「フンッ!!」
「てっ!?」

 突如、問答無用でイキナリの目つぶし攻撃を敢行したのは言うまでもなく、

「何すんだ大河!! 視力が落ちたらどうする!!」

 手乗りタイガーという名誉か不名誉かいまいち判別のつかない二つ名を付けられた少女、逢坂大河。
 日も暮れ始めた夏の夕方と呼ぶに相応しい時間帯。
 同時にタイムセールを各所でやり始め、いかに勝利者となるかの瀬戸際になる時間帯でもある。
 世の奥様方よろしく、タイムセールの内容をチェックしながら歩いていた高須竜児は突然の目つぶし攻撃に当然の如く抗議の弁を述べる。
 目という部位は人の一生においてとても重要な役割を果たす感覚器官。
 それが失われることがどれだけ大変な事なのか、お互いわからない歳では無い筈である。
 その辺どういうつもりなんだコラァ!? と言った具合に釣り上がった凶眼は、一見してか弱そうな少女にガンを付けるヤクザそのものの出で立ちだが本人にその気はもちろん無い。
 目つきは生まれつきのものであって本人の意志ではなく、ただただ理不尽の理由を問いたい、というのが本心のそれである。
 悲しいことにこの世にそれがわかる人間は少なく、周りで買い物をしていた奥様方は恐怖で離れていき、近くの交番に駆け込む者までいるのが現状だが。

「眼がエロいのよ、眼が」

 一方、竜児の目つきを生まれつきのものだと理解出来る数少ない人間に分類される筈の彼女は、彼のその凶眼を見てあろうことかエロいと発言する。
 人間という人種が何十億と住むこの星において、彼の眼を見てそんなことを言えるのは世界広しといえども彼女ぐらいのものだろう。

「あんたさっきからあっちをチラチラこっちをチラチラ、何処見てるのよこの駄犬が」
「しょうがないだろ、チラシに乗っていない突然のタイムセールをやりだす店だってあるんだ。チェックするのは多いに越した事はない」

 加えて竜児は昔からその眼で勘違いされる傾向にある。
 自然とそういう人達が近くにいないかを探る癖も彼にはあった。

「どうだか。さっきはあっちの女の人の事見てたみたいだし、かと思えばあっちの小学生。ホント見境無いわねこのエロ犬は。みのりんに言いつけちゃおうかなぁっと」
「く、櫛枝に!?」

 彼女の言ってることは事実無根……ではないのだが、意味するところは全く違う。
 前述する通り竜児は周りの視線を極端に意識する為に、自分をそういう目で見そうな相手にはこちらから予防線を張っているのだ。
 大河の言う「見ていた」は正しいがその理由は大河の言う『エロ目的』とは一致しない。
 だが彼女にそう説明したところで大人しく話を聞く相手では無く、加えてリーサルウェポン……いやアルティメットウェポンの存在まで口にされては竜児に為す術は無かった。
 握った拳を開いて、諦めに似た思いで竜児は肩を落とす。 話してもどうにもならないのなら文字通り諦めるしかない。反論するだけ無駄なのだ。
 そんな悟ったような竜児の顔を、しかし大河は尚睨み付ける。
 こちらは諦めたのに何でまだそんなに睨んでくるんだ、と竜児は怯える。元来目つきは怖くとも内心は伴わないヘタレそのものなのだ。喧嘩だってしたことは無い。
 竜児がそう内心でビクビクしていると、

「君、ちょっと話を聞かせてくれないか」

 肩に手を置かれて背中から声をかけられる。
 振り返ってみるとそこには公権力の象徴、警察官が立っていた。そういえば交番に駆け込んでいた人がいたっけ。

「先程近くを通りかかった人が恐喝している現場を見たと言ってきていてね、どうなんだね?」

 言葉の上では疑問系だがその口調は決めつけた詰問だった。
 無理も無いと思う。こんな目つきの男が女の子と言い争っているような現場を見たら、誰だって男が悪いと決めつけるだろう。
 竜児はビクビクしながら何とかわかってもらおうと口を開こうとして、

