光を四方八方へと放つ。一人の男の思いが遂げられなかったのなら、全世界はそれに対して涙すべきだ、そしてこれ以降の歴史において一切の詩を歌うことは野蛮である……なにがなんだかよくわからないが、ものすごくそんな感じだ。
「竜児、泣かないで……」
「大河……な、泣かねえ。泣かねえぞ畜生……俺は幸せなんだ、おまえがいるから。最高の、幸せ者なんだ、俺は。泣くわけがねえ。決めたんだ、俺は。これから先、あとは、もう、おまえのためにしか泣かねえ、って。……でも、畜生……最後だった。最後を駄目にした、俺は。俺が、駄目に」
「最後……?」
「最後の、ゴムだった……駄目にした。大河……」
 もう限界だった。両手で顔を覆う前に、せめてひと目と竜児は揺らめく視界に大好きな大河を捕らえて、
「大河、俺、おまえとつながりたかったよお……っ!」
 はらわたを搾るようにして言った。そして顔を覆おうと、竜児は手を持ち上げようとするのに、手は震えて、どこまでも馬鹿にするように不器用になって、満足に持ち上がりもしないのだ。
「最後じゃないよ、竜児……」
 大河はそう言ってくれる。また今度がある、そういうことだろうか。もちろんそうだ。また今度がある。しかし愛しい女のその約束すらも、とてもすぐには慰めになりそうもなかった。
 また今度はある、だがそれは今夜ではない。
 それが我慢ならないほどに、自分を追い詰めてしまった自分を竜児は感じていた。その時。
 大河はその、震える竜児の手の上に、白くてちいさな両の手をのせるようにして。
 だけど、その大河の両手のひらは上を向いていて。
 そこには、箱が――ゴムの箱が、二つ、も?
「ほら、竜児。まだあるよ? まだ、いっぱい」
 綺麗な顔を子どものようにあどけなくして、大河は教えてくれた。
「あ、ある……のか?」
 うんうん、と大河はうなずく。
「あのね、いっぱい買っておいたの。棚にあるだけぜんぶ買ったの。竜児が失敗するなんて考えてなかったけど。念のため……でもなくて。ていうかなにも考えてなかったの。いっぱいいっぱい買わなきゃ、って、それだけしか覚えてない」
「そうか……そうか……そうかあ……」
 そればかり繰り返して、竜児はもう、鼻と口からゆるゆると息を吐くばかり。
「ごめんね。意地悪するつもりなんてなかったの。竜児がどうしてそんなに落ち込んでるのかわかんなくって。最後、って言うの聞いて、ようやくわかったの。……えっと、私どうしたらよかっ」
 言葉尻ごと、竜児は大河を抱きしめていた。
「よかった……よかったああああああああ……っっっ!」
 大河のつむじに頬を寄せて、安堵の息をこれでもかと吐きかける。唐突に掻き抱かれた大河は戸惑って。
「お、おこってない?」
「怒るもなにも……もう、おまえ……っ。よかった……うああ、すげえよかった……」
 助かった、助かった……竜児は馬鹿みたいに繰り返す。



「助かった……?」
「そーうだよ、助かった……大河……でかした……おまえ最高だ……」
 安堵のあまり息切れしながら竜児は言葉を吐き出していた。
 望みがつながった。今夜、大河とつながるという望みが。エロガキと呼びたければ呼べ。発情しやがってと罵りたければ罵れ。セックスしたいだけだろうと嘲るなら嘲れ――そう竜児は思う。
 ただつながりたいという思いだけで、竜児と大河はここまで来たのだった。それだけはふたりで見失わないようにして、眠れば消え去る一夜を長く引き伸ばして、初めて得た熱く儚い炎を絶やさぬように、炎を手と手で覆い守るようにして、ふたりはここまで来たのだ。
