【これまでのあらすじ】春は三月。親元で高校を卒業した逢坂大河は懐かしい大橋の町に帰っ
てきた!本来の転居予定を前倒して単身上京。荷物が届くその日まで。大河と竜児が甘々+エ
ロスで繰り広げるパートタイム同棲コメディ(泰子付き)。その2!

****

 前の晩にいろいろとあった二日目。

 朝ご飯を終えて、フニャフニャくつろいで。大河は後片付け。竜児は洗たく。
 大河のセーラー服に水洗いOK表示があるのをちゃんと確認してから、別分けドライモード。
スカートのプリーツも事前にしつけて抜かりなし。これで後のアイロンがけが楽に済む。

「大河ぁ、そのおネグも洗っちゃうから脱いでよこせー」
 ベランダの洗濯機の前から室内に声をかける。

「ほーい。覗かないでよね」
「……覗かねえよ」
「なんだ。つまんない……ギャップでもえとけばいいのに」
 はあ?どっちだよ。カーテンをしゃっと引かれた自分の部屋を眺める。

 ややあって、じゃこれお願い、とカーテンの隙間からほわほわシルクの塊がつき出された。
一週間居候すると言う割に少ない荷物を見た竜児は、汚れものを溜めずに洗ってやらねばと思
ったのだ。おそらくは一泊でとりあえず地元に帰るとか親に言って出てきたのだろう。
 ……こ・れ・は〜と。サテン織シルクか。手洗いの方が無難だな。

 居間に戻ってみると、高校時代のジャージに着替えた大河が掃除をしていた。
 睡眠中の泰子を起こさないように気を使って掃除機を使わず、略式ながらハンディモップで
埃取り。竜児はいくつか窓を開け風を通して埃を追い出すと部屋は大河に任せてトイレとお風
呂掃除。自分の短い毛と大河の長い毛が絡み合って排水溝に溜まっているのを取り除きながら
ちょっと赤くなってもみたり。
 板の間をぴかぴかに磨き上げた頃には、掃除も洗濯も終わって昼近くなっていた。

「お前にうちを掃除してもらうとはなぁ」
「居候の分くらいわきまえてるわよ……」
「皮肉は言ってねえよ。なんかこう、夫婦っぽいなってさ」
「そ、そうね。練習よ練習」
 じゃあ褒美におやつを出そう、と竜児は冷凍庫からクリームチーズケーキを出して紅茶を入
れる。ふたつに折った座布団を枕にゴロ寝していた大河が起き上がって、まったりとお茶。
 穏やかな日で、ベランダに干した洗濯物がときおりそよいでいる。

「ねえアレ」
 あそこに置いたから。と大河が思い出したようにテレビ台を指差す。見るとメタリックブル
ーで商品名が銀箔押しで印刷してあるお菓子のようなパッケージ。昨日開封しなかったのはも
う怒ってはいないようだ。

 間もなく、おはよー☆たいがちゃぁーん。竜ちゃぁーん。と泰子が起き出した。顔を洗って
いる間に、竜児は手早くお昼のチャーハンを作る。朝食のキンピラと卵焼きも泰子の前に並べ
て。家族三人もくもくと水入らずの食事。
 もくもく?
 泰子がテレビ台にチラと視線を向けるたびに大河がびくっ。竜児の顔を見ればするーっと視
線を逸らす。

「も〜〜〜っ、やっちゃん楽しくなぁい!」
 空気に耐えられなくなった泰子が文句を言いだした。そんなに気を使うのはやめようよ〜☆
などと、アレを置いたせいで要らぬ刺激を子供らに与えたとは思ってないようだ。

「竜ちゃんはぁ〜、年の割に落ち着いてるけどぉ、やっぱし男の子なんだからナニのときアレ
 要るでしょぉ〜?」
「たいがちゃんはぁ〜、煮詰まりやすいからぁ、竜ちゃんが壊れたら流されるでしょぉ〜?」
 そんなと〜き、そんな日は〜、震え〜〜るその手でアレを開ければいいんでヤンスよ。口調
はともかくとして、まあ意外にまともな事を言っている。考えてみれば昨夜のふたりの舞い上
がりようでちゃんと準備できたのかは疑わしかった。やはり若くても保護者は保護者だと竜児
も大河も他人事のように感心したのだった。

 永遠の23歳・童顔巨乳みらのちゃんであってもちゃんと竜児を育てた人の親。当然どっち
に指示をしておけば安眠が守られるかも正確に見抜いていた。
「やっちゃん寝不足になっちゃうから、りゅーちゃんの部屋でねえ☆」
「あ、う、……うん」
 泰子にひそめ声で囁かれて、大河だけトマトのように染めあげられる。


 もうひと寝するぅ〜☆と、泰子が部屋に消えたあと。
「おし、大河。買い物行こうぜ」と竜児が誘う。

「え?タイムセールはまだまだ先だよ。いまから?」
「お前の小物を買うし、それに」
 竜児は一瞬だけ言い淀む。がそれは一瞬。べつに恥ずかしい事なんかない。

「デートに誘ってるつもりなんだがな」
「うおう!竜児からで、で、で、でえとなんてせりふがが!ががが」
 なんだよう、変か?いいじゃねえかよ。昨日より暖かいしさ。買い物しながら一緒にぶらぶ
らしようぜ。

「や、やぶさかではないわねー。ひ、ヒマだし」
 腕組みなんかして余裕をかましてはいるが、顔はまたトマトだ。完熟。おう決まったな。じ
ゃあ着替えてこい。と言い終わらないうちに竜児の部屋にだっしゅ!ふすまをぴしゃっ!

 女は身じたくに時間がかかると言われるが、大河の場合はそれほどでもない。似合うファッ
ションの幅が少ないと思い込んでいるのか、持っているのは同系統の服ばかり。加えて、メイ
クは髪を整えリップグロスを塗るくらいのほとんどすっぴんだから。
 それに旅行中の荷物には悩むほどたくさんの服は入っていない。竜児がエコバッグに財布を
揃えて、おざなりに髪をいじってきた5分程度で部屋から出てくる。

「お待たせ。……してないよねっ?」
「おう。へえ?」
 大河のお出かけスタイルは、アイボリーで裾に若葉柄の入ったフリルの少ないワンピースに
昨夜のお気に入りカーディガンをアウターに羽織った春モード。もも丈ワンピに合わせて薄茶
色のニーソックスが緑萌える季節感を演出し、僅かに現れた絶対領域にもほのかな煩悩が萌え
出ずる。

「へえ?へえ〜?」
「なにさ?変?」

「い、いや……。柄ものは好みじゃないと思っていたから。そんで驚いただけだ」
「まあ春だからね。はやりの花柄とか着たいけど。ちびだと子供服に見えちゃうんだよね」
「そっか。だったら大きめの葉っぱ柄は映えるよな」
 本当はそんな事で驚いたわけではない。めっちゃ可愛いと思ったのだが。まあどっかで褒め
てやろうと思う。うちの中で一から十まですますのはMOTTAINAI。竜児もジーンズと
Tシャツに着替えて1分。スタジャンを羽織って準備完了した。
 じゃあ行こうぜ、デートに。
 うん行こう、デートに。
 そういう事になった。

****

 泰子行ってくるーとふすま越しに声をかけると、あ〜い☆と眠そうな返事。そして連れだっ
てお出かけ。
 外階段を先に降りた竜児に手をすっと取られ握りしめられて、じわっとした温かさが伝わっ
てくる。なんだろう?先回りで望みがかなう。きゅーんと高角度で上がりかけたテンションが
なだめられて、そうねじわじわいきましょーという気分になる。
 なんだか引っ張る気の竜児に気持ちをあずけて、連れてってもらおう。

「どこ行くの?りゅうじ」
 そうだな……まずは。
 まずは、お前の手を握ってどこ行くの?と訊かれたからには、あそこだよな。
 公園を突っ切って、住宅街を抜けて、川岸に出る。土手に上がって遊歩道を並んで歩く。そ
の辺りでもう大河には行き先が分かったらしい。

