ニュースはスポーツコーナーに移り、画面の中でマイクを握るのは昔よりはるかに垢抜けた、しかしよく見知った顔。
 彼女が――櫛枝実乃梨が――太陽のような笑顔を取り戻したのはいつ頃なのだろうかと、ふと思う。
 高二の終盤には一度も笑う事は無かった。クラスが変わってからは顔を見る機会そのもの少なくなった。そして、卒業してからは会う事も無くなった。
 テレビの電源を消し、竜児は一枚のメモを手に立ち上がる。
「あ、兄貴、お出かけですかい?」
「おう、ちょっと野暮用だ」
「それじゃ、すぐに車を」
「いや、今日はいい。ちょいと一人で歩きたい気分なんでな」
「ですけど、気をつけないと鳳のところの若い連中がなんか騒いでたって話が……」
「鳳か……連中は確かに馬鹿だけど、流石に今事を起こしたらどうなるかぐらいはわかるだろうさ」
「はあ……」
「遅くなるかもしれねえから、何かあったらそっちで上手く処理しとけよ」


 実乃梨と亜美が教師に連れていかれた後、竜児は雪の中に小さな輝きを見つけた。
 ケンカの最中に外れ、踏みつけられたのだろう。無惨に折れ曲がってガラスビーズもいくつか取れてしまったヘアピンは、もうどうやっても直すことが出来ない事が明らかだった。
 そんな最悪の修学旅行から帰ってきて暫らく後……学校への届けだけを残して大河が姿を消した。
 捜そうにも手掛かりも心当たりも無く、悶々としていた時にやってきた一人の男。
『隣のマンションに住んでた娘の行き先を知らないか?』
 そう尋ねた男に必死で食い下がり、竜児は初めて逢坂陸郎が莫大な負債を抱えて逃亡したこと、大河もまた関係者として追われている事を知った。
 そして、その瞬間竜児は大河を捜すために裏の世界に足を踏み入れることを決意した。
 男――水地という名前だった――の勧めで時折『仕事』を手伝いつつ大学は経済学部へ進み、卒業後すぐに杯を交わし、思い知ったのは父親から受け継いだのが目つきだけではなかった事。
 その世界でメキメキと頭角を表わした竜児は今や27歳の若さでいっぱしの経済ヤクザ、若頭と呼ばれる身分である。
 だが、母親と共にアメリカに渡った後の大河の足跡だけは、どうしても掴むことが出来なかった。
 つい先日までは。


 メモに示されたその店、『吉祥天国』は予想以上に小さなスナックだった。
 準備中の札を無視して扉を開けると、カラカラと鳴るベルの音と同時に飛んできたのは懐かしい罵声。
「ちょっとあんた!表の札見えなかったわけ?そのサングラスの下に開いてるのは節穴?まだ準備中よ準備中!」
 流石に多少雰囲気は変わりつつも、その美貌は衰えず。
 思わず笑みを浮かべながら、竜児は構わずにカウンターに座る。
「おう、すまねえ、どうにも腹が減っちまってな。チャーハンでも作ってもらえねえか?」
「はぁ?あんた目玉だけじゃなく脳味噌まで腐ってるわけ?ウチは定食屋じゃなくて……」
 そこまで一気に言い募った大河の言葉が止まり、その目が驚愕に見開かれる。竜児はくっくっと笑いながらサングラスを外して。
「よう……久しぶり」

 臨時休業になった『吉祥天国』で、二人は並んでグラスを傾ける。
「へえ……やっちゃんまだ働いてるんだ」
「もう必要も無いから止めろって言ってるんだけどな」
「何よ、あんたそんなに稼いでるわけ?」
「おう、まあな。大河が住んでたあの部屋が今や俺の家だって言えば、多少は予想が付くか?」
「へえ……そうだね、もう十年だものね……そりゃ色々変わるか」
「なあ、大河」
「ん?」
「……帰ってこねえか?泰子も喜ぶし、今の俺ならお前を守ってやれる。大河が望むならこの店を続けてもいいし」
「……駄目だよ」
「あのクソ親父ならとっくに捕まって、借金は自分の体で清算済ませてる。もう逃げ隠れする必要はねえんだ」
「そうじゃなくて……私は結局ママとも折り合い悪くてさ、二十歳前に家飛び出して……ここにくるまでに随分汚れちゃったもの」
「汚れたっていうなら俺の方がよっぽど上だ。なにせヤクザだぞ、ヤクザ」
「私は竜児を捨てたんだよ?それを今更……」
「俺はそんなこと気にしねえ。昔の色々を無かったことにして一からやり直すってのは、確かに無理かもしれねえさ。だけど、それも全部ひっくるめて改めて始めることなら出来るんじゃねえか?」
「……少し、考えさせて」
「おう、わかった。それじゃとりあえず帰るけど……そうだ、今日の勘定はツケといてもらえるか?」
「何よ竜児、あんた稼いでるんじゃなかったの?」
「おう、この店のボトル買い占めるぐらいは出来るけどな。金で大河に負い目つくらせてOK貰うってのは嫌だし、何よりまたここに来る理由ができるじゃねえか」
「まったくあんたは……変わったんだか変わってないんだか」

 別れ際の大河の苦笑を思い出しつつ、竜児はほろ酔い気分で夜の街を歩く。
「俺は諦めねえぞ、大河。毎日でも通って、必ずうんと言わせてみせるからな」
 と、その時突然背後からの衝撃。同時に脇腹に生じる灼熱感。
「え?」
 ぐらりと倒れながら目に映ったのは、赤く染まった刃を手にした若い男。
(こいつは確か、鳳の所の……)
 猛烈な痛みに手をやれば、ぬるりとした感触が流れ出していて。
(そうか……刺されたのか……)
 体が冷えていくのがわかる。同時に視界が昏くなっていく。
「大河……すまねえ……」
 それが、高須竜児の最期の言葉となった。
                              〜END〜


     ***


「いってぇ……」
 頬には机の冷たい感触。腰には鈍い痛み。
「おい大河、何するんだよ!」
「あんたが居眠りしたままうなされるなんて器用な真似してるから起こしてあげたんじゃない」
「だからっていきなり蹴るか普通?」
「仕方ないでしょ、両手が塞がってるんだから」
 その言葉の通り、大河は両腕に洗濯物を抱えていて。
「ああくそ、なんかすっげー嫌な夢を見てた気がする……」
「休みだからって昼間からぐーすか寝てたりするからバチがあたったのよ」
「あのなあ……何で俺が居眠りなんぞしてたと思ってやがる」
「あら、言い訳とは見苦しいわね」
「一昨日まで仕事で徹夜続きだった俺を、久しぶりだからって朝まで寝かせなかったのはどこの誰だよ!?」
「そっ、それは……いいじゃない、あんたも楽しんだんだし」
「それは否定しねえがな、最後の方はありゃ命の危険を感じると肉体が勝手に反応するってやつだったぞ、絶対」
「あ、思い出したらなんかまた……ねえ、竜児」
「待て!せめて夜まで待て!」
 騒ぐ竜虎の傍ら、机の上には一通の手紙。
 二枚の招待状が同封されたそれは、富家家・狩野家の結婚式の報せだった。



作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system