 涙の雨にも負けず、悲しみの風にも負けず、シラケの雪にも混乱の狂熱にも負けないよう、何度も互いのカラダに火をともし、欲しがり、怒りも微笑みに変えて、ふたりでここまで来たのだ。生半可な欲望なら、未熟なふたりがいつ転げ落ちてもおかしくはなかった狭い谷だった。ふたりが育ててきた互いへの想いが、心に刻んだ永遠の誓いが、支えてくれていなければ消えてしまう杣道をたどって、ふたりはここまで来たのだった。
 心に刻んだ永遠の誓いを、身体にも刻むために。なぜなら。
 なぜなら――
「竜児……」
 竜児の心を呼び止める声がした。
 暗がりに差すひとすじの日の光に咲いた花のように、大河の顔がそこにあった。竜児が自分に気づいたことを喜ぶように微笑んで。そして大河は薔薇色の唇を寄せて、
「大河……」
 竜児の左目の目蓋に、右目の目蓋に、キスをする。お返しよ……なんて言って、少し驚いている竜児にまた笑いかける。幸せそうに、目を細める。はたして、
「……ありがとうね、竜児。私、幸せだ……」
 そう、大河は言うのだ。言って、目蓋を伏せて、薄紅に染めた頬に長い睫毛の影を落とす。
「ふたりとも初めてなんて、どうなるんだろうって思ってた。もっと滅茶苦茶で、慌てて、少し乱暴にされて、痛くて、気まずくて……でもそれでもいいのって……相手が竜児だから、それでもいいことなんだって……好きなんだから我慢しなくちゃ、って……そんな感じかもって、思ってた」
 そこで大河は言葉を区切って、言葉を捜すようにして。伏せた大きな瞳が見つけたのは、言葉ではなくて、竜児の手。
 大河はその、竜児の手をとって、大切なもののようにそっとキスをする。愛しそうに、頬を寄せる。
「竜児の手……お料理してくれる手……お裁縫、してくれる手。髪を梳いてくれる手。頭を撫でてくれて、手を握ってくれる手……私を、抱きしめてくれる手。優しい、手……私のことを知ってくれてる、優しい手……」
 そして大河の身体が気づいたように震える。
「……びっくり、しちゃった。ちっとも乱暴じゃなくて、少しも痛くなくて……いっぱい撫でられて、頭がぼうって、なっちゃう。竜児ったら、めちゃくちゃ緊張してるくせに……私のこと一生懸命、可愛がってくれて……口も……」
「口?」
 問い返す、まさにその竜児の口もとを、上目遣いに大河は見つめる。
「ん……そう。その口も……竜児の口も、大好き。素敵なこと、いっぱい言ってくれるの……びっくりするくらい」
「……俺、なんか、素敵なことなんて言ったか?」
 聞いて大河は、こらえきれず、ぷっと吹き出す。クスクスと笑う。なんとか笑いを飲み込んで、はー……と一息をつける。
「あんたって……ヤバイね、竜児は。これからは気をつけさせないと、この女こましさんには」
「スケコマシって、おまえね……俺がモテない奴だってことくらい、おまえなら十二分に知ってるだろうに」
「……ま、そういうことにしといた方がいいか」
 ふたたび吹き出しそうになるのをこらえるように顎をしゃくって、かわりに大河は不敵な笑みを竜児に向ける。
 まだ何か言い返そうとして息で胸を張らせた竜児は、けれど口を噤み、目も伏せて胸も落として、あきらめたように呟くしかない。
「仕方ねえ……おまえのそんな意地悪そうなツラだって、もう俺は気に入っちまってる」
 大河の口もとから笑みが消えて、入れ替わるように頬の白に朱が混じる。瞑想するように瞳を閉じるや、ぶつぶつと呟いて、
「……やばい、ほんとにやばい、やばいやばいわこいつ、早くなんとかしないと……ええいっ、とにかく!」
 いきなり大河はくわっと瞳を見開く。
「竜児、私は幸せよ!」
「おう! 俺もだ、大河!」



