13

「いだあっ!」
「いでえっ!」
 ふたりとも、同時に叫んでいた。それで竜児の動きも止まるのだから、やっぱり言葉は必要なのだ。
 驚いたのは、むしろ大河の方。
「えっ、竜児も痛いの?」
「いや、痛い、わけねえよな。何で俺、痛かったんだ……?」
「はあ? 何言ってるの? 意味わかんない。痛いから痛いって言ったんでしょ?」
「いや、でも、別にこいつが痛んだわけじゃねえし……」
 と、竜児はゴムに包まれた自分の勃起を見下ろす。
「ごたくはもういいわ。あんたが痛かろうと私が痛かろうと、そんなの我慢あるのみ。さあ来い犬っころ!」
 カモーン、なんて猪木ばりに両手で誘い、大河は威勢も良く竜児を犬呼ばわりする。とてもムードなんてあったものではない大河は、でも。
 痛みもあって涙目なのだ。恥もあって真っ赤なのだ。猪木だろうと犬呼ばわりされようと、もう竜児にはぜんぶひっくるめて大河が愛しくてたまらない。ムードなんか要らなかった。いや、これでムードは満点なのだった。
 ただ、なかなか、上手く挿入できないだけで。
「大河、脚、ひろげるぞ」
「お、オッケー!」
 竜児の目の前で仰向けになって、ふとんに広がった淡色の髪の小さな海原に浮かんだ大河は、恥ずかしさからか自然と膝を胸に寄せて折りたたんでしまっていた両脚を、ふたたび竜児の手にゆだねる。
 強く握れば壊れてしまうんじゃないかと怖くなる、白くて細い足首だった。竜児の手首ほどの太さもない、その左右の足首をそれぞれの手に握って、竜児は大河の脚を開く。眼下に、大河のミルク色の股間が、恥丘の淡色の茂みが、舌の色に似た桜色の秘唇が、あらわになる。
 ひとつ甘やかに吐息して、大河は竜児から瞳をそらす。
 最初に大河の裸身を見たときもそうだったと、今夜のことなのに遠いことのように竜児は思い出す。今はもう、なぜ大河が目をそらしたのかがわかる。恥ずかしくてたまらないから、ときめいてたまらないから、大河はそうするのだ。竜児を翻弄していた最初から、すでに大河は可愛かったと知ってしまう。だから竜児は、つい、
「可愛いよ、大河……」
 こぼしてしまう。大河を震えさせてしまう。
「も、もういいから……っ」
 大河は睨んでくるけれど、愛しくてたまらなくなる。
 竜児はふたたび大河の股間に視線を落として、大河の両脚を押し広げて。そして。
 そして、やはり戸惑う。
 繰り返し鍛えたはずのおのれの妄想も及ばぬところに、竜児は来てしまっていた。だから。
 どうすればいいのかが、よくわからない。
 たとえば、今。挿入するためには両手で両脚を広げていなければならないのに、挿入するためにはさらに手で自分の勃起を支えなければならない。どう考えても、手がもう一本必要ではないか。手が三本要る……そんな馬鹿な話はない。きっとやり方があるのだ。しかし。
 どうしてこんな大事なことを、大人たちはちゃんと教えてくれなかったのかと竜児は苛立つ。大河なのだから――大切な、誰よりも大切な女なのだから、初めから大事に扱いたいに決まっているというのに、誰もそのやり方を、竜児には教えてくれなかった。あるのは曖昧な教育と、猥雑な画像や動画、商品のようなものばかり。この先、大学に行ったところで、そしてその先であっても、それはきっと変わらないような気がする。無知な清い身体でいろと言う。そしてそんなふたりならば、痛めあうほかないとでもいうのか。
 無知な清い身体同士だから、ふたりで見つけるしかない。
 苛立ちを優しさに変える、魔法の力をふるうしかない。



「大河、左脚、持っててくれるか? 自分で」
「う、うん……」
 竜児は右手でつかんでいたミルク色の大河の脚をゆだねて、大河に膝をかかえさせて。そうして自由になった右手で、竜児は自分の勃起をつかむ。快感など無く、膝でいざって、ゴムで包まれた勃起の先端を大河の股間の秘めた花唇にあてがう。あてがえばもう、秘唇は勃起の先に隠れてまったく見えなくなる。大河の身体がびくりと震える。そして、
「いくよ、大河」
「うんっ……」
 ぐっ、と。
「痛っ」
「いてっ」
 ほぼ同時に小さく叫んで、ふたりは顔を見合わせる。
「また……?」
 それだけで、大河の言いたいことは竜児に充分伝わった。
 また、あんたも痛かったの? と。
 そして、今度は竜児も見つけたことがあった。
「わかった、大河。どうも、おまえが痛いと、俺も痛いらしい」
「……なに、それ……?」
「だから、おまえが痛むと、駄目なんだよ俺。どこがって、わけじゃねえ……強いて言えば、胸のあたりかどっかが。ぎゅっとなる。しめつけられたみたいに、なる」
「そんな……そんなこと、嘘でしょ……?」
「ところが嘘じゃねえんだ。なんだろうな? 思い出した。たまにしか無いからか。だけど、もう、だいぶ前から、俺はおまえが痛いと駄目なんだ……それがわかると、駄目なんだよ……」
 そしてそれが、俺には嬉しいんだ……とは、竜児は口にはしなかった。
 大河が、静かに泣き出したからだった。笑っているような、困っているような、そんな顔をして。竜児を見つめて、鼻をすすりながら言う。
「もう、やだ……やだよ竜児……あんた変。今日、あんた、おかしいよ……やめてよ……なんで、なんでそんな、素敵なことばっかり言うの……?」
「大河……」
「……言ったでしょ? 私、もう、落ちてるって……ずっと、ずっと前に、私もう落ちてたって。だから、もう、口説かなくていいんだってば……誘惑、しないでよ……私、おかしくなっちゃう」
「口説いてなんかいねえぞ、ただの事実だ」
「ほら……っ! もーっ! ……はあ、だめだ。あんたバカなんだった。思い出した。何言っても無駄だ。そーだった、うん。竜児ってバカなんだった」
 バカバカ、と繰り返して、大河は空いているちいさな右手の甲で涙をぬぐうものだから、
「素敵とか、バカとか。おまえ滅茶苦茶だぞ、言ってること」
 つい、竜児は薄い唇を尖らせてしまう。
 いつの間にか泣き止んでいた大河は、まだ濡れている瞳の星を縮めて、そんな竜児に微笑みかける。
「そんな顔しないでよ。怒んないで、ね? 竜児のそんなとこも、ぜんぶ、私、気に入ってるんだからさ」
 なんて言って、大河はひと瞬き、薔薇色の唇を蕾に変えて、ちゅっ、とキスまで飛ばしてみせるのだ。
「っ!? バカっ!」
 焦ってしまう。竜児は耳まで赤くしてしまう。
「ふふん、おあいにくさま。私はバカじゃないね。まあ……そんなこと、いいからさ……ねぇ、竜児、とどめをさしてよ、私に」
 偉そうに顎をしゃくってみせてから、大河はそんなことを言って、また竜児に耳を疑わせる。
「おう、と、とどめ!?」