「大橋だね」
「おう。一応、プロポーズした場所だからな。逢ったら最初に行こうってな」
 一段下がった歩行者用の橋を3分の1ほど渡った辺りだったと覚えている。あの日の、雪の
バレンタインデーと同じように、並んで欄干にもたれてみた。

「一年以上も経っちゃったね……」
「俺が身投げするなんて、お前が変な勘違いしてな」

「だから、謝ったじゃんよ」
「それに関しては未だに謝ってもらってねえ。でもそんな事はもういいんだ」
「まあ、でも。そう……かもね」
 死のうと考えたことなければ、相手が死のうとしてるなんて……思わないよね。ふつう。

 見下ろせば結構な高さで、よく怪我もしなかったと思う。あの日より水は滔々と流れて……
いればとっても絵になる。流れのようにゆるやかにいくつも時代は過ぎて、とか、移りゆく季
節に雪どけを待ったりとか、思わず唄ってしまうかも。残念ながら、そもそもこの川の水量は
さほど多くなく相変わらずチョロチョロ。
 それでも竜児は、泰子がよく唄ってたから覚えた、川の流れを人生に喩えた、いくつになっ
ても唄えると思うその古い流行歌はここに似合っていると思う。
 好きなやつを傍らに連れてここに立つことができた今は尚更そう思う。

「こっから落とされたからこそ、俺は何もかもが吹っ切れたんだろうな」
 お前がそんな思いを持ってたのかってのもここで初めて分かって。もう考えた事は一つしか
なかった。頷く大河の瞳はもう懐かしいとしか思っていない色。自分もそうだろう。
 互いに、そうする事が当たり前であるかのように向き直る。

「大河。好きだ。絶対に離さねえよ」
「あんたが好きだよ。竜児。とっても」

 穏やかに晴れて川面を微風が渡る。真昼間で他の通行人もいるのに、笑顔で見つめあった大
河と竜児は、どちらからともなく顔を寄せ合った。恥ずかしくないわけではなかったけれど、
この場所に置き放したものをいっしょに拾うために。

「俺、あそこには独りで何回も行ったよ」
「へえ!あんがい女々しいところがあるんだ!りゅうじは」
「……お前が俺の立場だったらどうなんだよ?」
「心細くて毎日行くに決まってるじゃない。か弱いのよ?私」

 また土手に戻って並んで歩いた。しっかりと手をつないで。
 この先にさ、去年の秋にいわゆる複合商業施設ってやつが出来たんだ。

「駅ビルより店が多いから、そこで買い物しようぜ」
「あー。じゃあ私初めてだね。チェックチェック」

 その途中で大河の携帯が鳴った。
「あ、ママだ」
 おふくろさんから電話か。聞かれたくない家庭の話もあろうと竜児は手を解いて離れようと
する。が、大河は離さない。いいんだよ、聞いてけ。という顔をして出る。

「うん、うん。そう。もうずっとこっちに居るよ」
 竜児のとこにお世話になってる。うん。だって。大丈夫だよちゃんとしてる。
 え?うん、いるよ。
「ママが高須さんちの方にかわれって。話す?」
「……話さないわけに行かないだろうが。はい、高須竜児です。こんにちは」
 ええ、いま出先です。近くの川の土手を歩いてます。はい。

「うちのワガママ娘が不躾なマネをして本当に申し訳ありません。
 親御さんには改めてご挨拶させていただきますね」

「はい。ご丁寧に恐れ入ります。帰ったら母には伝えます。
 ……ええ、そうです。買い物に行くところです」

 ちらっと大河を見ると、石なんか蹴るふりをしてる。
 私つまーんなーい、たーいくーつ、早ーく終われー、という三文芝居。なんだかな。こっち
だって誠実な青年を必死に演じてるんだから。もうちょっと我慢しろよ。

「大河はカンシャク持ちで頑固ですぐ拗ねるからご迷惑をお掛けすると思いますが……」
「え?それは分かっています。でも素直で優しいおじょ、お嬢さんで。俺は、好きです」
 うわあ、お嬢さんだってよ。俺いま完熟トマト状態じゃねえ?……完熟トマトがもうひとつ
傍らに転がっていた。耳を塞いで悶えてやがる。
 大河のおふくろさんもなんか黙ってるな?ひとこと余計だったか?

「……ありがとうね。高須君。あれでも大切な娘なのよ。宜しくお願いします。節度を……」
「はい!俺も大切に思ってますから。あの……」
 後ろで赤ん坊が泣く声と、おたおたした雰囲気が伝わって来た。

「任せて下さい!たい……お嬢さんに返しますね」
「ぅおっと!もしもしっ。分かったでしょ。こういう人なのっ。……え?うん。うん。はい。
 それじゃ」
 ほらほらおしめじゃないの?もう切るよ?また電話するからっ、ね?じゃバイバイキーン!
いきなり電話を返された娘もおたおたしながら、話は終わった。

「ふう……。ぷっ、くくく、くく……」
「ああー、びっくりした。……何が可笑しいんだよ、くそ」
「『お嬢さん』だって。ぷくく……」
「やっぱりお前、親を騙して出てきたんだな?大丈夫かよ」

「お前、とか何様?あんたにとっちゃ『大切なお嬢さん』なんでしょ?わたし」
 そんなとこに食い付くんじゃねえ。……ふつう、お嬢さんでいいんだよ。こういう場面では。
もう俺はすっかり真っ赤っ赤なトマト。

「好きです、とか、任せて下さい、とか、もうね。……もう」
 含み笑いで嬲ってくれていたくせに、このお嬢さんは再びトマトだ。
「ふつう……言わないよ?……そこまで」

「おう、なんか悪かったかな?最後になんか言われたか?」
「『避妊しなさいよっ!』だって……」
「……うお」

「あと、……ちゃんと連れて帰省しろってさ」
「まあまあ悪くねえ。大成功じゃねえかよ。面接にこぎつけたよ!」
「バッカじゃないの?」
 完熟トマトの分際で毒づく。甘い声で。
 ああまで言ったのなら、なんで「くれ」って言・わ・な・い・の・よっ!
 この、グズ犬ーーーーーっ!!ばちーんん!とケツに渾身のミドルキックをくらう。

「……夏になったら北海道に行こう?りゅうじ。ウニどーん!エビどーん!だよ!」
「痛えよ。バイトできなくなったらどうすんだ?旅費」

 ふふっ。大丈夫だよ?りゅうじ。
 誰だってろくに会った事もない人を信用はできない。だから、私は何度も何度も、あんたの
事をどんなに『誠実な人』かママに話してきた。
 きっとママは私の方がのぼせて、浮かれポンチで高須竜児にハマっていると思ってる。さっ
きは伝えなかったけど、『……あんた好かれてるじゃないの!』って言われたよ!帰省しなさ
い、の前にね。本当に、面接にこぎつけたんだよ。

 あんたに会って、知れば、きっとママもお義父さんもあんたを好きになる。あんたと家族に
なれると思ってくれる。物心がつけば、後ろで泣いてた弟もね。
 私は疑った事もない。

「お嬢さんを、俺に下さい」
「情熱的にもう一丁!」

「お嬢さんを俺に下さいっ。一生涯大切にしますっ」
「いいねいいねー!何事も練習だ。も一丁っ」

「可愛くて肌がつるんつるんもちもちで抱き心地がとっても幸せなお嬢さんを俺にくれーーっ」
「そんなことは云わんでいぃ〜〜っ!」
あまり人が通らないのをさいわい、トマトたちは喚きながら土手を歩く。

****

「『ビッグブリッヂ』……だって……」
「名称にはあまり突っ込むな。一般公募だった」
 移転した工場跡地に建った複合商業施設。とは言い過ぎかも知れないくらいの規模ではあっ
たが。シネコンありゲーセンありパチ屋ありレストラン街ありで、ちょっとした賑わいだ。