「さあつながりましょう! 竜児!」
「おう! つなが……つなが、って……いや、つながりたいんだが、これじゃあ……」
「大丈夫! 一生懸命ゴムをつけようとして連続失敗するあんたも素敵よ!」
「おう、そうか!……そうかあ?」
「そうなの。さあ、がんばってゴムつけよう! 私も協力するから!」
「おうっ、またやってくれるのか!?」
「あったりまえじゃないっ!」
 竜児は感激していた。とてもことに及ぼうとしている男女の会話とは思えない勇ましさだったが、それでも感激したのだ。
 行為を始め出したころとは違って、もはや中断はないと信じて、怖れてはいなかった竜児だが、男がこんな情けない事態に陥っても白けることなくノリノリで臨んで来てくれる女、大河の不屈の気概が、ありがたくて嬉しくてならない。やっぱり大河も俺と心を同じくしてくれていたんだと再確認。俺たちゃ同志だ、一心同体だ、なんて感動する。
「よし! じゃあ頼んだぞ、大河!」
「まっかせとき!」
 そう言って大河は、やおらむんずと竜児のふにゃちんを掴んだ。
 驚きすぎて凶眼も白黒させ、声もあげられない竜児を一顧だにせず、大河は残る片手で頬にかかる前髪を押さえ、口をあーんとめいっぱい拡げて――
 食われる!?
 逃れようと身をよじる竜児の自己防衛の本能よりも、大河の猛獣としての本能の方がやっぱりどうにも速かった。声が出るのも遅すぎた。大河は竜児のふにゃちんを、
「ひっ!?」
 ぱくっ、と。
 予想外、であった。てっきり竜児は、大河はまた「うふ〜ん、あは〜ん」の改良版で協力してくれるつもりだとばかり思っていたのだ。ちっとも一心同体なんかではなかった。いや、咥えられているから同体ではあるかもしれないが、むしろ二心なのだった。だが、しかし。
 痛みはなかった。最初の恐怖の時も過ぎ去って、よくよく下半身の感覚を確認すれば、大河はちゃんと歯も立てず、ただ竜児のを口に含んだだけなのだった。大河の口のなかは暖かくて、ぬちゅぬちゅと濡れた感じがして、驚いたからかまだ勃起前だからか、鋭い快感こそないが、不快なわけではもちろんない。そこだけをぬるいお風呂につけたらこんな具合だろうか、なんてつい竜児は思ってしまう。
 ともあれ大河を信じたいものの、一抹の恐怖というか不安を拭い去れない竜児は、あぐらをかいたおのれの股間の上に大河のふわふわの髪が生えて豊かに広がっているという、地球大紀行ばりの神秘の光景を眼下にしながら、神秘の根源たる大河のつむじに向かって、一応言っておくことにする。
「い、痛くするなよ……あと無理もするな」
 お約束、であった。
「はいひょうふひょ、はんほひおふふふはは」
「……大丈夫よ、ちゃんと気をつけるから、か?」
 大河はわずかにコクコク頭を振る。
 さすがの竜児は驚きもしなかった。咥えたまま喋るな、とも言わなかった。大河とはこういう奴なのである。舌の上で竜児のふにゃちんを躍らせて、しかしお見事に歯で痛めることもなく、大河は咥えたまま喋ったのだった。
 けれど大河は竜児のその沈黙を全肯定の意味とでもとったものか、なおも、
「ひひはは、はんふぁふぁひうひうひへへ」
 咥えたまま喋りまくりである。
「わかった、俺も集中するから。もうおまえも咥えたまま喋らないでくれ……」
 ぐっ、と親指を立て、それにサムズアップで返す大河。



 まだ竜児のが小さいのもあって、大河はそれを根もとまで咥えてくれていた。大河の鼻息が、薄くはない竜児の陰毛を揺らしてくすぐる。嬉しいかといえば、嬉しいに決まっていた。フェラチオ、とかいう、言葉はあまり好きになれないその行為があることは、竜児も当然知っていたし、映像で見たことならあった。しかしそれを好きな女に、大河に、してもらおうなどとは望むべくも無かった。なにせそれが気持ちいいかどうかもわからないのである。望むどころかほとんど念頭にすら無かったのだ。