「そ、とどめ。私がおかしくなっちゃう前に……もう、おかしくなってるんだけど……とどめ、さしてよ。ちょっとくらい痛いのなんて、我慢するから。だから竜児のを、ね? こう、おりゃっ! と」
「おりゃっ……と!?」
「そう、ずぶっ! と」
「ず、ずぶっ……と!?」
「そう。そんな風にして。私に、挿して……ね、つながろ? 私、つながりたいの、竜児と。すごく、すごく、すっごくすっごくすっごく、つながりたいの。もう、それが夢みたいになってるの……ううん、夢なの、竜児。だからお願い、叶えて? とどめをさして? ねぇ、お願い。お願いなの、竜児……私と……つながって、下さい……」
 下さい……と、明るかった声音もやがて切なくして、儚くして。大河のそれは確かにお願いだった。
 大河にお願いされたことなら、竜児には何度もあった。重く、切々としたお願いだって、その中にはあった。しかし、下さい、なんて……と竜児は驚く。
 それは初めてのはずだった。そんな言葉を、大河が口にしたのは。大河のことだから、それは最後なのかもしれなかった。こんな大河の瞳は見たことがないと感じた。一生に一度の、お願いなのかもしれなかった。
 とてもそんな途方もないことに、返す言葉など竜児に用意があるはずもなかった。この世のどこにも、そんな言葉はないように竜児には思えた。もちろん。
 答えは、決まっていたにせよ。
 おう、とだけ、竜児は言ったのかもしれない。それは口ぐせ。もしそれが口をついて出ていたのだとしら、それはきっと大河のために――きっと大河に応えるためだけに、竜児を作った者が竜児にしつらえておいてくれた言葉のはずだった。だから、きっと。
 仕掛けが働いてくれたのだろう、大河は満足そうに微笑むのだ。
 だから竜児も、微笑みを返すことができる。頷いてみせる。
 もう一度、竜児は手にとった自分の勃起の先を大河の秘唇にあてがう。大河はやはり震えて、息を大きく吸い込む。けれど。
 今度は、竜児は腰を進めない。進めずに、ゴムに包まれた勃起の先端で、大河の秘唇を優しく割るようにして、そこを優しくこすりはじめる。
 大河は痛まない。
「……えっ、えっ? 何……っ?」
 かわりに大河は甘い驚きの声をあげて、腰を跳ねさせる。
 大河の中を隠す泉から湧き出た、白い蜜をすくうようにして勃起の先に絡めて。むしろからめるために、竜児は勃起の先端で優しく秘唇を縦に舐め上げて、舐め下ろす。秘唇の上の方の敏感なところがくじられて、大河が腰を跳ねさせても、丹念にする。
「あっ! あっ! りゅうじっ、ひどいっ! そんなの、そんなの……っ! とどめ、さしてくれるって、言ったのに……っ!」
 大河の抗議も甘やかな声に、中毒になってしまった竜児は脳髄を痺れさせる。手の中で勃起が漲るのを感じる。
「ゴムが、引っかかるんだ、濡れてないと……きっと、たぶん。それでおまえが痛むんだ」
「そ……っ。う、うん……わかった」
 目を伏せて作業を眺める竜児の視界の端で、愛撫の意図を理解した大河が睨みを解くのが見える。
「角度も、あるのかもしれない」
 喘ぐのは止められずに、大河は訊きかえす。
「はっ、はっ……かく、ど……?」
「ああ、つまり……挿入する、角度だ。それが、わからねえ。誰も教えちゃくれなかった。俺が、自分で、見つけるしかねえ」
 言いながら、苛立ちが蘇るのを竜児は止めることができない。
「……私たちで、でしょ?」



 大河の言葉にはっとして、竜児は顔を上げる。苛立ちが刻んでいた眉根のひそみが、散って消えていくのを竜児は感じる。大河の言葉が沁みたからだった。大河の表情を見たからだった。
 竜児はもちろん一人ではなかった。そこには、傍には大河がいるのだった。大河は穏やかな顔をして竜児を見上げてくれていた。羞恥と快感に頬を桃に染めて、震えていたとしても、それは大河が竜児を信じてくれている顔、信じてゆだねてくれている顔。竜児の知っている、ありがたい表情だった。
 俺の方が、何度もなんども好きになってしまうよ、と、竜児は思う。
「腰、もっと上げたほうがいいのかな……?」
「えっ、おう、そうか。まあ、そうか、そうだな……」
 大河の尻はまだ敷ぶとんに近い低い位置にあった。だから大河の言うとおり、上げる以外にそこの角度を変える方向はないのだけれど。
「ふんっ」
 と大河は鼻息一発、薔薇の唇もへの字にして、腹筋を搾って宙にかがむように腰を折り上げる。
「おう……上げすぎ上げすぎ」
 途端に空へと晒された大河の股間の、今まで尻肉の内側に隠されていた秘唇の下向こうまで見えたような気がして、今さらながら目のやり場に困った竜児は、視線を宙にさまよわせてしまう。
「そう? じゃあ、こんくらい……?」
 大河は溜めた息をそろそろと吐きながら、尻を微妙な位置まで降ろして。さすがというべきか、ビタリと止めてみせる。
「むむ……これ結構キツイ……腹筋使うよね……」
「これでどうだ?」
 竜児は掴んでいた大河の右足首を、少し大河の頭の方に押すようにする。思い出したように、大河が脚に力を込めたのがわかる。
「おお……楽かも……」
 大河のそんな声に、まるで組体操でもしているような気持ちになって、つい竜児は笑ってしまって。それを大河に咎められる。
「なによ。笑うんじゃないよ」
「……いや。楽しくってさ。楽しくなっちまって、つい」
「楽しい……?」
 まだ、大河は瞳を眇めてくる。
「うん、楽しい……おまえといると楽しいよ、大河。いつでも……今でも」
 それは本当に竜児が思ったことで。思っていることで。そして、間違った言い訳では無かったようだった。
 反応も早く、大河は眇目も笑みの瞳に変えて、ちょっと鼻の下を伸ばすように唇も小波に結んで。照れているのか、ちょっと挙動不審に頭を揺らして、
「わ、私もっ……私も、竜児といると楽しいよ? 今だって……いつだって……っ」
 竜児を見つめて、なにか頑張るようにして言う。本当に頑張ったのかもしれなかった。なにせこいつは、俺の好きなひとは――大河は素直じゃない奴なのだ。だからいっそう、稀に見せてくれる素直さが、嬉しくもあるのだけど。
 その、嬉しさを携えるようにして、竜児は、
「よし、じゃあ、またやるぞ?」
「うん、さあ来いっ」
 勃起を秘唇にあてがった。
 もう一度、こすりつけるつもりだったのだ。大河も、そうだと思って返事をしたはずだった。なのに。
 魔法は、いつふるわれていたのだろう。
 無知の苛立ちを、ふたりで優しさに変える魔法は、いつ。
「おう……」
「は……っ」
 入って、いた。



 滑らかに、ひっかかりもなく。勃起の先は大河の秘唇を丸く押し広げ、その、中に埋まっていた。未知の感触。竜児は見た。むしろ見て確認できたのだった。顔を跳ね上げて大河を見た。
 はっ、はっ、と、薔薇色の唇をせいいっぱい大きく開けて、子犬のように細かい息を吐きながら。驚きに見開かれた大きな瞳の星も散らして、大河もまた、竜児を見返しているのだった。大河にはわかるのかと、竜児は思う。見ることなく、感覚で、大河には入ったことがわかるのか。
 竜児を見返して、大河は、細かく首を横に振る。
 伝わる。わかる。
 けれど、竜児は訊かないではいられない。
「痛く、ないか?」
「うん……痛く、ないよ……キツいみたい、だけど……痛くない……」
「そうか……よかった」
「入って、るの?」
 子犬のように喘ぎながら、大河は訊き返してくる。
「ああ、入った」
「……やったね」
 なんて、大河は言う。微笑む。嬉しいな、なんて言う。
 竜児もまた喜びながら、だが、しかし。
 なぜなんだろう、と思わずにはいられない。さっきまでの苦労が嘘のようだった。あまりに滑らかに挿入に成功していた。ゴムを濡らしたせいか、角度を変えたせいなのか。ふたりが交わした穏やかなやりとりで、勃起の漲りが少し緩んでいたことも、幸いしているのかもしれなかった。
 ともあれ、これを失うわけにはいかない。
「じゃあ、いくよ」
 言って、竜児は大河のうなずきを見て確認、腰を進める。
「はっ!」
 跳ねた大河の声に、竜児はわかった。今度は痛いのだ。腰を止める。戻そうと
「駄目っ!!」
 するのを、竜児を驚かせてすべての動きを止めるほどに、鋭い声で大河が叱咤する。
「駄目、駄目、駄目駄目駄目駄目駄目駄目っ! 駄目よっ! やめちゃ駄目っ!!」
 叱る声が、息がさえもが、中に埋まった竜児をキツく締めつけてくる。それはただの事実の感触。快感は無かった。竜児は大河の叱咤に意識を集中していた。叱咤を充分に心に沁み込ませながら、身体の不思議に馳せられる思いもあることを竜児は感じる。
「大河……」
「やめちゃ駄目……竜児、やめないで。やめたら、私、許さない」
 燃えるような、瞳だった。
 真剣、という。
 真剣となった大河の瞳は、だが、怖くはなく、ただ、絶対の覚悟となって竜児の目から心までをも貫く。折り返されて、竜児は自分の目にも真剣が宿るのを感じる。
「わかった。やめない」
 言って、なんて女だと竜児は舌を巻く。大きな瞳に光る真剣を宿したまま、大河は薔薇の唇を端に引いて笑ってみせるのだ。そして、こんなことまで言ってくる。
「よし、それでこそ私の竜児。さあ、言って。私はどうすればいい?」
「……そうだな、なるべく力を抜いてくれ。息を吐くと、いいと思う」
「わかった」
 言って、大河はすっと息を吸って、はあ……っ、と吐いてみせる。
「よし、いく」
 とだけ竜児は言って、勃起の先に意識を集中する。指を進めた時のことを思い出して、かすかな弛緩をうかがう、けれど。そこはひたすらにキツく狭く、そんな弛緩などは気配も見えない。
 迷いをふりはらい、竜児はむしろ大河が息を吐くのを読んで、そのタイミングで。
 押し進める。