「俺らの間ではベタ過ぎという話は既に済ませた。ゲーヲタがネタ的に喜んでる」
「ここで戦って負けると武器を取られる、とか?」
「そうそう。そんなの」
 しょうもない会話をしながら中に入ると、さっそく大河の鼻歌。……やっぱそれだな。そう
だよ。オープン当初それ口ずさんでたやつは多い。名曲だからな。

「天然素材のロシアンルーレ〜ットぉ〜♪」
 ボカロの方か。お前その歌詞、最後まで知ってんのか?心でツッコミつつもししとうを食い
たくなってきた竜児ではあった。地下が食品売り場になっているが、価格は高目で品質はかの
う屋とほとんど同じ。まあ利用する事はないだろう。


ふたりはとりあえず1階のレディース専門店街をひと回りしてみた。
「ここはミセス向けが多いね。フォーマルなのを探すときにはいいかも」
「そっか。上はカジュアルフロアになってるな。行ってみよう」
 エスカレーターで上がる。

 このフロアはティーンズ向けのようだ。広いスペースに品揃えがかぶらない店がいくつも入
っている。ロリータ系に強い店もあるから大河なら気に入るだろうと思っていたのだ。この上
のフロアはアクセサリー屋の他に服の生地屋とかも入っていて、竜児はそっちに興味がある。

 予想通り大河は、わあ、とか、おお、とか言いながら念入りにチェックしている。こういう
ところはやっぱ女の子だなと思う。

「いいね。チビサイズも揃ってるし。これならばかちーとも一緒に来れる」
「おう、良かったな。女が満足する品揃えって俺じゃ分かんないからさ。……でよ?」
 なんか気に行ったのがあったらプレゼントしてやる。と告げる。

「ええっ!?そんなあ」
「この財布には時折バイトしてプチ貯めまくった金がある。家計じゃねえ」
 ふふん。とたまには竜児だって胸を反らしてみるのだ。嬉しいけど、悪いじゃん。いいんだ
よ。デートだっつったろ?元々お前が上京したらなんかプレゼントするつもりだったし。俺に
とってもお前にとっても記念日なんだし。それが前倒しになっただけだ。

「ほんと?りゅーじありがとーっ!」と、いきなり抱きつく。
さすがにそこそこ客がいるここでは恥ずかしいぞ。いいから選べ、と程ほどにしておく。

 それからたっぷり一時間、大河は広いフロアを走り回った。あとから追いつく竜児に感想を
求めて、手持ちのものとの組み合わせを必死で考えている。考えてみればこういう買い物をし
ている大河を見るのは初めての事だ。元が衣装持ちだから、あいつ目は肥えているんだよな。
 欲しいものが見つかっても値段で止めたり俺の懐具合も考えてるらしいから、なかなか決ま
らないかも知れねえな。
 でも俺にしたって、これは大人の真似をしてみる背伸びだから、払える限り払ってやるぜ。

「服じゃなくて、アクセでもいいんだぞ?このフロアにも何軒かあったし、上にもあったな」
「うーん、アクセはね〜」金属ダメなんだよね。赤くなっちゃう。
 ああ、そういえばそうだったな。

「金かプラチナかチタンならだけど、分不相応だし」
 それに私ね、あんまり光りモノに興味ないの。時間かかってごめんね。いいんだ。どうせヒ
マだし、そのために来たんだし。たっぷり悩めばいい。

「お嬢さんよ、上のフロアも見てみようぜ」
「そうね」


 3階はいわゆる小物屋が集まっていた。女子向けで少しローティーン向けか、制服の中高生
が多い。ちょっと場違いなので、大河を独りで放つ。俺は生地屋を見てこよう。

 生地屋、というか服飾材料屋はフロア中央のエスカレーターから離れた隅の方。階段の脇に
あった。値段はやはり高目だが、服地やらを買える代わりの店は大橋にはないからな。電車で
都内まで行く事を考えると、徒歩圏のここは重宝しそうだ。
 などと考えながら布のロールの間を巡っていると、リボンテープのコーナーで足が止まる。
見覚えのある色だな……ああそうだ、川嶋の別荘で。あの旅行のとき、大河は髪をぞんざいに
上げて結んでポニテにしていた。あのリボンの色だ。サイドを金糸でかがった薄緑の。素材は
ベルベット。
 大河の髪を上げて、これで結んだら?春らしくて今日の格好にぴったりだな。凶眼に怪しい
光を帯びてヒモを持てば、これから誰かを絞殺するその筋の人、もちろんそんな事はなく。

 しかし、なんだ?俺が大河のナリに口を出す?
 いつまでもパジャマでうろうろするんじゃねえ、着替えろ!というのとは意味が違う。あい
つにはあいつがしたいと思う装いがあるわけだもんな。
 でもあのときのポニテは、可愛かった。もう一度見てえ。見たいと思うとどんどん見たくな
ってくる。う〜ん。まあ、何と言っても本人に聞いてみなきゃ始まらない。
 店から一旦でて、大河を呼んでみる。

「この色、似合うと思うんだよ。ベルベットだから軽く見えすぎないし、葉っぱ柄とも合うし」
「なに?髪上げんの?別にいいけど。……ん?この色見覚えあるなあ?」
 うん、手持ちのリボンの中に確かあったはず。届くのは来週だし、見つけられるか怪しいけ
どね。あ?そうだ、おととし別荘でしてた!おう。思い出したか。なんでそんな細かいことを
覚えてんのよ?

「え?……それは、まあ。可愛かったから。ポニテ」
「あ?そ、そうなの?また見たいの?」お、おう。
「見たい」
 そうか!と大河はなにかを思い出した顔をして、早口で言う。

「あんたはそのリボン買ってきて。私2階に降りてるから。早くきてよね」
 言うなり、店を飛び出し、だだだーっと2段飛ばしで階段を降りていった。

 竜児はリボンをワンロール手に取りレジに。後で端をかがるための金糸も一緒に。2階に降
りると、近くの店からりゅーじぃ!と呼ばれた。行ってみると、一着のブレザージャケットを
手に取っている。リボンと似た緑だが少し色が深い。

「どう?色み。合いそう?」
 おう?大河を下から順々に見て行って、買って来たばかりのリボンを見比べる。合いそうだ
と答える。
「じゃ、合わせてみるね?」
 すいませーん、これ試着ーと店員を呼んで試着室に入る。

「サイズはちょうどよかった」
 ハコから出てきた大河はなかなか……どうして。七分袖のそのブレザーは今年も流行ってる
チビ丈タイプ。いま着ている、ウエストきゅっ、裾ふんわりなAラインワンピと合わせると、
劇的に脚が長く見える。カーディガンでルーズな感じの方が良く知っている大河のイメージに
近いけど、こっちの方が俺好み。これでポニテリボンはものすごく可愛い。ちょっと興奮した。
 という印象を正直に話したら。

「じゃあ、これがいい。……ただちょっといい値段かも」
 眉を八の字にした困り顔で、どう?と聞いてくる。見ると、確かにそこそこ。でも『払える
限り』なんて額には遠い。それは大丈夫。

 でもよ。
「俺はいいと思ったけど、お前の普段の好みとは違うシンプルなラインだぜ?」
 身体の線も出ちまうが……いいのか?
「いいよ?うん。そう。これがいいの、好きなの」

 これくださーい。あ、ここで着て行きますと店員に告げる。あとリボン着けたいんで切らせ
て貰えます?裁ちばさみとメジャーと鏡貸して下さい、と。道具を借りてレジ脇で、はいりゅ
うじ、リボンにしてちょうだい。と。

 竜児はロールのパッケを開ける。ちょっと長さを計算してからリボンを引き出し、メジャー
を当てて測ってチョキン。少々ほつれるかも知れないが、端の処理はあとでやろうと決めた。
 その間に大河は、鏡を見ながらウェーブのかかった後ろ髪を上げて位置を決めていた。決ま
ると取り出したヘアゴムでテイルを作る。やがてタックを取ってブラシをかけられたブレザー
を、どうぞと店員に渡される。