 竜児が気持ちを落ち着かせるのと、それはひきかえだった。
 大河はおもむろに、竜児のそれを舌にまっすぐ載せるようにして、口腔の天井と挟むようにして、ちゅっちゅと吸い出したのだ。
「おう!?」
 驚いた。にわかに気持ちいいのである。自分のものが漲ってくるのを竜児は感じる。
「おまえ……そんなやり方、どこで」
 問われた大河は、ちょいちょいと上の方、竜児の顔あたりを指差してくる。
「……俺?」
 竜児を指しているのだとすれば、意味がわからない。しかし大河もそれ以上はジェスチャーでは答えられないらしく、あきらめて、またちゅっちゅと。
 巧い、と言うべきなのだろうか。本格的に、よくなってくる。竜児は大河にそのことを伝えたくなる。なるのだが。
「ああ……大河……」
 溜息して、呼んで、大河の淡色の髪をやさしく撫でるのが、竜児にはせいいっぱいだった。いいよ、の一言がまだどうにも恥ずかしい。
「大河……ああ……たい、が?」
 なにやら大河がぺちぺちと竜児の胸を叩いてくる。気づけば、淡色の髪からのぞく小さな耳は毒々しいほどに真っ赤。陰毛にくすぐったかった鼻息も感じない。胸を叩く力はにわかに強まりべちべちべち!べち!と……これは。
「……タップ、か? いでえっ!?」
 べっちーん! とすごい力で胸を突き飛ばされる。ふとんへと仰向けに倒れこみながら、竜児は見た。目もとにうっすら涙を浮かべて赤鬼のように睨んでくる大河の口から、いったいその小さな顎のどこに収まっていたというのか、勃起した竜児の陰茎がずろろとばかりに吐き出されたのを。年明けてわずかふた月あまり、早くも今年度の衝撃映像ベストワンが決まった瞬間であった。
「っぷはあっ! はー……っ! じぬがどおぼっどわっ! はーっ!」
 もう何も咥えていないのに、大河の言葉は翻訳が必要なのだった。
「……死ぬかと思った、か? じゃねえっ! 無理するなと言っただろう俺おまえ……っ! ひょっとして俺、おまえの頭抑えちまってたか?」
「黙れ下郎っ! ふおお……貴様のミスではない、私のミスだっ! だが衷心はありがたく思う! はーっ!」
 握った竜児の勃起が棍棒がわり、赤鬼大将軍・大河閣下の降臨であった。
 すると竜児の胸に赫かくと残るもみじの痕は、さながら地獄行きの通行手形か。しかし竜児はその痛みも忘れて、ひたすら大河が心配でならない。赤鬼大将軍様の正体は、ただ真っ赤になってはあはあ息を切らした愛くるしい少女なのだと、竜児は知っているから。腹筋だけで起き上がり、大河を抱こうと両手をオロオロとさまよわせ、
「だ、大丈夫かほんとに、おまえもう……いだあっ!?」
 べっちーん! ともう一発、胸をはたかれ竜児はふたたび仰向けになる。左右の胸に仲良く並んだ手形は二つ、地獄にだって二度行けるんである。一度たりとも行きたくはないが。
「ふー……大丈夫だってば。気持ち良かったんでしょ? 竜児。私嬉しいの。大丈夫、続けさせて?」
 息切れと一緒に赤鬼様も去って(棍棒がわりの竜児の勃起は残っている)、そこには頬もぷにっとリンゴ色にした、いつもの上機嫌の大河がいるのだった。竜児を大きな瞳で眺めるその微笑みからは、たしかに無理からくる痛々しさのようなものは微塵も感じられないのだが。
「おう……でももう、充分じゃねえか? おまえのおかげで、ちゃんと勃……」