「はっ! はっ!」
 伝わる。痛みがある。竜児は歯を食いしばってこらえる。大河にもらった真剣で、弱る心を斬り伏せる。鼓動は高鳴り、鼻息を荒くする。
「大河……息を吐いて……」
 出したためしの無い汗が竜児の額に結ぶ。すぐに雫となって、顎まで滑って大河の白い腹に落ちる。竜児は固唾を呑んで、大河が息を吐くのを読んで。
 また進める。
「はっ!」
 大河の吐息が跳ねる。痛い。辛い。
 おのれが杭か、針になったように竜児は感じる。虫を……美しい蝶と刺し止めるピンに。一切のロマンも無く、ただ酷薄な認識として、そう感じてしまう。
 そこは狭い。そこは熱い。大河の中に挿し込んだおのれから、幻のように大河の鼓動すら感じられるような気がする。幻ではないのかもしれないと、大河の小さな腹を見る。心臓までわずか20センチもあるか知れない。それを刺し止める……馬鹿なと首を振る。怖気づきそうになるのを真剣で払って、返した刀を大河に届ける優しい声に変えてみせる。
「息を吐いて……大河……息を吐いて」
「はっ、は……りう゛じ……」
 痛む声とも違う、吐きしぼるような妙な声。見れば、
「……た、大河?」
 はたして大河は顔面蒼白。いっそ青いほどで、
「も゛、も゛う゛、はげない゛……」
 もう、ハゲない……もう、吐けない、か?
「馬鹿っ! 吸っていいんだ! 吸え吸え! 息しろ!」
「い゛い゛の゛? ……っすー……うう……ううう……うううううう」
「吸ったら……吐くんだぞ? 忘れるなよ? 吐けよ?」
 薄い胸も小鳩のように膨らませて、大河は竜児を見てコクコクと。
「……うっ。っんはああああ〜〜〜〜っっっ! すうっっっ、はーっ! ふいーっ。はぁ……助かったんだぜ、竜児……ぐっじょぶ……」
 助けても、グッジョブも、ねえだろと。しかし。
 こいつは、ほんとに……竜児は思わずにはいられない。こいつは、ほんとに、こいつは、ほんとに、こいつは、ほんとに……。吹き出そうになる笑いを、折れた真剣の最後の仕事とばかり、なんとか斬り伏せて。切られた欠片を微笑みにして。
「よく、頑張ったな、大河」
 言ってやる。大河がどれだけお馬鹿でも、それは本当なのだから。
 だから竜児は大河を撫でてやりたい。右手を勃起から離し、さしのべて。なんともいえないいい笑顔でニコニコしている大河が、さあ撫でれ!とばかりに、あごを引いてつむじをその手に寄せるの見て、竜児は気づいた。
「あ、やべ……手……」
 気づいて、右手のひらを見る。勃起はつかんでいたけれど、見た目に汚れは無い。見た目、には。
「汚れちゃ、いねえけど」
「じゃあ気にすんな。気にしない。許可する。さあ、この頭を撫でるがいい! 撫でろ!」
「はいはい……」
 お馬鹿な上に偉そうで、でも痛みに耐えてよく頑張った大河の頭を、竜児だって感動して、撫でてやるのだ。
「返事は一回っ!」
 大河は叱るのも上機嫌な声音。



「おう……はい」
 そう叱られても、気をつけて返事しないと、なぜかはいはいと繰り返してしまいそうになるのを、竜児はなんとか一回に収める。そして撫でなで。
「よしよし、いい子だ。いい子だな、大河は」
「きゅーん……」
 なんと聞いたことのない声まで出してくる。本当に可愛いのだった。
 ほどなく大河は顔を上げて、竜児が撫でるにはその頭は遠くなる。満足するにはまだ早かったんじゃないのかというタイミングで。すると大河は、
「あのね竜児、ご褒美、足りないと思うの」
 子どものようにあどけない顔を竜児に向けて、そんなことを言う。
「おう……」
「あのね竜児、ちゅうとかあるべきだと思うの、ご褒美」
 頬すら赤らめず、ひたすらにあどけなく、大河はそんな恥ずかしいおねだりを平気でしてくる。
「お、おう……ちゅう……」
 赤面が移されたのか、かわりに竜児が倍は赤くなる。ついでに馬鹿も移されたのか、ちゅう……なんて復唱までする。
「ねぇ竜児、お願い」
 桜色の舌先をぺろと出して、乾いた唇を潤して薔薇の艶めきを取り戻させて、大河は準備万端よ、と。
 思わず固唾を呑んで、くやしく心臓をドキドキさせながら。それでも竜児は大事なことを確認しなければと思う。
 竜児の股間を、そしてそれとつながった大河の股間を、見る。
 勃起は半分ほども、埋まっただろうか。
 指の長さほどは、入っているようだった。
 大河の奥がどこまでなのかも、知れない。ひとまずこんなところではないかと、竜児も思う。
 幸いなことかもしれない。小さな大河の狭くてキツいそこは、それでも――勃起の先半分ほどでも、がっちりホールドしてくれているように感じる。なんというか、結合部さえこの位置で維持できれば、すぐに抜けるものでもないように、竜児にも思われた。
 この位置、この角度で、維持できれば。
「大河、枕、取ってくれ」
「へっ? ……枕?」
 いいかげんしびれでも切らしていたのか、薔薇の唇も蕾にして突き出し、うちゅ〜っ、とでもいうように、アピールタイムに入りかけていた大河は、まったく予期していなかったのだろう、竜児の依頼に一瞬、目を白黒させる。復唱してようやくわかったのか、これ? と自分の頭にしいた枕を右手で逆手ぎみに掴んでみせる。
「いや、隣の俺の……は、無理か、逆か。いや、大河、こっちの脚を持っててくれ、右手で。そう。それで、かわりに左の脚を俺が持つから、手を離して……そう。その左手で、届くか? 左の、俺の方の枕」
 ふたりでなにをやってんだか、だが、竜児が言ったとおりのことをふたりでやっているのである。
 ていていっ、と、股間を竜児に縫いとめられた大河は、左手を伸ばして隣のふとんの枕を掴もうとする。つかまえる。
「届いたっ!」
「よし……ああまて! ゆっくりだ、ゆっくり俺に渡してくれ……」
 細腕とも思われぬ力で、この枕であんたをぶっ叩いたろかいっ、的な速度で持ち上がった枕の勢いを、竜児は声で制して、自分の左手で譲り受ける。ふたりの股間が微妙につながっている今は、叩かれてはマズイのである。もちろん、普段だって叩かれたくは無いのだが。
「大河、こっちの脚も持っててくれ。そう、両手で、両脚とも……」
 いたって真剣ではあるのだ。あるのだが、大河のその格好を見て、連想の記憶というやつ、竜児の脳裏をやらしい言葉のカケラがふとよぎる。たしかそれは、まんぐり……まんぐり……なんとか。つまり今の大河の格好は、まんぐり……なんとか、のちっこいバージョン……いやいや、と竜児は首を振って妙な言葉を追い払う。
 自由になった両手で、竜児は浮いている大河の尻の下に枕を差し入れる。枕を両側から押して硬くし、しっかりと大河の尻を宙に支えられるようにする。
「よし、これでいい。大河」