袖を通して襟元を整え、鏡に向かって角度を取り、何度か確かめてからくるっと後ろを向いて
リボン結んでと。くるくる巻いて、丁寧に結び目をつくれば完成。
 想像した通りだった。重すぎず軽すぎず、浮かれすぎず地味すぎず。ワンピとの組み合わせ
が春らしくていい感じだと思った。姿見を向けてもらい、嬉しそうに全体を映して何度も確か
めている大河を横に見て代金を支払った。

****

 店を出て、エスカレーターでなく階段を降りようとしたら、早くもリボンが緩んでいる。

「ちょっと待った大河。ヘアピン持ってるな?2本貸せ」
 ベルベットだから緩みやすいんだな。少しきつめに直してから、隠しピンで留める。これで
帰るまで大丈夫なはず。
 ちょうど3階から降りてきた女子中学生らしいグループが大河を見てあー可愛いーと盛り上
がる。降りて行きながら話している内容が階段から聞こえてきた。

「彼氏かぁ?あれ?」
「兄妹じゃね?」
「親子じゃないよねー?」
「でもなんか良くね?あんな事してくれるのが彼氏だったら」
「あんなんちょー恥じいじゃん」
「えーいいよー?」
 ……

 にやり。
 にやり。
 声をひそめて。

「あんた彼氏なんだってさ」
「恥ずかしいとは……まだまだコドモだな」
 これが彼氏彼女の余裕というやつか。

「お腹すいちゃったよ」
「結構集中して走りまわってたもんな。夕食までもたねえか?」
「うん」
「じゃあ上で軽くなんか食べよう」
 屋上がフードコートになっていることを思い出して上がってみる。パラソル付きの丸テーブ
ルが置かれたエリアを取り囲むように沢山の屋台。やきそばたこ焼きお好み焼き。ドリンクク
レープソフトクリーム。鯛焼き麺類焼きトウキビ、ケバブまである。

「ここいいね。海辺みたい」
「オープンエアだから晴れの日限定だけどな。買ってくるから座ってろよ」
「うん」
 なんにする?
 ケバブ!……いやいくら私がにくんちゅでもせっかくのデートで肉はないわ。お好み焼きと
メロンソーダ。なんだにくんちゅって?海人と書いてうみんちゅ、肉人と書いてにくんちゅよ。
くっだらねえええ!別に肉食ってもいいのに。じゃ俺がケバブ食うわ。笑いながら竜児は食料
の調達に行く。

 お好み焼きとケバブとドリンク二人分を抱えて戻れば、ありがちな事に大河がナンパされて
いた。地元の他高生2人……ということは2年か1年。こりゃ酷い言葉を浴びせられるなあと
思いきや。

「ごめんね、わたし婚約者とデートしてるの」

 これもある意味ではストレートに過ぎて酷いかも知れないが。
「あ、来た来た。ほらあの人」
 2人組は竜児の顔を見てビクっと。っしたー、っしたー、と頭を下げてそそくさ立ち去る。

「いまのお前に指一本でも触れたら俺は荒事も辞さねえ覚悟だが」
 食べものをテーブルに置きながら大河に話しかける。しかし、あんだけ穏やかに拒絶するお
前にはもっと驚いたよ。

「うん。いま最っ高にいい気分。天にも昇る心地なの。こんなときに汚い言葉なんか出ない」
 と言いつつ、少し背を反らしたのは見ないふりをしてやろう。

 でも自分の彼女がナンパされていた事実、というのを見て、変な言い方だけど妙に世界が広
がった気もしている。ついさっきまですごく近くで見ていた大河をちょっと離れて眺める感覚
が増えてきた。可愛い、と真っ先に思う。
 さっきまでは身内的な感覚もかなりあったけど、今はふつうに街で見かけた知らない女にそ
う思うような。髪上げると猫目の印象が強くなってほんとに美人顔なんだな。声かけたくなる
気持ちが……なんか分かっちまうぞ? 

 お好み焼きとケバブを半分交換しろというにくんちゅの要求に応じて小腹を満たす。
 メロンソーダは失敗した。自分では見れないけどすごい色になってるでしょ?と舌を出す。
確かに鮮やかな緑に染まっている。

「りゅうじ、あの」
 緑色ではあるけれど、かしこまった口調に変わっている。

「プレゼントありがとう」
「なんだか無理に俺の趣味を押し付けたみたいだったのに、良かったのか?」
「あのね、自分が欲しいものよりも、りゅうじが好きだと思ってくれるものを貰えて良かった」
 たとえば食べ物とかゲームとか、そういうものなら自分の好きなものがきっと嬉しい。だけ
ど服やアクセはさ、私にとっては違うんだ。

「うちを出た時より今の方が可愛いって。綺麗だって。りゅうじは思ってくれてる?」
 質問ではあるけれど、分かりきってる。そう大河の顔には描いてある。

「もちろんだ。ああ、いやあのカーディガンだってよく似合ってたぞ」
 それも分かってるけどさ。でもこっちの方がりゅうじはいいんだよね?
「私は自分がちびでちんちくりんだと思っているから、そこから自由になれる格好が好きなの」
 だからクローゼットの中身、同じ傾向だったでしょ。でもさっき生地屋さんでりゅうじに言
われて思ったの。
「私はりゅうじのためだけに綺麗にしてたい。りゅうじのためだけに可愛くなりたい」
 そう思うのは、とても気持ちがいいってね。蹴りなんか入れちゃった後だけど。……ほ、ほ
本当にいま思ってるよ。

「お、……おう。そんなふうに。……嬉しいぞ」
 なんという完熟トマトな……俺。
 大河にもじもじクネクネされたら想定のうちだけど、こんなに真っすぐ見つめて喜ばれるな
んて思ってもみなかった。そんな子はうちの大河じゃありません!とか言いたい気分になっち
まう。

「だから、選んでくれてありがとうね」
 これも自由にしてくれているんだ。大事にする。と袖を撫でる。
「りゅうじと居るときにだけ着る。約束する」
 それにね?旅行の時のポニーテール、あんなに前のこと思い出してくれたのは嬉しいよ。

 頬を赤らめながらも満面の笑みで礼を言う大河に竜児はとてもどぎまぎしてしまう。
 なんだか返す言葉を失って、でも今の気持ちをすぐに伝えたくて、手を伸ばして指を絡ませ
たりしてみた。お?という顔をして大河も遊んでくれる。
 照れくさい。……あーもうすぐ19なのに俺。なにこんなデレデレしてんだ?


 おやつを終えたので、そろそろ夕食の買い物に行く時間となった。
 その前に大河のおふろ用品を買いに行かねば。ここにもドラッグストアはあるが、うちの近
くの方の店が安いのでそっちで買う事にして歩きだす。

 言葉少なに。ときどき黙って視線を交わしては、えへ、とか、おう、とか短く。どきまぎと
した気持ちが消えずに残っていて、竜児は大河から目を離せない。大河は前を歩いて、ちょっ
と離れて竜児からよく見えるように。横に並んで、肩で小突いてみたり。
 信号待ちでは、いちちゅっごとに有料の投げキッスを直撃成功してみたり。ついでに車道に
よろけて、慌てた竜児に引き寄せられて。そのままエコバッグを提げた腕に絡んで。珍しいこ
とに竜児のほうから軽く頭突きかなんかでじゃれついて。

 見上げて。
 見下ろして。
 視線が重なるとふたりとも、それぞれに同じ事を思っている。
 どうしちゃったんだろう?今日の自分。

****

 いつものドラッグストアの前に来ると、見慣れた美少女コンビに会った。
「あ!」「あ」「おう」「あ」
 ばったりと。木原麻耶と香椎奈々子。元クラスメート。そりゃ小さな街だ。会っても不思議
なんてことはない。昨日卒業式だったのだから、今日仲良しがつるんでいて何もおかしな事は
なかった。