 そう言って起き上がろうとしかけた竜児を、片手を上げて大河が制する。さすがの竜児も胸のもみじを三つにはしたくないので、ここはひとまずと退いて、素直に寝に戻った。どうせ三度なら地獄ではなく仏の顔を拝みに行きたいではないか。
「駄目よ。竜児の勃起はまだ完全体じゃない。続けさせて。大丈夫、もう無理はしないから」



 竜児のそれを人造最強生物みたいに呼んではいるものの、大河の表情は真剣そのもの。大きな瞳に星を散らせてまっすぐ竜児を見つめてくる。これは、竜児にはお手上げの目つきであった。
「……わかった。頼むよ」
 竜児の答えを聞いて、すぐに大河は目を細め、えっへへ〜♪ なんて笑いながら、さっそく竜児の勃起にちゅっとキスをくれたりなんぞする。よかったな、おまえ大河に気に入られたみたいだぞ……竜児はつい、大河に握られてキス責めされている手乗りドラゴン(たぶん第2形態)に心の声で語りかけてしまう。嫉妬はしていないとも……たぶん。
 しかし、これは。
 勃起と戯れている大河の顔を眺めていて、竜児はわかったような気がした。もちろん大河の手は特別で、その唇も特別で、触られれば格別な快感を感じるのは確かだが、わかった。これは眺めだと。この眺めが精神的に来るのである。背筋がなにやらゾクゾクとする。
 なにしろ自分の股間に顔をうずめているのは、好きな女、惚れた女、大河なのである。宝石のように煌く瞳を半ばうっとりと目蓋で隠し、優美なラインで彫られた鼻をこすりつけ、薄い花びらのような薔薇色の唇から桜色の小さな舌を一生懸命伸ばして舐め上げ、薄紅に染めた頬を可愛らしくふくらませたりすぼませたりして、せっせと頑張る大河はそれはもう美少女なのだった。くんかくんかと、竜児の陰毛に鼻をうずめて付け根の匂いを嗅いでも……、
「わあ嗅ぐなっ!」
「ん……臭いといえば臭いような……不思議と嫌いになれないような」
 気持ちとろんと微笑んだりしてちょっと変態の気があるにせよ、大河はすごい美少女なのだ。
 いやもうこの際はっきり言おう、この世で一番美しくて一番綺麗で一番可愛い娘なのだ、大河は。ちっこいけど、ちっこいから一番なのだ。ちっぱいけど、ちっぱいから一番なのだ。惚れた欲目なんじゃない。大河流に言えば、絶対絶対絶対絶対ずぅえぇええええぇ――――――っっっ!たいにっ!!そうなのだ。本当なのだ。マジなのだ。と、竜児は思う、とかは無しなのだ。
 その大河が、である。その、神の造物の奇跡、降り来たった天空の花嫁、息づく結晶となった無限の慈悲の証、真理も正義も頭を垂れるべき美の天使……もういいか? まあ、そんな可愛い可愛い大河が頬擦りしたり舐めたり咥えちゃったりしているのは、持ち主の竜児からしても、なんでおまえはそうなった、と、昔は可愛かったじゃないか、と、それが今や鬼の棍棒もそう遠くない馬色の青筋も馬並みなのね、と、お父さん僕のおちんちんはどこに行ってしまったんでしょうね、と、パパドゥユーリメンバー、と、本当にそれくらい凶悪な感じに勃起した男根、肉棒、まあそんなものなわけである。
 最愛のお姫様があろうことかおのれの股間に跪き、聖なるものであるかのように凶悪醜悪な肉棒にかしずくというこのコントラスト。この眺め、これがたまらないのだ、たぶん。主人と奴隷の反転、めまいを覚えるほどの美醜の無限の弁証法。しかも大河は小柄なお姫様で、背徳感もサイズの逆比例の二乗で増加するというもの。竜児。何をいっているのかなんだかよくわからないが、何かを考えていないといけないのだ俺は。竜児。意味はこの際、二の次だ。そうでもしてないとやばい感じがするんだ。「竜児」なんだ大河、俺を呼ぶな。俺は我慢しているんだ……!