「うん……」
 竜児の意図を知って、大河もそろそろと力を抜いて、枕に腰をゆだねてみる。薔薇の唇を結んだ大河は、ときどき、ふっ、ふっ、と鼻息を漏らす。わずかな具合の変化が大河にもたらすのは、痛みなのか、それとも。
 大河の動きに竜児も付き合って、膝を左右にいざり開いて、大河とのつながりを保つようにする。
 枕はちゃんと大河の腰を浮かし支えてくれたようだった。
「よし……」
 そうして竜児は、ようやく、上体を大河の方に倒していく。つながりの具合にあまり響かないように、腹筋と背筋に力を込めて、傾いていく。筋肉だけで支える限界が来る前に、竜児は大河の両わきに広がる淡色の髪海を手でかき分けて、髪を踏まないように手をつく。
 すべて今夜学んだことを竜児は生かす。
 ひたすらに大河を痛めないようにする。
 両手をついた自分の影に、光る大河が収まる。
 ちいさくて、綺麗で、可愛い大河。竜児の大河は、影の中でも煌く瞳を少し潤ませて、竜児を見上げて、
「おかえりなさい、竜児……」
 言って、微笑で迎えてくれるのだ。
 だから竜児は少し驚いて。
 素敵なこと言ってくれるじゃねえか、なんて思って。
 微笑みを返して、おう、ただいま、大河、なんて言って。
 ちょっとキメてやろう、なんて思ったのだ。
 なのに。
 ぼとぼとぼとっ、と音を立てて、大河の額に大粒の雨が降った。
 なんで雨がと、思う竜児の視界が急に歪む。
 可愛い大河をもっとよく見たいのに、これじゃ困るじゃねえかと思う。
 気づかせてくれたのは、優しい、優しい大河の声。
「泣かないで、竜児……」
「えっ? 俺、泣いてるのか……?」
 言われてみれば、肺が熱くて喘いでいるのだ。まるで泣いた時のように。
 泣いているのだ。俺は泣いているようだ。
 わけがわからない。
 泣く理由がない。
「あれ? 泣いてるなあ、俺。なんでだ……?」
 間抜けな声を出す。声はまだ、泣き声じゃないのに。
「泣かないで? 泣かないで? 竜児……」
 大河の声音が心配の色を帯びだす。そっちの方が竜児にはよっぽど気がかりだった。
 ぼたぼたと、まだ雨は降り止まない。たしかに、竜児は泣いていたけれど、
「おう、大河。気にするな。俺は泣いているみたいだけど平気だ」
 そんなことを言って、われながら変なことを言っているな、とすら余裕で思えるのだ。
 余裕で、だから、竜児は思い出す。
「おうそうだ、大河、俺、おまえに言わなきゃ」
 今度こそ、キメるのだ。なんか泣いているみたいだけど、俺は。
 言うんだ。
 ただいま、大河。
 これを。
 そう思って、言おうとして。
 急に喘ぎがきつくなった気がした。



「た、ただい、っは、はっ、はっ、はあっ! ああっ! うう、ううう……うぐううううう……っ!」
 雨が、どしゃぶりになった。
 もう、竜児は喘ぐか、呻くことしか出来ない。呻いて、呻いて、呻いて。
 ――大河、って、呼びたい。
 大河、って、呼ばなきゃ。
 でないとこいつ、心配しちまう。
 こいつまで、泣き出しちまう。
 こいつ泣き虫だから。
 俺は平気だって、伝えなきゃ。
 そうだ、キス。
 大河、って、優しく呼んで。
 俺はキスをするんだ。そして大河を、安心させる。
 呻きは、収まった。
 雨はまだ降っているけど、喘いでいるだけ。
「た」
 喘いだせいで、のどがへばりついていた。固唾を呑んで、のどをなんとかする。
「た、大河……」
 ようやく、そう呼んで。
 ひじを曲げて、背中も丸めて、大河に顔を近づける。
「竜児……だいじょうぶ……?」
 不思議と雨も止んで、視界が開ける。
 大河は慌てたような、心配そうなツラをして、涙目にこそなっていたけれど、大丈夫。
「よかった……間に合った。まだ泣いちゃいねえな?」
「っ!? 馬鹿っ! なに私の心配してんのよ!」
「いや、俺、ほんとに平気なんだ。なんだったんだろな……?」
 謎だよな、怪現象だな……なんてさも不思議そうに、あっけらかんと言って、竜児は大河を唖然とさせる。
「そうだ、おまえ、痛くないか? 大丈夫か?」
 さすがの大河も、これには、はああ……と盛大にため息するほかない。
「あんたさあ、いいかげんにしなさいよ? 私の心配はもういいっての。だからさ……だから、竜児……だから……」
 ちょっとは私にも、あんたのこと心配させてよ……そう、大河は言い募って、言葉のしまいには、もう、ほろほろと泣き出していた。
 大河のその言葉を聞いて、竜児には、なにかわかったような気がした。
「大河……」
「ね、竜児……もう、一人で、頑張んないでよ……私の、ために、だから、嬉しいけど……やだよ……だって、だって、ふたりで、生きていくって、決めたんだもん……っ!」
 大河が、手を自分の脚から離した。わかって、竜児は大河の頭を抱えるように抱きしめる。大河が竜児の胴に両手をまわしてしがみつく。熱い熱い額を、竜児の首に押しつける。
「大河……」
「ふ、ふううっ……ふ、ふた、ふたりで、生きていくんでしょ! 私たち、ふたりで、生きていくんでしょ! 私、ドジだし、乱暴だし、ろ、料理も、出来ないし、なんにも、なんにも出来ないけど! でも、頼ってよ! お願いだから、頼りにならないけど、頼ってよ……っ! 心配、あんたのこと、私にっ、心配、させ、てよ……っ!」
「大河……大河。大丈夫だよ、大丈夫……」
 泣いて、喘いで、それでもさっきの自分なんかよりもよっぽどちゃんと言葉を紡いで、吐き出してくる大河に、竜児がかけた言葉は、しかしいっそう大河の怒りに火をともしてしまう。
 大河の泣き声を、怒りの声音が塗りつぶす。
「だい、じょう、ぶ、なんかじゃ、ないっ! 大丈夫じゃ、ないっ! 違うのっ! 違うでしょっ!? 私の心配をするんじゃないっ!」



「ちがうちがう、大河、ちがうんだ」
「なにっ! なにが違うっていうのっ!? 違ってないっ! 適当なこと言うなこの……ばっ! ……だっ! ……あっ! えっ! ……りゅっ! ううう……なんかどれもイマイチなんだわ……」
 いきなり何の発声練習かと思いきや、大河はどうやら竜児を罵る呼び方の候補を探しては、この場ではいまいちと、順に放棄していたらしい。おいなんか最後、俺の本名までそのイマイチに入ってなかったか……? と竜児は思わずにはいられなかったのだけれど。
 これでも竜児は名うての、いや世界で一番の猛獣使い。まっすぐに、一言。
「頼ってるよ、大河」
「だから頼ってなんか……っ!? た、なに? 頼って、るの?」
 急に大河の声はあどけなく、可愛くなる。
 竜児は少し、身体を起こして。あごを引いて、暖かい大河の顔を覗き込む。一生懸命にあごを上げた大河が、また涙でぐしゃぐしゃにした大きな瞳を上目遣いにして、やはりあどけない顔をして竜児を見返している。
 ふたりの間で温められた暖かく湿った空気の中に、竜児は言葉をしっかりと送り出す。
「頼ってるよ、大河。もう、頼ってるんだよ」
「うそ……だって……っ。私……嘘つきは嫌いよ……? 竜児でも……」
「嘘じゃないよ。なあ、大河。俺、さっき、すげえ泣いただろ?」
「うん……泣いた。さっきあんた、死ぬほど泣いてた。うん。それは嘘じゃないね……」
「なんで泣いたのか、俺、わかんないって、言ってただろ?」
「うん……言ってた。それも、嘘じゃないね……」
「なんか俺、なんで泣いたのか、わかったような気がする」
「おお……それはすごいね。実に、興味深いね……じゃなくて、ほんとう? 聞かせてよ!」
「おまえが、おかえりなさいって、言ってくれたからだよ」
 ついと大河は瞳を眇める。
「えーっ? ……またまた、このスケコマシが。天然ジゴロ犬が。私を喜ばせようったってそうはいかないっての。……はっ、そうだ! あった! あったんじゃんまだ!」
「な、何がだ?」
「あんたを罵る言葉よ。このスケコマシ! ジゴロ犬! ……なによ、余裕で笑ってんじゃないよ。婚約ってのはこうもひとを変えるものかねえ」
 やだやだ、こわいこわいねえ婚姻制度は……なんて大河は言う。立っていれば、きっと外人みたいに肩をすくめて首を振っていたところか。
「……いや、悪い。まあ、俺の話を最後まで聞いてくれよ。……あの時、おまえにさ、おかえりなさいって言われてさ……おまえが言ってくれてさ、俺、すごく嬉しかったんだよ」
 大河が怒りと違う紅潮を頬にのぼらせる。それでも瞳は眇めたままで、今度は搦め手から来たよ、なんて言う。
 竜児はまた少し、ウケて笑って。
「搦め手じゃねえ、って……それでさ、俺は、おまえにしちゃあ素敵なこと言うじゃねえか、なんて思ってさ。だから俺も、ちょっとカッコつけて、おう、ただいま、って言おうとしたんだよ。そうしたら、そのかわりに……言えないかわりに、涙がどばっと出てきた」
「おお……それはすごい。ほんとに不思議……」
 頬を染めたまま、今度は大河も素直に大きな瞳をまあるくする。
「泣いてても、気分はさ、平気なんだよ。嬉しいだけで……嬉しすぎて泣いた、ってんでもなくて。そう、穏やかに、嬉しいだけでさ。でもまあ、どばどば涙が出てきて。それでまあ、平気だから、思い出して、もう一回、言おうとしたんだ。ただいま、大河、って。そしたらあれだ。本降り。どしゃぶり。また言えなくて、すげえ呻き声しか出てこねえ」