「あれぇーーっ!タイガーじゃーん?あ、かわいーっ!イメチェンなのー?」
 あでも親元に一回帰って来週引っ越してくるってー?
「麻耶、それよりここで腕絡ませてる彼氏を詳しく紹介してもらわなきゃ」
「何だよ、知ってるじゃねえかよ」
 香椎は無視して大河を問い詰める。口調こそおっとりしているが恋話マニアなのだ。
「高須くんとデートなのぉ?デートなのぉー?ねえねえねえねえー?」
「あ、うん。そうだよ。」
 親元に一回帰るっていうのはうそ。もうずっとこっちにいるよ。と木原にも答える。
「そうなんだー、友だちにも邪魔されたくないんだよねえ〜?う・ふ・ふ、やだぁもう〜」
「いーないーなぁ!2人が付き合ってる現場をあたしたちもやっと見れたって事ー?!」
 木原が頬を桃に染めて竜児の肩を揺する。

「今日はばかちーとは一緒じゃないの?」
「亜美ちゃんなら今日明日と仕事で遊べないって」
「ふーん、そうなんだ。あんたたちも買い物でしょ?」
「そ。てゆーか、暇つぶしのコスメ漁り。タイガーは?」
「私はおふろ用品を見つくろいに」

「「おふろ用品?!」」

 麻耶と奈々子のダブルツッコミ。ホテル滞在ならばそんなものを揃える必要なし。
「このあとかのう屋で夕食の買い物するんだよ」

「「夕食の!!」」

 ふたりは揃って高須竜児を凝視!状況は果てしなく黒に近いグレー。ていうか黒。
「きゃ。そーなのぉー?やっぱりぃー?」
 仕方なく竜児は頷いてみる。
「お、おう。まあな。もうお前らをごまかすつもりはねえよ」
「うっわぁー!あ、じゃあ昨日は……?」
 竜児がギク。っと。
「ひょっとしてタイガー……?」
 大河がギク。っと。
「お泊り……なのぉー?」
「え、えと……その……うん♪」「おい!」

「「キャァァァァァァーー!!」」

「お、落ち着け」
 高須竜児は元クラスメートの女子2人に背中と胸、裏表からばんばん叩かれた。祝福と僅か
な嫉妬、大きな憧憬に裏打ちされたその暴行を甘んじて受ける。詳しく!と香椎が拳を大河の
口元に突き付けるインタビュアーの振り。大河も乗ってしまって、昨夜の入浴シーンの公開に
及んでいる。
 うあああああああああ!黙れ黙れ黙れそんなこと言わんでいいぃっ!と抵抗を試みるもしょ
せんは1対3。多数派がそーゆー事に興味津々のお年頃女子となれば、竜児の敗退はおのずと
決まっていたようなもの。
「ハァハァ、なんかもうあたしら今夜眠れるかな?」
「もうー、あたしこれから奈々子んちに泊まるー!泊まんべ。泊めて?」
「もーうまヤラシすぎるかね。じっくり語り合おう。コスメ漁りなんかしてる場合じゃない」

「あたしたちお菓子買って帰る事にするからー!」
「じゃあタイガー、高須くん。お幸せにね♪」
「ありがとね。またね」
「披露宴には呼んでほしー!」
「お、おう。何年後になるかまだ分かんねえけど。呼ぶから。来てくれな」
「きゃ。うん。またね。また会おうね」
「じゃーね〜」

 ふたりと別れた大河と竜児はドラッグストアに入って買い物。前を歩くふりふりポニーテー
ルに思わず竜児はツッコミ。
「……見栄っぱり」
「な、なによ。い……いいじゃないのよ」
 大河はシャンプー、コンディショナー、ブラシなどをかごに放り込みながら、少し赤くなっ
てふくれっ面。一緒におふろ入って、私もりゅうじもすごく気持ち良かった。

「どこにうそがあんのさ?」
 まあ、大意要約をすればその通りではあるのだが。
 それに、私たちがバカップル的に幸福なのは木原にも香椎にも嬉しいことでしょ。あんだけ
心配をかけたんだからさ。うーん。それはそうかも知れねえな。
「つまり。私も、りゅうじも、幸せにい続ける責任を負ってるわけよ」
 それに、せっかくこうなったんだから。……私だって一度くらいは……その……友だちに冷
やかされてみたいわ。

「そうなのか?」
「……そうなの。ふへへへへ♪」


 旧2-C美少女コンビとばったり出くわして、妙なデレデレ感が少し抜けたふたりは、デート
の締め、というより夕食の買い物に、スーパーかのう屋へ向かった。

「今日はなに食べる?大河」
「そうねー。昨日とんかつだったから、お魚食べたい」
「栄養バランスの感覚もついたみたいじゃねえか」
「まあね。というよりはうちのお義父さんが魚介の美味しさを教えてくれたの」
「へえ?」
「趣味がアウトドアでさ、釣ってきた魚を捌く人なのよ。海産物が美味しいところだしさ」
「初めて聞いたな……」
「魚の目利きも市場に連れてってもらって教えてもらったよ。ウデ、見せようか?」
「おう。そりゃ楽しみだな」

 鮮魚売り場にて。
「気にした事なかったけど、かのう屋ってモノがいいね。さすが地域密着人気スーパー」
「そうだな。その分ちょっと高めだけどごちそうの時は外せねえ」
 じゃあ何を選ぶ?

「そうねえ……」
 三月だからー。旬の近海もので、豊漁で値段が安いものを好き嫌いなく。が基本ね。
「メヌケがあるけど関東じゃあまり出ないから高いね。美味しいけど」
 それに底物って分かりにくいからパス。大河は冷蔵ケースの上をじっくり見ていく。
「まず、今の時期に美味しいアサリは確定かな。味噌汁も美味しいけど、春キャベツと酒蒸し
 にしたらちょっといいよね」
 ほう。ちゃんと教わって来たみたいだな。

「魚はサバにしよう?秋がいいけど春も美味しい。並んでる数も多いからいいのがあるはず」
「俺も同意見だ。これと、これとこれ、あとこれが鮮度いいな。目が澄んでえらが真っ赤だ」
 大河の目利きを見るはずなのに、つい習慣で指差してしまう。

「ふっふーん。その中に正解は2パックだけあります」
「おうっ?!あとの2パックはダメか?」
「ダメじゃないけど、脂の乗りが少ないはず」

 しめ鯖じゃなくてみそ煮食べたいもん。サバの脂はエイコサドコサ、血液サラサーラ♪たっ
ぷり乗ってるのがいいよね?りゅうじの見立てた中で、腹に薄く金色の線が入ってパツパツに
太ってるのがいいのよ。これとこれだけでしょ。とウインクしたり。

 なんという若妻振り!と感心してる間に、大河は鮮魚売り場の奥に声をかける。
「おじさーん、これとこれ3枚にしてくれる?うん。中骨いらない。みそ煮にするから皮に切
 れ目入れてね」
「はいよー!ちょっと待ってておくれー。お?姉ちゃん残り少ないの拾ったね」
 お前、やるな。

 まあね。でも料理はまだ出来ないからりゅうじがつくるのよ。じゃあ春キャベツと生姜を買
ってくるからここで受取り頼む。しばらく待って、竜児が戻ってくると、はいお待ち―と再パ
ックされた片身が差しだされた。切り口のエッジの立ち具合、腹側の脂の乗りを見て、確かに
旨そうだと竜児は頷く。

「それにしても毎日目利き修行をしていたわけじゃねえだろ?すげえな」
「これはセンスよね。同じお代なんだからいかに美味しいものを選り分けるかという」
「要するに食欲というわけだ」
「うるさいな……。でもね、合ってる。まず美味しそうと思えるものを選ぶのが基本だから」
 さっきりゅうじも美味しそうな4つをまず選んだでしょ?あとはそこから知識で拾う。深海
魚は見た目グロいのが多いから、難しいけどね。

「一番間違いないのは、魚屋さんと仲良くなるのがいいんだよ」
 お店にとっても仕入れて良いものは当たりくじみたいなもの。いつもそれを選んで買って行
く客がいれば馴染みやすいってわけ。そこで、わからない事を教えてもらう。おじさん、おい
しいのどれ?って。そういうふうに教わったよ。