「な、な、なんだ、大河……?」
「だから、さっきの答え。おちんちんの舐め方、竜児がえっちなキスで教えてくれたんじゃない」
「お、おう、そうか……と、ところで大河、もうそろそろ……おおぅ……っ!」
 薔薇の唇も半開き、桜色の舌をめいっぱい伸ばして、大河は竜児の肉棒を根もとから先端まで、つぅーっと舐め上げる。しかもうっとりと瞳を流し目にして、竜児の顔をうかがいながら、つつぅーっと。
「そ、それは反則だ大河っ……こっちを見ながらなんて……俺はそんなのは教えてないぞ……っ!」
 大河は小悪魔みたいにクスクス笑って、
「だって、竜児の反応見てないと、どうされるのが好きなのか知りようがないじゃない? これもあんたが教えてくれたことだけど」
 いい生徒でしょ、私……なんて微笑みながらのたまって。ああっ、また……っ! つつぅー……っ。こ、こっち見んな!
 逆だった。お姫様が奴隷のようにかしづく、のじゃなかった。どう見ても今や竜児は大河に支配されていた。やっぱりお姫様はお姫様で、下男は弄ばれるばかりなのだ。いけない、その認識はそれとして、変な喜びが湧いてきそうになって竜児は背筋がゾクゾクしてしまう。このゾクゾクが快感でないと信じたい……。



 それはともかく、思考の抽象的で清浄な天界から、肉体の具体的で淫靡な下界へと、こっち見んな大河に引きずりおろされた竜児はいきなり大ピンチなのだった。
 男の腰の奥のどこかにあるような無いような、入ったら最後の発射スイッチこそまだオンされてないが、大河はまるでそのスイッチのまわりでくるくる回って踊ってヘヘイ!な踊り子状態。いつスイッチをカチリと踏んで、あらやだ、3、2、1、爆射! 遺憾だわ殺す方向で……となってもおかしくない。言いたいことをなんとかお察し頂きたい。その時。
 察しの悪い踊り子に身をやつしたお姫様こと大河が、あーん、と大口を開けて――やばい、ここで先っぽをパクり、なんぞされたら――
「大河さま!」
 叫んだ竜児は言い間違い、下僕そのものになっていた。
「……さま?」
 パックリ寸前で大口を閉じて、大河がけげんそうに訊き返す。ひとまず助かったと竜児は思う。大河、と普通に呼びかけていたらそのままパックリの後、はひ?、とでも先っぽを口の中で転がされていたかもしれない。怪我の功名であった。
「あ、いや、なんでもねえ……っなんでもねえんじゃねえ、大河っ!」
 あっそ、と、やり直しとばかりあーんと大口を開けた大河をあわてて呼び止める。
「なによ」
「いや、もう、本当にいいんじゃないか? もう……そうだ、完全体! 完全体になったぞ俺は、大河!」
「えーっ。ほんとう?」
「本当だ、だからもうゴムを、をををおまえそれやばいいいい……っっっ!」
「だってこうしてないと維持できないじゃん、完全体」
 そう言って大河は、小さな手で握り具合も絶妙に、竜児のをゆっくりしごきあげる。このわずかな時間でさまざまなノウハウを開発、吸収して、完全体へと近づいているのはむしろ大河の方なんじゃないのかと竜児は思う。面白くなって来たところなのに……なんて、唇を蕾に尖らせて、末恐ろしいことまで、進化する大河さまはおっしゃる。
「いやだから……これ以上はもう、本当に、やばいんだって。完全体どころじゃなくて……」
 そこまで言ったところで、あの言葉を口にしたものかと、竜児の舌は重くなるのだったが、
「わかった! 竜児イキそうなのね? 射精しそうなのね!?」