「そうだったそうだった。すっごいびっくりしたんだから! こいつとうとう狂ったか!? って」
「狂ったはひでえな……まあ、そんなだったわけだよ。しかも号泣してても、気分は平気なんだ。むしろおまえがつられて泣くことの方が心配だったりしてさ」
「奇怪千万……あとあんたいいひとすぎ」
「まったくだ……いや、奇怪千万の方な? でな、つまり……俺、頑張ってたんだよ、自分で言うのもなんだけど……さっきまで。おまえが裂けたりしないように、って。つながりたいけど、ちっこいおまえが、痛くなんかならないように、って」
 聞いて、もう、茶々入れもできず、大河はとろけてしまう。
「竜児……」
「おう、俺、おまえのその顔、大好きだぞ。たまらないよ……あれ? なんだ、どこまで話した?」
「えと……ちっこい私が、痛くならないように、って」
「そう、そうだ。ずっと、ずうっと、この夜の初めから、俺、頑張ってきたみたいなんだよ。……口説いてんじゃ、ねえぞ? ただの本当の話だぞ?」
「うん……うん……」
「うわあ、だめだ。その顔、おまえ、すげえ好きになる。あれ? ちょっとまて、なんだ、バカか俺は。悪い、どこまで話した?」
「ん……初めからね、ずっと頑張ってきた、って」
「そうそう。ほらな、すげえ頼りになるじゃん、おまえ。……あっぶね。また忘れるとこだ……でさ、まあ、自分でも気づいていないほど、頑張ってたんだろうな。気づいてたけど、それ以上に。でさ、それがさ、ようやくこうしてつながって……おまえと、つながることが出来て、さ……そうしてようやく、おまえに……ちょっと泣くぞ……心配すんなよ……いや適当に心配しろ……心配してくれ、ほどよく」
「うんっ……うんっ……」
「……おまえに、さ、帰ってきて、さ。わかるよな? 傍にいたけど、ずっとくっついていたけど、それでも、おまえに帰ってきて。帰ってきたらさ、おまえ、ちゃんと、っは、は、はあっ、はあっ、そのこと……っは……わかってたみたいに、さ、ぜんぶ、言ってもいねえのに、ぜんぶ、知っててくれたみたいに……!」
 大河は涙に抗うようにして微笑んで、しっかりと、やさしく、言ってくれるのだ。
「わかってたよ……知ってたよ……竜児……」
「そっ、そうか……っ。そうだよ、な、おまえ、ぜんぶ、わかってて、知ってて、くれて。だから、おかえりって、言って、くれて、俺、ただいまって、言おうと、して……あ、あ、あっ、あっ、あっ」
 なんだ、またかよ……言わせて、くれよ……
「あ、愛してるんだ、大河……っ!」
 大河はどうしたらよかったのだろう。
 私も愛してるって、言わなくちゃと、思って。


 でも、唇は、震えて、震えて。
 ふたりは、ようやく。


 キスを、するだけ。







 14

 泣きながら、震えて。ぎこちなく、歯も閉じて。
 初めての時よりも、よっぽど初めてするような、竜児のキス。
 その唇に、大河もまた蕾と閉じた薔薇の唇を捧げる。逢わせる。
 潤いも無く荒れた竜児の唇が、途方もなく愛おしい。
 きっと私のために、格別に、喘いで、干からびて、割れた、竜児の唇。
 愛しています。
 愛しています。と。
 大河は自分の唇に想いを込めて、震えるその唇に届けようとする。
 やがて離れれば、微笑み。
 竜児のこわい、優しい目。こわくて、穏やかな目が、大河の魂を撫でる。
 愛を口にすべきだろうかと、大河は迷いながら薔薇色の唇を、そっと開く。
 その唇を竜児に吸われて、おねだりと思われたのだと気づく。
 今度はやらしいキスをしようねと、竜児の舌が誘うから。
 大河も桜色の舌を出して、捧げようとして。