 これは英才教育だな。と竜児は思った。会った事もない大河の義父に微かな嫉妬。俺の楽し
みを俺よりも先に……。とりあえずめちゃめちゃ美味しいサバのみそ煮を作ってやる。
 絶対負けられねえ。レジに向かう間に、竜児はバカ高い紀州南高梅の梅漬けをかごに放り込
んでいた。

****

 ただいまーと、帰り着いた。
 あれーたいがちゃんかわいーよぉ☆と泰子が興奮する。ぽっぷんきゅーと!とインコちゃん
にも褒められる。テレ笑いをしている大河を見ながら、竜児は買って来た食材を整理。その後
針箱を出してきて、ロールの残りからリボンを切りだす。同じものがあと2本取れた。端をき
れいに断って金糸でかがる。

 そのチマチマした作業を、泰子が卓袱台に頬杖をついて眺めている。ブレザーを脱いでブラ
ッシング。鴨居にかけ終わった大河も窓側に座って同じポーズ。仕上がったので大河の後ろに
座り、今結んでいるものと交換して、もう一本を同じ処理。

「緩みやすいから……ひとりじゃ綺麗に結べないな」ね?と。
「おう……大丈夫。結んでくれるやつはきっといる」な?
「じゃあーやっちゃん頼まれても無視するでやーんす☆」
「えー?ひどいー!りゅうじがいないときはやってよー。あ、いいんだ。そうだった」
 竜児の前でなければ、これは着けないと約束したのだった。

 繕い物を終えて、さて!と竜児は立って、エプロン着用。男の戦場?へと向かう。アサリの
酒蒸しはスープを逃がさぬよう土鍋で!サバのみそ煮はとびっきりの味付けで!汁椀はコクと
さっぱり両立の赤だしで!

 意気込みが暑苦しい空気を醸し出す。竜児はメラメラと燃えている。
 大河はそれをほっとく事にして、日が傾いたのを認めると乾いた洗濯ものを取り込みに立っ
た。スギ花粉が舞う時節柄、部屋に入れる前にブラシをかけながら仕分けて、泰子の指導でへ
たくそなアイロンがけもする。
 もう着ないからと泰子のクローゼットに仕舞い込んだセーラー服が、のちに毘沙門天国で新
たな仕事着のヒントとなったのはまた別の話である。当然、サイズが合わなくてわざわざ買う
わけだが。

 そうこうしているうちに、夕食が出来た。
 八畳間の真ん中に卓袱台。窓側に大河、向かいに竜児、自室前に泰子。定位置に三人着いて。

「やっちゃんサバだーい好き☆おーいしーい♪」
「りゅうじ、これ?」
 大河がみそ煮の皿に付け合わせている梅漬けを指す。

「今の時期安くないのに、珍しい事するね?」
 MOTTAINAI精神はどうしたの。
「……まあ、たまには良いだろ。みそダレの単調さをカバーする箸休め。秘中の秘」
「まあ、確かに。この組合せだと、飽きずにご飯が進むわ」

「お、おう。そうだろ?梅肉を潰してみそダレと絡めたのをソースにしてみる、というのも」
 んにゃっ?これは?!甘さと脂と酸味がー!と言いつつも、今日の大河はわりと上品に食べ
進んでる。不思議そうな竜児の視線に気づいたのか。

「ん?服に汁とか飛ばしたくないだけよ?」
 春キャベツとアサリのだしもおいしー。醤油の香りが立ってるね。
「そうか。うん。良かったな」
 やはりいい仕事をして認められると気分がいい。つい胸を反らしかける。
「いやあ、やっぱりゅうじの料理は確かだ。お義父さんの域にも行けるかも」

 え゛?
 竜ちゃーん、おかわりぃー☆
 あ゛あ゛、はいはい……。
 りゅうじー、こっちもー。
 お゛う゛。
 お義父さんの……域に……「行ける」?という事はまだ「行けてない」

 大河は魚の目利きがちょっとできるだけの食いしんぼだが、舌は確かだ。高い、安いは関係
なく。食わず嫌いがたくさんあっても、旨かったら好物と認める正直な舌を持っている。ある
意味、大河を味見役として傍らに置いてから自分の料理の腕も相当に上達したのだ。

 虚ろになった竜児の瞳に、かつてと同じように屈辱の炎が揺らぐ。これは、あれか?また負
けるのか。俺は。北村のばあちゃんに続けて二連敗か。シニアクラスでは所詮、歯が立たない
というレベルでしかないのか?

「……あんた、また魔に魅入られてる」
 様子を見て総てを悟った大河が助け舟を出してきた。
「アウトドアの人って言ったでしょ。趣味の料理は最高。毎日のおかずはてんでダメ」

 もぐもぐご飯を食べながら、あんたの方が総合点で上なんだからと言ってくれた。ああ、食
べながらだけどな。口の端に味噌ダレ付けたままだったけどな。家の中で2時間かけてホタテ
パエリアなんか作らないでしょーが。ダッチオーブンで。

 また大河は八の字眉の困り顔で言う。
「お上品にゆっくり食べてたら満腹感に襲われちゃったよ。三杯目がそっと突きだせない」
 悔しいからあとは酒蒸しと赤だしローテいくわ。汁ものばんざい。うまっ。濃すぎず薄すぎ
ず丹精込めたタレで煮あげたサバはいつの間にか完食されていた。
 そんなこんなで、危うくも竜児は境界から連れ戻されたのだった。

****

「行ってきまんするー☆」
 と、今夜もぽよんよんと泰子が出かけたのは大河が洗いものを済ませた頃。エプロンを外し
ながら行ってらっしゃいと見送って居間に戻ってくると、竜児のトラウマも収まっていた。

「ねえりゅうじ。味噌ダレが余っていたからタッパにとって冷蔵庫に入れといたよ。明日ワカ
 メのぬたにしよ」
「おう。……お嬢さん。いや奥さん」
「へ?へへへ、へへ……そう?まあそう聞こえるように言ってみたけどね。へらへら」
「台所に立つ後ろ姿もいいもんだ」

「は、裸エプロンはだめだよ。まだ」
 どうしても?そう?あしたや……やっちゃんが出かけるまで後片付けしないでおく?
 だめなのかいいのか。
「い、いや。そういうのは初々しい新婚生活のために取っておくべきだ。……と、思う」

 二人っきりになると、どうしてもこういう方向に話題が向かう。だって俺たちは、私たちは。
互いを思った恋人同士。節度を持ってと釘を刺されながらも許された恋人同士なんだから。

 こうして挑発するのに。誘いをかけるのに。それでも一線を踏み越えるのは難しい。もっと
距離が遠かったら、きっと簡単にひとつになれている。と思う。相手の気持ちを自らの欲望に
従って好きに都合良く思えるなら。そうしてつながってしまえば、そこからゆっくり始められ
るのだろう。結果OKというやつで。

 でも近すぎる。
 大河は、竜児は、あまりに長い間互いの思いを察して分かろうとしてきた。分からなければ
互いが閉じ込められた迷宮から出られず、手を取り合う事は出来なかったはずだ。今は分かる
ようになって、それは代えようもないほど嬉しく得難いこと。

 でもそれは、欲望が一致しなければ最後まで行けないという事でもあった。一年以上も前に、
ふたりは偶々ひとつになれて、その記憶がさらに誘惑してしまう。
「ゆっくりこのままでいられたらいい」と。
抱き合い分かち合う幸福感に包まれ、でもほんの少しのもの足りなさを感じながらも。

 竜児は自らの中の欲望の炎を見つけしだい消すものと思っている。大河は自らの中に炎が灯
ると知らないでいる。竜児のが燃え移るのが理と思っている。
 いや、思っていた。昨日まで。前に結ばれた日にどうやってその炎を扱ったのか。もう分か
らない。今日は、思いが互いに伝わってから長く離れて、初めて恋人らしく過ごす事ができた
日だった。ずっと口火のような炎が灯っていた。それを消したくなかった。