「アンタ本当に警察官? だとしたら警察学校からやり直してきたら? この税金泥棒」

 先に大河が口を開いていた。
 大河の生意気と取れる口の利き方に警察官は眉をピクリと寄せる。
 無理もあるまい。彼にしてみれば女の子を助けようと現れたのにその女の子に暴言を吐かれたのだ。


「どういう意味かな? 私はただ聞き取り調査に来ただけだよ」
「どうだか。さっきの言いぶりだと竜児を恐喝の犯人扱いしてたじゃない。何も知らないでよくそんな事が言えるわね。その男は生まれつき目つきが悪いだけのヘタレ男だってのに」

 どういうつもりか知らないが大河は警察官に噛みついていた。
 竜児としてはオロオロするばかりだが、ヘタレ扱いされようともそれで誤解が解けるなら御の字だった。

「君たちは知り合いか何かなのかな? それともまさか恋人かい? 彼氏に脅迫されているんだったら言いたい事は言った方が良いよ」
「はぁ!? 私達が恋人!? 本当にアンタ目が節穴なの!? コイツとは単なるクラスメートよ!! それ以上でもそれ以下でも無いわ!!」



***



 その後すったもんだがあったものの、近くの懇意にしている店のおじさんが竜児の事を警察官に説明して事なきを得た。
 竜児は苦い顔をしながらも何も起きずに良かったと笑っていた。

「何で笑ってられんのよ、あの馬鹿犬」

 自分の部屋の中央に位置する寝椅子(寝っころがりながら座れるから寝椅子でいいのだ)に一人座って、膝を抱く。
 大河は夕食を高須家で摂った後早々に自分の部屋に帰ってきた。

「誤解だって、さっさと言えば良いじゃない」

 今日警察官が竜児を責めに来たのは自分のせいだとわかっている。
 大河は顔を膝と膝の隙間に埋めてさらに縮こまった。ただでさえ小さい体を小さくして丸まるその姿は、泣いているようにも見えた。
 わかっている。悪いのは竜児ではなく自分だと。自分が“意味も無く”つっかかったせいで勘違いされ、嫌な思いをさせたと。
 でも素直にそれを認める事はできそうに無く、だから無理矢理庇う形で警察官に喧嘩を売った。
 苛々する。無性に苛々する。 悪いとわかっていても謝る気が無い自分に苛々する。
 けど素直に謝ったらそれは自分では無い気がしてそれも苛々する。
 そもこんな事で苛々する原因を作った竜児に苛々する。そうやって竜児に原因をなすりつける自分に苛々する。
 苛々し続けて、自分が何に苛々しているのかわからなくなってきて、苛々する。
 わからなくなるってことは今までに考えた理由が本当の理由じゃない気がして苛々する。でも本当の理由に気付きたくなくて、そんな弱い自分に苛々する。
 結局竜児が悪いと決定付けて苛々を終わらせようとするが、そうやって竜児のせいにする自分に苛々するのを止められない。
 でも、苛々の理由とは別に竜児も悪いとは思う。すぐに否定すればいい。自分は悪くないと訴えればいい。
 それをしない竜児はやっぱり悪いと思う。悪くないのに悪者になる竜児は悪い。そう、竜児が悪くないから悪い。竜児が悪くないから苛々する。
 竜児が否定しないから苛々する。そんな目で女の子を見ていないって言えばいい。自分は悪くないって言えばいい。
 関係無いって言えばいい。否定すればいい。……言って欲しい、否定して欲しい。

 自分はそんな目で女の人を見ていたわけではない、と。
 根も葉も無い事を勝手に言いつけるな、と。
 自分は何も悪い事はしていない、と。
 自分は何もしていない、と。
 恋人じゃない、と。

 自分はヘタレじゃない、と。
 単なるクラスメートでもない、と。
 それ以上であって、以下ではない、と。

「……ぅ……すぅ……」

 大河はやがて寝息を立て始めた。
 他愛の無い一日に過ぎない今日考えた事を、彼女は何処まで覚えているだろう。
 恐らく、微睡みつつの思考など数えるほどしか覚えていないだろう。
 それでも、彼女は自分の性格だけは理解しているだろう。

 自分は“意味もなくつっかかったりなどしない”と。



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