 キスが魔法を解くと、物語は言う。


 その舌が、お砂糖になる。
 唇が、頬が、鼻が。
 目まで届いたとでもいうかのように、大河は瞳を大きく見開く。星を振るわせる。キスの、最中なのに。
 はたして。竜児も細い目をこれでもかとばかりに見開いていたのだ。
 竜児も、なの?
 お砂糖へと変わっていく波は止まらない。変化の震源は、もうひとつ。
 竜児の熱くて硬い肉をきつく包む大河の肉が、お砂糖へと変わる。途端に甘く甘くとろける。
「あっ!」
 大河はとうとう声を漏らす。瞳が甘い涙の雫をこぼす。
 腰が、のどが、ももが、胸が、すねが、腕が、足が、手が、お砂糖になっていく。
 気づけば、指の先、髪の毛の先までもが甘くなっていた。
 お腹の底、へその下に、とろけた砂糖が流れ込み、ふたたび流れ散る、濃くて甘い疼きの溜まりが現れる。
 ずきずきとそこが激しく疼く。
「あっ! あっ! あっ!」
 止められない声は、溶けて吐息となった砂糖の欠片だったのだ。
 竜児。
「り、りゅうじ……っ」
 私をお砂糖に変える、特別なひと。
 竜児だけにとろける、お砂糖の私。
「たっ、大河……おまえの中、熱くて、キツくて……とけそうだ……っ! へ、平気なわけが……っ!」
 無かったのだ、平気なわけが。
 平気なわけなど。
 大河の唇にまで振り落ちてくる、竜児の汗。
 桜色の舌を出して舐めてみれば、やはりしょっぱいのだ。でも、これは、きっと。
 お砂糖になった、竜児の雫。
 竜児も、なのだ。
 きっと大河だけにとける、お砂糖の竜児。
 竜児をお砂糖に変える、特別な私。
 嬉しい。
 嬉しい。
 私たち、こんなにくっついて。
 とうとう、つながっていて。
 平気なわけなど、無かったのだ。
 キスが魔法を解くと、物語は言う。
 キスが魔法を解いたのか、それともキスが魔法をかけたのか。大河にはわからない。竜児にも、きっとわからない。
 けれど、きっと、何が解けたのかはわかる。
 痛めないようにと思う竜児の気持ちが、痛がらないようにと思う大河の気持ちが、解けたのだ。
 心から身体が取り戻されたのだ。
 今や大河は、身体じゅうが甘かった。指の先まで甘いのだった。性器とそうでないところの区別など無かった。それは甘やかさの濃淡のようなもので、竜児に触れたところだけが格別に甘い。つながるところをひとが性器と呼ぶのだとしたら、竜児が触れたところは、そこがどこであろうと、大河の性器なのだった。だから。
 キスが途方も無く気持ちいいのだ。
 撫でられればそこが甘くなるのだ。
 乳を吸われるだけで絶頂しだのだ。
 つながるところは、身体ですらなくても、言葉でさえも、性器なのかもしれない。だから。
 可愛いと言われて震えたのだ。
 命令されて絶頂したのだ。
 ただ竜児だけが、大河のすべてを性器に変えることができる。
 ただ竜児だけに、大河はおのれを変えることを許したのだ。
 それを、好き、という。
 竜児、好き。
 竜児のことが、好き。
 私は竜児のことが好きなの。
 がまんできない。
「りゅ、竜児……っ!」
「た、大河……?」
 ふたりは動いてなどいなかった。しかもふたりは動いていた。
 ただ、つながったままでよかった。動く必要なんてなかった。
 それだけで、つながったところから、激しい快感がふたりの身体を貫く。貫く。貫く。
 大河の腰はひたすらに跳ねて、竜児のものを締めつける。竜児の尾骨から脳天へと快感が走る。
 ふたりは喘ぎ、震え、涙と汗を散らす。
「もう……がまんならないわ……」
「た、た、た、たい、が……?」
 狂おしい快感の嵐の中で、竜児はさらに驚かずにはいられない。
 さっきまで快感に苛まれて眉をひそめ、切なそうに目蓋を震わせ、桜色の舌を薔薇色の唇からのぞかせて甘く可愛く喘いでいた大河が。
 なんてちいさく、華奢で、熱く、濡れて、震えて、白く、淡色で、桃色で、甘やかに香り、可愛く、可愛く、可愛いのだと、竜児の脳髄を痺れさせていた大河が。
 その、大河が、大きな瞳にほとんど殺意の光すら溜めて、虎も虎、猛獣もいいとこの、ものっっっすごおおおおっっっい目つきで、やおら竜児をガン睨みしてきたのだ。
 わけがわからなすぎた。
 謎多き今宵においても、最高の謎の出現であった。
 大河は声音も低く、低く、低く。獣のように唸って。
 吼えた。
「この……犬っ!」
「ひっ!?」
「駄犬!」
「ひっ!?」
「グズ犬! エロ犬! 馬鹿犬! ドジ犬! ブス犬!」
「ひっ!? ひっ!? ひっ!? ひっ!? ひっ!?」
 なに犬、かに犬、あれ犬、これ犬、それ犬……と、ひたすら大河は竜児を罵り、睨む凄まじさもあいまって。
 ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……と、ひたすら竜児は大河の罵りにのどを引きつらせて合いの手を入れるばかり。
 なんとここに来て深夜の罵倒のスーパーメドレー、悪口の天才・大河オンステージの開幕であった。
 やがてさすがに犬メドレーが終わったかと思いきや、
「グズ犬野郎! エロス野郎! スク水野郎! ドグズ野郎! ドブス野郎! ドエロ野郎!」
「ひっ!? ひっ!? ひっ!? ひっ!? ひっ!? ひっ!?」
 意味がかぶろうがおかまいなし、野郎メドレーのスタートなのだった。
 しかもその間、大河が叫ぶのにあわせるようにして、大河の熱くて狭い穴は竜児の勃起をぎゅうぎゅうと甘くきつく締めつけてくるのだ。ひとたびキスで解けてしまった魔法は、大河の罵倒の嵐の中でも絶賛解消中なのである。
 目と耳からは大河の罵倒、鼻と肌からは大河の愛撫、それもこれもと竜巻のごとく入り混じり、怒涛のごとく竜児の身体に流れ込む。地上にあって人の身体にこれ以上の混乱があるものかと。
 罵倒にあわせてひっひと律儀にのどを鳴らしながら、竜児の凶眼すらただひたすらに白黒と明滅、過剰する意味、絶対の無意味の狭間で狂気の淵に立たされる。右を向いても大河、左を向いても大河、上も下も前も後ろも大河大河大河大河。心も大河によって完全包囲、針すら立たぬ零次元に風前の灯火となったわずかな意識で竜児は思う。
 地獄の罵倒に天上の快楽、いったい大河は俺の身体に何を刻み込もうというのか。もしこの罵倒の渦の中でおのれが絶頂を迎えてしまったら、いったい俺の身体にどんな不滅の刻印が焼きつけられるというのか。もしこれでなくては――大河の天才的な罵倒に晒されながら、大河のめくるめく甘美な身体に包まれながらという、もし、コレでなくてはイケないカラダになったとしたら。どう考えても、どう考えても、どう考えても、それは。
 ド変態。
 弩のつく変態、ド変態。
 超々々弩級ドドドド変態。間違いない。
 もちろんそれも大河とのこと。愛だとは思う。愛があるとは思う。愛である。ただし。
 愛だとしても歪んだ愛。愛があっても歪んだ愛。歪んだ愛である。間違いない。
 永遠に続く罵倒、無限の濃度の愛撫にさらされながら、しかし竜児は思い始める。
 それでもいいのかもしれない、と。
 それでもいいのだろう、と。
 それでいいはずだ、と。
 それでいいのだ、と。
 それがいい、と。
 ド変態、歪んだ愛、なんであろうと。
 大河がそれを望むのであれば、それがいい、と。
 大河とともに在れるのなら、それでいい、と。
 心の中心、面積無し、線分無しの零次元の頂から、宇宙のすべてとなった大河という名の真っ暗闇の底なしの淵へ。
 落ちよう。堕ちよう。堕ちてしまおうと。
 あふれる愛を抱いたまま、竜児が一歩を踏み外そうとした。その時。
「竜児っ!!」
 最後にして最強の罵倒と見まがう大音声で、大河が竜児を竜児の名において呼び止める。
 一切の段階もなく、一挙に宇宙が晴れ上がる。
 晴れわたる透明な宇宙にひとつ、ちいさなちいさな光。あれこそは。
 あれこそはと、竜児は眼をかっと見開く。
 あれこそはと、竜児は落ちるのもかまわず足を踏み出す。狂おしく走る。
 あれこそはと、竜児は肩もはずれよと腕を伸ばす。指よちぎれよと空を掻く。
 あの光。あれは光の光。星の星。
 ただあれだけが欲しいのだ。
 俺はただ、あれだけがあればいいんだよ、と。
 命をさしだし、無限の距離を走りぬけ、絶対の距離を握りつぶし。
 竜児はついに、光をつかまえる。
「つかまえた!」
 光の名を叫ぶ。
「大河!」
 竜児がその手をひたすのは、淡色の髪の海。
 胸をあわせるのは、ミルク色の息づき。
 目をあわせるのは、星振る大きな瞳。
 自分の罵倒は棚に上げ、いきなりつかまえたと宣言され、大声でその名を呼ばれて驚く、ちいさくて華奢で、可憐な少女。
「りゅう、じ……?」
 驚きのあまり、大河は毒気と一緒に肝まで抜かれたように、そう、切れぎれに呼んだのも、つかの間。
 えいやと気合を入れなおすかのように睨み目、眉根もしかめて竜児を見返し、ふたたび気合一閃。
「竜児っ!」
「おうっ!」
 途端に大河は涙をぽろぽろこぼしだす。謎の極致である。
「やっと……返事、してくれた……」
 気合はどこへ行ったのやら、大河の声は安心のあまりに可愛く震えるのだ。
「大河……」
「ど、どうして返事してくれなかったのよお……っ! 呼んだのに……いっぱいいっぱいいっぱいいっぱい呼んだのにっ! あんたってば、ひっひっひっひっひ〜っ、なんて、キモい笑い声で笑ってばかりで、ちっとも返事してくれないんだもんっ!」
 それはおまえの呼び方が悪かったからじゃねえのかと、竜児は唖然として思う。だいいち、あれはひきつったのどがあげた悲鳴で、そんな珍妙なキモい笑い声じゃねえぞ、と。ひょっとしたら、ショックのあまりの狂気の淵で、大河の言うとおり本当に笑っていたのかもしれないが。
 しかしすると、言われてみれば。
 あの、凄まじい罵倒の嵐は、たしかにすべて、俺を呼んでいたのだと竜児は気づく。竜児のどこかを貶すだけの罵倒はひとつもなく、罵りとともに必ず竜児そのものを呼ぶ声であったと気づく。犬の、野郎のと、それはまあひどい呼び方ばかりで、それを耐えて受けとめてやれるのはたしかに竜児くらいのものだろうが。でも、たしかに。
 それはすべて、ひどかろうとなんだろうと、大河が竜児を呼ぶ声なのだった。
 大河の言葉が過去すら変える。
 宇宙の晴れ上がりが過去にまでも伸びてゆく。
 言葉の暴力の荒れ狂う不透明な闇に包まれていたとばかり思っていたのに、すでにそこは透明な宇宙で、竜児の傍にはずっと、ずうっと、あの光が。光の光、星の星が、またたいていたのだ。
 大河は、竜児を呼んでいたのだ。
「おまえは、俺を呼んでくれていたんだな……」
「そうよっ!」
 だけど、きっと、竜児はもう、愛に狂っていたのだろう。
 宇宙の晴れ上がりは先の罵倒の嵐を抜けて、今夜にひろがり、今日にひろがり。
 昨日へと、おとといへと、ひと月前へと、去年へと、秋へと、夏へとひろがり、ついには春へとたどりつく。
 大河が初めて竜児を犬と呼んだ、あの日のあの時へと。
 きっと、すでに恋に落ちていたのだと、大河が言ったあの時へと。
 忌々しくも苦々しくも感じたはずの、過去のすべての罵倒がひっくり返される。
 すべてが大河の甘く切ない呼び声であったと勘違いして、それが真実になる。
「おまえは、俺を呼んでくれていたんだな……」
「そうよっ! なんで二回言うのよっ!?」
 竜児は返事をかえす。大河の甘く切ない呼び声をひっくり返していたすべての罵倒にむけて、甘く優しく返事しかえす。
「おう」
「な、なんで今度は呼ぶ前に返事するのよっ! あっ! ……やだ、どうして……っ!?」
 応えるように大河の身体はふるふると震えるのだ。可愛いと言われて悦ぶ時のように、へその下が甘く疼いて、大河は驚いてしまう。
「う、うそ……私、やばい……どうしよ……りゅ、竜児の、返事、だけで……なんて……そ、そんな」
 あわあわと、大河は慌てだす。
 それでも見失うまじ、と竜児をふたたび睨みつける。
「竜児!」
「おう」
「あっ、あうう……っ」
 やっぱりもう、駄目なのだった。ただの竜児の返事だけで、大河のへその下はずきんと甘く疼くようになってしまった。そんな馬鹿なことって、あるわけない。でも、あるのだ。大河の身体は、本当にそうなってしまった。
 身体の奥まで、竜児のものになってしまうなんて。
 嬉しくて、くやしくて。
 でも大河は負けるわけにはいかないのだ。
「竜児っ!」
「おう!」
「竜児っ!」
「おう!」
「竜児っ! 竜児っ! 竜児っ! 竜児っ! 竜児っ!」
「おう! おう! おう! おう! おう!」
 ずきずきずきずきずきずきずきずきっ!
「へ、返事、も……だめ……っ」
 竜児の返事におへその下をぐっちょんぐっちょんにかき混ぜられ、とろけたお砂糖は一挙に脈打ちながら全身に散る。指の先ざきまでもが、へその下と同じ濃度で甘く甘く疼いて、もし今、竜児に触られたら、指先だけでもイってしまいそう。
 薔薇色の唇を開けたまま、大河はもう喘ぐことすらできなかった。気絶しないのがやっとだった。
 でも大河は負けるわけにはいかないのだ。
 愛してる、って言うの。
 愛してる、って言わなきゃ。名前を呼んで。
 竜児、愛してるって。
 そのために、一生懸命、全力で。
 私の竜児を呼ぶすべての呼び方で、この鈍くさいこと極まる最愛の男を呼びつけたのだ。
 快感に震える奥歯も噛み殺して、私は猛獣。
 睨みつける、愛しいひとを。
「竜児っ、い、いい? いいい一度しか、いいい言わないからね!」
「おう」
「へ、返事はいいから……」
 ずきずき。
 すごくキマらない、猛獣の私。
「りゅ、竜児っ!」
「おうっ!」
「……い、いいい一度しか言わないからね!」
「おう……でもそれさっき聞いたぞ……?」
「う、うるっさいっ! 黙ってろ!」
 ずきずき。
「りゅ、竜児っ!」
「……」
「返事っ!」
「お、おう……返事はいいのか?」
 ずきずき。
「へ、返事は、だめ……いい」
「ど、どっちなんだ……?」
「……いい、許す」
「おう、わかった」
「はう……」
 ずきずき。
 駄目なの。駄目すぎ。
 いかんともしがたく駄目であった。
 このままじゃ埒があかない。
 ひょっとしたら竜児は、との思いが大河にきざす。
 ひょっとしたら竜児のやつは、ぜんぶわかってやっているんじゃないの……? と大河は疑い出す。
 こいつは、この愛しの男は、もろもろ込みで、ドエロセックステクニックの限りを尽くし、私に、愛してると、言わせないつもりなんじゃないの……? と。
 それは許せない。
 そいつは許せないわねえ。
 そいつは許しちゃあおけませんわねえ。いくらこのアイラブドエロまんじゅうでも。
 ふつふつと、怒りが湧き起こってくる。
 なんだか、イケそうな気がしてくる。
 イケそうな気がする。エロでない意味で。
 駄犬が。この駄犬ふぜいが。犬めが。馬鹿犬めが。
 怒りよ。
 怒りよ怒り、出ておいで。
 出て来い。
 オルァ出て来んかい。
 来い、来い、来い、来い、来い――――――――来ぉいっ!
 来た、来たっ、来た来た来た来た来た来た来た来たっ――――――っ来たあああああぁぁぁぁっっっ!!
「――っよおっっっ! しゃあっ! 来たあっ! この野郎言ったらあっ! やいっ! やいやいやいやいやいっこの竜児っ!?」
「おうっ!」