 竜児はつと立ち、黙って風呂に湯を張ってくる。
 ふたりきりの居間に戻って食後の茶を飲み。窓側に立って行って大河に寄り添って座る。点
けたテレビを見てるけどうわのそら。なにか話すけれどうわのそらで、触れた肩口から互いの
温度を感じている。

 大河の顔を覗き込んでみると僅かに見上げて。少しだけ不安の色が浮かんだ。どこへ行くの、
と問いかける。けれどもそれはすぐに消えて、どこへだって一緒に行く、と。丸く見開いた目
で竜児に訴える。
 竜児には大河の口火が見えた。鳶色の瞳の奥、光を湛えて確かにあった。今なら、たぶんそ
の使い方を教えてやれる。

 伸ばした手で丁寧にリボンを解き、ヘアゴムを外す。ポニテがふぁさっと落ちて広がる。大
河はされるまま、嫌がるでなく、驚くでなく。黙ってると怖いか?と竜児が訊けば、ううん、
とかぶりを振る。

「今日も一緒に風呂入ろうぜ」

 少し俯いて、やや間があって、長い睫毛を瞬かせてからこくんと頷く。竜児はテレビ台に手
を伸ばしてメタリックブルーの箱のシュリンクをぴり、と破く。三つ入っている中箱のひとつ
を開けて、アルミパックを取り出した。丸い鳶色の瞳がそれをじっと見ていた。
 ――望みがかなう不思議
 大河にも聞こえてくる、湯船からあふれだす音。


 無言で脱がすと、昨夜と同じように下着姿で脱衣所に逃げた。台所との仕切りの暖簾をくぐ
って、後から竜児も脱衣所へ。大河はすでに裸で待っていた。過剰に恥ずかしがることもなく
上気した頬に愛しさを覚える。脱がし脱がされて浴室へ入った。

 手順は昨夜と変わらない。
 大河が湯船につかっている間に竜児が身体と頭を洗う。竜児が湯船につかる間に大河が出て
洗う。湯あたりしないようぬるめに水を差して。買ってきたブラシで、半身を乗り出して大河
の髪を洗ってやった。絡まないよう、傷めないよう。もともと大河が愛用していたシャンプー
の香りが立って、今がいつだったかと竜児を惑わせる。

 泡を流してしまえば入浴としてすべき事はもうなかった。口数も少なに作業を終えた。

 竜児は湯船から洗い場に降りて、膝をついて大河の肩を抱いた。
 ひざ痛そうと大河は立って椅子を譲る。それから竜児の腿を跨いでぺたっと抱きつく。竜児
も大河の背にしっかりと手を回して支えて、すこし冷んやりとしはじめた大河を温める。
 夜になっても暖かい日だったが、冷えないよう熱めのシャワーを出しっぱなしにして浴室を
温める。MOTTAINAI?構うもんか。

 抱きしめた大河のきめ細やかな肌に触れていると口火が炎に変わっていくのを感じた。
 この肌は触れるだけで溶かされる危険な生体兵器だ。直接触ってしまった自分は、きっと死
にたいのだ。大河の身体は危険とずっと前から知っていたのだから。

 女にエロさを感じるのは乳!尻!くびれ!マニアックな少数派でもふくらはぎ!辺りだろう
と同年代のみんなと同じく竜児は思っていた。肌質……触った感覚がそんなのを軽く跳び越え
て自分を狂わせるなんて想像したこともなかった。
 ただ死ぬ覚悟を完了してしまえばまったく逆だった。すべすべもちもちな身体を抱いて、お
前はどうよ?いっしょに死んでくれるかと問う視線を送れば、大河も応えてくれる。

「前にどうやってしたのか。もうほとんど覚えてねえよ」
 照れくさそうに微笑んで、蕾にも似た唇を求めた。

 もう何度めのキスだろうと大河は思う。キスだけをするならカウントできても、こんなふう
にひとつになろうとすると途中で分からなくなる。前のときそうだったように今度もまた。
 いち、に、さん……たくさん。きもちいい。もう数えられない。りゅうじがはぁはぁしてく
れるの、とってもうれしい。
 求められるのがひと呼吸ついて、大河からも求めだす。後から後から湧き出してくる水を飲
みほし、与える。潤ってくる。

 竜児はそれから、頭ひとつ分の身長差を埋めるように背中を丸めて大河の首筋にも優しく唇
を這わす。触れ合った肌の感触を快く受け取りながら大河はようやく言葉を口にする。

「私だって」
 言いながら、竜児の鎖骨を唇でなぞって少し歯を立ててみる。――食べてしまいたい。
 力がこもる。
 出しっぱなしのシャワーで湯気がもうもうと立ちこめてきていて、温まり、熱くなる。

「でも、したいようにしていい」
 りゅうじがきもちよくなれば、わたしもきもちいいから。
「乱暴にはしねえ。こうしているうちに思い出せるだろ。多分」

「乱暴にしたって……いいんだよ。たぶん」
 耳たぶを甘噛みしながら囁いてくる。わたしはりゅうじのものだもん。ああ、大河はおれの
もんだ。

 炎が一段と大きくなって竜児を煽りだす。大河は俺のもの。だから乱暴に使えと。これを消
してしまえば、ただ幸福な思いで抱きしめる他にはないのだろう。
 それもいい。けれど灼き尽くされてしまう怖さはない。なければ近くまで行ける。大河も望
んでいる近さまで今は行ける。

「りゅうじ……触ってみて……」
 お前の中にも炎はある。それで俺もお前のものにしろ。
「とろとろだな……たいが……」
 アルミパックに手を伸ばし封を切って着けた。大河がきもちよくなるんなら、きっとおれも
きもちいい。そうすればおれは大河のものになれるから。

 長い離別の時を経て、大河と竜児はまた結ばれた。
切れ切れに響く甘い鳴き声と、シャワーの音が続いた。


「きもちよかった……」
 髪を乾かしてやってると、ずっと押し黙っていた大河がぽつんと口を開いた。

「髪を梳いてもらってるのが?」
「……ちがうよ。い……いじめないでよ」
「俺がまんできなくて、すぐ終わっちゃったから……もの足りねえだろ?」

 竜児が恥ずかしそうな声で問う。こういうときの男の子には最大のテーマとはいえ、つい。
どう答えられたところで、やっぱり恥ずかしいに決まっているのに。もちろん大河にそんなこ
とを巧く思いやれるほどの経験はない。

「……そう言われればそうだけど。きっと何時間つながってても足りないって思うよ」

 そりゃ無理だー。と竜児が悶える。無理は分かってる。だからお礼言ったのに。だったら聞
かなきゃいいのに。……礼なんか言われてねえよ。
 なんとなく露骨な会話を交わしているうちに、だいたい髪も乾いた。はいおしまい。ぽんと
パジャマの背中を叩く。

「りゅうじといっしょに寝る。今日はもう離れたくない。ちょっとだってやだ」
「俺の部屋に布団ふたつは敷けねえんだよな。どうする?」

「い……いじめんなっつってんだろ!あんた意外にドSなのっ?」
 あたしゃいま浮かれポンチなのよー。おかしいのよー。気ぃ使えよ。
 分かった分かった。悪りぃ。布団を敷き真新しいシーツを張る竜児にぴったりとひっついて
大河は邪魔をした。敷き終わったら、いち早く滑り込む。

「あーっ、冷たいシーツがきもちいー。……ケットが男くさー!」
 ううーん。と全身で猫のような伸びをして頭まで布団にもぐり込む。火の元確認を済ました
竜児が部屋に戻ってきて、畳にはみ出た髪の毛に話しかける。

「ちゃんと洗ってるのにな。やっぱしみついて抜けないもんなのか」
「いいんだよツッコむな。ぜんぶ匂い落としたら殺す。……いま布団はいでも殺す」
 モゴモゴっと聞こえる脅迫に、なーに言ってんだ。俺が入れねえだろそれじゃ。と遠慮なく
はいだ。おら、髪の毛踏んじゃうからよけろ。わざと乱暴な言葉をかけ、湯あがりトマトな大
河の脇へ横になる。確かに火照った脚に冷えたシーツがきもちいい。

「さあ殺せ」
 大河がソッコーで脚を絡めてきて竜児の肩をつかむ。そうしてその胸に顔を埋める。ごんご
ん頭突きもかます。

「りゅうじ。りゅうじりゅうじりゅうじ……」
 なんだよ?と答えながら腕枕をして頭突きを抱え込み、零れる髪に顔を埋めると少しずつお
となしくなった。
 肩を捕えていた大河の細い腕が脇の隙間を通って竜児の背中に回り、ぴったりと抱き返す。
ベアハッグのつもりかと思うほど込めた力もやがて抜けて、ふうーと熱い息を吐く。静かにな
って、互いの鼓動だけを聞く数分間が訪れた。冷たかったシーツにも体温が移って布団の中が
暖まってきた。

「本当に……本当にね?きもちよかったの」
「女はどんな感じになるんだ?」
「そうね……お腹の中に火があって、だんだん大きくなる」
「それは俺も同じだな。そのあと背中を伝って腰へ降りて行く感じだ」
 お前もそうなの?……ちょっと違うかな?