 大河はいきなり察しもよく、その言葉を迷い無しに言い切って、ぱあっと笑顔の花を咲かせる。よりにもよって大河、本日一番の笑顔であった。しかも、はしゃぐついでに竜児のを、りゅんりゅんとしごくのだからたまらない。
「そ、そうだよ……だからやばいやばいやばいっ! だからもう止めよう、ゴムつけよう……っ!」
「えーっ。私見たいなー竜児のイクとこ。竜児の射精。見たーい見たーい私見たーい。ううん、見たいのは私だけじゃない。きっと誰もが見たがるはずよ。真のヒロインになるチャンス!」
 なんて一気にたたみかけて来る大河の言うことは、さっきの竜児の思考をも越える意味不明ぶりだった。
「射精したらそれはヒロインじゃねえだろ……とにかく、な? ひとまず止めにしようぜ。後でいくらでも見せてやるから……」
「えー、ほんとう? 後っていつ? 何時何分何秒? ていうか一回くらいいいじゃないよ、ねぇ? 竜児、あんたってさあ、ときどきずるいよね……私のはいっぱい見たくせに。ケチよねケチケチケチケチドケチ」
 痛いところを大河は突いてきた。たしかに大河はイクところを竜児に見られまくっていた。それからすると不公平なのは明らかだった。だがその不公平をここはなんとしても通したい竜児である。そこでなんとか論理のアクロバットを探すのだが、大河の手にりゅんりゅんされている刺激もあいまって、竜児の考えはなかなか焦点を結ばない。
 そうして黙ってしまった竜児を見て、長考は許さないということか、たんにしびれを切らしたのか、大河がふたたび口を使うべく、あーん、と……!
 窮地のさなかに開かれた、その大河の口の中を、竜児が見た時だった。
「待て大河! 最初はおまえの中で射精したい。おまえの中でイキたいんだよ!」



 大河は動きをとめて、きょとんと。
「最初は、私の、中で……?」
「そうだ。最初は、おまえの、中で」
 大河の大きな瞳を覗き込んで、竜児は慎重に言葉を区切って繰り返す。通じるか、はたして――
 大河の頬に朱が散る。瞳を開けているのも辛そうに目蓋をふるわせて、薔薇色の唇は小波に結んで何かを耐えるよう。
 通じた! 竜児は心で快哉を上げる。これは大河がほだされた時の表情、無意識に胸を片手で押さえるのはときめきの証。よつんばいになっていた大河は小さな尻すら跳ねさせて、
「ひゃっ! な、なんで……? 竜児を責めてる時は、平気だったのに……っ!」
 ふるふると震えだし、跳ねる尻を抑えられなくて困りだす。
「く、くやしいけど……わ、私も限界、だったみたい……こ、興奮、してたみたい……っ」
 竜児にしてみれば、してやったり、なのである。優しい声を作ってみせるも、魔界の欲情大浴場の番台に座っている若手ナンバーワン詐欺師のように凶眼がギラついているのは、今ここにおいては誤解だとはとても言えない。
「そうか……嬉しいよ、大河。さ、早くゴムをつけさせ」
「待って!」
 きっ、と大河は、驚くべき気丈さでもって竜児を睨みつけて言う。
「私にさせて。ゴムつけるの私にさせて」
「お、おう、そりゃかまわないが。おまえそんな状態じゃ……」
「大丈夫」
 そう断言して、震える大河はぎゅっと目を閉じる。竜児のモノもぎゅっと握り直す。
「おう……っ」
 漏れてしまった竜児の声は快感のものか感嘆のものか。どちらともつかぬ早さで大河の震えがぴたりと止まった。人体の不思議を目の当たりにして竜児は驚く。大河の瞳がすうっと開き、
「……ね!」