 怒りよ。このひとにたどりつくまで、
 私を支え続けてくれた力。


「っ!? く、一度だけよ! 一度しか言わないからその犬耳かっぽじってよおおおおおっっっく、聞くことねえ!?」


 怒りよ。もう要らない力。


 涙を吹き飛ばして。お願い。
 怒りよ、私に、あんたの最後の力を、頂戴……!


「わっ、私はっ! 竜児っ! あんたのっ! ことが……っ!? ことを……っ!? ことがっ!? をっ!? がっ!? をっ……!?」


 怒りよ。お願い。


 愛に変わって。


「す、き」


 ――私の、ドジ。


「大河……」
「……好き」
「た、大河? 一度じゃ」
「好き……好き、好き好き好き好き好き好き好き好きいっ! あんたのことが好きっ! 私、あんたのことが好きっ! 好きなの! ずっと好きだったの! ずっとずうっと好きだったのっ! 大好きなの! 大好きでたまらないの! 許さない! なんでここにいるのっ!? 嬉しくて死んじゃうわこのっ、だっ、だっ、だだだ大好きなひとっ! 大好きっ! 竜児っ! だあい好きいっ! わ、私っ! 私っ、わた、し、は、ね? りゅうじ、あんたのこと、だいすき、なの……しゅ、しゅき…………」
 燃料切れ、であった。
 泣く力すら残ってなかった。
 ただ、ゆるゆると、大河は竜児の首に力なく腕を巻きつけ。
 口づけする力すらなく。
 ただ熱くなった目蓋を閉じて、竜児の頬にくっつける。
 鼻息で竜児の胸をくすぐる。