 りゅうじに触れてるところに大元の火が別れてつーって流れていく。抱き合ってるとね、身
体のあちこちでぼっぼって。そんでりゅうじが触ってくれるとこには、ぼぼぼぼーっって感じ
でね。もうそれで溶かされてしまいそうになる。切なくて。きもちいいの。

「ね。あのままだと溶けちゃうのかな?終わりがあるのかな?」
「俺には分かんねえ……けどそうならお前を見てみたい。感じてみたいよ」
 何を話そうと勝手だが、ふたりのピロートークは、まるで試合のあとの感想のよう。

「きっと今日、デートしたせいだね……」
 嬉しいことがたくさんあったから、だね。プレゼントしてもらってママに認めてもらってプ
ロポーズの場所でもキスして。りゅうじが私のこと好きって、自分のものだって思ってるのを
ずっと感じてて。

「お前も思ってただろ。俺が自分のものなんだって」
 うん。きっとそれがお腹の中の火なんだ。分かり難い?
 いや分かる。俺にもそれあった。今もあるよ。

「私も。それには何度か襲われて……テンパちゃって。怖いものって思ってた」
 きっとみんな持っているものなのに。けど私が変だから襲われるまましかないんだって思っ
てた。りゅうじが燃やしたのにあいのりするしかないってね。

 大河は顔を上げて竜児を見つめる。
 鳶色の瞳が美しく、蕾の唇が艶めかしく、耳元の産毛が銀に光って可愛らしい。この大河は
俺のものなんだ、と思えると竜児の口火がまた炎へと変容する。
 と、瞳には包み込む親愛。唇には甘える笑みがすっと浮かぶ。家族の貌になる。

「でも、もう怖くない。ずっと持っていられそう」
 でしょっ?と得意げ。
 そうか。
 いま俺の炎を感じとって、逸らして遊んでみたわけだ。そんなこともできるのか。面白いな。
初めて知ったことなのに。すぐに。

「付き合うって、恋するのって……面白え。すごくいい」
「だからみんな欲しがるのかな?こんなに甘くてどきどきする……」
 知らなかった。

「ね、りゅうじ」
 いまさっき逸らしたものを、
「りゅうじが……ほしいよ」
 また取り返そうって?

 そんなに鳶色の炎を浮かべて、蕾の唇を濡らして?手を引っ張っていたはずなのに、いつの
間にか引っ張られている。まったく油断がならない。
 お前に、おれ夢中だ……たいが。

 見つめる少しの静寂に不安を感じて、大河はずり上がって視線を合わせてくる。だめかな?
効果ない?……まだへたくそ?わたし。ばかちーならもっと巧くやるのかな。

「りゅうじ……」
 ――望みがかなう不思議
「たいが」
 パジャマの隙間から腕をさし込まれて、じかに背中を抱かれた。りゅうじの温度に触れて、
お腹の火が広がっていく。
 恋しい。

「もう一度……いいか?」
 りゅうじの声を聞いてりゅうじの火を感じる。
「うん……」
 りゅうじが恋しい。

****

 午前4時。
 高須泰子が一夜の勤務を終えて帰宅した。
 足音をひそめて階段を上がり、音を立てずに鍵を開ける。窓から差し込む街路灯の僅かな明
かりと、冷蔵庫の音だけに満たされた家。

 ――ほっほ〜ぉ☆
 ふすまを閉め忘れてるのはどぉなのかなー?居間に足を踏み入れて、うふっと。テレビ台に
視線を走らせて、またふふっ。竜児の部屋を覗き込む。ひとつ布団で抱き合い眠る最愛の息子
と息子の嫁。というよりも可愛い娘。

 ――よかったでやんすね☆
 すうすうと幼子のような寝息をふたりぶん聞いて、泰子の胸にも暖かなものが広がった。

 独りで家を飛び出して、二人になった。行き場を失った愛をありったけぶつけて。そうしな
くては生きてこれなかった。もうだめだ、と諦めたこともあった。
 この子供たちは、自分の歪んでいた思いをひとりでなくふたりで受けとめてくれた。だから
狂わずに、壊れずに済んだ。いくら感謝をしてもしすぎることはない。

 ――ありがとう、たいがちゃん
 屈みこんで、そっと広がった髪を撫でる。起こさないよう、そっと。ふたりが三人になって、
再び絆を結んだ四人家族になり、これからは五人になって。きっと増えていく。
 机の上でふたりの携帯がLEDを点滅させているのを見ながら。静かにふすまを閉めた。そ
ろっと振り返ると。ごん!
「きゃんっっ☆」
 酔っていたのだろう。卓袱台の角に脛をぶつけてしまった。声が漏れぬよう口を押さえて、
泰子は自分の部屋に駈け込んだ。竜児が敷いてくれていたのであろう布団の上で、黙って痛み
に耐えた。傷が残ってしまうかもしれない。


 なんの……音……?

 薄目を開けてよろよろ身を起こした。目覚めきってはいない。
 そのままぼーーっとなる。

 あれ?

 薄いブルーのカーテンの窓。開ければベランダ。その向こう……。ベッドで寝ていたのに。
 ……りゅうじいるじゃん。

 こっちで眠りたくて……?
 あさは来ない、まだ。

 ああ、忍びこんじゃった……? ついに?
 チャーハン……残ってない……んだっけ。
 いい。ねむいし。さむい。
 あったかい。

 そっか。

 いっしょにごはんだし。いっしょにがっこいくし。
 あしたもごまかせば……いいや……。いい。

 ごまかす……の……?

 ぽふ、と竜児の胸に頭を置いて。また眠りに落ちていった。


 夜が明けて、よく晴れた三日目の朝が来ている。
 りゅうじが見てる……ねむい。身体が動かない。あ、でも明るくなってる。
 起こさない……の?
 遅刻……は?
 少しずつ目が覚めてくる。ああ髪ぼさぼさ。いいけど。見られても。りゅうじになら。
 えっ?ハダカ?
 なんで?

「おう……おはよう。大河」

 りゅうじにぎゅーっと抱きしめられて。エロ犬っっ!?
 え?そうなの?え?本気?――あ?

 そっか。

 いいんだ。

 いいんだった。これで。
 夢の中で混乱した記憶が解けて、ちゃんと並び直されていく。

 ごまかすことなんかなにもない。

 広い胸にぺたっと頬をつけたまま。
「んにゅ、おはよ〜」
「寝ぼけてたな」

「んー。ふわ〜あ。うん。まあまあいい夢みた」
 指差した方向は部屋の窓。その向こう……。
 あっちから忍び込んで、わたしあんたの布団にもぐりこんだのよ。

「そうか。いい夢だったか?嬉しそうだな」
「やばいとも何とも思わなかった。とっても夢っぽかった」

 可笑しそうにりゅうじが笑ってる。
 うん。
 そうなんだ。笑いかける。
 望みがかなう不思議。


 現実の方が幸せなんて、夢みたい。




――END


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