 竜児を見つけて確かな輝きを宿す。かっこいい、とすら竜児は思ってしまった。
「おう……すげえな、おまえ」
「まあ、そういうものだということよ。さ、竜児、袋を切って、ゴムを載せて。後は私がやる」
「お、おう」
 進化の止まらぬ大河の得た、新しい悟りの中身も気にはなったが、とりあえず竜児は言われるまま、ゴムを取り出し、精子袋をねじって勃起の先端にかぶせる。ここからが難しい……
「オッケー。後はまかせて」
 神技、であった。
 大河はまず空いた片手で筒を作って、上から下へするりと輪になったゴムを落とす。そのまま根もとを握っていた手とスイッチして空けた手でまた上からするり。その手をスイッチしてまたするり。するりするりと五回こすって、最後に始めに握っていた手を戻して、完成。
「おおう……っ!」
 竜児の勃起は薄いゴムに見事に包まれていた。罵倒と暴力と身だしなみのほかに、コンドーム着けが新たに大河の得意技に加わった瞬間であった。
「おおおおおう……っっっ!」
 感嘆するほかない。パチ、パチ、パチパチパチ……やがて竜児は拍手さえしていた。
「どう?」
 得意気に顎をしゃくった大河は、どうだ見たかと言わんばかりの表情で竜児を眺める。
「……すげえ」
「すごい?」
「すげえ! すげえなおまえ! なんだ、なんなんだどうやった!?」
「先にあんたのトライを見てたからね、きっとこうかなって。でなきゃ無理だったかも」
 なんと竜児のフォローまで忘れない、冴えまくりの大河は、
「惚れた?」
「おう、惚れた! 惚れ直した!」
 ふにゃんと目を細めて微笑む。そして大河はなぜか頭を垂れてつむじを竜児に向けてくる。



「……どうした、大河?」
「撫でて」
「お、おう!」
 竜児は慌てて、だけど優しく、淡色の髪に包まれた大河の頭を撫でてやる。
「もっと。いいこいいこして」
「おう、よーしよし。いいこだ、いいこだなー、大河は」
 竜児は犬か猫にするように両手で撫でてやる。大河も髪が乱れるのも気にせず竜児の両手にぐりぐりと頭を押しつけてくる。ほどなくふたりは、
「よーしよしよしよしよし、かーわいいですねー、可愛い虎ですねー……」
「うー……ぐるぐるぐる……」
 ムツゴロウと、あやされてのどを鳴らす虎になり果てていた。
 やがてようやく満足したのか、顔を上げた大河は満面の笑み。それを迎えた竜児も、絶対にスキは見せない、俺はおまえの上位の獣なのだ、従え! と、無法な地下サーカスの若手ナンバーワン調教師の鋭い眼で見つめ返す。微笑んでいるのだ。
 もう頼むことも頼まれることも要らない。
 竜児はくしゃくしゃになった大河の淡色の髪に何度も指を入れて、丁寧に梳きおろしてやる。大河はその間、瞳を閉じて髪を竜児にゆだねる。充分に梳いて、竜児は大河の頭にぽんと手を下ろして仕上がりを伝える。
「よし、いいぞ」
 長い睫毛に縁取られた目蓋を開けて、星振る瞳で竜児を見つけた大河は微笑む。
 瞳が語って言葉は要らない。どちらともなくお互いに顔を寄せて、口づけを交わす。二度、三度、唇をついばみあうけれど、それ以上、深いキスはしない。それでよかった。
 唇を離して、見つめあう。閉じそうになる目蓋を必死で支える。頬に薄紅が差す。高鳴る心臓。きっと。
 あんたも。
 おまえも。
 そしてもう、言葉は、
「して、竜児」
「しよう、大河」
 それだけで、いい。


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