 大河は滅茶苦茶だった。
 愛してると言うんじゃなかったのかと。
 一度しか言わないんじゃなかったのかと。
 しかもいらんことも言ったんじゃないのかと。
 でもなんか、それなりに大満足なのだった。
 いいかげんな、女なのだった。
 はぁ、幸せ。
 はー、しゃーわせぇ、と。
 気だるい幸福感に包まれて。
 なんか疲れたし。
 竜児は最高の抱き枕だし。
 このまま寝ちゃおうかな、なんて。
 思ったり、思わなかったり。
「大河」
 なんか、ちょっと呼ばれたね。
 かなり気に入ってるの、この声。かなり、っていうか。
 最高だよね。誰にもやんない。独り占め。
「俺も、おまえのことが、す」
「ちょおおおっっっっと待ってくださいよおおおおっっっ!?」
 大河、再起動。
 体力が尽きたのじゃなかったのかと。
 きっと、たぶん、別体力。
 ご飯を2合食べて満腹しても、デザートはどんとこい。これが別腹。
 竜児に告白して体力が切れても、竜児の告白はどんとこい。これが別体力。
 竜児の頬から目蓋をひっぺがし。
 竜児の首に巻きつけた腕も解いて。
 睫毛よ整えと念じながら手の甲で涙をぬぐい。
 どさくさにまぎれよと鼻水も手で押さえてすすり。
 額や頬にはりついた髪だけでもせめて梳き。
 油断して竜児と目があって照れ笑いし。
 ああつまり鏡が欲しい。
「可愛いよ、大河」
「あう……っ」
 ずきずきと、震えて。
 今はこのひとが私の鏡。
 こわくて優しい目を星揺れる瞳で見つめて。
「じゅ、準備オッケーです」
「おう、そうか」
「は……っ」
 ずきずき。
 返事だけでこうなるなんて。慣れなかったらどうしようと、大河は将来がちょっと心配になる。
 慣れなければ、私はきっと、ずっとこのひとの奴隷。
 そんな思いまで嬉しいなんて。
「好きだよ、大河」
 準備なんて、出来ていなかった。
 準備しても、何度でも不意打ちなのだった。
 涙が出る。顔がくしゃくしゃになる。
 こんなことが私に起きて良いのかと思う。
 狂おしいほどに想えるひとが、私を想ってくれるなんて。
 私よりも大事に想えるひとが、私を自分より大事に想ってくれるなんて。
 竜児が、私を、好きだなんて。
 おかしくなりそう。
 また変なことしそう。だから。
 このひとに、頼るしか。
「た、助けて、竜児……」
「た、助ける?」
 告白したら救助を求められるとは、誰も思うまい。竜児だって思ってもみなかったのだ。さすがに慌てるほかない。
「な、なんだ? どうした? どっかヤバイのか? どうすればいいんだ? 大河?」
「ど、どうしよ、竜児、どうしよ……う、嬉しくて、わ、わ、私、おかしくなりそう……っ。ま、また、変なこと、しちゃいそう、なの……っ」
 だから助けて、助けて、竜児、と。
 あわあわと、開いた薔薇の唇も曖昧に蠢かせ。
 大河は可愛く懇願してくる。
 竜児の胸に途方もなくあたたかいものがこみ上げてくる。満ちる。
 この地上でただ俺にだけこの幸せが許されているのだと噛み締める。
 なんだってしてやろうと竜児は思う。
 なんだってしてやれると力を錯覚する。
 大河には。
 俺の大河。
「して、いいぞ、大河」
「え、えっ……?」
「していいんだよ、大河」
「りゅ、竜児……?」
「おかしくなっていい。変なことしていいんだよ、大河。俺がぜんぶ受け止めてやる。どんと来いだ」
 言って、竜児は優しく、いっそ朗らかな笑みを見せてくれるのだ。
 バカね、竜児って……そう大河は思う。
 本当に、どん、なんてしてやろうかしら、なんて。
 そうしたらびっくりして、なにすんだ、とか言うくせに。
 そう思って、そんなことが思えることが、すでに穏やかな心なのだと大河は気づく。
 やっぱりこのひとが、一番上手に私を助けてくれる。
 私の竜児。
 そう、思ったのに。
「大好きだよ、大河」
「はう……っ」
 好きだよと、大好きだよと、一体なにが違うという。
 竜児の言葉は今度は大河のへその下を直撃する。きついほどに甘い疼きが跳ねて、大河は思わず吐息してしまう。そして。
 前言撤回。
 竜児のバカ。
 助けて、って、言ったのに。
 嬉しくておかしくなるって、言ったのに。
 追い打ちかけてくるなんて。
 嬉しい。
 嬉しい。
 大好きだって、言ってくれた。私のこと。
 大好きな竜児が、私のこと。だから。
 お返し、しないと。 
「わ、私も、ね? 竜児のこと……」
「愛してるよ、大河」
 低く、甘く、落とそうとしてくる竜児の声音。
 今夜まで、こんな声を出すひとだなんて、大河は思わなかった。知らなかった。
 女の子なら、誰であってもきっと耐えられない。
 私は、もう駄目。
 竜児のバカ。
 お返しもさせてくれないなんて。
「わっ、わっ」
 ずきずきして、身体が勝手に上げる声を聞いてしまう。
 竜児のバカ。
 竜児ってば、ずるい。
 もう、二回も、ううん、三回も。愛してるなんて、言うんだもの。
 一度目は慌てて、二度目は涙して。
 そして三度目ときたら、優しくかき口説くようにして。なんて余裕。
 憎らしいったら。
 だから。
 ずるい、と大河は言おうとしたのだ。
 ずるい、竜児、と。ほんとうに。おねだりではなかったのに。
 薔薇色の唇を、そっと開いて。
 そこにすっと唇を寄せられて、大河は竜児に吸われてしまう。


 キスが魔法を解くと――


 ずきずきっ!


「あう……っ!」
 舌を竜児に嬲られる、その唇の合わせ目から、大河はひどく甘い声をあげた。
 お砂糖の涙を流す。
 がくがくと震えて、お砂糖の汗を散らす。
 竜児の腕の中で、ちいさな地震のようになる。
 へその下の甘い疼きが大河の全身を支配する。
 竜児を感じよ、と。
「大河……?」
 竜児の吐息のような呼び声を、顎をひいた大河が額で受け止める。
 子犬のように桜色の舌を出して、甘く嗚咽する。
「あっ! あっ! あっ!」


 おまえの肉に挿し込まれ、おまえの肉で締め上げる竜児を感じよ!


「りゅ、りゅうじ、だめ、お、おっきくしないで……っ!」
「すまん……っ! で、でも、駄目なんだ、おまえ、可愛くて……可愛いと……大河っ!」
「あーっ! お、おっき……おっきいの! ひ、ひどいっ、ひど……あーっ! す、すごっ!」
 ふたたび魔法が、解けたのだった。
 最後の怒りが大河にかけてくれたかりそめの魔法が。
 大河が竜児に愛を告白するために、身体から心を取り戻させてくれていた、怒りの魔法が。
 大河の尻が竜児を求めて跳ねる。


 これ以降は身体がおまえを支配するだろう。


「だ、だめっ、わ、わっ、私っ、ま、まだ……っ!」


 舌の根まで甘く震え、おまえはひとつの確かなことも言えない。


「ま、まだ、りゅ、りゅう、じ、に、い、言って……いって、いっ、て……っ!」


 おまえの甘い喘ぎは、愛する者の心からもまた、身体を取り戻させるだろう。


「たっ、大河っ、す、すごいよ、おまえの……穴……す、すごい……っ!」
「そ、そんなっ、そんな、えっちなこと、言っちゃ、だめっ! りゅ、りゅうじ……っ!」


 おまえの愛する者もまた、ひとたまりもなく身体に支配されるだろう。


「大河っ! だ、だめだ、よ……そんなに、腰を、おまえの、腰、動かしちゃ……っ!」
 感じる大河が腰を跳ねさせていた意味を、快感にとろけた脳で竜児は知る。
 つながりを深くするために。
 何度も何度もつながりを深くするために、勝手に。
 竜児とのために、ふたりのためにそうするように大河の身体は出来ていたのだ。
「だ、だめっ! りゅ、竜児っ! こ、腰、動かしちゃ、あーっ! さ、挿しちゃ、だめっ!」
「ご、ごめん、大河……で、でも、だめなんだ……っ。お、俺、ハメたい……大河に、ね、根もとまで、挿したい……!」
「あっ! あっ! あーっ! ひ、ひどっ! りゅ、りゅうじ、の、えっち! い、痛くしない、なんて、嘘つき! お、奥っ! あっ!」
「い、痛いのか? 痛いのか? た、大河……っ?」
「ひ、ひどいっ! ひどいっ! 痛く、ないのっ! き、きつくて、お、おっき……こ、こんなのっ!」
 指だけで、竜児の指を挿されただけで、大河は何度も激しく絶頂したのだった。
 竜児に優しく慎重に指を増やされながら絶頂させられて拡げられ、ふたりで痛みに耐えながらようやくつながり、そしてつながったまま愛しく言葉を交わして竜児の太さに馴染ませられた、大河の穴。
 竜児に変えられてしまった大河の穴
 竜児の勃起を熱く、硬く、きつく感じて。
 限界であった。
「い、イキそう、なんだな? 大河……」
 大河はコクコクとうなずいて、潤んで星の揺れる瞳で竜児を見上げる。
 薔薇色の唇を震わせて言う。
「い、言わないで、ね? 命令、しないで、ね? め、命令しちゃ、だめ。わ、私、命令、竜児に、命令されたら、イク娘に、なっちゃった、ん、だから……」
 可愛くてたまらなくなる。
「うん、うん……命令しないよ、大河。可愛いよ、大河、すごく……」
「わ、わた、私、りゅうじ、に、ちゃ、ちゃんと、言いたいこと、あるの」
 可愛くて、可愛くて、竜児は心を取り戻す。優しくなる。返事をかえしてやる。
「うん、うん……」
「あ、あの、ね、わた、し、りゅ、りゅうじ、の、こと、あ……」
 その時、大河の身体を襲う甘美な地震がにわかに激しさを増す。
「あ、あ……」
 甘い涙が眦から吹きこぼれる。
 大河は高まってしまう。
「あっ、あっ……!」
 その言葉は竜児の命令に似ているとでもいうのか。
 大河は高まる。


 高まる。
「大河……」
 高まる。


 私。
 駄目。
 無、理。


「あ、あっ! あ、あい、し、て……イ、ク……っっっ!!」


 なんだ、それ――


 大河は絶頂した。
 絶頂して、何度も何度も締めつけて。
 大河の穴は竜児の形になっていく。


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